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2003年3月1日              動機は不純でないか



 一月がいき、二月がにげ、気がつけばさっていくという3月となりました。まだまだ肌寒い日もありますが、そそぐ日差しは、確実に暖かくなってきています。四季のある国に暮らしていることは、本当は幸せなことかもしれませんね。


 それは、音楽や芸術などの面から考えてもいえることだと思います。おなじように愛情を表現したものでも、それぞれの季節により、出会いや別れの形は変わってきます。春は卒業などで別れて行きますが、旅立ちや新たな出会いもあります。夏は、どちらにしても熱く盛り上がる感じです。反面、冬は深く静かで透明感があるものが多いですし、秋は、センチメンタルな感傷と充実した実りの混在といった感じでしょうか。


 ともあれ、音楽の世界(歌謡曲というジャンルはもはや存在しないのかもしれませんが)では、様々な名曲が生まれてきましたし、たくさん残っています。また、新しい曲で良いものも発表されています。しかし、私などは御多聞にもれず、なかなか昨今の流行にはついて行けない状態です。どうしても、少年期や青春時代に聴いたり口ずさんだ曲に憩うことが多くなります。それは、我々の父や母が、昔の歌を口ずさんでいたのと同じことかもしれません。


 そんな中で、最近少し気になることがあります。それは、昨年大ヒットした亜麻色の髪の乙女などのような、カバー曲がヒットする例が多いことです。リバイバルやカバーで流行する曲は、それ自体が優れた楽曲であるということはわかります。しかし、最近のヒット曲の寿命の短さにも原因があるのではないかと思うのです。昨今の流行歌(はやりうた)は、耳に馴染みやすいものが多いが、心に残るものは少ないような気がします。


 生活様式と価値観の多様化に加え、CD等の購買層の低年齢化は、売れれば良い的でうけを狙ったような作品が多くなっていることの要因だと思います。アイドル全盛であった我々の少年期におけるミーハ-たちでも、今のモーニング娘を歓迎するかどうかは疑問だと私は思います。何がいいたいのかといえば、歌や音楽というものは、その楽曲を創り表現する側における取り組み方が大切なのではないかと思うのです。


 どうしたら売れるのだろうという発想のもとに創られた歌と、こみ上げる思いを表現するために創られた歌では、人の胸を打つ度合いが違うのではないでしょうか。もちろん新しい曲でもそのような良いものもありますが、フォークソングなどを始めとして、私たちが影響を受けて来た音楽は、作り手や歌手の熱い思いが深かったような気がするのです。聴いている私の感性の変化もあるかもしれませんが、ジョン・レノンのイマジンだってその頃の曲です。


 レコード店に行き、初めてレコードを買って帰るその道すがら、少し大人になったような気がした記憶は誰にもあるでしょう。携帯電話でも何でもそうですが、大人にならなければできないというか与えられないものが随分少なくなった今、売れれば良いという発想から、判断力の弱い子供たちに媚るような作品作りで良いのでしょうか?本当に心の叫びとしてできた歌は、小さな子供にも伝わるはずです。


 動機は、やっぱり不純ではいけないと思います。誰かに伝えたい思いやメッセージが素直に表現された時、本当に良いものが創れるのではないでしょうか。同じように、ものをつくるという観点に立てば、建設部門でも同じことが言えるのではないかとも思います。世の中の役に立つもの造り、という信念はいつまでも持ち続けて行きたいものです。


2003年2月15日              いでよ明日のジョー      



  
 
以前、ラグビーのことについて書きましたが、それに限らず私は、スポーツはだいたいなんでも好きです。そして、感情移入の激しいミーハ-的観戦者でもあります。その中で、今回はボクシングについてふれて見たいと思います。

 まず最初に言いたいことは、ボクシングは格闘技であり、厳しいスポーツでもあるということです。最近では、過激な内容を売り物にしている総合的な格闘技などが人気をあつめています。しかし、UFCなどのルールは命をやり取りするようで、能力の高いレフェリーがいなければ危険だと思いますし、見終えたあとで何となく後味が悪くなる時もあります。ボクシングでも、試合後に亡くなる人が出たりしますが、ルール的には丁度良い感じではないかなと思っています。


 さて、私の好きなボクサーはということになりますが、古くはアリ・フォアマン・フレイジャーのヘビー級の覇権争いをしていた選手たちということになります。たくさんいる好きな選手の中で、最も好きな選手はミドル級に10年間君臨したマービンハグラーです。また、同時代にこのクラスの黄金期を築いたハーンズ・レイナード・デュランの3選手の印象も強く残っています。そして現在のミドル級では、なんといってもフェリックストリニダードです。スーパースターデラホーヤに勝ったあと、ハグラーの後継者を自称するホプキンスに敗れ引退してしいましたが、私の知る限り、最も美しいボクサーだと思います。


 ヘビー級も迫力がありますが、やはり一番面白いのはミドル級ではないかと私は考えています。それでも、フェザー級のバレラ・モラレスの争い、そして、プリンスナジームハメドなどは、ラスベガスあたりの目の肥えたファンを堪能させ、何億ものファイトマネーをとるだけの試合を見せてくれます。この他、パウンドフォーパウンド(ウエイト当りの強さとして一番強い)といわれるライトヘビー級のロイジョーンズや、タイソンをKOしたレノックスルイス、また、その牙城を脅かす2mコンビであるクリチコ兄弟のいるヘビー級戦線も目が離せません。世界には、良い選手がたくさん活躍しています。


 そこで思うことは、日本選手と世界レベルの隔たりの大きさです。ものがあふれ、何でも簡単に手に入る「満ち足りた国」日本では、拳ひとつで成り上がって行くことを夢見るような、ハングリー精神は育たないのかもしれません。しかし、何度もカムバックして人気を博す辰吉の緩んだ体(かつての浪花のジョーの輝きは今は見えない)や、ガチンコファイトクラブの様子などを見ると、少し悲しい気持ちがしてきます。それから、テレビの実況中継のアナウンサーの日本選手が勝ちさえすれば良いという感じの放送と、それを裏付けるために行われるような解説者の日本びいきの採点など、我が国は、ボクシングの面からとらえると先進国とはいえない気がします。


 ボクシングは格闘技であり、崇高なスポーツであると思います。街のけんか屋を集めて、数ヶ月のトレーニングの後にプロテストに合格させたとしても、そこから先の道のりの方が、はるかに遠くて厳しい世界なのです(目標のない若者を更生させるという意味はあるかもしれませんが)。強くなるために、強制されなくても自分から練習を積み、節制する日々を黙々と重ねて行かなければなりません。それでも、一つのクラスに四団体(日本が加盟しているのは二団体)ある世界チャンピオンの一人になることは至難の業です。よほどの素質と強運に恵まれなければ、かなう夢ではありません。


 どんなスポーツでも共通だと思いますが、心肺能力や反射神経などの肉体的な才能も大事ですが、最も大切な才能とは、「継続して努力できる心」ではないかと思います。つらい練習をきちんとやり続けられる精神力を持った人、そういう人こそが才能のある人といえるのではないでしょうか。それはスポーツに限らず、どんな世界にも共通していえることではないでしょうか。言い換えると、「才能のある人」とは、運動神経が良いとか、頭脳明晰であるとかいう身体的に恵まれた人ではなく、頑張り続けられる人のことかもしれません。そう考えると、気持ちの持ち方さえ変えることが出来れば、我々も「才能のある人」になれるのではないでしょうか。


 しかし、自分の意識を変えることは、簡単なようで中々出来ることではありません。才能のある人になれなくても、近づいて行けるようにはしたいものですね。話は、ボクシングにもどりますが、少年のころ見た、矢吹ジョーや力石徹を彷彿させてくれるような日本人選手の台頭を期待したいですね。かつては大場政夫・輪島公一・渡辺二郎などたくさんの名選手が日本にもいました。最近では、畑山対坂本戦などは良い試合だったと思います。胸が熱くなるような試合が見たいです。


2003年2月 2日             公益の確保



 旧正月を迎え、寒さも今がピークといったところでしょうか。三日はいよいよ節分で四日は立春と、暦の上では春に移っていきます。何となく、旧暦の方が情緒感があると感じるのは、私だけではないと思います。


 日経コンストラクション1-24号に「市民が求める技術者の条件」という特集が組まれています。NPOや市民団体などへのアンケートなどを元に、市民が求める技術者像を探るというものでした。その姿として、住民の意見を良く聴き、事業に対して何を求め、どこが不安なのかを理解し、分かりやすい言葉で根気良く説明する態度が求められるようです。また、専門とする分野に関して、豊富な知識と経験を持つことや、住民に絶対迷惑をかけないのだ、という誠意のある姿勢が求められるとも書かれていました。


 だいたい、想像したような内容で、私が思い描いている技術者像と近いものだと感じました。とりわけ面白かったのは、アンケートの中で、不満を感じた技術者の属していた組織についてで、都道府県、市町村が最も多く、次いで、地元の中小建設会社がそれに続いているところです。その理由のひとつには、地元住民と接する機会の多さがあるのかも知れないと思いました。


 少なくとも、これまで私の見てきた印象では、地元住民に対しての地方公共団体の職員の接する態度は、必要以上に低姿勢に見えました。にも拘らず、何故住民からの不満が多いのか?それは、低姿勢ではあるけれど、そこに誠意が感じられないからではないでしょうか。実際、地元説明会などでは、とにかくその場が過ぎれば良い、工事に着工してしまえば良いのだ、という印象を受けたこともあります。また、これは計画段階からもいえることですが、住民が本当に望んでいることは何なのかを知ろうとする配慮や、行われている事業が、貴重な税金によって賄われているのだという意識が少なすぎるのではないでしょうか。


 同じように、直接地元住民と接して工事を施工する機会が多い、地元の中小建設会社の職員の姿が浮かび上がってきます。私が、このH・Pを立ち上げた理由にもなっていますが、地方の建設技術者への地域住民からの信頼の無さというのが問題だと思います。多くの中小建設会社の社員は、会社や自分のために、早く安く工事を完成させようと努力していると思います。しかし、何のためにその事業が行われ、どんな役に立つのかを考える人は少ないのではないでしょうか(それを考えることが信頼の獲得につながる)。


 工事が早く完成し、少しでも多く利益をあげることが出来れば、それは会社にとっても自分にとっても良いことです。しかし、そのために、そこに不必要なものや、機能を果たさないようなものを造っても良いのではありません。そのような工事を行えば、直接的には税金の無駄遣いとなり、間接的には、その事業がもたらす筈の経済効果を得られなくなり、大きな損失となります。瞬間的に自分の会社が利益をあげても、地域や住民に不利益がもたらされることになれば、社会資本整備に回せる税収も減り、ひいては建設部門の一員である自分の会社にも不利益となることを考えるべきです。


 技術士法の改正により、私たち技術士には公益確保の責務が追加されました。我々の仲間やこれから技術士をめざす人たちの間では、技術士法第45条の2にある公共の安全、環境の保全、その他の公益を害することが無いように業務を行うという以外に、「公益の確保」という定義について、様々な議論がされているようです。その中で私は、このH・P設立当初から述べ続けてきましたが、「世の中の役に立つ、立とう」という観点に立脚しもの造りを考えることが、公益の確保という観点に立った考え方につながると思っています。


 技術士法の改正では、同じように「資質向上の責務」も追加され、CPDという継続教育も求められることとなりました。私のようなお調子者には、自分の未熟さを反省し、向上心を維持するための良い戒めとしたいと思います。どんなに優れた人でも技術者でも、自分で「もういい」と思ったときに成長は止まるのではないでしょうか。反面、己の未熟さを知り、知らないことを知りたいと思い、出来るようになりたいと考えている人は、いつまでも進歩し続けることが出来る筈です。愚直の一念ほど強いものはなし。


2003年1月 21日           ミーハ-的ラグビーファン 



 
光陰矢のごとし、月日のたつのは早いものです。平成15年の1月も過ぎ去って行こうとしています。宮沢賢治の鞍掛山の雪ばりに、新年の降雪に微かな希望を託して始まった羊年ですが、厳しい年には変わりないような気もします。


  さて、去年はワールドカップが日本と韓国で開催され、サッカーがとても盛り上がりました。私も、にわかサッカーファンをきめこみ、テレビ観戦に熱中したものです。しかし、どちらかというと私は、サッカーよりはラグビーの方が好きです。格好良さという点ではサッカーかもしれませんが、体と体が激しくぶつかり合い、胸を打つような感覚を覚えるのはラグビーの方だと思います。


 私自身は、部活としての体験はありませんが、ラグビー部のある学校でしたし、体育の授業などでもやりました。丁度、京都の伏見工業の初優勝の頃とだいたい同時代で、似たような環境の青春時代を過ごしましたので、ワンフォアオール・オールフォアワンというような考え方に共感するものがあります。基本に忠実で、質実剛健というようなチームカラーのところが好きで、高校では秋田工業、伏見工業、大学では同志社大学、明治大学などが好きです。しかし、そのときの選手やチームカラーで贔屓がかわるミーハ-的ファンでもあります。


 かつての平尾選手や、最近では大畑選手のようなスタープレイヤーにも惹かれますが、どちらかというと、闘志を内に秘めたひたむきな選手が好きです。特に、七連覇時代の新日鉄釜石の洞口キャプテンや、東芝府中のマコーミック選手などが好きでした。洞口さんは若くして亡くなられましたが、彼がかつて在籍した新日鉄釜石がクラブチームとなった釜石シーウエイブスに、あのアンドリュー・マコーミック選手が去年から所属しています。


 先日のNHK人間ドキュメントで、彼のことが取り上げられていました。本来、ニュージーランドに帰るつもりだったところを、請われて釜石にいかれたようですが、気力を失いつつあったチームを、闘志あふれるプレーと練習態度でよみがえらせて行く姿は、胸を打つものがありました。特に印象的だったのは、「プライド」といわず、「誇り」を持てと語りかけ、誇りある闘志の大切さを説く彼の姿でした。


 日本に来る前の、オールブラックスには入れなかったときの挫折や、偉大なラグビー選手だった父への拘りなど多くの試練を乗り越え、闘う誇りを持ったプレイヤーとなったマコーミック選手。その人柄が、外国人ながら彼を全日本のキャプテンにし、今まさに、クラブチームとして復活の兆しを見せる釜石シーウエイブスの原動力となっているのだと思いました。敗れはしましたが、対NECとの全国大会出場をかけた試合を見に来られたお父さんの「息子を誇りに思う」という言葉が、いつまでも心に残りました。


 一人の指導者、一人のリーダーの加入により、沈滞していた組織やチームが生まれ変わることはよくあります。どれだけ人を動かせるか、それがリーダーの資質ですが、最後は、アンドリュー・マコーミックのような熱い心と人間性であると思います。それがあって初めて、本当の意味で役に立つ技術やテクニックが身について来るのだと思います。


2003年1月7日                プロフェッショナル



 
あけましておめでとうございます。いきなりの寒波による雪の正月となりましたが、雪は豊作の予兆とか、依然として厳しい状況の中、少しでも明るい兆しがみられる事を期待しながら、このコラム欄を書いていきたいと思います。


 プロフェッショナル、プロとはどういうものでしょうか。広辞苑によれば、第一に、専門的・職業的とあり、第二に、専門家・職業としてそれを行う人とあります。職業としてそれを行うということは、一円でもお金を貰えば、プロとしての仕事をしなければならない、と、解釈することも出来るのではないでしょうか。今流行のフリーターであれパートであれ、報酬を得て仕事をするということは、プロとしての意識が常に求められるべきであると、私は考えています。


 しかし、社会にでた最初からそのように考えていたわけではありません。むしろ私の若い時は、やりたいことがある訳でもない状態で、仕事に対する目的意識もなく、ただ、言われたことをやっているような感じでした。やりたいことが無い、というよりは、それが見つけられずに苛ついていた、という状態だったかも分かりません。何も出来ないくせに屁理屈をこね、上司の命令にも、「そんなに頑張るほど、給料貰っちゃいませんよ」という感じで反発していた時期もありました。それは、もの造りの喜びを知らなかった頃のことです。


 建設現場では、様々な職種の労働者や職人とあいまみえることとなります。今はそうでも無いかも知れませんが、当時、熟練したそれらの技能者たちは、高校を出たての若造の指示などは殆どきいてくれませんでした。それは、的外れな指示が多いということもありますが、俗に言うなめているわけです。そこで私は、鉄筋工でも左官工でも重機オペレーターでも、見よう見まねで、彼らのやっている仕事をやってみました。そんなにすぐに上手くはなりませんが、一生懸命にやっていれば、素人目にも7割方位はできるようになります。それぐらいになって初めて、口をきいてくれるひともいました。


 上手く言えませんが、上手になろうとかできるようになろう、と、考えて仕事をしている時には、賃金がいくらだからとか、給料が安いからとか言う考えは忘れていると思います。技術者としての成熟と職人としての熟練とは、相反することのようにもみえますが、プロ意識というものについての考え方や、向上心を持つというイメージができてきたのは、それらの、建設現場での体験からだと思います。実際に、しっかりした職人やオペレーターは、貰っている賃金や勤務時間に関係なく、納得する仕事ができるまでは作業を止めることはありません。


 例えば、「現場監督」という職業を例にとって考えてみても、意識のもち方でだいぶ違ってきます。、かなり適当にやっていても工事は完了するものです(喫茶店でモーニングサービスを食べながら漫画を読み、合間を見つけてパチンコ屋によったりしていても)。しかし、きちんとしたマネジメントをしようとすると、とめどもなく奥行きは拡がっていきます。世の中の役に立つものを、早く・安く・美しく・そして安全に造るということは、中々たやすいものではありません。


 私の住んでいる地域では、よくこんな話を聞きます。どうして現場についていないのかと現場監督に聞くと、「そんなに給料貰っていない」。能力のある者には、もう少し給料あげたらと経営者に尋ねると、「だれがやっても大差ないよ」。これは、従業員にも経営者にも問題があります。選手である建設技術者からみれば、貰っている給料がいくらであろうとプロの仕事をすることです。また、経営者の観点からは、自らの襟をただすことと、真の意味で、合理的で戦略的な経営が求められると思います。もはや建設業は、だれがやっても儲かるような甘い業種ではありません。別の機会にも述べたいとおもいますが、昨日までやっていたことを、明日も同じようにやれば良いという業界は、現在の日本ではどこにもないでしょう。


 図面に描かれているものに満足せず、そこに何が本当に必要なのかを考え、世の中の役に立つもの造りをめざすプロの技術者、それが、これからの厳しい時代に求められる建設技術者ではないでしょうか。「プロとしての意識と誇り」まず、それを持つことが大切であると思います。


 

2002年12月30日            人間ドキュメント
 



 
 不況とリストラ、価格破壊の技術分野への浸透、今年進んだことといえばそんなことでしょうか。新たな分野への挑戦と、スキルアップのための勉強に集中する暇も無く、あわただしく一年が過ぎた感じがします。地方や、中小・弱小規模の建設会社などに在籍し、何のために仕事をしていけば良いのかわからない人のために(昔の自分のような)、立ち上げたこのホームページが唯一の進歩かもしれません。「向上心」だけは忘れずに、来年は頑張ろうと思います。

 今年の最後に、技術者というよりは物をつくる人間として忘れてはならない心構えとして、とても感銘を受けた話をしてみたいと思います。「人間ドキュメント」というテレビ番組があります。ご存知の方も多いと思いますが、木曜日午後9時15分からNHKの総合テレビで放送されています。同じ時間帯では、火曜日の「プロジェクトX」の方が有名かもしれません。視聴率偏重の昨今、ただ面白ければ良いという番組作りが見受けられる中、結構、NHKの番組の中に良いものがみられます。
 

 さて、人間ドキュメントですが、毎回、様々な分野の色々な人にスポットをあてるドキュメンタリー番組です。スポーツ選手、ダンサー、エンジニア、福祉に携わる人、町おこしを企てるひとなど様々な人が、目標や夢に向かって真摯に取り組む姿を通して、人生の指針を示すような番組だと思います。プロジェクトX同様、過剰演出というか、つくり過ぎというような時もありますが、総じて、人間ドキュメントのほうが、地味ですが深くしっかりした取材のあとを感じます。深夜の再放送もありますので、田中さん(ノーベル賞受賞者)の分などは4回も見てしまいました。
 

 特に、エンジニアとか職人、技術者にスポットをあてた時などは、感動しながら見ることが多いです。自分の技術を生かし、創意工夫のもとで、独自のアイデアを生み出していく姿に、自然と引き込まれていく感情を禁じえないものがあります。しかし、その時見落としてならないのは、その人たちの人間性であると思います。どのようなすばらしい発想もテクニックも、完成させるまでには大変な根気と努力が必要です。そして何よりも私が感じることは、それが世の中の役に立つのだ、という信念が持てる仕事であること、が、大切なのだということです。最後はそこなんだな、と思いながらテレビを見終わることが多いです。


 そのような中で、今年一番心に残った言葉があります。それは、12月5日に放送された「まごころけーきを召上がれ」という番組の中でした。知的障害を持つ人たちが働くケーキ工房での話です。福祉施設で作られたものだからという同情にたよらず、本当に、味で勝負できる美味しいお菓子を作ろうという指導者のもと、一生懸命に取り組んでいる一人の若い女性に、スポットを当てた時のものでした。


 その人は、池端さちえさんという名前だったと思います(苗字がうろ覚えなので間違っているかもしれません)。毎日日記をつけながら、自立して一人暮らしが出来るように頑張る姿と、他の障害者をいたわる彼女の優しさは、番組を通して胸を打ちました。なかでも最後のシーンで、さちえさんが、パウンドケーキの生地を練る作業を、同僚の若い男の人に教えている場面で彼女が言った言葉が、とても強く印象に残りました。それは、次のようなやり取りです。

 「心を込めて練るのよ」
 「こころ?」
 「うん、心も美味しいよ」


 ほんの短いやり取りでしたが、その一言は、誰にでも言える言葉ではないと私は思いました。彼女の、そこまでやってきた一生懸命な生き方が言わせる言葉だと思いました。忙しさに追われ、ともすれば仕事に対して、早く終わらせるための工夫ばかりをしてはいないか、自分の心がまえについて思わず反省させられました。そして同時に、この人こそが偉いのだと思いました。食べた人が幸せになれるようなけーきをつくる、そんな仕事は、本当に誰にでもできることではありません。テレビをご覧になった方もおられるとお思いますが、あのように、心を込めてケーキの生地を練り続けることができる彼女こそ、立派な職人と呼べる人なのではないでしょうか。


 自分の仕事が、誰かの役に立つことを実感できる仕事、そんな仕事をめざしたいものですね。他にも人間ドキュメントでは、低公害エンジンの開発を目指す老エンジニア、懸命に復活をめざす黒木投手、生涯現役エンジニア井上和平さんなど、心を揺さぶられるような放送がありました。自分への応援歌として肝に銘じたいと思います。


 今年は、不況といわれる建設業界にあっても、とくに厳しい一年となりました。来年以降も、厳しい競争と淘汰が進んでいくでしょう。しかしそんな中で、同じ競争でも、正当な競争が行われ、真に能力と志が高い者が勝ち残れる環境となることをのぞみたいです。その環境が整い、向上心を忘れずに、世の中に役立つものを造ろうと考える技術者が評価される。そうなっていかなければ、本当の意味での建設部門の再生はないのではないでしょうか。きれいごとかもしれませんが、私はそのことを言い続けたい。それが、今年最後の感想です。

2002年12月24日         「職人」がやっていけない国



 価格、ものの値段とはどのようにして決まるのでしょうか。私は、おおよそ世の中に存在するものは、欲しい人(それを得たい人)とそれを提供できる人による数のバランスと、その難易度等からおきる品質の差異に起因して、相対的に価格が決まるのだと考えています。しかしこの頃、その、「ものの値段」について疑問に思うことが時々あります。不況の名のもとに進められていくコストダウンの嵐のなかで、画一的に何割カットと言う風に、賃金などが決められていく事態を目の当たりにするとき、本当にそれで良いのか、という思いが頭をもたげてくるのです。


 それは、建設部門にたずさわって長年仕事をしてきた間にも考えていたことです。例えば、鉋を使って柱を削る時、1ミリの何百分の一という、向こうが透き通って見えるような削りかすを飛ばして仕事をしているような大工さんの年収が、私の地方では、商業高校や短大を卒業して、銀行に努め始めた女の子の年収と変わりません。それは、熟練した左官工や重機オペレーターにおいても同様だと思います。何年も厳しい修行を積み、熟練を重ねてきた技に支払われる対価は、銀行の窓口で他人のお金を数えている(実際には、手でお金を数えているわけでも無いでしょうが)ことと同じか、それ以下でしかないのです。


 需要と供給という観点から捉えれば、厳しい入社試験をくぐり抜け、少ない需要を確保したからこそ、彼女たちにその報酬が与えられるのかもしれません。しかし、もっと大きな目で見れば、全ての産業で熟練者がいなくなり、製造業を初めとした工業生産が落ち込み、経済そのものが破綻するようなことになれば、朝のお化粧ののりを気にしながら、オンラインの端末を操作することもできなくなるのではないのでしょうか。


 戦後(などというと年寄りのようですが)、日本は、資源の無い中から、原料となる資材を輸入し、別の形にして価値を付加して輸出する「加工貿易」を行い、驚異的な経済発展を遂げてきました。しかし、その裏には、本来日本人が持っていた勤勉さと、熟練者やその技術に敬意を表する文化が有ったのではないでしょうか。大量生産・大量消費が高度経済成長を支えてきたともいえます。しかしよく考えると、オートメーションやラインによる生産設備によって、いいものを安く大量に生産する競争の中で、我が国が勝ち残ってこられたのは、実は、それらの現場の第一線に携わってきた人々の持っていた職人・技術者としての「誇り」と巧みな技があったのだた思います。


 そしてそれは、日本人が持ち続けてきた倫理観や常識というモラルの中で、先人から後輩に上手く継承されてきたのであると私は思います。何でも時間当たりいくらで評価していては、生き残っていけない技術はたくさんあるのではないでしょうか。また、単に品質の安定した製品を安く生産する競争を想定しても、上海など中国の経済特区で働く若い中国人女性の生産能力と精度に勝つことは容易ではないと思います。


 コストダウンを迫られる経営者的な観点にたてば、安い労働力の得られる中国などアジア諸国に工場を立地し、消費地としての市場としても、発展が予想されるそれらの地域へ進出していく考え方はよくわかります。しかし、本当の意味で日本が生き残っていくためには、もっと他の考え方が必要なのではないでしょうか。良いものを早く安くだけではなくて、本当に世の中の役に立つものはこういうものですよ、という問いかけをして行かなければいけないと思います。そのような時、熟練した質の高い匠の技と、誇りを持った志の高いエンジニアの存在が不可欠です。


 兎に角、生き残るためのサバイバルゲームの中で、目先のパーセントに追われて仕事をやっつけている。そんな風潮の中で、「職人」がやっていけないこの国は、この先いったいどうなってしまうのか、などと考えてしまいます。
      気がつけば、サンタクロースもやらなくて良くなったクリスマスに思うこと


 

2002年12月18日           現場は生きている



 技術士試験の二次試験合格者による口頭試験も終盤と言ったところでしょうか、いよいよ、20日には総合技術管理部門の二次試験の合格発表があります。受験者数等から判断して、3000~3200人位は合格者がでると思います。合格された方は、来年1月末から東京で行われる口頭試験でも、好結果が得られるように頑張って欲しいと思います。
 

 さて、前回も少し触れたことですが、どの分野でもそうだと思いますが「建設」という、ものを造る仕事では、実際に現地をよく見て判断を下し、その経験を積み重ねることが大切です。そもそも、土木工学そのものが、経験にもとづく経験工学であると思います。かつて決められていた基準や規格も、大きな震災などのたびに見直され現在に至っているのではないでしょうか。実際に、阪神大震災の後に性能設計の考え方が導入され、道路橋示方書なども改訂されました。


 同じ構造物の構築という観点からとらえても、構築する地域や場所の条件は様々です。気候および気象・地形・地質・周辺環境・地下水等々同じ条件のものはありません。いつでも、マニュアルや指針通りに計画を行い、施工をしていれば良いというもので無いと思います。実際に、マニュアルに従い、手順通りに計画された切土法面において、1:1.5(33.7°)勾配のものが崩壊した例を見たことがあります。一般的な土砂を対象とすれば、切土法面で1:1.5という勾配ならかなり緩い感じですし、安全側の計画の計画のように思えます。


 しかし、宅地造成の基準に従い、許可も得た上で施工された現地の法面は、雨が降った後ぱっくりと口を開け、すべるような形で崩壊し始めました。実際にその場所に立ってみると、乾いている時とはまったく違った様相を呈していました。一見、砂質土系のように見えた地山は、火山灰のような土質で粒度分布も悪い状態だったのです。結局、法面崩壊をを抑止する工法が必要となり、工事費はかなりの増額となりました。そのことにより、工程も大幅に遅れ、次工程である建築工事に影響することとなりました。


 公的機関が発注した工事で、設計もかなり有名な建設コンサルタント会社でした。しかし、近所の老人の言葉によるとその一帯は、「性根の無い土」で滑りやすい土地だったのです。また、調べてみると、計画地は入っていなかったのですが、近くに地すべり区域がありました。そのことは、設計の段階で解っていたと思いますが、区域を外れていますし、かなり緩勾配の切土の計画でしたから、問題ないとの判断だったのでしょう。


 私は、その現場の直接の担当者ではありませんでしたが、切土の丁張を手伝いに行ったことがありました。そのとき、現地で感じたことは、表面の土の「軽い」という感覚でした。地山状態では締まっているようなのですが、手で触ってみると軽くふわふわしたような感じのものでした。また、砂質土系の地山に良く見られる小石なども見受けられませんでした。何となくですが、「切土の施工だけでもつのかな」という気がしたのを覚えています。


 自分の現場でもありませんし、設計も有名な会社によるものでしたから、施工に際しては何も言いませんでした。しかし、経験を通して感じることや、一目では気づかないことでも、その地域の人は気づいていたり、知っていたりするということなどは有り得ることです。当時、そのようなことをもっと強くアピールしていれば、もう少し、少ない損失ですんでいたかも解りません。とはいっても、15年くらい昔の話ですから、「若造」の部類に入る私の意見が、どれほど取り入れられたかは解りませんが。
 

 現実には、今回述べたような事例はたくさんあると思います。地山は生き物ですし、工事は毎回が「初舞台」です。だからこそ、実際に自分の目で見て「感じる」」ことの積み重ねが大切なのではないでしょうか。その積み重ねが新たな経験に生かされ、マニュアルには無い創意と工夫を生み出す源となるように思います。もちろん、工学的な技術や理論の勉強に励むことはとても重要なことです。しかし同じように、いやそれ以上に、「自分の目で見て確かめる」ことが大切であると私は思います。

2002年12月6日         本当に 「図面通り」で良いんですか?



12月に入り、今年もあとわずかとなってきました。「師走」の名の通りあわただしい日々を過ごしております。何やかやと多忙なわりには、報われることが少ないと考えているのは私だけではないと思います。これも、不景気のなかを生き残っていくための低価格競争の一端なのでしょう。出口の見えないデフレスパイラルの中、はたして、建設技術者の未来はあるのでしょうか。


 冒頭から悲観的な書き出しですが、少し疲れているのかも知れませんね(体よりも心が)。さて、今までも感じていたことですが、最近、特に強く感じるようになったことがあります。それは、このH・Pを立ち上げるきっかけになったことでも有りますが、ものを造る人たちの(広い意味で)意欲の低下と意識の低さです。特に、私の住んでいる地域やその周辺について言えば、その傾向は進んでいる気がします。むしろそれは、私が、建設現場に居た時代よりも低下している気がします。それを反映してか、発注者側からコンサルタント会社などに求められる注文は、どうでも良いようなことに対して細かくなるばかりです。


 かつて、私が建設現場をあずかっていた頃は、コンサル会社などが作成した「当初図面」に関して、全くといって良い程信用していませんでした。というか、そのように教えられたものでした。もちろん、設計に関する考え方や決め事についてを信用しないというのでは有りません。具体的な「収まり」というかどのように造るかという点に関してのことです。例えば、道路の建設に関して言うなら、当初図面に描かれているものは、あくまでも「目安」であって、その通りに造れば良いというものでは無いと考えていました。


 実際に、図面をチェックした上で、自分で測量してみて現地との乖離を確認していました(コンサルなどが計画する時点では、用地に立ち入れないようなこともある)。その上で、求められている条件と現地の状況を把握し、不都合な点を洗い出し、設計に盛り込まれていなくても必要なもの、また、その反対に不必要なものなどを吟味していきます。それから、実際にどのように造って行けば良いのかを形にしていきます(施工図・施工計画書など)。その作業を進めていく中で、当初設計で見えていなかったものがどんどんと見えてきます。この頃、当初設計の担当者に期待していたのは、どのような考え方でそのものを計画したのかという、きちんとしたコンセプトとそれを裏付ける技術的理論でした。


 当時私たちは、集水桝にヒューム管が、何本どのように入るかなどで、それぞれ、型枠やコンクリートを細かく控除したり、詳細な図面を書いたりすることを求めていたのではありません。用排水系統の確認は必要ですが、各パートでのエレベーションの表示などはかえって迷惑でした。実際の用途に合わせた自由な計画高の設定をするほうが意味があるし、設計図書に明示されていれば、管理する対象ともなるからです。ところが最近特に、「施工業者ができないから」とか細かな図面を欲しがるからとかなどの理由で、発注者が、施工図的な当初設計図面を、求める傾向はどんどん強まっていくように思います。


 与えられた座標を現地に忠実に落とすとか、当初の展開図通り(そのようになることが良いことではない)にコンクリート擁壁を構築すると言うことが、真の意味での施工管理では無いと私は思います。昭和58年に建設省から公開された土木工事積算基準には、共通仮設費のうち技術管理費、準備費の項や、現場管理費の項目の中に、設計図書と現場の乖離およびその際の対応などについての費用などが明記され、細々と積算に組み込まれている旨が示されています。まず、発注者側に責任が及ばないように列記されています(請け負け)。


 そのことの是非は別にして、ものを造る、建設工事に携わる者として、一番大切で一番面白い部分であるところの、創意工夫する部分を怠けていて良いのでしょうか?むしろ、「お客様、ここからこの区間にこんな規格で、みなさんの役に立つような道路がお入用なのですね」と、こちらから問いかけるぐらいの姿勢が必要なのではないでしょか、細かな施工図的な詳細図や、あくまでも図上でしかないのにもかかわらず、「きめ細かく配慮した収まり」の解決に追われ、コンサル会社の技術者は、本来、しなければならない筈の、技術的な知識を高めるための勉強を、している暇も無いのではないでしょうか。


 ひとつには、発注機関の人の不勉強というか、あまりにも、コンサル会社まかせの体質もあると思います。兎に角何でも、マニュアルにあるのかとか、どの本に書いているのかという、自分の責任だけ回避できれば良いという空気も気になります。実際に自分で足を運んで、目で見て確認し、例えば基礎地盤など、千差万別といえる条件下での建設工事に少しでも多く触れることが、もっと必要であると思います。少なくても、施工業者に「図面通りに造ったのに、おかしなものができた」などと言わせないで欲しいと思います。また、施工業者の人も、「図面通りに造ったのに、おかしなものができた」などということが、建設技術者としてどれ程恥ずかしいことか考えてもらいたいと思います。
  

  「図面通り」にならない、「図面通り」じゃないからこそ、本当の面白さがあるのではないでしょうか。ものを造る仕事は、面白くてやりがいのある仕事であると、私は考えています。

2002年11月23日       不況の時代だからこそ



  月日の経つのは早いものです。何か自分も人の役に立とうなどど意気込み、やっとの思いで開設したこのH・Pなのに、なかなか、こまめに更新できず、三週間あまり過ぎてしまいました。ことほど作用に人生は、ままならぬものでは有りますが、志だけは無くしたくないですね。


 さて、バブル崩壊後、景気は回復せず、不況だといわれてはや久しい気がします。いろいろな分野で、多くの評論家やエコノミストが、景気回復の対策をさぐり、様々な提言や発言をされていますが、中々その特効薬は無いのではないでしょうか。私は、経済の専門家ではありませんが、これから、我が国がかつてのような経済成長を取り戻せるとは考えられません。それは、基幹となる産業のどの分野をみても、なにをもって切り札とするのかが見えないからです。


 かつて、我が国は鉄鋼・造船などの重工業の発展から戦後の復興を遂げてきました。それから、テレビ、洗濯機、冷蔵庫などの電気製品メーカーが飛躍し、同じく安くて高性能な自動車を世界に送り出し、トヨタなどの巨大メーカーも出現しました。高度経済成長の時代を支えていたのは、常に高度な技術に支えられた物作りを実践してきた製造業の力によるところが大きかったのではないでしょうか。オイルショックの後も、コンピューターをはじめIT関連分野などのハイテクといわれた部門が、厳しい国際競争のなかで基幹となり、設備投資などをはじめとする内需を支えてきたのだと思います。


 しかし今の日本で、というかこれからの我が国において、何をもって基幹を成す産業と呼ぶのでしょうか?便利なものを早く安く大量に生産する競争で、発展著しい中国などのアジア諸国にに対抗できるとは思えません。合理的な経営を目指し、目先のコストダウンに走り(生き残り競争のなかでやむを得ず)、中国をはじめとした東南アジア諸国への工場進出などがもたらしたものは、産業の空洞化と伝統技術の衰退ではなかったのでしょうか。


 かつて、我が国には、時計などの精密機械や千分の一ミリなどを削るという、工作機械の達人などが小さな工場でたくさん働いていたと思います。実は、そのような人々が華やかな大手メーカーの金型などを支えていたのです。そのような人たちは今、働く場所をなくしたり、伝えるべき優秀な技術を後進に託せないまま年老いて、一線から身を引こうとしているのではないでしょうか。このような状態で、何を世界に向けてアピールし、評価されようというのでしょうか。


 悲観的なことばかり書きましたが、田中さんのノーベル賞受賞のような明るい話題もありました。また、先日テレビで吉野社長のインタビューを見ましたが、面白いことをやり、今は分からないが必ず将来役にたつものを作ろうというホンダのような企業もあります。田中さんのドキュメンタリ-番組も見ましたが、私が見て、ホンダのもの作りと共通しているなと思ったのは、「世の中の役に立つものを創ろう」という、エンジニアとしての魂です。建設技術者の持つべき魂も同じではないでしょうか、世の中の役に立つもの造りを心がけたいものです。


 結果的には、そのような発想や観点に立った計画・設計・施工・維持管理などへの対応が、今後の建設部門でもより強く求められると思います。そして、それを実践できるものこそが生き残れるのだと思います。目先における早さ、安さだけでなく、長い目で見た耐久性や、安全性などの幅広い視野と将来の礎となりうるような建設生産に寄与したいですね。生き残るための熾烈なサバイバル競争のなか、甘い発言と思われるかもしれませんが、本当の意味で、世の中の役に立つものを造るものが、正しく評価されてこそ、正当な競争といえるのではないでしょうか。

    「人に役立つ技術が正しく評価される建設部門」 勤労感謝の日に思うことでした。

2002年11月14日  技術士二次試験の合格発表によせて



 今日は、技術士二次試験の合格発表の日でした。朝早くから、日本技術士会や文部科学省のH・Pなどをのぞいてはやきもきされた人も多いと思います。経験から言いますと、日本技術士会のH・Pはサーバー容量が小さいのか午前中ぐらいは、非常につながり難い状態になると思います。私も、なかなかつながらずやきもきした思い出があります。しかし昨年,文部科学省のH・Pにある新着情報の欄を知りました。総合技術監理部門のときに利用しましたが、すんなりアクセスでき便利でした。また、午前6時ごろにはアップされていたように思います。少しでも早く結果を知りたい人は利用されると良いと思います。

         文部科学省H・P   http://www.mext.go.jp/b_menu/news/index.htm

 合格発表といっても、今回(二次試験)の場合は受験番号のみの発表です。したがって、自分の番号を何度も確認したことを覚えています(もしかすると、ミスプリントでは無いのかと思ったりもする)。また、受験番号だけですから、知り合いの名前を探す楽しみもありません。イマイチ実感にかけるものではありました。やはり、この後の口頭試験をパスして「官報」に載るのだという決意と闘志がわく一方で、口頭試験に対する不安が胸をよぎる一日だったと思います。


 また、不合格の通知は翌日にでもつきますが、合格の場合は四・五日から一週間ぐらい遅れて来たように思います。したがって合格通知がついてから、口頭試験の期日までわずかしかありません。難関の二次試験合格の喜びに浸っている暇はありません。東京で行われる口頭試験に向けて、心残りの無いように、準備をしなければなりません。


 私の場合は、先輩の技術士の方の薦めで、中四国技術士会が行っている模擬面接講習を受講しました。各部門ごとに別れ、少人数(私の場合10名程度が一組であったと思います)で、一人ずつ実戦形式で模擬面接してもらえるので、とても参考になりました。また、服装や髪型などの細やかな点まで、注意事項やアドバイスをいただき、実戦に役立ったと思います。それにしても、当日の緊張はものすごいもので、自分の生涯の中でもかぞえるくらいのことでした。ですから、模擬面接を受けたことは、とても良かったと思っています。


 それから、ぜひともやって置かなければならないのは、自分の書いた論文の復元と経歴についての再確認です。とくに、体験業務に書いた工事や業務の場所や年度など、経歴に関することははしっかり把握しておかなければ、本番の緊張した雰囲気の中で、的確な対応をすることは難しいと思います。また、各論文の中で出来の悪かったというか、手ごたえの良くないものは特に、補強するための勉強が必要です(それをチェックされることもある)。それから、自分の専門分野に関する最近の動向や話題を準備し、業務に取り組む際のポリシーなどを明確にしておくことが必要です


 それを聞かれたら良いとか関係ないとかいわれますが、技術士の義務と責務は必須事項だと思います。さらに、技術士会で定められている倫理要綱や、技術士の定義などの技術士法に関するものも必須であると思います。後は、自分の「建設技術者」としてのすべてをさらけ出す覚悟で臨むことです。そうすれば、意外とあっけなく25~30分が過ぎているものです。その場を取り繕うような態度や、逆に理論におぼれた交戦的な態度は厳禁です。試験官を初めて会うクライアントのように考え、真摯な態度で臨むことが重要です。最後は人間力の勝負であると思います(ごまかしは効かない)。チャンスを得られた人は、是非とも頑張ってください。

2002年11月 1日               「建設技術者」 とは



 
コラムの始まりとして、私が、建設技術者というもののあり方について、考えるようになったきっかけにまつわるお話をしてみたいと思います。

 「建設技術者」とは、一体どういうものなのでしょうか、建設部門での業務に携わりながら、長い間私はそのことを考えてきました。広い意味では、建設部門に携わる技術者はすべて建設技術者であると思います。しかし、それだけでは何か漠然とした感じがしていました。何か、こうであるべき、こんな姿が最も望ましいのでは、という「建設技術者像」を探していた気がします。そこには、私の体験を通して非常に印象に残った、先輩技術者の言葉があったからです。


 それは、私がまだ20代前半の頃でした。地方ゼネコンに勤めていた私は、自社がサブとなってJVで行われているフィルダムの現場に勤務する機会がありました。3年工期の最後の半年間、ピンチヒッター的に派遣されての勤務でした。そのとき、主任技術者として現場で活躍されていたJV親会社の人に、「君は、自分を何だと思って仕事をしているのか」と、問いかけられたことがありました。私は、その質問の意味が良く分かりませんでしたが、「現場監督です」と答えました。その人は、「それじゃあだめだ、技術者だという自覚を持て」といわれました。


 これから建設部門に関わって生きていくなら、「建設技術者」としての自負と誇りをもてと言われたのでした。それは、用事の無かった午後のひと時、空いている重機で土砂の搬出を手伝っていた時でした。私の様子を現場事務所からみておられ、作業を中断させて、ひまなら事務所で漫画でも読んでいろといわれた後、その先輩技術者は私に、前述の問いかけと技術者としてのポリシーを語られました。

 当時私は、暇があれば現場の仕事を手伝い、作業を早く片付けることが一番良いことだと考えていました。また、それが良い現場監督なのであるというのが、私のいた会社の雰囲気でした(地方はどこも同じようなものかも)。しかし、次の工程を考え、測量・丁張の計画や準備をし、安全管理に関するものやその確認作業などをこなし、工事に関する勉強などをしていれば「作業員」として働く時間は無いものです (実際には、漫画など読んでぼんやりすごしてなどはいられない)。
 

 そのことがあってから、私の、建設現場におけるものの見方が変わりました。構造物ができたからといって出来形写真を撮っていた自分を反省し、品質管理・ 出来形管理の業務の中における写真管理として、 出来形写真を撮影するという考え方を持つようになりました。堤体盛土において、決められた盛土量になったから現場密度試験を行うのではなく、何のために盛土の品質管理をおこなうのか、なぜその方法なのか、それはどのような考え方・理論にもとづいているのか、などと考えることができるようになって行ったと思います。
 

 それまでの私は、ブルドーザー・バックホウなど重機の運転が上手くなること、コンクリートの天端をきれいに鏝しあげすることや、鉄筋をすばやく結束することなどに力を入れていました。もちろん、それぞれの職種は大切な作業であり、その道に熟練した職人の人たちは立派であり、とても貴重な存在です。けれど、自分がやらなければならないことは、職人としての熟練ではなく、「建設技術者」としての成熟であると、考えられるようになったのです。
 

 それからは、学生時代には殆どやらなかった基礎的な勉強にも目が向くようになり、現場で必用な場面にでくわすと、このために必用だったのかと思うようになりました。その後、建設省から積算基準が公開されたことなどもあり、積算や予算管理などに強く興味をもつようになりました。公共工事(主に土木工事)の積算と民間工事(建築工事を主体とした)の場合における積算の違い、直営比率の違いや、JVの場合など、様々な条件下での実行予算の組み方など、業務をやっていくうちに面白くなっていきました。
 

 この頃から、マネジメントという概念が自分の中にできていったと思います。良いもの(きれいで丈夫な建造物)を安く・早く・安全に造る。そのことに、誇りと喜びを感じるようになっていったと思います。また同時に、自分の造った建設生産物が(橋や道などの)、社会に役立っているのを見る喜びを知るようになりました。建設工事で造られるものは、規模の大きなものが多く、地域社会や周辺環境にも大きく影響を及ぼすものです。それだからこそ、これに携わる技術者は「建設技術者」としての自負と誇りを持つ必要があります。そして、絶えず知りたいとか、できるようになりたいという、向上心を持ち続けたいものです。


 今後の建設部門については、公共事業への強い風当たりの中で、減少していく建設投資額など、厳しい話題ばかりです。しかし、そのような厳しい時代だからこそ、誰よりも良いものを早く、安く、安全に造り、世の中の役に立とうと考えることのできる建設技術者が求められるのではないでしょうか。また、そのような技術者や、そういう人を育てられる企業こそが生き残っていけると私は考えています。また、そう信じたいと思っています。                  

                                                                   このページの先頭へ