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NO.13

2007年 11月 2日        青い空に浮かぶ白い雲 

                     



 
「菊の香薫る」というのでしょうか、気がつけば、地球温暖化を強く意識させられた、今年の秋も深まりつつあります。本当に、時の流れの早さの中で、焦るだけの毎日です。

 さて、11月3日は文化の日です。日本国憲法が1946年に公布された日であり、平和と文化を念頭においている憲法の精神を尊重して、この日を文化の日として国民の祝日に制定したということのようです。しかし、それ以前においては、明治天皇の誕生日であり、明治節という四大節の一つでした。ただ、そのこととは関係無く、文化の日は、この日に定められたことになっています。

 もはや、語る人も少なくなりましたが、明治といえば「降る雪や、明治は遠くになりにけり」という中村草田男の俳句が思い出されます。この句は、司馬遼太郎が小説「坂の上の雲」のあとがきの中に引いています。この句から司馬遼太郎は「澄みきった色彩世界がもつ明治」というものを想起しています。

 この、二十世紀最大の作家ともいうべき小説家は、本来「定型」というものが無いところが、小説という文章表現の良いところであると語り、形式にとらわれず思うところを述べるという風に、あの大作「坂の上の雲」を執筆しました。実に、準備に約5年、新聞連載という形の執筆に約5年、あわせて約10年に及ぶ大仕事であったのです。

 日露戦争史、正岡子規、秋山兄弟をはじめとする登場人物などに関する、膨大な資料を読み解いていき、慎重で詳細な時代考証と、戦況分析およびその背景についての検証と、情景の再現への挑戦を繰り返しながら、まさに心血を注ぐような情熱を持ち続けて、司馬さんはこの小説を書き上げられたのだと思います。

 先の大戦(太平洋戦争)を引き起こしてしまうに至った、如何ともし難い存在となっていく我が国の軍部首脳(陸軍主導の)と、新聞を中心とした当時のメディアや、さらには、日本人全体の世界観や国民意識などについて考えるには、明治維新から日清・日露の戦争(特に日露戦争について)を描くことが、どうしても必要だったのだと思います。

 いうまでもなく、日本人が初めて「国家」というものを持ち、自分がこの国の「国民」であると意識した時が、明治維新の成立においてであることは、紛れも無いことであると思います。しかし、産業といえば江戸時代とさほど変わらず、列強からの脅威に晒された焦燥の中で、急速な富国強兵政策の遂行による重税に庶民はあえいでいたのでしょう。

 しかしながら、そのような貧しくて厳しい時代であっても、秋山兄弟が叩き込まれた「貧乏が嫌なら勉強おし」という言葉が、有能な少年たちの志を支えていた時代でもあったのでしょう。「末は博士か大臣か」の野望を描いて若者は学問を磨き、人々は懸命に日本国民になろうとしていた時代でもありました。

 薩長を中心とした藩閥人事が、政治の中枢を牛耳っていく中にあっても、賊軍であった幕府側についた藩からも多くの優秀な人材が登用され、内政・外交・軍事などそれぞれの立場において、国家の存亡をかけた仕事をしていた(した)人を、これほど多く輩出した時代も、他に見られないようにも思います。一方、その多くは幕末から明治の初頭に、この世に生を受けた人たちであった気もします。

 過酷な戦争について、忠実に描写していても、戦争そのものについて礼賛するような表現などは、司馬さんの文章からは見つけられません。それは、いつどのような時でも同様です。しかしそれでも、欧米列強と帝政ロシアの拡大侵略主義の攻勢のなか、日本が置かれた状況や立場から、日露戦争は避けられないものだったのかもしれません。

 それでも、海軍の総帥山本権兵衛また陸軍の大山巌・児玉源太郎など、さらには伊藤博文や山県有朋らの元老でさえ、単に兵士の壮烈な勇猛や愛国心の強要を求めるような、また、「神国日本」などというようなファナティックな精神に根ざした戦いを欲した人はいなかった、ということがもっとも注視されるべきことなのだと思います。

 秋山真之のいう「天佑」に根ざすものか、有能な指導者と勤勉な国民の必死の精進の成果か、あるいはそれを基にした着実な準備と、各国の内情などから考えれば当然の結果なのか、結果的に「勝利」を得ただけの日露戦争の勝ち戦を超えてから、指導者もマスコミもそして国民も、この国の進むべき方向性を間違えたのだと、司馬さんは説いておられるのだと思います。

 司馬史観について、「負け犬根性」とか「ポチの理論」などと揶揄する声もあります。しかし、私はそのようには到底思えません。私たちの先達は、ただ、坂の上に見える真っ青な空に浮かぶ白い雲を目指して、必死で走っていたはずです。ただ、その坂の上にたどり着いたとき、見るべき方向を誤ったのではないかと思えてならないのです。


2007年 10月 19日        情けなさも通り越す  

                     
 



 
朝夕は、めっきり涼しくなりました。昼間の日差しには、違和感を覚えることもありますが、一応、わが国の四季の循環のサイクルは保たれてはいるようです。

 さて、先週のタイトル戦以来、テレビでは亀田親子のことが連日取り上げられていますね。マスコミとしては、彼らの功罪などはどうでも良く、話題性が高く視聴率が稼げれば、それで良いのではないでしょうか。少なくとも、私にはそのように見えてしまいます。いつもいっておりますが、ワイドショーは正義でも裁判所でもありません。

 浪速の闘拳とか浪速の弁慶などと、煽るだけ煽っておいて、何かことをしでかすとかけた梯子をはずして、一転して糾弾にまわるというのが、テレビ局の姿勢だったのではないでしょうか。その中で、放映権というのか、それを握っていたTBSと他の局との間に、それぞれの思惑に基づく温度差があった(ある)というだけの話だと思います。

 そもそも、一ボクシングファンとして言わせてもらえば、あの試合からは世界戦と呼べるような内容を、見出すことはできませんでした。内藤選手には気の毒ですが、彼の「できは悪かった」という発言の通り、チャンピオンとしての技術や強さというものも、あまり感じることができなかったように思います。それでも、彼は一所懸命に世界タイトルマッチをやろうとしていたのは事実です。

 なによりも、亀田大穀選手(選手と呼べるかどうか)の資質について多くの疑念が残ります。本人は、史上最年少の世界王者を目指したのでしょうが、体力は別にして技術的な視点からは、世界戦を戦う次元にない印象でした。亀田家独特の、覗き見スタイルから接近してパンチを繰り出す先方だけでは、ラスベガスをはじめとした目の肥えたボクシングファンにアピールすることは難しいと思います。

 彼らが馬鹿にしていた名城選手をはじめとして、日本国内にさえ、同じようなクラスにもっとよい選手が、大勢いるようにも思います。私が、最も懸念し心配することは、亀田家のやっていることを見て、あのようなものがボクシングなのだと、勘違いする人が増えることです。本来、ボクシングというものは崇高な格闘技であり立派なスポーツです。

 例えば、有料チャンネルなどから配信される世界のボクシングの試合は、見ごたえがあり胸に迫るものがあるものなのです。また、打ち所が悪かったりすれば命にかかわるような場面もあります。だからこそ、ルールの厳守が絶対条件なのです。もちろん、格闘技ですから熱くなったり、プロ同士の駆け引きのやりあいもあります。

 しかしそれでも、自分が選手であるならば、選手生命にかかわる反則など思いつくことのほうがおかしいのです。一連の報道の中で、父親の史郎氏や兄の興穀選手などは、反則を支持したことを否定していますが、それなら何故処分にしたがうのか?とも思います。そもそも「これからも変えない」としている亀田流自体が間違っているのではないでしょうか。

 いずれにしても、斜陽の感の否めないボクシング界と、視聴率さえ稼げれば良いという風潮のテレビ界が、本来は、良いところもあったかもしれないあの親子を、あのような歪な偶像に作り上げてしまったことに間違いはないと思います。また、当日の解説者達の亀田擁護の発言などをみても、そのようなことを強く感じるとともに、情けなさを覚えました。

 試合後、すぐに内藤選手や宮田ジムに謝罪に行っていない点や、金平会長の「負けたから仕方がない」などの発言からは、とても反省しているようには見えません。さらに、あれだけの悪態をついておいて、謝罪会見のときだけ「まだ、18才だから」で許されるのか、まったく理解のできないことです(責任と義務なくして、権利だけを主張するのと同じ)。

 まあ、力をいれて語らなくても、良識ある人なら、誰でも感じられたことだと思います。何よりも私は、ボクシングが誤解されたことと、マスコミの姿勢に対して憤りと無念さを感じています。試合前に罵り合い、試合では死闘を演じながら、最後に抱き合えるのは、命がけの戦いをした者同士だからではないでしょうか。それが、ボクシングのはずです。


 2007年 10月 5日           異端か、そうでないか


  

 
ようやく、といった感じでしょうか。朝夕が涼しくなり、凌ぎやすい気候になってきました。秋祭りをはじめ、地域の行事が目白押しです。忙しさの中に、埋没しない精神が持てるのかが案じられます。

 円天ですか?L&G(レディス&ジェントルマンという意味だとか)が警視庁などの一斉捜索を受けていることが報道されましたね。出資法の他、詐欺罪などの嫌疑もかけられているようです。それにあわせて、胡散臭そうな「会長」という人がマスコミに追いかけられている映像や、わけのわからないコメントをしている姿がテレビで流されていました。

 そのコメントの中で、不謹慎かもわかりませんが面白い発言を見つけました。「エジソンも、元々はペテン師と呼ばれていた」というものです。画期的なことをする者や、先駆者といわれる人々は、最初は世間の人に理解され難い……というようなことが言いたいのだとは思いますが、むなしい囁きにしか聞こえませんでした。

 また、テレビでの映像から受ける印象でしかありませんが、私には、どうしてもあの「会長」という人の言葉を信じる(信じた)人の気持ちが理解できない気がしました。そもそも、36%という高い利回りというのか配当というのか、そのような旨い話があろうはずは無く、被害者とされる人々の「うかれていた頃」の映像などをみると、滑稽さと虚しさを同時に感じることを禁じえません。

 件の会長という人は、国内初のマルチ商法や詐欺事件にも関わり、逮捕や収監された経歴もあるようです。もっとも、「その世界」ではカリスマ的な存在なのでしょう。お金を集めるための話し方は、卓越した上手さであると言われているようです。その影響を受けたり、部下や仲間だった人物も、同様の事件を起こして逮捕されたりしていますから、まさに、カリスマ的な存在だったのでしょう。

 しかし、それにしても私がいつも不思議に思うのは、常識的に考えてありえないような甘い儲け話に、またぞろ被害者が出てしまうような、この国の人々の精神の有り様についてです。経済行為に関しては、自己責任で行うべし、と、いう風潮は一層強まっています。「だまされた」方にも責任はあるのだと思います(さびしいことですが)。

 とはいえ、芸能人や著名人を起用し、立派な会場に多くの人を集めて説明を行うようなやり方は、一種独特の雰囲気があることも事実です。相当昔の話ですが、私もダイヤモンドのマルチ商法の説明会に行ったことがあります。「連れて来てくれた友人が信じられないのか」とか、本当に、洗脳されるような話の連続でした。入り口とは違う出口から、全員が押し出されていくような感じの会場だったと思います。

 申し込み用紙と担当が、待ち構えたカウンターを通らないと、帰れないようにもなっていたと思います。幸いにも、私はその時契約をしませんでした。しかし、本当にまじめで、そのことを信じ良かれと思い、私そこに案内した人とは、いまでも顔をあわせることはありません。本人をはじめとして、仲間の中には被害を被った人もいたからです。私には、その人も被害者であり、罪があったとは思えないのですが、心に大きな傷を残したまま暮らしているのだと思います。

 画期的な変革者は異端者といわれるなどと、オウム真理教の時も嘯いていた胡散臭い教祖がいました。宗教で言えば、小乗から大乗仏教への過度期であった鎌倉仏教(特に、浄土真宗など)は、異端者であったといえるでしょう。また、ガリレオやエジソンなど多くの学者や発明家も、そのそしりを受けて来たことも事実だと思います。

 一方で、ある程度の時間や、多くの人間による検証を待たなければ、異端なものか画期的なものかの判断をすることは、難しいものでもあると思います。さらに、その動機が純粋でなければ(真に世の中の役に立とうとか、人のためになるものであろうとする意思を持つ、という意味において)、淘汰されてしまうものだとも私は思います。

 例えば、背面跳びのディック・フォスベリーは、大好きな高飛びを続けたいために(当時のポピュラーなスタイルであったベリーロールが出来ず)、一生懸命に工夫して編み出した跳び方が、あの跳び方であったと語っています。当時、小学生であった私には、メキシコの薄い空気の中で跳んだボブ・ビーモンの8m90cmという幅跳びの記録と、あのフォすべりーの背面跳びが強烈に印象に残っています。

 画期的なものがスタンダードになっていくことが、技術や文化の向上といえるのかもしれません。願わくばその底に、愛が裏付けられていて欲しいものだと思います。


2007年 9月 25日           呟く理由


 

 ”定期的”にやってくるPCの不調によって、本HPの更新が滞っていました。現在も、応急手当の状態でこの文章を書いています。ともあれ、天候が予想し辛い秋の一日、
肌を刺すような日差しの中で、無事稲刈りを済ませました。僅かばかりの田圃ですが、兼業農家にとっては一年で最大のイベントです。

 さて、最近の世の中の動きは、本当にめまぐるしいものがあります。ついこの前、白鵬が新横綱になり、横綱が二人となったかと思えば、一連の朝青龍騒動となりました。そうかと思えば、閣僚の「身体検査」不足などによる安部内閣の迷走は、ついに首相の電撃的な辞任をみることとなり、現在では福田新総理(本日決定)となっています。安倍政権となった一年前に、今の姿を予想した人が果たしているのでしょうか。

 政局などを見れば、一年どころか一ヶ月前でも、誰も予想していなかった事態だと思います。事ほどさように、世の中は一寸先は闇なのかもしれません。まさに、「邯鄲の夢」のお話や「明日あると思う心のあだ桜……」といった言葉が思い出されるところです。世の中は不条理であり、人生もまた、無常なのだと思います。

 しかし、煩悩具足の私は悟ってもおられず、このようにしてキーボードを叩かずにはいられないのだと思います。本当に、日々の生活に追われ、世のかなのために何をなしているという暮らしはしておりません。しかしながら、流れていく時代の中で、この国の人々の感性(精神性)が、私の望む方向とどんどんずれていく気がして、愚かな抵抗を続けているようにも思います。

 「影響力」ということから考えれば、本当に小さな力だと思います。このような、何の変哲もないHPの中で、取り留めのない文章を書いているだけのことです。元々は、技術者としての志や、モチベーションの持ち方を問い掛けるために書き始めたものです。しかし今では、もっと幅広い視点や角度から、日本人の精神性のあり方の方向性について述べたい、という気持ちが強くなってきたように思います。

 今日のように、様々な情報が溢れている社会では、単に受験のために必要な「目先の情報収集」という意味からは、あまり役に立つHPではないかもしれません。事実、そのような「需要」は減ってきているように思います。もちろんその背景には、連絡や報告の徹底および、受験に対する志の問いかけなど、ハードルを設けたこともあります(私の考える最低限のことですが)。

 その一方で、口コミなどによる影響もあると思いますが、技術士受験とは関係ない人達の訪問は着実に増えてきています。そのことは、当初はあまり念頭においていなかったことですが、自分の中では喜んでいるところでもあります。技術者としての志や、日本人の精神性などについて共感する意見を貰うと、素直に喜びを感じたり意を強くすることが出来ます。

 「やんちゃだったお前が、そんなことをやっているのか」などと冷やかすかつての悪友や、「わけのわからんことをかいとるなあ」と訝る旧友などもおりますが、概して好意的に読んでもらっているように思います。それはそれで、とてもありがたいことだと感謝するばかりです。不埒な私を話の種にして、ここで述べていることが少しでも話題になれば、本当にありがたいことです。

 以前にも述べましたが、このコラム欄は「ブログ」感覚で書いているのではありません。伝えたいことや、語りたいことがなければキーボードを叩くことはありません。嘆きや愚痴をこぼすこともありますが、「自身の日記」を第三者の前で書いていくような精神は、私には備わっていないように思います。自己顕示欲は、かなり強い方だと思いますが、そこのところは決定的に馴染めない部分でもあります。

 取り上げる話題や題材は、その時の状況や私の持っている引き出しの具合によって異なります。また、その時の志向により変わっていくものだと思います。しかし、何かを持って(特に、技術者はその技術の具象化を持って)世の中の役にたつべきである、という基本的な理念については、これからも変わることは無いように思います。

 「浅学非才な私」とは、新しい総理の総裁就任が決まったときの第一声です。そのような謙遜の意味ではなく、本当に浅学非才の私ですが、そのことを棚に上げてでも、また、清廉潔白ともいえない生き方さえも省みず、ここに文章を綴っていくことの意味は、誰かにそのような思いを繋いでいきたいと考えているからに他なりません。

 思いがけず、更新の間隔が空きました。改めて、「呟き続ける理由」について考えててみました。

 
 

2007年 8月 31日           変わりゆく日本人




 
8月の最終週は、ぐずついた空模様が続いています。殺人的な暑さは、峠を越えたようですが、湿気を多く含んだむーんとした暑気を感じます。快挙を達成してくれた新見高校軟式野球部のように、さわやかな秋空は、まだまだ見られないのでしょう。

 さて、福岡では、職員の飲酒による悲惨な事故から1年という時に、再び市の職員による飲酒運転での事故が発覚しました。また、愛知では携帯のサイトで知り合った犯人達による女性の拉致殺害という、何とも腹立たしくやりきれない事件がありました。そのようなことばかりで、近頃では、テレビのニュースを見るのも億劫な感じがしています。

 特に、愛知の事件では、被害者は帰宅途中にたまたま事件に巻き込まれたというものです。偽名を名乗りあい、お互いの素性も良く知らない同士が、ゲームのような感覚で犯罪を起こした事件で、1人の女性の尊い命が奪われたのです。本当に、この日本でそのようなことがあって良いのだろうか、と、信じられない気持ちと言葉にし難い怒りがこみあげました。

 また同時に、空恐ろしいような暗澹とした気分にもなりました。手錠をかけ、頭をハンマーで殴るという非常に残忍な手口で、犯人達は犯行に及んでいます。さらに、粘着テープを顔に巻きつけ、窒息死させるという非情さです。7万円の現金を奪い、被害者の遺体を山林に遺棄したものですが、最初から殺害するつもりであったという報道もあります。まさに、「日本人」というものが変わってきているという気がします。

 不毛な事件が相次ぐ昨今では、本当に殺人事件なども多発しており、人の命の大切さが見失われがちです。しかし、今回の事件は、そのような次元の話とは少し違うように思います。私には、理解できない感じの違和感を禁じえないのです。少なくとも、私の知っている日本人の精神性からは、そのような発想や犯行動機は生まれてこないし、理解できないことでもあります。

 犯行に関わった犯人の30代~40代の男達は、一体どのようにして成長しその年齢に達したのか、という疑問がこみ上げてくるのです。なにか、まるで血の通っていないような冷たい感覚というか、おそらく、どのように矯正しても再生できないような精神を持った人間像が、一連の犯行の流れの中に見えてしまうのです。

 人は誰でも、1人では大きくなれないし生きてもいけません。この世に生まれて、多くの人の世話になり手を煩わせながら成長していくのだと思います。好むと好まざるとに関わらず、小さな時から自分以外の人間と関わりながら育つはずです。最初は、両親や祖父母・兄弟などのごく近しい関係から、家の近所・学校の通学範囲という風に、だんだんと関わる人の範囲は広がっていきます。

 そのような、人との関わり合いのなかで、物事の善悪や社会的な価値規範を身につけていくのだと思います。一方で、それぞれが個性的な社会信条を身につけ、イデオロギーなども醸成していくものだと思います。それらは、小さな子供の頃から少しずつ、自分とは別の人間との触れ合いやコミュニケーションなどを通して、養っていくものだと思います。

 少なくとも、私が育ってきた中で感じることは、そのような認識であったと思います。もちろん、知識や情報というものは、テレビやラジオなどのメディアを通して、また、本や新聞・雑誌などの文書としての媒体から吸収することが多いし、自分もそうであったと思います。しかしながら、今日のように「ネット社会」というものが圧倒的な速度で進んでいくと、情報やデータを知識としてしか集積できない人間が増えていくように思います。

 本来、動物であるはずの人間が、その成長過程にあわせて身につけていくべき社会的な価値規範と、身体的な成長とが乖離してしまう状況が多くなっているように思います。匿名が前提のネット社会では、相手の目を見ながら話すことはありません。掲示板やチャットのやり取りでも、言葉遊びや不毛な感情論の応酬を良く目にします。過激な言葉や文字が飛び交っているのもみかけます。

 しかし、初めて会う人に「初めまして」と挨拶し、それから相手の目を見ながら会話をすることを考えてみてください。また、顔見知りの人同士でも、顔をあわせれば「おはよう」とか「今日は」とか挨拶をするでしょう。その上で、相手の目を見ながら、人間は言葉のやり取りをするはずです。そのように考えると、便利なはずの「ネット社会」というものは、コミュニケーション力をはじめとした「人間力」を弱くしているように思います。

 その結果、言葉だけが巧みで、人の痛みの解らない人間が増えていくようにも思います。そして、そのような人達が義務なき権利を振り回し、責任なき自由を追求しているように、思えてならないのは私だけではないと思います。しかし私は、単純にネット社会が今回のような犯罪者を育てたと言っているのではありません。物事を、頭だけで理解するのではなく、肌や体で感じながら成長していくことの大切さを伝えたいのです。

 インターネットも携帯電話も所詮は道具です。それを使う人間に、必要な人間力というものが備わってこそ、道具は十分な働きをするのだと思います。

 

2007年 8月 17日           真夏の同窓会


 


 
本当に、暑い日が続いています。私の住んでいる所は、地形が盆地であるため、夏は暑く冬も寒いという気候になりがちです。とりわけ今年は、夏の暑さが際立っている気がします。暑い方が、お盆らしいような気はしますが、そのことを感じる体力の方は、確実に衰えているように思います。

 現在、私たちの生活は太陽暦に基づいて営まれています。我が国においても、多くの行事は新暦(太陽暦)にあてはめられて行われています。おひな祭りや七夕など、幼稚園や保育園などで子供たちが、お遊戯や工作をするのも新暦のカレンダーにあわせて行われます。しかし、依然としてお盆は旧暦(というか、月遅れ)で営まれています。

 それには、夏休み期間中であるとか、様々な理由があると思います。しかしそれは、やっぱり真夏の暑い日に汗を拭きながら、先祖のお墓に参るということが、我々日本人の心情にマッチしているからではないでしょうか。他にも、涼しい明け方や日が落ちてからの夕闇の中での墓参など、最も暑い8月のど真ん中の今が一番似合うように思います。

 そのような真夏の一日、今年は、12日の日曜日に中学校の同窓会がありました。名前と顔が一致しない人や、どうしても思い出せない人などもいましたが、懐かしい同級生達と楽しい時間が過ごせました。気がつけば、時間が過ぎているという感じで、あっという間だったように思いますが、帰宅するとかなりの時刻(当然12時をかなり経過)となっていました。

 中1の時に結成した(と、私が勝手に思っているだけですが)3馬鹿トリオの1人とも再会できました。会話の中における突込みの入れ加減や間合いの良さは、昔と変わらない感覚でした。周囲に笑いを提供していく精神も同様で、上手くかみ合って場を盛り上げることもできたと思います。最後は、連絡を取り持ってくれた店で語り合いました。

 本当に、思春期の柔らかな感性と、まだまだ純情な少年であった頃の、内容の濃い触れ合いの一つ一つが蘇る夜だったと思います。一夜明けて、和菓子屋を営んでいるために(お盆は、殺人的な忙しさ)、同窓会には来られなかった3馬鹿のもう1人と面会しました。お客さんで賑わうお店に二人で顔を出し、仕事着のままの旧友を含めて、3人の旧交を温めることができました。

 思えば、酉年の人は今年、戌年の私たちでも来年3月一杯には50歳になります。中学生でなくなった時から、いつの間にか35年の時が流れてしまいました。それぞれに人生を重ね、少し疲れた顔や逆にエネルギッシュな表情の人もいました。もちろん、良い悪いは別にして、皆一様におじさんやおばさんになったことは否めません。それでも、ほのかに甘く切ない記憶が、呼び起こされる会話などもありました。

 「勝者の理論」という項でも述べましたが、同窓会というとどうしても、現在の調子が悪い(仕事のことや経済的な状況に加え、身体的なことや髪の毛など外見に関わることetc)と中々顔を出しづらいという一面もあると思います。その時代(中学時代)に、活躍していたり華やかな立場だった人ほど、その傾向は強くなるようにも思います。逆に、現在の調子が良い(悪い人の逆の状態)人は、嬉々として参加したがる傾向もあります。しかし、それらはある程度仕方の無いことかもしれません。

 それらを踏まえたうえで、今回の幹事を務めた人達は、とても良くやってくれたと思います。なるべく会費のかからない居酒屋風の店を一次会に選び、踊りなどの出し物まで自分達で練習して、皆を盛り上げるために一所懸命に取り組んでくれたことに感謝したいと思います。以前述べた勝者の理論の時とは、大きな違いであったと思います。

 私は、人生を75年とすれば勉強する25年、仕事をする25年、そして世の中の役に立つ25年だという話を、乾杯のスピーチの時にしました。これから、世の中の役に立っていく仲間との旧友再会を祝して乾杯しました。高く突き上げたグラスに、同級生の心情が集約されたような手応えを感じました。優等生だった人、反対に悪かった奴ら、大人しかった人、面白かった仲間など、それぞれの中学時代にタイムスリップし、今とのギャップにもまた、様々な感情が交錯したひと時でした。

 考えてみれば、4月2日~翌年の4月1日という学校教育法の定めた期間に、同じ学区に生まれたというだけの縁ではあります。しかし、今日に至る私たちの価値観や、人生観を形成していき、また、大きく変革して行った時間を、共に過ごした貴重な仲間でもあります。そのように考えると、人との出会いの大切さや意義について、考えていくきっかけとなる時代でもあったのでしょう。

 真夏の夜の一日、そんな思いで過ごしていました。楽しくそして少し切なく、また、癒されるような時間だったと思います。「昔の友には優しくて、変わらぬ友と信じ込み……」(今年亡くなった阿久悠作詞・河島節による時代遅れから)


2007年 8月 3日           盛夏雑感




 
7月23日の月曜の朝だったと思います。本当に、梅雨が上がったなあ、と、実感できるような夏の朝でした。気象庁が発表しようがしまいが、今年の梅雨明けは、あの時だったのだと私は思っています。

 さて、活断層の上に原発を作った国の、マスコミ主導の荒れた選挙が終わりました。海水温が、驚くような早さで上昇していく海に囲まれているわが祖国に、年々大きな勢力を保ったままの台風が上陸する回数も増えていくのでしょう。まさに、これを書いている今も、ウサギという名の台風5号が走り抜けようとしています。まったく私たちは、いつまで安穏として暮らしていられるのだろう、などと考えてしまいます。

 少し、悲観的な書き出しになってしまいました。行事や所用に追われるなかで、多少自虐的な精神状態にあるのかもしれません。ところで、日中子供たちの姿を見かけることが多くなりました。考えてみれば、夏休みの真っ最中だったんですね。近所の公園では、朝のラジオ体操も行われているようです。しかし、少子化のせいか参加している子供の数が少ないような気もします。

 小学生の頃、葉書大の出勤簿のような紙を持ってラジオ体操に行き、確認のハンコをおしてもらうのが楽しみだったなあ、などと思い出がよみがえってきました。今年になって、早7ヵ月が過ぎたというのに、何をしたという実感もなく、本当にあっという間のような気がします。したがって、子供たちの夏休みが2週間もたつというのに、気がつかないような日々を過ごしている自分に驚きと嘆きを感じています。

 それでも、主に「行事や所用」などを通してですが、新しい知り合いも増えました。また、その中には良い刺激を与えてくれたり、影響しあえるような人もいました。さらには、旧友再会でも述べましたが、昔の友達との再会を果たすこともできました。その上、その友達を通してのご縁で、ユニークでとても腕の良い歯科医の先生ともお近づきになりました。

 まったく、縁は異なもの味なもので、その先生と私の先輩がまた知り合いであったりということもありました。さらに、その先生が独自(私費)で建設を計画されている美術館の建設に先輩の会社が携り、設計に関しても共通の知り合いの建築家の人が手がけているというようなことで、個と個であった関係が、一挙に環になって繋がったような気がします。

 一方、旧友再会という視点では、お盆前に中学校の同窓会があるのですが、中学時代のもう1人の親友とも再会が果たせそうです。今は、大きな会社の取締役になっているような話でしたが、電話の向こうの声は、無邪気な子供の頃(中学時代は、本当に子供っぽかった)を彷彿させるものでした。

 作楽神社の境内で、松ぼっくりをボール代わりに、木の枝をクラブ代わりにしてゴルフに興じた頃が懐かしく思い出されます(それだけで、半日も飽きずに遊んでいられた)。今、氏子のいない(かつては全国区だった)さびれかけたそのお宮の運営に、自分が微力ながらも関わろうとしていることを考えると、少なからず因縁めいたものを感じますし、感慨深いものがあります。

 生きていれば、いろいろな人との出会いがあるし、また、反対にいろいろな人との別れも経験します。多くの人がいう「良い人」というのは、自分に都合の良い人なのかもしれません。しかし、私のめぐり合った良い人達は、単に利益や便宜を提供してくれた人ばかりでは無いように思います。上手く言葉にできませんが、私は、多くの良い人達とめぐり合い、そして、影響しあいながら生きてこられたように思います。

 そのような思いは、本当に、目に見えない何かに感謝したいような気持ちです。しかしそれでも、どんなに良い人や自分にとって有益な人と出会っても、自分にそれが判らなければ(見極めることができなければ)、意義深い出会いにも気づかず終わるように思います。また、類は友を呼ぶという言葉もあります。私の中に、相手方にも何某かの良い影響を及ぼす素養が、ほんのいくばくかでもあったのではないかと、最近ではおぼろげな自信をもつことにしています。

 話は変わりますが、7月の初旬に西安に行って来ました。秦の始皇帝陵・兵馬俑・大慈恩寺・碑林博物館など、たくさんの史跡や施設を見てきました。特に、碑林博物館に陳列された石の碑文の説明で、この石碑の前に、1300年前阿倍仲麻呂が立っていたのだと思うと、言い知れぬ感動が湧いてきました。その仲麻呂が、唐の都長安で王維や李白などと親交を結んでいたことを考えると、何人(国籍や氏素性)である必要はなく、どんな人間であるのか、ということに本当に意味があるんだなあ、と、心の中にあった思いを一層強く確認しました。

 李白・王維と仲麻呂或いは管仲と鮑叔牙、また、慎太郎と龍馬や漱石と子規のような、意義深い人との出会いを重ねて行くことができれば、それは本当に幸せな人生といえるのだろうと思います。

  


2007年 7月 20日           飲む薬より読む薬




 
大きな台風が来た連休の終わり、また、新潟県を中心とする地域で大きな地震がありましたね。土砂崩れや家屋の倒壊など、大きな被害が出ている模様です。これまでに、10人の死者が出たと報道されています。ライフラインが切断され、復旧の目処も立たない中、多くの人々が不安な時を過ごしておられると思います。心からお見舞い申し上げます。

 いつ、我が家に戻れるのかもわからない避難所での生活では、身体的なストレスだけでなく精神的にも大きなストレスがかかるのではないでしょうか。その人の性格や資質にもよりますが、本当に強い気持ちを持ち続けなければ、どこか体に変調を来たすことになると思います。場合によっては、カウンセラーのような心のケアをしてくれる人が必要かも知れません。

 私が、そのようなことを考えていた矢先、偉大な心理学者であり心理療法家(臨床心理士)である河合隼雄先生が亡くなられたことを知りました。昨年8月に、奈良市の私邸で脳梗塞のために倒れられ、同市内の病院に入院されていましたが、ついに意識が戻らないまま、7月19日の午後2時27分に79歳で亡くなられました。本当に残念です。

 河合さんについては、この欄で何回か触れています。今年の3月30日分のコラムでも「心の処方箋を書ける人」を書きました。人柄を表す優しい笑顔と穏やかな語り口が今も思い出されます。一方で、恐ろしいほど冷静で、透徹した視線を投げかける眼差しも思い出さずにはおられません。「人の心と向き合うということは、本当に命がけでなければできません。」と、その目で静かに話されてもいました。

 今さら、プロフィールなどを語る必要もない人ですが、民間人として3人目の文化庁長官にも就任されていました。多くの著作を残し、たくさんの人の心を救った人だと思います。また、「心はだませても魂はごまかせない」というような、難しいことを簡単に(素人にもわかり易く)説いてくれた人でもあったと思います。そのような点が、逆に誤解を招いたりして(あげ足を取りたい人はどこにもいるもので)、批判を受けることもあったようです。

 しかし、河合さんの本は読めば読むほどおもしろく、夢や神話をモチーフに現代社会に投影させた論述は、読むたびに頷かされることばかりです。特に、マザコン意識の強い私には、ユング派心理学の基となる「母と息子」の関係をベースに考えるという話などは、大きく頷かされるものでした。村上春樹を始めとした多彩な人達との共著も数多く残しています。

 それらを通して、本来の日本人が持っているはずの、言語に表現し難い高い精神性への回帰を提唱されていたのだと思います。また、多趣味・多彩な人で、還暦を過ぎてフルートを始めたり、「日本ウソツキクラブ会長」を名乗るなどユーモア溢れる一面もありました。いつだったか、NHKのテレビ番組で楽しそうにフルートを吹いておられたのを見た記憶があります。

 何といっても、大人らしくない大人が子供ばかりをしかっても、子供が良くなるはずがない、ということを明確に説かれていたと思います。それは、あの戦時中においてさえ、東条英機のものまねをして笑い転げることができた、というような家庭に育たれたということが、大きな礎となっているのだと私は強く思うのです。

 どんな時代でも、子供は大人を見ているし、大人が良くならなければ子供が良くなるはずなどないのだ、と、いうことを説得力のある言葉で語られていたようにも思います。さらに、幼少年期における遊びの大切さや、物を与えれば良いというものではないという話など、様々なエピソードや事例の引用を巧みにちりばめた著述は、比類のない説得力があると思います。

 いずれにしても、あの優しく包み込むような笑顔で語りかける河合さんのお話を、生で聞くことはできなくなってしまいました。今日のように、悲惨な犯罪が多発し、激甚な災害による被災者が多く発生する世の中では、人が生きていくための心のありようは、本当に大切な課題だと思います。私は、自分のまわりの人に「飲む薬より読む薬」だといって、河合さんの本を薦めることがよくあります。

 
 生きていくのが難しい過酷な時代だからこそ、心の持ち方が大切になります。そのような時、心理療法家河合隼雄の著書は、必ず役に立つと私は考えています。今思えば、一度だけでも目を合わせるような出会いがあったことが、本当に幸せに感じられてきます。心から、ご冥福をお祈りしたいと思います。合掌。


2007年 7月 6日           学校給食



 2007年 7月 6日           学校給食


 梅雨らしく、鬱陶しい日々が続いています。私の住んでいるところでは、今のところはほどほどに、雨が降っているようです。それでも、水不足に悩んでいる地域のことや、一時の大降りの雨による被害を受けたなどという話も耳にします。怖いのは、そのような話題に慣れてしまいそうな自分がいることです。

 
さて、先日かつて私が卒業した小学校の給食を食べてきました。もちろん、何の関わりもなく、ただ学校給食を食べに行くということはありません。地域の自治会の役職上、小学校に設けられる学校評議委員として、本年度第1回目の委員会に出席した時の行事日程の中で、小学校の給食を食べることになっていたからです。

 5人の評議委員と共に、校長室でいただきましたので、小学校における昼食時を、つぶさに見たということにはならないかもしれません。それでも、子供達が普段どのような給食を食べているのかについて、認識を深めることはできたと思います。から揚げの南蛮漬け風と、冬瓜のスープがおかずになっており、コッペパンと牛乳という献立でした。

 一見、少し物足らないのでは?という印象でしたが、結構お腹は膨れたように思います。当然ながら、栄養のバランスも取れているようにも思いました。給食の後、評議委員会の会議があり、その後も同じようなメンバーに、PTAの役員を加えた学校保健委員会の会議にも出席し、午後5時過ぎまで小学校におりましたが、終わっても空腹感を感じることはありませんでした。

 私たちの頃とは違い、食器もアルミではなく陶器のような素材で(プラスチックかも)、洒落たデザインのものになっていました。昔の形に良く似たコッペパンは、ひとつずつ包装されていました。私たちの頃は、給食当番がピンセットの親方のようなもので挟んで配っていたように思います。何もかも、衛生的にはなっているようでした。また、余談ですが給食費の未払いも無いと聞きました。

 ただ、牛乳なども入札で決まるようで、パックのものがひとつずつ添えられていました。環境への配慮などを考え、瓶の牛乳にして欲しいと、要望されたことを校長先生から聞きましたが、何事もコスト優先の発想は、揺るがないものなのだろうということかもしれません。児童達は、パックの牛乳を飲み終わると、中をきれいにすすいで一箇所に集めるそうです。

 その後、それらの牛乳パックはトイレットペーパーと交換してもらうそうですが、下水道が完備されていない地域の小学校では、パックをすすぐことのできる場所は限られてしまいます。先生も、子供達も一手間かけて牛乳を飲んでいるようです。幸いにも、食べ残しの残渣は極めて少ないと聞きました。ただ、あまり食べない食の細い子や、おかわりをする子もいるので、一応にはいえないともいわれていました。

 次の、保健委員会でも取り上げられていましたが、野菜嫌いの子や偏食する子も、当然のようにいるようです。などといっている私も、小学生の頃はかなりの偏食児童でした。それでも、大きくなるにつれて徐々に、偏食は解消されていきました。特に、建設現場をこなしていく中で、私の偏食は、格段に解消されていったように思います(椎茸以外は)。

 あれは、小学校1年生のときでした。情熱のある若い女の先生だったと思います。偏食の私は、給食が食べられないので「居残り」を連日させられていたのです。しかし、居残りしたといっても食べられないものは食べられないので、時間ばかりが過ぎてしまいます。5時がくれば、先生も「きり」をつけなければいけないのだとおもいます。私の口に、スプーンで給食のおかずを押し込むのです。
 
 その中に、冷えた八宝菜がありまして、固形物としての椎茸が入っていたわけです。そんなわけで、今でも私は固形物としての椎茸は食べることができません。固形物と限定したのは、肉まんなどに入っていれば、食べていると思うからです。前述しましたように、建設現場を経てから私は、椎茸を焼く香りが香ばしいと思えるようにさえなったのです。しかし、それでも固形物として形が認識できる状態の椎茸を口に入れると、パブロフの犬状態となり、戻してしまいそうになります。

 日の暮れた薄暗い教室で、先生から口に押し込まれたときの冷たいスプーンの感触と、冷えた八宝菜の中のドロッとした感触の椎茸の、あの何ともいえない匂いがいっきによみがえるのだと思います。「一年生を5時まで残すとは何ごとか」という父の猛抗議で、その後、私は居残り給食からは解放されましたが、今から思えば、先生には悪いことをしたなあと思います。

 会議で意見を求められた時、米を中心とした日本型食生活の良さを述べておきました。栄養バランス的にも、食料自給率の視点からも、意義のあることだと考えているからです。それにしても、たった6年間だったのに、小学校の頃の思い出は何とたくさんあるのだろうなどとも思います。そして、それだからこそ、子供にとっての大人の関わり方が、大切なんだなあとも感じています。

 本当は、そのようなことを私のような人間が、述べることすら恥ずかしく思うことではありますが……


2007年 6月 22日         独断的スポーツ観戦記




 
梅雨というには、清々しいような日々が続いています。ラニーニャの影響はあるのでしょうか。見ないふりをしていても、明日からでは遅いエコが求められている地球環境なのでしょう。

 さて今月は、私にとって興味を引かれるスポーツイベントが色々ありました。例によって、テレビによるにわか評論家的な観戦をしておりました。結構、興奮する場面や引き込まれるシーンもあり、楽しみながら見ることができました。スポーツも勝負事ですから、勝ち負けなどの結果については、必ずしも私の望む通りのものばかりではありませんでしたが、非常に高い次元での競い合いは、見るだけでも意義があると思います。

 まず、ボクシングではミゲールコット対ザブジュダーのWBAウエルター級タイトルマッチがありました。無敗で約8割のKO率を誇るプエルトリコの英雄コットと、電光石火の切れ味の左パンチを備えた天才肌のボクサージュダーとの試合は、期待を裏切らないスリリングな展開で、11ラウンドにようやくコットがジュダーを「仕留めた」という試合でした。

 プロでのキャリアを30戦無敗としたミゲールコットですが、時折繰り出すザブジュダーの鋭い左パンチを浴び、予断を許さぬ展開で、かなり厳しい戦いであったのではないかと思います。固いディフェンスとパワーを武器に、積極的に前に出るコットに対して、自由な動きの中から、一瞬の切れ味を見せるジュダーの左パンチの応酬は、片時も目を離せない試合展開でした。

 2万人の席を用意したマジソンスクエアガーデンのチケットは、あっという間に売り切れとなったらしいですが、まさに、期待を裏切らない両者の戦いぶりであり、高い金をとるだけの価値がある試合だったと思います。今後、コットはデラホーヤを破ったメイウェザーとの試合も期待されます。また、天才ジュダーの復活にも期待したいところです。その他にも、アントニオマルガリートや復活してきたシェーンモズリーなど多彩な顔ぶれで、ウエルター級は非常にエキサイティングな階級です。

 それから、サンアントニオスパーズの4連勝で幕を閉じたNBAファイナルもついこの前終わりました。本当に、スパーズの安定した強さが目立つファイナルだったと思います。97年入団でツインタワーとして活躍したダンカンを中心とした、どちらかといえば守りのチームという印象ですが、98年からの9年間で4回NBAファイナルで勝利している強さはやはり本物だと思います。

 個人的には、ジョーダンの後継者的なイメージが強く、その背番号23を背にしている「キング」レブロンジェームス率いるクリーブランドキャバリアーズへの、判官びいき的な見方をしておりました。しかし、思い入れとプレッシャーによる重圧からなのか、今ひとつキングというというような輝きを見せることはできず、自身の責任に強く言及するインタビューを残してレブロンジェームスの戦いは終わりました。

 もちろん、キャブスにもジェームス以外にも良い選手はいましたし頑張っていたと思います。しかし、一方のスパーズを見るとき、ダンカン以外の選手の活躍が目立っていました。そこのところの差が、4対0という勝負の結果となって現れたのだと思います。スパーズは、MVPとなったトニーパーカーやジノビリなど、テイムダンカン以外にも素晴らしい選手を揃えた総合力のあるチームです。

 最後は、月曜日の朝(もちろん現地では日曜日ですが)まで気をもませた全米オープンです。残念ながら(というべきかどうか)、タイガーウッズのトリプルグランドスラムは達成されませんでした。しかし、世界のトッププロをして優勝スコアが5オーバーという何とも過酷なゴルフトーナメントで、あれだけ注目・期待されプレッシャーを受けながら、最後まで望みを捨てずファンを楽しませたタイガーウッズの精神力には感動しました。

 試合後、清々しい表情で同伴競技者やキャディと握手する姿は実に爽やかな印象でした。惜しみない拍手を送るアメリカのギャラリー(マスターズではパトロン)の人達における、見る側の質の高さを感じずにはいられない感想をもちました。まさに、アメリカンドリームを肯定し、強いものに惜しみない賞賛を与える国の光景です。

 多くの、格闘技やスポーツの中継などをを通して、私が感じるアメリカというのは、本当に自由で平等な印象です。しかし、人種差別や格差問題への対応、国際社会における協調性や他国への配慮などを考えると、どうしても、それが同じ国の対応や行動とは思えないときがあります。環境問題にしてもそうでしょう。もはや、待ったなしの対応が求められる中、アメリカ合衆国の責任は重大なものがあるはずです。1国の利害だけではなく、本当に「自由と平等」というスタンスにたった取り組みが求められます。

 「裁判官や大学教授~文化的な面でも認められなければ、黒人が認められたとはいえない」と、テニスコートのスタジアムに名を残すアーサーアッシュが語っていたのを、かつて聴いた記憶があります。「自由と平等」は、スポーツの世界だけに限られるべきではないと思います。



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