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NO.14

2008年 3月 13日      本物を知らない飽食 

                     



 
弥生3月、花も蕾というところでしょうか。しかし、確実に日差しは柔らかくなってきたと思います。梅の香りをかげば、桜の花も間近でしょう。

 さて、価格上昇が止まらないガソリンをはじめとして、様々な物が値上げされて行こうとしています。石油の値段が上がれば、それから生産される物の値段が上がることは当然です。また、輸送コストも上昇します。その結果、あらゆる物へコストが転嫁されていきます。

 一方、バイオ燃料への需要が高まる中で、小麦の生産をやめ、とうもろこし畑が増えていく現象がおきています。そのことにより、当然、小麦の価格は上昇していきます。さらに、本来食料に回されるべきとうもろこしが、バイオ燃料の原料になることで、食料用のとうもろこしの価格も上がってしまいます。

 地球環境のために、バイオ燃料を開発することは良いことですが、食料を削って燃料に廻すというのでは、本末転倒ではないでしょうか。全ての価値観を、お金に換算して考える経済的な視点からだけでは、どうしても解決できない問題が、世の中にはたくさんあるのだと思います。

 そもそも、人類が生き延びていけなければ、経済も理論も成立しないし意味がありません。現在、我が国では規制緩和が進み、競争原理の中であらゆる方面で価格破壊が進んでいます。一見、多くのものが「安く」なったように見えますが、その内情は危ういものだと思います。

 昨年来続く、食品の安全・安心というものに対する信頼の崩壊は、様々な分野の生産品において、枚挙の暇が無い位報道され続けています。僅か39%という食料自給率にもかかわらず、大食いやグルメ番組がもてはやされているのを見ると、薄ら寒い感覚さえ覚えます。

 一見、何でも手に入るようになった私達の社会ですが、ししゃもだと思って食べている魚のほとんどが、カペリンという名の別の魚だったりします。他にも、銀むつやティラピア(イズミダイ)など、本物ではないものを私達は食べているのです。むしろ、回転寿司のネタなどになると、代用品の方が多いのかもしれません。

 それらは、広い意味でのリスクアセスメントから考えれば、許容すべきことなのかもしれません。しかし、単純な費用と便益の比較ばかりでは、この国の存立、ひいては地球の存亡にまで影響する過ちを、我々は犯す可能性があると思います。少し、話が大きくなりましたが、地球環境が、どれだけ人間の「理論」を許容してくれるのかは甚だ疑問です。

 また、我が国の農業に関していえば、米が最後の砦だと思います。それは、食糧自給という視点だけではありません。水田を維持していくことにより得られる二次的効果、農村の環境保全・災害防止・景観保全等、多様で大きなメリットがあります。さらに、それらの総合的な効果ともいえる地域集落機能の維持・活性効果という、一見目に見えない効果が実に大きいのです。

 実は、地方における集落機能の意義は非常に大きく、政治・文化・経済など多くの分野で、住民の生活に深く関わっているものなのです。逆に言えば、日本人の精神性にも大きく関与してきたものだと思います。しかし今、「シンプル」な経済の原則に従い、東京圏への一極集中が進み、地方との経済格差が一層進んでいます。

 そのような中、地方の集落機能は低迷を続け、その維持さえ危ぶまれる地域もたくさんあります。事実、限界集落と呼ばれる集落は増え続けています。言い換えれば、先祖からの土地を守り、集落や地域のために農地や里山に手を入れる生活は、もはや成り立たなくなっているのです。

 都市のスーパーなどで、安い袋詰めの米を物色している人たちにも考えてもらいたいことは、「その米は、本当に安くて安全なのか?」「食材は、何でも安ければ良いのか?」ということです。まやかしの飽食ブームの影で、本物がどんどん失われていっているのがまさに現代です。


2008年 2月 28日        命が軽くなっていく  

                     
 


 
週明けは、もう3月になります。しかし、今年は2月になって寒い日が続きましたね。しかも、後半にたくさん雪が降ったりしました。そのせいかどうか、またぞろ風邪をこじらせたりしてしまいました。口ほどにも無い体が、情けない限りです。

 そういえば、病気になった時にお世話になる病院や、医療機関などについてこの頃思うことがあります。それは、そこに携わる人たちの「気持ち」についてです。気持ちとか意識とかという言葉で、簡単に表現できないようなものかもしれませんが、人間が変わってきたなあ、と、感じてしまう場面が多くなったように思います。

 特に、病院など人の生命や健康に関係している場所において、そのような違和感を感じることは、寂しいような情け無いような、そんな気持ちになってしまいます。私の住んでいる町にも、形式上は救急救命センターというものがあります。また、それに近い設備を備えた病院も出来ました。

 話に聞くところでは、最新の施設に最新の医療設備が備えられ、24時間体制で救命医療を行うことが出来るのだそうです。そのような施設に、私も何度かのぞいてみました(幸いにも、自分自身の健康状態に起因していったことはありませんが)。

 新築されたそれらの病院は、明るくてきれいな雰囲気になっていました。目にする医療機器なども、最新のものが備えられているように思いました(医療に関する知識は、あまりありませんので、本当のところはわかりませんが)。そして、必要で十分と思われるスタッフ(誰が医師で、誰が看護師なのかわかりませんので)が、忙しそうに動いていました。

 実は、私の祖母(母の母で、98才)がここ数年で何回かお世話になる機会がありました。さらにいえば、現在も余命いくばくかという状態にあります。話がそれますが、縁戚関係の人間ということになれば、幾度と無く「人の死」というものに、私は接してきたと思います。その数は、現代人が通常体験する数をはるかに凌駕していると思います。

 個人的にいえば、私は、病院と接する機会も多く、人間の臨終に立ち会う機会も多かったのだと思います。そのような体験から、この頃特に感じることは、人の命の重さが随分軽くなったなあということです。

 例えば、病院に救急車で運ばれ(私の祖母のケースですが)ると、様々な検査を受け医師の診察も受けます。それなりに、生命の保障が出来ないことについてなどの説明も受けます。この間、患者を個室の病室に移す段階で、3枚位の書面に署名を求められることになります。

 所謂、インフォームドコンセントというやつなのだと思いますが、必要なことは説明しているのだから、当方に落ち度はありませんよ、と、いうためだけの書類にしか私には思えません。現実に、苦しんでいる病人の気持ちにたって、対処して貰っている印象は、どうしても得ることが出来ないというのが実際のところです。

 マニュアルにそって、点滴や栄養剤の投与、バキュームによる痰の吸引など、時間刻みで「治療」は施されます。しかし、例えば、食道への管挿入により喉を傷めているのにもかかわらず、時刻通りに吸引をして患者を苦しめる看護師や、付き添いの要望や気づいた事項にも、「こちらは、プロです」という態度で無視する看護師もいます。

 極端な言い方をすれば、「どうせ、死ぬんだから……」というような態度の看護師もいます。医師についても、同様なことがいえます。検査データや、担当看護師の報告だけに頼り、老人には聴診器も中々当てない医師もいます。苦しんでいる本人を、つぶさに見ないで何がわかるのでしょうか。不信感は、募るばかりです。

 おそらく彼らは、私のように多くの人を見送ったことが無いのでしょう(人として、育っていく中で)。人が、その人生を終え、息を引き取っていく時の情景は様々です。しかし、その全ての場面で、私は命の尊さを感じました。

 人は、誰でもいつかは死にます。しかし、そんな理屈や理論でなく、本来の人間が持つべき感覚が、医療の現場に生かされて欲しいと、願わずにはいられないのです。


 2008年 2月 13日        世の中の役に立つ


  

 
立春を過ぎました。けれど、まだまだ寒い日が続いています。私の住んでいるところでは、度々雪が降り積雪も見られます。本当の意味での春は、まだまだといったところでしょうか。

 さて、「世の中の役に立つものづくり」や「建設技術者とは何か」などについて考え、そのような志を備えた人の役に立ちたいという思いから、このHPを立ち上げてから早5年以上が過ぎました。その間、世の中の流れも技術士試験そのものも、大きく変化していきました。

 参考となる資料も少なく、受験支援のHPも無かった自分自身の受験のことを考えて、より実戦に即したアドバイスなどが出来るのではないか、と、考えたことがHP立ち上げの動機でした。それから、色々な添削希望者等とのやり取りを繰り返してきました。そんな中で、時系列的に私の中で深まってきた思いがあります。

 それは、建設技術者としての「志」ということについてです。国や自治体の厳しい財政事情を背景に、公共事業への風当たりは強まるばかりです。また、マネーゲームによりかしこく(小賢しく)利益を上げるファンドや投資家に設備投資はあまり必要なく、また、業績の良い企業においてもそのようなコスト意識は高く、我が国の建設投資額は減少の一途です。

 その「志」を持とうにも、先行きの見えない状況の中で、生き残りのために腐心しているというのが、我が国の建設部門に携わる技術者達の、現状における実態なのかもしれません。そのような背景も、一つにはあるのだと思いますが、年々、私の問いかけは空回りしていくばかりです。

 精進して、その道において高い技術を身につけ、その技術をもって世の中の役に立つ仕事をする、と、いう気持ちは、建設部門のみならず、技術者が本能のように持つ感情であると私は考えてきました。現在も、そのように考えてはおりますが、何か言葉には表し難い違和感が、時間の経過と共に澱のように溜まっていくのも事実です。

 明治維新以来、「貧乏がいやなら勉強おし」の掛け声の下、多くの志を持った少年達が研鑽を重ね、この国を驚異的なスピードで近代国家に変貌させていったのです。その動きの中で我が国は、欧米列強のせめぎあいをかいくぐり、この極東アジア地域において、奇跡的な独立と発展を遂げたのだと思います。

 資源を持たない我が国の進むべき方向は、世界に先駆ける技術力をあらゆる方面で備えること以外に無いことを、多くの先人達が考え、そのために尽力されてきたことも事実です。その根源に、本来の日本人が備えていた、高い精神性があったのだと思います。その精神性の中の一つに「志」というものがあるのだと思います。

 広義にいえば、武士道やどんなに金を積まれても曲がったこと・納得できない仕事はしない、という職人気質なども「志」の中に入ると思います。それは、律令~封建時代を通して、長い間に培われてきたもので、他の国に類を見ない絶妙のバランス感覚を備えたものだと思います。それだけに、文章や言葉で形容し難いものでもあります。

 ここで、あえて述べておきますが、私は、常々「志」ということを語り、日本人の精神性というのものに言及していますが、根性があれば勝てる、とか、強い意志さえあれば何でもできるのだ、などという「精神論者」ではありません。まして、この国をあの悲惨な太平洋戦争に導いたような、国粋主義者的な精神論は大嫌いです。

 正確な、状況分析に裏付けられた合理的な判断をすることの大切さは、誰よりも理解しているつもりですし、重要なことであると考えています。一方で、冷静に考えても、食料自給率が40%を切っているのに、危機感を持っている人の少なさや、自由貿易の成果に期待できると嘯くエコノミストたちの発言に、薄ら寒さを感じたりもします。

 「世の中の役に立つ」という考え方からは、日本だけが良ければ良いというものではありません。地球規模で世界の状況を冷静に見つめ、何をなすべきかを考えることも大切なことだと思います。そのような時、技術者としての「志」が思考の原点に備えられる必要があるのだと私は考えています。

 

2008年 2月 1日        ふるさと




 
何年か振りに、諏訪湖に御神渡りの現象がみられたとか、本来、日本の冬の風物詩であったはずの光景は、いったいいつまで見られるのかと思いながら、まずはほっとしたりもしています。

 信州最大の湖が、冬になると凍結し、そのほぼ中央を氷の亀裂が走る様を「御神渡り」と表現します。気温の上下によって、湖の氷が膨張と収縮を繰り返すことによって起こる現象なのですが、最近では地球温暖化のためか、それが見られない冬も多くなっています。

 実際に、その光景を私は見たことがありませんが、その湖のほとりで育った人にとっては、至極当たり前の景色なのかも知れません。また、そこに育っても故郷を後にしていれば、えもいわれず懐かしい光景であるはずです。そのように、人それぞれ忘れがたい場所や思い出の地があるのだと思います。

 故郷は遠きにありて思うもの、という犀星の文章がありますが、人は何故、故郷を愛おしく思うのでしょうか。そのようなことは、私自身も若い時にはあまり考えたこともありませんでした。特に私は、あまり他人のことなど意識せず、内なる自分の思いや欲求に突き動かされて生きてきたように思います。

 そのために、多くの人に迷惑をかけてきたと思います。ひとりよがりな、私の自己欲求の完結につきあわせ、不必要なエネルギーを使わせた人や、傷つけた人もたくさんいると思います。まあ、結果的には出会って良かったと感じてもらえていると思うのですが、それは私の思い上がりに他なりません。

 ところが、人生というものは皮肉なもので、というか、上手くできているといった方が良いのかもしれませんが、そんな私がこの年になって、地域のことや故郷のために何かできることはないのか、などと考えながら暮らす日々を送っています。

 人はそれぞれ、故郷を持ち郷愁を覚えるのが生来の慣わしだと思います。もちろん「故郷」の定義は広く、単に生まれた場所に留まらず、そこに帰っていかなければならない気持ちになる愛おしい人のことや、また、その人との思い出にあふれている場所であることも考えられます。
 
 一方で、故郷の方が求めるような人物もいると思います。例えば、北海道を旅してみるとわかりますが、足寄付近にさしかかると、お願いしなくても、松山千春の生家などに案内されたりします。そんな時、どんなに有名になっても、あるいはどんなに忙しくても、北海道をベースにして活動している胡散臭い禿頭の超一流のシンガーソングライターを思い出します。

 ふるさとといえば、「喫茶店で頬杖突いて~」と歌う千春の高い声が思い出されます。といっても、今では「黄色い公衆電話」もなくなってしまいました。携帯電話がこれほど普及し、いつでも直ぐに言葉を交わせる時代なのに、かえって、寂しくてたまらない恋人同士が増えているという話も聞きました。

 同じ「寂しい」という一言であっても、黄色い公衆電話から語りかける言葉と、携帯のメールから届くメッセージでは、その意味も重さも大きく違うのではないでしょうか。少なくとも、私が感じる故郷にいる「父さん・母さんは」、黄色い公衆電話の向こうで、不安な都会生活に戸惑う息子の声を、黙って聞いていてくれる存在のように思います。

 いつの間にか時が過ぎ、自分自身が誰かの故郷になる、そんな風になっているのかもしれません。一体人は、何故故郷を愛おしいと思うのかなどと、慌しく過ぎて行く日々の中で考えながら、ただ、その時の流れに身を任せて生きているようにも思います。

 できれば、貴重なその時の流れの中で、本当に心の通いあう人と少しでも多く、かかわりあいながら生きて行けたなら、それが一番の幸せには違いないことだと思います。

  夢なら、今はこの胸の中、深く閉じ込めたまま……

 
 

2008年 1月 18日        分を知る


 


 寒中なのですから、寒いのは当たり前ですが「凍てつくような」
というような日は、この頃では滅多に訪れません。子供の頃のイメージとは、冬そのものも変わってきたように思います。それが良いことだとは、誰も思ってはいないのでしょうが……

 例えば、地球温暖化の防止についていえば、温暖化ガスに関する「排出権取引」というのがあります。これは、97年に京都議定書で定められた排出量の目標値(08~12年の間に、対90年比で日本では6%削減を目指す内容)をクリアすることが困難と考えられるため、「柔軟措置」として途上国などにおける温暖化ガス削減対策や排出できる権利を、先進国がお金で買うというようなことだと思います。

 経済的手法として、京都議定書批准国をはじめとする先進国で議論され、その導入や市場化が進められているのですから、合理的なことなのだとは思います。しかし、直感というか私の持っている感性からいえば、そもそも私は、「排出権」という言葉自体に違和感を覚えてしまいます。

 さらに、我が国の政府が排出権購入に乗り出すとか、大手商社が積極的に事業展開を図るなど、ビジネスの市場として注目されているなどというような報道に接すると、一層おかしな気分になっていくのです。そんなもの(排出権)を取引している余裕が、我々人類にあるのか、という思いがしてくるからです。

 その仕組みや内容については、色々な手法や種類があるようです。また、果たしてどのような科学的根拠を持って、今後人類が温暖化ガスをどれ位排出して良いといえるのか?など、基本となる考え方も様々なのではないでしょうか。それよりも私には、頭で理解できても心でうまく理解できない、というのが実際の感覚です。

 マスコミの報道により、常に聞かされる地球環境の異変に関する兆候の話題や、異変そのものの様子、或いは、普段の生活において肌で感じる周辺環境の変化など、「おかしいなあ」と思いながら生活しているのは、おそらく私だけではないでしょう。

 そのように、心の中で憂いを感じている私ですが、この頃、シベリアの永久凍土が溶けていく話題や、氷河が加速度的な速さで溶けていくニュース映像などの場面になると、テレビのチャンネルを変えてしまうようなところがあります。本来は、現実の状況を冷静に直視して、課題やそれに対する対応策を考え、将来の方向性を探っていくべきであるはずです。

 しかしながら、現実を直視するには現代の地球を取り巻く環境は、あまりにも苛烈過ぎるように思えてならないのです。それには、私自身の心そのものが日々の暮らしの中で、疲れているのだということがあるのかも知れません。いずれにしても、今起きていることから目をそらさず、改善していくための何かを、模索していくことはしなければならないのだとは思います。

 地球温暖化防止に向けた、温暖化ガスに関する排出抑制対策などは、アメリカと中国が本気にならなければ、実際には意味が無い議論です。理論上における数字の計算によるつじつまあわせをしている間に、私たちの住んでいるこの星の環境悪化は、復元力の許容範囲を超えようとしているのではないでしょうか。

 自然に対して畏敬の念を持ち、生きのびていくために必要な、最小限の採取を行って暮らしてきた人類は、「経済」という、ものをお金に換算する思想を手に入れ、大きく進化し発展してきました。しかし、これからもその理論通りに、際限なく成長を続けていけば良いのでしょうか。また、地球はそれを許容してくれるのでしょうか。

 そのような、経済的な考え方により、本来食料であるべきとうもろこしが車の燃料の原料になるなど、おかしな現象も起きています。いくら、バイオ燃料が環境にやさしいといっても、そのために小麦畑が減少し、小麦の価格が高騰するというようなことでは、本末転倒ではないでしょうか。一方で、投資家のマネーゲームによる原油高騰のつけを、庶民が負担させられているのも現実です。

 「分を知る」という言葉がありますが、我々人類も、どこまで何をしても良いのかについて、今一度考え直す必要があるし、今が、そのぎりぎりの時ではないでしょうか。

 

2008年 1月 4日        年初雑感


 


 新年、明けましておめでとうございます。とはいえ、門松や、冥土の旅の一里塚……という俳句か歌の文句が浮かんでもきます。さらにいえば、年々身にしみてくるもの事実です。今年こそ、有効に時間を使わなければ、と、
自身を戒めてはおります。

 世の中が、どんどん忙しくなっていく中で、正月の光景も随分変わってきましたね。かつては、元日や二日などに開いている店などは、地方の町ではあまりありませんでした。年始の挨拶を兼ねて、家に呼んだり呼ばれたりする形で、新年の宴をすることも多かったように思います。

 しかし、最近ではコンビニなどは年中無休ですし、鮮魚を扱わない店なら、結構飲んだり食べたりできる店も、開いているようになりました。二日の日には、その恩恵にあずかるというような感じで、昨夏の同窓会の時に再会できた中一トリオによるミニ同窓会を開くことが出来ました。

 行きつけの焼肉屋と、三人の再会を取り持ってくれたスナックを会場にして、よく食べよく飲み、そしてよく語りあいました。本当に、充実した時間を共有できたように思います。それぞれ、生き様や現在の境遇などは違っていても、何故か、話しをしていて心が通じ合う実感がするのを、お互いが感じあいながら楽しく酔っ払っていたように思います。

 それには、私たちがこれから思春期を迎える12~13才という時期に、出会ったことが大きく関係しているように思います。そもそも、それぞれが別々の小学校の出身でした。中学一年生の時に、たまたま同じクラスになったということが、私たちの心の絆の始まりなのです。

 考えてみれば、その一年間が最も緊密に影響しあった時期であったように思います。大げさに言えば、自我が芽生え確立されていく流れの中で、お互いが最も影響しあった関係であったのだと思います。二年生~三年生となる中で、友人関係の幅は広がりましたが、今思うと私の中では、物事に対する価値規範や情緒感の醸成において、常に彼らの存在が影響していたように思います。

 時々、自分でも運が良かったなあと思う時がある位、思春期以降の私は、右に左に大きくぶれながら、やんちゃなこともたくさんしてきました。自分でも思いますが「良い子」だった小学生時代への反発や、折り合うことの出来ないような、自分の内側から沸きあがる自我との格闘のなかで、親友と呼べる人間がいたことが救いだったように思います。

 三人で酒を酌み交わすなど、考えてみれば初めてのことですが、あたりまえのように安らいだ心持になれるのも、また事実でした。次の日時を決めない再会の約束をして、満ち足りた気分で家路に着きました。私の車が去っていくまで、五十才になる中年親父が立ったまま見送っているのを見ると、改めて会えて良かったなあという気持ちが湧いてきました。

 本当に、やりたいことやしなければならないことがいっぱいあって、あっという間に過ぎてしまう正月のスケジュールの中で、ひと時の癒される時間であったと思います。もちろん、例年通り、厳しい麻雀の戦いや、箱根駅伝をはじめとするテレビでのスポーツ観戦など、やりたいことは、本当に寸暇を惜しんでやっています。

 一言だけ、箱根駅伝について言えば、今年は往路の順天堂大、復路の大東文化と東海大と、3校が棄権する事態となりました。3校も棄権するようなことは、私の記憶にもあまりありません。解説者の「人間自体が、弱くなっているんですかねえ……」という呟きが、とても心に強く残りました。

 主に、心の強さのことを言われたのだと思いますが、PK戦で敗れた作陽高校のサッカーの試合でも、そんなような印象を受けました。PKには、失敗の連鎖反応があるということですが、土壇場での精神を支えるには、育ってきた全ての要素を含めた人間力が問われるのかもしれません。広島皆実高校同様、最近の高校生のボールを扱う技術の進歩とは裏腹に、プレッシャーへの弱さを垣間見た気がしました。

 ともあれ、昨年一年で疲れ汚れた心を、癒し洗うためのハードスケジュールをこなし、幾分か物事に感じられるセンサーが蘇ったようには思います。やらなければいけないことは、本当にたくさんありますが、一つ一つこなしていこうと思っています。


2007年 12月 29日        一年を振り返り一言




 
1年も、その実感される長さについては、年毎に短くなっていくように思います。慌しさと煩わしさが、ほとんどであったような猪年も暮れようとしています。

 さて、年度を象徴する漢字が「偽」という字になるなど、今年は、数多くの食品に関する偽装表示の問題などが、相次いで発覚する事態となりました。本当に、何を信じて口にすれば良いのか判らないような、そんな気持ちにさせられたのは、私だけではないでしょう。

 さらに、ミーとホープ社の社長や船場吉兆の親子などのような、潔くない対応や会見をみせられると、もはや何おかいわんやという感じです。まさに、(人が見ていなければ、自分が口にしなければ何をしても良いのだ)と、考えながら人生を過ごしてきた人間たちによる上っ面だけの謝罪会見をたくさん見ました。

 また今年は、任期半ばで安倍首相が退陣し、現在の福田政権が誕生しました。今年の初めに、そのようなことを予想した人はいなかったのではないでしょうか。民主大勝という、参院選挙の結果の影響もありますが、小泉首相の下で、拉致被害者奪還の交渉をしていた時の輝きは、まったく失われた感じのプリンスの失脚でした。

 一方、松岡農林水産大臣の自殺や、守屋次官の収賄事件など、政治や官界に関するスキャンダルも依然として後を絶ちませんでした。ますます、本来の日本人が有していたはずの精神性が、希薄になって失われていくような喪失感を覚えました。そのことは、私のようなやんちゃな人間が感じるくらいですから、実は切実なことなのではないかとも思います。

 そのような中で、7月には心理療法家であり、心の巨匠ともいえる河合隼雄さんが亡くなられました。河合さんについては、本欄において何度も触れてきました。私は、日本人の精神性というものを考えるとき、そのあり方や方向性などについて、河合さんの著述や発言などから、本当に多くの影響を受けました。また、心のありようなどにおいては、随分助けられもしました。

 もし、元気なままで河合さんが文化庁長官でおられたなら……と思うと残念でなりません。基本的な学力の低下が叫ばれ、ついに理数系においても、国際的な位置が下がったという報道を聞いた今年、教育というものの大切さと、良き指導者の減少に憂慮する気持ちは募るばかりです。

 やはりというか、ここまで書いてきて気づいたことがあります。それは、私自身の内面的な状況についてです。いつもの年に増して「疲れているなあ」と感じる度合いが強いのは、これまで述べてきたような社会情勢(あまり希望の持てない)と、身の回りにおいて対峙している問題の多さ(地域活動などを通して)があるんだなあということです。

 本当に、最近の自分を考えてみれば、目の前の課題をこなすことに追われ、疲弊し続けているような状態かもしれません。地域・組織・営業的……様々な課題があります。どちらかといえば自身のことではなく、公的な利益を確保するためのものが多いように思いますが、心ならずも闘わなければならない場面もあります。

 河合さんのように語れば、正しい(と信じている)ことをしていても心は傷つくものかも知れません。ここしばらくで溜まった精神的な疲労を考えると、そのように実感してしまうのも事実です。世の中には、どうしても判りあえない人間もいるのだということを、強く感じた一年でもありました。

 何か、全体的に暗い内容の年末の一言になってしまいました。それでも、私は「倒れる」わけにはいきません。改革しなければならないことをやり遂げ、次世代の人たちに繋いでいこうと考えています。また、判りあえない人間ばかりではなく、本当に多くの仲間や支持してくれる人達がいるのも事実です。真の意味で「世の中の役に立つ」というのはどういうことなのかについて、真剣に考えながら、進んでいく方向性を模索したいと考えています。

 やればやるほど、自身の能力の無さと愚かさや醜さが見えてくるのが人生かもしれません。しかしそれでも、そんなつまらない自分でも、何もしないよりは何かした方が良いのでは、また、出来るのではないかと、思い続けて生きたいと考えています。

  


2007年 12月 14日        誰のための行政なのか




 
師走となりました。文字通り、多忙な日々を送っております。そんな中でも、気の合う仲間と酌み交わす酒には、心癒されること大です。もう少し、強い体を持ち合わせていればなあ、と正直に思うこの頃です

 消えた年金記録の確認や、イラク特措法の審議問題から解散総選挙への道程及びその可能性についてなど、中央政界ではさまざまな問題が山積状態です。いずれにしても、民放・公共放送共に、それらのニュースを見るのが、精神的につらくなってきました。報道の仕方も、ただ糾弾すれば良いという風で、興味本位のワイドショー的なものばかりです

 必然的にテレビでは、関口知宏の中国鉄道大紀行や世界ふれあい街歩きなどの、肩のこらない番組をみるようになってしまいます。いろいろな国や、地域の美しい風景や人々との触れ合いなどを、疑似体験しているようなものを好んで見ているというのは、本当に心が疲れているのかもしれません。


 たとえば、行政(主に市や県の出先機関)に対して、地域からの要望を持っていきますと、まず帰ってくるのは「予算が無い」という言葉です。本当にささやかな、児童の通学路に関することや、住民の生活の安全のために必要な案件であっても、異口同音状態に「予算が無いので」という言葉が返ってきます。


 私が住んでいる市も、ご他聞にもれず、膨大な赤字を抱えた地方自治体の一つですから「予算が無い」のはよく解ります。しかしながら、行政としての取り組み方をみていると、本当に「予算が無い」のに何をやっているのか?といいたくなるような場面をよく見かけます。

 
 つい最近も、都市計画道路として指定され、拡幅されることが決定している場所(田圃であった所)が埋め立てられました。現在は、店舗新築のための基礎工事が行われています。何度も、行政サイドには「そんなこと、して良いのか?」と質しましたが、正式な計画が決定しない内は、建築確認を拒めないということでした。

 建築を思いとどまるようには、何度もお願いしているということですが、既に事業認可され、設計が進んでいるその道路の設計範囲(影響範囲)は、都市計画道路として指定されている範囲内に収めるというものです。明らかに、高額な補償を目的とした、駆け込み建築のはずです。厚顔無恥に「知らなかった」などと建築主は言っているそうですが、まったく残念な話です。

 私は、このような行為を自分が生まれ育った街で、以前から何回も見かけてきました。私の記憶の中だけでも、数億単位の無駄な税金が支出された例を何件も見ています。もしも、それらのお金があったなら、老朽化した我が母校の小学校の改築など、簡単に出来るはずなのです。

 耐震補強もされず、隙間風が入る古ぼけた暗い体育館において、実にわずかな期間で上達した、太鼓や演舞を披露してくれた児童たちのことを思うと、本当に情けない気持ちになってしまいます。いつから、こんなにも大人がちゃんとしなくなったのか、そんな憤りと、自身の無力さを痛感させられるのもそんな時です。

 本当に、何度も繰り返して述べますが「俺は、そんな良いやつでも、立派な者でもない」と言いたいのです。それでも、そんな私でさえ、このようにぼやかずにはいられないのが、私が住んでいる場所における今の状態です。もちろん、与えられた役職については、自分なりに精一杯の取り組みをしているつもりです。

 それでも、田舎の人の繋がりと係わり合いの中では、信じられないような妨害や邪魔が入ることもあります。先ほども述べましたが、私は決して自分を「良い人」だとは思いませんが、そんな私が考えても、到底理解できないような論法や手法で、自身の利権や営利のために圧力をかけて来る人もいます。

 私個人としては「心に誤り無ければ、人を恐れず」という謙信の言葉通り、まったく怯むことも動じることもありませんが、何故か行政というのは、そのような声の大きい荒っぽい相手に弱いというのが実際のところです。結果的に、彼らがきちんと毅然とした対応をしないために、迷惑をこうむるのは市民であり我々自治会なのです。

 先日も、市役所で行われた自治会支部長の中の役員会の席において、厳しく姿勢を糾してきましたが、市民の付託を受けて予算を執行しているという意識が無さ過ぎる気がしてなりません。誰のための行政なのか、本当に真剣に考えてもらいたいのです。


2007年 11月 30日        伝統の基


 

 いよいよ師走を迎えます。日々、寒さは増して行きます。あわせて、忘年会という名の宴席も嵩んでいきます。嵩むというのが、適当な表現かどうかはわかりませんが、年々その数が増えているのは事実です。喜ぶべきや否や……

 先日、全国吹奏楽コンクールにおいて、3年連続金賞に輝いた市内の中学校の定期演奏会を聴きにいってきました。たまたま、切符を頂いたというのがきっかけでしたが、さすがにすばらしい演奏と演出であったと思います。本当の意味での、音楽の楽しさというものが味わえたように思います。

 どうも、この定期演奏会というのが3年生にとっては最後の発表の場となるようで、彼らのそれぞれにスポットライトが当たるような演出が感じられ、指揮と進行を担当する先生の配慮が窺えました。また、随所にダンスや寸劇のようなパフォーマンスも取り入れられ、音楽の楽しさを生徒が体現しているのがよく伝わってきました。

 なんといっても、指導されている先生の音楽と生徒に対する愛情と情熱が強く感じられました。実は、元々その先生は、ついこの前統合後30周年(その前、おなじ場所に私達が卒業した学校が30年の歴史)式典にお招き頂いた、わが母校の吹奏楽部を指導されていた人でもあります。その間、私の母校の中学校の吹奏学部は全国区にまで登りつめてもいました。

 もちろん、こちらの方の吹奏楽部も、後任の若い女の先生ががんばっておられ、素晴らしい演奏を聴かせてくれています。さらに、地域のイベントなどでも本当にお世話になっています(観客動員における目玉)。まさに、「良い伝統」というものが培われているように思います。


 伝統などといいますが、考えてみればどんなに素晴らしい伝統でも、もとは何も無かったところから始まります。多くの場合、それは前述の音楽の先生のような、個人による熱い想いの具現化から始まるものではないでしょうか。一方で、その始まりには大きな困難を伴うものでもあるのだと思います。

 面白いことをやろうとか、人の役に立とうなどという気持ちは誰の心にもあるものです。しかし、「熱い想い」というのは強い気持ちに裏付けられているものですから、当然ながら個性的なものでもあります。周囲の理解と賛同を得るまでには、相当の時間と労力を要するものでもあります。

 そのような意味からも、まだ無名であった私の母校の中学校に居られたころから、音楽への情熱と生徒への愛を注ぎつづけらた稲生先生(現北陵中吹奏楽部顧問)に敬意を表したいと思います。これは、伝統とは関係ないかも知れませんが、西日本一といわれ、私の最も愛する夜桜の名所である鶴山公園の桜も、最初は「阿呆の沙汰」といわれながら、桜を植え続けた人のおかげによるものなのです。

 同じような話として、先日テレビで、新美南吉の「権ぎつね」の舞台である愛知県知多半島の矢勝川において、彼岸花を植え続けてこられた小栗大造さんという人のドキュメンタリ-番組を見ました。平成2年から植え続けられ(平成7年には、矢勝川の環境を守る会が結成されている)た彼岸花は、今や200万本に達しているそうです。

 秋の青空の下、真っ赤に咲いた彼岸花の群れは、素晴らしい景観を形成しています。そして今、荒廃したどこにでもある地方の川でしかなかった矢勝川は、童話「権ぎつね」のふるさととして、幻想的な風景を演出するまでに変貌し、多くの観光客などが訪れる場所になっています。

 新美南吉の5才下で、一緒に遊んだこともあるという小栗さんは、権ぎつねの舞台になった故郷への情念と、ビルマでのインパール作戦などを通して失った戦友への想いを込めて、たった一人で彼岸花の球根を植え始められたのです。まさに、1人の熱い想いが、素晴らしい伝統(成果)をもたらした典型だと思います。しかし、そのような小栗さんの苦労も、言葉や文字にすればこれだけのことです。

 伝える力の問題もありますが、どれだけ熱い想いを持ちづづけていられるのか、そのことの大切さについても、今一度肝に銘じなければと感じています。


2007年 11月 16日        飯と酒を考える




 立冬を過ぎ、朝夕はかなり冷えるようになってきました。それでも、日中の気温が高いので、風邪を引きやすくなっていると思います。気候への違和感はきえませんね。

 
相変わらず、多忙の日々を過ごしています。そして、そろそろ早い「忘年会」が始まろうとしています。何やかやと、人の世話など引き受けているうちに、それに伴うコミュニケーションの場は増えていき、当然ながら出席する忘年会も増えていくのです。といいながら、単に酒席が好きだというのが実のところかも知れません。

 いよいよ、鍋が美味い季節にもなって来ました。私の住んでいるところには、牛の屠場(食肉処理場)がある関係からか、そずり鍋とかホルモン鍋とか、他地域ではあまり味わえない美味い鍋があります。「そずり」というのは、骨についた肉をそずった(削ぎ落とした)肉のことです。本来、高級な肉ではありませんが、鍋にすると「あっさりしているのにこくのある」良い出汁がでます。

 大根・ごぼう・蒟蒻・豆腐などと一緒に、醤油とみりんをベースにした汁で煮ていきます。煮あがると、韮を鍋の表面に散らしていきます(これも煮えると、何度でもすくって食べます)。残念ながら、二十年以上も通った店が営業をやめたので、店で食べるそずり鍋は、少し縁遠くなってしまいました。

 他にも、同じような鍋を食べさせる店もありますが、社会人になってからずうっと通った店なので、何となく他の店でそずり鍋を食べる気がしないというのが正直な気持ちです。ことほど左様に、人間の味覚というものは、脳の海馬にある情報というか、育ってきた環境や経験してきた事柄によって決められるものだと思います。

 例えば、私にとっては母の作る手打ちうどんというのが、かけがえの無い味であり、非常に重要な食べ物でもあります。「うどんは、のど越しである」ということを、本当に意識させてくれるものです。しかしながら、その経験知というものは、他の人に言葉で伝えるのが非常に難しいものでもあります。

 人間にとって、食べ物は非常に大切なものです。それによって、肉体が作られるばかりでなく、精神の醸成にも大きく影響します。単に、栄養バランスという視点からだけでなく、その食事をしている背景による情緒感への影響など、まさに食事は人そのものの、姿を形成していくことにつながるのだと思います。

 同様に、といって良いかどうかわかりませんが、酒を飲む背景も人格形成に大きく影響するものです。意外なようですが、私には「晩酌」という習慣はありません。このごろ特にそうですが、外で誰かと飲む機会が多いこともあり、家ではあまり飲みません。それは、意識して飲まないように我慢しているということでもないのです。

 それ位の感じが、体調の面から考えると丁度良いペースなのだと思います。したがって、花見シーズンや年末の忘年会時期などは、どうしてもオーバーペースとなってしまいます。もともと下手の横好きで、それほど強いほうではありませんから、毎日「酔う」ほど飲む生活というのは、とても出来ないように思います。

 「酒を飲む背景」などと力まなくても、誰とどのような状況で飲むかということは、非常に大切な要件であると思います。坂の上の雲に描かれている秋山好古のように、一人でもどのような状況でも、酒をあおっているというような豪傑もいるのだとは思いますが、私にとって酒というのは、やはり誰かと酌み交わすもののような気がします。

 食品表示の偽装問題が、次から次へと表ざたになるなど、食品を提供する側のモラルが疑問視され問われている現在、精神と肉体を形成するための「食事」というもののあり方について、私たちは今一度きちんと考えてみる必要があるのだと思います。

 そして、面白い男になるための酒の飲み方についてもです。そのことは、私の生涯をかけた研究テーマでもあります。「別に、研究しなくても良いんじゃないの」などと、突っ込む声が聞こえてきそうですが、研究は続けていきたいと考えています。


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