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NO.18

2009年 9月 10日          早世の美学
 

                     


 年々、早まっていく稲刈りを控え、天候の具合などが気になる季節です。大きな、風が吹いた政界は、私達にどのような実りを、もたらしてくれるのでしょうか。ともあれ、今年も稲穂は色づき頭を垂れ、秋の訪れを告げています。

 世界陸上の見すぎか、夜更かし癖が高じたのか(夜更かし癖は以前からですが)、ここのところテレビをよく見ておりました。有料・無料を問わず、衛星放送により映画なども見ました。主に、邦画ですが古いところでは、小堀明男主演の次郎長シリーズ、市川雷蔵主演の眠狂四郎・若親分シリーズなどです。また、夏目雅子の瀬戸内少年野球団、永作博美がヒロインの同窓会などが良かったと思います。

 他にも、マット・デイモンのグッドシェパード、猟奇的な彼女の、韓国版とアメリカ版の連続放送なども見ました。しかしこちらは、基本となる文化の違いによる溝は埋めがたく、何度見ても面白い韓国版と、アメリカ製リメイク版は、比較さえできない印象でした。とにかく、何でもまず主張するアメリカ社会では、もともと女子が韓国版でいうところの、「猟奇的」であるといえるのかもしれません。

 そのような、残像があったせいかもしれませんが、夏目雅子の瀬戸内少年野球団は良かったと思います。何といっても、夏目雅子は美しい。そして、演技力も素晴らしい。郷ひろみの演技の非力ささえ、カバーする力がありました。そもそも、原作が阿久悠で、自身の体験をモチーフにした作品ですから、物語そのものが面白いし感動的です。

 若くして、この世を去りましたが、夏目雅子は良い女優だったと思います。私と同世代ですから、生きていれば50才を超えています。本当に、美しい50代を迎えていたことでしょう。亡くなった頃に聞いた「彼女は、食べるように薬を飲んでいた」という、有名な映画監督の言葉が、私の心に強く残っています。急性白血病という、病気の恐ろしさと、治療の過酷さが思い浮かびます。

 余談ですが、丁度その頃、私の知り合いにも、急性白血病で亡くなった女性がおりました。年齢も近く、髪の毛が抜け落ちるような、過酷な闘病の様子も目の当たりにしましたので、忘れることの無い記憶として残っています。その彼女も、夏目雅子同様に、誰からも好かれるような、大人しいけれど明るい人柄でした。いわば、早世することを知っていたかとさえ、思えるようなところがありました。

 社会人になっても、暫く続けていたテニスのクラブに在籍していた人ですが、控えめな色白の笑顔を、今でも思い出すことができます。何というのか、きちんと育てられている感じがする人で、穏やかさの中にも毅然とした部分が、包まれているような印象でした。したがって、誰からも好かれるような人だったと思います。倉敷の病院で、病室の入り口で消毒をしてから、お見舞いしたことを思い出します。

 その人も、夏目雅子と同じ年の10月に亡くなられたので、私の中で思い出が重なっているように思います。女優夏目雅子は、その他にもたくさんの良い映画や、西遊記など印象に残るテレビ番組にも出演しています。夫であった、伊集院静氏の著書などを読みますと、短かった結婚生活のことや、発病してからの闘病生活、彼女が亡くなってからの寂寥感と、放蕩ともいえる生活などが伝わってきます。

 中でも、ボストンバックに大量の現金を積め、全国の競輪場を彷徨する様子などは、深い哀惜の情を感じます。それでも、不謹慎かもしれませんが、羨ましいような感覚を、感じてしまう部分もありました。伊集院氏の、薔薇とか檸檬とか漢字で書けるところが、夏目雅子の心象に響いたという件などは、何となく、リアリティのあるエピソードだなあと思いました。

 また今年は、心臓病のため10才で亡くなった従兄弟の33回忌もありました。思い出してみると、本当に素直で優しい性格の、男の子だったと思います。手術前に、「行きたくないなあ……」と呟いた言葉が、当時20才であった私の脳裏に焼きついています。彼は、その時のままの笑顔で、叔父の携帯ストラップの写真におさまっています。叔父の時計も、そこのところで止まっているのでしょう。

 なんだか、取りとめもない話になってしまいましたが、亡くなった人の時間はそこで止まっており、知っている人が生きている間は、その人を知っている人の中で生き続けているのだと思います。また、その記憶のしかたは、良いものばかりを選んで残すようなところが、人間にはあるのかもしれません。

 例えば、厳しかった父親についても、貧しくても媚ない生き方や、そんな暮らしの中で与えてくれた本のことなど、良い点だけが思い出されるようにもなりました。上手く言えませんが、醜態をさらしながらでも生き続けていくことは、楽しいばかりでは無いような気もします。せめて、きれいに先立っていった人達に、恥ずかしくないようにしなければと思うばかりです。

 そういえば、明日(9月11日)は夭折の名女優夏目雅子の命日です。ソレイユという言葉が、思わず連想されるような、輝く笑顔が今も思い出されます。


2009年 8月 27日          人との関わり  

         



  お盆を過ぎると、朝夕は少し涼しくなりました。それでも、日中の残暑は厳しいものがありますが、時折吹く風に、秋を探してみたりもします。いずれにしても、目の前の稲穂は頭を垂れようとしています。

 これは、いつも述べていることですが、本当に月日の経つのは速いなあと思います。私が、最初に技術士試験に合格したのは、20世紀最後の試験ですから、かれこれ約10年前のことになります。登録は01年で、直ちに日本技術士会と、暫くして岡山県技術士会に入会しました。その後、02年11月にこのH・Pを開設しました。それからでも、約7年が過ぎました。

 そして、これもいつも思うことですが、技術士となり前述したような活動をすることにより、本当にたくさんの知り合いや友人ができました。また、強く影響を受け、師と仰ぐような人にもめぐり合いました。結果として、あの真夏の厳しい試験を超えることができ、本当に良かったと考えています。今さらながら、受験を進めていただいたもう一人の師匠と、協力してくれた人々に感謝したいと思います。

 そのように考える時、縁というか、人と人とのつながりの大切さを強く感じます。人は、生まれる場所や家庭を、選ぶことはできません。また、生まれる時代を選択することも不可能です。本当に、偶然というか、たまたま今の時代のこの場所に、私は生きているだけのことなのだと思います。私が出会い、関係を深めていく人達も、同様にこの時代に生きているのでしょう。

 もし、今から十数年前に、「あんたも、受けたらええんんじゃ」と技術士受験を勧めてくれた人がいなければ、今日このようなコラムを書くことも無かったでしょう。たら・ればを語れば、私の人生は、本当にそのようなことの繰り返しです。もし、今から30年前に、フィルダムの現場で「技術者として生きなさい」と、叱ってくれた人がいなければ「技術者精神」など、考えることはなかったかもしれません。

 本当に、有難い出会いであったと思います。その他にも、多くの人々との出会いや、影響を受けるエピソードが、数多くあったと思います。一つ一つを挙げれば、本当に、枚挙の暇がないでしょう。自分自身で振り返っても、恵まれているように思います。不思議な位、肝心な場面で色々な人達にお世話になったように思います。

 それでも、手前味噌かもしれませんが、自負するところを述べるとしたら、それらの「有難い出会い」を、感じ取れることができた自分について、それなりの感性を備えていたのだと、思いたいと考えていますし、また、最近では思うようにしています。たとえ、千載一遇のような出会いやチャンスに遭遇していても、そのことを感じられる感覚が備わっていなければ、気がつかずに終わってしまうでしょう。

 そのような思いは、年齢を重ねれば重ねるほど、強くなっていくようにも思います。そのようなことから、いつの間にか役割が重くなっていく、地域での活動や技術士会等の活動などについても、気負うことなく取り組もうと考えるようになりました。今、自分がやるようになっているんだろう、と、いうような感覚です。

 そのように考えると、そこに集う人達が何を求めているのか、皆が考えているのはどのようなことなのか、ということについて思いをめぐらすようになりました。というか、それだけ考えていれば良いのだということが、解るようになったというべきかもしれません。そのうえで、「信無くばたたず」を肝に銘じておけば、シンプルに行動できるのだと思っています。

 後は、自分が進む道や、取り組むことのなかにおける様々な出会いの中で、めぐり合うことができる大切な人達と、その喜びを分かち合いたいと考えています。親しく、杯をあわせながら、充実した時間を過ごすことができれば、この上ない喜びを得られるでしょう。そうでなくても、お互いに生きているだけで、気持ちが通じ合える人もいるのだと思います。

 世の中の人は何とでも、何とでもいうがいい~、河島英五の「元気出していこう」という唄ですが、本当に、龍馬のように、我がなすことは我のみぞしるです。しかし、今日の酒は美味かった。気持ちよく酔っ払った~、という同じ河島英五の「旧友再会」のように、高い酒でなく「美味い酒」が飲めるような、人と人の関わり方をしていきたいなあと思います。

 たとえそれが、時代遅れであっても、人から野風増に見えても、ほろ酔いでやって行こうと考えています。


 2009年 8月 13日          旧盆雑考


 


  立秋を、過ぎてしまいました。しかし、まだ梅雨のような日々です。何となく、後味の悪いような感じがする、蒸し暑さが続いています。ともあれ、今年もお盆がきました。

 一年に一度位、先祖のことや、なくなられた人のことを思い出し、今生きていることへの感謝や、恥ずかしながら生きている自分について、自身の精神の内側を見つめ直してみるのも、意義があることだと思います。そのような意味から考えると、真夏の数日間仕事など休んで、故郷に帰って過ごすために、旧盆などという風習が残っているともいえるでしょう。

 せっかくですから、一日位は、先祖のお墓にお参りなどしても、良いのではないかと思います。また、例えば早世された友人・知己などのお墓に訪れ、在りし日の残像を偲ぶ時間を過ごす人もいるかと思います。心の、片隅にはあるけれど、普段は忙しくもあり、また、大仰な振る舞いなような気がして、中々できないようなことでも、お盆であれば、気兼ねなくできるようにも思います。

 それでも、休暇なのですから、家族や仲間達とレジャーなどに行くのも、結構なことだとは思います。しかしながら、まとまったお休みの中の一日位、そのような敬虔な気持ちになる時間を、過ごしても良いのではないかと思います。敬虔といっても、何も神仏などに限ることはなく、戦争や平和のことについて、深く考えてみるのも良いかも知れません。

 八月は、広島・長崎の原爆記念日や、十五日の終戦記念日などもあります。社会や、周りの様子を見ていると、本当に空恐ろしくなる位に、戦争や平和に対する人々の意識や関心が、低下しているように感じられてなりません。私のような、無頼というかやんちゃに生きてきた人間が、そのように感じるのですから、良識ある先輩方からみれば、戦慄するような状況かも知れませんね。

 先日も、地域内における子供達の挨拶や、態度について嘆いておられる人から、そのようなお知らせをいただきました。子供達に、注意をする前に、それを育てている親を何とかしなければ、問題は解決しないというのが、結論というか、共通の認識であるように思いました。

 本当に、その通りです。子供は、挨拶を返しているのに、側にいる親は知らん顔であったり、くわえ煙草で車を運転し、小さな子供を送迎している姿や、秩序を乱している子に注意すると、理不尽な逆上を見せる親など、今の、子育てをしている世代をみていると、到底頷けないような事例を多々見かけます。もちろん、ちゃんとした人もたくさんいるのですが。

 しかし、よく考えてみれば、そのような世代を育ててきたのは、私に現状を嘆かれた人や私を含めた、今の「大人」といわれる人達に他なりません。そのように考えると、ただ単に「今の親達は~」と嘆いているだけではいけないのだとは思います。一方で、聴く耳さえ持たないような人達に、どのようにコミュニケーションしていけば良いのかなどと、途方に暮れるような時もあります。

 もう少し、踏み込んで考えてみると、学校に理不尽な要求を突きつける、モンスターペアレントというような人達も、一朝一夕に、そのような人間になったのではないということです。教育は、国家百年の計といいますが、地域や学校がいくら頑張っても、寝食を共にし、生活を依拠している家庭や家族が、ちゃんとしていなければ(本当に、ある程度でよいのですが)、人間らしい人間が育つ訳などありません。

 例えば、誰も見ていなくても天がみているとか、そんなことをすると、罰が当たるとか、子供の頃に、訳もなく言い聞かされた言葉のフレーズは、私達の世代であれば、誰でも心に持っているでしょう。そのような、子供時代の生活を考えると、お盆になればお墓の掃除をして、家族でお墓にお参りしていたように思います。茄子にマッチ棒を挿して作ったお供えや、灯篭の灯りなどの光景が、蘇ってくるものです。

 それは、お盆に限ったことではありません。日常生活の折々に触れて、両親や近所の大人達などから、地域独特の文化や風習などを通して、基本的な倫理観や情緒感が養われていったのだと、私は考えています。夏休みの線香花火、浴衣姿の綺麗なお姉さん、明滅する蛍の灯り……それらは、子供の頃に見た光景だからこそ、今でも私の脳裏に、すうっと浮かんでくるものだと思います。

 「良い人が増えれば、社会コストは下がる」というのが、私が、普段標榜していることですが、回り道のようでも、良い人をたくさん育てる教育が、一番大切なのだと思います。そのように考える時、お盆の行事などをはじめとした、本来の日本人の精神性に根ざした、生活への回帰が必要なのだと思います。

 埒外を走るやんちゃ坊主でも、お盆位は、素直な気持ちになれるのが、この国の良さであったはずです。


2009年 7月 30日        拳闘譚




  終わらない長梅雨は、遂に名前がつくような豪雨災害を引き起こし、多くの犠牲者を出すに至りました。本当に、いつも思うことですが、残念ながら犠牲になる人は、弱い人達ばかりです。

 最近、私は週刊現代を読んでいます。それというのも、漫画あしたのジョーが、復刻連載されているからです。少年院に送られてくる丹下段平からの葉書を、心待ちにさえするようになったジョーの、ストウィックなまでの練習に打ち込む姿が、昔、少年マガジンをわくわくしながら読んだころを彷彿させてくれます。

 しかし、そのような情景を、今の時代に置き換えて考えることは、実際には難しいのかもしれません。当時の、力石徹や矢吹ジョーのように、ライバルに勝ちたいと願い、ただひたすら強くなろうと努力するようなお話は、見ているほうにも、それなりの我慢が要るものです。あしたのジョーのような漫画を読み続けるのは、そのような意味でスタミナがいります。

 何か、超人間的なパワーや才能を持った主人公が、非人間的とも思えるような力や技で、簡単に問題を解決していくような、昨今のドラマを見ている人には、漫画といえども昔の作品には、ついていけないのかもしれません。私の場合は、ボクシング漫画といえばあしたのジョーとがんばれ元気が直ぐ思い浮かびますが、リングにかけろというのもありましたね。

 あしたのジョーでは、拳キチと呼ばれる丹下段平が、ボクシングのことを拳闘という台詞がよく出てきます。ボクシングではなく拳闘です。まさしく、拳で闘うという字が当てられています。個人的には、良い文字が当てられているように思います。残念ながら、経世済民が語源にも関わらず、民のことなど忘れ去られてしまった経済という言葉のことなどを思えば、なおさらそのように思います。

 話は、それかかりましたが、私は拳闘(ボクシング)が好きです。男同士が、グローブ一つで繰り広げる真剣勝負は、本当に、胸をときめかせるものがあります。何よりも、優れたボクサーは美しいと素直に思います。今月も、帝拳所属の天才ホルヘ・リナレスや、名チャンピオンが多い日本の軽量級にあって、歴代でも最強なのではないかと思われる長谷川穂積の防衛戦などを見ました。本当に、良い試合だったと思います。

 つい先日は、もはやプロモーターとして一大勢力をなしているデラホーヤの秘蔵っ子といわれるビクター・オルティスとマルコス・マイダナのスーパーライト級の世界戦を見ました。1ラウンドにオルティスが先制ダウンを奪った時は、リナレスを凌駕する才能を感じましたが、その先制攻撃が油断となったのか、強烈な右ストレートを打ち込まれ、試合は一進一退となりました。

 結果的に、強打のマイダナが期待の星オルティスをTKOに下し、WBAのタイトルを手にしましたが、両者の良さが噛み合った、スリリングで見ごたえのある試合でした。敗れはしましたが、必ずオルティスは復活してくる選手であると、期待と願望を込めた予測をしておきたいと思います。

 以前にも述べましたが、今年はアジアから世界の星となったマニー・パッキャオとリッキー・ハットンの試合もありました。ミゲール・コットの再起戦や、ジャーメイン・テイラーの最終ラウンド逆転KO負けなど、面白い試合を見ることができています。フロイド・メイウエザーの現役復帰や、アンドレ・ベルトとの絡みなど、話題や興味は尽きません。

 本当に、そのような場面に登場してくる選手達は、鍛え上げられた美しい身体と、高額なファイトマネーを取るだけの、素晴らしいファイトを見せてくれるように思います。実際、一年に何回かしかやらない試合のために、どれほどの節制とトレーニングが必要なのか、そのように考えれば、割の合う商売ではないのかもしれません。アメリカにでも渡り、ラスベガスのリングにでも立たなければ、本当の意味での高額な報酬は得にくいと思います。

 それでも、命をやり取りするような凄絶な総合格闘技などよりも、長い間時間をかけて築かれてきた完成度が、ボクシングにはあるのだと私は思います。もちろんそれは、時代と共に変わっていくのでしょう。例えば、アリとフレイジャーの評価のように、私の中での、ものの見方も変わってきました。今でも、故郷のフィラデルフィアの小さなジムで暮らすフレイジャーの姿に、ミリオンダラーベイビーのモーガン・フリーマンが重なるように思いました(NHK特番より)。

 最後になりますが、あのデラホーヤに2度勝ち、アントニオ・マルガリートを倒したシェーン・モズリーが2回とも勝てなかった、元チャンピオンのバーノン・フォレストが強盗との撃ち合いの末、死亡したというニュースは本当にショックでした。改めて、銃社会アメリカの怖さを感じました。個人的に、好きな選手だったので、本当に残念です。合唱。

 
 

2009年 7月 16日        フキの唄


 


  蒸し暑い日が、続いています。7月も、半分が過ぎ、もう直ぐ夏休みがきます。雑多な忙しさの中で、時間が過ぎる早さだけを、切実に感じる日々に変わりはありません。

 また、吉田拓郎がコンサートツアーを中止しました。どうも、体調が思わしくない様子です。トイレに隠れてまで、ハイライトを吸っていたというほどの愛煙家であったことも、肺や気管支系統へ、大きな負担をかける要因であったのだろうとは思いますが、06年に嬬恋で見せた元気さと、先ごろ発売された「午前中に…」というアルバムなどから、健在振りを頼もしく見ておりました。

 その、最新アルバムの中に「フキの唄」というのが収録されています。求めすぎず、今ある喜びを素直に受け入れる、というような内容の唄です。昭和21年生まれの、吉田拓郎が子供だった頃、日本は貧しくひ弱であったのだと思います。その12年後、高度経済成長が始まる頃に生まれた私でも、そのような実感を記憶しています。

 何よりも、平和が大切でありました~という歌詞は、本当は、今の時代に問いかけられているのかもしれません。春になれば、蕗や筍が生えてきます。かつて、食料が乏しかった頃は、その蕗や筍が毎日食卓に上ったものでした。というか、それしかないので、そればかりを食べるという日々であったのだと思います。

 本当に、嫌になるほど毎日食べたことを、私も思い出しています。しかしそれでも、質素なおかずでも白いご飯が食べられれば、皆一様に幸福な気持ちになれていたように思います。そんな、うんざりするほど食べさせられた蕗や筍や蕨なども、夏や秋には食べられなくもなります。それこそが、実は旬の味だったのでしょう。

 例えば、夏の川で取れる鮎の味や、秋の山で取れる松茸の香りは、今となってはとても高価のものとなってしまいました。けれども、私が子供の頃には、近くの川や山などから、ごく普通に手にすることができていたように思います。それでも、今食べるそれらのものよりは、その頃のもののほうが美味しかったような感じもします。

 トマトや胡瓜などの野菜、それからうなぎの蒲焼など、少し考えただけでも、季節に関わらずいつでも食べられる今の方が、不味くなったと思われる食べ物については、枚挙のいとまがありません。短い旬の味は、その季節まで待てば良い~、本当に、その通りだと思います。ものが無くても、足りないものばかりでも、心が貧しくならなけりゃ良い~、本当に、それで大丈夫なのだと思います。

 見せ掛けというのか、表面上は何でも揃えられているように見えますが、よく見ると偽物ばかりが溢れている今の時代こそ、本物の職人が作った道具を大切に使い続けるような、そんな気持ちが必要なのではないでしょうか。その季節でなければ食べられないものならば、その季節を待てば良いのだと思います。

 人は皆、それぞれに年を取り、考え方や感じ方も変わっていくのだと思います。「朝までやるよ」と吠えていた吉田拓郎は、「朝までやらなくても良いよね」と嬬恋で、自分を振り返りながら語っていました。そして、63歳になった今年、日々の暮らしの中で感じたことを、素直に曲にしたアルバムを出したのです。

 「ガンバラナイけどいいでしょう」や、「真夜中のタクシー」など、本当に、普通の暮らしの中から生み出された唄なんだなあと思います。考えてみれば、日常の生活を通して感じることを、唄にし続けてきたのが吉田拓郎なのだと思います。初めて聴いた小室等が、意味不明で不快な曲だと評したイメージの詩は、今でも人の心に迫る力を持っている曲です。

 頭で、考えるのではなく、感じることが大切なのだと思います。そのようにして、吉田拓郎は等身大の自分の感性から、多くの人の心を揺さぶるような楽曲を、次々と生み出してきたのだと思います。夏休みの思い出や、隣の町のお嬢さんとのエピソードは、誰の胸にもあることだと思います。彼の、曲の題材になっているのは、殆どがそのような日常に根ざしたものです。

 普通の人間としての、普通の感覚を備えているからこそ、吉田拓郎は、世の中にいる多くの普通の人の、心の琴線に触れる唄が作り続けられるのではないでしょうか。

 

2009年 7月 2日        土曜夜市


 



  ついこの前、田圃に植えたはずの苗なのに、もう今では、稲の隙間さえ見えなくなってしまいました。月日が経つのが早いのか、稲の成長が速いのか、それとも両方なのか、などと考えたりしています。

 先日、土曜日の夜に行われた、街頭パトロールに参加してきました。一応、土曜夜市というのが始まりますので、それにあわせて、地元の青少年健全育成会が主体となって行うものです。行ってみて、驚いたのですが、土曜日の夜であるというのに、郊外型大型店やスーパーなどへの、人出の少なさは、本当に侘しい感じさえしました。

 景気は、底を打ったなどと、言う人もいますが、地方経済の落ち込みというのは、想像を絶するものがあるように思います。それは、中央の高層ビル街の中で、いくら思い浮かべようとしても、けっして実感できないものであると思います。私も、時々は中央と呼ばれるところや都市部に出かけていきますが、景気低迷の影響は、田舎に行くほど大きく出ているように感じます。

 いつも、述べていることですが、欧米型資本主義に基づく、弱肉強食の経済活動の席捲による後遺症は、まだまだ回復基調などにはないように思います。それどころか、一層進んだ格差社会の現状をみると、真面目にやることが馬鹿らしくなるような、そんな気になる人が、増えていきそうな気配さえ感じます。事実、子供の状態の悪化を指導すべき、親達のレベル低下は空恐ろしいものがあり、その要因として、今日の経済情勢や、格差の拡大が挙げられると思います。

 近付く、衆議院選挙を睨み、地方への財政・権限の移譲、官僚支配による中央集権体制の解体など、耳に優しい言葉が飛び交っています。しかし、実際に今日の政治家達に、そのようなことができるのでしょうか。深刻な問題として、今の、地方経済は本当に疲弊しています。それは、理屈や数字の解析ではなく、町に出てみれば、肌で感じることができる弱り方だと思います。

 私が、子供であった頃、いや、少なくても昭和の時代には、地元の商店街には、まだ活気があったと思います。土曜日の夜には、夏の恒例行事である土曜夜市が行われ、どこからとも無く集まってきた人たちで、商店街も大型店も、とても賑わっていたように思います。家族連れや友達同士、カップルなどが思い思いに、夏の夜を楽しんでいる光景が見られたものです。

 けれど、ここ数年、街頭パトロールだけでなく自らの意思でも、土曜日の商店街や地元の大型店に足を運んでみますが、活況を呈しているのは、ほんの一部の「勝ち組」店舗でしかありません。その、勝ち組の商業施設においてさえも、かつての土曜夜市のような、圧倒的な活気などは、感じられないように思います。

 考えてみれば、そのような現象になるのは当然のことかもしれません。まず、人間は生活していくことが第一なのですから、今のような景気の時に、贅沢をしたり、浪費をしようとする人間が、少ないのは当然のことでしょう。特に、私が住んでいるような地方都市においては、いくら目先を変えて、新しいお店(商業施設)をつくっても、結果はあまり変わりません。

 つまり、既定のお客の、奪い合いをするだけのことです。消費者を、買い物に行かせるための、収入を得る場所が増えないのに、買い物に行く人が増えるわけなどないのは、誰が考えてもわかることだと思います。さらに、現在行われているような、全ての業種における価格破壊によって、地方における実質賃金は下がり続けてもいます。

 そのような、背景を考えれば、地元の商店街や大型店舗が、閑散としているのも頷けるように思います。かつて、賑わいを見せていた近所の大型店の前で、たこ焼きや、たい焼きなどの夜店の人たちが、僅かばかりの買い物客を相手に、声をかけているのを見ると、こちらの方が申し訳ないような気さえしてきます。

 商店街に、活気があった頃は、人と人が密接に関わりあいながら、経済活動が行われていた時代であったと、いえるのではないでしょうか。少なくとも、私は、そう考えています。夏の夕暮れ、商店街の土曜夜市の灯りに誘われ、胸をときめかせながら出かけていった、そんな少年時代が、本当に懐かしく思い出されてしまいます。

 私と近い世代の人であれば、土曜夜市に関して、胸の時めくような記憶や、ほろ苦い感傷の記憶が、誰の心にも、何がしか残っているのだと思います。


2009年 6月 25日        蛇蝎のごとく




  梅雨の季節になりました。私の住んでいる地方も、一応入梅はしました。しかし、それ程雨は降りません。今年は、冬の雪も少なかったので、川を流れる水も一際少なくなっています。

 相変わらず、多忙な日々を過ごしております。それも、どちらかといえば、自分のこと以外のことで忙しくしているように思います。もちろん、自分で判断した上で、その忙しさを選択し、受容しているのではあります。それでも、人間の精神と身体というものは不思議なものでもあります。主体的かどうかに関わらず、疲れやストレスは溜まってしまうものです。

 疲れた時や、ストレスを感じるとき、人にはそれぞれその、解消策があるのだと思います。例えば、会いたい人に会うとか、酒を飲む、ギャンブルをやる、それらを複合して行うなど、本当に人それぞれだと思います。中でも、手っ取り早いのはアルコール系ですが、私も、それを中心にしてですが、色々なことをやるように思います。

 また、心のささくれを感じるような時は、それを癒すような文章が、読みたくなったりもします。例えば、司馬遼太郎の随筆や向田邦子の小説などが、私の場合、それにあたると思います。司馬さんの、歴史解説を通した人生観などに触れると、本当に「以下、無用のことながら」というような気持ちが、こちらにも湧いてきます。誰かに、理解してもらおうとか、褒めてもらおうなどと、考えなくても良いのだ、という気持ちが蘇ってもきます。

 一方、普通の感覚を持った人間による、ドラマの機微に触れることで、心の中のとげが、丸くなるような効果があるのが、向田邦子の小説だと思います。悪い人が、一人も出てこないのに、傷つく人や泣く人ができてしまう。それは、人間同士による、感情の関わり方に基づいて起こるものだと思います。そこの、距離感や強弱の違いに依存する部分について、絶妙のバランスで描かれているところが、向田さんの小説の魅力だと思います。

 長年、放送作家としてシナリオを書き続けられた下地が、そのような人間模様を、描き出すことに役立っているのだと思います。しかし私は、向田さんの魅力はそれだけではなく、育ちの良さに裏付けられた、魅力的な人柄にあるのだと考えています。「育ちの良さ」というのは、閨閥というような意味ではなく、ちゃんとした両親にきちんと育てられている、という意味においてです。

 当然のことですが、両親がいなくては「良い子」は育たないという意味ではありません。当時は、当たり前だったのだと思いますが、昭和4年生まれの向田邦子は、父親の転勤に帯同して日本の各地に引越し、転校を繰り返しながら成長しています。そのような生活の中で、厳格な父やしっかりものの母から、本来の日本人が備えるべき、人間性を育まれたのだと思います。

 ミーハーな感覚で述べれば、何よりも、向田さん本人が美しく、女性としての魅力に溢れていることが挙げられます。独断的ですが、外見的(物理的)にいくら容姿が整っていても、中身から輝かない人には、他人を魅了する魅力は備えられないとも、私は考えています。そのような視点から見ると、向田さんは、生きておられれば今年で80才ですが、今でも魅力的な女性であり続けていたのだと思います。因みに、彼女は昭和4年生まれですから蛇年です。

 私も、向田さんが不慮の事故で、この世を去った年齢に達してしまいました。にも関わらず、私などはまさに「蛇蝎のごとく」といった感じの、そんな人間にしか、なり得ていないのも事実です。そもそもが、埒外を走っている駄馬というか、煩悩の塊でしかない存在です。考えてみれば、目先のことに追われ、無為な日々を積重ねて来ただけの人間が、30年以上も前に書かれたドラマの中に、心を癒されているような次第です。

 さらにいえば、生い立ちにも起因していますが、私は、日本語というものが好きです。したがって、活字を読むことが好きな人間でもあります。ストレスの解消、と、いうような意味から本を読んだりもします。そのようなことをすれば、余計に疲れるという人も居るかもしれませんが、とにかく、私にはそのような一面があります。言い換えれば、文字の持っている力は、大きいんだなあとも思います。

 人は、煩悩により蛇や蝎のごとくに振舞うことがあるのだ(こころは蛇蝎のごとく)と、親鸞聖人も述懐されています。そのような、蛇蝎のごとし存在であっても、そのことについて、自ら慮らないよりは良いのではないか、と、考えることにしたいと思います。取りとめのない文章になりましたが、文字には意味があり、綴るからには、伝える何かを込めたいものだとも考えています。

  


2009年 6月 4日        絵空事でなく




  6月になりました。忙しい合間を縫って、僅かばかりの水田に田植えをしてきました。田舎の農業は、食糧生産だけでなく環境の保全など、本当に多面的な意味合いを持っているのだと思います。

 5月は、総会月などとも呼ばれ、あちこちで、様々な団体の総会が開催されます。私も、色々な団体や組織の総会にたくさん出ました。まだ、これからの予定も入っています。「宛て職」などというものもありますので、年々顔を出す会合も増えているように思います。岡山県技術士会の総会も、5月22日に開催されました。

 技術士会という組織は、不思議な組織でして、全国を統括している日本技術士会の組織率は、以外にも極めて低いものです。中国とか近畿という風に、支部単位までは中央の技術士会の傘下に属した形となっていますが、各県の単位になると、それぞれが任意団体のような形となっているのが現状のようです。同じ中国地方でも、活発に活動されている県や、それほどでもない県など、温度差がかなりあるように思います。

 岡山は、どちらかといえば低調な県になるかもしれません。建設部門が主体であることは、どこでも同じだと思いますが、公務員の倫理規定や、現役世代の多忙さなどが、技術士会の集まりや催しへの、出席率の低調さの原因であると考えられています。それでも、私は、できるだけ顔を出すように心がけているつもりです。

 とにかく、誰かが何かをやらなければ、何も始まらないと考えるからです。さらには、これまでお世話になった恩返しや、先輩技術士の方々が持っておられる技術者精神を、若い人たちにきちんと伝えたいと考えているからです。その、先輩技術士の中には、今私が受験指導などをやっていく上で、最も影響を受け、尊敬している人がいます。

 以前にも、その人のことについては触れましたが、私が、「先生」と面と向かってお呼びするのはその人だけです。そもそも、一部の集まりなどにおいて、お互いを先生と呼び合うようなことには、本当に違和感を覚えてきたものです。本来、職業や資格によって先生と呼ばれるような人は、よほど自身の身の処し方について、律する必要があるという風にも、私は考えています。

 話は、岡山県技術士会の総会に戻りますが、久しぶりに先生と一献交えることができました。また、しがらみを越えて参加していただいた人たちも、数名おられました。年々、地盤沈下といった感じで、停滞していくような状況の中で、少しは心を強くすることができたようにも思います。役員の一人として、責任の一端を感じたことはいうまでもありません。

 「顔もみずにやるのか?」という先生の言葉もあり、受験指導に関しても、最近ではスタンスをシフトしておりますし、なるべく数も絞る方向にしています。それでも、「顔を見ない」ことによる不都合やフラストレーションは募るものです。「そろそろ、もういいかなあ」と、この頃考える理由は、そのジレンマによるところが大きいのかもしれません。

 現在の我が国は、百年に一度の経済危機とか、未曾有の不況といわれています。建設部門においても、こんな時代が来るとは思わなかった、と、いう話を見聞きする位です。それは、有力企業(ゼネコンもコンサルも)の営業や技術の中枢にいるような、人たちからの声だったりもします。本当に、手に職を持っていれば良かった時代は、どこにいったのかと思います。

 そのような、今の時代だからこそ、「まず、技術士になって、それから世の中の役に立つ技術者をめざせ」というような、悠長な気分にはなれないことも事実です。そもそも、そのような志を備えていないような人が、ネット社会を要領よく利用し、小賢しく立ち回って資格だけを取得しても、どれほどの意味があるのかとも考えてしまいます。むしろ、回り道でも志を問い続けたい、と、思う気持ちが強くなるばかりです。

 少し、悲観的で辛辣な文章になってしまったかもしれません。それでも、強ち本音でないとはいえません。もう少し、踏み込んで言えば、世の中の現実は、表面で論じられていることよりも、ずっと複雑で厳しいものがあるということです。きれいごとだけでは済まされないし、切実な現状のなかで、それぞれが必死に生きていることに、違いは無いのだと思います。

 特に、地方の現状は、厳しいものがあると思います。だからこそ、性根の座った技術者に育って欲しい、と、願わずにはいられないのです。絵空事でなく……


2009年 5月 21日        人間次第なのでは




 陽射しが、強くなってきました。田舎の5~6月は、兼業農家(もはや、死語だと思いますが)には忙しい季節です。

 新型インフルエンザというのが、発生してしまいました。メキシコ・アメリカなどのアメリカ大陸から始まり、全世界に広がっていきました。我が国においても、兵庫県・大阪府など近畿地方を中心に感染者が確認されています。先日、城崎へ行きましたが、途中訪れた豊岡市のコウノトリの郷公園も、現在は休園しているようです。まさに、タッチの差でその辺を回ってきたような感じです。

 それにしても、水際対策と称して国内への侵入そのものを防ぐ、と、いった感じの頃の当局の対応は、凄まじいものがありました。マスコミの方も、感染者第1号が誰になるのか?といった類の野次馬的報道で、随分パンデミック危機を煽っておりました。しかしながら、感染者の症状や致死率などをみておりますと、普段の(という言い方でよいのかどうか?)インフルエンザと変わらないような気もします。

 また、海外渡航歴のないような高校生の感染などが報道されますと、既にウイルスは国内に蔓延しているのではないか?などとも考えてしまいます。データとしては、何人の人間が感染しているのかについて、正確に把握する必要があるのかもしれません。しかし、感染してからの症状も個人差があるようですし、弱毒性というのですか、それほど強力な伝染病でもないようにも思います。

 最初は、4月頃にメキシコ辺りで豚インフルエンザが発生し~などと騒がれ始め、WHOの新型インフルエンザとの公表によって、今日の騒ぎに至っているように思います。あちこちで、マスクが売り切れになるなど、熱し易い日本人の、象徴的な特徴が見えているようにも思います。一方で、本当に怖いのはこのウイルスが、どのように変化するかわからないものである、ということだと思います。
 
 正確な情報提供と、冷静で適切な対応が必要なのだと思います。しかし、感染者数の公表状況や、感染者への対応、予防対策などをみておりますと、国によってばらばらな感じがします。また、いかに人類が多様な価値観や判断基準を持ち、複雑な形態で存在しているのかがわかるような気もします(いい意味でも悪い意味でも)。

 フェーズ4なのか5なのか?また、フェーズ6に引き上げるのかなど、WHOの会議そのものも多様な議論が続いているようです。何故、感染症の評価に、経済問題を含めた各国の思惑が深く影響するのか?よく解らないような話もきかれます。また、どのような名前を名付けようが、ウイルスには「知ったこっちゃない」ことでしょうし、「進化」を続けていくのでしょう。

 新型インフルエンザにしてもそうですが、タミフルなど対象療法的な対応や対策はあるのでしょう。しかし、人間がそのような薬や治療法を考え出せば、病気のほうも進化するし、そうでなければ新たな病気が発生し続けてきた、というのがこれまでの歴史でもあると思います。いまでも、癌やエイズなど、人類が克服しきれない病気もたくさんあります。

 人は、得体の知れないものに対して、極端に臆病になるようなところがあります。また、一方で楽観的過ぎてしまうと対策が遅れ、甚大な被害がでることもあります。行政当局などは、慎重な対応を取らざるを得ないというか、そのような姿勢をアピールする必要があるのでしょう。

 しかし、この頃の報道を見ていて思うことは、政府や行政に、もともとそれほどの力があるわけではないということです。さらに、誤解を恐れずに言えば、何でもかんでも国に責任を押し付けるべきではないと思います。なるべく、人ごみの中に出ないとか、うがいや手洗いを励行するとか、自分でできることをきちんとやるべきですし、子供のために仕事を休んでも良いのではないでしょうか。

 またぞろになりますが、かつての日本人は、ことあるごとに行政や政府の支援を要求する前に、自分の力で生きていこうと努力していたように思います。だからこそ、一生懸命に生きている人を、見捨てない社会が存在していたのではないでしょうか。社会制度の改革や、保障の向上は必要なことだと思います。一方で、不正にそれを利用したり金儲けの手段にして、仲間の足を引っ張り、ひいては自身の首を絞めているのも人間です。

 いつもいっていることですが、良い人間が増えればセキュリティにかかるコストは減ります。さらに、セキュリティ以外にも相互扶助などにより、福祉にかかるコストも減らせるでしょう。権利ばかりを追い求め、目先を勝ち抜くためのノウハウの習得に、執心しぶつかり合うことを、自己責任による競争と呼ぶ社会が、本当に公平な社会なのでしょうか。

 良くも悪しくも、人間次第なのでは?


2009年 5月 7日        熱い闘志と、冷静な精神




 雨の度に、草が伸びる田圃は、ヤンマーの赤トラをまっています。5月になりました。外の陽射しの強さと、部屋の中の温度差に戸惑いながら、出て行くタイミングを計っています。

 5月3日に、マニー・パッキャオ対リッキー・ハットンのスーパーライト級の生中継を見ました。フィリピン出身で、今や、アジアではなく世界のスーパースターとなったマニー・パッキャオと、マンチェスター出身でそのファイティングスタイルもあり、イギリスで絶大な人気を誇るリッキー・ハットンの好カードでした。熱い闘志を秘めたパッキャオと、それを前面に出すハットンの戦いでもありました。


 元々、フライ級からスタートしたパッキャオに対し、ナチュラルなライト級の体を持っているハットン。その人気の理由でもある、前へ前へと出る攻撃的な戦いぶりを考えると、いかにスピードのあるパッキャオでも、ハットン相手に苦戦するのでは?という予想をしておりました。事実、専門家や解説者の間にも、そのようなコメントが多く聞かれていたように思います。

 ところが、怯まずに前進してくるハットンに対し、いきなりパッキャオが放つ右フックや左ストレートが、的確にヒットする展開に驚かされました。初回に二度のダウンを奪われたハットンが、2ラウンド終盤果敢に出て行くところ、パッキャオの必殺の左フックがあごを捉え、英国の英雄は仰向けに横たわったのでした。文句なしの、強烈なノックアウト劇でした。

 久々に、興奮した試合だったと思います。まさに、世界のスーパースターとなったフィリピンのヒーローに、拍手と敬意を送りたいと思います。また、敗れはしましたが、リッキー・ハットンのファイティングスピリットは、賞賛されるべきものであるとも思います。こと、ボクシングという視点から考えると、強いものを素直に受け入れ、きちんと評価し賞賛するアメリカという国の良さを感じます。

 一方、日本では横浜で、世界卓球が開催されていました。男子の水谷・岸川組が、日本勢では12年ぶりとなる銅メダルを獲得しました。余談ですが、ルール改正後、卓球は面白くなったように思います。女子では、石川佳純選手がベスト8に入って話題を集めていました。福原愛ちゃんも、平野選手も、思い通りの結果は出せなかったようです。

 それにしても、中国勢の強さが目立った大会だったように思います。苦戦はしましたが、私の大好きな張怡寧が世界チャンピオンになったことは喜ばしいことでした。何といっても、張怡寧の立ち居振る舞いの美しさは、他の卓球選手を圧倒的に凌駕しているように思います。また、戦う姿勢も堂々としており、相手を威圧するような仕草もみられません。

 ところで、その張怡寧の強さを考える時、また、日本選手との違いを考える時、冷静な精神に裏付けられ技量というものを感じずにはいられない気がします。張怡寧だけでなく、中国の卓球選手を見ておりますと、激しい闘志を前面に出して戦う選手もいますが、プレーに集中する時にはすうっと冷静になっていくように見えました。

 何か、根本的なところが、違うような気がしたのです。1球1球に対する集中力が、大分違うように思いました。それは、卓球をはじめたときから違うのか、厳しい生き残り競争の中で培われるのか解りませんが、どんな良いラリーをして惜しい1本を落としても、次のプレーに入る時には、もう忘れているような感じです。

 勝負に対する熱い心は、きっと胸に秘めているはずですが、プレーに際しては、冷静な精神をもって、1球1球ルーティーンと作戦を考えているような気がしました。そのことの、もっとも優れた実践者が、張怡寧選手に他ならないと思います。北京に、彼女がいるために多くの優秀な選手が、国外に活路を求めたともいわれています。それらの選手の多くが、ナショナルチームのメンバーとなるようなレベルの高さです。

 そのような、厳しい競争の中で張怡寧選手は、動揺の少ない冷静な精神を養ってきたのではないでしょうか。優勝が決まった後、四方にきちんと挨拶をし、愛らしく手を上げた姿に、女性らしい優しさも垣間見ることができました。親日家で、日本食も大好きだと聞きますが、何とも絵になる卓球選手だと思います。

 「みなさんの、期待に応えられなかった……」、「みなさんの、応援のおかげで勝てました……」と涙を流す福原選手や、石川選手をみていると、本当に、気の毒なような気もしました。彼女達に、冷静な精神を養えといっても、その時の都合で、過剰に持ち上げたり見捨てたりする、日本のマスコミの報道姿勢をみていると、暗澹たる気分にさえなります。

 そもそも、卓球というスポーツは、そうでなければ勝てないのかもしれません。あれほど、息詰まる好ゲームをした松平健太選手と馬琳選手が、試合終了時には軽く手を合わせるだけでした。例えば、テニスのナダルとフェデラーであれば、熱い抱擁をするでしょう。本来、そのような冷静な精神に委ねられた競技なのかもしれません。


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