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NO.20

2010年 6月 3日           予定調和
 

                    
 



 毎年のことですが、周囲の田圃には水が張られ、次々と早苗が植えられていきます。気がつけば、今年も既に6月です。少し、水路の水が、冷たいのが気になりますが……

 さて、タイトルの「予定調和」ですが、今回述べようとしているのは、もちろんライプニッツのモナドロジーによる哲学の話ではありません。現在の、我が国で予定調和といえば、大体予測どおりに物事が進む、というような意味で使われていると思います。物語やドラマにおいて、こういう展開ならこのようになる、というような展開の時に予定調和などといわれるようです。

 先日、ヒットメーカー秋元康氏のインタビュー番組を見ていたとき、彼が「予定調和にならない展開を意識する」というようなことを語っていました。つまり、見ている人に次の展開を読まれないようにすることが、興味をつなげる秘訣である、ということだと思います。やはり、独創的なものでなければ、他者を惹きつけることは出来ないということではないでしょうか(それを生み出すには、基礎という多くの引き出しが必要です)。

 最近は(以前からですが)、本屋でも成功した人の体験談やハウトゥー本が、たくさん陳列されています。そして、それらの本が良く売れてもいます。しかし、私の知性や感覚は、それらの本に触手を伸ばすことは無いように思います。誰かの成功例は、既に誰かがやったもので、使い古しのアイデアでしかないように思うからです。また、その本がたくさん売れていれば、それだけ同様の手法を駆使する人も増えるでしょう。

 そのような状況になれば、その手法を用いることによって得られるメリットも、それだけ分散されてしまうようにも思います。また、そもそも与えられている条件は、人により全く異なるはずですから、他者の成功例が、そのまま当てはまることの方がおかしいとも思います。
むしろ私は、その独創的なアイデアや考え方を抽出(紡ぎだす)するために、基本や古典に親しむことが大切なのだと考えています。

 ところで、先日、中国支部総会における記念講演で、広島工業大学学長の茂里一紘先生のお話を聴きました。「これからの技術者像~技術士会への期待」と題した講演でしたが、主に、技術者倫理に関する内容でした。なかでも興味深かったのは、新渡戸稲造の著書「武士道」に関する、抜書きと解説でした。もともと、原典は英語による著述で、国内でよく読まれているものは、その翻訳版であったようです。

 それを踏まえ、新渡戸が書かずにいられなかった(世界に向け)背景なども聴くことができ、大変面白かったです。よく、著書は「原典にあたれ」といいますが、茂里先生が初めに読まれたものも、近年の翻訳ものらしく、原典には無い翻訳者の意図などが投影されている、というようなお話もされていました。しかし、そのことを割り引いても、エッセンスから想起される新渡戸の、武士道に対する造詣の深さが伝わってくるようで、意義深い講演でありました。

 周知の通り、新渡戸稲造はキリスト者です。その彼が、英語により「武士道」を執筆するきっかけは、フランス人宣教師と並んで散歩していた時に「日本では、宗教をきちんと教えていますか?」と問いかけられ、そのようなことはしていない、と新渡戸が応答すると、その宣教師が歩くのをやめて「そんなことで、どうして倫理や道徳を子供に教えるのか?」と新渡戸に詰め寄ったというエピソードがあることを聴きました。

 その時、即答できなかった新渡戸稲造は、一方で、キリスト教のような絶対的な神が存在しない日本で、何故人々は高い倫理観や道徳を身につけられるのかについて、翻って考え直してみたようです。その時、日本には武士道というものがあり、それこそが日本人の知性と道徳の所産であるという事に気付き、そのことを世界に知らしめようとして、名著「武士道」を記したのだと聴きました。

 そのお話を聴き、少なからず我が意を得たりという気持ちを抱きました。考えてみれば、神という絶対の存在があれば、人間や法律は許しても「神」はお許しにならない、という教育方法が容易に成立します。その、絶対的なものとしての「神」がなければ、道徳心を教育することが不可能ではないか、と考える宣教師の考え方も理解できる気がします。

 それに対して、キリスト教のように、唯一つの神による絶対的な力を仰がずとも、人が見ていようがいまいが、自身を律する正義の道理を規範とし、高い自尊心に裏付けられた自己犠牲を身上とする考え方について、古来からの多くの故事(例えば、平の敦盛と熊谷次郎直実の話……)を引きながら、我が国に培われた武士道と、その派生効果について、情熱的に述べられているのが「武士道」という本になるのだと思います。

 目先のものや流行を追わなくても、読むべき本はいくらでもあるのではないでしょうか。むしろ、その方が予定調和の展開を、防げるのでは……


2010年 5月 20日           勘を働かせる  

        



 肌寒い朝と、汗ばむ陽気が、日替わりで訪れています。激しい温度差に、体がついていけないのは、自分のせいだと思いますが、どこか割り切れない気持ちが残ります。

 現在、宮崎では口蹄疫による甚大な被害が発生しており、先日東国原知事が、非常事態を宣言しました。まだまだ、終息したわけではありませんが、数百億円規模の被害が見込まれています。また、11万頭を超える家畜(大半は豚)の殺処分が必要なようです。処分された家畜を、埋める場所の確保さえ、容易では無いという話も聴きました。

 また、延岡市などでは、陸上に関するイベントが、中止されるというニュースも聞きました。被害者となられた農家の方々の、心境などを考えると、中止は仕方の無いことであるという、主催者の一人である宗猛監督(旭化成陸上部)のコメントがだされていました。なによりも、人の移動に伴う感染拡大の恐れは、当然懸念されるところです。本当に、一刻も早い事態の収拾と、復興に向けたあらゆる取り組みが、期待されるところです。

 ところで、マスコミによる事態の経過等に関する報道を見ておりますと、初期段階における対応の拙さというのか、リスク管理という視点において、危惧を覚えるような初期対応であったことが窺われます。実際、3月末に水牛について、4月9日には和牛について、口蹄疫を疑うべき事例が発見され、宮崎家畜保健衛生所が検査を実施していたことが、明らかになっています。その時既に、中国や韓国における発生事例に関する、情報は入っていたはずです。

 その後、16日以降に同じ症状の事例が報告され、病性の鑑定が行われた結果、ようやく4月20日になって公表され、対策本部が設置されることになったようです。もし、最初に「異常」に気付いていれば、約3週間のロスは無かったはずです。潜伏期間については、2-14日とか3-5日など諸説様々ですが、もはやパンデミックといえる現状を見れば、3週間も対応が遅れたことは、致命的であったといわざるをえません。

 初期対応、特に口蹄疫(被害が甚大で、感染力が強いこと。また「清浄国」の意味と意義など、念頭に置くべき事は多い)の感染に関する検査においていえば、まず、家畜の病性鑑定の実施に関する仕組みがどのようであったのか?ということが懸念されるところです。リスクマネジメントという視点からも、感染していた場合における被害の甚大さを考えれば、精密な検査を行うためのチェックシステムが、必要であったのではないかと思います。また、仕組みはあったようにも思います(あったはず)。

 それから、あえて言わせて貰えば、現場において「おかしい」と感じる勘が働いていない気がします。一見、精緻なチェックリストと矛盾するように思われるかもしれませんが、現象が起きている現場において、最も大切なのはそれを感じられる勘なのです。いくら、優れたマニュアルが有っても、携わっている人間に、その異常の兆しを見抜く力が無かったために、大きな災害の発生を引き起こした事例は、いくらでもあります。

 今日の、日本人を見ていると、本当に勘が悪くなっているなぁと思います。勘などというと、また、訳の解らんことをいっているとか、得意の精神論(それが無ければ、何を備えても無意味だと思いますが)かなどと揶揄されそうですが、本当に重大な場面で必要なのは、人間の持つ勘ではないかと私は思っています。日露戦争における日本海海戦において、対馬沖に進攻してくるバルチック艦隊を、迎え撃つことが出来たのは、多分に秋山真之の備えていた勘に委ねられ、支えられていたはずです。

 私は、国粋主義者ではありませんが、中国の艦船による沖縄付近における威圧的行動、韓国による竹島基地の増強などについて、脅威であると思いますし、何故、そのようなことに対して無関心な人が多いのであろうかと、この国の将来に対して、悪い意味で勘が働いてしまいます。それは、技術立国といいながら、貴重な技術や技術者について、殆ど無防備に流出させてきたことについても、案じ続けてきたことでもあります。

 簡単に、勘などといいますが、それが働くためには、圧倒的な量の基本訓練が必要なのです。それは、どのような職種やジャンルでも同じことです。また、実際の現場において、その基本訓練による成果を繰り返し試しながら、徐々に備えられていくものでもあります。さらにいえば、机上や画面の中におけるシミュレーションによって習得することは、極めて困難なものです(現実は、確率論や乱数表に支配されていないからです)。つまり、毎日が初めての体験なので、実戦的な勘が働かなければ対応できないのです。

 「何となく~」という風に、勘が働くためには、感性豊かな五感を備える必要があります。そのことによって、初めてシックスセンス(第六番目の勘)が研ぎ澄まされてくるのだと思います。実際、身体が疲れているときは、勘の働きも悪いでしょう。その、感性豊かな五感を形成するために、幼少年期から遊びや喧嘩を通して、肌で物事を感じながら育つことが大切なのです。私自身、振り返ってみても、自分の支えとして頼りにしているものは、自らの体験により、身体で覚えたこでしかありません。

 今期も、4連勝で名人位を防衛し、常にトップを走り続けてきた羽生善治名人も「最後は、自分の勘を信じるしかない」と語っています。そして、その勘が導き出した「強い戦形は美しい」とも話していました。


 2010年 5月 6日           闘志の源


 

 ゴールデンウィークですね。といっても、田舎の兼業農家であれば、たくさん、やらなければならないことがあります。里山や二次的自然は、都会の人の考える理屈だけでは、到底守れないものです。

 さて、小欄では毎年何回か、ボクシングの話題を取り上げています。年初から、5月の連休くらいにかけて、何試合かビッグマッチがありますので、大抵この時期に取り上げるようにも思います。その視点からいえば、今年は例年にも増して、多くの話題がありました。特に、あの驚異的な強さを誇っていたエドウィン・バレロの、死亡(自殺)の報道には驚かされました。

 つい先日のことですが、母国ベネズエラにおいて、妻を殺害した容疑で収監されていた留置場で、首吊り自殺したというニュースを耳にした時、本当に驚きましたし、残念で虚しい気持ちになりました。27戦全勝で、27KOという戦績もさることながら、その試合内容の凄さと、圧倒的な強さが強烈な印象として残っているので、その雄姿を二度と見られないことが、本当に残念でなりません。

 残念といえば、日本ボクシング史上でも、屈指(最強という言葉は、時代や比較対象など、色々な要素があるので、簡単には使えませんが、そう呼んで良い気もします)のバンタム級チャンピオン長谷川穂積が、敗れたことも残念な結果でした。相手のモンティエールは、某有料放送のエキサイトマッチにも登場する強豪選手ですが、一瞬の隙をつかれたような気もします。一方、リナレス戦の時もそうですが、ダブルタイトル戦における、日本のスピードキング西岡選手の勝負強さには、救われるものがありました。

 また、三月には、アジアから世界のスーパースターに、のし上がったマニー・パッキャオと、ジョシュア・クロッティの試合がありました。本当に、どこまで行くのかという感じの、パッキャオのファイティングスピリットには驚きと同時に、賞賛を送りたい気持ちになります。まさに、パウンドフォーパウンド(※体重換算当り最強:全階級押しなべて最も強いというような意味)を感じさせる試合振りでした。

 そして、この2日には、フロイド・メイウェザー対シェーン・モズリーの試合がありました。無敗の超スピードスターメイウェザーと、ハンドスピード最速といわれるモズリーの戦いでしたが、2Rの、おそらく生涯初めてと思われる、メイウェザーの顔面へのクリーンヒットの効果を生かせず、大差の判定でモズリーが敗れました。最も印象に残ったのは、2R終了後コーナーに引き上げてきた姿は、ダウン寸前に追い込んだモズリーの方が、圧倒的に消耗し余裕が無かったことです。

 逆に、2Rのモズリーの有効打が、メイウェザーの闘志とプライドに、火を点けたような感じもしました。自信を持って攻め込むメイウェザーに対し、見えない影に脅え続けたモズリーの姿は、今までに見たことも無いものでした。最終的には、スピード負けした状態でした。あの、チャンスであった2Rに、たたみかける攻撃ができるだけの、フィジカル的な能力を、モズリーは持ち合わせていたと思いますが、仕留め損なった時の不安が、彼の脳裏をよぎったのかもしれません。

 それほど、フロイド・メイウェザーという選手の、ポテンシャルが高いということだと思いますが、もしもハートの強さが逆であったなら、違った結果もあったのではないかという気もします。いずれにしても、レイナード、ハーンズをはじめ、タイソン、モハメッドアリなど、名だたる名選手や、ディカプリオ、マライヤ・キャリーなど、多くの著名人がリングサイドに集まり、世界中の注目を集めた一戦でした。(ファイトマネーは、メイウェザー21億円、モズリー7億円とか)

 結果的には、生意気で我儘なメイウェザーのキャリアを飾る結果となりましたが、個人的には、モズリーがその鼻っ柱をへし折ってくれるのではないかと、密かに期待して見ておりました。38歳というモズリーの年齢は、全盛期の体力を備えてはいなかったでしょうし、組み合わせの問題もあるのだと思います。たらればですが、デラホーヤに2度勝ち、マルガリートを打ち倒したモズリーが、2度とも勝てなかったバーノン・フォレスト(銃に撃たれて昨年死亡)のリーチがあれば……などとも思いました。

 すでに、準決勝ともいえる試合を勝ち抜いているパッキャオとの、ウェルター級最強を決める決勝戦が実現するかどうかさえ、「パッキャオが、血液検査に同意するかどうかだ」などと、インタビューに答えるメイウェザーの我儘に、またしても辟易とした気分を味わいましたが、本当に「勝てば官軍」なのがボクシングの世界ではあります。特に、アメリカという土壌では、その傾向は一層強くもなります。
 
 兎に角、まずアピールすることを是とし、一神教的な正義の名の下に、弱肉強食を正当化するアメリカ的思考は、私の理想とする、本来の日本人の精神性とは相容れないものですが、スポーツの分野における平等性、特に格闘技などに関しては、評価できる部分もあります。本当に、ラスベガスのリングでは、観客や視聴者を満足させるファイターでなければ、直ぐに見捨てられてしまいます。逆に、その期待に応えるものが、国籍・人種を超えてスーパースターにのし上がれるのです(フィリピン出身の、パッキャオは良い例)。

 そして、その「見るものを魅了するファイター」にとって、最も必要で大切なのが、折れない闘志の源(パッキャオやメイウェザーが持ち続け、モズリーが見失った)であることは、いうまでも無いことかもしれませんね。


2010年 4月 22日         IT時代における言葉の危機




 目まぐるしく変わる天候の中で、花吹雪を散らして、短い桜の季節が過ぎてしまいました。石垣だけの城跡に、薄ピンク色の花びらの敷きつめられた舗装道路が、ひっそりと続いていました。

 先日、言語により思考するというお話のなかで、藤原正彦氏の著書を紹介しました。その後、コラムをお読みいただいた知り合いの方から、柳田邦男氏にもよく似た内容の著述があると聞きました。さっそく、「壊れる日本人」「言葉の力、生きる力」等を読んでみました。言葉の大切さや、携帯電話やインターネットという、ITメディアへの依存に対して、明確な論旨の基に警鐘を鳴らされていました。

 前述の藤原氏同様、いかに人間が言葉によって物事を考えているか、また、その考える能力を高めるために、どれほど幼少年期における教育や躾けが大切か等、これまで私が、おぼろ気に感じていたことが、見事に文章化されている印象でした。また、絶対神のいない日本文化の素晴らしさや、あいまいとは良い加減という意味ではなく、物事は何でも白か黒に決められないものであり、相対的な評価や個性の大切さを踏まえた考え方であるという論旨は、まったく頷かされるばかりでした。

 さらに、グローバリゼーションとは、世界史を振り返れば、強大国の経済の論理と言語の論理と文化のスタイルが、弱小国のそれらを制圧していくのを、正当化する論理に過ぎないと、切り捨ててもいます。もちろん、好むと好まざるを別にして、グローバル化は進んでいくでしょう。だからこそ、多様性を認め個々を尊重しあう、あいまい文化(日本的思考)が必要であると、説いているのだと思います。

 科学万能主義の視点に立ち、近代合理主義が浸透している欧米社会の背景には、信者か異教徒かを峻別する絶対神があり、イエスかノーか明確な態度が求められるのが基本です。そのような土壌に、強い自我の確立を前提におく、西洋流の個人主義が加わる時、例えばがんの告知などでも、事実を極めてストレートに告げることになるのでしょう。そこに、患者が受けるショックなどについて、どれだけ慮ることができるのかは疑問です。

 終末期における緩和医療の問題など、人の死や人生について、深く携わってこられた柳田氏の言葉は、強い説得力と頷ける優しさに満ちています。
一方、インターネットやケータイへの依存による危険性についても、柳田さんは明確に指摘されています。特に、匿名で別人格になれるインターネットの世界では、どうしても自己中心的になりやすく、使う言葉も過激になりがちです。それどころか、いつでもリセットできる感覚は、自分を全知全能的なものに、勘違いさせてしまう可能性さえあります。

 そのような点は、私自身、自ら利用しながら感じていることですし、自分自身についても、十分に戒めなければならないと考えています。したがって、私は名を明かし、素性も公にしています。もともと、資格取得に際しての、自分自身の苦労を鑑み、同じ目標を持つ人の役に立ちたい、と、考えてこのHPを立ち上げました。今でも、その気持ちに変りはありません。しかしながら、中身は大きく変ったと思います。不特定多数を対象とし、顔も見ないで受験指導を行うことの、意義と危険性について、考えざるを得なくなってきたからです。

 不特定多数の、人を対象にしているからこそ、人物を見極めた上でなければ、お手伝いしない(関われない)という方向に、大きくシフトしてきたのが実感です。これは、常日頃から述べていることですが、もともと、技術者としての志や、倫理観を備えていない人が(備えられる可能性も含めて)、資格を取得してから、それらを備えられるとは、私には考えられないのです。だから私は、まず技術者としての志を問うことにしています。もちろん、技術士資格を金科玉条とし、訳知り顔で自説の能書きを振り回すために、このようなことをしているわけではありません。

 過激で攻撃的な言葉が、安易に使われているインターネット社会において、そのようなことを言うと、「ポジティブでない」ということになるのかもしれません。しかし、元々人間は多様な面を、持ち合わせて生きている生き物です。「いつも」家族を大切にし、積極的に誰かの役に立とう、と、考え続けているわけではないと思います。というより、誰もが「常に」そのように、考えている社会こそおかしいし、それならば、今日のように鬱病に悩む人が、増えたりはしないと思います。

 自分でブログを立ち上げ、自らの思いを書き込んでいけば、その舞台では自分自身が主役です。本当に、全能的な視点を得たような錯覚に、陥りがちになるのは容易に想像できることです。しかし、多くの場合、そこに書かれていることを読んでみると、他人に公開する必要があるのかと思われるような、日記的な文章が大半のように思います。もちろん、その「日記」に書かれた様子を見て、読んでいる人の慰めや励みになることはあるでしょう。しかし、私はどうしても違和感を感じてしまうのです。

 丁度、クリスマス時期の屋外を飾るイルミネーションのように、外に向かって「幸せ」をアピールする、欧米的な、「ポジティブ」な自己表現を、そこに感じるからです。むしろ、そのように感じる私の方が古いのかもしれませんが、世の中で、正しいことは一つではありませんし、方言をはじめとして、多様な個性や文化が尊重されることが大切だと思います。いかにも、「我に正義あり」といった感じで、「ポジティブな正論」を標榜することについて、強い違和感と危うさを感じるのです(余りにも、言葉が安易で軽すぎる)。

 もちろん、このようなHPをウェブ上に公開している時点で、私も精神的露出症(渡辺淳一的にいえば)ではあることは否めないでしょう。しかしそれは、いつものように棚に上げさせてもらいますが……

 
 

2010年 4月 8日           名こそ惜しけれ




 何やかやといっても、今年も桜は咲きました。本当に、突然思い出したように、一気に咲き誇っています。そしてまた、いともあっさりと、散ってしまうのでしょう。言葉に出来ない美しさと、切なさを残して。

 古来、八百万の神がおり、欧米やイスラム圏のように、一神教を持たないこの国において、人々の行動の裏づけとなる倫理観は、絶対神の存在する地域のような掟を破る罪と、それに対する罰というような理屈(理論)ではなく、共存している社会や周囲に対する恥を恐れるというような、情緒感に由来していたものだと思います。

 電車などに乗ったとき、お年寄りに席を譲るようなことは、かつての日本では、誰でもが教えられたはずのことです。しかし今、優先座席に平然と座り、携帯電話でのメールのやり取りや、ゲームに熱中している若者を、見かけないことの方が少ないような気がします。また、その電車の中では、女子高生などが制服姿のままで鏡を取り出して、余念なく化粧をしている姿もよく見かけます。

 そもそも、そのような行動を取っている彼らは、恥ずかしいという感覚を持っていないからこそ、平然として、そのような行動をとるのではないでしょうか。つまり、その年齢に達するまで、誰からも、そのような行為が恥ずかしいものであると、教えられずに成長しているのだとしか考えられません。もう少し、踏み込んでいえば、子供の時に躾けられていないから、例えば注意されたとしても、素直に聞くことが出来ないのでしょう。

 
本当に、ついこの前まではこの国の至る所で、大人が子供をしかり、頑固なご隠居達が、悪がきに睨みをきかせていたのだと思います。悪がきたちや、やんちゃ坊主達は、背伸びして大人の真似などをして、いたずらや悪さをしたものです。その時の、彼らの胸には、悪いことをしている意識や恥ずかしさが、秘められてもいたはずです。言い換えれば、そのようないたずらを繰り返すことで、やって良いことや悪いことの境界線を知り、人は成長していくものでもあります。

 叱る人や、怒ってくれる大人がいない社会では、子供達は成長の過程において、そのような価値規範を、身につけることもできないのだと思います。もちろん、子供を叱るためには、大人の側における覚悟も必要だと思います。自らの、身の処し方を省みる必要もあるでしょう。といっても、立派な人間でなければ子供を叱れないのではなく、感情の趣くままで良いと、私は考えています。

 もともと、大人の社会は理不尽なものであり、世の中は不条理に満ちてもいます。一定の常識や、高い倫理観に根ざしていれば、人により様々な考え方が、あって良いと思うからです。かつて、六十四州もあった藩制度のもとでは、独自に多様な学問が奨励され、各藩毎に高い精神性(武士としての)が育まれていったはずです。そのことは、武士だけに留まらず、商人や農民にまで拡がっても行きました。そのような中で、人に迷惑を掛けることや、潔くない行動を慎むような、恥の文化が醸成されたのだと思います。

 また、周囲を気にするような恥の文化は、社会全体の素養が高く、品格のある社会でなければ成立しないものでもあります。その視点から言えば、所詮法律などというものは、人間同士の諍いが解決しない時に、白黒をつけるためのものであって、高い倫理観や常識などという概念からは、距離をおいたものであると思います。「法に触れない」ことは、「やっても良い」ことにはなりませんし、いわんや、法に触れないことは「潔白」であるなどと、嘯く類のことではありません。

 武士道といえば、鍋島藩の葉隠れのように、解釈に危険性が伴うようなものもあります。しかし、義を重んじ名を汚すことを最も恥じる考え方は、鎌倉幕府以降、この国における武家社会を中心にして、育まれてきたものに他なりません。そこには、海を渡り、中国や朝鮮半島から伝わった儒教・仏教・道教などを初めとする異国の文化を上手く吸収し、独自のものに昇華させ、高めていった日本人の精神性が、込められているのだと思います。そのようにして「名こそ惜しけれ」という武士の精神は、培われたのだと思います。

 例えば、幕末や維新の頃、儒教に縛られ身動き取れなかった朝鮮半島と、儒教は取り入れても、独自に都合よく自国の文化にしてしまった日本では、欧米列強への対応などの面から、大きな違いがでたことは明白な事実でもあります。むしろ、鎖国であった江戸時代が、そのような文化を育んだともいえるかもしれませんが、罪とか罰というような一つの価値観に拠らず、公に対する恥を重んじる文化は、日本独特のものであったように思います。

 今日、権利ばかりを振り回す自由を目にする時、自由の裏づけとなる義務や責任は、どこにいってしまったのかと考えてしまいます。とりあえず、主張してみるというようなやり方(欧米的であり、中国的でもある)は、一見ポジティブに見えるのかもしれませんが、お互いを思いやるような考え方は、そこからは感じられません。よく、あいまいで積極性に欠けるなどと、日本人の態度をあげつらう人がいますが、私は逆であると考えています。

 礼儀や節度を大切にし、相手を思いやるような恥の文化、つまり「名こそ惜しけれ」という日本人の精神性こそ、世界に広めていくべきものではないでしょうか。


 

2010年 3月 25日           卒業式の涙




 汗ばむような日と、肌寒ささえ感じる日が繰り返されています。三寒四温というには、その差が激しすぎます。季節は、春になったようですが、それを素直に喜べない違和感が、心に残ります。

 私事ですが、相変わらず公私共に、多忙に過ごしています。特に、年度末から新年度にかけてのこの時期は、様々な行事などが目白押しです。色々な組織の役員会や会議、それから各種のイベントや行事などが、数多く書き込まれたカレンダーを眺め、ため息をついたりしています。それでも、新たな取り組みや、やらなければならないことは、増えていく傾向にあります。あまり、先のことを考えず、こつこつとやっていこうと、思ってはおりますが。

 そのような中、母校の小・中学校の卒業式に出てきました。出席した順番からいうと、中・小学校ということになりますが、卒業式というのはやはり感動的なもので、何度出席しても良いもんだなぁと思います。また、その年代毎に、それぞれ特徴が見受けられるものです。さらに、その場に身を置くと瞬時に、自分自身の当時の様子を、思い出したりするものでもあります(小学校の校歌は、昔のままなので、今でもすんなり歌えました)。

 つい昨日のことさえ、よく覚えていないこの頃ですが、不思議なことに、三十年も四十年も昔のことは、何故か鮮明に記憶しているものです。義務教育を受けた9年間は、振り返ってみれば本当に短い年月です。それなのに、どうしてあれほど長く感じていたのでしょうか。考えてみれば、同級生といっても学校教育法に基づき、4月2日~翌年の4月1日までという期間に、偶然同じ学区に生まれただけのことです。しかし、その同級生達が(男子も女子も)私の情緒感の形成に、大きく影響したことは事実です。

 ところで、私は随分頭でっかちで、ひねた少年であったように記憶しておりますので、卒業式で涙を流した思い出はありません。しかし、今年の中学校の卒業式で驚いたのは、泣いている生徒の数が多かったことです。もちろん、いつの卒業式でも、女子を中心に涙を流す生徒は見かけられます。また、そのような情緒感を備えて育つことは、良いことだと思います。それでも、今年の母校の卒業式では、その人数が、多すぎるような印象を受けました。

 そのことは、生徒ばかりではなく、保護者についても同様の印象でした。感性が豊かで、素直に感動できることは良いことだと思います。しかしながら、何か違うような気持ちになってしまったのです。まず、送辞を読む在校生代表の男子が、感激して言葉に詰まり、こみ上げてしまった辺りから、少し首をかしげてしまいました。ただ、本当に彼は、素直そうな良い子のようでしたので、このような言い方は良くないかも知れませんが、私の感覚の中に、在校生代表が泣くというイメージが無かったのです。

 そのことが、呼び水になったのかもしれませんが、卒業生代表の女子二人のうち一人は、答辞が読めない位に泣いていました。さらに、それに合わせるように、保護者代表の挨拶をされたお母さんも涙の連続でした。全体としては、本当に感動的で、良い卒業式であったと思います。しかしながら、言葉では上手く言えませんが、何か少し違う感じがしたのです。もちろん、ひねた自分の少年時代を、肯定しようとしているのではありません。

 どのような時代であっても、卒業式は感動的なものであると思います。また、そうであるべきです。特に中学校では、思春期をともに過ごし、最も強く影響しあう友人達とも出会います。男子とか、女子とかを意識した思い出も、この頃に初めて出来る人が大半だと思います。そのような、体験を基にしていうと、昔の中学生よりも今の中学生の方が、感性が豊かなのではなく、どこか浅いというか、脆いような気がしてなりません。送辞や答辞を述べる、自分の言葉に感動して泣いている姿は、美しいけれども危うさを感じてしまうのです。

 そのようなことは、日常でも感じることです。例えば、私達の少年時代の方が、やっていることは他愛無くても、感性に刻まれた記憶は深かったように思います。いまのように、携帯電話やメールの無い時代では、簡単な連絡や意思の疎通にも、ある程度の思慮の深さと、想像力が必要であったようにも思います。また、物が溢れている(本物かどうかは別にして)時代では、どんなものでも手に入れたときの喜びが、物の無い時代に比べると、極めて薄くなる気がします。

 この頃では、テレビを見ているとタレント等が、何かに挑戦していく企画などを見かけます。そのとき、一生懸命な自分の姿に、感動して泣いている姿をよく見かけます。企画としては、それを視聴者の涙に繋げたいのでしょう。少し前では、正月恒例のかくし芸番組で、収録の様子を取り上げることがありましたが、出演者達が努力した自分に、感動して泣いているのをよく見かけました。中々、上手く例を引くことができませんが、昔に比べ今の時代の方が、日本人の心が弱くなっているような気がするのです。

 単に、情緒感というのなら、大人の私達の方がむしろ多感であるかもしれません。小説を読んでも、ドキュメンタリー番組を見ても、ひたすら太鼓を叩く姿を見ても、私の目じりは熱くなることが多いです。しかし、理不尽で不正な相手と対峙している時や、逆境に直面した時に、私が流す涙は既にありません(極めて若い時代に枯れている)。一方で、人間らしさや優しさに触れるエピソードがあれば、ほんの些細なことで落涙してしまう一面も、持ち合わせているように思います(年のせいかも)。

 卒業式の涙に、重いも軽いもありません。それは、美しいものだと思います。しかし、胸の奥に深く感動を刻み込める感性を、しっかりと育んで貰いたいとも思うのです。


2010年 3月 11日          精神は、大地に根ざす。


 


 結果的には、予想通りの暖冬であったといえるのでしょう。この冬の雪は、山地での降雪量が、かなり少なかったように思います(当地方では)。都市に住んでいれば、それだけのことですが、田舎で米作りでもしていれば、水不足が気になるものです。

 冬、山に雪がたくさん降らなければ、夏になると水が枯れてしまうこと位、地方に住んでいれば子供でも知っていることだと思います。また、山に十分な降雪があったとしても、その山がが荒れた状態で、保水力の無い山であれば、通年的に安定して水を供給してくれる山とはいえないでしょう。それどころか、雪解けに際して土砂崩れや災害を、引き起こすことも考えられます。

 我が国の「美しい自然や里山」などと簡単にいいますが、それらの場所は、これまで人がそこに住み、手を入れ続けてきたからこそ、培われ維持されてきたものなのです。「そこを、何人が利用するんですか?」「その道路を、どれだけ通行するんですか」という風に、仕分けてしまえば、それらの場所は予算がつかないようなところばかりです。単に、平等にお金を使うなら、田舎の人を都会に移住させ、集約型の都市経営をやれば良いことになります。

 もう少し踏み込んで言えば、日本人全体が、東京を中心とした関東地方に集中して住めば、効率的な社会資本整備ができるでしょう。しかし、食料の生産や環境保全などの視点から考えれば、それがどれだけおかしな話かは、だれが考えても解ることです。何でも、お金で評価するしかない社会では、地球上の生命の生態系の中で、人間が占めている位置づけと役割さえも、見失われてしまうのだと思います。

 かつてこの国では、どんな田舎に行っても人が住んでいたし、そこには自然と共生した生活が営まれてもいました。人々は、米を中心とした農耕を、山間部の奥の方まで普及させました。それから、身近にある山や川から得られる自然の恵みについても、必要なものを必要なだけ享受する生活を、数千年にわたり営んできたのだと思います。今、そのような基本的なことが、壊れようとしています。

 この国で、営々として続けられてきた、自然と調和する生活の歴史を通して、山や川などの自然に対する、畏敬の念を持つアニミズムなどが醸成され、生きているのではなく生かされているのだというような、価値観なども育まれてきたのだと思います。そのことは、一方では宗教的思想の支えにもなっていますし、日本人の精神性というようなものの根幹を成してもいたのだと思います。さらに、台風や地震など、自然災害の多い我が国では、人智を超えたものとして、自然が位置づけられてもいたはずです。

 今日、二酸化炭素の排出権をやり取りするような議論を耳にすると、人間が何でもお金に換算して物事を評価し、その利益の奪い合いに終始している間に、地球そのものが生命を養う力を失うのではないか、とさえも考えたりします。当面の、排出量削減のために、現実的な取り組みとしてキャップ&トレードなどが必要なのでしょうが、そもそも、人間の理屈などとは関係なしに、宇宙や地球は存在しているのではないでしょうか。

 地球や宇宙などと、風呂敷を広げなくても、井戸や竃(へっつい※かまど)にも神の姿を見出してきたのが、私達の祖先であったのだと思います。私は、殆ど無神論者ですが、そのような自然に畏怖し、物事に感謝するというような概念という視座において、「神が宿る」ような感覚は理解できるように思います。また、山中の何気ない祠をみて、手を合わせたくなったりもします。

 大部分において、食べ物を粗末にしてはいけないとか、嘘をついてはいけない、或いはそれらの禁を犯すと罰が当るなど、幼少年期に叩き込まれた記憶により、私は、そのようなものの考え方をしているのではないかと思います。とはいえ、私は、思春期における強烈な自我の確立及び、それらが収まりきれない葛藤の発現として、埒外を走り続けたこともありました。また、そのことにより、多くの人に迷惑をかけたと思いますし、立派なことがいえる人間ではありません。

 それでも、いつとはなしにそのような気持ちが、自然に湧いて来るようにもなりました。三つ子の魂百までといいますが、幼少期における体験が、人間にとって如何に大きなものであるかと、この頃では考えたりもします。一方で、かつての日本では、どの家でも当たり前のように行われていたはずの、そのような親や年長者による戒めや躾けは、今日どれ位行われているのだろうかと、訝る気持ちが強く湧いて来るのも事実です。

 単に、親や祖父母などという、近い前代からだけではなく、この国を造って来た多くの先達が、身の回りの自然環境に畏怖と敬意を表した上で、その中で巧みに身を処しながら、長い年月を生き抜いていく過程において、日本人の精神性というものが醸成されてきたのだと思います。そのことは、武士道など独自に生成された文化と、仏教・儒教など多くの渡来してきた文化とを、見事に融合させて、独自のものに昇華させてきたことにも、結びついているのだと思います。

 上手くはいえませんが、今必要なのは、理屈を捏ね議論を戦わせることではなく、本来の日本人に戻る気持ちなのではないでしょうか。



2010年 2月 25日          土佐桂浜にて龍馬を想う




 気がつけば、2月もあと僅かです。日々に追われる暮らしを嘆きつつ、一方で、成す術も無く佇んでいるようにも思います。哀れというもおろかりというところでしょうか。

 先日、高知へ行って来ました。またぞろ、何のかのと理由をつけての、強引な計画の実行であったともいえますが、ともあれ、晴れた空の下に拡がる太平洋を眺め、豪快な波のうねりの音を聴きながら桂浜を歩くことも出来ました。殺伐とした出来事が、繰り返されてしまいがちな日常から、一時でも解き放たれたような気になりました。私の愛する坂本龍馬も、この雄大な太平洋を眺めて育ったのだと思うと、感慨もひとしおでした。

 まさに、人はその環境に大きく影響されて、成長していくものだと思います。南の空から降り注ぐ陽光を浴び、群青の上に銀幕を映して拡がる太平洋は、日本海とも瀬戸内海とも違う、独特の雄大さを湛えておりました。そして、吹き渡る風は2月の半ばながら、既に柔らかな春の温もりさえ含んでいました。本当に、中国山地の山間とは、まったく違う気候であることが、良く解りました。

 一方で、一度台風ともなれば、まともに暴風雨が襲うであろうことも、遮るものとてない長い浜辺を見ながら、容易に想像することが出来ました。黒潮が沖を流れ、冬でもそれ程寒くないのは事実でしょう。しかし、雄大な自然が身近にあるということは、それだけその自然の厳しさを、身近に感じることにも繋がるのだと思います。さらには、自然の偉大さの理解と、それに比べた人間の無力さについて、肌で感じながら成長することにも結びつくでしょう。

 そのような、自然環境の中で育ったからこそ、人間が決めた階級や身分制度などについて、如何にナンセンスなものであるかと、感じられるような感性を備えて、坂本龍馬は育っていったのかなぁ、と、太平洋を眺めながら思いを馳せてみたりもしました。いずれにしても、私の中にある龍馬像は、銅像や写真などに見る外見にはあまり依存しておりません。むしろ、司馬遼太郎の竜馬がゆくを夢中になって、読んで得た知識に根ざしている部分が多いと思います。

 非常に人気が高く、映像化されることも多い人物ですから、様々な俳優やタレントなどが演じていますが、そのどれもが私の龍馬とは、異なるものであることは言うまでもありません。それには、身長五尺七寸髪は縮れ毛で~などという文章から想起されるイメージが、私の中に龍馬像を構築しているからに他なりません。また、坂本の長泣き息子とか、寝小便たれといわれた少年時代こそ、最も愛すべき点であり、あかんたれの私が親しみを覚える点でもあります。

 そのように、大器は晩成で良いのだと、この頃では勝手に思えるようにもなりました。もとより、晩成といっても、功成り名を遂げるまでに、無制限に時間があるわけではないのが、人生であることは十分に承知しているつもりですが、とりあえず「そのうちに~」と考えてしまいがちなのも、人の世の常であることにしておきます。そもそも、本当に自分がやりたいことさえ解らないのに、それを形にすることなど、端から望めないことでもあります。

 この頃、朧げに「世の中の役に立つ」ことがしたいとか、そのように生きるべきであるなどと考えるようにまりましたが、生来の不埒者であることは否定するものではありません。まったく、時勢が変わったというのか、世の中がおかしくなってしまったのでしょう。私のような人間が、強い違和感と将来への不安感を覚える訳ですから、今の時代が良いのだとは、到底思えないのでもあります。京都の霊山護国神社で、また桂浜の竜馬像の前で、問いかける言葉は「こんな国にしたかったのですか?」という言葉です。

 大河ドラマでは、香川照之の熱演が「やり過ぎ」との声もあるようですが、上士に虐げられる下士の姿が執拗に描かれています。また、坂本龍馬記念館で見た高知城下の地図などからも、明確に居住区が分けられていた様子も見ました。そのようなことから、上士も下士も無く、はたまた武士も百姓も無い世の中を作ろうと、龍馬が考えたであろうとは思いますが、件のドラマの演出では、そのことがあまりにも露骨に見え過ぎのような気もします。

 
 そもそも、岩崎弥太郎の目を通した龍馬ではなく、坂本龍馬そのものを描いて欲しかったように思います。「二曳」の海援隊旗が、記念館の隅に陳列されていました。まさに、亀山社中から海援隊になり、龍馬が隊長と成り掲げた旗印が、白地に赤を二本横に曳いた二曳きの旗です。また龍馬は、隊士になる条件が脱藩者であったことなど、本当に自由と可能性に満ちた規約を策定しています。

 さらに、いろは丸事件のように、相手が大藩であれ万国公法を基に、堂々と渡り合い交渉に勝利した龍馬の精神は、多くの隊員や志ある人々に引き継がれてもいます。海援隊で、会計などを担当していた岩崎弥太郎が、日本郵船を起こし三菱の祖となったのは、あまりにも有名な話ですが、もし龍馬が生きていれば龍馬がやっていたであろうことを、岩崎弥太郎がやっただけのように思えるのは、私だけではないと思います。

 また、土佐藩船夕顔の中で、後藤象二郎とともにまとめたとされる船中八策の話も有名です。維新後の政府が、議会の開設や憲法の制定に苦労したことを考えると、議会の設立や、国防から経済を念頭に置いた外交などにも触れ、公明正大な見地から英断を求める(大政の奉還を念頭に置いているため)筆致は他に類を見ないものといえるでしょう。本当に、天がこの国の必要な時期にこの世に遣わし、ことを成し遂げたらいともあっさりと召し上げてしまった、と、司馬遼太郎が形容しているように、無私としかいいようがない人であったようにも思います。

 世の人は、我を何ともいわばいえ、我が成すことは我のみぞ知る。年を重ねるほど、この言葉が馴染んでいくように思います。本当に、我のみぞ知る、と、いった気持ちに支えられている自分がいます。


2010年 2月 11日          言語により思考する


 

 立春を過ぎました。大(?)横綱が節分の豆まきをキャンセルし、引退してしまうようなこともありました。こと、ここにいたりとか、遅きに失するという言葉が浮かびますが、指導者に問われる責任の大きさについて、痛感させられる事件ではありました。

 冒頭の、大相撲のことに関して述べれば、横綱の品格をとやかく言う前に、日本における文化としての相撲の、位置づけやあり方などについて、きちんと教育しながら力士を育てる必要があります。それは、外国人力士に限らず、日本人の若者についても同様です。何故、駄目を押すことや、ガッツポーズがいけないのか、夫々に意味があることなのですから、きちんと教えることが大切です。

 そもそも、相撲というものは単なるスポーツではありません。日本人の、精神性の根幹をなす部分である、礼とか節というものと密接に結びついてもいます。まず、そのようなことから、きちんと教えてあげる必要があります。そのことを怠り、成績を残したことにより、甘やかすことを続けておいて(興行的な、算盤勘定に基づき)、世論の風当たりが強くなったから、首を切るというのでは、本人が納得しないのも無理は無いかも知れません(テレビで見る限り、明らかに反省などしていない)。

 考えてみると、そのことは何も相撲界だけに限らないかもしれません。「忙しい」という、都合の良い理由をつけて、子供に向き合う時間を削り、公の学校などにその責任を転嫁しようとしている現代の親達の多くは、相撲協会に似ていると言わざるを得ません。むしろ、それより酷いケースも多々見かけてしまいます。礼儀や挨拶、日常的な生活態度などは、夫々の家庭で身に着けさせるものであって、学校などで覚えさせるものではありません(当然、注意や指導はするでしょうが)。

 その理由の一つとして、そのような日常生活に関することは、学校に上がる前にやるべきことで、小学生になってからでは既に遅いからなのです。むろん、そこからでも向上する子供はいますが、そもそも、六歳くらいまでに「人のいうことを聴ける」躾がされていなければ、到底そのようなことは望めないと思います。私は、繰り返して述べていますが、人間にとって教育(広い意味の言葉でいえば)というものが、いかに大切であるかということを思います。

 ついでにいえば、そのために幼少年期から、言葉をきちんと教える必要があるのだと思います。もう少し踏み込んで言えば、国語である日本語をきちんとやらないで、日本人としてのアイデンティティは身につかないとも、私は考えています。さらに言えば、今流行の幼少期における英語教育などよりも、もっと徹底して日本語を学ばせるべきであると考えてもいます。

 例えば、人がものを考える時、脳内ではその人の使う言語により、思考が行われているのだと思います。アメリカ人なら英語、フランス人ならフランス語という風にです。当然ながら、日本人なら日本語で、ものを考えるように思います。さらにいえば、東北の人なら東北弁、関西人なら関西弁というように、その範囲はさらに狭められるのではないでしょうか。つまり、私なら美作の国、作州弁に依拠した思考を繰り返しているのだと思います。

 そのように、人間は言語に依って物事を考えているわけです。同時に、情緒的な感覚についても、自らの用いる言語として感じるのだともいます。同じ「痛い」でも東北の人と関西人と私では、微妙にニュアンスが違うかも知れません(「痛い」には、個体差もありますが)。上手く言い表しにくいのですが、きちんとした言語を身につける過程において、その言語の背景にある文化や精神性が投影される、ということが言いたいのです。

 それは、言葉が日常の生活の中で用いられ、幼少期から成長していく過程において、常に影響を与えるからだと思います。おじいちゃんやおばあちゃんの昔話の声や、父親の叱る声、母親の褒めてくれる声……多くの言語に依る影響が、人間の情緒感を育成していくのだと思います。ぞんざいな言葉や、他者ばかりを非難するような言葉を、日常的に家庭内で使っていれば、そのような子供が育つことは、容易に想像できることです。

 以前、「国家の品格」の著者藤原正彦氏について触れましたが、教育に携わる人たちに是非「祖国とは国語」・「数学者の休憩時間」などの本を読んで貰いたいと思います。人間が、言語によって思考しているというような、私が生きてきた中で、おぼろげに思いついたようなことも、数学者としての視座から論理的に論述されています。また、イデオロギーや理論などでは、紛争は解決しないという話や、夫々の国や地域の持つ個性を大切にすることの意義などが、明確に論じられてもいます。

 そして、一連の文章の中から、父親である新田次郎氏の薫陶や残影なども感じました。どのような人でも、この世に生み育ててくれた人から、最も強い影響を受けるのだということを、強く感じています。そして、そのような人間らしい感性を備えて育った人にのみ、それに相応しい恩師とめぐり合うことが出来るのではないかとも思います。もちろん、大人がちゃんとしないのに、子供がちゃんとする訳などありません。最早、既に遅いかもしれませんが、少しでもそのようなことが出来ればとも考えています。

 攻守処を代えれば、前代と同様に「秘書がやったこと」で済むのであれば、庶民は何をしても良いのでしょうし、それを見る子供達に、国の指導者として何を指導するのでしょうか(余談ですが)。と、今、共通語で考えています。


2010年 1月 28日          感性のアンテナ




 長年の夢が叶い、岡山県の女子駅伝チームが、見事日本一になりました。選手全員の、笑顔で襷を繋ぐ走りが、印象的で良かったと思います。個人的には、マラソンを走っていた頃からの、山口衛里ファンなので、優勝監督インタビューを感慨深くみておりました。

 時々、私は「天の啓示」があって、例えば本屋では書棚の中から、手に取るべき本が浮き出てくるとか、何気なく、知り合いの店にいくと、岡林コンサートのポスターが貼ってあり、良く聞けば、それが30年ぶり以上の岡山でのコンサートであったり、コンサートの翌日に、テレビの「情熱大陸」で岡林信康が取り上げられたりするのである、という風に思っており、先日、そのことを、知り合いに話したら「それは、『天の啓示』ではなく、センサーによるものであろう」といわれました。

 まさに、天からの啓示は、少々大げさですが、私は、自分に影響を受けるような事象、例えばスポーツでも映画でも、何でもそうですが、そのようなものに遭遇した時に、そのようなニュアンスを感じることがあります。何というのか、自然に、そのように感じるのですが、具体的に形容することが、難しいのも事実です。確かに、そのようなアンテナを、そちらの方向に張っていなければ、そんな事象に出会うことも無いので、彼の言うようにセンサーの問題なのかもしれません。

 いわれてみれば、そのようにも思いました。しかし、そこで考えたのは、若いときはどうであったのだろうか?と、いうことです。例えば、私は読書にしても、系統立てて本を読んだことはありませんし、本当に、手当たり次第であったように思います。宗教・哲学・文芸・小説・詩集・伝記もの……興味を持ったものを、本当に適当に読んできたように思います。その頃、天の啓示を、最近のように明確に感じていたようにも思いませんが、振り返ってみれば、その年齢で読んでいて良かった、と、思えるものばかりではあります。

 それらの、一連の流れは、確かに何かに導かれるような、そんな感覚ではなかったように思います。かといって、何となく「匂う」ように、その欲求が湧き上がっていたのも事実です。そこで、今考えることは、天からの啓示のように感じる感覚は、年齢を重ねていくこにより、醸成されていくものなのか?また、年齢を重ねることに、密接な関係があるのか、ということです。さらに言うと、若い頃から、闇雲に蓄積してきたデータ(読書量など)が元になり、私の感性におけるアンテナを形作り、また、それを向ける方向を、示唆してもいるのではないか、ということを思いました。

 当然ながら、血統的に受け継いだDNAに根ざした個性や、資質に依存する性格もありますので、それら内在していたものと、後天的学習によって、蓄積されたものとの融合の結果が、今日の、偏狭な(謙遜して言えば。単に「頑固」というのも違うようなので)私の性格を形成しているのだと思います。いずれにしても、一人の人間が経験できることは、ごく限られているので、読書・観劇・鑑賞・観賞・観戦などを通した疑似的体験が、大切になってくるのだと思います。

 どのような、研究や技術開発でもそうだと思いますが、基礎資料や参考となるデータは、少しでも多い方が、抽出される解析結果や、そこから導かれる理論の、信頼性が高まっていくものであると思います。したがって、より多くの直接的な体験と、間接的な体験(疑似体験)を積み重ね、物事を判断していくためのデータを、少しでも多く蓄えることは、意義のあることだと思います。

 さらに、年齢を経て感じることは、蓄積された個々のデータは、単に保存されているだけではなく、感性という核を中心にして、夫々が複雑に干渉し合い、融合していくのではないかということです。一方で、ある程度の年齢に達したら、それなりのアンテナが出来てしまい、良し悪しは別として、いずれかの方向に向くようになることも、事実であると思います。

 それならば、やっぱり、感性という原子核が活発な若い時代に、より多くのデータ(直接的にも間接的にも)を炉の中に入れてやることは、意味があることだし、より良いアンテナやセンサーの構築に繋がるのではないかと思います。その意味で、その時にしか出来ないことを、精一杯にやることが、非常に重要になるのだと思います。本当に、「死ぬんじゃないの」と思う位、スポーツで練習できる時代は、振り返ってみても、ほんの僅かな期間しかありません。

 同様に、三国志や宮本武蔵を読んで、話の展開に引き込まれ、夜を徹して読みふけってしまう年代は、それらの物語を必要としている、年頃でもあるのだと思います。もちろん、それは何歳だからということではなく、そのような感性的年齢で、という意味においての話ですが。まさに、タイミングというのがあり、意外と、このことは大切な意味も持っています。人生においては、タイミングを逃すと、いくらお金を積んでも、取り戻せないものもあるからです。

 例えば、へとへとになるまで体を苛めても、涙が枯れる位に泣いても、復元できる体力や精神力を支えられるのは、若い時代をおいて他にありません。野球・サッカー・ゴルフなどのように、お金になるスポーツ以外でも、若い時代に、本当に一生懸命に取り組んだ人には、後に蓄積されるデータを、熱く融合させる感性が、核として備わるでしょう。体験を通して、私は、そのように考えています。もちろん、健闘した岡山の女子駅伝チームに、触発されている部分もありますが……

 地元テレビでの、優勝監督インタビューで「アンカーに襷が渡り、勝利を確信してトイレに行って戻ったら、後ろが迫っていて、焦った」という山口衛里監督の、天然の可愛らしさを特筆して、今回は終わりにしておきます。


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