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NO.22

2011年 3月 3日          タイミングと成り行き
 

                    
 


 雪がたくさん降り、寒かった冬が去ろうとしています。このまま、春になるとも思えませんが、随分暖かくなりました。別れと出会い、そして新たな決意など、人間界にも変化が生まれる季節です。

 高校では、もう済んだところもありますが、卒業式のシーズンです。最近は、毎年地元の小・中学校にお招きいただきます。子供達が成長し、巣立っていくのを見ることは、本当に感動的なものです。そして、そこには年齢を経てきたからこそ、感じることがあるものです。人生の儚さと、若さの素晴らしさについて、改めて考える機会にもなります。

 人は一人で生まれ、家庭という最小単位の社会の中で育ちます。それから、家を中心とした地域社会へと、生活圏を拡げていきます。しかし、画期的に生活圏が広がり、付き合う対象としての人間の数が増えるのは、学校というところに通うようになってからだと思います。まず、小学校に上がり、同年代を中心とした多くの人間と出会います。

 また、先生を始めとする、大人との関わりが一挙に増え、それまでに備えていた価値規範が、世界共通のものでなかったことに、初めて気付く(意識するかしないかは別として)ことになります。さらには、多くの同級生達と接触してみて、人間には個性があり、人は一様ではないのだということを、知らず知らずのうちに覚えていくのだと思います。

 そして、小学校の六年間、中学校の三年間は、在学中にあれほど長く感じたのに、過ぎてみればあっという間のように思います。考えてみれば、人生における決定的な出会いの序章が、この頃に起こることも事実です。私にとって、かけがえの無い友人や、ほろ苦い思い出、甘酸っぱいノスタルジーなどと、関連して記憶に残っている人達も、この頃出会った人の中にたくさんいます。

 人生が、出会いと別れの繰り返しであることは、いわずもがなのことです。しかし、そのことを通して、人は成長していくものでもあります。ある時期に、非常に密度の濃い付き合いをし、遠ざかっていくことなど考えもつかないような間柄であっても、年月が経てば、疎遠になってしまうことは良くあります。人生観の違い、或いは生き方の違いなどということが、その大きな要因となるように思います。

 それでも、その関わりあっている場面場面では、常に真剣に対峙しているのも事実です。さらに、取捨選択などという、ドライな感覚だけで判断している訳でもありません。少なくとも私は、そのようであったと考えています。結果的に、類は友を呼ぶというような人間関係を、自分の周りに形成・構築してきたようにも思います。

 そして、それらの出会いや別れの中には、後から考えれば運・不運というような要素が、多分に含まれていたようにも思います。また、その要素の中には、タイミングと成り行きというような言葉で、表される因子が大きく作用しているのだと思います。まさに、人との出会いはタイミングで、そしてお互いに影響し合うことは、成り行きによるものだからです。

 例えば、私が現在取り組んでいる自治会活動などは、本当に成り行きによるものに他なりません。当初から、志していたことではありません。しかしながら、手前味噌ですが多くのことに取り組んで、改革を成し遂げたこともたくさんあります(もちろん、改革はまだまだ半ばですが)。そして、この活動の中で多くの人と出会い、かけがえの無い知己を得ることにもなりました。

 さらに、技術士になってからのことは、過去に何度も述べておりますが、幅広い仲間や知人が増えました。何よりも、私自身が師と仰げる人との出会いも、2000年にこの試験に合格できたからこその、恩典であったと考えています。多くの人がそうだと思いますが、人生の中で「先生」と呼べる(そう、お呼びしないといられない)人に出会う機会は、そんなにはありません。現在、私が先生と呼ぶ人は、本当に数人しかいません。※働かない議員などを揶揄気味に、そのように呼ぶことは多々ありますが。

 その、タイミングと成り行きという概念は、非常に抽象的で、且つ言葉に表し難いものでもあります。それでも私は、確かにそのような概念を、大切にしたいと考えています。また、その判断を見誤らないように、それを判断する時の考え方を、単純明快(秋山好古の言葉でもある)にしておきたいとも考えています。というよりは、そのように筋を通しておかなければ、後々の後悔に繋がると思うのです。実際、この頃は、大分シンプルになってきたように思います。

 その、価値規範とする柱の一つが「世の中の役に立つ」ということであると思っています。


2011年 2月 17日          物事、それほど簡単ではない  

        



 とうとう大相撲は、春場所が開催されないというような、大変な事態になりましたね。十両力士などを中心とした八百長問題が、その要因であり、「膿を出し切らなければ、相撲はお見せできない」と、放駒理事長は会見で語っていました。野球賭博問題の「副産物」として表に出てきた力士同士のメールが、どうにももみ消せない火種になったということでしょうか。

 例によって「正義の味方」であるところのマスコミ(主に、テレビのワイドショーですが)は、声高に日本相撲協会の有り様を追及し、体質の透明化や健全化などを迫る報道姿勢を繰り返しています。本当に、喧しいことです。それでも、私などが知りうる情報から推測しても、八百長メールの内容から判断すると、それが行われていたことは、動かしようが無いことのように思われます。携帯電話を壊したりして、白を切る力士などを見ると、やれやれという感じですが。

 一方で、十両以上の厚遇と幕下以下の冷遇という、相撲界における待遇が、八百長を生む大きな要因であるなどと、まことしやかに述べる人も見られます。そもそも、十両になり「関取」と呼ばれなければ、名誉もお金も手に入れられないことは、出世を目指すインセンティブであって、それがあるからこそ頑張れる厳しい境界線のはずです。例え格差が少なくなっても、八百長をやる人はやるし、馴れ合いはなくならないように思います。

 また、相撲というものの捉え方に関する、我々の認識にも目を向けるべきでしょう。まず、そもそも相撲はスポーツなのか、ということを考えなければなりません。千年とか二千年とか、長い歴史に育まれた日本の国技である、というような言い方をしますが、私などのイメージでは興行(エンターテイメント)の要素が強いものだと思います。

 もちろん、部屋制度という封建的社会の中で、理不尽とも思える修行に耐え、徹底的に身体を鍛えながら、心・技・体を磨いていくという点においては、その通りであると思います。また、そのことが根底に無ければ、このようなことを論じる値打ちもなくなってしまいます。その上でいえば、相撲を、単にスポーツや格闘技と同列に考えて良いのか?ということがあると思うのです。

 昨今、ガチンコなどという言葉が良く使われています。もともと、相撲における真剣勝負のことをそのように呼ぶようですが、ガチンコがあるということは、そうでない勝負もあるということの裏づけにもなるでしょう。しかしここでいいたいのは、どのようなスポーツでも、八百長の疑惑はあります。特に、一対一で組み合う相撲では、やろうと思えば(お互いの意思が通じれば。或いは、譲る気持ちになれば、一人でも)できるでしょう。

 七勝七敗の力士と八勝六敗の力士による取り組みでは、実に七勝七敗力士が八割勝つのだというデータなどもテレビで見ました。「負け越したくない」ということにより出てくるアドレナリンだけではないなということは、誰にでも想像がつくことだと思います。しかし、私が当事者であったとしても、同じ相撲界に居り、普段しょっちゅう顔を合わせている間柄であることなどを考えれば、少し力を抜くような気持ちが出ることを、否定しきれないようにも思います。

 実際、子供の頃テレビで相撲を見ていて、本当に勝ち越しの懸かった力士は良く勝つなぁと思っていました。端的に、上手く表現できませんが、多くの相撲ファンはその程度のことはわかっている(許容している)のではないでしょうか。ただ、そのことにお金が絡んでいたり、取り仕切る人がいて組織的に行われているということになると、それは頷けない(許容できない)ということになるのだと思います。

 ガチンコということに関して言えば、総合格闘技とかUFC(かなり、ルール的に確立されてきているとは思いますが)などのように、本当に「命のやり取り」をするようなものを見なければ、満足しなくなっているファンや視聴者が増えてきていることは、紛れもない事実だと思います。私は、UFCなども見ますが、何となく後味の悪い「いやーぁ」な気分が残ります。一方で、プロレスの衰退は著しいものがあります。そのような意味からも私は、いつも述べているように、ボクシングに惹きつけられるのです(完成度が高いし美しい。※品の無いのもありますが)。
 
 そして私は、それらの格闘技と同じような視点で、相撲を語るべきではないといいたいのです。だいたい、いくら真剣勝負といっても、「命のやり取り」をするような勢いで15日間もぶっ通しでは、身が持たないというか、必ず怪我や事故が多発するでしょう。プロレスでも、時折事故が起きますね。したがって相撲では、勝負が決まるタイミングにおいて、お互いに力を抜くことも求められています。「体」があるとかないとかいうのも、ここに依拠していると思われます。

 何よりも相撲には、礼儀作法や立会いを合わせるとか、定量的に表せない日本的分化が集約されている部分もあります。簡素化されていますが、土俵入りや仕切りなどが残されているのもそのためです。単にスポーツとしてやっていくなら、随分味気ないものになってしまうでしょう。それら、多くの要素を考えて、どのようになっていくのが良いのかを、考えていくべきだと思います。

 「八百長は許せない」といきり立つ、正義の味方のワイドショー的な視点からだけでは、本当の意味の解決策は見出せないと思います。世の中、白と黒だけではないし、そんなに簡単に決められることばかりではありません。


 2011年 2月 3日          本の話(面白いかどうか


  

 温暖化を否定するような、寒い冬は続いています。それでも、節分を迎えました。私の枕詞で最も多いのは、時の経つ早さに嘆息するものかもしれませんが、本当に、ついこの前新年を迎えたばかりなのに、と、思ってしまいます。

 忙しく過ごしているから、時間が経つのが早く感じられるのだということは、頭の中では理解しているつもりです。しかし、時間というものを感じている感覚の方にも、年齢的な衰えというものがあり、年々そのように感じる度合いが強まるのだ、と、いうことについては、見て見ぬふりをする自分がいることも事実です。寂寥感ばかりでなく、時間の大切さを感じる気持ちも、強くなって来ているのだと思います。

 一方で、効率的に時間を使っているのかと問われれば、自信を持てないこと甚だしいのが事実です。真に情け無いのですが、こなさなければならない雑務に追われ、それ以外は思いつきに任せて流されている、というのが実体というところでしょうか。またぞろ天啓などと称して、行きたいところに行き読みたい本を読もうと企むような、内在する「虫」に単に振り回されているだけなのかもしれませんが。

 そのような意味からいえば、昨年の暮れに、本屋の文庫本コーナーを眺めていると「人質カノン」が「誰か Somebody」と呼びかけてくるようなことがありました。たちまち、宮部みゆきワールドに惹きこまれ、火車・理由・模倣犯と、代表作を続けざまに読んでしまいました。さらに、とり残されて・我らが隣人の殺人・返事はいらない・淋しい狩人と短編集に舌を巻き、かまいたちを読み、時代物も書けることを知りました。

 稀代のストーリーテラーという書評を、とこかで見かけましたがその通り、精緻で熟考されたプロットに基づく、巧みな文章力には驚かされるばかりです。無駄が無く、緩みのない文章でありながら、文字そのものから十分に映像を彷彿させる技術は、本当に卓越した技術だと思います。文章力にも、技術という概念があるのだということを感じました。

 どちらかというと私は、読物的なものを求めて小説を選んだりしませんので、これまで彼女の作品を読む機会が無かったのだと思います。実際に、流行っているものや売れている本には、殆ど手を出さないように思います。評判の高い作品であっても、文庫本になってから購入することが多いと思います。というか、殆ど文庫しか買いません。

 そんなわけで、本屋では大抵文庫のコーナーを徘徊することになります。作家名やタイトルを眺めているだけでも、かなりの時間つぶしが出来る才能(勝手に、そう呼ぶことにしています)も備えていると思います。そのようにして、本屋の文庫コーナーを徘徊しておりますと、時々前述したような「天啓」が訪れるのです(これも、勝手にそう解釈しているだけですが)。

 また、本屋にも不思議な縁のようなものがあって、世に棲む日々とか模倣犯のようなインパクトの強い本を、松山の明屋書店で買ったりしています。坂の上の雲フリークともいえる私が、松山に憧憬を抱くことは、ごく自然なことなのでしょう。それでも、言葉には上手くできませんが、私の内なる精神が欲求しているタイミングよろしく、彼の町を訪れる機会が来るのも事実なのです。

 そして、銀天街という商店街(かつて私の町にもあり、賑わいを見せていた商店街と同名。今は、見る影もありませんが)を歩き、明屋書店に入り、一段低い文庫コーナーに足を運ぶと、それらの本が「みみを揃えて」並んでいるわけです。この、みみを揃えていることも、私の触手を刺激した大きな要因であると思います。それでいて、昔ながらの本屋の雰囲気を醸しているというところも、明屋書店の魅力の根拠だと思います。

 例によって、自己中心的な話題に話がそれてしまいました。いずれにしても、とにかく面白い本を読みたいと思う気持ちは、年とともに強くなっていくように思います。同時に、ジャンルや方向性に拘る感覚は、年々薄らいでいることも確かなことだと思います。いつか、エンタメとかファンタジーとかくくる意味などない、面白いか面白くないかであるという、藤原正彦氏の言葉を引きましたが、本当にその通りだと思います。

 子供の頃の、床に油の沁みこんだ小学校の木造校舎の一角にあった図書室の記憶は、不思議と鮮明に残っているものです。その頃、胸を時めかせて読んだ早川書房のSF小説に出てきた火星人の、たこのような容姿の挿絵などは、いまでも目蓋に焼き付いています。また、学芸会の劇のネタ探しをしたことなども思い出します。考えてみれば、日常よりも「本の中の世界」の方に、私が癒される何かがあったのだと思います。

 私の中にある、文字を映像に変換させるような回路も、あの頃あの図書室で、植え付けられたものなのかもしれません。


2011年 1月 19日          田舎町での呟き


 

 本当に、寒くて雪の良く降る冬が、子供の頃を思い出すような冬が、久しぶりにやってきたように思います。今も、積もった雪が消えずに残っています。それでも、子供の頃はもっと寒かったのかもしれません。

 誰が始めたのか知りませんが、あちらでもこちらでもという風に、タイガーマスク現象が起きています。全国各地で、児童福祉施設などにランドセルや文房具、おもちゃなどの贈り物が届けられるというニュースは、既に、日本全国から聴かれるようになりました。世知辛い世情を背景に、心温まるような話です。日本人も、棄てたものではないなぁと、思ったりもします。

 少し考えてみれば、伊達直人とかタイガーマスクと名乗れば、自身の素性を明かさずとも、気軽に寄付や援助を行えるような気もします。逆に言うと、公共的な施設などに対して、寄付や援助を行おうとすると、どうしても構えてしまうようなところもあるでしょう。さらに、窓口や担当者と「手続き上」のやりとりをしなければならない煩わしさを、しなくても良い気安さがあるのではないかとも思います。

 金額的にも、法外な金額ではないようですし、相手が何を求めているのかを尋ねるわけでもありません。「子供達にランドセルを」という風に、自分が思いつく善意を形にして送り届ける、と、いったやり方が多いように見受けられます。私は、それで良いんじゃないかなぁとも思います。「不審な者ではありませんよ」という意味で、「タイガーマスク」と名乗ったりしてね。

 本来、この国の人々の営んできた暮らし向きというか、生きていく価値観や倫理観に照らしていえば、「働かざる者喰うべからず」というような、公に迷惑をかけない考え方と自身に対する責任感が、知識水準の高い低いに関係なく、人々の中に醸成されていたはずです。そのことが基底にあるからこそ、図らずも挫折した人や食い詰めた人に、社会は寛容さを持っていたのだと思います。

 自助・共助・公助などという言葉がありますが、まず自分自身を律し懸命に励むことを、人生の規範として位置づけることについて、共通した価値観として多くの人々が認識し合える国民性であったからこそ(おおっぴらに口にしなくても)、困っている人を助けるような心情を持つことが出来たし、数知れぬ美談を、歴史の中に引くこともできるのだと思います。

 つまり、自助→一人ひとりが自分に責任を持ち、自らの身は自らで守ることが基本です。その上で、隣同士や近所の仲間で、力を合わせていくことが共助ということになるかと思います。残念ながら、社会資本整備を担い治安を維持していく公の力→公助は、慢性的・構造的な不況と、それを背景にした逼迫する財政により、衰退の一途をたどっています。それを司る人達の質の低下が、一番の原因かもしれませんが。

 しかしながら、昔から営まれてきた日本人の生活を考えれば、公の力(お上の力を始めとして)に過度に期待したり、依存してきた歴史など、無いように思います。そもそも私達の祖先は、誰が見ていなくてもお天道様がみている、と、陰日なた無く努力することを良しとし、また、心に恥じない生き方を子供に教えながら、世代を繋いできたはずです。そこにこそ、形に表せない共助というものが、確かな形で存在していたように思います。

 今日、生きていくための小賢しいテクニックや、権利を武器に使うための知識偏重主義に基づき、子供を育てる大人がいかに多いかを、嘆かずにはいられないのは事実です。少し、荒っぽい表現をすると、いくら少子高齢化とはいえ、社会保障制度を悪用(都合よく使うことも含め)し、働かずに生活することを良しとし、またそのような人間によって、手当てを貰うために生まれたような子供が増えることが、この国の将来を明るくするとは考えられません。

 一方で、冗談ではなく地方の町に暮らしていると、過疎化と高齢化が目に見えて進んでいることを強く感じます。日に日に、疲弊していく故郷を目の当たりにし思うことは、私達の地域社会においては、都会の喧騒の中にいては到底実感できないほど、速いスピードで田舎の死期が近付いているということです。少し周囲に目を向ければ、消滅しそうな地域や集落が、いくらでも見つけられます。

 美しい棚田も、二次的自然の産物である里地・里山も、驚くような速さで姿を消そうとしています。さらにいえば、それらを支えてきた農地は見捨てられ、無残な耕作放棄地へと姿を変貌させています(加速度的に増えている)。また、それらの土地に根ざしていたお祭りなどの伝統文化も、維持していくのが大変困難な状況です。このまま、何もしなければ日本から「故郷の光景」は無くなってしまう気さえします。
 
 あえて言いたいのは、この国の多くの人に心を(日本人としての)取り戻して欲しいということです。美しい日本も、壊れ行く故郷も、日本人の所為によるものでしかないからです。

 
 

2011年 1月 6日          年初雑感




 あけまして、おめでとうございます。兎年の予兆としてか、年末の忘年会の後、同席していた人を送った帰りに、山中の道端で野うさぎの姿を間近に見ました。可愛げな所作は、想像以上でした。

 そのように、強く猛々しい感じがする虎と龍に挟まれて、兎といえば穏やかで優しいイメージですが、年初早々(正確には、年末からですが)山陰地方に大雪をもたらし、一時は国道に1,000台もの車が立ち往生する事態になりました。また、山陰本線も34時間ストップし、境港港などの漁船200隻が積雪で沈没するなど、多くの被害や影響がでました。実際に、大山ではスキー場の雪崩のため、4人が死亡する事故もありました。

 何よりもやりきれなく感じたのは、雪に埋もれたおばあさんを運ぶ救急車がその渋滞に巻き込まれ、搬送されたのは通報から5時間後であったこと、さらに病院で死亡が確認されたというニュースを耳にした時でした。確かに、想定外の大雪だったのだとは思います。しかし私は、一連の事件や事象をを見るとき、何か納得できないような気持ちになりました。

 それは、技術立国などといわれ、高度な社会資本整備が行き届いているはずの我が国の社会資本は、こんな雪でも降ればいとも簡単にその機能を失い、国民の人命や財産に大きな損失を与えてしまうということを、つきつけられたからだ思います。経済大国(もはや、虚ろな響きですが)日本の社会資本は、あまりにも脆弱でしかないということだと思います(特に、地方や田舎では不十分)。

 これは、何度も繰り返し述べていることですが、人口当たりに押しなべてお金を使う「平等」な考え方であれば、そのような不便な地域や田舎は不要なものでしかありません。極端な言い方をすれば、国民全てが関東地方に住むとか、三大都市に集まって生活すれば、効率的なことになるのでしょう。しかし、人がいなくなれば自然環境は荒れてしまいます。特に、農業を基盤とした二次的自然などは、たちまち消えてしまうでしょう。

 誤解を恐れずに言えば、例えば都市に住んでいる人から都市住民税を徴収し、田舎で二次的自然を守っている人達が、生活していけるように直接支払いをするなど、斬新で根本的な対策をとらなければ、美しい国土を守り伝統文化を継承していくことなど、到底覚束ないように思います。単に、目先の経済からのみの視点で、行き当たりばったりの対応をしてきた結果が、今日の技術立国の衰退と国土の荒廃を、進行させてきたのだと思います。

 また、生まれた故郷を誇りに思い、同胞を慈しむような感性は、一朝一夕に備わるわけではありません。根本的な教育のあり方を、考え直す必要があるように思います。回り道のようですが、結局「良い子」を育て、その良い子に「良い大人」になってもらうことが、一番の近道だと思うからです(他に、方法は無いようにも思います)。小さなことですが、タンクローリーのような大きな車に乗る人は、それが転倒しただけで社会に大きな迷惑をかける、と、いう意識があるだけで防げる事態もあります。

 ついいつもの癖で、いきなり我が国の教育のあり方などと、いきおい込んでしまいました。本当に、微力で怠け者の私が何をかいわんやですが、ついついぼやいてしまうのは、年のせいばかりでも無いと思います。我々が、根底に持つべき「日本人の精神性」については、これからも語り続けて行きたいと考えています。そのため、「精神論ばかり語るな」という揶揄なども聞こえてきそうです。しかし、人としての根本がなければ、どのような研究成果も技術も、社会や人のために役だてることはできないと思います。

 したがって今年も、そのような視座から物事を考え、自分なりにできることをやって行きたいとおもいます。ともあれ、元日恒例の麻雀の集いも、戸外に降りしきる雪を尻目に夜中まで盛り上がり、十分に楽しむことが出来ました。また、互いに多忙な時間をやり繰りして、復活した中一トリオの旧交を温めることも出来ました。もちろん、家族を始め親しい人たちとの、心を通わせる会話ややり取りも、ほぼ考えていた通りにできたと思います。

 それから、残念ながら作陽高校は三回戦で敗れましたが、高校サッカーや天皇杯の様子もテレビで観戦しました。また、超高校級の布巻選手を擁する王者東福岡相手に、善戦した伏見工業の試合などを見ると、やはりラグビーは良いですね(対早稲田戦の明治の不甲斐無さは残念)。さらに、毎年注目している箱根駅伝も、かなりの時間を割いてテレビを見ておりました。ホンダからトヨタになり、プリウスが使用された大会車両でしたが、ホンダ時代のようなナンバープレートの「拘り」は見られず、少しがっかりはしましたが。

 駅伝のレースからは、あまりにも大きな期待とプレッシャーのためか、昨年不調に苦しんでいた柏原選手による5区の快走と、同僚の田中選手への雄たけびが印象的でしたね。それでも特筆すべきは、低迷していた早稲田大学の監督を引き受け、遂に復活の優勝に導いた渡辺康之監督の胴上げのシーンでしょう。名選手から名監督へと、着実に力をつけてきた裏には、選手と合宿所で寝食lをともにする姿勢があったのだとは思いますが、簡単に語れるほどの苦労ではないことも事実だと思います。

 優勝インタビューで、開口一番、覇を争った東洋大学を称え、それから自チームの選手を労う姿勢は、苦労してきた人特有の優しさや思いやりも垣間見えました。「俺が俺が」と、功を誇る人が多い時代に心が救われただけでなく、自らを鑑みるもとにもなりました。余談ですが、城西大学の櫛部監督・上武大の花田監督など、彼と同時期に早稲田で活躍した人たちが、良き指導者として成長していることも、興味深く印象に残りました。

 先ず自らをただし、地道な日常を積み重ねなければ、指導者としての信頼は得られないのだと思います。当然ながら、そこに魔法やトリックなど存在しないだろうことは、語らずもがなのことでもあります。


 

2010年 12月27日          一年をふり返り一言




 
冬らしくない冬や、年の瀬らしくない情景に慣れてしまうことへの危機感が、年とともに鈍っていく自分に、言い訳ばかりを考えているような気もします。ともあれ、今年もあと僅かとなりました。

 さて、今年も押し詰まりましたね。ふり返ると、マンネリ化と鬱積する停滞感の中で、とりあえずやらせて見ては?という感じで政権を担った与党は、「仮免期間」が過ぎても内輪もめに終始し、世論の集約や国民の望む政治などからは凡そほど遠い場所で、慣れない権力の椅子をめぐっての、羞恥に耐えない駆け引きばかりを、繰り広げているように見えます。

 そのような中で、沖縄県民の心情を逆撫でしたばかりか、基地問題は暗礁に乗り上げたままです。それを見透かしたような、中国漁船による海上保安庁の巡視艇への体当たり事件、その後の対応の拙さなどを見ると、情けなさも通り越してしまいます。我が国を司る人たちが、見てみぬふりをしている周辺諸国では、ちゃっかりとこちらの様子を窺っていて、ロシア大統領などは、本当にタイムリーに北方領土を視察しました。

 一方で、地球温暖化を防ぐための会合などでは、最大の温暖化ガス排出国である中国やアメリカの消極的姿勢(あえて言えば、自国の利益のみを考えた対応)が目立ちました。今や、アメリカと覇を争おうかという経済大国となりながら、自らを「途上国」と称し、先進国が京都議定書を遵守するべきだと主張する中国をみていると、地球が無限大の星だと思っているのか?と疑いたくなる気がします。

 中国に関して言えば、度を越えた反日教育の様子なども、テレビの報道番組で見ました。私自身が、実際に訪れて身体で経験した感想から言えば、そんな「おかしな」人には出会わないし、人々はイデオロギーではなく、経済に基づいて活動しているように思います。国家というものになった時、どうしてあのような傲慢さが現れるのか理解できません。劉暁波氏の、ノーベル平和賞受賞に関する対応などをみると、天安門事件以前に戻った気さえします。

 また朝鮮半島では、北朝鮮による砲撃事件がありました。これに対応し、米韓や日本を含めての軍事演習などが、活発に行われていますが、私がどうしても理解できないのは、何か物が欲しければ(経済が立ち行かず、食糧難に陥れば)、悪いことをするぞと居直ることで(軍事的な挑発や、核軍備をちらつかせ)、隣の人や関係者(日・韓や米国)から援助してもらえるのか?またそのようなことが、何故容認されるのかということです。

 そこにはまた、一見その問題児に手を焼いているように振舞っていますが、その傍若無人なやんちゃぶりを利用して、上手く立ち回ろうとする「保護者」の姿が見えてしまいます。そのよう中で、一向に進展を見ない拉致被害者の問題は、一体どうなってしまうのかと、案じている人は私だけではないでしょう。異国の地に囚われ、貴重な青春時代を奪われた人の心情を、努めて冷静に語っておられた蓮池薫さんの言葉が耳に残ります。

 例えば簡単に、地球温暖化問題などといいますが、現実に南太平洋のツバルなど小島が沈んで行き、北極圏では氷が大量にとけています。アラスカの、シシュマレフの海岸線などは年間3m以上も後退しているそうです。夫々の国が、自国の利益や経済的な視座からのみ、議論をしていて良いはずはありません。まして、そのことに大きく影響を及ぼし、対策をとることが出来るはずの「強い」国」には、それだけの責任があるはずです。

 本当に、口を開けば悲観的で、厭世的な言葉しか出てこない現実です。私自身について述べれば、さらに一年の早さが速まったように思います。こなさなければいけないことや、ほうっておけないことに対峙しているうちに、あっという間に一年が過ぎたという感じです。年とともに、辛抱強くはなったと思いますが、それだけ柔らかな感性を失ってもいるのだと思います。強くはなりましたが、鈍くもなったように思います。

 とはいえ今年も、ボクシングにおけるマニーパッキャオの活躍・長谷川の復活・内山・西岡の防衛、将棋の渡辺竜王七連覇、囲碁では井山裕太名人の四連勝防衛、フィギュアスケートの高橋大輔選手の銅メダル、ラグビーでは明治の復活・慶応の健闘など、印象的で感動を得る場面もたくさん見ました。また、奈良の大遣唐使展に行き、吉備大臣入唐絵巻を直に見ることも出来ました。さらには、思い通りではありませんが水戸・会津・高知・松山・尾道など、行きたい町を訪ねることもできたと思います。

 また、今の立場や取り組んでいることを通じ、仲間達との親交を深めることは十分にできたように思います。さらには、新たな知己や期待すべき若い人とも、出会うことが出来ました。懸案の受験指導については、方向性とモチベーションの維持に関して、迷い悩みながらの一年でもありました。師である人の言葉を噛み締めながら、本当に襷を渡していける人の育成ができるのか、自問自答しながら、来年以降を考えて見たいと思います。

 私の意思とは関係なく、来年は一層忙しさと煩わしさに、振り回される気がします。余生をどれだけ活用できるのか、心に問いかけながらの日々になることだけは、間違いないように思います。それでは、「志」を持たれた皆様、良いお年を。


2010年 12月16日          最後の頼りは身体の力


 


 
暖かい日と寒い日が、目まぐるしく入れ替わるなかで、車のエアコンの温度設定調整に煩わされています。本当に、気候は変わっているように思います。

 今回も注目しておりましたが、遂に将棋竜王戦に決着がつきました。二年前の再現となった、羽生善治名人と渡辺明竜王の対戦は、4勝2敗で渡辺竜王が防衛を果たし7連覇を達成しました。彼は、既に永世竜王の称号を手にしていますが、去年の対森内戦4連勝での防衛といい、今回の羽生名人を相手にした力勝負の連続を制したことといい、充実ぶりが目立ちます。

 個人的には、今回竜王位に就くと将棋界全てのタイトルにおいて、永世称号を獲得する羽生名人に、やや肩入れした見方をしておりました。そのため、最初に連敗した時にオヤッと思いました(この時、家庭問題の噂なども流れた)が、その後難しい将棋を凌いで勝ちきり、2勝2敗のタイに戻した時には、流石と思わせてくれる場面もありました。

 実際、どの将棋も熱戦でありました。いつも、解説者が困惑しているような感じで、最終盤までどちらが勝っているのか?というようなテレビ中継(衛星放送の)を何度もみました。本当に、形勢がよいのでは?と思われた方が負ける場面も多々ありました。しかしながら渡辺竜王には、中終盤における力強さを秘めた安定感のようなものが、タイトル戦を通して見られたように思います。

 といいながら、私自身は囲碁も将棋もルールを知っている程度なので、それ程の棋力があって述べているわけではありません。テレビやインターネットなどを通して、プロ棋士による解説、担当記者による情報提供などを介して、観戦者としての気分を味わっているだけのことなのです。それでも、興味を持って見ておりますと、結構楽しめるものでもあります。

 そのような中で、今回気付いたことは、座っている時の渡辺竜王の落ち着きというのか、自信に満ちた表情を見る機会が多かったということです。何となく、そのような力強さを感じてみておりましたら、第6局の解説者鈴木大介八段が、将棋盤の前から離れる回数の少なさを指摘し、渡辺竜王は体力的にも充実していたことを、語っていました。なるほど、と、いう感じがしました。

 将棋でも囲碁でも、大きなタイトル戦は2日制です。各自、8時間以上の持ち時間ということですから、当然そのようなことになりますが、極限の集中力を保ちながらの2日間は、本当にきついものだと思います。そういえば、勝ち負けに関わらずその激戦を終え、感想戦を行っている棋士の顔は、憔悴しきっていることが多いように思います。

 特に、今回の竜王戦では勝った将棋でも、羽生名人の疲労度が大きいように見えました。考えてみれば、天才羽生も既に40歳になっています(因みに、渡辺明竜王は26歳)。今尚、圧倒的に高い勝率で対局をこなしていますが、ここ一番の番勝負では、やはり体力も重要な要素となるのではないかと思います。頭脳に血流を運ぶこと自体が、既に体の力を必要としているので、当然のことかもしれませんが。

 そのことは、私自身も痛感させられることが多くなりました。感じたり記憶したりする力は、明らかに弱ってきています。年を取ると、1年前も5年前も、或いは10年前も、あまり変らないように感じるのは、その感じたり記憶したりする力が、弱ってしまうからなのだと思います。そのようなこともあり、齢を重ねて人間味を感じるようになった羽生善治名人に、親しみを感じるようになった部分があるのかもしれません。

 本当に、人間は明日の命を保証されて生きてはいないのですが、若い時にはそのような概念は実感し辛く、熱い情熱や健康体が永遠に維持されるような、錯覚に陥ることが一般的だと思います。自身の体験を通しても、そのように思います。改めて、健康の大切さと時間を無駄にしないようにと、自分に言い聞かせるのですが、その気持ちを強く刻みつけ維持する力が、そもそも衰えているのが皮肉な事実です。

 後世になれば、どちらが勝っても初代の永世称号がかかっていた一昨年の竜王戦で、3連勝の後4連敗でそれを逃したことが、羽生善治名人の一大エピソードとなるのかもしれません。それでも私としては、来期こそ華麗な羽生マジックを披露し、7大タイトル全てにおいて永世称号を獲得する姿を、見たいように思います。いずれにしても、生活環境を含めた十分なコンディション調整が重要であることは、私などが語るまでもないことでしょう。

 激闘の末、6階級制覇を果たしたマニー・パッキャオもそうですが、最後は体力と強さを裏付けるための凄まじい練習(努力)だけが、たよりであることを見せてくれた1年だったと思います。



2010年 12月 2日          変らぬ仲間達


 


 
既に始まった忘年会スケジュールは、年々ハードになるばかりです。アマチュア酒飲み(好きだが、強くないという意味。好きなことに強いのが、プロであると規定して)としては、苦笑いしながらの予定消化です。

 個人的な感想ですが、忘年会に限らず様々な会合や集まりで、酒席に招かれる機会は、本当に増えたように思います。大して丈夫な身体でもありませんが(対アルコールという意味で)、殆どはそれなりに楽しめてはおります。しかしながら、どうしても義理やつき合いに拠るものもありますので、すべからく楽しいものであると言い切れないことは、誰しも同じことでしょう。

 そのような中、1年に約3回行っている、同級生によるゴルフコンペ兼飲み会「51会」に参加してきました。ここ数年は、11月最後の土曜日には必ず開催し、忘年会と称して一際盛り上がるようになっています。特に、今回は60回目の節目でもありました。成績発表を兼ねた打ち上げでは、ゴルフをやらないメンバーが何人も参加して、賑やかな宴会となりました。

 それでも、多忙な日常や、それに付随してもいるのかもしれませんが、この集まりから遠ざかっているようなメンバーもいます。また一方で、拠る年波による体調面での、懸念材料を抱えている者もいます。そして何よりも、我が国全体を包む不況と閉塞感が、大きく影を落としていることはいうまでもありません。そのようなことを背景として、参加者の減少傾向と沈滞ムードが、ここ数年続いていました。

 さらに、各自が一家の大黒柱となり、また会社や組織においても、担う責任が大きくなっていることもあります。一番大きなものは、子供にかける養育費(教育費)等の負担増による、経済的な制約というものが挙げられるかと思います。そのような状況の中で、今集まってくれる仲間達には、熱い連帯感と感謝の気持ちを強く感じます。

 経済的という視点からは、会場となる割烹店主の同級生に、高級店にも拘らず、飲み放題5千円という価格設定で協力して貰っています。また、使用するゴルフコースも、メンバーとなっている同級生や件の割烹店主を中心にして、法人券などを集めることで、土曜日でも格安料金でプレーできるようにもしています。結果的に、そのような経済的工夫は、かなり功を奏しているように思います。

 私自身も、その恩恵を強く感じています。とはいえ、地方における経済の低迷は、中央や都市で感じるそれとは大きく違い、深刻なものがあります。小さくても、独立して事業をしている者や、「悪役」として削られ続けている公共事業の担い手、建設業に携わるメンバーもたくさんいます。土曜日の朝から夜中まで、ほぼ丸一日潰してプチ同窓会に顔を出すのも、大変なことだと思います。

 実は、私は幹事を務めていますが、最初からやっていたわけではありません。爆笑王として、盛り上げ続けていてくれた同級生が、少し体調を崩すなどして具合が悪くなってので、代行しているような形で今日に至っています。そのこともあり、彼のようには行きませんが、何とか会を盛り上げたいと努力はしているつもりです。

 ゴルフコンペにはつきものの、優勝者予想投票券(俗に言う「馬」という奴ですが)に関するコメントも、通常ですと、各人の調子などを略記するだけですが、私は各々の近況や精神状況を、踏まえたコメントを毎回書いています。それも、たいていはコンペ前夜に書くことが多いです。それは、ドタキャンなどがあり、直前までスタート表が出来ないこともありますが、少しでも、各人の近況をタイムリーにコメントしたいからでもあります。

 当然ながら、同級生だから書けるような辛口な内容や、かなりおちょくったようなものまで書いてしまいます。結果的には、皆一応に、楽しみにして貰っている状況かと思います(毎回、それをネタに話が盛り上がりますので)。また、やんちゃな少年時代に瞬時にして戻れることは、同級生だからこその良さでもあります。ここに、現在での出世や社会的地位などを、持ち込むような野暮は、端から相手にされないことは、重ねて述べる必要もないでしょう。

 それでも、時々はそのような「訳の判らん」輩も出てきますが、いつのまにか声がかからなくなるのが事実です。本当に、どうしてあのようないつもと同じ思い出話や、たわいも無い話題で、あれほどまでに盛り上がれるのか解らないほど、毎回賑やかに盛り上がれる集まりでもあります。翌朝、いがらっぽい咽の具合を覚え、いささかはしゃぎ過ぎていた自分を、苦笑いしながら思い出すのが慣わしのようでもあります。

 元をただせば、本当に偶然同級生となっただけのことなのですが、かけがえの無い仲間であることも事実です。お互いの身体をいたわりあいながら、力まず自然体で続けていければなぁ、と、考えています。


2010年 11月 17日         闘う魂の底に


  

 
秋は深まり行き、日に日に寒さが増していきます。ふと、昔読んだ三国志の「秋風寒し五丈原」というようなフレーズが浮かんだりしますが、季節のせいばかりでは無いような気もします。

 11月17日は、将棋の日だそうです。徳川吉宗が、この日を御城将棋の日と定め、御前手合いが行われたことに由来するそうです。現在、行われている第23期竜王戦は、一昨年の初代永世位をかけた顔合わせの再現(羽生対渡辺)となっています。歴史に残るような、三連敗の後の四連勝で、初代永世竜王に輝いた渡辺竜王はその四連勝を含め、翌年の防衛戦と今年の第二局まで10連勝という勢いでした。

 それでも、先日の第三局において、後手番の羽生名人が細い攻めをつなぐ執念を見せ、これに気圧されたのか、終始優勢と見られた渡辺竜王が受け損じる形で、連敗に歯止めがかかりました。今後の、展開が期待されますし、面白くなってきたように思います。余談ですがこの番勝負では、途中優勢と見られた方が全て負ける結果となっています。三局目では、羽生名人の執念のようなものも感じました。

 いうまでもないことですが、将棋に限らず棋士の持つ勝負への執念は、凄まじいものがあります。それは、闘う魂とも呼べるかもしれません。またそれは、人間が生来備えている本能に、帰属するものだと思います。しかし、その闘う魂というものを考える時、単に動物的な闘争心を持って、説明できないものが人間の持つ闘う魂「闘魂」であると思います。

 例えば、動物のような闘争心、つまり過激で執拗であることのみを是とするならば、土佐犬に対しても怯まないアメリカンピットブルのような、闘争心がもてはやされるのでしょうが、人間によって「改良」されたそれは余りにも凄惨な闘争心で、一度火がつくと死ぬまで(死んでも)止めないようなものです。私などは、何となくどんよりとしたいやぁな気分になります。

 動物と違い、人と人が闘う時(競技として)には、それなりのルールがあります。さらに、闘う相手が自分と同じ人間であるということについて、十分な認識のもとにそれは行われます。当然ながら、死力を尽くして闘う相手への敬意(リスペクト)が、この時生まれてくるのだと思います。古来、武道を初めとした日本での試合が、礼に始まり礼に終わるのは、そのことに基づいているのだと思います。

 今月は、毎年3日に行われる剣道の全日本選手権における、神奈川の高鍋選手の初優勝、初のリーグ三位からクライマックスシリーズを勝ち残ったロッテの熱い戦い、同じく野球では、早稲田・慶応による優勝決定戦など、闘魂を感じさせる戦いが多く見られました。いずれも形こそ違え、多くの人達に感動を与えたことに、変わりはないと思います。

 そのような中、私が、最も崇高で美しい格闘技であると考えているボクシングでも、先日大きな試合がありました。アジアの星から、今や世界の星になったマニー・パッキャオ(フィリピン出身)と、メキシカンでティファナのトルネードと呼ばれ、強打を誇るアントニオ・マルガリートとのWBCスーパーウェルター級のタイトル戦が、テキサス州ダラスカウボーイズスタジアムで行われました。

 勝てば、6階級制覇となる試合でしたが、天性のファイターマニー・パッキャオは、二周り位大きく見えるアントニオ・マルガリートに対し、全く臆することなく果敢に挑みかかり、むしろ圧倒する内容で試合を制しました。不屈の闘志を持つマルガリートの頑張りもあり、途中パッキャオ危うしという場面もありましたが、11・12ラウンドでは「これ以上、打たなくても……」という仕草さえ、パッキャオは見せました。

 とにかく、フライ級がスタートなので、克服した体重差は19kgということになります。まさに、現時点においてパウンドフォーパウンド(全階級押しなべて、最も強い)といえるかと思います。何よりも彼の素晴らしさは、相手を恐れず真っ向から戦いを挑む姿勢にあると思います。本当に、ここ数年の試合では、全く期待を裏切らない内容を続けています。対戦相手にしても、選り好みすることもありません(大口を叩きながら相手を選り好みする、ビッグマウスが多いボクシング界では貴重)。

 6階級制覇といえば、今やゴールデンボーイプロモーションのオーナーとなったオスカー・デラホーヤがいますが、戦歴の内容においては、マニー・パッキャオが凌駕しているような気もします(事実、デラホーヤにも勝っている)。リッキー・ハットン、ミゲール・コット、ジョシュア・クロッティと危険な相手を次々に破り、先日のマルガリート戦でも見事に勝利しました。単に、勝ったことが素晴らしいのではなく、彼の闘う姿勢が素晴らしいからこそ、見ているものに感動を与えるのだと思います。

 試合後のインタビューで、「これはボクシングで、殺し合いではない。あの時点で、もう打つ必要が無いと思った」とパッキャオ選手はふり返っていました。相手へのリスペクト、その上に熱い闘魂があることを、感じさせてくれるファイターです。


2010年 11月 4日         文明と文化




 
深まり行く秋の中、各地で地域の文化祭が行われています。私の街でも、地元公民館において、地域の皆さんの活動発表や、地元の歴史に関する講演を行いました。準備や片付けと、大変ですが充実感もあります。

 さて、日本語における意味において、文明と文化はどのように違うのでしょうか。広辞苑を引いてみても、第一義的には文徳で民を教化することとか、或いは世の中が開けて生活が便利になること・文教が進んで人知の明らかなことというような、どちらも同義語的な解釈が載せられています。しかし、文明諸国とはいうが文化諸国とはいわず、文明の利器とはいうが文化の利器とはいいません。

 何となく違うのは解りますが、きちんと定義付けるとなると難しいように思います。そもそも、それ程深く考えて、日常の会話をしている訳でもありません。英語では、文化がCultureで文明がCivilizationとなります。Cultureは、宗教的な「教義」や「信仰」を意味するCultが変形したもので、Civilizationは、「市民」というCivilの変化した形で、人間生活に関する事項(主として都市化を踏まえた)というような意味になるかと思います。

 そのような、西洋的視点から考えると、精神的な生活を意識した言葉として文化というものがあり、物質的生活を意味するものとして、文明という言葉があるのかもしれません。しかし、日本語の場合冒頭に述べたように、広辞苑でも一義的な説明に大差はありません。それでも、文明については「宗教・道徳・学芸などの精神的所産としての狭義の文化に対し、人間の技術的・物質的所産」という記述があります。

 これに対し、文化の項には長文の説明や、西洋では~という件が書かれています。広辞苑でも中々明確な定義付けが、し難かったのではないかと思います。極めて簡潔に(乱暴に)言えば、文化とは人間の精神が創出するもので、文明とは人間の要求を満たすための機能をを具現化したものである、と、いうようなことだと思います。つまり、主に道具や物質的な面からの豊かさとして、文明という概念があるのだと思います。

 同時に、文化住宅・文化包丁などという言葉かあるように、多くの日本人が、物質的な豊かさを文化であると、思い込んでいる部分もあると思います。つまり、文明の進化によりもたらされた生活の利便性の向上や、それを支える機器に関して、文化の所産であると思いがちなのではないでしょうか。しかし、その文明の進化は、一方で非常に危険な側面を持ってもいます。

 古来、歴史を見れば、エジプト・メソポタミア・インカ等多くの文明は、必ずその進化の中で破綻し滅亡しています。例えば、徳川時代の鎖国の中で、二百数十年に渡り育まれた日本人の精神文化は、明治維新の文明開化象徴される豊かな道具文明により、大きく低下し貧しいものになったのではないでしょうか。便利なものを得れば、必ず失われる人間の機能(能力)があるのだと思います。

 ここで、司馬遼太郎の論じた説を引きます。「人間は、群れてしか生存できない。その集団を支えているものが、文化と文明である。いずれも暮らしを秩序付け、かつ安らげている。文明とは、『だれもが参加できる普遍的なもの・合理的なもの・機能的なもの』を指し、文化とはむしろ不条理なものであり、特定の集団(たとえば民族)においてのみ通用する特殊なもので、他には及ぼしがたい。つまりは、普遍的でない」

 この、普遍的という言葉が、言い得て妙であると思いますし、一種の危険性(脆さ)を含んでいるように、私は思うのです。例えば、国際社会におけるビジネスの「公用語」は既に英語になってしまっていると思います。それは、大変便利ですし効率的だと思います。普遍的な、方向性といえるのだと思います。しかし、その言語を使う人間の出自は様々であり、素養として持っている文化的背景も多様です。

 そのような、多様な要素(文化的)を持った人たちが、交じり合って議論するからこそ新たなものが生まれ、文明の進化に繋がるということを、忘れてはならないと思うのです。簡単にいえば、オーケストラに高価なバイオリンばかりを並べても、美しいシンフォニーは生まれないということです。古来、人類はそのような文化の混血(ハイブリッド)を繰り返し、現在の文明を育んで来たともいえるでしょう。

 あの、無謀な戦争に突き進んでいった精神主義を嫌悪し、龍馬や晋作のような合理的な若き志士に脚光を当てた司馬さんが、一方ではモンゴルや新疆の少数民族の文化に、深く傾倒していく姿はとても印象的でした。大切なのは、夫々が持つ固有の文化を尊敬し、理解しあおうとする姿勢なのだと思います。同じ聖地に、三つの一神教の神が存在しているのに、お互いを認めることをしなければ、永遠に問題が解決するはずもありません。

 今日、我が国でも方言を話す人が減り、共通語という普遍的ツールさえ、危うい方向に壊れつつあります。豊かな文明を築くためには、先ず、個性的な方言(言語)に依る文化をぶつけあい、地域固有の文化を尊重しあうことが第一歩だと思います。


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