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NO.23

 2011年 7月 21日          暖簾分け
 

                    
 


 何かと暗い話題が多い中、なでしこジャパンがやってくれました。「最初だけでも」と思いながら、ついに朝までライブ観戦してしまいました。本当に、強いアメリカ相手に、延長を含めて最後まで良く動き続け、数少ないチャンスをものにして、見事PK戦を制しました。また、全試合を通してですが岡山縁の宮間選手の、卓越した個人技が随所にひかりました。見ているこちらも、誇らしい気持ちになりました。

 とはいえ、セシウムに汚染された稲藁を餌として与えられた牛が、多くの都道府県に流通するなど、福島原発事故に起因するクライシスは、一向に収束する様子がありません。あれほど喧しく騒ぎ立て、悲惨に破壊された原子力建屋の映像を流していたメディアは、その様子や事態収拾への取り組みさえ、この頃では余り伝えようとしていません。彼らに、社会正義の検証者としてのジャーナリズムを、どれほど期待できるのでしょうか。

 テレビに関していえば、視聴率を獲得するためのポピュリズムに走る傾向は、常に強まり続けていると思います。底の浅い、興味や好奇心に迎合するような、また、製作者やその仲間内における自己満足的な番組作りが、本当に多く見かけられるように思います。それには、もちろん見ている側の「需要」というものがあるのでしょうから、この国の人全体が、大事なことがらから目を逸らし、目先の享楽に耽ろうとする傾向が、強まっているのだと思います。

 そのような中で、最近ものすごく残念なことがあります。それは、馴染みの焼肉屋で食べていた生レバーが、食べられなくなったことです。生レバーだけでなく、他の「生系」のメニューも、まったく口に入らなくなりました。最近、存続が危ぶまれていますが、私の住んでいる町には屠殺場(食肉処理場)があり、新鮮な牛肉が供される地域です(そのことが、「ホルモンうどん」の成功にも繋がっている)。にも関わらず、そのような状況です。

 この町には、全国一律のマニュアルなどなくても、多くの食肉関係者が生で食べられる部位や、状態の見極めが出来る土壌もありました。それなのに、あの「土下座社長」のような不心得者がいたために、それらの「確かな目」を持った人達の判断による、豊で美味しい食文化の伝統が、一瞬にして破壊されてしまったのです。この国の食肉生産者や料理人が、長年培ってきたものが、一瞬にして崩れ去ったと思うと、本当に残念で、情け無い思いがします。

 以前にも述べましたが、どんなに分厚いマニュアルを整備しても、食材を供給する側に見極める目と、それを裏付ける資質(誇りを備えた)がなければ、事故は防げないと思います。また、そのような考え方(手法)の中にも、何でもお金に換算しなければ、ものの価値が解らなくなった我々日本人の、質の低下が隠れているのだと思います。そもそも、一律に「判断ができない側」の人間に合せて、提供しない方向に行く考え方に、大きな違和感を感じます。

 例えば、効率性と原価管理のみを重視し、少しでも安く食べ物を供給する競争では、チェーン店のような画一的なやり方がマッチするでしょう。しかし、チェーン店の店名を金に換算して評価し、得体の知れない「信用のようなもの」まで金でやり取りするやり方で、そこに携わる人間の資質を、どれ程担保することができるのかという疑問が残ります。私の感覚では、食べ物は「人がつくる」ものだからです。

 対策として、社員教育やコンプライアンスの徹底などがあるのでしょうが、根底にあるのが「金」ですから、夫々が目指す所は自身の「責任範囲」に限定されてしまうのは、仕方のないことでもあります。これに反して、かつて日本の食べ物屋には「暖簾わけ」というものがありました。まさに、暖簾(そのお店の名前)をわけて(名乗らせて)貰うだけで、金品の授受などはありません。

 それは、自分が見込んだ人に、自分の店の名を名乗らせるというだけのことです。その名を、与える方も貰う方も、社会に対して責任と誇りを強く持つ結びつきです。その結びつきは、店名を使うためにロイヤリティを払い、利益を上げるために食品を供与するという、お金に換算した思考形態に基づく食品産業のものと、根本的な部分において大きく異なるものだと思います。

 しかし私は、ただ単に徒弟制度の礼賛や、精神論のみを説いているのではありません。どの分野においても、常に新たな技術や専門的な応用能力の追求を、していくことが大切なのは言うまでもないことです。その希求心の源として「世の中の役に立つ」という志が、なければならないのだと考えているのです。さらにその志は、何でもお金に換算して考えるというものの考え方では、醸成されないものでもあるとも考えています。

 その、志に基づいた思想からは、自分さえ儲ければ良いという「勝ち組・負け組み」などという言葉は出てこないはずです。逆に、目先の利益や自分だけ良ければという小賢しい発想が、社会全体への損失を招き、回り回って自分自身の首を絞めるのだということが言いたいのです。一方、千分の一ミリを削り出す旋盤技術や、向こうが透けて見える鉋屑を、お金に換算して語ることは難しいことです。さらにいえば、そのような技術や職人芸がしっかり継承されていく国こそが、実は競争力のある国家なのです。

 名もない町工場の職人をはじめとして、靴や鞄、また縫製や時計など多くの分野で、世界に冠たる技を携えた人達がこの国にはたくさんいたはずです。そして彼らの精神には、金で買えない高い志が、備えられていたのではないでしょうか。


2011年 7月 7日          ぼうっとしている間に……  

        



 急に、蒸し暑くなりました。、また、各地で大雨が降るような、不穏な状況も続いています。違和感はあっても、梅雨の季節ではあるのでしょう。

 先日、テレビで中国の「サンザイ携帯」なるものが取り上げられていました。有名メーカーのものを模倣したものや、ブランド品の偽物などのことらしいのですが、経済特区である大都市の大きな商業施設で、堂々と販売されているところに、如何にも中国だなぁという気がしました。他にも、日本の技術供与により開発した新幹線を、アメリカなどで特許申請するのでは?という話も聴きました。

 まぁ、新幹線の場合には中国側における購入条件が、ブラックボックスの無い完全な技術供与という条件のものであったらしく、その技術をも含めた購入ということになるようです。そのような意味で言えば、今回登場した「和諧号」が中国独自の開発である、と、いえる理屈になるらしいのですが、私のような頭の人間からすれば納得できないし、そのような発想が湧くことも理解できません。

 元々、知的財産権の保護などという考え方など、あの国にあるのかどうかと思っていましたが、自国にそれだけのノウハウが蓄積すれば、居丈高にその権利の保護などを標榜するのではないでしょうか。図々しく、他国の領土を我が物として、掌中に収めようとする振る舞いなどを見ていれば、それ位のことは、朝飯前のようにも思えます。

 実は、先月深セン・マカオに行ってきました。湿度が高く、蒸し暑い気候でした。しかし、何よりも印象に残ったのは、経済特区の異常なまでの活気と、中国政府による巧妙な、集金システム構築の背景というものでした。何しろ、初日に泊った深センなどは、僅か30年で人口が30万人~1,400万人に増えたということでした。さらに驚いたのは、平均年齢が27歳であること、男女の比率が3:7であることなどです。

 その平均年齢や、男女の構成比などが、人や経済の流れの内容(成り立ち具合)を物語っているようにも思います。深センにおいては、「豊になれるものから……」といい、この町を経済特区に指定した鄧小平が、毛沢東や周恩来を抑え、絶大の人気を得ていました。とにかく、流石に竹製のものは減りましたが(まだ、あることはある)、足場が組まれた建築中の建物が、市街地のいたるところに見られました。

 道路には、日本車をはじめとする高級車が溢れ、他の中国の大都市同様、随所で渋滞が頻発していました。「深センでの免許の第一条件は、勇気である」などと物騒な冗談が、冗談ともいえない状況でした。「とにかく、主張してみる」的な荒っぽい運転が、そこかしこで見られました。そのせいか、バイクは原則禁止ということでした(車の運行に邪魔になり、危険であるという理屈)。

 いずれにても、経済至上主義というのか、金がすべてという考え方が徹底しており、豊かになるためには何でもする、と、いった意味の活気が、都市を形成しているように思いました。特に印象深かったのは、深センでは開発を進めるために、旧地主(元から住んでいた人々)の権利を保障している点です。彼らは、土地を提供する代わりに、その後にアパートやマンションを建て、不動産経営を行い「左団扇」で暮らしています。

 これまで、北京や上海などで見られた「トラブル」を予防する、ガス抜きのための巧妙な施策が見えてきます。そのような特別待遇は、マカオの住民に対しても同様に行われていました。カジノのディーラーには、地元住民採用が原則ですし、病院も学校もただというような話も聴きました。つまり、珠海・深セン・広州などの経済特区で強烈なバブル経済を巻き起こし、つい目の先にあるマカオで、効率的に吸い上げるという図式です。まさに、どこが社会主義国家なのかといいたい気持ちです。

 何しろマカオのカジノでは、昨年の売り上げが約二兆円とも言われ、その40%を政府が吸い上げる仕組になっています。その勢いは、まだまだかげることなく、今年の連休明けにはベネチアンのとなりに、これも巨大カジノホテルであるギャラクシーがオープンしたばかりでした。もともと、カジノや繁華街があった地区から海に橋を架け、島と島の間を埋め立て、それらの娯楽施設がどんどん建設されています。

 もはや、ラスベガスを凌駕し、世界一の規模となっているそうです。どこかの国で、カジノ特区などという議論が取りざたされていますが、既に、到底太刀打ちできないほどの資金がつぎ込まれ、人間の欲望を吸収するための、夢と幻で出来た世界が構築されています。そこでは、金さえあればあらゆる贅沢が、できるようになっています。それは、溺れてしまえば人間を駄目にしてしまう種類の、快楽ですが。

 毎年10%とというような、驚異的な高度経済成長が、いつまで続くのか知りませんが、行き着くところまで、その膨張が止まるようには思えませんでした。何でも、お金に換算しなければ価値が伝わらない、そして、とにかく主張してみるものの考え方は、アメリカと似ているし、相容れるものなのでしょう。今思えば、サイパンとテニアンの組み合わせが、そのように出来ていたのだと思います。

 「とにかく、便利なら良いじゃないか」と、サンザイ携帯を擁護し、それを基に、巨大企業のオーナーになることが、チャイニーズドリームだと称える中国の若者達が、そのうち「日本も、中国の領土だ」などと、平然と主張するような大人になっていくのかもしれません。


 2011年 6月22日          血の叫びの代弁者


  

 何となく、はっきりしない天気が続いています。暑さにしても、中途半端な感じです。それでも稲の様子は、今のところ順調に見えます。毎年、何も無い年などは無いのですが……

 毎度、同じようなぼやきになってしまいますが、この国の政治家(そう呼べる人はいないようにも思いますが、他に呼称も無いのでそう呼びますが)達は、いつからあのようになってしまったのでしょうか。何といわれても、その座に居座り続けることしか頭にない風に見える総理と、それを引き摺り下ろすことしか頭にない与党の面々、少しでも有利な状況で選挙に持ち込みたい野党など、本当に、誰を信じたら良いのでしょうか。

 全く、彼らを送り出した国民の気持ちなど、どこ吹く風といった様子で、自分達の都合だけで、不毛な争いや駆け引きに追われている、と、いうのが正直な感想です。本当に、見ていて品性というものが、欠片ほども感じられません瓦礫や堆積した土砂の中で、懸命に遭難者の捜索に当る警察官・自衛官・消防士に混じり、作業をして来いと言いたい。結果的に、的確で迅速な対応を求め、疲弊しきっている被災地の救済は、遅々として進んでいない状況です。

 例えば、あっという間に集まった多額(十分かどうかは別として)の義援金にしても、必要とする人々にはごく一部しか届いていないようです。聞くところによると、それを届けるためのマニュアルがないので、義援金の配布が上手く行えないのだなどと、言い訳がされているようです。もはや、この国では責任を取るべき立場の人間力が、本当に弱くなっているんだなぁと、つくづく思います。

 事に当る官僚達は、常に責任の所在(表面上の)を意識し、事前にマニュアルが整備されなければ、何事にも対処できない様子が垣間見えます。、いったい、いつからこんな風になってしまったのでしょうか。実際には、マニュアルがあったとしても、判断する技量や資質が十分でなければ、役に立たないことなどは自明の理です。したがって、困っている人のために何かをやるのではなく、組織の中で、自分の責任を回避することばかりに、頭を使うようになるのでしょう。

 とはいえ、良い成績を修め高い学力があったからこそ、彼らは政治家・官僚・一流企業の職員になれた訳です。しかし、今の時代では、良い成績や高学歴は資力やコネがあれば、容易に手に入れられるのも事実です。そもそも、普通に学校で教えているような問題では、受験時に差がつきにくいので、クイズのようなものや、スペシャルな塾や家庭教師などを通さないと、手に入らないような情報や知識が必要となるからです。

 そう考えれば、成る程と頷けるような人は、たくさんいるでしょう(大人になっても、親から超高額な小遣いを貰っていたご兄弟をはじめとして……)。それでも、与えられた情報や知識を記憶に定着させるだけでも、大変なことかもしれませんが。まぁ、子供の頃からそのようなことに、躍起になっているわけですから、人間らしい感性が養われる余裕もないのでしょう。一方で、誰でもが解る(感じられる)ことが解らないから、品性が醸し出されないともいえるでしょう。

 そのような、人間らしい感性などというものは、幼少期から他者と深く・浅く関わりながら、傷ついたり傷つけたりしながら大きくならなければ、培われないものです。つまり、単にお金やコネがあれば、備えられるというものではありません(むしろ、その逆となることが多い)。「他者の痛みを理解する」などといいますが、苦しい経験や辛い思いをしたことがなければ、想像すら難しいことです。またその逆に、愛された記憶がなければ、他者を愛すことも難しいのだと思います。

 かつて、田中角栄が国会に始めて登場した時「国会議員は、国民の血の叫びの代弁者である」と叫んでいます。彼は、強烈な個性と、凄まじい才能を持った人でしたが、貧困をバネにのし上がった後、自らの叫びを忘れてしまったのかもしれません。しかし、政治家が何よりも念頭に置かなければならないのは、「国民の血の叫び」を代弁することではないでしょうか。

 今、お遍路に行くまで(秋風が吹くころまで)やらせろとか、総理は全く信用ならん。即刻辞めろなどと喧しく騒ぎ立て、我が身の栄達や保身に右往左往している政治家達を見ていると、私達の血の叫びを代弁してくれる人を探す気にもなれません(実際に、見当たらない)。もう少し言えば、そんな大人を見ていて、若者が政治に関心など持てる訳が無いと思います。

 そもそも、先の不信任案に絡んでの茶番劇を、忘れている国民は居ないと思います。国民の信を得た筈なのに、それに相応しい品性が、到底感じられない大先生方に、誰ならいいのか?と尋ねて見たいし、誰でもいいじゃないかと、喝を入れたくもなります。本当に、他所の国から見れば滑稽でもあり、取るに足らない印象なのではないでしょうか。恥ずかしさと、情けなさばかりがつのります。

 本来の、国民の血の叫びを具現化する志が、今のこの国の政治家にあれば、彼らに日本人として備えるべき品格を、見出せるはずなのですが……


2011年 6月 9日          自分を信じるために


 

 やはり、5月末の時点では、入梅していたということですね。まあ、言葉だけの問題かもしれませんが……とにかく、今年も台風をやり過ごし、前半のメインイベントである田植を終えました。

 このところ小欄も、少しぼやきの方のウエイトが高いようにも思います。それも、先の茶番劇のような国政の状況、一方で遅々として進まない震災復興や、原発経の問題などを見ていると、仕方の無いことではないかと思います。それでも、ある程度は読みたい本を読み、見たい映画を見て、観戦すべきスポーツ観戦(主に、テレビですが)はできていると思います。

 まず、ボクシングということになりますが、ベテランホルヘ・アルセがホープ中のホープバスケスジュニアからタイトルを奪い、あの圧倒的な強さを見せていたファン・マヌエル・ロペス(ファンマ)がサリドにKO負けするなど、波乱含みの展開でした。特にロペスについては、ユリオルキス・ガンボアとの無敗対決が期待されていただけに残念ですが、真剣勝負であればこその番狂わせともいえます。まさに、勝負の世界は一寸先は闇です。

 そのような、スリリングな展開を期待してみていると、残念ながらシェーン・モズリーにはがっかりさせられたといわざるを得ません。アジアが生んだスーパースターマニー・パッキャオとのビッグマッチでは、まったくスピードスターモズリーらしさがみられませんでした。あのアントニオ・マルガリートを倒し、デラホーヤに2回も勝った片鱗も見ることは出来ませんでした。

 最後まで「立っている」ことが目標だったのか、パッキャオの持つ迫力が、彼をそのようにさせてしまったのか解りませんが、ペーパービューなどで高いお金を払った人たちは、けっして満足はしていないでしょう。考えてみれば、メイウェザー戦でもせっかくいいパンチをあて、メイウェザーの生涯初めてではないかとも思える動揺を与えながら、その後は極めて慎重な戦いぶりでした(客観的にみても、自信を持つべきスキルはあるはずなのに)。

 結果的に、その試合も判定負けでしたが、モズリーの能力を考えると「勝負」して欲しかったような気持ちが強く残ります。もちろん格闘技ですから、対峙した当事者にしか解らない空気のようなものがあり、モズリーのセンサーが、そこに踏み込ませなかったのだとは思います。しかしそれでも、不利は承知でも果敢に飛び込んでいく、アルセのような闘志が必要だと思いますし、そこにファンはひきつけられるのだと思います。

 一方、毎年パリのローランギャロスで行われるフレンチオープンは、ラファエル・ナダルの6回めの優勝で幕を閉じました。かつての王者ロジャー・フェデラーとの決勝は、見ごたえがありました。特に、第3セットまではどちらがとってもおかしくない内容で、ナダルの2‐1という展開でした。また第1セットなどは、フェデラーの素晴らしい立ち上がりで、一時は4-1という場面もありました。

 それでも、ナダルの落ち着きというか、クレーコートにおける自信のようなものが、常に感じられる試合でもありました。サーブに進化を見せ、200km/h台のファーストサーブでエースを取るフェデラーに対し、ナダルは、あえて170km/h台にスピードを落としても、ファーストの入る確率と、ボールへ強くスピンをかけることを重視していました。むしろ、ストローク戦へ誘うような展開への意識が強く感じられました。

 最初のうち、当たりが出ていなかった(テニス選手の気持ちで言えば、調子が出ていない状況)ナダルですが、グランドストロークで打ち合っていくうちに、本来の当たりを取り戻していきました。そのことが、フェデラーにプレッシャーを与え(過去の対戦や、フレンチでの記憶は、潜在的にあるはず)、ミスを誘発したのだと思います。結果的に、競る内容にはなりますが、フェデラーが勝つイメージが湧きにくい展開であったように思います。

 赤土のクレーコートでは、本当にしっかりと、ボールを捕まえて打つ力が必要となります。その意味において、ナダルは自身のストローク力を、信じきることができていたのだと思います。最近のナダルは目標を失い、燃え尽き症候群などといわれ、不調が囁かれていました。今回のフレンチオープンも、一回戦から苦戦の連続でした。予断ですが、ベストフォーのジョコビッチ×フェデラー戦、ナダル×マレー戦も熱戦の好ゲームでした。

 敵を知り己を知ることが、百戦危うからずに通じるとはいいますが、自分自身と相手の能力を知り尽くし、自らが積んできた練習量に自信を持っていたからこそ、ナダルは試合を、ストローク主体の展開に持ち込んだのだと思います。それは恐らく、かつてボルグが語った「一日20km走り、8時間練習する」生活(26才のボルグは、その生活に耐えられないと語り引退した)ようなものだと思います。トップであり続けることが、どれ程大変なのか偲ばれます。

 自分の力を信じるために、それを養い、培う努力をし続けることが、本当に大切なことなんだと思います(自戒も込めて)。

 
 

2011年 5月 26日          不条理は知っていた




 暑いのか寒いのか、よく解らないような天気が続いています。また、ミニ梅雨とでもいいたくなるほど、雨もよく降りました。そのため、田植のための準備(それまでに、やらなければならないことは、たくさんあるのです)がはかどりません。

 もはや、「そのような定義でいえば~」などと言いながら、メルトダウンが起きている(いた)ことを認める姿を見ても、誰もが「やはり」と思うだけなのかもしれませんね。また、言った言わないの水掛け論や、政局絡みしか念頭に無いような国会での議論などを見ていても、なにか虚しくなるばかりです。さらにいえば、本当に大丈夫なのか?困っている人達やこの国のために、やらなければならないことがたくさんあるだろう、と、誰しもが思っているでしょう。

 彼ら(責任ある立場の偉い人達)が、安全なそして過ごしやすい恵まれた環境の中で、いかに責任を逃れるか、或いは自分達の立場を良くするかのために奔走している間にも、現場で苦闘する人達や、避難を余儀なくされた弱い立場の人達への、リスクは増大こそすれ、下がっているとはいえない状況ではないでしょうか。

 まだまだ、事故の検証(もちろん、きちんと事故を検証し、今後に生かしていくことは大切ですが)と責任問題の追及というような、安穏とした状況ではないと思います。メルトダウンが、炉心溶融であれ燃料溶融であれ、その先に臨界(再臨界)というような最悪の事態が、起きるのではないかという不安は、国民の誰もが抱いていることです。

 また、誰もが疑いながら見ていた原発事故に関する、状況を伝える報道からしか推察することはできませんが、どうしても初期段階における対応の拙さというか、勘が働いていなかったような印象が否めないことも、私だけが感じていることではないでしょう。考えてみれば、「絶対に安全」なはずの原発に、最悪の事態を想定したりすることは、論理的には矛盾してしまうことだったのでしょう。

 しかし、ある領域を超えれば人間による制御など不能となる、本当に恐ろしいエネルギーであることには違いありません。そのことが、「絶対に安全だから~」という一種の信仰のような安全神話を前提としなければ、今日まで推進してこられなかった要因でもあるでしょう。そのことは、長年その政策を続けてきた旧政権にも大きな責任があります。また、豊かさと便利さを求める生活の中で、見て見ぬ振りをして容認し続けてきた我々にも、責任があるのだと思います。

 そのような、臭いものに蓋をして、見なければいけない現実から目を逸らすような、我々自身の考え方に、大きな危険性が隠在しているように思います。ある意味、「絶対に安全だから~」と信じて突き進む行為は、神の国日本は絶対に負けないと、信じて(信じ込ませて)非合理的な戦争に突き進んで行った様に似ているし、共通した概念であるとも思います。

 私は、そのような「何となく」流れていく概念というか、人間の感覚というものが、本当に恐ろしいような気がします。安全だから、負けないから大丈夫だと突き進み出した時には、もう誰も止めることができない状況になってしまっていたはずだからです。甚大なクライシスに当たり、またその事後において、他者を非難することは誰でも出来ることです(私も、そのような一人かも知れませんが)。

 しかしながら、まだリスクが小さいうちにきちんと手当てをしたり、暴走を抑制するための議論をしていくことは、実際には余り行われないし、実は難しいことであるとも思います。また、私は西日本に住んでいますが、東北のことや福島のことについて、どれだけ真剣に考えられるかということも、重要な問題なのだと思います。この国の直ぐ近くには、このような文章を書くどころか、明日の命の保証さえ無いような、強制収用所国家が存在しているのです。

 一口に、シビリアンコントロールと言いますが、本当に脆弱な言葉だと思います。そのようなものが効いていれば、北朝鮮のような独裁国家も生まれなかったのではないでしょうか。つまり、最初は微々たる危険要因であっても、国家と言うような単位の大きな歯車が回転し出すと、誰にも止められなくなってしまうのです。それは、実に恐ろしいことです。身近なところで、長いものにまかれる~様子を見ていると、悲しくさえなります。

 ほんの少し前ですが、夜中にふっと目が覚め、テレビを点けるとキム・テギュン監督の映画「クロッシング」が始まるところでした。これも、いつもの天からの啓示であったのだと思います。「神は、何故北朝鮮を放っておくのか」という主人公の叫びが、強烈に胸に残りました。また、徹底した取材に基づく映像は、余りにも悲惨な状況を冷静に写し出していました。弱い者が、さらに弱い者を虐げていく負の連鎖が、本当によく解りました。

 不条理と言う言葉は知識として、カミュやキルケゴールの文章などから理解しているつもりでしたが、ここまで生きてきた経験を踏まえて語れば、本当に強く実感されるようになってきたと思います。

 

2011年 5月 12日          脆弱な心の背景


 

 薫風香り、芽吹く若葉が眩しい季節です。何だか「お知らせ」の冒頭のようですが、他に適当な言葉も見つかりません。むしろ、四季のあるこの国に、生まれた喜びを知るべきでしょう。

 この国に~と言いましたが、温暖化などが叫ばれていますが、それでもこの国の四季というか自然環境は、昔とそれ程変っていないのではないでしょうか。残念に思うのは、そこに生きている人間が変ってしまったということです。それは僅か50数年の、私の生きてきた間でさえ、大きく変化してきました。感じ方はそれぞれでしょうが、私は強い懸念と危機感を覚えています。

 先の震災でもそうですが、人がいなくなった(避難して)ATMが荒らされたり、無人の集落に泥棒が入ったりすると言うことなは、少なくとも私の備えている倫理観では考えられないことですし、かつては耳にすることもなかったように思います。そのことは、昔は報道されなかった事例が多いのかもしれません。しかし、それでもその行為に及ぶ背景は、今日と明らかに違っていると思います。

 例えば、今日目にする犯罪の多くは「喰うに喰われず~」というようなものではありません。短絡的な欲望の実現や、心因的とも思われるような、心の弱さに起因した事例が、余りにも多すぎるように思います。私自身、誘惑に極めて弱く、けっして心の強い人間ではありませんが、一向に減らない自殺者の数と併せて考えてみても、今の日本人は弱くなってしまったように思います。

 何かことが起きると、直ぐにカウンセラーによる精神面のケアをなどということが、良く聞かれるように思います。確かに、心の病や傷などのケアや癒しは必要だと思います。しかし、自身によりそれらを克服していく力が、強い方が良いことに違いはないと思います。またそれは、一朝一夕に身に着く力ではありません。幼少の頃から、色々な体験を重ねながら成長することによって、徐々に備わっていくものだと思います。

 現在の日本では、ある程度の物質的な豊かさと、個人の権利や欲望を追求する考え方の浸透が進み、地域社会はもとより、血縁関係者との間における人間通しの関わりが、極めて希薄になっています。そのことは、自治会活動など地域における役割を担っていると、本当に良く解ることです。そのような、他者との関わりを余り持たずに育つ人間が増えていることが、人の心が弱くなっていることの一因であると思います。

 さらに、そのような成長の仕方に基づく心の弱さは、自分自身についてだけでなく、他人を思いやる心にも影響するのだと思います。明らかに、異常と思えるような、他人の命を何だと思っているのかというような、そのような理解に苦しむ犯罪が、増え続けているのも、そのような背景があるのだと思います。

 そう考えると、被災している現場やその作業員、また、避難を余儀なくされている多くの被災者に対する、強い責任感や思いやりを感じることのできない「偉い人」の対応や発言にも、頷くことが出来るように思います。また、ユッケに関する食中毒事件の若きやり手社長のような、行き当たりばったり的な土下座会見などに、違和感を持たなくなる人が増えることにも、納得ができます。本当に最近の日本人は、テレビに映されていることを意識しながら、言動を行うことに慣れて来たのだなぁとも思います。

 いわば、アメリカ的な(或いは中国的な)とりあえず主張することを是とする文化の影響だと思いますが、大切なのは能弁に語り土下座などのパフォーマンスをすることではありません。またそれは、避難所を訪れた東電幹部に対する被災者の、発言にも感じることでもあります。確かに、憤懣やるかたない気持ちは、本当に良く解ります。当然ながら、言いたいことや訴えたいことは、しっかりいえば良いと思います。

 しかし、あたかもテレビに映っていることを意識した上で、土下座を要求したりするのはどうかな、と、いう気持ちが浮かんできてしまいます。上手く言葉に出来ませんが、私が考えている本来の日本人の精神性とは、異なるように思うのです。そして、責任ある立場の人達のやるべきことは、反省や謝罪を効果的にアピールすることではないはずです。生肉を提供する側においても、どんなにマニュアルを整備しても、肉を見て判断できる人間の資質が伴わなければ、最終的には解決しない問題です。

 何か、見栄えの良い(或いは効果的な)謝罪の仕方を、教えるコンサルタントやアドバイザーなどもいるようです。問題は形ではなく、内に秘めているものであるはずです。ところが、心の弱い人間が増えた現代では、それを見抜く力も弱くなっているのでしょう。そして、取るべき責任や果たすべき義務について、きちんと考える力も弱っているのだと思います。結果的に、全てがショーのような、質感の感じられない光景を、目にすることが多くなるのだと思います。

 全体として、人間力(高い精神性に根ざした)が落ちているから、多くの決め事や書き物が必要になるのでしょう。


2011年 4月 28日          五十年忌


 


 北の方に咲く遅咲きの桜を、春の雷が散らしたようです。花に嵐のたとえでしょうか。いつの世も無常と不条理は、人の世の定めという他はないのでしょう。

 無常などといえば、東北大震災の衝撃は大きく、まだまだ復興などという言葉が実感できません。何といっても、原発の動向は予断を許さず、一刻も早い収束への動きが望まれるところです。多くの人が犠牲になり、いまだにきちんと葬られることさえなく、さながら野ざらしという人もいるのだと思います。

 そのような荒れた春ですが、私にとっては祖父の50年忌をはじめ、縁者の法要が続く春となりました。既に、何回も親戚の法事に招かれ、お経を聴き説教なども伺いました。たとえ一時だけでも、故人のことを思い出し、生きていることのあり難さなどを思う気持ちは、未曾有の災害の驚異的な映像を見ているからこそ、尚更強いのかもしれません。

 ところで、宗旨によって多少違うのかもしれませんが、一年・三年(実質二年)・七年・十三回忌などと行われる法事は、遺族や親族の悲しみが癒えていくために必要な時の流れと、本当に上手く適合した時間設定というか、丁度良い節目として定められているように思います。また田舎では、葬儀からしばらくは逮夜などといって、満中院(四十九日)まで毎週縁者が集まってお経をあげたりもします。

 まさに、死者の印象が強い間は頻繁に、それが薄れるにしたがって間隔をおいて、そのような営みが行われるのだと思います。とはいえ、仏教徒のそのまた一つの宗旨に属して生活しているものとして、私がそのように感じているだけですから、普遍的な社会通念とはいえないのかもしれませんが、家族や知人との死別と、その後の心のあり様は、大差があるようにも思われません。

 一応、五十年忌を済ませると、そこが一つの区切りとなるような雰囲気もあります。私の家でも、もう少しで祖父の五十年忌を迎えます。享年六十三歳で祖父は他界しました。その時、私は僅か四歳(なったばかり)でしたので、ほとんど記憶はありません。それでも、ギョロッとした眼光の遺影をみると、キセルを投げつけて叱られた時の、恐い表情を思い出します(意外と、鮮明に記憶している)。

 今でも、自治会組織や市の中央での集まりなどで「○○さんの孫か」といわれることがあります。祖父と面識があり、関わりがあった人と、自分が関わるような場面もありますし、何か不思議なような気もします。色々と、エピソードも多い人であったようですが、個人的なことは披瀝すべきことでもありませんし、私自身が大切にしたいと考えているものでもあります。一つだけいえることは、「○○さんの孫か」と言われて嫌な思いをしたことはありません。

 もちろん人間ですから、良い面ばかりの人であったとは思いませんが、人物や生き方と言う評価において、祖父や父の直系の血縁であることを、私は恥じたことはありません(もちろん、「男子」としての艶聞を耳にすることもありますが、その点においても自身を否定出来ないのが、素直な心境でもありますので)。むしろ、出自を含め、私の誇りとするところでもあります。

 とりわけ、財産や資産などというものを、残すような人達(祖父も父も)ではありませんでしたが、蓄財の代わりに評判を落とすような生き方も、出来なかったようです。そのことだけでも、今私は、あり難く感謝しているところです。それはまた、静かなる闘志を胸に抱き、気の長い戦いを続けている時の、私を支えている気持ちの一部にもなっているものです。

 人生は、バトン(襷)を持って走り、次の世代へと繋いでいくものだと、有名な人から、また名も無い建設現場で働く人から、私は何度も聞きました。本当に、そのようなものだと思います。そしてそれは、血が繋がっているとかいないとか、それだけのことではなく、影響しあう人全てにいえる事だと思います。そのようにして、脈々と前代から次代へと、繋いでいくべきものだと思います。

 そのように考える時、祖父の描いた世の中を、果たして自分が生きているのかと思いますが、確かめる術が無いのも現実です。しかし、祖父から私に繋がった五十年の間に、この国の人々の精神性が、大きく衰退したことだけは、否定し難いことであるとも思います。酒と人を愛した故人の、多くのエピソードを語り合いながら、五十年忌の宴席を楽しみたいと考えています。

 その宴の中で、祖父の姿が蘇るでしょう。。その人を覚えている人がいる限り、人は死なないのだと思います。



2011年 4月 14日          ものを言う覚悟


 


 沈鬱な心情に、喧しく爪を立てるような、そして何の意味があるのか解らないような、選挙という春の嵐の中で、遅ればせながらも花は咲きました。桜の漏らすため息が、感じられるような気がします。

 本当に、人の心の温度差というのか、立場が違えば、否、備えた価値観が違えば、行動も発言も大きく異なってくるものです。今回の未曾有の大災害において、いつもながら思うことは、本当に責任を感じなければならない人達に関して、公の場での発言や対応などを見ていると、虚しさばかりが募ります。被災地の瓦礫の傍らで途方に暮れる人々や、放射能の脅威に慄きながらも、具体的な対応策も示されず、怯えている人のことなど、到底考えているようには見えません。

 大きな責任と、強い権限を与えられた人達が、本当に守らなければならないのは、自身の立場や組織の存続ではなく、国民の生命や財産であるはずです。だから、真っ先に一刻も早い事態の収束と、被害拡散の防止を念頭に置き、可能な限りの人智を結集し、迅速な対応を図るべきだと思います。マスコミに指摘されたことへの、帳面合わせ的対症療法に追われている様子には、失望以上のものを感じます。根本的な、原子炉や核燃料への対応策は、どうなっているのでしょうか。

 そのマスコミも、どこが正義の味方なのか解りませんが、当局や体制側の揚げ足を取るようなことや、対応の拙さの粗探しに終始しているだけのようにも思います。その一方で、操作されている(としか思えない)開示されるべき情報提供への糾弾(とまではいかなくても、それを促すことは必要)など、ジャーナリズムとしての使命感は、あまり感じられません。視聴率というものが、最優先なのでしょう。

 被災地の状況を広く伝え、心温まる話や、献身的なエピソードを掘り起こすことは、意義のあることです。しかし、もっと直接的にできることは、たくさんあるのではないでしょうか。例えば、民法各局はTBSが岩手、フジテレビが宮城、日本テレビが福島というように手分けをして、自社の持ちうる限りの通信手段を供与し、支援物資の調達や、復興支援に関して必要な情報通信をサポートする、というようなことも出来るはずです。

 もちろん、そこにはNTTをはじめとする電話会社などの参画や、被災地に集中した支援体制も必要だと思います。何よりも、市民レベルでいえば、これ程高まっている復興支援に関する気運を、実際の震災被災者の元に、如何に速やかに効果的に届けるかということについて、俯瞰的な立場から考えることが重要です。そのような意味からも、復興担当大臣の選任や、そのための組織編制などが見えてこないのも、情け無い話です。

 全てが「そこに、何人住んでいるの?」という考え方であれば、被災者を皆都市圏に集めてしまえば、効率的で「平等」なお金の使い方ができるのでしょう。もっといえば、再び災害が起きる可能性があるような場所には、住まない方が良いのでしょう。しかし、そもそも「そこに、何人か」しか住まなくなった(住めなくなった)のは、何故なのかという理由も考えず、現状だけを見て多数決の理論を振り回すのは、大変危険ですし怖い気がします。

 有史以来、美しい二次的自然といわれる里地・里山の原風景を養い、水源涵養や災害防止などの多面的機能を支えてきた地方の農村の多くが、今「限界集落」などといわれ、存続の危機に瀕しているのです。しかし、それら多くの地方の村や町は、現在都市圏で活躍している数多の事業家・キャリヤ・知識人……などを生み育て、都市に送り出してきた故郷でもあるはずです。そんなことは、何でもお金に換算して価値を図る社会では、意味の無いことかもしれませんが。

 明治維新以来の、この国の歩みを考えてみれば、そのような地方で育まれた日本人の、高い志と高邁な知識によって、この国の発展と都市の形成が進んだのではないでしょうか。また我々は、現在目まぐるしく進歩する情報端末のように、便利なものが身近にあることを、当たり前だと考えています。しかし、今それを駆使している人達の多くは、私が子供の頃から培ってきた日本人としての感性を、曲がりなりにも備えた人の方が多いはずです。

 すこし回りくどいのですが、紙に鉛筆で文字を書き、辞書を引き言葉を覚えてきたからこそ、便利なタッチパネルでも文章が書ける(単に、文字を連ねるという意味でなく)のではないでしょうか。最初から、キーボードや液晶画面で言葉を覚えていくことに、私は戸惑い(本当は恐怖)を覚えてしまいます。道具は便利な方が良いですが、便利なものを使えば使うほど、人間としての感性は鈍くなります。情緒的な部分からいえば、尚更のことだと思います。

 大切なのは、キーボードやタッチパネルに触れて、如何に速く効率的に文章を書くかということではありません。何を書き、どのようなことを伝えたいのか(伝えなければならないのか)ということだと思います。例えば、このようなたわいも無い稚拙なコラムを書いていても、私は各一文に強い意志を込め、責任を持って述べているつもりです。言葉というものは、本当に重いものだと考えるからです。したがって、臆することなく名前も晒しています。

 そのような視点で見ているからこそ、あらゆる場所で意見を述べている人の、奥行きや言葉の軽重などについても、気付くことがあるのだと思います。一方でそれは、反面教師ともいえるものでもあります。私自身の、振る舞いにおける言葉の軽さや、小賢しい行動に対して、警鐘を鳴らす感覚でもあります。腹を据えて、ものを言わないといけないのだと、自身を省みる日々です。


2011年 3月 31日          折れない心を静かなる闘志として


  

 遅い春ですが、確実に春は来ているのでしょう。明日からは、控え目ながらもさくら祭りが始まります。恥ずかしながら、私の季節でもあります。被災され、また大切な人を亡くし、打ちひしがれている人がたくさんおられること、無事暮らしていることのありがたさを噛み締めながら、花の酒を飲みたいと思います。

 いつもながら、底の浅い感じがする当局側といわれる人達の記者会見に、またぞろため息を漏らしながら、単なる視聴率稼ぎや、もっといえば物見遊山ではないかと訝られるような、ワイドショー的報道を見ておりました。多少(かなり)辟易とした気分です。数字の単位や基準値などを、巧みに「言い回し」て、自らに責任が及ばないようにすることに、懸命な姿をみせる「賢い」人達の影に、決死の覚悟で現場に対峙している多くの人々がいることを思うと、沈鬱さはさらに増していきます。

 大切なのは、数字を無理やり何かの基準値に収めることではなく、どれだけ被害を小さくし、人々の不安をいかに取り除くか、ということであるはずです。前回も述べましたので、あまり項を割きたくありませんが、どうしても言いたいのは「事件は会議室で起きているのではなく、現場で起きている」という「湾岸署」の青島刑事の言葉です。一方で、全体を俯瞰して、時系列に機敏な対応が求められるのが、官邸(政府)の仕事だと思います。官房長官は、本当に根気良く対応されているように思います。

 恣意的な、挑発的な質問などが散見されますが、枝野さんは辛抱強く対応されている気がします。しかし、政府からは全体的に「日本を守ろう」というような気概が伝わってこないのも、正直な感想でもあります。私は、自治会活動などに深く携わっている方ですが、周囲における自然発生的な募金活動や、被災地支援のための動きは、目覚しいものがあります。私自身も、出来る限りのことをしたいと考えています。

 しかしながら、その自治会活動というものについては、温度差や価値観の持ち方が、本当に多様なものでもあります。まあ、大それたことでなく、当たり前のこと(私が思うところの)を当たり前に進めるというだけのことでも、実に難儀をしますし、大変な苦労を伴う場面もあります。夫々の地域で有識者として、その存在感を示し、地域の代表として集まってきている、それなりの年齢(概ね60~70代)の集団でありながら、凡そここに記せないような情け無い場面を見ることも多々あります。

 この人たちは、あと何十年生きるつもりなのだろう(短い余生を、長いものに巻かれて過ごし、子や孫に恥ずかしくないのか)?と、五十台に届いたばかりの私が首を傾げるほど、呑気で無責任な人が、あまりにも多いというのが、これまでの印象です。もちろん、次世代のために「ちゃんとしたこと」をして、バトンを繋いでいこうとする志を持たれた人もいますが、そのような存在は稀有であるというのが、私の偽らざる実感でもあります。

 ただ「会長」になりたいとか、ただ何とかの役職につきたいとかという、地位や名誉に対する射幸心のような気持ちを持った人達が、それぞれに模様眺めの駆け引きを繰り返し、ただ年数を重ねることによる表彰や叙勲などを励みに、夫々の役職にしがみつこうとしているという様は、情けなさを通り越し、虚しさというより寂寥感のようなものさえ覚えます。ここでも、私達は地域住民の希望や意向を、具現化するために存在しているという原点に、立ち返る必要があると思います。

 その役職について、何がやりたいのかという基本的な理念や目標を、言葉だけでも語る人さえ中々見かけられないのが、残念ながら現実です。さらにいえば、そこに歳費という給料を伴わせたものが、現在行われている統一地方選挙の市議選・県議選というようなものではないでしょうか。もちろん、ここでも志や力を秘めた人も幾らかはいるのだと思いますが、こちらも前述の自治会組織の例と、大差ないような気もします。

 いずれにしても、そのような「行事」に深く関わらざるを得ない(好むと好まざるに関係なく)のが、今の私の立場でもあります。多くの場合、他人の就職活動のお手伝いをしているような、そんな気分だけが残ります。人によれば、お願いしにこられる時の低姿勢と、選出が済んだ後の態度の変化が、滑稽な位違う人もいますし、もともと、そのようなことなど意に介していないような、能天気なご老人もおられます。ただただ、呆れるばかりです。

 カッとなりやすく、直情的な一面を良く窘められる私ですが、一方で辛抱強い人間であることを自負しています(自分では)。しかしながら、澱のように溜まった心の傷跡から剥がれた瘡蓋のようなものが、ボディーブローのように、蓄積されて来たような気もします。自分でも、不思議な位に強く備えている筈の闘争心も、それを発現するためのケアさえ、中々図れないのが現状です。それでも、不当な扱いや理不尽な仕打ちを受けるほど、湧き上がってくる自身のそれを、静かなる闘志として保つ他はありません。

 「愚痴って生きたら、もったいない」私の好きなボクサーの一人坂本博之の言葉ですが、誰が語るのかで、響きも伝わり方も違います。しかし、「あと何十年生きるつもりなのか~」も私の本音です。


2011年 3月 17日          大震災に思う




 3月11日(金)午後2時46分、東北地方を中心としてマグニチュード9.0という驚異的な地震が発生しました。今現在も、正確な被害状況すら確認できない状態です。亡くなられた方々やご遺族に、お悔やみを申し上げ、ご冥福をお祈りいたします。また、被害に遭われた多くの皆様に、お見舞いを申し上げます。

 地震発生以来、テレビでは次々と被害状況が伝えられています。押し寄せる津波の状況や、爆発する原発の様子が、繰り返し映像で映し出され、犠牲者の数はいつ留まるのかというほど、増え続けています。本当に、見ているだけで沈鬱な気分になってしまいます。見ているだけの自分の、無力さと虚しさが、その気持ちをさらに沈み込ませていきます。

 そこで、ふと考えたのですが、被害に遭われた方々が身を寄せている避難所(学校や公共施設が多いと思いますが)では、私達が見ているような(得ているような)情報が得られているのでしょうか。災害に関する詳細な情報は、直接的な被害を受けていない我々よりも、そこに直面している人々を、第一に考えて行われるべきであると思います。

 NHK以外にも民法各局は、現地に多くの人や設備を派遣していると思います。だからこそ、これだけ多くの情報が氾濫し、テレビを見ている我々に、供給されているのだと思います。それは、もちろんあり難いことですし、重要な仕事だとは思います。しかし、その設備や人的資源の一部でも、支援物資の供給や病人・けが人など被災者救護などを迅速に行うために、避難所と救護施設等を結ぶ情報通信網の構築のため供与されると、どれだけ意義深いかと思います。

 考えてみれば、効果的で効率的な支援活動と、被災者の不安を少しでも拭うような情報提供が行われることに対して、マスコミ各社が出来ることは、実はたくさんあるのではないでしょうか。実際に、支援物資を必要とし、家族や親戚などの知己との連絡を取り、コミュニケーションを図ることを切に求めているのは、被災された方々に他ならないのですから、まず、その人達のためにすること(できること)があると思います。

 それから、テレビを見ていて何とももどかしいのは、専門家と呼ばれる人達や、責任者として記者会見に臨む人達の「説明能力」の低さだと思います。何よりも、誰のために説明しているのかが解らない気がします。まず「専門家」に対して言えば、見ているこちら側は説明者や解説者の知識量や、博学さを知りたいわけではありません。具体的に、現在何が起きていて、どのような点が懸念されるのか、また、どのような対策が考えられるのか(有効なのか)を簡潔に述べれば足りるはずです。

 さらに、為政者や東京電力など公的機関の説明者に関していえば、その傾向は一層顕著です。そのような意味からも、「難しいことを簡単に解りやすく」説明することが求められている我々技術士としての視点は、本当に大切なものだなぁと思います。尺度や判断基準をパラメータなどといわず、実際に何が起こっていて、被害の拡大を最小限に抑え、関係者や住民の安全を図るために、このようなことをしているということを、解りやすく説明する必要があります。

 そして、映像というものは現実に忠実で残酷なものですから、説明する姿勢に真摯な態度や誠意が込められていなければ、十分な理解を得辛くなるのは、当然のことでもあります。ここまでの、主にテレビ報道から得られる情報を基に、考えたことは上記のような事柄です。特に気になるのは、史上最悪の危機を迎えている福島原発に関する、東京電力関係者の説明能力の無さと、その向こうに見える危機管理の甘さや、対応能力の低さというものです。

 その上で、全く残念な印象をを覚えるのは、プレス発表などに追われている人達の顔つきです。どの顔も、自身の立場上の責任問題を超えた使命感が、全く感じられません。もう少しいえば、本当にこの危機の初期段階から、現場の状況を十分に把握していたのか?という疑念が湧いてしまいます。炉心融解などということになれば、容易に手出しすることもできず、周辺にも大量の放射能が撒き散らされること位、素人にも想像がつくことです。

 彼らは、政府に報告する前に、或いは記者会見に臨む前に、自分の保身を考えたシミュレーションを行わなければ(そのような印象を強く受ける)、報告や会見さえ出来ないように見えます。それは、自分達が想定した質問以外の質問を受けたときの対応を見れば、明らかに見透かされるものでもあります。一方で、実際の現場において、この未曾有の危機に対峙している人のことは伝わってきません。また、彼らの意見やアイデアは、どのように生かされているのでしょうか?

 まだまだ、重大な危機の初期段階なのかもしれません。今後の様子を、注視する他はありません。また、震災そのものの被害状況も、次第に明らかになっていくと思います。まず、募金に参加する事位しか、出来ることも思いつきませんが、何か自分にも出来ることを考えたいとは思います。そして、一部の報道でも伝えられているような、利己主義に走らず、どんな時でも他者を思いやれる日本人の精神性に、ほんの少しの希望を抱かずにはいられません。

 いつも述べていることですが、課題に対して(危機に際して)どれ位の判断が出来るかが、リーダーとしての資質なのだと思います。それは、机の上だけの勉強や、頭から得た知識だけでは発揮できない資質でもあります。少しでも、そのような資質を備えた人達に、この災禍に携わって欲しいと願うばかりです。


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