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NO.31                

2015 11月 20日    十年ひと昔




 まだ晩秋のはずですが、早めの忘年会なども始まりました。年々、その傾向は強まります。嬉しいような悲しいような、そんな心境とは別に、体調を維持する大変さもあります。

 あいかわらず、多忙な日々を過ごしています。地域における様々な行事をこなし、視察・研修などの旅にでかけ、さらに自治会運営や議会に関する「やらなければならない」業務を遂行し、僅かな合間に技術士試験の指導などもやっています。あたりまえのことですが、関わる人が増えればそれだけ行事ややるべきことも増えます。年末に向けて、しっかりやって行かなければ、と、考えているところです。

 また、同じ釜の飯を食うなどといいますが、やはり、泊りがけで旅にでかけたりすると、人間同士のコミュニュケーションも深くなります。当然ながら、酒を酌み交わすことにもなりますし、胸襟を開く機会も増えるというものです。そのような交わりの中から、新たに発見することや、さらに築かれていく人間同士の関係も生まれてくるのだと思います。

 いまさらですが、そのようなことを考えています。実際、ここしばらくハードな日程が続きました。さらには、身近な人や関係者の予想外の訃報に接する機会もありました。あらためて、人生の無常を感じる一方で、周りの人からの暖かい思いやりを感じたり、心が通い合うような場面を持つこともできました。本当に、人間は一人では生きていけないものなのだなぁ、と、思っています。

 また、平成の大合併で新市になってから10年が経つ我が市において今年は、連合町内会という自治会組織が創立60周年にも当たります。色々な記念事業などが実施される中で、記念誌も発行されるようです。支部長としての寄稿を依頼され、参考にと届いた前回の記念誌(50周年のもの)のページを捲ると、様々な懐かしい諸先輩方の顔があり、ひと時、思い出に耽りました。

 我が市では、10年前の合併後365の単位町内会が存在することとなりました。その、365の各単位町内会が44の支部に所属して活動しています。そして、各支部の支部長により構成された支部長会が、連合町内会の執行部と位置付けられています。合併記念誌は、各支部長が夫々の支部の特徴を踏まえた内容の文章を寄稿し、その記事を中心に編集されています。

 私は、何気なく10年前の記念誌を眺めておりましたが、自分の支部のページに差し掛かったとき、驚いたような衝撃とともに我に返るような気持ちになりました。そこに掲載された自分の写真と文章を見て、改めて10年間の時の流れを感じたからです。今よりも若く、多少精悍な感じさえする自分の写真を見て、思わず、これまでの生き方を振り返らずにはいられませんでした。

 当時、声の大きな人や押しの強い人達による強引な運営によって、この地域支部は地域住民からの信頼を失い、活動内容も低調なものとなっていたと思います。そのような中、誰であれ横車は押させないという思いで、私は支部長としての責務を果たしてきたつもりです。本当に、多くのエピソードがありますし、このような場所では語れないこともたくさんあります。

 実際に、初期の頃は戦いの連続であったと思います。それでも私は、貫くべき筋は遠し、民主的な自治会活動をするために取り組んできました。手前味噌かもしれませんが、今、この地域はわが市のどこよりも民主的な自治会運営をしていると自負していますし、そのような評価をいただく機会も多くなりました。本当に、私を信じて力を貸してくれた人や、支援し続けて頂いた皆さんのおかげだと思っています。

 しかしながら、まだまだ盤石の状態ではありません。本当に、僅かでも気を抜けば、元の木阿弥になりかねない危険さえ孕んでいます。事実、絶えず改革を意識していなければ、或いは意識していても、至る所に綻びの種を内包しています。一方、私が地元に続いて改革に取り組んできた、連合町内会そのものに関しても、自身の議会への転出などもあり多くの課題を残しています。

 これは、体験を通してしか言えないことだと思いますが、本当に直面しなければ、人は真剣に考えないということだと思います。特に、この市の人々はそうだと思います(よくも悪しくも、)。私自身が、そうでした。自治会の支部長として必死に闘い続け、選挙に出て落選を体験し、初めて民主主義の大切さを知ったのだと思います。自治会や政治活動に関し、本当に真摯に参加することが大切です。

 今改めて、10年前の希望に燃える自身の写真に向い、そのことを誓い直す気持ちを深めています。


2015 11月 2日    読書週間




 11月となりました。夜が寒くなるにつれて、鍋を囲む機会も増えます。廻る季節の中で、時々の楽しみを探し出すのがこの国の伝統でもあります。杯を手に、語り合いたい人達の顔が色々浮かびます。

 前回、旅先で読む文庫本には耽溺しがちであるという話をしました。けれども、この読書週間を意識していたわけではありません。私の場合、季節や時候にはあまり関係が無く、読みたい時に読みたいものを読むというような、身勝手なタイプの本好きです(児玉清のような正統派ではありませんが)。そして、それはむしろ習性というのか、体に染み着いた慣わしのような感覚でもあります。

 今でも、その見取り図を描くことができる、小学校の古びた木造校舎の中央廊下付近にあった図書室が、そんな私の心の原風景として、今も、記憶の中に存在しています。本当に今でも、床に塗られた油の匂いと一緒に、ページをめくる喜びに胸をときめかせた少年時代が甦ってきます。私にとって、ベーブルースもタイタニックも、或いはファーブルのスカラベもその本棚から知り得た知識です。
 
 そして今日まで、前述したように「読みたい時に、読みたいものを」というスタイルで、私は本を読んできました。実際、方向性や体系を意識したこともありません。しかしながら、振り返ってみれば自分の人生において、必要な時に必要な本と出合いながら生きてこられたような気がします。歴史、宗教、哲学、そしてそれらを背景とした小説など、若い頃から手当たり次第という感じに本は読みました。

 もちろん、博学の人や有識者といわれるような人から見れば遥かに稚拙で、量的にも分野的にも矮小なものだと思います。一方で、今日の生き様を振り返れば自身の読書歴が投影されているし、重要な意義があったのだと考えています。例えば、全く脈略などなく好奇心の赴くまましてきた読書に依拠するにしては、私の宗教観・歴史観・そして人生哲学は、年齢とともに収斂されてきたような気がします。

 いいかえれば、偏狭な浅学と挫折を繰り返す体験により、今の私が形成されているということかもしれませんが、曲がりなりにも「日本人の精神性」とか「世の中の役に立つものづくり」などを探求するような信条を備えることはできたと思います。思えば、志のある技術者を支援したいと始めた小欄も、この11月で13年を経ることとなりました。そして、小欄に込める思いは、常に一貫している積りです。

 とはいえ、他者から受ける評価は多様でもあります。叩けば埃だらけの身を棚に上げ、信じるところを述べている私などは、先入観や固定観念から離れられない人からは、冷ややかな評価を受けたり、理解され難い場面もあります。カエサルではありませんが、人は皆自分の見たいものを見ようとし、聴きたいことを聴こうとするのだと思います。まことに、世間というものは不条理で理不尽なものだと思います。

一方で、世の中というものは、面白いものでもあります。例えば、あかんたれの私の残影を心に持ち続ける人もいれば、成長や変化の過程も踏まえて、或いは、常に現状を見ながら評価して下さる人が、意外と大勢いるのもまた世の中です。そのことは、本当に有難いことだと思っています。さらに、こんな人も見てくれていたのか、と、新たな発見や喜びを感じることもあります。

 そのような時こそ、生きる歓びと自身の責任の重さを感じる時です。幸いにも私の場合、年齢を追うごとにそちら側の人との出会いや、再会が増えていく傾向にあります。改めて、そのことに感謝したいと思います。そして、乱読気味ではあっても、心に貪るように読み続けてきた本の数と、まさに、天から与えられたような有難い友人・知己達との交流の歴史に、僅かでも自信と誇りを持ちたいと思います。

 私は、小欄においてよく、天啓により書店の本棚から読みたい本が呼びかけて来る、などという表現をしますが、巡り合い出会う人たちも同じだと思います。そして、本にしろ人にしろ、そのような多くの出会いの中ら抽出されたエッセンスのようなものが、私の思考や信条を形成してきたのだと思います。その結果、好きな本や作家、或いは大切な友人・知己ができてきたのだと思います。

 少しだけ、その傾向を言えば、武士の一分や鬼平も良いのですが、やはり、どら平太の周五郎が時代物では好きです。女子では、宮部・桐野も面白かったですが、やはり向田さんや小川さんが心に残ります。何といっても、漱石・鴎外をはじめとする、時間の経過で色褪せない作家が好きです。川端・谷崎・太宰などはその典型ですし、松本清張・吉川英治・井上靖・五木寛之……

 また、当然ながら歴史の司馬遼太郎と、恋愛小説の渡辺淳一は量的にもかなり読みました。あと、翻訳ですがカミュやカフカ……※的が絞れないところが、乱読の証ですね。



2015 10月 16日    文庫と小紀行




 秋の色は、日に日に深まります。朝夕の冷え込みと、日中の温度差についていけず風邪をひきそうです。テレビに流れ始めた風邪薬のCMを、やわな自分への警鐘としなければ……

 先日、地元小学校の学校公開に行ってきました。地元自治会の皆さんと、授業風景を見てきました。たまたま、保護者の参観日と重なっていましたので、廊下や教室にたくさんの大人が集う状況になりました。それでも、子供達は皆落ち着いた様子で、楽しそうに授業を受けていました。また、最近の子供達は、見られることに慣れているような気もしました。

 5年生の教室では、英語の授業が行われていました。簡単な会話形式を取り入れ、若い女性教諭が笑顔で児童に語りかけていました。英語に親しむという意味では、これもありなのかなぁ、と、いう感じがしました。本来私は、英語よりも日本語だろうというスタンスですが、楽しみながらやれる今の子供達がうらやましいような気もしました。

 もちろん、かの藤原正彦先生ではありませんが、日本人の矜持の基本を養うためには、先ず、国語教育が重要であるという考えは揺らぐものではありません。また、それぞれの地域の風習や文化を大切にし、そこに根差した言語で物事を考えることの大切さを、訴え続けずにはいられないのも事実です。人は、自分の使う言語で思考するからです。

 これは、私が小欄を通して普遍的に語り続けていることでもありますが、多様な文化を吸収しながら矛盾することなく開花させ、独自の高い精神性を育む母胎にまでこの国の文化を高めてきた根源に、日本語の素晴らしさがあるのだと思います。また、多様な方言を受容しあうような懐の深さが、日本人や日本語の素晴らしさの背景にあるのだと思います。
 
 一方で、主語を明確に示す表現方法に拠らない言語であるため、英語などへの翻訳に際しては、訳者の資質や技量が大きく作用するのではないかとも思います。逆に言えば、外国語を日本語に翻訳する際にも同様のことがいえるでしょう。「すべては今日から」という、児玉清さんのエッセイ集にもそのようなことが語られていました。

 2011年に亡くなられた児玉さんは、無類の本好きとして知られ、NHKBSの週刊ブックレビューの司会者なども務められていました。誠実で暖かそうな人柄が、画面を通しても伝わってくるような人でした。個人的には、大河ドラマ竜馬伝における八平役が強く印象に残っています。優しさ溢れる、最高の父親像でした。一方、大好きなミステリーの本髄を味わうために、原語で読むのだという熱さも垣間見ました。

 溢れる知識や造詣がありながら、凛とした奥ゆかしさを感じさせる人であったと思います。私にとっては、浅学を顧みず何かと議論に逸ろうとする菲才を戒めるうえで、鑑とすべき人であると考えています。改めて、文庫本の帯に記された「日本一、本を愛した名優」という言葉に頷いています。とはいえ、足元にも及ばないながらも読書好きの身には、親しみを感じる人でもあります。

 今回も、所用で出かけた熊本への列車の車中で、同書から本の素晴らしさを再認識させて貰いました。そのようなこともあり、熊本市内にある小泉八雲の旧居にも足を運ぶこととなりました。市街地の真ん中に、ひっそりとして佇む旧居は、周囲の喧騒とは異次元の空間でした。彼が好んだという中庭の灯篭や、それを眺めるために配置された机の様子が、十分に往時を偲ばせてくれました。

  あの明治の頃でさえ、「日本人の良さが失われていく~」と嘆いたほどの日本文化への愛情や、一方で癇癪持ちであったエピソードなども知ることができました。また、寒さに耐えられず松江から熊本に転居した話は、微笑ましくも感じました。さらには、ハーン(八雲)の後を追うような漱石の歩みも面白さを感じました。何よりも、ギリシャ生まれの彼を虜にしてしまう、この国の文化や精神性に誇りを持ちました。

 熊本は、書店や古本屋の充実している街だと思います。街を彷徨する習性の私には、そのような拠点がある商店街は格好の遊び場です。今回も、金龍堂書店にある、郷土の本のコーナーに足を止めることとなりました。竜馬にも薫陶を与えた横井小楠など、手にすべき本はたくさんありましたが、姜尚中と清張の文庫を購入し書棚を後にしました。帰りの車中で読み耽ったことは、いうまでもありません。

 本当に、、新幹線や高速バスなど移動中の読書は、何故あんなに集中できるのでしょうか。いつも、本の中の物語に、浸りこむ自分がいます。本に耽溺する快感……

 

 

2015 10月 1日    兼業農家考




 晴天に恵まれた連休の一日。僅かばかりの田圃で、稲刈りをしました。天候などのこともあり、収量は今一つでした。もはや、「趣味の農業」と笑うには負担が大きすぎる気がします。いつまで、続くやら……

 本当に、今、日本中で大勢の人がそう考えているのではないでしょうか。地方在住の、兼業農家の後継者達は、冒頭の私のボヤキのように何時まで続けられるのかと憂いながら、稲作から離農する機会を探っているのだと思います。かくいう私も、昭和40年代製のヤンマーのトラクターや、他界して17年が過ぎる父が、生前買い揃えたコンバインや田植え機の寿命が「その時」になるのだと思います。

 かつては、米は貴重なものでした。そのことは、私が生まれた昭和30年代の記憶をたどれば、間違いなく断言できることでもあります。ですから、我が家でも「自分の家で食べる分だけあれば……」と、僅かばかりの地所を求め、家族による就農で細々と稲作に取り組んできたのだと思います。そして、時代は流れ、高度経済成長からバブルを経てその価値も変わっていきました。

 いつしか、食管法も廃止され、本来の経済原則に近い需要と供給の相関関係に拠る価格設定になりました。実は、米価に関しては長い歴史があり、簡単に語れることではありません。基本的に、需給バランスが米価を決める筈なのですが、納得のいかないこともあります。これは、現在の日本の農林水産業全般にいえることですが、生産者がコストに利益をのせて価格が決まるのではありません。

 現在の日本で価格を決めるのは、所謂「売る人」だと思います。つまり、売り手がものの値段を決めるようになっているのだと思います。また、そこでは流通ルートを確立した上で、安定してどれ位の量を買い上げ、さらにはそれをさばけるのかという資本力の競争が行われています。簡単にいえば、売る側による寡占化が進み、供給する側である生産者に価格の決定権が無いということです。

 また、町の八百屋や魚屋がどんどん無くなり、大資本による大型店がしのぎを削る社会では、画一的に大量の品物を並べる必要があります。例えば、客と店主が会話を交わしながら、品物に関する情報をやり取りし、時には目の前で魚をさばいたり、野菜の料理法を薦めるような商売は成立しにくくなります。一方で、それが資本主義の原則だともいえるでしょう。

 そのような、私達自身の生活スタイルの変化と欧米型資本主義の原理原則の徹底により、市場が価格を決定していく仕組みは、さらに確立されていきます。いいかえれば、お金至上主義ともいえるでしょう。いずれにしても、そのような過程を経て、米の値段は下がりました。一方で、生産者がやっていけないほどのメリットを、消費者が享受しているとはいえないようにも思います。

 さらにいえば、そのような変化の中で、いつの間にかこの国の食料自給率は驚くほど下がりました。一般に言われる食料自給率というのはカロリーベースによるものですが、私が子供だった昭和40年代に70%を超えていたものが、平成26年度では39%まで下がっています。しかも、40%付近の数字で推移するようになってからでも、かなりの時が経っています。

 もう少しいえば、肉や酪農製品を生産するための飼料の自給率はさらに低く、海外への依存度が極めて高いのが現状です。まさにこの国は、食糧に関しては極めて脆弱な状態です。食糧に関して、安全保障という視点から見れば、危険であり危惧される状況にあるといえるでしょう。例えば、海外の異常気象や作物の凶作が、敏感に私たちの食卓に影響してしまいます。

 本当に、農林水産業に関することは、真剣に考えなければならないのだと思います。食糧の安定供給を念頭に置き、さらには、この国の各地における農林水産業の生産活動による営みの過程が築いてきた、様々な多面的機能にも目を向ける必要があります。そのことが、里地・里山などの二次的自然を育み、地域社会を構成してきた集落機能の維持を担って来たのだと思います。

 今、本当に地方は疲弊しています。そのような時だからこそ、私たちは、自らの生活を見直す必要があるのだと思います。それは、ものが無くても高い精神性を培ってきた先人たちの生き方に学ぶことだと思います。例えば、食事の際の「いただきます」は命を頂くという意味です。中央で唱えられている地方創生の議論も、そのような慮りが下地になければ実を結ばないのだと思います。

 できれば、善良な兼業農家の跡取りが、やっていけるような国であって欲しいと思います。




2015 9月 15日    人間のおごり




 またも、予期せぬ形で、また、思わぬところで大きな災害が起きました。この度、東日本を襲った豪雨災害で犠牲となられた方々と、被災された皆様にお悔やみとお見舞いを申し上げます。

 とはいえ、被災地とは遠い場所に居て、ニュース映像などを見ること位しかできませんが、胸が痛む思いがします。それは、私自身がエンジニアとして、長らく社会資本整備に関わる仕事に携わってきたことにも関係あるかもしれません。そのくせ、線状降水帯などという言葉さえ、今回の一連の報道の中で知ったような有様です。昔から、あった言葉なのかもしれませんが。

 一方で、よく雨の降り方につて50年に1度とか100年に1度などという言葉を耳にします。一般に、当該地域における降雨強度をもとに、そのような表現をするのだと思います。その値は、その地域における長年の観測データが根拠になっています。また、それは当該地域の社会資本整備にも、用いられるものです。代表的な事例として、河川断面の検討や決定に使います。

 しかし近年では、そのようなデータとは異なる、激しい雨の降り方をする事例が多く見られるようになりました。まさに、それは想定外というべきものですが、そのことにより、50年に一度や100年に一度というような災害を想定して、整備しているはずの河川堤防が決壊したりします。さらには、そのようなイレギュラーな気象状況の発現機会は、増加傾向にあるようにも思います。

 悲惨な災害の後よく耳にするのが、想定外を想定内にせよという意見です。つまり、さらに高い基準による施設整備を求める声です。例えば、河川では川幅を広げて、高く広い堤防を構築するような、ハード面の充実を求める声がよく聴かれます。無尽蔵に財源があれば、そのようなことも可能ですが、東日本大震災などの事例をみても、ハード面だけで防災を完璧にすることは不可能だと思います。

 実際、公による社会資本整備の不備や充実の必要性を説く声は、災禍の状況を伝えるワイドショーなどでよく聴かれます。また、大雨の水の供給源となっている、太平洋の海水温の上昇を指摘する人もいます。しかしながら、その原因となっている地球規模での温暖化の背景に、言及する人は少ないのではないでしょうか。

 例えば、地球温暖化が海水温度の上昇をまねき、そのことが台風の巨大化などにも寄与していると語る人はいますが、そのために人類が、自らの生活を見直すべきだと唱える人はあまり見かけません。つまり、温暖化ガスの排出を抑制するために、利便性や快適性を犠牲にしてまで取り組もうとしないのは、途上国・新興国のみならず、先進国といわれる国であっても変わりないような気がします。

 私自身にしてもそうですが、既にCOP(国連気候変動枠組条約)会議が、どこまで進んでいるのかさえ解らなくなりました(技術士試験を受検していた頃は、傾注していたのですが)。一方で、そこには米国・中国など大量に温暖化ガスを排出する国が、真剣に取り組まなければ成果など出るはずがない、と、いうようなあきらめのような感情もあったのだと思います。

 まさに、排出権などと称して、温暖化ガスを排出する権利をお金でやり取りするような行為を、人類が許しても地球が許さないのではないかと思います。まったく、文明とは皮肉なものだといわざるを得ません。常に、進化を続ける文明の中で、人間のみの幸福を追求する考え方がグローバルスタンダードとなり、自然を畏怖し敬意をはらうような考え方が廃れていきます。

 さらにいえば、便利さや快適さを知らないまま我慢するより、それらによってもたらされる快感を知っていながら我慢することの方が、圧倒的にく困難なことだと思います。少し、情緒的な事例を述べれば、愛を知る前よりもそれを知った後の方が、その人との別れがはるかに辛いのと同じです。一方で、どこまでも快適性を求めるのが、人類であるともいえるでしょう。

 そのように、地球規模で文明が進化していく影で、多様な地域文化が消滅していっているのが現実です。その、消滅していく独自の文化の中にこそ、便利さに距離を置き、自然を敬う人々の生き方がある(あった)のだと思います。本当に、便利な物に囲まれて地球に負担を与える生活を謳歌しながら、一方で安穏な日々を願うのは、人間のエゴだといわざるを得ないような気がします。

 運動会。選手に選ばれたいような、選ばれたくないような…そんなときめきを思い出します。いつまでも、初心わするべからず。今回は、自身への戒めも込めて……


2015 9月 1日    ひたすらやることの意味



 つい先日、窓を開けて入ってきた風に、ふと「秋きぬと目にはさやかに見えねども、風の音にぞおどろかれぬる」という歌を思い出しました。気が付けば、9月です。月日の経つのは、早いものです。

 好ゲーム続出であった夏の甲子園、躍動するアスリート達の鍛え上げられた肉体美と、戦う姿勢に魅せられた世界陸上。選手たちの、精魂込めた戦いに惹きつけられる人々の熱狂が、やがて静かに冷めていくように、暑かった今年の夏も終わろうとしています。それらの、スポーツシーンのエピローグに重なるように、自分も汗を流していた日々を思い出したりします。

 それは、水をのんではいけないとか、うさぎ跳びをするとか、今では「やってはいけない」ことばかりをやりながら、極限まで身体を追い込むような練習をしていた頃のことです。特に、負ければそれで「現役」の終わる三年生として試合に臨む時のあの感覚は、今でもリアルに思い出すことができます。そして、まるで人生の終わりのように感じた、最後の試合の終わった時見上げた空……

 夏の甲子園。決勝戦が終わり、東海大相模と仙台育英の選手が挨拶を交わした時、両校のエースが笑顔で抱擁しあうシーンを見ました。本当に、爽やかな笑顔でした。劇的ともいえる試合内容が、一層、私にその印象を強くさせたのかもしれませんが、素晴らしい光景でした。やり尽くした者同士に通う感情が、共有されているようでした。私の、40年程前の空とは少し違いますが、感情移入させられました。

 大人になって、それもずいぶん経った今から思えば、高校生の三年間など、本当に短い期間だったと思います。しかし、誰もがそうでしょうが、私にはとても長く感じられました。また、記憶には多くの思い出が残っています。実際、試合に負けようが、失恋しようが、長い人生の中ではほん一コマです。しかし、その時感じた喪失感は、例えようもなく大きなものでした。

 もちろん、そのような感覚には個体差があり、私は、人より少し感受性が強かったのかもしれません。しかし、その後の人生で体験するエピソードよりも、私の心の中で大きなウエイトを占め続けていたことも事実です。それでも、何時のまにか痛みや傷が癒され、貴重な思い出として心のアルバムの中に整理されていくようです。まさに、時の成せるわざなのでしょう。

 一方で、想像がつかないようなことを経験する機会が減っていくことが、大人になっていくということなのかもしれませんが、5年前と10年前の記憶の区別が良く解らないような年にもなってきました。そのことは、普通の人よりは複雑な環境に置かれ、多様な対応を迫られていると思う私(自身で感じているだけかもしれませんが)ですが、痛切に感じます。

 例えば、野球でもサッカーでも何でも良いのですが、ひたすらにボールを追いかけ没頭する日々を過ごすことの大切さを、今、しみじみと感じています。それは、球技のようなスポーツでなくても、何でも良いのだと思います。ただ、結果は解らなくても、ひたすらに打ち込んでみる、と、いうことが大切なのだと思います。紆余曲折し、叩けば埃の出るような私ですが、そのような日々を持てたことに感謝しています。

 それは、特定の誰かということでなく、偶然としても、そのように生きられたことに対する感謝ですが、他方では、多くの仲間や諸先輩方、或いは後輩達に対する感謝でもあります。本当に、人は生まれる場所も時も選べないのですから、これまでの人生において、自分と関わってくれた人々から有形・無形の恩恵を受けていることは間違いありません。

 そして、そような気持ちを持てるようになって私は、高校野球を見る角度が少し変わりました。それは、スタンドで懸命に応援するユニフォーム姿の生徒達に、思いを馳せるようになったことです。甲子園に出場するような学校は特にそうですが、多くの野球部員がベンチに入れずに高校生活を終えます。グラントに立ちたい気持ちや悔しさを抑えて、懸命にメガホンを振る姿は胸を打つものがあります。

 私の経験からも、或いはエピソードとして、実社会に出た時には三年間そのような生活に耐えた人の方が、成功したり活躍する事例が多いという話は良く耳にします。もう少しいえば、ネットで調べても解らない未来に向かって、一日一日を懸命に努力する日々を過ごさなければ、つかめないものがあるのだと思います。やる前に、結果を見てしまいがちな今の時代だからこそ、そのことを強く思います。

 さらに今年は、オコエ選手、サニブラウン選手等、ハイブリッドする可能性と素晴らしさも感じました。

 

2015 8月 17日    お盆に考えたこと


 

 夕暮れ。送り火。縁ある人達が帰っていく…。一方、この世に生かされている者同士の宴もまた愉し、というところでしょうか。本当に、お盆のような風習を持つ国の良さを、改めて感じています。

 先日、今年も地元の小学生を対象とした「夏休みわくわく教室」を開催しました。8月3日~5日までの僅か3日間ですが、意義深い取り組みであったと感じています。私も、自分の手に負える範囲で、また、子供達の将来に禍根を残さないように留意しながら、児童の学習のお手伝いをさせて頂きました。大人が一緒に考えることの意義、褒めてあげることの効果などについて、今更ながら再認識しました。

 もしも、私の子供の頃に、このような取り組みがあったなら…などと、つい、無いものねだり的な妄想を膨らませたりします。もちろん、そのような環境を与えて貰っていたとしても、遊び呆けていた少年時代は変えられないであろうということも、その妄想がしぼむ頃には、痛感させられることではあります。いずれにしても、未来を担う子供達のために、大人が頑張らなければならないということだけは確かです。

 一方、終戦記念日の8月15日には、安倍総理による「首相談話」なるものが放送されていました。また、NHK・民放問わずかつての戦争を振り返る番組や、総括する番組などが放送されていました。戦後70年という節目の年に当たり、悲惨な体験を風化させないために、、私達皆が考えなければならないことはたくさんあるのだと思います。

 また、終戦記念日が旧盆と重なることも、何か意味があるように思います。さらには、あの日航機墜落事故もこの時期でした。本当に、我々日本人が一年に一度立ち止まって考えてみる機会として、この時期があるような気がします。私も、この一週間余りの間に、父や祖父が眠るお墓や、母方の祖母のお墓などにお参りしました。また、友人・家族・支援者の皆さん等と、心の通うひと時を過ごしました。

 私事ですが、本当に意義深く、充実したお盆休みであったように思います。根底に、信頼関係が醸成できている人達との語らいは、心が癒されるばかりでなく、さらなる向上心や、精神の自浄作用へのインセンティブにも繋がります。さらには、活動形態や立場の変化に伴って、知己として得ることができた識者の方等から、励ましと労りの言葉も頂きました。本当に、有難いことだと思います。

 結果的に、そのような関わりを通して、多くのことを考えされられました。それは、主に人の命の大切や、尊さということであったように思います。またそれは、そのことに関わる私自身の、生き方に関する内省のようなものでもありました。そして、ほんの少しですが、心の優しさや強さが磨かれたような気もします。改めて、人は一人では生きていけないものだなぁ、と、感じています。

 実際、人は生まれる時も場所も選ぶことはできません。いうまでもなく、ちっぽけなな存在なのだと思います。本当に、小さなものです。しかしながら、その集合体となる国や政府などの組織が形成される時には、恐ろしいほどの権力を持ってしまうのも事実です。だからこそ、小さな存在である一人一人がきちんと物事を考え、他者に及ぼすべき影響を意識しなければならないのだと思います。

 先の大戦から、70年の年月が経ちました。自衛隊・安保法案などに関すること、その基本となる憲法解釈そして改正に関する論議など、将来に禍根を残さないように、本当に真剣に考えていかなければならない問題がたくさんあります。その上でいえば、時代や国際状況(周辺情勢を含めた)の変化など、念頭に置かなければならない要素は多様化し複雑化し続けています。

 そのような状況下で思うことは(そのような状況下だからこそ)、日本人が本来の日本人として持つべき矜持を取り戻す必要があるということです。などといえば、すぐ右寄りな人間と誤解される人が居るかも知れませんが、それは全く違います。また、戦前の軍国主義適な考え方とも異なるものです。一言でいえば、礼節を重んじ恥を知り、一方で他者への寛容と慈愛の心を尊び、長幼の序を知る文化です。

 そのために、何よりも教育が大切なのだと思います。そして、それは幼少期が極めて重要です。さらに、戦後70年の今思うことは、改めて過ちを繰り返さないための取り組みが大切です。一方で、それは正しい歴史認識と、先ほど述べた高い精神性の醸成に裏付けられる必要があります。未来志向で、「良いことは良い。悪いことは悪い」とはっきり言える人を育てる必要があるのだと思います。

 例えば、修学旅行には広島・長崎の原爆資料館を訪れるべきです。また、大人になれば鹿屋や知覧に足を運ぶべきだと思います。けっして、単に涙するためだけでなく、過ちを繰り返さないために……


     

2015 8月 2日    庶民力復活




 湧き立つ入道雲と、夕立。花火大会、割増しで女子が輝く浴衣姿。そして、怪しげな空気と匂いに、つい惹かれてしまう夜店の灯り……ときめきと切なさが、混じりあったような夏休みの記憶が甦ります。盛夏となりました。

 先日、読売新聞の記事に「ニッポンの産業」戦後70年と題して寄稿されていた、堺屋太一氏の「庶民の力が「奇跡」を起こした」という記事を読みました。戦後70年を振り返り、日本経済の復興から発展への道のり、それから現在までについて語られていました。また、戦後の復興を支えた大きな要因として、日本人の高い識字率や規律意識などを挙げ、それらを「日本人のソフトウェア」と表現されています。

 また、そのソフトウェアは徳川時代に培われ、明治維新の時代にも受け継がれていたものであると述べられています。一方で、戦後復興の最初の10年をキャッチアップの時代とし、その後も、概ね10年単位で象徴的な言葉で時代を形容しながら、主に産業・経済の視点からこの国の形を語り、方向性を示唆する論述をされています。いつもながら、頷かされる文章であったと思います。

 読後、私は、一つの光景を思い出しました。それは、何時かNHKで見た、第二次森内閣の閣僚へのインタビュー番組での光景です「先ほど堺屋長官が言われた通り~」と繰り返す、その他の大臣の番組内での発言が思い出されます。それほど、当時の経済企画庁長官としての堺屋氏の発言が、的確であったということだと思います。まさに、今やらなければならないことを積極的にやり、次の世代のための経済施策を効果的に実施する必要がある、ということを、明解な言葉で語られていました。

 残念ながら、その長官時代は短いものでしたが、残された功績は大きなものがあったのではないか、と、私は考えています。「団塊の世代」という言葉の生みの親であることはあまりにも有名ですが、何よりも、論旨が解りやすく明解であることと、その背景にある人間味(高い人間性・人間力を備えた)を感じられる人だと思います。そのような雰囲気は、亡き河合隼雄文化庁長官も漂わせておられた気がします。

 例えば、戦時中に生徒が疎開するとき、まず教科書を携えていたとか、敗戦直後の食糧難の時でも、親たちは子供を学校に通わせるために腐心したことなど、戦後少し経って生まれた私の、おぼろげな記憶にも残る光景を挙げ、当時の、この国の大人たちの姿勢にも言及されていました。つまり、戦争でインフラなどは破壊されても、人間力は破壊されなかったという論旨であったように思います。

 私は、そこのところに、これからの時代へのヒントがあるのだと思います。それは、この国の在り方というのか、私達が創って行かなければならない国の形・姿へのヒントというべきものです。またそれは、奇しくも私が拙著HPや小欄で語り続けている、日本人の精神性に行き着く考え方であるとも思います。いうなれば、武士の時代に培われ、明治・大正・昭和の時代を貫いて、引き継がれてきた日本人の心です。

 堺屋氏は、強い日本を目指した明治時代を1番目とし、戦後の豊かさを目指す日本を2番目と捉え、3番目として、楽しい日本を目指すことを提言されています。そのために、官僚機構の改革が重要であるとも指摘されています。本当に、その通りだと思います。しかし一方で、それは大変難しいことでもあります。何故なら、その官僚機構を形成する人間こそ、高い志と豊かな人間性を備える必要があるからです。

 他方、この国の経済社会をを支えてきた官僚機構の功罪等については、大久保利通の暗殺の頃位まで遡って語る必要があるように思います。したがって、ここでは項を譲ります。いずれにしても、人間さえ良ければ…という思いが強くします。人々が素養(特別な教養はいりません。人としてあたりまえのことをあたりまえと考えられる素養)を備えた社会であれば、指導者の言葉は簡単で済む筈です。

 また、そのようなシンプルな社会であれば、セキュリティをはじめとする社会コストは、当然下がります。繰り返しますが、人間さえ良ければ、無駄なお金を使うことも無いはずです。だからこそ、そのために教育がいかに大切かということも解ります。したがって、一見遠回りのように見えても、良い人間(素養の高い人間)を作り育てることが最優先であると思います。

 そのことは、この国の先人達が長い時間をかけて築いてきた歴史を見れば明白です。さらには、高い素養を備えることにおいて、また、そのような志を備えた人間形成を促す背景が、一部の特権階級だけでなく、庶民の間にも根強く息づいており幅広く培われてきたところに、この国の強さがあったといえるでしょう。まさに、平均点の高い国民であったのだと思います。

 その、質の高い庶民の力の醸成こそが、今後において、私達大人が取り組むべき課題なのだと思います。


2015 7月 14日    シンプルでいこう




 蒸し暑い日が続き、夏休みも間近です。またぞろ、自分の中に潜む得体の知れない何かに誘われ、どこかに出かけたくなる自身を戒めています。そういえば、通知表の通信欄に書かれた「落ち着け」という言葉に、いつも母が溜息をついていたような……

 何はともあれ、私にとっては初めての経験となった、6月議会が終わりました。質問の出来など、反省すべきこともたくさんありますが、それを含めて経験知は増えました。今後の方向性なども、垣間見えたような気もします。何よりも、今備えている感覚を失わないでいれば、やるべきことが抽出されてくるのだと思います。そのような、手応えみたいなものは感じています。

 一方で、外から見ていた以上に、市民感覚から乖離した世界であることについて、再確認させられる時間でもありました。だからこそ、「普通の感覚」を失ってはいけないんだ、と、自分自身を戒める気持ちにつながっています。それでも、何となく「そう力を入れずに~」という空気を醸し出す人達はおります。そのくせ、体よく「数の論理」などと嘯く人達も、そのような人達なのですが。

 もちろん、意外と政策に関しては是々非々という人も多く、私が唱える改革に理解を示してくれる人もいます。そのような意味からは、可能性のようなものも感じます。とりわけ、新人議員や若手といわれる人達には、そういう人が多いような気がします。議員定数の削減をはじめとする行財政改革への取り組みに関しては、幅広く手を組めるような期待もあります。

 しかしながら、人間は色々な感情に左右される生き物です。また、先入観や好き嫌いということを動機として行動する人も、またたくさんいます。さらには、そもそも「皆、だめなんじゃないの」という生意気なスタンスで立候補した私ですから、大きな改革への期待の現れともいえる得票数とあいまって、まるで黒船を見るような目で、こちらの様子を眺めているのかなぁ、と、いう空気を感じることもよくあります。

 自分としては、委細構わずに毅然としていようと思っています。例えば、議場での振る舞いやしきたりなどに関して、知らないが故に滑稽な醜態を晒すかもしれませんが、そんなことは枝葉末節であると思っています。どのように振る舞うかの根源は、市民のために、また、このまちの将来のために、どのように何を成すべきかを考えていれば足りるのだ、と、思うことにしています。

 そして、その考え方をシンプルにしておき、いつでも心の中で反芻しておきたいと思います。そのことは、自分では協調性が高く、また、情にも脆い人間だと思っていますので、流されたりぶれたりしないための、心のルーティーンにすべきと考えています。また私は、誰かが言うから~というような理由で反対や賛成を決めたりすることはありません。あくまでも、そのことの是非を判断して行動したいと考えています。

 また、あにはからんやというか意外にもというのか、議会中継の動画などを見られて、中には傍聴に来られて、実際に質問や討論の様子を見て頂き、私のそのような姿勢・取り組みを評価して下さる人も、結構おられまして、逆に恐縮しているような部分もあります。それには、しがらみがない無会派というスタンスが、大きく役立っているようにも思います。

 一方、そのような評価の影響もあるのだと思いますが、小欄へのアクセスも増えているのが実情です。しかしながら、講題と名付けたこの項に関して、深く読み込んでいただける人は、その増加に比例しない部分もあります。ぱっとページを開くと、ある程度まとまった文字数が見えますので、少し躊躇される部分があるのかもしれません。単に、文字の量が多く感じられるのでしょう。

 それでも、一回当たりの文章は、2,000字程度の文字数にに納めています。それは、概ね技術士試験の、一つの科目の論文と同じ量です。逆に言うと、本当にピンポイントな話題しか述べられない文字数でもあります。そして、じぶんではなるべく、居丈高な文章にならないように心がけているつもりです。そのうえでいえば、自分以外の人に文章を読んで貰うことの大変さも感じています。

 そこには、 当然ながら私自身の文章力や、伝える力の浅薄さや希薄さが理由に挙げられるのですが、一方で、現代の日本人の文章離れ(国語離れ)みたいなものも感じます。それは、言い換えれば何事も、キーボードをたたけばそれなりの答えが見つかる、ネット社会の脆弱性のようなものです。本当に、今の日本人は過去の人々に比べ、知識量は増えたのだと思います。その一方で、その奥行きが浅くなったといえるのではないしょうか。

 勝手ながら私は、読んで書いて、そして考えるスタイルを貫こうと思っています。好古のように、生き方をシンプル(単純明快)にするためにね。



2015 7月 2日    感想無用





 梅雨の、真ん中というところでしょうか。彼方此方で、大雨のニュースが聞かれます。一方で、清々しいとでもいうのか、梅雨特有の蒸し暑さを感じません。どうしても、冷夏が懸念されてしまいます。

 さて、客観性という言葉があります。例えば、自分を客観的に見るというようなことは、本当に難しいことでもあります。この6月議会におきまして、初の一般質問に立ちましたが、描いたイメージには程遠く、また、多少邪魔が入ったようなこともありましたので、全くもって詰めの部分が甘くなってしまいました。初めての緊張感というのを割り引いても、情けない質問になってしまいました。

 ところが、自分ではそのように思っていた質問内容ですが、インターネットやケーブルテレビなどで、映像が配信されているのをご覧になった方々からは、意外と高い評価を頂いています。まったく、面映ゆい気がしますが、心が少し慰められるような部分があるのも事実です。まさに、自分が見ている自分と、他者が見る自分は一致しないものです。

 実は、最終日に文化的施設・スポーツ施設の利用料金の値上げに関する議案について、反対の立場で討論に立とうと考えています。はたして、どのようになるのかはわかりませんが、とにかく、市民の気持ちを大切にして、思うことを率直に述べようと考えています。そう考えると、本当に今の立場(無会派)というのが、身軽で便利な気がします。誰にも気兼ねせず、発言したり、行動したりできるからです。

 まぁ、初めてですから戸惑うことも多く、訳の分からん「しきたり」みたいなものは、時々間違えたりもしますが、信念に従い、思うところを述べようと思っておりますし、ここまでは、そのように出来ていると思います。とはいえ、それは一般市民の感覚からいうと、むしろ、普通に振る舞っているということに違いありません。一方で、忘れてはならない感覚なのだとも思います。

 本来、当HPを立ち上げた動機は、技術者(主に、技術士を目指す人)の持つべき精神性の向上と、次世代への伝承というようなものであったと思います。それが、私自身の生活の変化に伴い、一般社会に関することへと間口が拡がり、テーマも、日本人の精神性に関する部分は普遍的に変わりませんが、題材として取り上げる話題は、多種・多様になってきました。

 また、此度の流れから、議員活動に関する話題についても、どうしても触れるようになってしまいました。しかし、本来はあまり政治的な話題には、触れないつもりでおりました。つまり、政治に関する考え方は夫々の自由ですし、人間の価値観も多種・多様です。ですから、あまり政治信条などというものや、生臭い話題には言及したくないという気持ちが、心の深層にあったのだと思います。

 一方で、「日本人の精神性」を標榜し、常にそのことを小欄で述べることの原典に、或いは規範としていることもまた事実です。ですから、結果的には、私個人の信条に依拠した話題展開となるのは仕方ないことでもあります。そう考えると、あまり固く考えなくても良いのかなぁ、と、思ったりもします。それでも、政治は生き物ですし、時間が評価を変えることは良くあることです。注意する必要があると思います。

 最も難しいのは、事象をとらえる角度と立ち位置によって、そのことに対する評価やコメントは全く違ったものになるということです。あることを、正論と考えて論じていても、またそれも一方的な見方に過ぎないという考え方も成り立ちます。また、このような場(ウェブ上で)で、良く議論や言い争いをされているのを見かけますが、私は、そのようなことはしたくありませんし、不毛なことだと考えています。

 あくまでも、ここに述べることは私の主観に基づいたものですから、その上で、読まれた方が何かを感じ取っていただけたら、それで良いのだと思っています。したがって、小欄には閲覧された方の感想や、コメントを頂く機能はありません。これは、最初に当HPを立ち上げたときからです。ですから、感想やコメントは求めておりません。それでも、会って直接言葉をかけて頂く時は、喜びを感じる時もありますが。

 いずれにしても、徒然に思うところを~というスタイルで書き始めたのが小欄です。 本当に、時々の話題を取り上げ、それに私自身の思いを吹き込んで、一回分のお話として書き上げる作業を繰り返してきました。考えてみれば、ただそれだけのことです。最近は、ネタが無ければ、或いは書きたい気持ちが湧かなければ、更新が滞ることも良くあります。これからも、肩の力を抜いて続けるつもりです。

 意味が、あるのか無いのか。それでも、人の心に何かを響かせたい。そんなところが、本音です。



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