トップページ

コラムリスト            前のページ           次のページ


これまでのコラムが納めてあります。
できれば、通してお読みください。(根底に流れるものを、くみ取っていただけると思います)
 

              海洋博公園へのエスカレーター      美ら海水族館       ポートタワー             津山藩陣屋跡          

NO.34      

2017 2月  27日    願わくば正義の道を


 
 まだまだ、肌に感じる風には冷たさが残ります。それでもあえて、その中に微かな温もりを探してみたくなります。確かに、ある筈です。厳しい日常の中でも、時折暖かい人の心に触れられるようにね。

 本当に、世の中一寸先は闇というのか、かつては金王朝の後継者ではないかと目されていたこともある、金正男氏がマレーシアの空港で暗殺されました。衆人環視の中、白昼堂々の犯行でした。一方、実行犯とされる女性が速やかに拘束され、また、その後複数の共犯者が次々と逮捕されていきました。さらに、その多くが北朝鮮国籍を持つ人間であると報道されています。

 その北朝鮮側は、強硬に遺体の引き渡しを求めているくせに、暗殺された人物の名前(当初、キムチョルと言っていた)さえ言わなくなりました。当然ながら、国家としての関与は否定していますが、本当に事件に関与していなければ、そこまで遺体に執着する必要も無いはずです。また、大使館関係者や高麗航空関係者等、次々に北朝鮮関係者の名前が明らかになっています。

 どうみても、噂されているように北による組織的な犯行のようにしか思えませんが、気になるのは、あまりにも野次馬的な興味へ迎合しすぎているような、ワイドショー番組などの対応です。もちろん、世界を揺るがすほどのスクープですから、この事件を取り上げる回数が増えることは頷けます。また、それによる視聴率のアップも期待できるのだと思います。

 その一方で、殺された人や家族の気持ちを慮る時、どこかやるせない気持ちになるのも事実です。訳知り顔で、使われた毒物の種類や手口に関すること、或いは、背後に垣間見える彼の国の独裁者の影や、それを取り巻く組織のことなどについて、様々な専門家といわれる人や所謂コメンテーターが、思い思いの私見を述べているのを見ると、絵空事の映画かドラマの解説を見ているような気がします。

 彼らは、まるでバーチャルな世界で起きたことのように事件を眺めながら、何ら責任を負うことなく「あらゆる可能性」に言及していきます。そして、独自に持ち得た情報量や知識の量を競いあっているようにも見えます。さらには、その中から大衆が興味を惹く順に、獲得する視聴率が定まるのでしょうか。そんな、得たいの知れない数字さえ獲得すれば、真実やあるべき姿にはお構いなしにも見えます。

 さらにいえば、二言目には正義を振りかざすテレビなどのマスコミは、本当に正義の使者なのでしょうか。例えば、東京都の様々な問題は、前知事(舛添氏)や前々知事(猪瀬氏)の時にも秘められていたはずです。しかしながら、小池知事にならなければ表ざたになることも無かった気がします。そう考えると、正義も勝利者に寄り添いながら実践されるものだといえるでしょう。

 もう少し、単純に考えたとして、一体正義とはどのようなものなのでしょうか。この頃、私は良く解らなくなる時があります。こんな、地方のちっぽけなまちの、そのまた小さな地域においてさえ、一見正義のような顔をして、その裏で厚顔無恥な行いをする人間はいます。例えば、そのような人達は本当の意味のボランティア(汗をかくだけで、金銭的に報われないもの)には手を出すことはありません。

 そのくせ彼らは、お金が出る場所や美味しい場面には、巧みに首を突っ込んできます。また、そのような人達は、本当に地域の為に汗を流している正直な人達を尻目に、都合よく美味しいところだけさらって行くために、実に狡猾に立ち回る人達でもあります。さらに彼らは、このまちのことや将来を担う子や孫のためでなく、目先の利害関係で都合の良い方に廻ることも平気で、その上緊密に連携しあいます。

 とはいえ、いくら私がこのような話をしても、所謂普通の人には理解し辛いのだと思います。本来、普通の人の人生において、そのような種類の人と関わる機会は余り無い筈です。もちろん、私のことを良く知り理解していただいている人には、このような婉曲な言い回しの意味も理解していただけると思います。まぁ、そこに私が常日頃「人さえ良ければ~」と繰り返し述べている背景がある訳です。

 そのことを踏まえ、「『良い人』というのは、自分にとって(都合の)良い人じゃないの」と、私を諭してくれる人もいます。本当に、そうですね。誰しも、自分に利益をもたらしてくれる人が「良い人」なのだと思います。それでも私は、筋を通した生き方を貫きたいと考えています。時々「もう少し上手く、或いは要領良く」といわれますが、筋を通す生き方は貫きたいのです。それが、正義の道ではないかと思うからです。

 まことに、正義や大義の定義さえ覚束ない気がしますが、公の人間として持つべき価値規範を養い、正しい(と思うことかもしれませんが)ことをやる人生を貫いて行きたいと考えています。

2017 2月  13日    名のみの春に思うこと



 気が付けば如月、それも半ば過ぎてしまいました。とはいえ、まだまだ吹く風は冷たく雪も降り、名のみの春が足踏みをしている感じです。正直、一月半後のお花見など、イメージできない気分です。

 実際、私は常日頃、憚ることなく好きな花は桜だと公言しております。そして、毎年咲き初めから散って行くまでのわずかな間に、寸暇を惜しんで桜が咲いている場所に足を運びます。そのうえ、可能な限り、花を愛でつつ酒を飲もうとする習性も備えています。生来の、宴会好きといえばそれまでですが、桜には人を惹きつける魔性のようなものが、秘められているように思います。

 その様な意味からは、昔から文人墨客の創作意欲を刺激する花でもあったのでしょう。また、その妖艶さと散り際の潔さから、人の死生観に影響を及ぼしても来ました。「願わくば花のもとにて春死なん~」の西行や、「明日ありと思う心の仇桜~」の親鸞など、自らの生き様を投影された歌や詩文は、古くから数多く詠まれているところです。

 さらには、文学、特に小説等のモチーフになることも多い花です。単に、桜の木というタイトルだけでも坂口安吾「桜の森の満開の下」、梶井基次郎「桜の樹の下には」、渡辺淳一「桜の樹の下で」などの文庫本が書棚に見出せます。一方、物語の中に登場してくる例を挙げれば、桜のエピソードは枚挙の暇がないといえるでしょう。私個人の人生においても、桜に纏わる思い出は幾つもあります。

 そのような思いで春を待ちわびる心と、忙しさにかまけているうちに慌ただしく過ぎてしまう時の流れを惜しむ気持ちが、交互に胸に去来する日々です。とはいえ、偶然にしろ文庫本コーナーの前を通れば、どうしても触手が伸びてしまう習性は変え難く、最近も2冊ほど強引に読み終えました。葉室麟の「月神」と西加奈子の「通天閣」の2冊です。

 たまには、いつもは読まないジャンルや人の本を読んでみたくなることがあります。そのような意味から、いつでしたかテレビで見た時の印象が良かった、西加奈子さんの通天閣に手が伸びた次第です。男女二つの視点と、絡み合った関係がクライマックスに向かって解き明かされていく展開が、斬新で面白い読み物であったと思います。

 一方の、月神は「蜩の記」の葉室麟による、北海道へ集治監建設に赴く元福岡藩士とその従兄弟の双方にスポットを当てた、幕末から維新後における武士の生き様を描いたドラマです。武士としての生き方や、大きな意味の正義や大義について考えさせられる一冊でした。明治維新を成し遂げるために、或いはその過程で、多くの英傑がこの世を去っっていったことを惜しまずにはいられません。

 あの明治維新の陰で、ようやく新興国家として歩み始めたこの国の初期段階に、本来必要であった人材があまりにも多く失われてしまったように思います。また、長く続いた武家社会の中で育まれた高い精神性の継承も、薩長閥中心の力学的要素と、それに基づく為政者による権力掌握争いという構図の中で、どことなく方向性がずれて行ったような気がします。

 そして、やはり古きを温め新しきを知る、と、いう考え方は大切なのだと思います。一方、私の住んでいるまちなどもそうですが、歴史と文化を資本として観光による交流人口の増加を期待する考え方は、とても有効であると思います。特に、コストという視点から見れば歴史と文化という財産は、本当に有難いものでもあります。なにしろ、既にそこに存在しているのですから。

 さらに、箕作家や宇多川家をはじめとする、郷土から排出した多くの偉人を顕彰することも、とても意義深く重要なことだと思います。なにより、子供達が幼少期からそのような造詣を深めれば、故郷を誇りに思えるでしょう。そのことが、郷土愛や高い精神性に裏付けられた価値規範を醸成することに役立つのだと思います。微力ながら私も、力を注いで行きたいと考えてはいます。

 ともあれ、今年も友人・知己或いは恩師を招き、夜桜を楽しみたいと考えています。しかし、宿の確保等準備が年々困難になっています。いつの間にか、このまちの宿泊施設の収容能力は、一時に咲き誇る桜の季節に訪れる人の数に対応できなくなっているのです。かといって、常時それだけの訪問客(観光や仕事で訪れる)が見込める状況でもありません。ここが、歯痒いところでもあります。

 ほろ酔い気分で、阿国の漕ぐ船に乗り、幽玄な桜の海に滑り出す山三郎の姿に自らを重ねる幻想を、描けるような夜を今年も過ごしたいと願っています。


2017 1月  30日    出会いと生き様



 旧正月が過ぎ、節分はすぐそこですが、寒さはむしろピークです。個人的には、やらなければならないことが益々増えていきます。一方で、そこには私の生きていく意味や意義が内包されてもいます。

 「生きていく意味」などといえば、それが有るのか無いのかや言葉の定義など、若い時にはよく議論を戦わせたりもしました。しかし、今から思えば若気の至りというのか、深い造詣や思慮があって議論していたのではなく、時間を持て余している人間の言葉遊びであったような気がします。考えてみれば、この頃では「何故生きるのか」などを論じることは無くなったように思います。

 いずれにしても、人は生きていくものであるし、意味があっても無くても、或いは努力しようがしまいが、何時かは死んでいくものでもあります。そのように言うと、冒頭に述べた「生きていく意味や意義」が空しく聞こえますが、強ちそうでもありません。「何時かは死んでいく」の後に、だからこそという接続詞をつければ、「人の役に立って死んでいきたい」と、繋がるような気がします。

 もちろん、人間には死ぬまでそのように考えられない人も、たくさんいるでしょう。或いは、大勢の人がそのように考えるとしても、その程度には差があるでしょうし、当然ながら、そのことを行動に移す度合いや、世の中に及ぼす効果にも差が有るのだと思います。また、いわずもがなですが、人の持つ価値観は多様です。そして、それは年齢を重ねて行く中で、変化して行くものでもあります。

 私自身、初めから「少しは人の役に~」などと、考えていたわけではありません。年齢を重ね、人生の終わり(明日さえ、約束されてはいませんが)を意識するすることが多くなるに連れ、少しずつ描くようになった概念だと思います。一方、このような公の場で語るには、面映ゆいような気持ちが伴う事柄です。とはいえ、叩けば埃だらけの我が身を棚に上げても、述べる必要があるとも感じています。

 そうですね。どうしても語り続けなければならないことがあるから、こうしてキーボードを叩いている訳ですよね。「少しは、役に立って~」の中には、「何かを、伝えなくては」という気持ちも含まれているように思います。ところで、いつもそのように考えているからかもしれませんが、先日、珍しく気持ちの良い若者とお話させていただく機会を得ました。まさに、思いがけない出会いでした。

 それは、所用があって私が公私共にお世話になっている、先生(歯科医)の手が空くのを待っていた時でした。金融機関に勤められており、外回りをされているその人が訪れ、一緒に先生をお待ちする状況になりました。この時の、待ち時間を利用して、我がまちの在り方や歴史・文化などをはじめ、様々なことを語り合うことができました。そして、それは楽しいひと時でもありました。

 かれこれ、一時間位は喋ったと思いますが、その時間はとても短く感じました。その一方で、私は自身の若い頃を振り返ってみました。かつての自分は、あのように長幼の序を踏まえながら、相手の話を良く聴いて思慮深い対応ができていたろうか……少し、恥ずかしさが含まれた自省の念が湧いてきました。まことに月並みな表現ですが、彼は近頃珍しい好青年あり、有難い出会いであったと思います。

 出会いといえば、人には色々な出会いがあります。また古来、物語は人が出会うところから始まるものだともいえるでしょう。例えば、我が国の文明や考え方に大きな影響を及ぼしているといえる、中国歴代王朝を彩ったエピソードの中にも、そのような人と人の出会いに関するドラマがたくさんあります。ついこの前も、NHKBSにおいて古代中国を取り上げた番組が放送されていました。

 中でも、私の興味を惹いたのが、伝説とされている三皇五帝の時代から連なる堯・舜・への変遷、さらには、実存が確認されているその後の夏・殷王朝の実態に迫るものでした。また、あの有名な酒池肉林等の圧政を行ったとされる殷の紂王を倒して、後の、儒教的思考の模範とされる周王朝を築いた西伯昌(周の文王)と太公望呂尚との出会いは、秀逸なエピソードでもあります。

 そして、この次男武王による初めての武力革命による王朝交代は、史記をはじめとする後の歴史書に暗喩的な含みも感じられ、興味深い史実でもあります。番組では、牧野の戦いに敗れ、滅んだ殷の帝辛(紂王)の人物像に光を当てる場面もありました。一方、斉の始祖となった呂尚が殷に虐げられた羌族の出身で、民族による差別をなくす為に国の名を斉(ひとしい)としたことに、強い感銘をうけました。

 今は、小さく残る呂尚の墓所が、後の漢民族中心主義の中で歴史上疎んじられていったことを物語っています。先年の圧政を変えた人の魂魄よ安らかに……

2017 1月  16日    IRを考える




 新しい年も、早、三週目に入りました。例年のごとく、挨拶回りや行事を忙しくこなしています。その中で、今年も色々なことを見聞きしました。今年も、避けて通れないことが、たくさんありそうです。

 まず、スポーツ賛歌で一言。ラグビーでは、高校と大学の決勝戦で良い試合を見せて貰いました。いずれも、試合結果は紙一重の差だったと思います。まことに、高校王者の東福岡と大学選手権8連覇達成の帝京は、素晴らしいチームでありました。また、惜しくも涙を飲みましたが、東海大仰星と東海大学の健闘も光りました。さらに昨日は、女子駅伝岡山アンカーの、小原選手の熱い走りに感動しました。

 さて、前回も述べましたが本気でギャンブル依存を考えるなら、現在公然と行われているパチンコの現金換金を禁止すべきです。本来、賭博は法律違反ですから、パチンコにおいても現金への換金は禁止のはずです。しかし、表向きは先ず一回「景品」と交換し、さらにそれを現金と交換する形で、パチンコは現金を獲得できるギャンブルとして成立しています。また、このことを知らない人はいないでしょう。

 まぁ、パチンコの歴史や仕組みについては、色々なことがありますので、簡単に語ることは難しいのだと思います。それでも、単純に売り上げ(貸玉料⇒パチンコ玉やメダルを貸し出す料金)でいえば2015年度に約23兆3000億円となっています。一方で、ラスベガスやマカオの「売り上げ」として計上されているのは、そのゲームを通して客が投じた金額から獲得した金額を引いたものです。

 そのような、所謂「粗利」の部分を持って売り上げとすれば、我が国の2015年度に置けるパチンコの売り上げは約3兆3000億円となります。これでも、この10年間で約三割減少している数字ということですから、如何に大きな金額であるかということが解ります。因みに、他の国のギャンブルの売上はラスベガスで約6000億円、マカオ2兆3500億円、シンガポール4000億円(2010年の金額)となっています。

 上記のことを念頭に置き、売り上げの背景となるパチンコ人口に思いを馳せれば、ギャンブル依存症と呼ばれる人の数が推測できるはずです。私も、パチンコに纏わる身を持ち崩した人の話は、たくさん見聞きしています。のみならず、公営とされている競馬・競輪・競艇等のギャンブルに纏わるエピソードも枚挙の暇がないところでしょう。まことに、人はギャンブルに依存しやすいものだといえるでしょう。

 そのことへの対策は、社会全体として取り組む必要があるでしょう。かといって、カジノを解禁するとギャンブル依存者が増加するという論旨は、あまりにも底の浅い議論です。時々テレビなどで、韓国やマカオの事例を挙げ、カジノができたためにホームレスになった人達を取り上げる番組が流されます。しかし、そのようなギャンブルにのめりこみホームレスになる人には、賭け事の種類は関係ないと思います。

 そのようなことが、前回述べたかったことです。そもそも、ギャンブルは人間だけがやるものです。だからこそ、依存しやすく折り合いをつけるのが難しいのだと思います。この国において、そのような視座に立って、ギャンブル依存者へのケアやギャンブル依存を防ぐための取り組みについて、どれだけ真剣に取り組んで来たといえるのでしょうか。例えば、幼少期からの教育も必要だと思います。

 そのくせ、昨年末のようにIR法案などが提案されると、突如としてギャンブル依存症への懸念を声高に叫ぶ人が現れます。その一方で、いわば玉虫色ともいえる、パチンコの現金への換金可能な仕組みには、誰も言及しないことに私は強い違和感を感じてしまいます。冷静に、パチンコの売上や利益が、どのように流れていくのかなどを考えれば、色々な疑念や問題が想起されるはずです。

 例を挙げれば、一月に2~3万円をパチンコに使う人はたくさんいる筈です。例えば、そのお金を一年間プールし(2.5万円×12か月=30万円)ソウルのカジノに出かければ、とても楽しい2泊3日(旅費込で)が過ごせます。背景に、パチンコとカジノゲームの還元率(掛け金に対する払い戻し金の率)の違いがあります。数多のギャンブルの中で、カジノゲームが一番還元率が高いといわれています。

 例えばパチンコは85%、公営ギャンブルで75%、宝くじに至っては46%が還元率といわれています。カジノゲームでは、悪くても97%です。実際、ブラックジャックのベーシックストラテジー等基本的な知識の習得と分別があれば、カジノは恐れるべき場所ではありません。また、そもそもIR(Integrated Resort)ですから、集約型リゾートという意味です。諸外国のそのような施設に、カジノは付き物です。

 
 冗談でなく、私は、我がまちの生き残りのために、IRの誘致を目指す位の取組が必要だと考えています。そして、何時も唱えていることですが、問題は人間の方にあるのだと思っています。大切なのは、人間性と人間力です。人さえ良ければ……と考え続ける日々が、今年も続くのでしょう。

2017 1月  4日    年頭所感


 
 あけまして、おめどとうございます。好天に恵まれ、穏やかな正月を迎えました。この陽射しのように、一年を通じて優しい気持ちで過ごしたいところです。

 さて、今年も暮から正月にかけて、多忙なスケジュールをこなしました。年々ハードになる忘年会シリーズは、ごく親しい人や仲間と心を通わせながら締めくくることができました。そして、大晦日は恒例の作楽神社の迎春準備から始まり、お世話になっている笠松の花火へお邪魔してから作楽神社、八幡神社への初詣という流れで年越しとなります。ここでも、周りの人達の暖かさに癒される時間が続きます。

 さらには、新たな行事が増えましたが、元日恒例の麻雀大会(といっても4人きりで、一年に一回だけのイベントですが)に興じ、快い疲労感を味わいました。昔は、毎週どころか三日にあげずといった風に、麻雀卓を囲んでいたメンバーもそれぞれに年を重ねました。同時に、皆忙しくもなりました。それでも、卓に着けば瞬時に往時を思い出し、各自の特性を発揮する不思議さと面白さがあります。
 
 正月の、会食費の割り勘の負担割合を競うというような、他愛無い勝負なのですが結構盛り上がります。背景には、忙しい面々が無理やりにでも時間を作り、正月だけは集うということがあるのかもしれません。さらにいえば、お互いに結構な修羅場を潜り抜け生き抜いてきたことに対する敬意が、屈託のないやり取りの中にも込められるようになった気がします。時間の、成せる技かもしれません。

 一方、テレビでは(録画も含め)多様なスケジュールの合間を縫って、今年もスポーツ観戦をしました。もちろん、どっかり腰を据えてというわけにはいきませんが、ラグビー・駅伝等好きなスポーツを見ることができました。大学ラグビーでは、社会人並(それ以上かも)の留学生パワーの凄さを感じました。また、関西から2校準決勝に残った同志社・天理の敗退は残念に思いました。

 とりわけ、平尾追悼の同志社の健闘を期待しましたが、東海フォワードに圧倒された感は否めませんでした。一方の天理は、王者帝京を十分苦しめたと思います。ここでも、留学生パワーを感じましたが、そんな「純血主義」では勝てない、と訴えていた平尾誠二の言葉を思い出したのも事実です。改めて、彼の持っていたラグビーへの熱い愛情と、柔らかな感性に敬意を表したいと思います。

 箱根駅伝では、青山学院が復路7区で多少ブレーキもありましたが、見事三連覇を達成しました。また、ニューイヤー駅伝では、外人選手の居ない旭化成が優勝しました。やはり、大学駅伝の隆盛は、社会人のレベル向上に結びついているのでしょう。個人的には、年末の高校駅伝での倉敷高校初優勝が印象に残りますが、一方、「県北の雄」作陽高校サッカー部の雄姿が見られなかったのは残念です。

 他方、見たいものは見、読みたいものは読む、と、いうのが私の信念ですから、無理やり時間を作り出し、録画済のSONGS吉田拓郎を繰り返し観ました。70歳にしては、声も良く出ていたと思いますし、年を取るほどに醸し出す雰囲気の味わい深さが増大します。そのことが、益々私にシンパシーを強めさせます。実際、若かりし頃は、それほど吉田拓郎がカッコ良いと、心酔していた訳ではありません。

 そのようなことは、読書に関しても同様です。やはり、良いものは良いのだということを改めて感じています。時間を得て、買い置きの「五瓣の椿」じっくり読むことができました。やはり、山本周五郎は良いですね。人間を描くことにおいて、稀有な力を持つ作家の一人だと思います。一方で、そのモチーフが、もはや時代劇の中にしか見いだせないことを、既に周五郎は感じていたような気がします。

 何時の世も、多種多様な人が暮らし、悲喜交々の人間模様が織りなされます。しかし、その善人・悪人の中身は随分変わりましたし、さらに変わって行きます。人々の、見識や常識も同様です。マスコミにみられる、浅薄な正義感の押し売りや、大衆迎合的ポピュリズム発露の顕著化等もそうです。例えば、刑事ドラマややくざ映画の緊迫シーンでも、車に乗る時はシートベルトをしないとクレームが来るそうです。

 一方、IR法案に関する議論で見られた、ギャンブル依存症についての懸念に言及すれば、本当にギャンブル依存を考えるならパチンコの現金換金を禁止すべきです。何か、大きな力には目をそむけながら、誰かの弱みを見つけ、そこを責めるようなことを是とする風潮は、強まっています。本来、何が問題なのかを見つめ、そこを質して行くことこそ必要であり、大切なことではないでしょうか。

 微力かもしれませんが、今年も私は、そのような姿勢を貫いて行きたいと考えています。本年も、よろしくお願いいたします。

 

2016 12月  26日    一年を振り返り一言

       

 今年も、あと僅かとなりました。本当に、時の流れの速さを感じます。また同時に、「学成り難し」という言葉が身に沁みます。学だけでなく、何を成すのも容易でないことが、身に沁みる年の暮でもあります。

 本当に、今年も色々なことがありました。嬉しいこと、悲しいこと、がっかりすること、疲れること…指を折れば、辛いことや苦しいことの記憶が多いものです。実感として、大人になればなるほど、生きていくこと自体に草臥れるような気がします。また、大切な人とのお別れや、早すぎると感じる有名人の他界もありました。まことに、人生の不条理を感じる一年であったと思います。

 不条理といえば、四月には熊本地震による大きな被災がありました。その後も、直ぐ近くの倉吉を中心にした地震や、東北で津波を伴うものも起きました。いつ、どこで大地震が起きるかわからず、その他にも相次ぐ台風の上陸(これまで、例の無い地域への来襲も)などもあり、改めて脆弱な国土に住んでいることを、再認識させられました。そして、先日の糸魚川での大火災です。荒れた、一年でもありました。

 また、世の中の動きという視点からも、激動の一年であったと思います。まず、イギリスのEU離脱などにみられる、内向きの保護主義的な考え方が世界的に広がっています。また、指導者像もフィリピンの大統領のような、過激な言動をする人が大衆に受け入れられる傾向です。その極め付けが、誰もが実現するとは考えていなかった(のだと思います)トランプ次期アメリカ大統領でしょうか。

 もちろん、選挙前の過激で突拍子もない言動が、すべて実行されるわけではないと思いますが、自国最優先の考え方に基づいた政治運営がされることに、違いは無いのだと思います。驚いているばかりではなく、注視が必要です。一方、激しく動く国際情勢を見れば、隣国の大統領に関するスキャンダルはどんどん大きく膨らんでいます。

 北の脅威などを想えば、大統領に圧倒的な権限が集中するのは仕方のないことでしょうが、彼の国の大統領の末路が、常に訴追や弾劾に晒されるというのは、複雑な感情を抱かざるを得ません。翻って、我が国に目を向ければ、お膳立てや前段取りに力を入れた割には、どれほどの意義があったのかといいたくなるような、ロシア大統領の訪日が終わりました。

 「日露間に領土問題は無い」と、出発前に釘を刺したうえで、平然と遅刻してくる元KGBの大統領が、どれだけの年数ロシアを牛耳り掌握してきたのかを考えれば、予想できる結果ともいえるでしょう。改めて、これまで我が国が取ってきた姿勢や対応を、反省すべきだと思います。現在の、国後・択捉の開発状況やロシア人の生活状況を見ると、国としての取り組みの拙さと過ぎた年月の大きさを感じます。

 このことは、旧島民の皆さんだけでなく、江戸時代から明治・大正・昭和にかけて、この国を思い守ろうとしてきた人たちの嘆きが聞こえてくるような気がします。もう一つ、残念な出来事を挙げれば、相模原市で起きた障がい者の大量殺人事件があります。他にも、子供や社会的弱者への虐待など、人の心が荒んでいることを現わす事件がありました。世の中全体に、余裕がない証拠だと思います。

 他方、世界的な現象といえる自国最優先の考え方は、個人に置き換えれば、自分さえよければ良いのだ、と、いう考え方にもつながります。そのように考えると、世界全体が他者を思いやる余裕を失いつつあるといえるでしょう。今年は、そんな荒れた人々の心が、事象として現れた一年であったようにも思います。だからこそ、私は、日本人の精神性の再生を訴えたいのです。

 極東の地にあって、入ってくる多様な文化や宗教を受け入れながら、矛盾することなく、寛容さに裏付けられた高い規範意識に昇華させてきた、私達日本人の本来の精神性こそ、国際社会における価値観の規範とされるべきだと思います。そのためにも、情緒感の形成と並行した質の高い教育が必要であり、大切なのだと思います。これからも、その為にできることを模索していくつもりです。

 誌面が残り少なくなりましたが、嬉しい話としては、カープ優勝、リオ五輪における数々の成果等がありました。また、興味深い話ではAI対棋士の対決などもありました。将棋はプロが負け、囲碁は人間が勝つという成績でしたが、人工知能に席巻されるのは時間の問題かもしれません。別の意味からも、人間の限界や「やって良いこと」の範囲を考える時期に来ているのだと思います。

 個人的には、筋を通す生き方を貫けたと思っています。来年も、襟を正して取り組む覚悟です。末文となりましたが、本年も懲りずご愛読いただきました皆様、ありがとうございました(ボヤキが増えたかも)。
 良いお年を、お迎えください。


2016 12月  6日    胸を張って歩こう

                                                                                                 

師走です。めっきり、寒くなってきました。忘年会+〇〇会が目白押しです。お酒の席が増え、疲れ気味ですが、嫌いでない自分もいます。できれば「飲みたい人」として思いだして貰えれば、嬉しいです。

 とりあえず、議会における一般質問が終わりました。自身としては、まだまだな内容だと思います。思っていることの、半分も形にできていない気もしますが、公の人間として、このまちの為に資する質疑を行うことはできたと思っています。その模様は、市議会のHPやユーチュ―ブ等で見られますので、ご覧いただければと思います。

 実際、そのようにして議会における質疑内容を見ていただいた方々からは、応援の言葉や励ましをいただくことが多くなりました。さらには、「次は、何を突っ込んでくれるの?」というようなご期待も頂くようになりました。いささか、手前味噌のような気もしますが、事実その数は質問の回数毎に増えてもきました。有難く、励みに思う気持ちに加え「ちゃんと、やらねば」という思いを噛みしめています。

 一方、先月後半から始まった忘年会シリーズは続いており、さらには、こなさなければならないスケジュールをこなしていく多忙さは、一層顕著な状況になっております。それでも、そのような日々の中において、奔放でありながら多感でもあった少年時代を共有している同級生の会や、技術士になったからこそ味わえる、敬愛する師やインテリジェンスと個性を併せ持った仲間との忘年会もありました。

 まだまだ、これからも忘年会に関してはかなりの「強行日程」となっていますが、ひるまずに、挑んで行きたいと考えております。まことにもって、多くの友人知己に恵まれていることについて、有難いことだなぁ、と、感謝しております。友人知己といえば、議員としての職責を果たして行く中において、新たに広がっていくものもありました。その意味では、今年も良いご縁をいただきました。

 さらに先日、今年で第34回となる我がまちの第九演奏会に初めて行きました(恥ずかしながら)。小雨の降る日曜日でしたが、本格的なオーケストラ演奏と、市民合唱団の素晴らしい合唱を聴くことができました。もちろん、岡部 しのぶ(ソプラノ)、松本洋子(アルト)、松本敏雄(テノール)、伊地知宏幸(バス)という錚々たる声楽家の歌声も聴くことができました。

 もとより、クラッシックなど門外漢の私ですが、生の音楽の良さ位は感じ取れたように思います。さらには、熱唱する市民合唱団の中に知り合い(同僚)の姿を見つけ、意外さとその力強い唄い振りに、大いに感じ入ったところです。素人判断ですが、かなりな練習が必要であるように見受けられました。しかも、楽譜のような本を手にせず唄う人がほとんどで、感心しきりでした(失礼かもしれませんが)。

 まだまだ、自分の知らない世界があることを、改めて知ったような気がします。しかも、こんな身近なところにも、それはありました。それでも、そのような市民中心の取り組みが、連綿と催されていることに敬意を表したいと思います。そして自分自身も、与えられた環境の中において精一杯努力して行く中で、新たにできることを模索していく必要があるのだと思いました。

 それは、私にとって筋を通していく生き方の上にあることなのだと思います。しかしながら、世の中というのは本当に複雑で、皮肉なものでもあります。例えば、小欄のような公の場所で述べられないような、いやぁーな場面を見ることもあります。そして、身勝手で利己的な振る舞いを押し通すような、厚顔無恥な人達とも接していかなければならない場面もあります。

 それは、多くの人には理解できないし、多くの人が体験しないような事柄ですが、残念ながら実際の出来事や事例です。そして、何故か私の周囲で良く見かけることでもあります。本当に、抽象的で解りにくいことを述べておりますが、解る人には解ると思います。そのうえでいえば、人間は、正しい(と信念を持っていることを含めて)ことをしていても、疲れるものだと思います。

 そうですよね。だれだって、良い人とだけ関わっていたいですよね。例えば、「そこまで、言わなきゃ解らんか」というような台詞や、常識的に言う必要のない言葉など、誰だって使いたくないですよね。それでも、私の人生においては、公の人間として言わなければならない場面が多々訪れます。だからこそ、考え方をシンプルにしておく必要があるのです。「それは、地域の、そしてこのまちのためなのか」と。

 そのうえで、どれだけ我が身のことを考えるかですが、結構厳しいものがあります。本来「いかに正義の道とはいえど、身に降る火の粉ははらわにゃならぬ~」(村田英雄柔道一代)なのですが……

2016 11月  21日    根底にあるもの

       


 明日は、小雪を迎えます。いよいよ、冬といった感じでしょうか。体験的な感覚からは、まだまだ暖かい気がしますが残り少ないカレンダーの日付に、年末を迎える感慨と時の流れの速さを感じます。

 考えてみれば、最近の私は小欄の書き出しにおいて、常套句のように多忙を嘆いていますね。もちろん、多忙な日常を過ごしているのは私に限ったことではありませんし、忙しいということは、それだけやるべきことがあるということですから嘆くことでもありませんし、取り立てて語ることでもありません。とはいえ、ついついぼやいたりするのが、凡人の常というところでしょう。

 さて、そのような多忙な最近のスケジュールの中で、実に色々な場所に足を運ぶこととなりました。その間、色々なものを見て色々な人と出会い、交流をしてきました。刺激を受けることや、勉強になることもたくさんありました。そのような意味においては、意義ある時間を過ごすことができたように思います。さらには、1年分の鬱屈を吹き飛ばすような、密度の高い時間を持つこともできました。

 あらゆる意味において、掛け替えのない友人や仲間を持っていることの幸せを噛みしめています。本当に、有難いことだと思います。そして、そのような知己や、地域への思いを共有できる人達を中心にして、多くの課題が山積する自治会活動などにも取り組むことができています。いうまでもなく、それは容易なことではありませんが、真摯な取り組みを継続していきたいと思います。

 実際、私は小欄において、ことある毎に述べています。「人さえ良ければ」物事は上手くいくのだ、と。最近における、一連の多忙な行動の中においても上手くいっている他都市の事例や、参考とすべき取り組みなどに幾度か触れました。その度に、私は先ほどの言葉を思い出してしまいます。人さえ良ければ~このような取り組みもできるだろうに……

 言い換えれば、人間が良くなければ、どのような施策や取り組みをしても、功を奏し実を結ぶことはできないのだと思います。また、ここでいう人さえ良ければ~とか人間が良くなければ~というような表現は極めて抽象的ですが、他に表現する術がないような気もします。例えば、人が人として持つべき矜持を備え、他者を尊重し自らの責務を果たす~などと説明すれば、かえって遠のきそうに思います。

 またそれは、私の廻りの仲間や、私を理解してくれている人には解ってもらえるような気もします。さらには、既に共有している感覚であるともいえるでしょう。何をするにしても、予め、多様なアクシデントや起こりうる不正行為等を想定して、たくさんの決め事を用意しておかなければならない社会では、本来の目的を達成する前に草臥れてしまいます。

 そのような意味からは、法律や条文として定めなくても、多くの人がいわずもがなであるような価値規範を遵守し、与えられた責務以上に貢献しようとする組織や社会が望ましい姿だといえるでしょう。一方で、全ての人がそのようになることはあり得ませんし、机上の理想に過ぎないことも事実です。とはいえ、やはり、質の高い住民意識を醸成していく必要があるのだと思います。

 今、高い住民意識などと述べましたが、それは何も難しい勉強や高い学歴が必要なことではありません。古くから、この国の人々が培ってきた日本人の精神性を発露していくようなことだと思います。そのことにより、基本的な生活姿勢において地域や身の回りの人達のことを慮れる人々が、コミュニティを形成すような社会の構築が望ましいのだと思います。

 一方で、それが容易でないことも事実です。しかし私は、そのような社会や地域を醸成していくことが、意外と難しいことではないとも思っています。例えば、他市の成功事例や、物事が上手くいっている地域をみる度に感じることがあります。それは、そのようなところには必ず優れたリーダーが居るということです。実際に、多くの人は先頭を切る人の姿勢によって変わる、と、いうのが私の経験から得た実感です。

 もちろん、伝統的に文化意識が高く協調性の高いような地域もありますが、多くはリーダーの取り組む姿勢や情熱に依拠して高い住民意識が醸成されるのだと思います。まさに、リーダーとなるべき人の根っこの部分が大切なのだと思います。改めて、自らを反省し見つめ直す気持ちです。そのうえで、少しでも資質向上をして行くために、努力をして行こうと考えています。

 そうですね。嘆いたりぼやいたりしているだけでは、何も変わりませんよね。根っこを磨き、根底にある自らの声に忠実に生きて行こうと思います。


2016 11月  7日    縁そして絆

 

 11月になりました。ようやく、と、いう感じで寒さを感じるようになりました。多忙さは、さらに増すばかりですが、それも自分の居るべき場所でのことですから、やむなしというところでしょう。

 多忙といえば、本当に多忙です。前回、小欄を書いてから急に寒くなったこともあり、幾つかの葬儀を弔問し、幾つかの葬儀を執り行いました。さらに、その合間に地元自治会のゴルフコンペに臨みました。同級生の会と併せ、年に4~5回しかやらないゴルフはスコアは二の次でして、もっぱら打上のビールがお目当てというところです。如何せん、練習不足(そもそも嫌い)はごまかせないところです。

 それから、ひとつ視察・研修を済ませ、また、自治会長の宿命ともいえる地元町内会での葬儀を執り行いました。さらに、その合間を縫って地域行事のメインイベントである文化祭に臨む、というスケジュールでした。年末にむけて、今後も概ね同じような内容のスケジュールとなっています。この間、楽しみにしていた懇親会を断念しましたが、既に、年末に向け幾つかの忘年会の予定が入っています。

 一方で、ハードなスケジュールの内容に関してはあまり心配しておりません。なぜなら、5日・6日と開催した文化祭のように、行事を遂行するための仲間には恵まれているからです。そのような意味においては、本当に有難いなぁ、と感じています。色々と課題も多く、一時期よりも後退しているといわざるを得ないこの市の自治会組織ですが、少なくとも私の地域では秩序を保ち、連携ができていると思います。

 何よりも、今回も文化祭において総合的なプロデューサーとして取り仕切って頂いていた、地元公民館長の存在は、この地域において欠かせない存在ですし、余人を持って代えがたい存在でもあります。まさに、この人無くして、地域の行事や自治会活動は成り立たないというような人です。もちろん、中央の組織等からも大いに信任を得てもおられます。
 
 その、プロデューサーの演出に見事に応え、文化祭二日目に素晴らしいギター公演をして頂いたのが、これまた、元地元小学校校長の率いるギター・三味線バンドの方々でした。本来は、フォーマルな演奏会でないと聴けないような腕前の面々ですが、我が公民館を「年末の定期演奏の場」として位置づけるほどの心意気で、心癒される演奏をお土産に訪れて頂いています。

 このことも、本当に有難いことだと思っています。実は、その元校長先生とは赴任されて来た時から、お互いにちゃん付けで呼び合いましょうという関係を築かせて頂きました。これは、いつも私が述べていることですが、経営者である校長先生がやりたいことを地域が全力で支援するというのが、地域の子どもは地域で育てて行こうという、私達の考え方です。

 そのような信頼関係のもとで、地元小学校の子ども達を本当に良くして頂きました。そして、退職された今でも、第二の故郷として足を運んで貰っています。そのうえで、変わらぬご厚情を頂いています。また、そのご縁が拡がり、ギターアンサンブルの皆様との交流も深まりました。本当に、良い出会いとご縁を結ばせているのだと思います。そしてそれは、今では掛け替えのない絆にもなりました。

 考えてみれば、歴代の諸先生方ともそのような良いご縁を頂き、大切な絆を結ばせて貰っているように思います。有難いことです。思えば、今年の初めにはその中のお一人で、本当に大切な人との悲しいお別れもありました。人生は無常です。そして、正しい人が報われるばかりではありません。それだからこそ、良い人達との絆を大切にして行きたいと思わずにはいられません。

 そのようなことを、再認識させられた週末でした。本当に多忙でしたが、存外、書物に目を通すこともできますし、スポーツ観戦等もできることが解りました。午後のひと時、上院議員になっても新世代の担い手ジェシー・バルガスを一蹴するパッキャオの強さを見ました。それから直ぐ、谷原と池田の息詰まるプレーオフの闘いと、その後の、お互いの健闘を讃え合う爽やかな光景を見ました。

 まことに、衛星放送の有難さを痛感したひと時でもありました。一方で、先日洋学資料館で見学した箕作麟祥のことや、戴いた資料を読めることの歓びも感じています。やはり私は、活字が好きなのだということを再認識しています。例えば、憲法という言葉や権利・義務、或いは動産・不動産等多くの法律用語を世に出した麟祥のことにも、また項を改めて触れてみたいと思っています。

 日常では、むしろ、残念なことや人と接することの方が多いものです。だからこそ余計に、有難いご縁や絆のこと、そして郷土の偉人のこと等に、思いを馳せたくなるのかもしれませんね。


2016 10月  21日    早すぎるノーサイド



 晩秋ですが、師走並みの忙しさです。色々な場所にでかけ、色々な人に会い、取り組まなければならないことに頭を捻る日々です。できれば、忙中に閑を得て、心通う人と盃を重ねたいものです。

 さて、才子多病とか美人薄命という言葉がありますが、当を得ていることになるのでしょうか、ラグビーの平尾誠二さんが亡くなられました。本当に、憎まれっ子世に憚るの反対ですね。昨日、突然の訃報に接し、大変驚きました。まさに、ラグビー界ではミスターラグビーと呼ばれる人でした。そして、多くの人から、尊敬と憧れの眼差しを向けられていた人でもありました。

 また、私達の年代の多くの人々が、彼のラグビーに纏わるキャリアから強い印象を受けていることは、間違いのないことだと思います。あの、男泣きの名将として知られた山口良治監督に率いられ、弱小ラグビー部だった伏見工業が全国大会で初優勝した時の主力メンバーです。この時のエピソード(前段を含めて)が、テレビドラマ「スクールウォーズ」のモデルとなっていることは大変有名です。

 実際、同じ早生まれですが私より5学年下の人ですから、あまりにも早いご逝去だと思います。私は、以前から述べていますが、見るなら(やると、本当にきつい)サッカーよりラグビーというタイプの人間です。もっぱら、テレビ観戦主体のミーハー的なラグビー好きですが、見識はそれ程的外れではないと自負しています。さらには、ラグビーに関する話題は、小欄の一度や二度では語り尽くせません。

 始まりは、中学生から高校生にかけた時期に、早稲田と明治によるお互いの誇りをかけた闘いを見たことがきっかけのように思います。同時に、その時期に岡山県教員のラグビー代表もされていた、熱血漢の体育教師の先生に出会ったことも一因を成しているかもしれません。その人によって高1の私は、人間が張り飛ばされて飛ぶんだ、と、いうことを身を持って教えられました。

 今では考えられませんが、そんなことは荒れた工業高校の中では日常茶飯の光景でしたし、有難い体験だと思っています。また、過酷な工業高校での体験がありますから、その後テレビドラマで見たスクールウォーズの内容も、それ程驚くようなシチュエーションには感じませんでした。これも余談ですが、私が三年生になった時には、その先生も同じ市内の普通科高校に換わられておりました。

 当時、テニスの地区大会等は、そちらで行われていました。いつでしたか、テニスコート脇で先生と再会しました。私が、インターハイ出場の報告をした時、我が事のように相好を崩して喜んでくれたことは、今でも覚えています。もう少し昔話をすれば、先生からは球技における器用さを買われ、ラグビー部への入部を何度か薦めらたこともあります。いずれにしても、影響を受け感謝している先生の一人です。

 話を、私がラグビー好きへ傾倒していく過程に戻します。高校の頃に見た大学選手権は、まさに、早明戦の感動的な試合の連続でした。さらに、遂にその闘いを制した明治が社会人にも勝ち、日本一にもなりました。この辺りから、北島監督の「明治前へ」というスタイルに強くシンパシーを抱くようになったと思います。因みに、明治大学初の日本一の時のスタンドオフは、後の釜石7連覇を成す松尾雄二です。

 印象に残る試合を挙げればきりがありませんが、その松尾率いる新日鉄釜石の7連覇の中で、大学選手権を三連覇して熱い闘いを挑むのが、平尾誠二の同志社大学です。社会人と大学の差が、今程無かった当時でも日本選手権では勝てませんでしたが、その体験が平尾選手にとって、後に神戸製鋼で7連覇を成し遂げる糧となっていたことは間違いないでしょう。

 驚くべきことに、平尾選手は、ごく若い時に次のように発言しています。「勝ちたい」と思うことは人間の勝手だが、勝負を決めるのは選手ではない、と。楕円形のボールの行方、天候やグラウンドの状況等、あらゆるものが影響するので、勝ち負けの行方などは解らない、とも言っています。さらには、各自ができることを精一杯やるだけだともいっています。

 それは、今この年になれば、私にも言えるような気がします。しかし、高校生や大学生位の時に、そのような心情は持てませんでした。さらに彼は、ラグビーというのはどれだけ自由になれるか、なろうとするかを競うゲームである、とも言っています。与えられた環境の中で、創造力と工夫を活かし最善の努力をする、と、いう意味だと思います。まさに、早逝の天才による名言で、私の好きな言葉です。

 平尾選手のような、男から見ても格好良い男は極めて少ないものです。及ばずとも、信じられる人達に対する、精一杯のワンフォーオールを胸に誓いながら、心からご冥福をお祈りしたいと思います。合掌。



                                                                   このページの先頭へ