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※これまでのコラムが納めてあります。
できれば、通してお読みください。(根底に流れるものを、くみ取っていただけると思います)
 

                      明通寺三重塔(福井県)            にらみあいの松            鶴山公園(備中櫓)            夜景(ライトアップ)

NO.37      

2018  5月  14日   思いあればこそ


 
 気が付けば、五月も半ば過ぎました。本当に、時の流れる速さが一年一年実感されます。それが、年齢を重ねていくということだと思います。だからこそ、意義ある過ごし方をしたいものです。

 冒頭、どうしても一言触れておきたいことがあります。それは、現在進んでいる朝鮮半島非核化に関する一連の各国による外交交渉の中で見られた、北朝鮮により拘束されていた3人のアメリカ人の解放というニュースに関してです。一方、拉致被害者に関して北朝鮮は「何故、日本は直接いわない」とか「日本の拉致問題は解決済み」などと暴言を吐いています。私は、そのことに強い憤りを感じています。

 そもそも、アメリカ人の人質は基本的に「犯罪者」として北朝鮮に捉われていた人達です(恐らく、それが不当な拘束だとは思いますが)。一方で、日本の拉致被害者は、北朝鮮の積極的な関与により不当に拉致された人々なのです。そもそも、人質の意味が全く異なります。また、人質を交渉材料にして良い筈はなく、あのリーダーがこれまでしてきた行動や罪を「無かったこと」にしてはいけないと思います。

  さて、話を戻します。当然ですが、相変わらず多忙な日々を過ごしております。例えば、身近な人から要望のある人など多様な方々にお会いして、様々なお話を聴く機会が増えました。またその内容も、相談・要望を始め多岐に渡っています。さらに、自身の資質向上の為の視察や研修への参加、また、その他にも自身を研鑽するための取り組みは、日常のあらゆる場面でできることだと思います。

 さらには、時間を割いて自身の体験をお話したり、後進の指導に赴くこともあります。私は、その為にも自己研鑽が必要なのだと考えています。そこには、本を読み意義ある人達と語らうことも含まれるのだと、手前勝手に決めて勤しむことにしています。一方で、小欄のような場所を通じて近況や思うところを述べていくことも、広い意味における自己研鑽ではないかと考えています。

 そのうえで、小欄をご愛読いただいている方が意外とおられることを実感しています。それは、本当に意外な人からお声掛けいただくことなどからもわかります。一方で、ずうっと以前からご愛読いただいている方から「いつも楽しみにしている」というような言葉をかけていただくこともあります。そんな時、面映ゆい気持ちとともに、嬉しさと有難い気持ちが湧いてきます。

 これからも、拙い文章ですが思うところを述べ、開設当初からの目的であった技術者精神の伝承や、その根底にある日本人の持つべき精神性への回帰と伝承に繋がるコラムを書いていきたいと考えています。そのような思いの基、現在では概ね二週間に一度のペースで更新しています。しかしながら、自分勝手ですが、小欄の更新は私の精神状態の有り様に基づいて行われるものでもあります。

 したがって、書けない時(書きたいことが無い時ともいえる)は更新の間隔があき、反対に書ける時(書きたい時)は感覚が短くなります。そのことは、これまでの小欄の変遷をご存知の方には、ご理解頂いていると思います。ところで、私にもSNSやメディア戦略に長けた知人もおりますので、ホームページのようなインターネットの活用は、所謂内向きの手法であるというアドバイスをいただくことがあります。

 実際に、インターネット上で小欄のようなHPを閲覧するには、まず私そのものに関する知識や情報をどこからか得て、それから私の名前や関係する事柄を検索してHPに辿りつくというのが一般的な流れだと思います。反面、自ら不特定の第三者に発信し繋がって行くことを期待するようなメディアの活用法が急速に進歩し、盛んになっていっているのが現状であると思います。

 しかしながら私は、このようなやり方で良いのではないかと考えています。それは前述したように、ある程度の方々に読んでいただいているという実感があるからかもしれません。また、そのことは、先程述べたようなプロセスを経て小欄に辿りつき、お読みいただいていることへの感謝と充実感に繋がります。他方私は、そのような方々からのご意見などを、公の場に晒すことは考えておりません。

 もちろん、これまで紆余曲折してきたように、書き方やスタイルが変化することがあるかもしれません。それでも私は、ここまで述べてきたような考え方に基づき、自分の思うところを述べていきたいと考えています。時には、思いが空回りすることや、独善的な表現になることがあるかもしれません。また、単なる愚痴やぼやきに終始することもあるかもしれません。

 それでも、小欄で述べる文章に込めた私の思いについては、賢明な皆様の読解力により汲取っていただけるものと信じています。よろしく、お願いします。

2018  5月  1日   世に住む日々を生きて



 
5月です。早いもので、間もなく立夏です。夏日になる暑い日と、肌寒ささえ感じる日が交じる季節です。体調維持が、難しいのもこの頃です。健康が一番などと、考えるような年にもなりました。

 さて、私事ですが、今年も仲間達と「還暦ツアー」に行ってきました。去年、伊勢神宮へ行きましたので、今年は西へということで下関~萩というコースになりました。萩城下そして松下村塾を訪れ、維新を成し遂げた長州藩士の志に触れるというのが、主たる目的でありました。もちろん、同級生が楽しく集まろうという会ですから、主題などはあまり関係ないということではあります。

 それでも、下関の東行庵を訪れ、資料館の学芸員の方から晋作の生涯に関する説明を聴き、彼の墓所で手を合わせる面々は、夫々に維新の英傑に敬意を抱き思いを馳せているようでした。また、萩市内の晋作生家をはじめとする武家屋敷群なども、興味深く神妙な面持ちで散策しておりました。かつてのやんちゃ坊主達も、先人の生きざまに思いを寄せる年になったといえるでしょう。

 さらに、松下村塾、松陰神社、反射炉跡等に足を運び、幕末の長州藩の息吹を感じました。特に、松下村塾のあの小さな畳の部屋から、玄随・晋作だけでなく多くの英傑を育てた吉田松陰という人の偉大さが思い浮かび、胸の奥が熱くなるような気がしました。また、藩校明倫館跡を見学し、留学後日本の産業振興に大きく貢献した長州ファイブの写真に、志を持った人が放つオーラを感じました。

 また、萩のまちでは幕末の志士達への敬愛が、空気の中にが漂っているような感じがします。 どこかから、「松陰先生」という呼び声が聞こえてきそうな、そんな雰囲気を持ったまちだと思います。ふうっと、いつも述べている「人さえ良ければ~」という思いが浮かんできます。またその為に、どれだけ教育が大切かという思いも強く湧き上がります。伝統・文化が、上手く残されている場所でいつも感じることです。

 ついでながら、私の持つ松陰と晋作に関する印象は「世に棲む日々」という、司馬遼太郎の小説の内容が大きく影響しているように思います。文中、「面白きことも無き世を面白く、住みなすものはこころなりけり」という晋作の辞世は、彼がまだ息のあるうちに上の句を読み、息を引き取った後看病をしていた野村望東尼が「住みなすものは~」という下の句をつけたという場面がでてきます。

 その時、望東尼の掲げた下の句を見て「面白いのう」と微笑み「吉田へ‥」という最後の言葉を晋作がつぶやいたと、まさに司馬遼太郎は見てきたように書いています。私にも、その晋作の臨終の場面は、本当に見えるような気がしておりました。まことに、膨大な量の資料を読み込み咀嚼し、登場させる人物像をリアルに浮き上がらせる筆力が、司馬遼太郎を偉大な歴史小説家にした所以であると思います。

 無理やりという感じではありますが、忙中に閑を得て(作り)下関~萩に訪れることができました。おかげさまで、薄れかけていた記憶の画像に色付けをすることができたように思います。さらに、その画面の中に、新たな注釈も書き込めたような気がします。また、旅を共にした仲間達にも感謝したいと思います。かけがえのない、有難い縁を結ばせて貰っていることの幸せを、しみじみ噛みしめています。

 一方、この時期は総会なども多く歓送迎会や懇親会に臨む機会が多いことは、前回の小欄でも述べた通りです。それでも私は、そのような多忙なスケジュールをかいくぐり(いや、多忙な中にねじ込んで)、会いたい人に会い、意義深い宴を催す努力をしています。その成果として、大切な人達との充実した時間を持てていると思います。またその中で、新たな意義ある出会いにも恵まれています。

 そのような宴の一つに、細やかながら子ども達による還暦祝いも含まれています。本来私は、そのようなことはあまり好きではなく望んでおりませんでしたが、上手く私に気を使わせないように段取りをしてくれていました。有難いことだと思っています。いつの間にか、そのような思いやりを備えた大人に育っていてくれたことに驚きました(すべては、ちゃんと育ててくれた家内のおかげだと思います)。

 そのうえで、年齢を重ねたことを改めて実感しています。かつて、人生を72年と考えていた37歳の誕生日を迎えた朝、嘆息しながら考えた人生の短さなどより、はるかに鮮明な実感として、残された人生の儚さを実感しています。本当に、最後は人の役に立って死んでいかなければなぁと思うばかりです。考えてみれば、高杉晋作満27歳、吉田松陰満29歳の人生でした。人の一生は、長さではありません。。

 これからも、何の為に生きるのか、世の中の役に立とうとする気持ちを持ち続けていられているか、と、自らに問いながら過ごす日々を重ねていきたいと思っています。

2018  4月  16日   深夜食堂




 
 今年の桜は、思いの外早く散ってしまいました。さながら、待ち焦がれていた恋人が花吹雪の中へ消えていく‥‥そのような心持でしょうか。春の午後、鶴山に立ち尽くすだけの男が居りました。

 本当に今年の桜は、何時もより厳しい寒さを耐えた後、一気に暖かくなった気候に咲くことを急かされて、狂おしいほどに咲き競い、そして、余りにも潔く散っていきました。とはいえ、それほどに儚い、桜の咲き始めから散り終わりまでの様子を後目に、友人知己との語らいの席を重ねる私がいます。まずまず、思い通りに美味い酒が飲めているように思います。本当に、有難いことです。

 あらためて、お付き合い頂きました(頂いている)皆様にお礼を言いたいと思います。 まさに、酒も飯も、だれと味わうかということに尽きるのだろうと考えております。ところで、最近そのような私の感性をくすぐるようなDVDソフトに出会いました。それは、「深夜食堂」という作品です。原作は、安倍夜郎の漫画で、小学館ビッグコミックオリジナルに掲載されたものです。

 といっても、私は原作をあまり読んだことがありません。たまたま、有料チャンネルで放送されていた映画版を見る機会がありまして、何というのか所謂「はまった」ような感じになりました。そして、レンタルビデオ屋さんに通い、一気にシリーズを通して視聴する結果となりました。お話の舞台は、繁華街の路地裏にある「めしや」という名の、マスター(小林薫)が一人で経営する小さな食堂です。

 営業時間は、深夜12時から朝の7時頃までというこの食堂を「人は深夜食堂と呼ぶよ~」というナレーションで始まり、一話完結の物語が約30分で描かれていきます。それでいて、それぞれの物語が伏線のように繋がり、登場人物を関連付けていく点などは巧みな演出です。とにかく、都会の盛り場の裏通りに集う、様々な過去や悩みを抱えた人々の生き様が、何とも良い感じに描かれていると思います。

 それでも、時には話が旨すぎるかなぁと思うような回もあります。一方で、必要以上に描写・説明しないという姿勢には好感が持てます。さらにいえば、全体を通して文章の行間のような部分が、うまい具合に描かれているように思います。私の経験から言うと、映像化して原作(文章や漫画のヒット作)を超える作品は少ないように思いますが、この「深夜食堂」はその例外の一つです。

 キャストとして、顔に傷跡があるマスターの他、地元で顔役のやくざ竜ちゃん、その弟分のゲンちゃん、常連の忠さん、カメラマンの小道君、お茶漬けシスターズ、ゲイバーの小寿々ママ‥‥個性と味のある登場人物達が、人間の持つ煩悩と生きて行く姿勢について葛藤する姿を、すこし引いた視線から優しさとユーモアを込めて描いているところに、私が「はまった」大きな理由があるのだと思います。

 そんな訳で、最近は良くビデオを見ました。これは以前にも述べましたが、私の場合ことほど左様に、何というのかまるで天啓のように、読むべき本や見るべき映像に出会うような気がします。とはいえ、それも以前から述べているように、私の独りよがりな呟きだと自覚しています。それでも、ある程度人生を重ねた今思うことは、強ち的外れな考えでもないのかなぁ、という思いです。

 改めて、話を飲み食いに戻せば、何を食すかではなく誰とともにするか、と、いうことになるのかと思います。また、出会う時機やタイミングの妙があります。若い時には解らなかったことや、気付かなかったこともたくさんあります。したがって、その時機には味わう器量がなく、時を経た今こそ、その機会を与えられているようなものもあるでしょう。そのように思う時、人生の機微に触れる気がします。

 件の深夜食堂でいえば、小林薫マスターの顔の傷に「落とし前をつける」と告げて去った、オダギリジョー演じるカタギリの行方が気になります。また、同じオダギリジョーが二役で扮する小暮巡査の「まんざらでもありません」という台詞には、思わず微笑んでしまいます。因みに、このスター俳優は子供の頃を私の近所で過ごしたと聴いています。時を経る程に、不思議な魅力を増して行く役者でもあります。

 世の中には、時を経てこそ磨かれるものがあるのだと思います。また、一朝一夕でないのが人間の成長だともいえるでしょう。例えば、私もそうです。これからも、これまで以上に理不尽なことや不条理なことに遭遇するでしょう。それでも、毅然として生きていきたいと考えています。少なくとも、私には心を通わせる仲間や、癒しあえる人達が居ます。それを支えに、自らを磨いていきたいとも思っています。

 そして、そのような仲間達を癒し、支えられる存在になりたいと考えています。「あいよ」と応えて微笑む、深夜食堂のマスターのように‥‥

2018  4月  3日   良い人たらむ



 新年度です。長い間澱んでいた水が流れだし、新しい泉が湧きだす‥‥そんな期待がふくらんでくるような、春の訪れに期待が高まります。本当に、人さえ良ければできるのにと思うことはたくさんあります。

 春は、歓・送迎会の季節でもあります。私の場合、関わる人が多方面にわたり多いので、その機会も自然と多くなります。まず、仕事を通して、或いは様々なご縁を頂いた 人達と、別れを惜しむ送別会があります。さらに、送別会があれば、その後の任に就かれる人達を迎える歓迎会があります。そして近年多いのが、その両方を同時に行う歓・送迎会ということになります。

 現時点では送別会が主体ですが、既にいくつかそのような宴にも臨席しました。一方で、そのような所謂宴席と呼ぶような大仰なものではなく、気の合った仲間や好きな人(誤解の無いように言っておきますが、私の場合ほぼ高齢の男性です)と親しく語り合いながら、酌み交わすお酒の席もあります。今の私には、これが何よりのカンフル剤(古い言い方ですが)となっています。

 私は、お酒も食事もそうですが、高価であるとか希少なものであるということではなく、誰と共に味わうかということが何よりも大切だと考えています。そして、そのような意味から感想を述べれば、私は恵まれている方だと思っています。有難いことに、多忙なスケジュールの合間を縫って、心を通わせ合える友達や安らぎを与えていただける人達と、意義深い時間を持つことができています。

 意義深い時間といえば、先日うららかな春の一日を得て、僅かばかりの田圃を耕しに行ってきました。例によって、父の残してくれた昭和44年生まれの赤トラに乗っての作業です。ほぼ50才になるロートルトラクターに、今年で還暦の私が跨る光景は、見方によれば老老介護のような情景といえるでしょう。しかしながら、その単純作業を繰り返す時間こそ、私にとっては大切で有難い時間なのです。

 余談ですが、田舎における田圃の風景として考えれば、私などは若僧の部類だといえるでしょう。他方、以前にも述べましたが田圃で農作業に赴くその時間は、私にとって亡くなった父と語り合う時間でもあります。実際に、20年前に他界した父が遺してくれたヤンマーの赤トラに乗って、その父の苦労により我が家の地所となった田圃に赴くと、不思議とそのような気持ちになります。

 若いころから糖尿病を患い重労働ができなかった父が、主に我が家の農作業を担う私のために買ってくれたのが、中古(十数年落ち)のヤンマーの赤トラでした。他にも、当時小規模な兼業農家には贅沢と感じられた乗用の田植機(中古ですが)も買ってくれました。さらに、亡くなる数年前には新車のコンバインも購入してくれました。実際のところ、我が家の農業機械で私が購入したものはほぼありません。

 所謂「横着病」で糖尿病を得た父は、息子の私が言うのは恐縮ですが、利発で才気あふれる人であったと思います。また、強い胆力を備え、他者に臆しない人間でもありました。それだけに気が短く、我慢という言葉が苦手な人でもありました。そのくせ驚くほど純情で、生まれた環境と時代が合っていれば、世の中の為に大きな仕事を成し得た人であったはずだと、私は今でも(今こそ)思っています。

 小欄のようなわずかな誌面では、本来の父の姿や私の思いを語ることはできないように思います。残念ながら(単に、息子としての立場からだけ考えると)期待が大きかった分だけ厳しく育てられ、本来の純情さや優しさを肌で感じる機会が極めて少なかった私にとって、父が遺してくれた農業機械に乗り田圃に赴く時間が、亡くなった父と会話しているような気持ちになれる時間でもあります。

 その時私は、あなたのように賢ければ~、あなたのように強ければ~、あなたのように切れ味があれば~など色々なことを思います。一方で、最近では、それほどの才能もなく切れ味が無かったからこそ、鈍感な自分であったからこそ辛抱できたこともたくさんあるのかなぁ、と思えるようにもなりました。実際、、不条理なことや理不尽な場面への遭遇機会では、世の多くの人に負けない自信があります。

 お話の上手かった父は、良く色々な寝物語を聴かせてくれました。ある時、怖い怪談話をしてくれた後で「怖いか?(実際には「きょうといか?」という言葉ですが」と尋ね、「怖い」と答えると、後ろめたいことが無ければ、世の中に怖いものなどないのだと教えてくれました。その言葉の意味は、子どものころには良く解りませんでした。しかし、この頃本当に身に沁みて、感じられるようになりました。

 後に覚えた、河合隼雄の「心はごまかせても、魂に嘘はつけない」という言葉のように、私の中に強く実感される言葉となっています。そのような意味からも、心と心というのか本音を語り合える仲間は大切ですし、有難いものでもあります。そして、本音を語り合うには、酒を酌み交わしあいながらが効果的だと思います。今を盛りに咲き誇る桜を眺める時、そのような知己に恵まれた自分の幸せを感じます。

 今年も、「何をするにも人さえ良ければ‥‥」の「良い人」の範疇に含まれる人達と、美味い酒を飲みたいと思っています。

2018  3月  20日 地域・人づくりの基本


 
 お彼岸を迎えました。暑さ寒さも~の言葉通り、かなり寒さも和らいできました。私の愛する桜も、今年は開花が早いようです。夜桜の宴まで、あと少しです。今年は、誰とどのように味わえるのか‥‥

 さて、三月も下旬となりました。新市長が誕生した議会も、最終日を迎えました。とはいえ、上程議案は概ね前体制により編成された骨格予算ですから、新市長に質す事項は少なくなります。したがって、議会における一般質問は、各会派とも市長の施政方針などについて、代表質問という形で大きな視点からの質問になりました。津山市の明るい未来を構築していくための議論は、これからだと思います。

 一方、18日の日曜日には、鹿児島県鹿屋市柳谷町内会自治公民館長の豊重哲郎さんによる、地域再生~行政に頼らない感動の地域づくり~という題の講演を聴く機会を得ました。これは、津山市連合町内会による町内会長の研修事業として実施されたものです。自主財源を確保し、地域へ還元する手法を模索しながら、自らの手で地域を活性化し次世代への承継を図る取り組みのお話でした。

 私も、ヤネダンと呼ばれる当該地区の取り組みや豊重さんのことについては、以前からおぼろげには知っていました。しかしながら、ご本人から直に熱い言葉を聴くことにより、地域におけるリーダーの大切さと、その人の資質によって現れる成果の違いを痛感しました。また、豊重さんのもつ地域への愛情とほとばしるような情熱、さらにはそれを長く持ち続けておられることに、改めて感銘を受けました。

 講演では、たくさんの参考になるメソッドやキーワードを聴きました。しかし、私は何よりも地域づくりにおけるリーダーの大切さを感じました。そして、私は豊重さんの言葉の中に惹きつけられるフレーズを見つけました。「リーダーは親しみやすくて、近づきがたい人(勇気と度胸を持った)であるべきである」という一節です。私は、この「近づきがたい」という部分に強く共鳴する感覚を覚えました。

 私は、これまで自治会長として活動してきた取り組みの中で、理不尽な横車を押そうとする人や、自分達の利害関係のために不当(法に触れなくても)と思われる振る舞いをする人々と、何度も対峙してきました。例えば、そのような場面において求められるのが、毅然とした姿勢で対峙していくことです。それを支えるものとして、勇気や度胸のようなものがあるのだと思います。

 そのような、毅然とした姿勢を言い換えれば、「近づきがたい」というような形容になるのではないかと思いました。また、ステージから一段降りて語りかけられる豊重さんの姿と、個々のエピソードを思い出しながら時々こみ上げる感動に言葉を詰まらせる場面を見て、その人柄を良く理解することができました。まさに、近づきがたいの前段にある親しみやすいの部分を強く感じました。

 もちろん、講演で聴いたようなことを、すぐに実行するのは難しいことだと思います。また、簡単に自主財源などと言いますが、地域において力を合せて収益を上げるような活動を行うことは、簡単なことではありません。まさに、「いそがない。あわてない。結果を求めない」という豊重さんの言葉にある、情熱を継続して持ち続けることの大切さも強く感じました。

 豊重さんの講演は、予定時間をオーバーするような状況になりましたが、誰一人不満を口にするどころか、熱心に耳を傾けていました。講演が終わると、直ぐに津山を発ち故郷に帰られること、そしてその到着時刻は深夜2時位になるという強行日程も聞きました。それは、地域において果たすべき自らの務めのためであり、前日にも応分以上の役務負担を果たして、津山に赴かれたことも知りました。

 まことに、頭が下がるばかりです。私も、地域の草刈りや清掃活動などに関しては、応分以上の役務負担を心がけていますが、改めて身が引き締まるような思いがしました。私自身、リーダーが率先して汗を流すことの大切さを痛感しているからです。特に、自治会活動などにおける場面では、リーダーが先頭に立って体を動かし汗を流すことが大切です。実際、言葉や理屈だけでは人は動かないものです。

 今回は、改めて地域やまちづくりにおけるリーダー像について、再確認する機会をいただいたように思います。これからも、自らを戒めながら、静かなる闘志を胸に育んで行きたいという願いが、沸々と湧いてくる夕べとなりました。その後の懇親会においても、同じような考え方や志を共有できる人達との間で、楽しく盃を重ねることができました。本当に、有難いことだと思います。

 いつもながらですが、何をするにも人さえ良ければ…と思うばかりです。今後においても、地域を愛し皆のために汗を流しあえる仲間が増えるように、自らも研鑽を重ねていきたいと考えています。

2018  3月  7日   努力しなければ解らないもの


 
 啓蟄です。今日は天気も良く、地元衆楽公園では松のこも焼きが行われていました。春は、そこまで来ています。

 先日、我々の仲間の先達として活躍された方が叙勲され、そのお祝いの会が催されました。会議もあり、せっかくなのでその日は岡山に泊まりました。ごく限られた仲間内による宴でしたが、厳粛な中にも心温まる一次会から大変盛り上がり、二次会・三次会と夜更かしをしてしまいました。貴方が泊まるのなら~と、私をだしにして盛り上がる不良中年の皆様と、本当に楽しい夜を過ごさせて頂きました。

 青春時代に戻り、フォークルから拓郎……と喉を競い合ったせいで、翌日は少し声がかすれ気味でしたが、快い疲労感に包まれ、列車で本を読みながら帰ってきました。実は、行きがけに髪かざり(山本周五郎の短編)を読み終えていたので、岡山の書店で柳橋物語・むかしも今も(同じく周五郎)を求め、待ち時間と帰りの列車で半分ほど読むことができました。

 それは、本当に有難く充実した時間であったと思います。しかし、岡山の書店でも感じたのですが、こちらに戻って地元の書店から注文していた、ながい坂(上)・(下)が入荷した知らせを受けて、取りに行って確信したことがあります。それは、文庫本が高くなったということです。例えば、前述の柳橋物語は税込637円、長い坂(上)(下)に至っては二冊で1706円です。

 文庫本二冊に、千円札二枚を財布から取り出した時、明かに私は違和感を覚えました。私の中では、文庫本といえばまぁ珈琲代位までというのが相場でした。珈琲一杯分の値段で、楽しめる度合いを考えれば本当に安いものだと考えていました。珈琲は、喫茶店に座って飲んでも30分位の憩というところですが、300ページの文庫本はほぼ一日楽しめるでしょう。

 ところが、珈琲はスタバ等が価格を破壊し、今ではセブンイレブンが100円で美味しいブレンドを提供してくれます。反して、文庫本は値上がりの一途をたどっています。売れないから単価が上がるのか、単価が上がるから売れなくなるのか、そのような負のスパイラルなのかもしれませんが、まったく、私のように本は文庫でと思っている人間には、少なからず痛手となっています。

 そういえば、出版業界が図書館での文庫の貸し出しを自粛するよう求めた、というようなニュースをしばらく前に聴いた記憶があります。また、列車やバスに乗るとよく見かける、スマホによる読書風景なども、文庫本の価格高騰の背景になっているのだと思います。本当に、我々日本人は、紙媒体の活字から驚くほどの速さで遠ざかっているような気がします。私は、それが良い傾向だとは思いません。

 読書のように、自らが努力しなければ楽しめない趣味(VRでなく触覚も使うことが大切)を持つことは、とても意義がありますし大切なことだと思います。例えば、今日叫ばれている人手不足という話を聴く時、自身を磨かなければなれない職人や技術者のことを考えてしまいます。もちろん、どんな仕事も簡単ではありませんが、職人のように所謂「手に職を付ける」職種は、本当に時間がかかるものなのです。

 また、そのような人達を束ねて、現場をマネジメントしていく技術者も同様です。まさに、私がHPを開設し小欄を綴るようになったきっかけも、この国の建設エンジニアの行く末に憂いを感じ、職人がやって行けない国の有り様に少しでも抗うためのアンチテーゼとして、或いは、本来の日本人が備えるべき精神性への回帰を訴えるためであったように思います。

 思えば、世の中の役に立つものづくりを目指す技術者を育てるために、志や知識があっても、それを上手く形にできない人々を支援しようと、本HPを立ち上げてから16年以上が過ぎたことになります。この間、技術士に関する制度や資格試験も様変わりしてきました。当然ですが、私のスタンスやモチベーションも変化してきました。何よりも、私自身が大きく変化してきたのだと思います。

 それでも、世の中の役に立つ~という部分に関しては、その思いを貫いているつもりです。そして、その根底をなす日本人の精神性の醸成という部分においては、開設当初から変わっていません。しかしながら、声を限りに(できる範囲ですが)提唱してきたそのような思いは、それ程浸透していないのが実際のところです。反面、解り合える仲間や価値観を共有できる人に関しては、確実に増えたと思います。

 これからも、良い人達と関われるよう、自らを研鑽していきたいと考えています。本当に、人さえ良ければ~と思うばかりです。

2018  2月  21日   真面目な人々のために



 旧正月を迎えました。厳しい寒さの中に、春の訪れも感じています。それは、市民の中にまだ残されていた良識のようなものにでしょうか。少なくとも、閉塞感漂う停滞は脱して行けるでしょう。

 本当に、選挙というものは恐ろしいものです。また、志や資質が無くても年がら年中そのことばかりに傾注していれば、人の「情」のような部分に食い込めることも事実です。一方、このまちで続いてきた選挙に勝った側が専横のような形で利権を握る構図を背景として、長いものにまかれる考え方や誰がやっても同じという無力感が政治に対する無関心を助長してきたのだと思います。

 そのようなことを背景にして、候補者本人の資質や能力、或いは人間性を検証する機会を少なくさせてしまっているのだと思います。何でもかんでも、闘いの構図を仕掛け相手陣営の批判を繰り返すやりかたは、本当に情けないものだと思っていましたが、市民の選択はこのまちへの強い愛情をもち、数々の課題に明確な方策を示した人を選ぶ結果となりました。

 そのことが、冒頭に述べた市民の良識はまだ残されていた~という表現になったように思います。
これから、長く停滞していたこのまちの課題を一つずつ解決していく取り組みをして行かなければなりません。また、このまちが向かうべき方向性についても、私達は真摯な議論を深めていかなければならないのだと考えています。まさに、これからです。

 それは、実際には中々厳しい取り組みでもあると思います。この、長い停滞の中で増殖した頽廃的な空気の中における、利己的な集団化や勝ち馬に乗ろうという姿勢は容易に変えることは難しいと思うからです。また、人は楽な方には流されやすいものでもあります。理由を付けて、利己的な振る舞いに走る人は、いつの世にもなくならないものです。

 もちろん、当然ながら膿を出すための手術や刷新は必要です。新たなトップリーダーによる、このまちの未来を見据えた人事に期待したいと思います。余談ですが、これまでのような常に選挙を念頭に置いた踏絵人事のようなやり方は、けっして行われないと信じています。私は、常に正面から良いことは良い悪いことは悪いと対峙してきたつもりですが、余りこのような場で述べたくないエピソードばかりでした。

 さらに、私は政治は真面目な人々の為にあるのだと考えています。市民や国民の血税を執行する行政機関のトップは、まさにそのことを肝に銘じる必要があります。前代を反面教師として、襟をただし自らが範を垂れる姿勢を示してくれると思っています。そのようなことも含めて、しっかり見守って行きたいと考えていますし、私自身の姿勢についてもさらに戒めていきたいと考えています。

 一方、具体的なこのまちの課題に対する処方箋も示されていますが、細かな内容や方向性に関しては提案したいことやアイデアもありますので、これから真摯な議論を深めていきたいと考えています。少なくとも、敵か味方かというような低次元のやりとりではなく、本当の意味での議論ができるのではないかと期待しています。これまでは、まさに市民の血の叫びの代弁者として虚しい日々でした。

 思えば、そのような私の心境が投影された小欄を読まれた方から、厭世的であるとか同じような内容を繰り返しているとか、或いは疲れてはいませんかというようなお声掛けをいただいたこともありました。本当に、いつもこの長い文章(自分では、必要最小限度だと思っているのですが)を読んでいただいた上に、私のことを心配していただき有難いかぎりです。

 考えてみれば、今歩んでいる道は自らが選んで進んできた道です。本音を言えば、放っておけないからやり始めたことが、いつの間にかこのような形になったような部分もあります。しかしながら、その取り組みの中で、私の信条はどんどんシンプルになってきたように思います。それは、公の人間としての判断をして行こう、と、いうことです。

 また、それは奇しくも、かつて技術士試験を受験した際に心に刻んだ公益の確保という考え方に集約されてきたようにも思います。あの頃、おぼろげに考えて口にしていた言葉ですが、この頃では本当に腑に落ちるようになってきました。さらには、個人的な損得勘定や義理人情などが判断に影響する場面が増えるほど、私は公の人としての判断をするようになってきたともいえるのだと思います。

 本当に、今はシンプルにそう思います。このまちを愛し、このまちの明るい未来を願う人のために一生懸命生きていきたいと考えています。

2018  2月  6日   未来志向の改革



 極寒の立春を迎えました。まさに、このまちの厳しい現状を暗喩した表現といえるかもしれません。本当に、自らのこととして物事を考え行動していかなければなりません。

 ただ今、このまちの将来の方向性を決めるための、大切なトップリーダーを選ぶ選挙が行われています。かつて、県北の雄都といわれたこのまちに充満しているのは、諦めと閉塞感に満ちた空気です。一方で、政治に対する無関心は想像以上に根深く、「誰がやっても同じ」だと考える市民の数は想像以上に多いのが現状だと思います。

 これまでの、市長選挙の動向を見てもそうですが、その傾向は継続していますし顕著にもなっていると思います。私自身、この様な立場になって内側から市政の状況を見るまでは、概ねそのような感覚を持っていました。それでも、私は投票行動に際しては誰に頼まれたからとか、雰囲気に流され投票したということはありません。少ない選択肢であっても、僅かでも期待を抱ける方に投票してきたつもりです。

 さて、現状の津山市に目を転じてみれば、昨年12月末に地元紙に掲載された県内15市の財政状況を示す各指数において、本市は最低の水準(経常収支比率94.5、実質公債費率11.7、将来負担比率137.5)となっています。このことに加えていえば、この5年間で市の借金である市債発行額は87億円増え市債残高は670億円に達しています。

 当然ですが、歳入は市税も地方交付税も減少している状況です。にも関わらず、ここ数年は連続して過去最大規模の予算編成が続いています。他方、通常の市民生活を賄っている経常収支比率が悪化する中で、地域や自治会が行う草刈りや清掃活動への補助は減っています。公共事業に目を向ければ、首を傾げるような偏向的な受注状況や事業内容の精査が必要なものも見受けられます。

 そして、何といっても情けないのは教育の現状です。小学校6年生と中学校3年生において実施される全国学力テストの結果からいえば、低迷を続けている岡山県の中でも津山市は最低水準です。しかも、その状況はこの5年間変わっていません。一方で、何故かその危機的な状況に関してさえ、積極的に保護者に知らされていない(あえて)が現状です。

 かつて、教育県といわれた岡山の現状を鑑みられ、県全体としては改善への取組と一定の成果が見られています。しかしながら、教育長を市長が任命できるようになった今、我がまちの惨憺たる状況が改善される兆しは見えません。地域において、側面から支援をさせて頂いている私達から見ても、小学校・中学校が不安定になっている状況が垣間見え、憂慮されるばかりです。

 本当に、選挙前になると何故か子ども医療費無料化などが突然実施されたりしますが、根本的な人づくりの重要性や、高い価値規範を備えた住民意識の醸成に対する議論には、全く興味を示されない人が、真の意味の教育の重要性と子育ての大切さを考えているとは思えないのが正直なところです。例えば、私はその他にもこのまちの将来への展望を質し、方向性への議論を提案してきました。

 しかしながら、本当に残念な「敵か味方か」というようなトップの姿勢に基づく次元の低い議会構成を背景に、首長と議会における信頼関係の構築に基づく真摯な議論の必要性を問うなどという、情けない質疑をしている状況です。そのような、市民の為の議論を行う真摯な姿勢は、本来執行部や議会が当然備えておくべきことですし、高めていく姿勢も持ち続けなければなりません。

 なによりも、私達は憲法に定められた二元代表制の権能を果たすために、このまちの人々の生活の安定と向上のために、そして子供や孫達の世代のために資する議論をして行かなければなりません。残念ながら現状は、目先の損得や好き嫌い及びそれを取りまく雰囲気のようなもので、市政は停滞しています。本当に、今しかないのだと思います。4年に1度、市民が選べるチャンスなのです。

 これまでのような、策の無い停滞した状況を是認するのか、或いは新たなトップリーダーによる未来志向の改革を選ぶのか、本当に大切な機会であると思います。私は、これまでにも何度も述べて来ましたが市民の付託を受けて働く人は、「誰がやっても同じ」ではありません。本当に、私達は「誰に財布を預けるのか、そして、誰に自分の運命を託すのか」そんな気持ちで選ばなければなりません。

 心ある皆様の適正なご判断を切望しています。皆さん一緒に、未来志向の改革で津山の未来を創っていきましょう。

2018  1月  23日   子や孫たちのために…


 
 暦は、大寒に入りました。文字通り、寒い日が続きます。それでも、時として不自然な暖かい日が出現します。そのことに感じる違和感は、本当はごまかしてはいけないのだとも思います。

 私事ですが、人生で最大ともいえる挫折を味わった落選の日から、もうすぐまる4年となります。その1年2か月後の再挑戦で当選を果たし、現在に至りましたがその時の記憶は忘れられるものではありません。また、その時も小欄でも述べたと思いますが、定数削減をはじめこのまちにおいて取り組まなければならない改革の推進についていえば、それだけ遅れたのだと私は考えています。

 そして、その4年前には同時に市長選挙も行われました。というより、市議会議員の補欠選挙は市長選挙に併せて実施されたものでした。今考えても、不思議で異常だと思えるような、無効票(白票)が7千票もあるという市議会議員の補欠選挙の結果をみて、多くの皆さんが補欠選挙に関する情報提供の少なさを語っておられました。実は私も、事前の期間を含め違和感を覚えていました。

 明かに、市民への周知を図るための努力が不足していたのだと思います。それは、むしろ意図的にさえ見えました。私は、そのようなむしろ意図的にさえ感じられた広報する側の動きや流れに、強い違和感を覚えましたし、その背景を考えざるを得ませんでした。そのことは、議員となり今日まで取り組んで来た事柄に関する報道のされ方などを見ても、何となく腑に落ちない形で続いています。

 例えば4年前、実際に投票所に市長選挙の投票を目的として訪れ、そこで初めて市議会議員の補欠選挙があるのだということを知ったという人の声を本当にたくさん聴きました。考えてみれば、そのような状況下で突然知った補欠選挙に関する情報が無い中において、白票を投じた人達はむしろ常識を備えた良識人であったのではないでしょうか。

 今も、私はそのように考えています。そして、この4年間同様の違和感を抱き続けてもきました。また、これはいつも述べていることですが、地方自治体における首長の権限は絶大なものがあります。まさに、そのまちの生殺与奪を握っているといえるでしょう。そのような、権力構造が投影されないような真に公平で公正な報道がなされることについて、私達はもっと注視していく必要があるのだと思います。

 さらには、公の為の仕事をする役職者を選ぶ際においても、私達はもっともっと関心を持つ必要があるのだと思います。まさに、誰に財布を預けるのかというような、覚悟と責任を持って付託する相手を選ぶ必要があります。私も、今のような立場になるまでは、それ程強い関心を持ってはいませんでした。しかし、自分がやってみて「誰がやっても同じ」ではないことを痛感しています。

 本当に、身近な町内会の役職から首長まで、誰がやっても同じではありません。特に、先ほども述べたような首長を選ぶ選挙においては、選ぶ方の側にも大きな責任があるのだと思います。それは、このまちの未来に対する責任です。また、その未来に生きる子供や孫に対する責任でもあります。そのような視座に立ち、真にこのまちが向かうべき方向性を示唆できる人を選ばなければなりません。

 そして、そのような資質を備えたトップと、真の意味で二元代表制の権能を果たすべく真摯な議論を深めていくことが、我々議員の責務に外なりません。私は、この3年間そのような本来あるべき姿と乖離した現実の間で、暗澹たる思いで活動してきたように思います。誰だって、些末な或いは枝葉末節ともいえる、情けない言動の指摘やあるべき姿の提示などやりたい筈がありません。

 例えば私は、原稿なしのガチンコの討論でも構わないと考えています。当然ながら、首長と議員ではサポートしてくれる体制は天と地ほども違います。質疑で交わす言葉や数値一つ一つについて、我々議員は自らが調べなければなりませんが、市長の周りには多くの優秀な職員が控えています。つまり、明確で具体的なビジョンやこのまちを愛する熱い志さえあれば、その思いは皆が形にしてくれるのです。

 そのような、討論の条件に関しては一方的に不利な立場であっても、私は原稿なしでやっても構わないと思っています。それは、私に対して寄せられる市民の声を集約し、そしてそれを自身が考える進むべき方向性や実施すべき施策に反映させて、議場での議論に臨めば良いと考えているからです。本当に、言いたいことややりたいことは一杯あります。そして、今やらなければならないこともあります。

 そのような、あたりまえのことをちゃんとやりたいのです。本当に、地域のためにこのまちのためにシンプルにぶれずに取り組んで行きたいと考えています。適切な選択がなされるよう、心から祈るばかりです。

2018  1月  8日   年頭に当たり一言



 明けまして、おめでとうございます。まずは、穏やかな正月であったと思います。恒例としている、お正月の行事もほぼこなしました。ただ、今年の年末年始は、訃報に接する機会が多かった気がします。

 この様な生活をしていると、実際にそのようなことが感じられます。例えば、夏の暑さが厳しくなると、また、冬の寒さが厳しくなると途端に訃報を聞くことが多くなります。実は、自治会組織の大きな仕事の一つに葬儀の取り仕切りというものがあります。特に、地方の地域社会においては重要な仕事になっています。それにしても、今年はその機会が多かったような気がしています。

 また、岡山の関係者では星野仙一氏のご逝去が、先日報じられていました。闘将として、男気溢れるリーダー像を存分に発揮され、多くの人から愛された野球人生であったのだと思います。その報に接し、驚きと共に人生の虚しさも感じています。一方で、人生は長さではなくどれだけ充実していたかということにこそ、意味があるのだということも今更ながら感じています。

 星野さんの影響を受けた多くの方々が、その死を惜しんでいる姿がテレビ等で報道されていました。また、私の周辺にも星野ファンは数多くいます。「人の役に立て」とおしえられたお母様の話や、闘将としての起源となる明治の島岡監督との出会い等多くのエピソードがありますが、小学校の時に足の悪い同級生をおぶって学校に通ったお話は有名です。

 まさに、強いものに向かっていく激しい闘志の陰に、弱い者をいたわる優しさを秘めた人であったのだと思います。心より、ご冥福をお祈りいたします。他方、ごく身近なところでは、星野さんとは種類が違いますが、男気溢れる先輩も亡くなられました。その、豪快で奔放な生き方から周囲の評価も色々で、課題も残して行かれましたが、私には良くしてもらった思い出ばかりです。

 さて、そのようないつもより多い通夜・葬儀の仕切りや参列を既定のスケジュールの中に押し込みながら、今年もルーティーンのような年末年始を過ごしました。まず、31日の午前中に、地元作楽神社の迎春準備を行いました。それから、僅かな家族との団らんの時を過ごし、夜は毎年恒例の花火会場にご挨拶に赴き、再び地元神社を梯子するという初詣ルートです。

 さらに、目が覚めるとお雑煮を食べてから元日の商工会議所の互礼会に顔を出すという、新たな行動パターンの日程もこなしました。年々、お招き頂くところや声をかけて頂ける場所が増えることは、本当に有難いことだと思っています。しかしその一方で、時の流れるスピードは益々速く感じられてしまいます。贅沢ですが、緩やかな時の流れの中で暮らしてみたい願望が湧いてきたりもします。

 そのような多忙な正月でしたが、東洋大学の往路優勝と青山学院の四連覇となった箱根駅伝も見ました。一方、久々に初戦を突破した作陽高校男子サッカーの試合も見ました。惜しくも、ベスト8進出はなりませんでしたが、PK戦で敗れた試合も内容は押していたように思います。その代りと言っては何ですが、女子は決勝戦まで進む活躍を見せてくれました。

 男子が、三回戦においてPK戦で敗れた雪辱を果たし、準決勝をPK戦で勝ち上がっての決勝進出でしたが、惜しくも準優勝という結果でした。岡山県北の津山市の名前を全国に知らしめる活躍に、心から敬意を表しお礼を述べたいと思います。願わくば、これからも津山の作陽高校であり続けて欲しいところです。また、そのためにできる限りのことを模索していきたいとも思います。

 本当に、大人が地域や目の前の課題に真摯に向き合い、将来の子どもや孫たちの為に責任を果たして行く生き方をして行かなければならないのだと思います。特に、このまちにおいてはそのことが重要です。まさに今、この閉塞感を打破しなければならないのだと私は考えています。例えば、それは小さな地域の自治会役員にしても同じことだと思います。

 多くの人の付託を受けて、多額の予算を判断する立場であればなおさらのことです。人の為に何かをする役職は、誰がやっても同じではありません。まさに、そのような人を選ぶときには「誰に、財布を預けるのか。或いは、誰に命を預けるのか」という位の覚悟を持って選ばなければならないのだと思います。今私は、本当に自身の経験を通してそのように痛感しています。

 そのような視点を持って、これからも真面目な人や弱い人達の為に筋を通す生き方を貫いて行きたいと考えています。本年も、よろしくお願いいたします。


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