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※これまでのコラムが納めてあります。
できれば、通してお読みください。(根底に流れるものを、くみ取っていただけると思います)
 

                     

                松下村塾               興福寺五重塔          ニューオオタニから新宿方向              宗谷岬

NO.38    

2018  10月 1日     神無月に囲まれて


 
10月になりました。神無月です。本来は、神の月であっって、神の無い月という意味ではないようです。その言葉通り、神の月ということであれば、10月に秋祭りが多いのも頷けるような気がします。

 また、出雲では神在月だという説は民間語源であり、言語学的な根拠は無いと言われているようです。一方で、その俗説も中世には既に定着していたようですから、日本人の心に根付いているともいえるでしょう。さらに、その考え方から波及したものとして、全国の神様が出雲で縁結びの相談をするのだという説もあります。俗説にも、そのようなロマンを漂わせるところが、本来の日本人の良さだと思います。

 このことは、折に触れて述べていますが、私は、季節の中では空気の澄んでくる秋が好きです。振り返れば、私は、現実逃避するように空想に耽りがちな少年でもありました。中でも、暑さの残る初旬から空が徐々に高くなる下旬への9月の変化、そして、透徹した空気を鼻腔に感じだす10月、さらには、11月になり昼間の長さが日に日に縮んでいくことを肌で感じる秋は、その感覚も鋭敏になる季節でした。

 そんな中学生の頃、井上陽水の神無月に囲まれてという曲を聴きました。三番の歌詞は、神無月に僕は囲まれて、口笛吹くそれはこだまする。青い夜の空気の中にいきているものは、涙も見せず笑いも忘れ、息をひそめて冬を待つ、と、いうものです。陽水独特のメロディーが、強く言葉のイメージを増幅させ、心を揺さぶられたことを思い出します。以来、神無月という言葉の響きに魅かれる私がいます。

 もちろん、それは私の感覚に基くものに他なりませんが、この「素通りできない」ような感覚こそが、人が夫々に備えた感性なのだと思います。ところで、陽水といえば、ラジオの深夜放送で「傘が無い」を初めて聴いた時の衝撃は、今でも鮮明に思い出すことができるほどです。第一感は、何と暗い唄なんだろうというものでしたが、同時に耳にこびり付き離れないような強い印象も受けました。

 当時、「結婚しようよ」が大ヒットとなり、ミーハーな周りの仲間達が拓郎をもてはやしていたこともあり、その頃の私は、直ぐに陽水派の看板を掲げたような記憶があります。今思えば、「天才拓郎」と「鬼才陽水」とでも形容すべき圧倒的な音楽的才能を秘めた二人ですが、当時のマスコミ・音楽業界の背景にある社会情勢を振り返れば、必ずしも現在のようなカリスマ的な存在では無かったのだと思います。

 しかしながら、私一人を例にとっても、吉田拓郎や井上陽水の音楽から多くの影響を受けながら今日まで生きて来たことは明確な事実です。もちろん、ただ音楽に限っても、演歌・浪曲から唱歌・クラッシック、さらにはフォークにロックからジャズ・スクリーンミュージック…果ては父・母の鼻歌まで、多くの「音源」から影響を受け、私は生きて来ました。その中で、私の情緒感も育まれてきたのだと思います。

 そのことは、世の誰でもが同じようなことだと思います。一方で、その内容は夫々に異なったものでもあるでしょう。それでも、単に拓郎や陽水に限って考えても、多くの人が私と似たような影響を受け、そのことにより私と似通った感性を備えたと考えることもできるのではないかと思います。もちろん、厳密にいえば個人個人の感性に同じものは無く、夫々が多様な感性を備えている筈です。

 それでも、人夫々に、えもいわれず愛おしく思う人(血縁が無くても)や、かけがえのないと感じる友人を持つことは普遍的な人間の営みでもあります。また、そのことにより人生の重みや深さが増していくのが、人の一生であるともいえるでしょう。そのような関係を構築する為の根幹を成す条件として、前述したような似通った感性を備えているということが挙げられるでしょう。

 まさに、類は友を呼ぶという言葉がありますが、人は解り合えない人とは解り合えないものです。これは、ここまで生きて来た私の強い実感でもあります。例えば、本当に良い人は悪い人になれないし、悪い人も良い人になれません。そして、もう一つ体験を通して言えることは、良い友や師が欲しければ、自らがそのような感性や価値観を備える必要があるということです。

 もう少し、条件を緩和するならば、たとえその域に達していなくても、素直にそのように感じられる感性を備える努力をするということだと思います。それを指して、感性を磨くと表現しても良いのかもしれません。その意味から、また類は友を呼ぶというような視座に立てば、自らが恵まれている有難さも強く感じます。個々のエピソードは述べませんが、解ってくれている人は解ってくれているという実感もあります。

 余りにも、度々上陸する台風の通過を横目に見ながら、兎にも角にも被害が出ないようにと祈りつつキーボードを叩いています。神無月に囲まれていく中で、息をひそめての随想です。皆様、お大事に。

2018  9月 17日     判定(ジャッジメント)





 もうすぐ、お彼岸です。春と違い、秋はお盆が済むと直ぐにお彼岸がくる感じです。それでも、何となく頷ける気がするのは何故でしょうか。猛暑の残影を眺めながら、秋の扉をあけるような気がします。

 さて、毎年異常気象や自然災害が話題に上るこの国ですが、それにしても、今年はその回数と被害が多過ぎるような気がします。まず、1~2月にかけての寒さと豪雪、4月には大分中津市で土砂崩れや島根県西部地震(震度5強)、6月には大阪北部地震(震度6弱)、7月の西日本豪雨災害、8月の記録的な猛暑の後には9月早々の台風災害と北海道地震(震度7)という具合です。

 それらについて、詳細を語るには小欄の誌面は少なすぎます。一方で、自身のことに目を向ければ、そのような厳しい自然災害が多発する状況下、台風の襲来や地震発生などの間隙を縫うような形で、今回の北海道への行程を無事終えられたことに感謝したいと思います。ススキノの目印ともいえるニッカの看板の灯が消えていた映像をテレビで見て、どこか空恐ろしいような感覚を覚えました。

 まさに、その旅程が数日違えば、或いは台風のコースが西に100kmずれていれば…などと考えるときりがありません。一寸先は闇でもあり、望外の結果を得る場合もあります。望外の結果といえば、将棋の藤井聡太七段ですが、先日の王位戦予選で山崎隆之八段に敗れ、デビュー後二度目の連敗を喫しました。山崎八段は私の好きな棋士の一人だからではありませんが、藤井七段にも糧になるでしょう。

 他方、スポーツ界では大坂なおみ選手の全米オープン優勝、錦織圭選手のベスト4進出という嬉しい話題もありました。特に、大阪選手によるグランドスラム日本人選手初制覇の偉業は、本当に感動的な話題でした。垣間見える彼女の素直な人柄に、好感を抱く人は多いでしょう。反面、全米オープン決勝戦のセリーナウイリアムスの態度や審判・観衆の反応などに、違和感を覚えた人もたくさんいる筈です。

 概ね、この試合の審判の判定や対応は正当なものであると評価されているようですし、私もそのように思います。判定に対する抗議などの場面において、男女差別や人種に関する偏見があるとは思いませんが、どんなところからでも議論を起こすことができるのも現実です。また、テニスのグランドスラムなどでは、アウトセーフの判定に関してはチャレンジシステムがあり、否応なく従わなければなりません。

 所謂ビデオ判定ですが、ボールの軌道を再現したコンピューターの映像により、ミリ単位でアウトセーフを決めてしまうというものです。それが、本当に真実なのかという疑念も残りますが、そのように決めたからにはそれを尊重するという意味において、その判定は絶対的なものになります。一方で、そこには一切の予断や感情が入る余地も無いのだと思います。ある意味、公平であるともいえるでしょう。

 とはいえ、スポーツには人が判定する競技がたくさんあります。というか、スポーツにおいては判定に拠らなければならない場面は多々ありますし、そのために多くの場合人間が審判となります。しかしながら、昨今のスポーツ界の多方面における不祥事の発覚などのニュースの影響などもあり、人間が審判となり判定を下すことへの信頼が、何となく揺らいでいるような気がします。

 奇しくも、昨日ゴロフキンとアルバレスの再戦がありました。丁度、去年の今頃(正確には現地時間9月16日)行われたこのラバーズマッチは、12ラウンド終了後判定によりドロー(引き分け)でした。この、前回の判定内容はカネロアルバレス8ポイント、トリプルGゴロフキン2ポイント、そして114対114という三者三様でした。しかし、不肖私の採点では4ポイント差でゴロフキンの勝ちという試合でした。

 実際、試合後の疲労度や消耗を見れば、明かにゴロフキンに分があったと思います。もう少し言えば、そのことを当人同士では解っていたのではないかという気がしました。もちろん、その判定結果は物議を醸しました。さらには、試合後アルバレスに禁止薬物使用疑惑が出て、今年5月予定の再試合は9月まで延びました。それもあり、注目された再戦でしたが、 結果的に今回も判定決着となりました。

 採点結果は115-113が二人と114-114引き分けが一人で、僅差ながらアルバレスの勝利となりました(私はドローながら気持ちはゴロフキン)が、ボクシングの試合では納得できるものでした。また、試合後のダメージは明かにゴロフキンに見えました。一方で、前回の偏った判定をした審判のことを考えると、ゴロフキン36歳・アルバレス28歳という年齢差における一年という時間の重みも感じてしまいます。

 改めて、人の運命を左右する判定者の責任の重大さを痛感しました。こんな時私は、レイナードに判定で敗れた後再戦も実現されず、現役を退いたハグラ―のことを思い出します(因みに、この試合の私の判定はハグラ―でした)。もう、30年以上も昔の話ですが…


2018  9月 3日     感性を磨く




  9月になりました。早くも、1年は2/3が過ぎました。年齢と共に1年が短くなるのは、新たな感動に遭遇する機会が減るからだという説もあります。「新たな試練」なら、たくさん味わっていると思うのですが……

 そうですね。本当に、感じ手側の状態により、受ける印象はまったく変わってしまいます。そして私は、その「感じる」感覚そのものが人間にとって極めて重要だということについて、年齢を重ねるほどに深く思うようになってきました。もちろん、理論的に物事を考えるための知識や情報の収集と精査という作業は、生きている限り怠るべきではありませんが、豊かな感覚を養うことの方が大切だと思います。
 
 今、「養う」と言いましたが、一般に感覚といえば視覚・聴覚・嗅覚・味覚・触覚を指しますので、生き物である人間として考えれば養うという表現の方が良いのかなぁという気がしました。この、感覚と人間が個々に備えている何か(プラスα)を加えて生まれるものが感性ということになるのだと思います。当然ですが、先ほど挙げた五感は動物にもありますので、感性という言葉は人間を対象としたイメージです。

 ここで、動物にも感性があるだろうというような話をすると本来の主旨からそれてしまいますので、今回は人の感性を中心に述べたいと思います。ところで、感性と書くと後に続くのは磨くという言葉が相応しいような気がするのは何故でしょうか。まぁ、磨くも養うもそれほど差異は無いともいえますが、例えば、磨くの方がふさわしいのでは…と思うことが私の感性なのだと思います。

 そのように、感性というものは人によって異なるものでもあります。そもそも、感性の基になる感覚自体に個体差がある訳ですし、生まれてきた環境や育つ過程での体験(衣食住~教育・出会った人、読んだ本、見た映画、聴いた音楽…)は夫々異なります。人によって感性が違うのは当たり前のことといえるでしょう。そう考えると不思議なことですが、この感性が近いと感じる人に出会うことも良くあります。

 元々、日本人の精神性というような考え方もありますので、ある程度他者と共感できるような環境がこの国にはあったのだと思います。それも、今日では随分崩れてきたようにも思います。また、だいたい同じような生活水準で成長した同世代の関係性があれば、似通った価値観や感性が醸成されることも想像できます。類は友を呼ぶといったところでしょうか。

 いずれにしても、「磨く」のがふさわしいと考える私の感性に従い、私は日常を過ごしていることになります。私は、その感性を磨くことの基本は、素直な心(精神状態)で感じることだと思っています。ここでいう感じるは、五感すべてを使いながら前述したプラスαを増幅させるようなイメージです。例えば、今回も稚内を訪れ日本最北端の岬(宗谷岬)に立つ機会を得ました。

 かなり良い天気でしたが、残念ながら樺太(サハリン)を望むことはできませんでした。しかしながら、私の脳裏には霞む水平線の向こうにその大地の映像が浮かんでくるような気がしました。この時、私の感性がイメージを増幅させていたのだと思います。岬に立ち、風を感じ、夏の終わりにしては既に肌寒いような冷たさを感じ、その風や波さらにはそこに含まれる様々な音を聴き、海の水に触れてみる。

 どこから漂ってくるのか、かなり強い硫黄のような匂いに首を傾げ、かつて見聞きした引き上げ船の悲話やソ連による暴挙などを思い起こします。一方で、側に立つ銅像に目を移すと、樺太が半島ではなく島であることを確認しに行った間宮林蔵がそこに立っています。彼が名付けた間宮海峡のことや、伊能忠敬との関係なども浮かんできます。そういえば、昭和の大横綱大鵬親子もここを通ったのか‥‥

 また、先ほど足を運んだノシャップ岬の後の山のレーダーサイトや、この岬の先端に来るまでに見た防衛施設などから、ここが我が国最北端の地であり、国境を意識する場所であることが再確認されます。そのように膨らんで行くイメージの中で、かつて撃墜された大韓航空機事件も思い出しました。国家や権力という形態を作り出し、それに由来する悲劇から逃れられない人間の愚かさが胸をよぎります。

 上手くはいえませんが、その場所に行き身体全体で何かを感じ、イメージを膨らませることが大切なのだと思います。今回も、私はどうしても立ってみたかった宗谷岬に立ち、感性を磨くことができたと思っています。またそのことが、羅臼から見た国後の島影や、この日と同じように霞んで見えなかった納沙布岬からの歯舞諸島の幻影ともリンクしてきます。そのような、相乗効果もあるのだと思っています。

 そうして、感性も年齢と共に磨かれていく部分があるのだと思います。一方で、感性を磨くための基本として、正直で素直な気持ちを持ち続けていたいと願わずにはいられません。

2018  8月 20日     ロス・喪失…




  お盆が過ぎました。今年も、山のお寺を尋ねてきました。道中、先の水害の爪痕をあちこちで見ました。一日も早い復興を祈りながら、改めて、安穏とした日々の有難さを噛みしめました。

 毎年、この季節には語っているかも知れませんが、私は、お彼岸やお盆があるこの国のしきたりが好きです。しかしながら、その背景にある日本の四季の移ろいは、昨今の異常気象などにより揺らごうとしています。それでも、まだまだ日本人の情緒感は変わっていない筈です(期待も込めて)。そのような思いを胸に、今年も縁の人が眠る墓所を訪れ、線香を手向けてきました。

 近いところでは、私が存在することの根源ともいえる、先祖や父の墓にお参りします。それから、若くして逝った友(強さと優しさを併せ持っていた男)の墓に立ち寄ります。また、冒頭にも述べましたが、山間のお寺の墓所にも訪れて来ました。さらには、家内の実家など御恩のある方々のお墓にもお参りします。多忙な日常から離れ、心の休まる時間を持つことができたと思っています。

 そのような場面で(夫々の墓碑の前に立つ時)、私は、僅かな時間ですが、そこに眠る人と細やかな語らいをします。それは、本当に短い時間ですが、確かにその人達の声を聴く時間でもあります。多くは、その時の私の心象が投影されているのかもしれませんが、たしなめられたり勇気づけられたりするような気がします。また、声が聴こえない時もありますが、感謝の気持ちは伝えて帰ります。

 それは、私にとって本当に有難い時間です。とはいえ、お盆やお彼岸のようなしきたりが無ければ、中々得られない一時だとも思います。改めて、この国の人の持つ精神性や伝統文化の素晴らしさを感じます。何か節目を設け、亡くなった人を思い出し、その人から受けた影響や恩情に思いを馳せてみることは意義深いことです。さらには、そのような想いは、やがて、生きている人にも向けられていきます。

 いうまでもなく、人は一人では生きていけません。例えばお盆は、亡くなられた人達からの恩恵に対し、存命中には当たり前のように考えていたことが、実は得難いものであったことに気付く機会でもあります。また、その気付きから、普段忘れていた周囲の人に対する感謝の気持ちが想起されることもあるでしょう。全く、私のような凡人は、そこにある(いてくれる)ことが当たり前のように考えがちです。

 そうですね。なくしてみて、その有り難さがわかることは良くあることです。言い換えれば、日常においてそのことに中々気付けないのが人間でもあります。今さらですが、大切な人達への感謝の気持ちを忘れないようにしたいと思います。もちろん、多くの人達から薫陶を受けてこれまで培った信念は、貫いていかなければなりません。むしろ、その思いは歳と共に研ぎ澄まされて行くように思います。

 ところで、失って感じるといえば、つい先日スマホが使用不能になりました。所謂「リンゴループ」という、アイフォンでは致命的な状態に陥ってしまいました。日頃、携帯端末への過度な依存に対して警鐘を鳴らしている自分自身が、驚くほどそれに依存していることに狼狽えてしまいました。結果的に、機種変更の後にデータを復旧をすることができ事なきをえましたが、数日間は不安な時間を過ごしました。

 何といっても、千件を超える電話番号等の連絡先に関するデータを一から復旧する作業を思い浮かべ、気が遠くなるような思いがしました。一方、写真や動画、或いは文書・記事などの失いたくないデータもありましたので、復旧されない事態を想定し暗澹たる気分にもなりました。実は、今回の表紙の写真もその中の一つでして、視察・研修で訪れた徳山で早起きして撮ったものです。

 結果的に、アイフォンのバックアップ機能によって救われました。もう少し言えば、我が家のWiFi環境にも感謝しています。改めて、データのバックアップや管理の大切さを痛感しました。そもそも、電話などというものは突然に鳴るもので、出る出ないは受けての側の都合であり、必要があればどのようにしても連絡は付く筈と嘯いていた私ですが、機能しない携帯端末を前に、口ほどにも無い体たらくでした。

 全く、人生は何が起こるか解りません。本当に、一寸先は闇です。不条理という言葉では済まされないような、理不尽な場面に遭遇することもあります。まことに、正義とは何か、或いは「筋を通す」とはどういうことなのだろうと、首を傾げたくなる時もあります。また、不条理といえば人の寿命に約束や保証はなく、市民の為に貢献する志を持ちながら、志半ばでこの世を去って逝かれる人も見かけます。

 あらためて、「天道は是か非か」という司馬遷の言葉が思い出されます。だからこそ、そのような人達の志に寄り添う気持ちが湧いてきます。その為にも、筋を通す生き方を貫いていこうと考えています。

2018  8月  6日     ひたすらやらずして…



 
 8月です。既に、酷暑の中を過ごしてきましたが、暑さはまだま続くのでしょう。今日は、73年前に広島に原爆が投下された日でもあります。暑さの中、静かに平和のことを考える日にしたいと思います。

 この度の豪雨災害を受け、各地で様々なイベントが中止されています。夫々に事情があるのだと思いますが、自粛の名のもとに何でも取りやめれば良いという考え方には頷けない気もします。また、「命に係わる暑さ」を根拠として、部活や学校行事に関しても自粛や取りやめる動きが見られます。これも、主催者や指導者の難しい判断の結果だと思いますが、どこか割り切れない気持ちが残ります。

 そんな中、逆向き台風が来る前の日、同級生の会(ゴルフ)に参加しました。年に数度、お互いを労りあいながらやっています。一方、本市の夏祭りの華である花火大会が予定通り開催され、私も絶好の場所から、素晴らしい仲間や素敵な人達と一緒に眺めてきました。鼻腔に、ほのかに硝煙の匂いが残こります。改めて、昨夜の花火の煌めきが、災害復旧の力付けになることを願わずにはいられません。

 いつもながら、人の繋がりの不思議さや有り難さをしみじみと感じています。また、それら一つ一つの出来事は、私のこれまでの人生の中で色々な方々からご縁を戴き、それによる人の絆が基となり実現していることだと思います。まことに、有難いことだと思っています。とはいえ、そのような有難いご縁を戴いている私の人間関係ですが、特別に何かを意識・意図して出来上がったものではありません。

 いわば、物心ついてからこれまで、感性や感覚が合うような人達と触れ合い関わりながら生きて来たなかで、少しずつ形作られてきたものだと思います。実際、この様な人間関係を作ろう~という風に考えて、人間関係が構築される(できる)ものではありません。言い換えれば、何もわからず(意識せず)一生懸命に生きて来た中で、その結果として育まれてきたものだといえるでしょう。

 本当に、予断を持たず何かをやってみるということは、大切なことなんだなぁと思います。本来、大方の物事は、実際にやってみなければわからないのが基本です。一方で、全てのことを実体験することは不可能です。その為に、本や情報というものがあるといえるでしょう。しかし、今日のように余りにも情報が溢れ、それが簡単に手に入る世の中では、そのことによる大きな弊害が生まれてしまいます。

 それは、私が常日頃述べている人間力の低下です。その大きな要因として、情報を精査することの難しさがあります。本来情報というものは、ある程度の知識を備え、多様な角度から吟味すべきものです。ところが、若い人の様子を見ていて深刻な問題だと思うことは、あまりにもネットなどの情報を簡単に受け入れすぎることです。結果的に、努力せずして物事の概要が判ってしまうことになります。

 例えば、仕事に関してもネット等からの情報で直ぐ概要が掴め、そのことを頑張り続けて得られる成果(報酬)はこれ位で、社会的な地位がこれ位で~となってしまいます。実際には、必ずしもそうなる訳ではないのですが、「努力してもこんなことか~」となってしまいます。それが、物事が簡単に解りすぎるという問題です。本来、人生はそれほど単純ではなく、物事もやってみなければ解らないことばかりです。

 一例として、建設現場のことを挙げてみます。現場での作業等は、ただひたすらやってみなければ上手にならないし、上手にならなければ解らないこと(力の入れどころや、その仕事の意義等)があります。また、多くの職種が存在する建設現場では、夫々の職種において習熟した熟練者になるまでに長い年月が必要です。それは、シミュレーションやVRなどという仮想空間の中では熟達しないものです。

 具体的な感覚でいえば、自転車に乗るとか逆上がりができるようになるような感覚だと思います。それらは、人間が自身の中の感覚として確立しなければ使えないものです。一方で、一旦身に着けると長いブランクがあっても必要な場面で適応できる質のものです。実は、人間はそのようにしか熟達できないのではないでしょうか。頭で考えて表面を理解しただけでは、解ったとはいえないのだと思います。

 実際、本を読んで映像が浮かんでくるような感覚は、幼少期から相当量の読書量をこなしてこそ初めて身に着くものです。一方で、記憶力や解析能力には個人差がありますから、学業の成績などには個人が費やした時間は比例しないものだと思いますが、ある程度の継続した努力は不可欠だと思います。さらにいえば、どんな天才でも、一度も見たことがないものを語ることはできないで筈です。

 今、私を支え形作っている多くの要素は、結果や成果を考えずひたすら身体で覚えたものばかりだと思います。あらためて、何かをひたすらやることの大切さを感じています。

2018  7月  23日     忙中感動あり



 西日本豪雨という名前さえつきました。先日の大雨による被害は、広島・岡山などを中心に西日本の各地において甚大な被害をもたらしました。改めて、犠牲者の皆様のご冥福を祈り、被害に会われた方々にお見舞いを申し上げます。一日も早い復興を期待したいと思います。

 本当に、もの凄い雨でした。日を追う毎に、被災状況が深刻であることがわかって行く中で、容赦のない酷暑の日々が続いています。豪雨の時もそうでしたが、「これまでに経験したことの無い」雨の降り方とか「命の危機に関わる」暑さなどと、これまでの気象に関する表現とは違う過激な言葉がつかわれています。しかし、この厳しい暑さも何年か後には、通常のことになってしまうのかもしれません。

 とはいえ、タイトなスケジュールに容赦はなく、やらなければならないことをやり、会うべき人に会い、飲むべき酒を飲んで日々を送っています。まず、豪雨の爪痕が残る国道を走り県境を越えて、依頼を受けていた二日間の講演に赴いてきました。本当に、通行止がようやく解除されてやっと片側交互通行になった箇所などもあり、心配しましたが事なきを得ました。責任を果たせて、胸をなでおろしています。

 その後、仲間や同級生達との暑気払いの宴を幾つかこなし、今年度津山市職員として技術士試験に合格された方々との細やかな宴(食事会)を催しました。夫々の苦労話や、技術士になったからこそ解ること(合格の為に越えた壁の高さのような感覚)などについて楽しく語り合いました。これからは、名刺に技術士の三文字が入ることの意味と、責任をしっかり感じていきたいという決意も聴きました。

 いずれも、わが母校の後輩や関係者(先生のご子息等)といえるメンバーです。基本的に、エンジニアとしての四方山話に花を咲かせ、あっという間に時間が過ぎたという感じでした。楽しさと、頼もしさを感じられた一夜でした。それから、地域や組織的なことに関する、こなさなければならない課題を幾つかこなし、この土曜日には本市のスポーツ賞表彰式に参加させていただきました。

 特に今年は、私も所属していたソフトテニスクラブのお世話をされている先輩が、スポーツ功労者として表彰を受けられました。残念ながら、所用で代理の人による表彰式への参加でしたが、この代理人も私の後輩にあたる男ですし、出席されている先輩方も日頃からお世話になっている方々でした。余談ですが、記念写真にも入らせて頂きました。本当に、有難いことです。

 長年、夫々の場所で後進の指導にあたっておられる皆様に、改めて敬意を表したいと思います。頭が、下がる思いです。そして、曲がりなりにも高校生の部活を辞めずに過ごしたことの幸運を噛みしめています。そのことが、今の私の生き方を支えてくれているのだとも思います。思い出せば、恥ずかしいことばかりの未熟な私を、寛容に受け入れてくれた場所があったことに感謝せずにはいられません。

 一方で、小欄に関して先輩や後輩達から「いつも、楽しみにしている」或いは「意義深く読んでいる」などと声をかけていただく場面もありました。面映ゆいながらも、嬉しい気持ちになりました。他方、「読めない漢字がある~」などという言葉を聴くこともありました。そのような時、改めて反省することになります。独りよがりに、キーボードを叩いていることがあるのかもしれません。

 そもそも、技術士論文とは、難しい技術や研究成果について、素人にも解るように説明するためのものです。本来、私はそのような視座に立ち、日本人の精神性や技術者として持つべき志、或いは、それらに立脚した自らの思いを吐露するために小欄を書き続けている筈なのです 簡単なことを難しく表現しているようでは、本末転倒になってしまいます。改めて、自らを戒めていきたいと考えています。

 誌面が少なくなりましたが、そのようなタイトなスケジュールの合間にもボクシングではパッキャオ対ルーカス・マティセの試合を見ました。また将棋では、先週・今週のNHK杯で新人のスーパースター藤井聡太七段が破れる波乱と、光速流谷川九段が細い攻めを繋いで、かつて藤井七段に勝った佐々木勇気六段を破った二局を見ることができました。また、BSで松井秀樹氏の100年インタビューも見ました。

 まことに、テレビっ子の面目躍如ということかもしれませんが、何となく、虫が知らせる(天啓の)ようにそのような機会を得られることに多少自負を覚えたりします。これも、調子に乗りやす性格の現れといえるでしょう。戒めなければと思います。他方、もう一方の私の「お便り」である議会報告を、心待ちにして下さっている人生の師にも最近会えました。また、近いところでの有難い会見の場も頂きました。

 本当に、多忙に過ごしています。そして、厳しい場面に遭遇することもあり、目標を失いそうになることもあります。それでも、見ている人は見ていてくれる、或いは、わかる人にはわかるのだと、信じて筋を通して行こうと考えています。


2018  7月  9日     人の力の限界と意義




 新暦ですが、七夕が過ぎました。一年に一度の逢瀬を忍び待つような純情をなくして、どれだけの時を生きて来たのかと思います。一方で、歳を得た分精神は悟りへと近づいても良い筈なのですが…

 さて、この度の大雨に際して、色々とお見舞いや問い合わせなどを頂きました。ご心配をいただきました皆様方にお礼を申し上げ、私とその廻りの無事をご報告したいと思います。まことに、ありがとうございました。岡山県全域に大雨特別警報が発表され、これまでに例を見ないような災害の危機が叫ばれる中、私も地元地域を中心に住民の安全確保のために奔走しました。

 実は、翌日の外せない会議もあり、6日は岡山泊の予定でした。久々に、恩師を迎え技術士仲間との小宴を催す計画をしておりました。しかしながら、寄せられる情報は刻々と切羽詰った内容となって行きました。地元公民館にも、避難所が開設される状況でした。そのため、会場で恩師をはじめとする仲間達と一通りの挨拶を済ませると、直ぐに地元へ向けて引き返すことになりました。

 生憎、岡山も強い雨でタクシーも長い行列でした。当然ながら、少なからず渋滞もしておりました。18:00過ぎに、足の悪い恩師の為に用意したイオンモールの中の会場を後にしたのですが、津山の地元避難所に着いたのは20:30になっておりました。そこから、氾濫寸前の吉井川の状況を確認し、警備にあたる消防団員達とともに地域住民の避難誘導などの活動にあたりました。

 私の町内には、吉井川に流れ込む支流があります。ピーク時には、この川の水が本川に抜けず逆流するような状況で、床下から一部床上となる浸水被害を受ける家屋もありました。それでも、人的な被害はなく、損壊家屋や土砂崩壊など、目立った被災もありませんでした。本当に、有難いことだと思っています。長丁場となった避難所対応の任に就いた職員を始め、関係者にお礼を言いたいと思います。

 本当に、暗闇の中で見た、増水し直ぐ足元まで押し寄せる吉井川の濁流の状況を思うと、身の回りに大きな被害が出なかったことが信じられないような気もします。それでも、類を見ないほどの広い地域に前例のない大雨が降った災害により、西日本を中心に多くの犠牲者がでています。自分の周りだけを見て、胸をなでおろしている場合ではありません。本市の各地でも、被害情報は寄せられています。

 一方で、岡山と津山を結ぶ国道53号は私がとんぼ返りで通過した直後、弓削~御津間で通行止めとなってしまいました。後から聴いた行政担当者の話によれば、日赤による岡山からの物資の運搬も、このことにより多くの時間を要したそうです。あらためて、交通インフラの重要性と、わがまちが置かれている状況を痛感しました。まことに、脆弱極まりない県北の要衝の現状です。

 結果的に、「翌日の、外すことのできない会議」はそのような私の状況をご配慮いただき、次の機会に延ばしていただくことで事なきを得ましたが、申し訳ない気持ちは残ります。一方、杯を合わせることができなかった仲間達とは、機会を改めて美味い酒を飲みたいと考えています。他方、同様に地域イベントや会合など、この度の大雨により取りやめになった行事が少なからずあります。

 今後の体制も含め、地域やまちづくりのあり方を考えるきっかけにもなりました。次に、活かして行きたいと思います。いずれにしても、ものごとは携わる人の資質が成否の鍵を握ります。いつもながら、地域の状況をしっかりと把握し、適切で温かい対応をしていただける公民館長を始め、多くの地元関係者の適応力に感謝したいと思います。今後も、皆で手を携え、地域の安全確保に勉めたいと思います。

 また私は、最近では常套句のように多忙を口にしています。尤も、自ら好んでそのような環境に身を置いている訳ですから、あまり忙しさをぼやくようなことはしたくないのですが、自らに甘い習性は中々直らないようです。とはいえ、そのような日々に追われる私にとって、改めて有難い仲間そして友人・知己に恵まれているんだなぁ、と、実感する機会にもなりました。本当に、有難いことだと思っています。

 実は、ここ数週間の間には、筋を通して行こうとする私の生き方について、励まし応援してくれている方々から、様々な元気づけられる機会を何度かいただきました。一つ一つの説明はしませんが、友人・知己・先輩・支援者・・・いただいた一つ一つの言葉、そして直接的な言葉には表されない暖かい思いなどに、大いに励まされ勇気づけられ、有難い時間を過ごすことができたと思っています。

 改めて、人の繋がりを大切にしながら、筋を通す生き方を貫いていこうという思いが、強く湧き上がっているところです。

2018  6月  25日     三つ子の魂



  夏至が過ぎました。既に、一年は後半です。小学生の頃、夏休みにはしゃぐ友達を尻目に、太陽が少なくなっていく寂しさを感じていたことを思いだします。やはり、何処か変わった子どもだったのでしょう。

 そうでしょうね。ぼうっとしていることが許されないというか、ささくれた目先の勝ち負けや子どもらしくない駆け引きが必要な日常に、私は、どうしても馴染めないところがありました。どこかで、空想の世界に逃避でもしなければ、生きていかれなかったような気がします。そのよりどころとして、小学校の図書室があったのだと思います。本と床の匂いが、古い木造校舎の平面図の中に甦ります。

 夏至という言葉を知った年齢は覚えていませんが、夏休みになると既に日が短くなっていることを実感したのは、4年生の頃だったと思います。このまちの、そして私達子供には一大イベントであった少年ソフトボール大会が終わると送り届けて貰い、約一ヶ月間滞在した母の実家の思い出です。夕暮れ一杯遊んだ日々が、一日毎に短くなっていくのを実感し、切ない気持ちになったことを思いだします。

 中学生になった夏は、既にそのハイジが住む様な山の里から、跡取りである叔父一家が県南に出てしまったので、そんな素敵な夏休みを過ごすことはなくなりました。それでも、もし私に人並みの心や感性が備わっているとするなら、悪い人など一人もいないような、そんなあのお山(我が家では、そう呼んでいました)で過ごした幼少期の生活にその根っこがあるように思います。

 一方で、三つ子の魂百までという言葉もあります。日常の暮らしの中においても、そのような環境で育った母から植え付けられた価値観や倫理観が、私の人間性の根幹をなしていることに間違いはありません。それは特別なものではなく、ありふれたものです。例えば、誰も見ていないと思ってもお天道様はみているというような、古典的で普遍的な日本人の価値観だと思います。

 吉田拓郎にフキの唄というのがあります。その中に「ぼくが子どもだったころ 日本は貧しくひ弱でお金もなく片寄せあって生きていた。ものが足りないのは皆一緒だし普通だし、何よりも平和が大切でありました~」という歌詞がありますが、私の子ども時代も概ねそのような感じでした。母は、継ぎ当てのしてあるモンペ姿で内職のミシンを踏みながら、小学校から帰る私を優しく迎えてくれたものでした。

 お天道様は見ているとか、胸に手を当てて考え恥ずかしいことはするなというような価値規範は言葉として聴くだけではなく、両親の背中を見ながら私の中に刻みこまれたものだと思います。けっして、自分の親をを美化してこのようなことを述べている訳ではありませんし、高邁で高潔な両親であったとも思いませんが、今の私が自分自身をごまかせない基準の礎は、両親から授けられ育まれたものです。

 だから私は、時に頑固だといわれても、また不器用だと笑われても、筋を外す生き方ができないのだと思っています。また、「後ろめたいものが無ければ、この世に恐ろしいものは無い」という父の言葉が鑑のように、信念を貫こうとする時の私の気持ちを支えてもいます。それは、現在のような公の人間として判断を下す機会が増えれば増えるほど、大切な規範であり拠り所であるとも思っています。

 もちろん、私にも情緒的な部分があります。熱い血の通った人間であるとも思っています。むしろ、感性や情緒感は鋭敏な方だと思います。しかし、そのことと社会正義を念頭に置いた公の判断とは相容れない場面が多々あります。たとえ、濃い人間関係や利害関係にあっても、或いは縁戚関係にあっても「だめなものはだめ」といわざるを得ませんし、私は、この十数年間そのように生きて来ました。

 当然ながら、そのことにより目論見が外れる人や利益を得そこなう人が現れることになります。とはいえ、そのような目論見は良識ある社会通念を基準としてみれば、本当に邪(よこしま)な考え方だと思いますが、強かで狡猾な人達により時として顕在化します。本来、私の人間観は性善説ですが、そのようなことに遭遇する度に考えが揺らぎ虚しくなります。それでも、変えられないのが生き方でもあります。

 人間は、生まれる場所も時も選ぶことはできません。前回述べた周五郎の「長い坂」にも、そのような表現が出てきます。夫々に、与えられた場所で生きていかなければなりません。「置かれた場所で咲きなさい」は、ノートルダム清心女子大学の学長を長く務められた渡辺和子さんの言葉ですが、そのような境地に至る道には言葉に表せない苦難があったはずです。一つのことを貫くことは大変なことです。

 それは、小さなころから培われた価値規範とそれに基づく強い意志があってこそ、成し遂げられることなのだと思います。どんな時も、自分と仲間を信じて筋を通す生き方を貫いて行こうと思っています。

2018  6月  11日     長い坂



 中国地方も「梅雨入りしたとみられる」そうです。気象庁のお達しですが、既に5月の下旬には蒸し暑く梅雨のような日が続きました。まことに、我々は上から決められることに慣れた民族だなぁと思います。

 いよいよ6月議会が始まり、本日から一般質問です。私は、議長室の「調整と」いうことで明日12日(火)の最後となりました。今回は、新市長の施政方針と、観光及び公共交通に関する質問をする予定です。前代に作成された総合計画に掲げられた「いろどり溢れる花咲き誇る」というような訳の分からない基本理念でなく、明確なトップリーダーとしての方向性の示唆を求めたいと思っています。

 まったく、地方自治体における首長の権限は大きなものがあります。そして、どうしてもその人の資質や人間性が大きく投影されてしまいます。さらには、よくも悪しくも、そのまちの現在と将来を握ることになります。新市長には、本当に期待したいと考えています。私も、二元代表制における議会が与えられた権能をしっかりと果たすべく、さらに身を引き締めていきたいと思います。

 そのような状況下、一般質問に向けた担当部局との答弁協議はまだ継続中です。他方、建設部門の技術士として講演も依頼されておりまして、若手技術者の為の施工計画を中心としたお話をする予定です。これに関する、資料作りにも追われています。また、いわずもがなですが地域行事や自らが関わっている組織に纏わる行事も目白押しでして、多忙な日々に変わりはありません。

 ところが、私の天啓(いつも述べている、手前勝手な天からの啓示ですが)はいつも突然に訪れてまいります。実は、先日買い求めて本棚においてあった本が、どうしても読みたくなってしまいました。山本周五郎の「長い坂」という本ですが、文庫本にして上・下併せて1100ページあります。ここで、小説が長編なのは問題ありません。問題なのは、読み始めると一気に読みたがる私の習性です。

 概ね、私の読む速さは時速50ページ位(文庫本を普通に読むと)なので、単純に考えても20時間以上の時間を捻り出す必要があります。そのことで、多いに逡巡することになった訳ですが、如何とも読みたいという衝動は抑えがたく、半ば強引に読み始めてしまいました。とはいえ、さすがに晩年の周五郎が、自らの人生を投影して書いたといわれる力作だけのことはありました。

 舞台は江戸時代終盤で、七万八千石という小藩の内政に関する争いや仕置きを通して、主人公が貫こうとする武士として(或いは人として)の生き方を辿る物語です。派手な事件が頻発するお話ではありません。しかしながら、いつの間にか読者を主人公の気持ちに感情移入させてしまう筆致と、随所にちりばめられた人の生き方を問いかけるメッセージによって、一気に物語の中に引きこまれてしまいました。

 例えば、「世の中にはどんなに賢くても学問があっても解らないことが山ほどある」とか、「人間のすることに無駄なことは一つもない」、「目に見えることだけを見ると徒労に思えても、繰り返し積み重ねて行くことで値打ちのある仕事がつくられる」、「大切なのは、本気で何かをしようとしたかしなかったかだ」……フレーズだけ抜き出すとありふれた言葉ですが、これらの言葉が胸を打つように響いてきます。

 まさに、幾人かの掛け替えのない理解者と恩師は得ましたが、決して恵まれたとはいえない厳しい環境下で苦学と努力を重ねた結果、念願の小説家として世に認められた山本周五郎自身の思いが、強く込められた作品だと思います。一方で私は、読書にはタイミングがあると考えています。そのことを指して、良く「天啓」などと嘯いている訳ですが、本当に時機というものがあり大切なものだと思っています。

 私にとって、長い坂という作品はここまで人生を重ねて来た今、まさに読む時機であったんだなぁと考えています。もちろんその背景には、現在の私の価値観や情緒感が大きく影響していることはいうまでもありません。しかしながら、そこの部分については詳細に語ることは難しいことですし、言葉や文字で伝えきれない部分でもあります。ただ、結果的に得られた読後感には大変満足しています。

 物語の最後に、主人公がこれから取り組まなければならない仕事や、自らの生き様に思いを馳せながら登城する場面があります。彼は、これまで幾度も通ったここが坂であったのだなぁと気付き、これからも気付かないことや見落とすものがあるのだろうと考えます。そして、これからも死ぬまで自分の坂を登って行く覚悟と決意を固めます。それまでの、苦難に満ちた戦いの果てに至る境地です。

 どこか、「人の一生は重荷を負て遠き道をゆくが如し」という家康の言葉にも通ずる気もします。しかし、今の私には長い坂という一冊の本から受けたメッセージの方が、より直接的に心に響く気がします。これからも、自分の坂を懸命に登って行こうと思います。


2018  5月  28日   滑稽ではすまない




 今年は、いつもの年よりも早く田植えを済ませました。後は、十分な日照と程良い降雨を期待するばかりです。温暖化など環境負荷の責任も省みず、都合の良いことだけを祈るのが人間でもあります。

 人が何かを語る時、それを語る表情やしぐさなど言葉以外のものから、多くの事柄が伝わってくるように思います。例えば、今話題の悪質タックル問題に関する、一連の記者会見などを見て思うことがあります。実際に、その行為を行った大学生の言葉と、それを指示したとされるコーチや監督の弁明を比較する時、明かに前者の方が信用できるし納得できる内容だと感じました。

 そのことは、それを見た多くの人々が感じたことだと思います。もちろん、ノンバーバルコミュニュケーションという言葉があるように、見た目や喋る声などから受ける印象に頼りすぎた判断は慎まなければなりませんが、明かに透けて見えることもあります。絶対的な存在である監督を庇うためか、緊張に固まったコーチが見せるしぐさや語る様子からは、起きた事象に真摯に向き合う姿勢は見えませんでした。

 また、「私は指示していない」と言い訳する当の監督の語気は弱く、別の場面で見せた高圧的で自信に溢れた印象とは大きく異なるものでした。本当に指示していないなら、もっと強気に否定されるような人物である筈です。そして、文春デジタルに見られるような「良くやったが、まだまだいじめるよ」というような当該選手に対する発言は、巨大な有名大学の運動部を統括するものとして品格を疑うものでした。

 さらには、対戦相手であった関学アメフト部や被害選手に対する稚拙で誠意が感じられない対応を見ても、世の常識からかけ離れてしまった組織の内容が垣間見えてしまいます。選手への指示と理解が乖離していたと大学側は弁明していましたが、乖離しているのは日大アメフト部の体質と一般世間の常識といわざるを得ないと思います。司会者の対応と併せ、滑稽で笑止千万な会見であったと思います。

 そのうえで、考えなければならないことがあると思います。本来は、多くの日大の学生部員がアメフトを愛し、真剣に練習に取り組んでいたのではないかということです。残念なのは、大人である筈の指導する立場にある人達の怠慢と、意識の低さということになるのではないでしょうか。一方で、そのようなアメフト部の持つ空気が、どのように育まれたのかについても検証する必要があるでしょう。

 私も、運動部の経験がありますが、体育会系の部活における縦の関係は絶対的なものがあります。それでも、そこで人生の不条理や人と人の関わり方を学ぶことは大切です。むしろ、私は意義があるものだと考えてもいます。しかしながら、そのような絶対的な力関係があるからこそ、上に立つ者の資質がその組織の有り様に大きく影響することになります。

 良い指導者や、リーダーに恵まれない組織は本当に不幸です。言い換えれば、指導者やリーダーはその組織の生殺与奪を握っている存在なのです。当然ですが、上に立つ者にはそれなりの資質が求められることになります。私は、その資質の中で最も大切なものは人間性(人柄)というものだと考えています。何といっても、自らよりも皆(公)のことを考えられる人でなければなりません。

 逆にいえば、それさえあれば何かことが起きた時にも、適正な判断ができるのだと思います。そのことは、責任ある立場で公のお金を決済する立場にある人間にとっては、特に重要な資質だと思います。そのような資質を備えたうえで、組織の長として全体のことを考えられる人であれば、公益の確保という視座にも立てるはずです。しかし、残念ながらそうでない人に遭遇する機会は多いものです。

 大きなところでいえば、あの人が「私や妻が関係していれば議員も総理も辞める」と断言しさえしなければ、今日のような混乱は起こらなかったと思いますし、多額の血税を無駄にすることも無かったのではないでしょうか。また、身近なところでは以前の首長や自治会関係者、地域的組織の長など、残念な人物をたくさん見て来ました。現在も、問題を抱えている組織があります。

 そのような場所では、概ね不遜で夜郎自大な考えの人が、厚顔無恥にその地位を得るために執念を燃やします。基本的に利害が関係なければ、それは滑稽で笑止千万なことかもしれません。しかし、そんな人が公のお金などに関する権利を掌握していれば、それは滑稽とか笑止という言葉では済まされません。大変、憂うべくことです。多くの人に考えて欲しいのは、そこのところなのです。

 面倒くさいとか誰がやっても同じなどと考えず、きちんと目を向けて行かなければならないことがあります。そうしなければ、大なり小なりそのつけは、我々のところに返ってくることになるからです。


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