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※これまでのコラムが納めてあります。
できれば、通してお読みください。(根底に流れるものを、くみ取っていただけると思います)

                     

                    宗谷岬              徳守神社と神輿          政岡あきひろ市政報告会      

NO.39     

2019  4月  8日   新たな時代も研鑽を

 


 新たな、元号「令和」が発表されました。その出典は、万葉集にあるということです。なにはともあれ、人々が心を寄せ合いながら文化が育まれ、安定した安らかな世になるように願うばかりです。

 さて、私の住んでいるところでも桜が咲きました。今、まさに満開を迎えているところです。桜の名所百選にも数えられる津山城跡には、多くの花見客が訪れています。私は、いつも述べていますが、ここの桜は夜桜が一番だと思っています。重厚に設えられた石垣の階層にそって、満開の桜が咲き誇る情景は本当に幻想的です。さながら、夜の闇に桜の花の海が拡がるような印象です。

 最上段にある本丸跡に立ち、暗闇の中にライトアップされ幽玄に拡がる桜の海を見下ろすとき、誰もが、桜の花が持つ妖艶な魅力に引きこまれてしまうのではないでしょうか。私は、そのような思いを心に抱きながら、もう何十年もその情景を心に刻んできました。それにも関わらず、そのように熟知しているはずの景色を眺めるために、毎年同じ場所に足を運んでもいます。

 そして、時には友人知己に声をかけ仲間を集め、この桜を宴のネタにして酒を酌み交わす席を設けることに力を注いだりもします。まさに城山の桜は、このまちの大切な財産だと思っています。とはいいながら、本年は4年に一度の選挙がある年ですから、そのような情緒に浸ってばかりもいられません。鶴山の、桜の花の様子を気にしながら、忙しく日々の活動を続けています。

 一方で、市議会議員選挙の2週間前に行われる県会議員選挙が定数4に対して7人が立候補する激戦であったこともあり、市議選のほうが今一つ盛り上がらない状況は否めません。また、誰がやっても同じというような政治への無関心や政治離れの風潮も相変わらず根強いものがあります。さらには、そのような風潮を背景に、候補者を選ぶ動機もコネや人間関係に依ることになりがちです。

 件の県議選においては、激戦といわれながらも投票率は前回を下回りました。そのような中、やはり現職の強みが発揮される結果と、反面、組織表がある筈の現職が落選するという厳しい結果も見られました。また一方で、保守系の新人候補が乱立する状況下、やはり自民党の公認(推薦)を得た人が有利になるのかなぁ、と、改めて実感させられた部分もあります。

 実情を知っている側から見ると、いずれもが自民党の公認(推薦)候補となってもおかしくないように思いましたが、公認候補として認められたのは現職1名と新人1名でありました。この新人1名は、引退された方から後継として使命を受けた人なので、いわば順当な判断ということになるのだと思いますが、いきさつなどを見ておりますと公認候補となることも、中々容易ではないようです。

 他方、先程も述べましたが、中々盛り上がらない市議会議員選挙の状況から考えると、政治への無関心は進行し続けているといわざるを得ないのだと思います。私は常日頃、選挙で投票するということは「誰に財布を預ける」のかを託す行為であると訴え続けています。そのことは、国政から地方議会まで税金を原資として予算が執行されるわけですから、間違いないことだと思います。

 しかしながら、現実的には縁戚関係にあるからとか、親しいからとか、誰々に頼まれたからとか、何回挨拶に来たから~など本人の資質や素養に関係ない部分で判断され、そのことが投票行動に結びつくことが極めて多いのが実情です。そのような背景の一因として、市民に対する議会や議員における活動内容の説明不足があり、政治不信や無関心を助長しているといえるでしょう。

 一方で、私は任期中の全ての議会において議会報告を作成し市民の皆様にお伝えしてきました。それは、まさに新聞などのマスコミ報道では伝えられない議会における生の情報でもありました。したがって、多くの皆様から関心を示していただいております。また、私の活動に対してもご理解をいただいていると感じています。しかしながら、そのことが広く浸透していくにはまだまだ時間が必要だと思います。

 そこでいいたいことは、議会や行政における市民への説明責任は極めて重要です。また、議員一人ひとりにおいてはさらなる資質向上のための取り組みが必要だと思います。私自身、このまちの将来に資するべく、市民の声を形にするため研鑽を重ねていきたいと考えています。そのうえで、あえていえば、行政や議会にきちんと仕事をさせる為のチェックを具現化する行為が選挙なのだと思います。

 昨年でしたか、この選挙戦を念頭に置き地元紙に「地縁血縁などのしがらみで選挙をしておいて、議員が仕事をしないとこぼすのは愚の骨頂だ」という記事が載りました。その通りだと思います。また、そのことを念頭に置いた市民からの付託に応えられるよう、努力したいと思います。


2019  3月  25日   資質向上



 
 あちらこちらから、桜の開花の声が聴かれます。このまちの桜も、開花が待たれるところです。しかしながら、思いの外寒い日や風雨が身に沁みる日もあります。花に嵐は付き物ですが…

 さて、昨日は地元の院庄公民館において、市政報告会を開催しました。月末の日曜日、そして夕刻の出掛けにくい時間帯にも拘らず、多くの市民の皆様においでいただきました。本当に、有難いことだと思っています。さらには、参加していただいた皆様が、私の市政報告やまちづくりに対する考え方などについて、真剣に耳を傾けて聴いていただいていたことに対して、改めて感謝の意を表したいと思います。

 今回も、このまちの将来の方向性やまちづくりに関する私の考え方、またそれを実践していくために必要な熱い思いなどについてしっかりと述べさせていただきました。また、そのことは今回で第16号となった「政岡あきひろ議会報告」でも市民の皆様にお知らせしているところです。この議会報告は、議会が終わる度に作成しています。したがって、この3月議会のものが第16号となります。

 思えば4年前、自身の活動や議会の様子について、市民の皆様に解りやすくお知らせするためにこの議会報告を書く決意をしました。そして、周りにもそのことを公言し今日に至っています。しかしながら、当初は任期中書き続けられるのかなぁという不安がありました。それでもやってみると、本当に新聞などのマスコミが書かないことで、市民の皆様にお知らせすべきことがたくさんあることに気付きました。

 そのことが、この議会報告を書き続けるモチベーションにもなりました。一方で、政治に対する無関心な人は増え続けているようにも思います。その背景には、誰がやっても同じ~というような諦めに近い空気が充満しているのだと思います。そのことは、日頃から市民の声を聴いていて感じることでもあります。しかしながら、そのように嘆かれる人でもゆっくり話を聴けば、色々な思いを語られるものです。

 それぞれが抱えておられる悩みや、行政が支援できる可能性について様々な意見を聴くことができるのが実情です。そのうえで、多くの皆さんが何も変わらないとか誰がやっても同じだなどという言葉を口にされます。そこで、私はいつもいうことがあります。それは、そのような諦めにもとづく政治への無関心が、「誰がやっても同じ」というようなレベルの低い行政を作り出すのではないですかということです。

 本当に、私はいつも述べています。首長や議員を選ぶことは、誰に財布を預けるのかということと同じであって、非常に大切な権利の行使である、と。特に、そのまちの生殺与奪を握るような強い権力を手にする首長を選ぶことは、市民に与えられた最も重要な権利の行使なのだと思います。そのことは、日頃から常々訴え続けていることでもあります。

 同様に、その首長が行う行政執行を検証し、必要な提言を行うために必要な二元代表制の権能を担保するために、議員の役割も重要です。そのことは、私自身がその場に身を置いてみて一層強く感じることでもあります。だからこそ、我々議員一人ひとりにおける資質向上の為の努力が大切です。日頃から市民の声に耳を傾けながら、このまちの進むべき方向性を模索する。

 そのうえで、行政執行部が示す施策について、適正なチェックと効果的な提言を行う必要があります。したがって、その責任は重く大変な仕事でもあります。誤解を恐れずに言えば、「真面目」にやれば本当に大変です。一方で、それ程真面目にやらなくても職業としての「議員」ではいられます。例えば、本会議の議場に傍聴に来ていただければ良く解りますが、居眠りや他の用事をしている人も見かけます。

 どの人も、最初は市民の為に頑張ろうという意欲に燃えて議会に乗り込んできたはずなのですが、何時の間にかそのような状態になってしまう人が多いのが実状です。もちろん、そのような状況を他山の石とせず、自分自身を戒めながら議員活動に取り組んで行きたいと考えています。また、既に15年以上の年月が経ちましたが、自治会活動に足を踏み入れた時の初心も忘れないようにしたいと思います。

 昨夜の市政報告会では、そのような思いも述べさせていただきました。本当に、そのような私の思いや考え方につい、多くの皆様が真摯に耳を傾けくれました。心から、感謝をしたいと思います。またそれは、多くの仲間に支えられての成果だと思います。改めて、周りの友人知己にお礼をいいたいと思います。これからも、そのような人達の期待を裏切らないよう努力・研鑽を重ねていきたいと思います。

 最近では、天下為公そして知行合一を座右の銘としています。残り少ない人生なのだと思いますが、だからこそ、筋を通して世の中の役に立っていきたいと考えています。

2019  3月  11日   忘れてはならないこと



 3月になり、啓蟄も過ぎました。どことなく、風の温む気配を感じます。人の世の煩わしさと関係なく、季節は廻って行きます。

 そして、あの日から丁度8年を迎えました。気が付けば、あの悲惨な大災害からそれだけの月日が流れています。まさに、「気が付けば~」という感覚でいた私自身に、恥ずかしさを覚えます。一方で、申し訳なさのようなものも感じています。それは、私が住んでいるこの場所と被災された地域との距離にも由来しているのかもしれません。また、自身への直接的な影響の少なさもあるでしょう。

 そんな自分を棚に上げていえば、まるで何事も無かったように、オリンピックの話題で盛り上がる人々(一般大衆というような意味で)と、それに迎合するマスコミに虚しさを感じます。当時、あれほど国民一丸となって復興にあたろうという機運が盛り上がっていたのに、どこに行ってしまったのでしょうか。また、未曽有の災害に直面しても暴動や搾取が起きない日本人の精神性も語られていたはずです。

 あらためて、その日本人の精神性はどうなってしまったのだろうという思いがします。とはいえ、この日が近づくと、震災の話題や福島のことが取り上げられます(大分、頻度は減りましたが)。そのような中、先日除染した土を「再利用」するという話題をテレビで見ました。私は、最初耳を疑いました。何が、再利用なのでしょうか。例えば、放射能の半減期はセシウム134で2年、137で30年(環境省資料)です。

 その他にも、ストロンチウムやプルトニウムなども放出されているはずです。それらの物質の半減期となると、途方もない時間が必要となります。そのことを踏まえると、何を持って再利用を図るなどといえるのでしょうか。そもそも私は、除染という行為自体に疑問を感じていました。人家やその周辺の表土だけを剥いで、本当に意味があるのか。また、その土(主に)を集積して仮置きなどして良いのか。

 疑問や疑念は、留まるところなく私の心の中で渦まいていました。そして、つい最近まで知らなかったその土を公共工事などに再利用するという話には、本当に驚きました。例えば、高速道路の盛り土などに使用し、上から汚染されていない土で被うということらしいですが、一旦道路として構築されてしまえば、その土を後から取り出し何処かへ処分するということにはならないと思います。

 体よく、最終処分するということではないでしょうか。そもそも、放射能に汚染された土の上にどれだけの汚染されていない土を被せれば、上を通る車や人に影響がないと言えるのでしょうか。さらには、周辺へ汚染物質が流出しない保証などできないはずです。他にも、除染土に関しては仮置き場や最終処分場の確保など、解決されていない問題を数多く抱えています。

 そのような行き詰った状況下、使えるものは再利用すれば良いのでは~というような発想が出て来たのだと思います。いかにも、頭の良い官僚が思いつきそうなことですが、そもそも危険だから除去したものがどうして公共施設などに再利用できるのでしょうか。さらには、それらの工事を行おうとしている地域は、震災の影響を受け寂れたり疲弊している地域に対して行われようとしているようです。

 何というのか、足元を見透かしたようなやり方のように見えて仕方がありません。テレビ番組で見た、対象地域で苦悩す自治会長さんの姿が身につまされました。百歩譲って、科学的には許容されるやり方とするならば、何故そのような弱っている地域から試験施工を行おうとするのでしょうか。本当に安全なら、東京オリンピックの会場や関連の施設整備に用いれば良いのだと思います。

 今さらですが、3.11は終わっていないのだと思います。また、震災の復興はどこも計画通りに進んではいないはずです。特に、福島の原発に関していえば、当初言われていた工程とは程遠い進捗状況だと思います。当時、私達日本人があれほど驚き真摯に向き合うべきだと論じられた、あの忌まわしく悲惨な原発事故を、いつの間にか私達は忘れようとしているような気がします。

 かくいう私も、その一人なのだと思います。今、改めて悔いるような気持ちと反省する気持ちに浸っています。そのうえでいえば、あの原発事故さえなかったらなぁ~と思う気持ちが拭えないのが実感です。本当に、原発に依存してきた私達全員に責任があるような気がします。あの頃、あれだけ議論された原発廃止や多様な電源確保へのシフトなどの議論もいつの間にか下火になりました。

 まことに、熱しやすく冷めやすいのが日本人の国民性なのかもしれません。それでも、洋の東西のあらゆる文化を受け入れ昇華させ、本来の日本人の寛容さと精神性が育まれてきたはずです。だからこそ、ドナルド・キーンさんのような人がこの国を愛されたのだと思います。今一度、震災のことや真の意味の復興について考えてみたいと思います。

 

2019  2月  18日   不条理と理不尽


 

 西大寺の、会陽が終わりました。他にも、春を呼ぶ行事やお祭りは、彼方此方で行われています。それでも、肌に感じる風にはまだまだ冷たさが残ります。「遠からじ」の春を待ちましょう。

 本当に、一寸先は闇という言葉の通り、世の中何が起きるか解りません。先頃報道された、池江璃花子選手の白血病に関するニュースには、本当に驚きました。同時に、不条理という言葉が頭の中を駆け巡りました。病気にかかって良い人など居ないのだと思いますが、よりにもよって何故彼女なのだろうという思いを強く感じました。恐らく、私以外にもそのように思われた人がたくさんいる筈です。

 特に、新年早々人生初の入院などを体験した身には、より強くそのような思いが実感されるところです。さらには、いつも述べている「天道は是か非か」という司馬遷の言葉が脳裏をよぎります。私は、日頃から天道とか天命などという言葉に度々言及していますが、少なからず虚しさを感じてしまいます。実際、日々の言行や社会への貢献度などには関係なく、病魔は突然襲ってきます。

 例えば、予兆も感じず意識もしていない中で突然の体調不良に見舞われるような体験は、実は誰にでも起きる可能性があるのだと思います。このことは、今回の体験を通して痛感しています。一方で、そのようなことが自身に起きるのではないかというような感覚は、多くの人が日常において備ええないものでもあります。それが、世を生きる人の感覚であることも今更ながら実感しています。

 先ほど、日々の言行や社会への貢献度などと婉曲な表現をしましたが、一般にいう良い人・悪い人に関係なくというような意味合いも含んでいます。今日、世界も日本もそして地方の地域社会においても、身勝手な自分さえ良ければ良いというような考え方や行動ばかりが目立ちます。本当に、どうすればそのようなことができるのか、と、首を傾げたくなることばかりです。

 他方、本来の日本人の精神性に基いた考え方である、悪は滅び善は残るというような勧善懲悪の構図は、もはや時代劇の中だけのような気がしてしまいます(その時代劇も、めっきりテレビでやらなくなりましたが)。憎まれっ子世に憚ると言いますが、やりたい放題やったもの勝ちのような風潮は益々顕著になっています。まことに、残念な傾向だと思います。

 残念といえば、そのような人や行動を見極めるべき人間力が低下し続けていることが、さらに残念です。大きな視座に立てば、世界的なポピュリズムへの迎合は進むばかりです。また、身近なところに視点を向けても、目先の個人的な利害関係を行動の規範とする光景を見る機会も増えるばかりです。ありふれた言葉を使えば、厚顔無恥な言動に接することは難しいことではありません。

 もちろん、根回しや裏工作に長けた狡猾な人間が、巧妙に立ち回ることは人の世の常でもあります。しかし、本来この国の人々の精神性という土壌には、そのような人や行動に対して透徹した視点で見極める力が内包されていた筈です。ところが、そのような価値規範は、近年加速度的に失われていくように感じます。そのことは、特に、自治会や地域での活動を通じて身近に感じます。

 これは以前にも述べましたが、地域は家庭の繋がりです。一つ一つの家庭がしっかりしていなければ、地域力は低下してしまいます。そのような視点から考えれば、落ち着けないという小中学校の問題(学力低下以前の問題)、もはや助け合わなければ生きていけないはずなのに、中々協働できない高齢化社会の現実などの背景が見えてきます。本当に、厳しい現実だと思います。

 それでも、その現実に対して、根気よく取り組んでいる人達もいます。そのことが、私にとって救いになっています。そのような、理不尽(不条理ではなく)な人々が闊歩する現実の中にあっても、筋を通してきちんと生きている人達もいます。そんな人達が、私の支えでもあります。そして、そのような人達のためにも、これまで培い蓄えた静かなる闘志をこれからも持ち続けたいと考えています。

 少し前、堺屋太一氏のご逝去の報に接しました。また一人、私の好きな人が鬼籍に入られました。ひとつの時代の終わりを感じています。もう少し、この国のあり方や将来の方向性について、説得力のある提言を熱い言葉で聴きたかったところです。合掌。


2019  2月  4日   口ほどでもないが…



 立春です。寒さから言えば今が一番寒いのかもしれませんが、暦の上では立春を迎えました。昨年末から、色々なことがあり更新が滞っていた小欄ですが、気持ちも新たに思うところを述べて行きたいと思います。

 まず、更新が滞っていた理由についてお話する必要があるかと思います。大きな理由は二つあり、その一つはプロバイダーの変更によるものです。拙著HPは、ヤフーの無料サービスのお世話になって続けて来たものですが、そのサービスがこの度終了となる旨の通知を受けました。もともと、見よう見まねでやってきたHPですので、正直これには戸惑いました。

 実際、一時は訳が分からない中でもがき、停滞した状態にありました。しかしながら、有難いことに私の友人知己の中には優秀なSEの人がおられるので、その方に相談しながらなんとか対応することができました。通読していただいている方におかれましては、アドレスの変更登録をお願いしたいと思います。 もう一つの理由として、私自身の健康に関する問題がありました。

 実は、年末から年始にかけて体調を崩しておりました。最初は、単なる過労かな(それで、胃の具合が良くないのか)という状況で、軽い気持ちで県北の病院に入院したのですが、予想とは違う場所に問題(イレウス⇒腸閉塞)がありました。当初入院していた病院では、緊急性は無いということでしたが、絶食・点滴⇒多少の改善⇒食事⇒嘔吐の繰り返しで、中々病状は改善しませんでした。

 これでは、埒が明かないと考え、岡山の叔父・叔母のつてを頼って倉敷中央病院に転院しました。結果的に、そのことが功を奏しまして、適切な処置をしていただき一月下旬に退院することができました。その後の経過も順調で、現在に至っている状況です。図らずも、人生初の入院を体験することとなりましたが、おかげさまで今は元気になりました。

 この間、本当に多くの方々にご心配をおかけし、様々なご支援をいただきました。この場を借りて、厚くお礼を申し上げたいと思います。また、今回のことを通して健康の有難さを痛感し、医療機関に関しても多様な視点から、選択の判断をしていかなければならないことを実感しています。さらには、「自分は大丈夫~」などという根拠のない過信を持たず、謙虚な姿勢で健康管理をしなければと自省しています。

 さて、そのようなことで思いがけずではありますが、病院のベッドに寝ておりますと、普段は考えなかったようなことを考えたりもしました。思えば、この15年間(自治会活動などに携わるようになって)「明日死んでも構わない覚悟」を持って生きて来たつもりでした。ところが、実際に臥せってみると意外に狼狽えてしまう自分がいることが解りました。

 もちろん、おぼろげであっても基本的な死生観や人生観は変わりませんが、かといって、全く動揺せずにいられるということでもないんだなぁと思いました。例えば、次から次にやらなければならないことややるべきことが浮かんできたりします。しかし、当然ですが身動きがとれない環境の中では成す術もなく、焦る気持ちが湧いてきます。一方で、そのような感情も一日の中で様々に変化していきます。

 まことに、精神の有り様などというものは一様でなく、僅かな時間の間に落ち着いたり動揺したりすることを繰り返します。実際、口ほどにも無い弱さを抱えた自分と、一方で、思っていたよりしっかりしているなぁという部分(冷静で透徹した感覚も備えている)を自分の中に感じました。これは、私に限らず多くの人に共通することだと思いますが、身の回りの環境の変化により精神状態は変わります。

 例えば、常々「明日を約束されていない身」であるとか、「天命により生きる」のだとか、処世に関して解ったようなことを述べていた自分に対して、どれ程の覚悟を持って述べていたのだろうと、考えたりもしました。他方、高度な医療施設において様々な検査を受けながら、診断が確定していく過程で精神状態が変化することもあります。病状を想定し、あれこれ悩むのが人の常だと思います。

 そのような中で、病状の深刻さが想定を下回ると、また、欲や煩悩が湧いてきたりします。ことほど左様に、変化する状況によって、一喜一憂してしまうのが人間です。まったく、現金なものだと思いました。他方、本来そのようなことは十分に承知しているはずの自分自身がそのようになってしまうということも、人生初の入院体験を通して実感したことであります。

 かつて、渡辺淳一の著書の中で、移植医療にしろ余命治療にしろ、健康な人だけの議論では真の解決に至らない~というような言葉を見かけました。今、そのことをしみじみと噛みしめています。

2018  12月  10日   怖いもの


 大雪を過ぎました。その言葉通り、岡山県北にも雪がちらつきました。暖冬になれた体にはこたえますが、本来の寒さを思えばそれ程でもありません。今年もあと少し、気を引き締めていきましょう。
 
 とはいえ、一年の疲れが出てくるのもこの頃です。特に今年は、夏場にかけて風水害による被害があちこちで発生しました。まだまだ、その痛手から立ち直っていない、と、いう人も多いのではないでしょうか。改めて、こころからお見舞いを申し上げたいと思います。翻って自身を見ても、若い頃に比べると疲れが抜けにくくなっているなぁと感じるようになりました。

 それはそれで、あたりまえのことだと思いますし自身でも良く解っていることなのですが、頭で考えていることと体の反応が一致しないような事象が起こるようになった部分も感じています。何というのか、頭の中では理解し整理できていることが、心の負荷となって体に負担を与えているような感じでしょうか。もちろん、これが~というような何か特定の原因に由来するものではありません。

 これは、時々私が呟くことですが、様々な出来事や事象による負荷(ストレス)が澱のように溜まっているのかもしれません。上手く言えませんが、かつて吉田拓郎が言った「絶好調の日がなくなっていく」感覚が良く判るような気がします。そのことをして、年齢を重ねていくというのかもしれませんが、与えられた時間を精一杯効果的に使わせて貰うしか、他に方法がないのも事実だと思います。

 一方で、些細な事象に感動できるような感覚は、益々研ぎ澄まされていくようにも思います。さらには、一瞬のような出会いに意味合いを見出したいとか、そのことを大切にしたいというような感覚も同様です。歳を取れば、続かない集中力、頑張りが聞かない体力・持久力、衰える記憶力…を嘆くことが多いですが、一方で齢を重ねて来たからこそ解ること、できるようになったこともあります。

 また、お互いにそのような人としての変化(成長というべきか)をしてきたからこそ、さらに心を通わせあえる友人・知己が与えられているのだと思います。このことこそ、天に感謝すべきであると考えています。これも、私が時々述べていることです。私は、宗教的には無神論者に近いと思いますが、「天」という概念は持っています。簡単には説明できませんが、司馬遼太郎の語る天に近い概念だと思います。

 不思議なことに、そのような概念は私がお世話になっている先達や師と仰ぐ人が共通して唱えられている概念でもあります。。例えば、胸に手を当てて考えてみろ~という言葉の背景にあるものではないでしょうか。何時でも、法は許しても天は許さんぞ~と叱られるような気がします。幼少の頃、父が寝物語にしてくれた怖い話(怪談のような)のことを思い出します。

 話し上手な父の物語に怯えている私に、父は「恐いか」と尋ね、「恐い」と答えた私に「この世では、後ろめたいことがなければ恐いものなどは無い」と、優しく諭してくれました。もちろん、幼少期の私にその言葉の意味が真から解る筈などありません。何となく、胸の中で呟く程度の記憶でした。ところが、大人になって行くほど、この言葉が腑に落ちるようになって行きました。

 特に、自治会活動などに携わり公の判断をする機会が増えてからは、その感覚は強くなりました。そして、この頃では核心として私の心を占めているように思います。人の心は、だんだんシンプルになって行く部分もあるのだと思います。ところで、怖いといえば秋田のなまはげなどの来訪神神事が、ユネスコの無形文化財遺産登録が決まりました。なまはげを含め、8県10伝統行事の登録だということです。

 まことにおめでたい話だと思いますが、それらの伝統行事でさえ、保存・継承していく道筋が明るいとはいえないのが現状だという話も耳にします。本当に、驚くほどのスピードでこの国の人の持つ豊かな感性や高い精神性が、失われていっているように思うのは私だけではないはずです。それは、神社の祭礼などばかりでなく、地域住民の相互扶助で培われてきた行事すべてに思うことです。

 一方で、人間には「なまはげ」のように怖いものが必要なのではないでしょうか。例えば、紆余曲折を重ね、どうにかこうにか成人して大人になっ癖に、訳知り顔で権利の主張と利権の獲得に執着し奔走するのが世の常なのかもしれません。そのような人達を目にするたびに、子供の頃「悪いことしねぇか」と叱ってくれるなまはげに出会わなかったんだろうなぁ、と、考えたりします。

 一方で、そのような体験を得られたとしても、それを感じられる感性と、そのような感性を育んでくれる環境がなければならないことも良く解ります。ほんの少しでも、その為に役立ちたいと願うばかりです。

2018  11月  26日   上手くなりつづけよう



 

 いよいよ、今年もあと一月ちょっととなりました。来週からは、早、師走です。本当に、時間の過ぎる速さを強く感じるようになってきました。それだけに、疎かにしていてはいけないのだと思います。

 時が経つのが早いと感じるのは、新たな感動が少なくなるからだという説があります。それには、同感ですが、一方で、経験を重ねて来たからこそ磨かれる感覚というものもあります。この頃私は、若い頃には気付かなかったことに気付いたり、感じられなかった感覚を覚えることがあります。また、人を思いやる気持ちや優しさなどという視点からは、未熟ながらも、若い頃を恥ずかしく思える位にはなりました。

 一方で、人の人生は顔に出る~という言葉もあります。さもしい人の風体・人品には、その内なるものが投影されているという意味だと思います。こちらの方は、自らが評価を下す訳にはいきませんが、そのような風体を晒さないように、精一杯励んでいきたいと考えています。とはいえ、相変わらず多忙な日々に変わりはなく、そのことが研鑽を怠る言い訳にならないようにしなくては、と、思います。

 反面、齢を重ねて培ってきた感性に基く判断力などは、確かにいくらか自負できる部分があるような気がします。実際、人にしろものにしろ、大まかにつけた見当が外れることは、少なくなってきたように思います。具体的に言えば、他所のまちを訪れた時に、そこを歩き、そこに流れる風やまちの雰囲気を感じることにより、そのまちの人情や気質などについて、大凡の見当がけられるような感覚です。

 一例を挙げてみます。私は、どこかに行くと本屋(書店)に立ち寄る機会が多いと思います。特に、初めてのまちでは良く本屋・書店を探します。そこで、書籍の並べ方やその内容を見ると、そのまちの人の持つ嗜好や住民意識などが何となくわかるような気がします。例えば、時代小説なら池波正太郎と藤沢周平のどちらが多いか、或いは、山本周五郎はどれ位置いてあるかというような感じです。

 また、アンナカレーニナなどのロシア文学や、定番といえるようなカミュ・カフカが置かれてあるのか、また、その場所がどこなのかなどについて見ることも、私の中の判断基準となっています。他にも、本の配列や並べ方など、目を配るところは幾つもあります。実際、そのまちによってそれらの内容は結構異なりますし、そのまちの人々の好みや住民性が投影されているように思います。

 何故なら、本屋(書店)も人気商売ですから、売れない本は置きたくない訳で、結果的に、そのまちの人達の好みや嗜好が投影されることになるのだと思います。また、熊本には必ず姜尚中が目を引く場所に置いてありますし、松江では小泉八雲・松山の漱石という具合に、その土地に縁のある作家が良い棚の場所とスペースを占めることが多くなるのは、当然のことだともといえるでしょう。

 ところで、このことは書店の経営方針やポリシーなどによっても差異があります。したがって、本来はそれ程簡単に語れることではないのかもしれません。しかしながら、そこで、私の言う経験を重ねた上に成り立つ感性というような概念が成り立つのだと思います。まぁ、見方によればそれも独りよがりな自己満足なのかもしれませんが、個人的には、それ程的外れでもないと思っています。

 余談ですが、私は、書店では文庫本を中心に見て回ります。何よりも、コンパクトで持ち運びやすいというのが一番の理由ですが、良い本は、必ず文庫になるものだとも思っています。さらに余談ですが、コンパクトが良いと言っても、スマホで読書をするのは余り好きではありません。やはり、自分の指でページを捲りながら読みたいのです。この部分は、感覚的なものなので仕方がありません。

 そうですね。感覚や感性というものは、自分にしか判らないものでもあります。因みに、つい最近も奥出雲のたたら製鉄の里や、岩国の錦帯橋などを訪れる機会を得ました。それらの機会を通して、この国の先人たちが育んできた歴史・文化の尊さや有難さを改めて実感することができました。その気持ちの中には、若かった自分には感じられなかった部分があるのだと思っています。

 一方で、そのように感じられる背景には、これまで積み重ねて来た経験や、読んで来た本の厚みが影響しているのも事実です。しかし、残念なのはそれを支える体力が衰えていく現実です。人生が皮肉なのは、そこのところに理由があるのかもしれません。グラフに描けば、右肩上がりに磨かれる感性と、衰えていく体力に由来する記憶力・持久力・瞬発力の低下を現わす線分の傾きは逆向きです。

 ものごと全て、上手になった頃には終わると言いますが、いつまでも、上手になるためにもがき続ける姿勢だけは、持ち続けていたいと考えています。


2018  11月  12日   平和も民主主義も


 

  立冬が過ぎ、暦の上では冬です。とはいえ、暖かい日が続いています。穏やかな秋の陽だまりの内側で、世界平和記念日の由来などに思いを馳せています。これも、平和だからこそ出来ることですね。

 11月11日の世界平和記念日は、第一次世界大戦の終戦記念日だそうです。1918年(大正7年)の11月11日、ドイツが連合国との休戦協定に調印したことにより、4年間に及んだ戦争が事実上終戦を迎えたことを記念して、この日が世界平和記念日に定められたということです。国内に、戦禍が無かった我が国ではあまり馴染の無い記念日ですが、ヨーロッパの国々では良く知られている日のようです。

 第一次世界大戦は、毒ガス兵器などの大量破壊兵器が初めて使用され、国民を巻き込んだ国家ぐるみの戦争が行われるようになった最初の戦争だともいわれています。そのため、主戦場となったヨーロッパでは、かつてないほどの大きな犠牲者がでました。我が国は、日英同盟を基軸に連合国側として参戦しましたが、海外への派兵が主であったため国内での戦禍は免れた形です。

 一方で、この戦争はかつてない程悲惨な損害をもたらしたため、戦勝国による敗戦国(特にドイツ)への賠償請条件は報復的で過酷なものとなりました。このことが、後のドイツ国内のナチス台頭をを誘発し、一方で各国の自国第一主義が進み、結果的に第二次世界大戦へ繋がったといわれています。そのような、報復の応酬や利己主義からは、真の平和が生まれないことが既に証明されているといえます。

 いずれにしても、甚大な被害を目の当たりにしたヨーロッパでは、「ヴェルサイユ条約」調印前の休戦協定調印日のこの日を世界平和記念日として制定することになった訳です。またこの戦争は、国家という名に託された野望や思惑がぶつかり、あっという間に世界中が戦争に巻き込まれた最初の事例でもあります。まさに、戦禍への動きは動き出したら誰も止められないことを証明した出来事です。

 本当に、私達は今一度平和の有難さを噛みしめる必要があるでしょう。今日、日常何気なく見聞きするニュースの中には、打っちゃっておけないような胡散臭い話題が含まれているように思います。また、我が国を取り巻く諸外国の動向を見ていると、国力や自国(為政者)の都合を背景とした本当に看過できないような身勝手な主張も散見されます。概ね、国内の不満のはけ口を外に求める構図です。

 そのことが、それらの国内におけるさらなる分断を助長しているのは皮肉なことでもあります。そのような諸外国の状況を眺めながら思うことは、我が国においても、国際的な規範に基く正当な主張を毅然としてして行く必要があるということです。また、根拠に基づいた正当な歴史教育の必要性と、国際社会へのアピールの大切さも痛感します。残念ながら、人が良いだけでは国益は守れないのだと思います。

 本来は、国益などという考え方ではなく、全世界を念頭においた地球人類的な考え方や価値規範が必要なのだと思いますが、人類の歴史を振り返れば、それが絵空事のような考え方であることも否定できません。例えば、この国における価値規範を眺めても、私が育つ中で受けた教育や社会の空気とはずいぶん変わってきました。かつては、良い人が守られ悪人に罰が当たる「勧善懲悪」が基本でした。

 一方で、結論を先送りにしてでも、何よりも融和を大切にするような文化もありました。しかしながら、そのような曖昧さに守られた安穏とした日々の中で、いつの間にか私達は、規範とすべきものを見失ったような気もします。そして、それは親から子へときちんと伝承されるべきものであった筈です。今日の、子や孫が親や祖父母を殺すような事件が頻発する要因の一端は、そんなところにもある気がします。

 考えてみれば、安定した平和や質の高い民主主義というものは、それを獲得するための闘いや維持するための努力が必要だと思います。ここでいう闘いとは、邪心や不当な考えを持つ人間との闘いであり、努力とは、高い住民意識を醸成するために必要な教育や、高潔な精神性を伝承して行くための努力です。これは、私の体験からいえる実感であり、特に民主主義や平和の獲得の為には闘いも必要です。

 一方の、努力という視座に立てば、私達戦後の日本人が怠ってきたことに他なりません。人間として持つべき高い倫理観を探求し、自らを律する姿勢を希求するような日本人の精神性について、公の場所において、また各々の家庭で、繰り返し教え継がれていた社会はどこに行ってしまったのでしょうか。私は、今からでも、ほんの少しずつでも、できることをして行く必要があるのだと考えています。

 先日、母校の中学校の学校評議委員会に赴き、同世代の委員の方から「私達の価値観はもう古いのかもしれませんね」といわれました。自ら感じていたことを改めて言われ、戸惑いました。大切なことは、古いとか新しいとかいうことではない筈です。



2018  10月  29日   昭和の価値観




 10月が終わります。いよいよ秋も晩秋へと入ります。秋には、食欲・スポーツ・芸術…などと、頭に冠する言葉がたくさんあります。考えてみれば、○○のと冠される季節は秋だけかもしれませんね。

 私は、そのように,、季節にさえ情緒感が織り込まれるような、古くから日本人が育んできた感性が好きです。言い換えれば、冒頭のような気付きを感じる時が、自分自身について「日本人で良かったなぁ」と思う時でもあります。それから、胸に手を当てて恥ずかしいことはしない~というような感覚も、この国の大人達から子ども達へ語り継がれて、私の心の一部分を成しているのだと思います。

 そのような情緒感の赴くまま、秋のお祭りの最終盤を飾る徳守神社の大祭を覗いてきました。特に、日本三大神輿といわれる重量感のある神輿には、200人以上の担ぎ手が法被姿で集まっていました。一方で、自分が考えていた以上に知っている顔に出会いました。それぞれが、愉しみながら地域の伝統文化と行事を次世代に継承して行こうとしている姿に、頼もしさとこみ上げてくる何かを感じました。

 この国には、まだまだ古き良きものがたくさん残されているのだと思います。しかし、一方でその背景には、少しでも気を抜けば一気に衰退・消滅してしまう危うさが隠されているような気もします。例えば、伝統に培われたお祭りにしても、特定の個人(意気に感じて、頑張っている人達)に対する負荷が大きくなる傾向は続いているように見えるからです。

 もう少し言えば、人間力というのか、人間そのものの能力が弱くなっているような気がします。そのことは、人間の質という面から考えても、平均値(定量的でなく観念的に)が下がっているように思えてならないのです。上手く言えませんが、何というのか「常識」という範疇に含まれるべき事柄も、大きく変わってしまっているような気がします。それと共に、公と私とか、恥を知るというような考え方も薄れてきました。

 私の好きな向田邦子は、「どうせ、私は新聞を裏から読む様な女です~」という一節をどこかで書いていました。昭和4年生まれで、父の転勤と共に引っ越しを繰り返すという少女時代を過ごした向田さんの時代は、新聞は一面から読むものであるということが、あたりまえの時代でもあったのでしょう。他にも、厳しい父君から受けた理不尽とも思えるエピソードが、エッセイに垣間見えたりします。

 例えば、机の上の花瓶を落として割った時、「花瓶が落ちた」というと「花瓶を、落したのだろう」と叱られた話などがあります。しかし、少女期の向田さんは、一方でそのことを「なるほど、そうだなぁ」と思える素直さも持ち合わせていました。最近では、何でも子どもが傷つくなどといって、きちんと叱れない親や先生が如何に多いかということを考えると、人間の質という面における著しい低下を感じます。

 昭和の時代では、例えば向田家のようにトイレのことをご不浄というような家庭でなくても、日本の多くの家庭において、多くの父親(もちろん、母親の場合もありますが)が、公と私のけじめについて説き、胸に手を当てて恥じぬような生き方を語っていたように思います。しかし、現状を見渡せば、他者を責める手練手管ばかりを磨き、喧しく権利の主張をする人ばかりがあまりにも増えた気がします。

 そのような傾向が進む社会では、少しでも誰かが間違えば直ぐに徹底的な糾弾が始まり、皆で吊し上げてしまおうとするような風潮も生まれます。その様子が、最も顕著に見られるのがテレビのワイドショー番組ですが、かといって彼らも、興味本位の視聴者が示す視聴率優先という呪縛からは逃れられず、あらゆる不正に対して、本当の意味で息長く徹底的に解明・糾弾していくということもやりません。

 いつの間にか、責任を取るべき人に対する追及がうやむやになっていたり、政局に影響しない状況になった途端に、くすぶっていた問題が話題になるような状況を見ていると、大きな意味において、体制に対する阿(おもね)りとか忖度という言葉が浮かんできます。マスコミ、ジャーナリズムのかざす正義というものについて、懐疑的な気持ちを深めているのは私だけではないはずです。

 私は、業界人でも芸能通でもありませんが、例えば娯楽番組の出演者にしても二世等の縁故者が増えた割には、独特の個性や奥行きを感じさせる人は減ったように思います。その背景には、この国の社会全体の力が衰退している現実があるのだと思います。家庭でも地域社会でも、日本人が持つべき価値規範や、矜持などを教えられる機会が極端に減っていることは残念で憂うべきことです。

 最近、BSで「時間ですよ」を見ました。庶民の、何気ない日常が舞台のドラマです。あの頃、多くの日本人が理屈ではなく頷き、泣き笑いして見ていたと思います。まさに、昭和の価値観のドラマでした。


2018  10月  15日   腑に落ちないこと




 日増しに、秋が深まって行きます。感性も、少しずつ鋭敏さを増していくような気がしますが、実は、歳と共にそれが鈍くなっていることに気が付かない自分もいます。複雑な気持ちです。

 複雑な気持ちといえば、最近の世の中の様子を見ていると訳の分からないことばかりで、まことに腑に落ちない気持ちが募ります。例えば、アメリカとの報復関税の応酬など経済戦争ともいわれる状況下、自由貿易の重要性を標榜する中国では有名女優が脱税容疑で拘束され、多額の罰金を科せられました。さらには、中国初のICPO総裁が自国で拘束され、その職を解かれるというニュースも聴きました。

 どうみても、自国民に対する見せしめというのか、制裁的な意味合いが強く感じられる当局の姿勢という外ありません。一方で、香港では中国本土で発禁になっている書籍を扱っている書店関係者が、相次いで失踪しているという話もネット上で散見されます。本来、返還後50年間保証されている筈の一国二制度などというものは、既に骨抜き状態になりつつあるといえるのかもしれません。

 また、言論弾圧や民主化を求める活動家に対する取り締まりは一層厳しくなり、彼らを支援する人権派弁護士への圧力も熾烈になってきています。このことは、中国本土だけでなく香港・台湾に対する圧力も同様です。実際、たまにですがそのような内容のドキュメンタリー番組が放送されることがあります。最近では、この9月にNHKにより放送された「馬三家からの手紙」という番組を見ました。

 この、馬三家とは中国の強制収容所(労働教養所)のある場所の地名です。同番組は、アメリカの主婦がスーパーで買ったハロウイングッズの箱の中から、手紙を発見するところから始まります。その手紙は、労働教養所に収容されていた人物(孫毅氏)が、決死の覚悟で忍ばせたSOSで「この商品を購入した方へ、この手紙を世界人権団体に渡してください~」という内容が書かれたものでした。

 その、手紙を発見したアメリカ在住の主婦ジュリーが、これを地元メディアに持ち込んだことから、主要なメディアでも取り上げられることとなり、その成果として手紙を書いた孫毅は釈放されます。そして彼は、人権侵害を告発するための番組制作に携わり,、拷問や強制労働の実態を精密なアニメに描き訴えます。その後彼は、妻や家族も当局からの圧力に苦しむ状況下、国外への脱出を図ります。

 そこで彼は、恩人であるジュリーと感動の出会いを果たします。さらには、絵筆を持って中国政府と闘おうとするのですが……内容の説明はここまでにしますが、国家という大きな力と対峙した時の一個人の無力さや、余りにも理不尽な彼の国の現状に憤りと虚しさが残る番組でした。実際、中国のネット上では当局やトップの批判に繋がるような文言は、異常なくらい神経質に削除されていくのが現状です。

 かつて、キッシンジャーは「経済は資本主義で、政治思想は共産主義などということはあり得ず、ダブルスタンダードは長く続かない」と断言しましたが、彼の言った「内側から起こるべき民主化」への機運はむしろ衰退しているようにみえます。私も、以前に小欄で「人民は経済で動いている」と述べましたが、本来、一般に生活している人々の行動の規範となる考え方や動機は、どこでも同じようなものです。

 それが、国家や体制などと呼ばれる組織になると、大きく変容してしまうのが現実です。ところで、テレビのワイドショーなどでは、国家間や民族間で起こる問題やトラブルに対して、様々な有識者や論客が歴史的背景・宗教的視点・民族性・経済動向など多様な観点から解説を展開しています。その多くは、正論だと思います。しかし、本来権力行使の源は人間の欲望の発露に基くものだと思います。

 例えば、国家や組織を動かす人間の動機の根源もそこにあるのではないでしょうか。もちろん、最初は正義や義憤にかられて~ということもあると思いますが、一度権力を手中にするとその意識は変わり、手にした権力に執着しさらに強めようとするのが人間だと思います。その視座に立ては、トランプ大統領の政治手法も理解できます。また、彼と対峙する委員長や取り巻きの首席や大統領も同様です。

 夫々に、自国内の制限を撤廃し首領をやり続けられるように工作している様子などをみると、一様に国益が最優先などと嘯いてはいても、その本意がどこにあるのかが透けて見えます。もう少し言えば、血の繋がった兄を暗殺し、義理にしろ叔父にあたる人を公開処刑するような人物が、ノーベル平和賞の候補に上がることも腑に落ちません。正義とは、国家権力を手中にするということなのでしょうか。

 そう考えると、米大統領が選挙に拘り、中国・ロシアのトップがなりふり構わず体制固めを図ることも頷けます。思えば、我が国でもなりふり構わぬ姿勢で総裁任期を延長した人がいます。前述の、強かな首領達と渡り合い、日本の国益を確保して欲しいものです。これもまた、腑に落ちない気持ちです。

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