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※これまでのコラムが納めてあります。
できれば、通してお読みください。(根底に流れるものを、くみ取っていただけると思います)

                     

                 初夏を迎えるグリーヒルズ              旧マカオ政庁付近          故宮博物館(台湾)          「白桜十字詩」児島高徳 (作楽神社所蔵  

NO.43      

2020  9月  28日    感性の故郷

 


 9月が、終わります。辛うじて、「暑さ寒さも彼岸まで」という慣用句は生きているようです。随分、凌ぎやすくなりました。いつまでも、この国が四季のある国であって欲しいと願います。

 本当に、そのようなこれまでは当たり前だと考えていたことさえ、祈りたいような気持ちになってきました。そんな気持ちにさせられるほど、私の中にあるこの国の置かれた自然環境の変化に対する懸念は、年々大きくなってきました。例えば、体温を上回るような酷暑の時に、またそれまでに例のないような豪雨災害に見舞われる度に、私は地球環境の変化を憂い警鐘を鳴らし続けて来たように思います。

 しかしながら、成長し続けることを前提として発展を続けるこの星の経済社会に依存して生きる身に変わりはなく、身の回りの僅かな節約や省エネ行動を取るのが関の山です。それでも、これからの人生において、子どもや孫たちの世代の為にできることをほんの少しでもしていきたいと考えてはいます。年齢を重ねる程に、時の流れの速さへの実感が切なさを増す中で、その気持ちは深まり続けます。

 もちろん、私も日々の暮らしに追われる身で、多忙なスケジュールをこなして生きる凡夫です。そのことを四六時中考えている訳ではありません。そのようなもどかしさに包まれた気持ちで、ふと振り返ってみれば、今年も早3/4が過ぎてしまったんだなぁ~と思います。ここまで、公私共に理不尽とか不条理という言葉があてはまるような、色々な出来事がありました。一方で、心が癒される思い出も増えました。

 本当に、気が付けばという感じで、このお彼岸を迎えました。ところで、同じ彼岸でも春と秋ではかなり趣が異なるように思います。その理由の一つには、秋の彼岸はお盆から日にちが近いということがあります。特に、一般にお盆といえば旧盆を指しますから、その間隔は概ね一か月ほどです。それだけに、お盆の時に浸った情緒感を残した形で迎えるのが、秋のお彼岸ということになるかと思います。

 特に、私の場合には一昨年末あたりから、想定を超えた大きな出来事が続きました。その間には、技術者としての恩師と地域活動における恩師を、相次いで失うことになりました。また私自身も、生涯初の入院や厳しい試練を経験しました。そのようなことが、コロナ禍によって世の中が激変していく中で起こり、懸命に目の前のことに対応してきたという感じです。本当に一寸先は闇だなぁ~と思う日々でした。

 さて、お彼岸ですが、春には前年亡くなられた技術士としての恩師のお墓にお参りしました。そこは、先生が生前から用意されていた禅宗のお寺でした。穏やかな春の一日、恩師の愛弟子でもある友人と技術士仲間数人で訪れました。もちろん、恩師を囲んで杯を挙げた店で思い出話語る供養も、忘れずに営んでおきました。偶然ですが、それから間もなくして地元における恩師が他界されたことになります。

 この間の経緯については、小欄で何度か触れさせていただきましたが、僅かな間に身の回りが大きく変わる体験の一部です。そのような流れの中で、この秋のお彼岸には母方の祖母のお墓参りのついでに、時折私が披歴している「お山」の家の跡地を訪ねてみました。岡山県の北西部にある母の故郷の菩提寺の手前から、つづら折りの急な坂道を一気に登ると突然開けた丘陵地帯にでます。

 その場所は、平地は少ないのですが全体的には起伏が少なく、赤土の畑が勾配なりに耕されたまことにのどかな景色です。また、子供の頃の印象とは違い、意外と民家があるのに驚きました。今から十二年前に、祖母が他界した時にも訪れたことがあるのですが、その時には気づかなかったことです。実は、その場所の字名は技術士としての恩師の本籍地でもあります(これも、以前触れたと思います)。

 今から約50年前、跡取りであった叔父は、不便なその場所から家族を連れて県南に移りました。中学生以降の私の夏休みの記憶に、お山の家が無いのはその為です。それでも二十年以上は、家畜小屋や小さな池(井戸の親方のようなもの)と離れの建物などと一緒に、お山の家は残っていました。しかしながら、祖母の無くなるのと前後して、その地所は近隣の大規模農業経営者に譲渡されました。

 現在では、建物などは跡形もなくなっています。さらに残念なのは、直ぐ傍に家畜の糞尿処理施設が建設されてしまっていることです。思い起こせば、祖母が亡くなった時にお墓の整理で訪れた時には、既に似た施設が建設されていたような気もしますが、今回もその脇を抜けていきました。出会う人もなく、道を尋ねることもままならない状況下、まるで何かに導かれるようにたどり着くことができました。

 その場所に立ち、空を見上げた時に一気に50年の時を超えた気がしました。私は、少年の頃眺めていた光景に包まれていました。まさに、我が感性の故郷でした。次の日、そのことを地元の恩師の奥津城に報告しました。二人の恩師の笑顔が重なったような気がしました。有難い気持ちになりました。

 


2020  9月  14日    人は忘れやすい生きもの



 9月も半ばです。2001年の法改正で、敬老の日が連休づくりの為に動き、15日が「老人の日」という平日になってから随分経ちますが、私の意識の中では敬老の日といえば9月15日として刻まれています。

 そういえば、体育の日も10月10日ではなくなりました。本来は、東京オリンピックの開会式が行われた日を記念して、体育の日は定められたはずです。ついでに言えば、体育の日は名前まで「スポーツの日」になってしまいました。スポーツは体育より広い意味を持ち、自発的に楽しむことを含意するということらしいですが、何となく割り切れない気持ちになるのは私だけではないのではないでしょうか。

 本来の祝日には、夫々に背景となる出来事があり、その当時を生きた人々の思いが込められてその日が制定されていたはずです。後の世を生きる、人間たちの都合で勝手に変えていくことに、私は、戸惑いと頷けない気持ちを抱いてしまいます。ことほど左様に、人間は先人たちの思いや志というようなものについては、本当に忘れやすい生き物だと思います。まさに、喉元過ぎれば熱さを忘れるです。

 明日は、新たな総理大臣となる人を決める、自民党総裁選挙の開票日です。そのような、大きな政治の舞台でさえ、日和見の中から発生した談合の空気が支配し、活発な議論が行われる様子はありません。中央でさえそのような有様ですから、中々地方の政治や住民自治活動などの場において、民主的な政体や組織運営を勝ち取ろうなどという動きが生まれないのも、仕方がないことかもしれません。

 本当に、とりあえず目先の自分の保身を考え、声の大きな人の顔色を窺うような風潮は、どこに行っても良く見かけられます。また、そのような傾向は年々顕著になっていくようにも思います。そこには、格差と高齢化が進む社会状況が投影された、諦めに似た空気が漂っています。しかしながら、市民の間に高い住民意識が醸成されなければ、どんな声掛けを試みても虚しい遠吠えに終わることも真実です。

 幼少期から、きちんとものごとを見極めながら、弱者をいたわり長いものには巻かれない精神を養うことが大切です。そのような、地域ぐるみで地域の子どもを育てるという取り組みの実践の過程において、取り組む大人達にもその効果が波及するのだと思います。この9月議会では、そのような人づくりの大切さに関する質問や提言を行いました。もちろん、このまち独自のまちづくりの必要性も訴えました。

 実際、2度の臨時議会(5月・7月)と6月の定例会では、コロナ禍への対応に追われ、本会議の場においてそのようなやり取りをする機会はありませんでした。したがって、この9月議会においては大きく変化する社会・経済情勢を踏まえ、新たな働き方や生活様式などを模索し、多様化する人々の価値観に対応し、機を捉えながら進めるべき今後のまちづくりのあり方を中心に、議論を深めました。

 もちろん、長年自治会活動に関わり続けてきた、自分にしかできない質問や提言も行いました。本当に、地方都市における住民自治活動の充実度合いが、地域の人々の幸福感に密接に影響します。その為に、これからも筋を通しながら取り組んでいきたいと考えています。とはいえ、その取り組みは容易ではありません。時に、小欄において厭世的な表現をしてしまうのはその為かもしれません。

 そのようなこともあり、親しい人や良く理解していただいている方から、慮った言葉や励ましをいただくことも良くあります。その度に、有難いことだなぁ~と思います。つい先日も、思いがけない人が尋ねてきて戴き、気持ちの通うひと時を持つことができました。前回も触れましたが、天のような大きな力や不思議なご縁を感じるひと時でもあります。そのことは、年を重ねるにつれて強く思うようにもなりました。

 そもそも、志やその源にある日本人の精神性というような部分において、共通する価値観を備えている人同士でなければ、例え大きな力が働いたとしても上手く出会えないのだと思います。過去を振り返れば、顔が赤くなるような私の人生ですが、有難い友人知己には恵まれています。それは、本当にありがたいことですが、私にも良い人と繋がれるインターフェイスがあるのだと思うことにしています。

 芥川龍之介が、自身を投影した大導寺信輔のように「意気地がないくせに気ばかり強情」な私ですが、不思議ともったいないような方々からご厚情をいただいています。それは、本当にありがたいことですし、励みにもなります。また、このような生き方で良いのかなぁ~と考えたりもしています。一方で。二十年前に残りの余生を考えて感じた切なさは、今は、より切実なものとなってきました。

 我が家の宗祖親鸞ではありませんが、二十年どころか明日の命さえ約束されてはいません。今更ですが、日々の充実を心掛けたいと思います(なるべく~というような気持ちですが)




2020  8月  31日    義挙「本能寺への道」




 8月も終わります。長梅雨の後は、本当に暑い日が続きました。今のような、痛いほどに肌を突き刺すような日差しは子供の頃には無かったなぁ、と、冷房の効いた部屋から外を眺める日々でした。

 冒頭のタイトルは、今回のトップページの写真に掲載している「白桜十字詩・児島高徳」の作者である内田青虹画伯監修の歴史人物画を集めた本の著書名です。著者は、青虹先生と同じ山口県生まれの方で、、読売新聞社社友であり日本エッセイストクラブ会員の秋田博さんです。この度、出来上がったばかりの同作品を、内田青虹先生自らお送りいただきました。まことに、有難いことだと思っています。

 その本は、8月20日に届きました。本当に、暑い日でした。丁度、歴史画を奉納していただいた作楽神社の総会準備の集まりがある日でした。そのようなところにも、不思議なご縁を感じます。それは、私がいつも述べている、所謂天啓のような感覚です。ともあれ、掲載されている歴史人物画は素晴らしく、秋田先生による歴史エピソードの披歴により奥行きや背景が拡がり、あっという間に読み終えました。

 まず、何といっても本能寺の変を義挙と捉え、しかも、その発端として光秀に対する娘玉(ガラシャ)から、信長が天下を取った場合における国体の変容に関する危惧を告げる言葉があったのではないかという内容に驚きました。作者である秋田博先生も、キリスト教に入信し「ガラシャ」という洗礼名も持った玉が、キリスト教文明支配への懸念を示すだろうか~という検証から始められたと述べられています。

 その取り組みの中で、縁のある人達との出会いがあり、結果的に明智光秀顕彰会の機関紙「桔梗」に「光秀の救国英雄論」を寄稿することになったというお話です。また、この本の中には画家としての内田青虹先生の生い立ちや、歴史人物画を描かれる背景が詳しく語られています。何といっても、その始まりが細川ガラシャであったことは、歴史的な意義さえ感じさせるエピソードでありました。

 そもそも、内田青虹先生の先祖は明智家に繋がり、本能寺の変以降は毛利家を頼り身を寄せていたということです。さらに、その場所が尼子との戦いで有名な月山富田城であったことから姓を冨田と変え、さらに毛利家の転封に伴い萩へと付き従ったことなどについて、昨年、作楽神社創建150周年に際して「白桜十字詩・児島高徳」を奉納していただいた際に、直接先生からお聞きしておりました。

 また、奉納していただいた「白桜十字詩・児島高徳」を描かれる動機やエピソードも昨年小欄で述べました。まさに、内田青虹先生はこの世に生を受けられた時から、歴史人物画を描かれるようになっていたのだと思います。さらに、明智光秀の出自を辿れば美濃土岐氏の庶流・可児郡の明智氏などが挙げられ、岐阜金山を祖とする津山藩森家とも不思議なつながりがあるように思います。

 結果的に、本能寺で信長に殉じた森蘭丸は初代津山藩主森忠政の兄にあたります。さらには、歌舞伎の始祖として有名な出雲阿国の恋人といわれた名古屋山三郎(九右衛門)は、この院庄の地で命を落とすことになりますが、森忠政の側室の兄ですから義兄にあたる人物です。まさに、織田家に縁があるこの土地に明智家を祖とする、内田青虹先生の歴史画が納められることにも意義深さを感じます。

 そしてそこに、後醍醐天皇を慕い国体を案じた児島高徳を祀る作楽神社の存在を、内田青虹先生に紹介された秋田博先生との運命的なご縁があったことはいうまでもありません。不思議は続き、作楽神社の創建150年という節目の年に、それらが見事につながっていくことになります。一方で、山三郎阿国を庇護した細川家が、ガラシャとなった玉の嫁ぎ先であったことなどにも容易ならぬご縁を感じます。

 さらに、私事を少し述べれば、私は、その山三郎の眠るにらみ合いの松の側に生まれ、どこにも行かずこの年まで過ごしてきました。他方、本の中に見える作品群に関するエピソードの多くが私の琴線に触れるものばかりで、大変興味深く読むことができた著作でもありました。例えば、私の感性を揺さぶるものとして、常盤・静・巴の三御前、神功皇后、卑弥呼、木花開耶媛、建礼門院などの女性像・・・

 また、乃木希典の殉死、広瀬武夫とアリアズナ、晋作と望東尼、東行庵、龍馬のこと、彼らに強く影響した吉田松陰~挙げれば枚挙の暇がありません。中でも、昨年の奉納の儀の後の直会の席で、我が恩師である杉山先生と共に熱く語らせていただいた山中鹿介や月山富田城に関するお話は、今でも恩師の姿と共に蘇ります。コロナ禍の春旅立たれた杉山先生のことを思うと、まさに一期一会でありました。

 わずか一年前、青虹先生に鹿介のことを熱く語られた杉山先生は、今年の春泉下の客となられました。これまでの流れを考えると、大きな天の導きのような力を感じます。これからも、そのようなご縁を大切にして、日本人の精神性を語り継いでいきたいと考えています。



2020  8月  17日    お盆、夏、思い出




お盆が過ぎました。今年は県をまたぐ移動が制限されたこともあり、いつもより静かなお盆の情景でした。私も、子供達とはリモートで無事を確かめ合いましたが、もどかしい気持ちは残ります。

 私は毎年この季節になると、お盆という慣習のある国に生まれた喜びを綴ってきました。考えてみれば、お盆に限らず、この国で古くから培われてきた慣習に親しみながら生きてきのだと思います。また、それらの慣習を当たり前のように体の中に溶け込ませ、今の私の感性が出来上がっているともいえでしょう。そのような感覚が、この国に生ま育った人が共有する日本人の精神性であると考えています。

 例えば、我が家は浄土真宗大谷派の門徒であり仏教徒ですが、神道の作楽神社を崇敬し、地域の八幡神社に御初穂料を納めます。一方で私は、思想的には朱子学・陽明学を生み出した儒教や道教に根差した考え方に、傾倒する部分を多く持っています。他方、敬虔なクリスチャンやイスラム教徒に敬意を払い、多様なシャーマニズムの現場も見てきましたが、矛盾なく咀嚼出来ていると思います。

 それが、古来山や川などにも神が宿ると考えたアニミズムに依り八百万の神を祀り、渡来してきた数多の宗教をうまく咀嚼しながら、多様性を認める環境を育んできたこの国の歴史でもあると思います。もちろん、その陰には権力者による特定の宗教の弾圧や、力を得た組織による他者への迫害など負の歴史もあります。一筋縄で、今日の寛容な状態(完璧とはいえませんが)が出来たのではありません。

 そのような視点から、寛容性の大切さを標榜している私ですが、現世利益的な意味で神仏に頼る感覚はありません。それは、言葉では上手く表現できない感覚ですが、いわば体験と学習に基づくものです。一例を引けば、今年亡くなられた横田滋さんが、洗礼を拒まれていたというようなエピソードがあります。「本当に神がいるなら、このような酷い仕打ちはされない」という言葉が強く胸を打ちました。

 一方で、そのような信条と矛盾しますが、私は天のような存在を実感する時があります。また、人との間に運命的な繋がりを感じる時もあります。特に、昨年から今年にかけては恩師というべき方を見送りましたので、そのような意味では不思議な感覚を感じる場面がありました。考えてみると、それは私が時折述べている天啓(本屋の書棚で聞こえる声、もしくはひらめき)のような感覚なのかもしれません。

 それは、自分では意識していないつもりでも、心の奥底にある潜在的な思考や願望のようなものがシチュエーションによって呼び覚まされ、天啓として湧き上がってくるように感じるのかもしれません。そのような、理屈ではないところで感じる感覚により、私は恩師の存在を感じ、亡き父や祖母の面影を感じるのだと思います。今年も、縁の人たちが眠る墓所を訪れ、言葉ではない会話をすることができました。

 その一つに、私が幼少期に夏休みを過ごした母の故郷のお寺があります。そこの、裏山の一段高い墓所に、頑固な働き者の祖母は眠っています。墓前での祖母の面影は、寺に流れる穏やかな風にのり、私の心を過去に誘います。たちまち、大きなミヤマクワガタに胸をときめかせた少年時代が蘇ります。朝早く、傾斜のきつい煙草畑のそばを通り抜け、クワガタのいる槙の木の林へ走る少年が私です。

 後ろから、若い叔父さんが「こけるなよ~」と声をかけてくれますが、夢中になっている私には、その声も明確な言葉としては聞こえません…どうしていつも、鮮明に思い出すことができるのかわかりませんが、胸がときめく一場面です。そして、人間にとって、幼少期の体験がその後の人格形成に大きく影響することを実感する思い出でもあります。改めて、幼少年期の体験というものは大切だなぁと思います。

 本当に、優しい人達や豊かな自然に囲まれて、過ごすことができた小学生時代の夏休みだったと思います。事情があって、中学生になって以降は、まるでハイジが住む様なその場所へも行かなくなりました。そのことも、振り返って考えれば必要な期間だけ、天から私に与えられた経験であったように思います。そもそも、奇跡的な偶然により父と出会った母が、私を生んでくれたからこそできた思い出です。

 今更ですが、私は有難い多くの出会いをいただいているこを感じます。つい先日も、一歳の時に生死をさまよった体験談を、尊敬する方から聞きました。本当に、私の一歳の頃の体験とよく似たエピソードでした。その人は「天が我々をこの世に生かしたのだ」と笑っておられましたが、素直に有難いような気持ちが湧いてきました。そのことは、敬愛している先輩とお参りした恩師の墓前でも報告しました。

 そういえばこの前、何十年ぶりに再会した高校の同級生と、小学校の少年ソフトで私の弾丸ライナー(勝手な個人的印象)をサードの彼にキャッチされた思い出を語りあいました。実は、バントのサインを見落として打ったのですが、本当に良い当りであったと思います(彼も、鮮明に覚えていました)。


2020  8月  3日    志を持ち続けて




 夏休みになりました。といっても、今年は16日までの短い夏休みです。また、帰省への自粛も叫ばれています。お盆に帰ってくる筈の人達は、どのように現世の有り様をみているのでしょうか。

 本当に、ようやく梅雨が明けて夏休みになったという感じです。その夏休みも、コロナ禍で8月になってから始まる異例の夏休みです。今回は、せめて気持ちだけでもと思い、南の島の写真を貼ってみました。そんな風に、思いついた時に思うところに思うように行き、気兼ねすることなく過ごしていた日々さえ忘れてしまいそうです。これまで、当たり前と考えていた普通の日々の有難さをつくづく思います。

 一方で、実はこれからが本当の意味のパンデミックではないのか、というような不安な気持ちが頭をもたげてくるのも事実です。まことに、連日テレビなどで報道される感染者数の増大の仕方は、単純に空恐ろしい気分にさせられてしまいます。そのことは、感染症に関する客観的なデータ解析に基づく、評価手法などを知らない人間には、一際切実に感じられるものであるようにも思います。

 今日見る数字は、春先に緊急事態宣言が発せられた時に比べても、著しく大きな数字のように見えます。さらに、国外に目を向けてみれば、あまりにものんきな様子に見えていたアメリカやブラジルなど、まず経済を優先するのだという国々の対応や、それに伴う感染者数の増加傾向が顕著です。その様子を、まるで他人事のように見ていた私達も、今一度考え方を引き締める必要があるのだと思います。

 しかしながら、未だに決定的な治療薬や信頼できるワクチンが開発されていない状況下においては、まずは感染防止や予防を呼び掛ける以外に手が無いのが本当のところだと思います。そして、単純に経済なのか感染防止なのかいうような議論もできないのだと思います。今日では、複雑で多様な形態に発展している経済社会ですが、そもそも需要と供給があって自然に育まれ形成されてきたものです。

 そのように考えると、公の税金を使って特定の分野だけを救済するということは、到底できる話しではありません。一方で、すべての人を救済するということも、できないことだと思います。他方、我々人類は何時の時代においても、自然によるものや人智の及ばない災禍を幾たびも経験してきました(もちろん、それらの中には、戦禍のように人智によって回避できるはずのものもありましたが)。

 そして、危機に遭遇する度に人類は、それらの災禍を克服してきたはずです。そのような視点に立てば、現在世界を席巻している新型コロナウイルス感染症も、何時かはインフルエンザの一種として語られるようになるのだと思います。実際、このウイルスに関する情報共有やデータの蓄積は進み、初期段階における対応や医療技術・施設のレベルアップなどは、かなり進んでいるのだと思います。

 このことは、前回も述べましたがそのような状況を背景として、若い人たちを中心にこの病気に対する警戒感が、薄れていることは否めないように思います。他方、恥を重んじ他者に迷惑をかけないことを基本とし、高い倫理観と価値規範を養うことを尊ぶ日本人の精神性は年々希薄になってきました。そんなこの国で、加速度的に感染者が増大していることは、残念ですが頷けるような気がします。

 振り返れば、私は、技術者として持つべき志やその根本となる日本人の精神性の大切さについて語り、世に問い続けるために拙著HPを立ち上げたのだと思います。そして、その時々に思いつくことや、出来事・エピソードを踏まえて、自らの想いを語り続けてきました。さらにいえば、テーマや話題は時々に変化しても、述べていることの根底にある思いは、変わらないものであると考えています。

 そして、何をするにも人間が良くなければ、ものごとは成就しないとも考えています。この、人間が良くなければ、或いは人さえ良ければ~という感覚は、これまで私が生きてきてたどり着いた実感のようなものです。今は、そのためにできることを模索する日々です。思えば、小欄のスタート時から「職人がやっていけない国」への懸念や、温暖化が進む地球環境に対する問題提起などを発してきました。

 さらに、常に成長することを基本に物事を考える経済社会に対する疑念など、多くの提言や警鐘を鳴らす文章を綴ってきたように思います。そして、それらすべてに対する課題解決の為のキーワードとして、人間が良くなければ~という考え方があります。だからこそ、人を育てる教育の大切や、先達となるべき人に求められるリーダーシップの意義と重要性に言及し続けても来ました。

 これからも、開設の時の気持ちを忘れずに、そしてこれまで育んで来た思いを大切にして、筋を通す生き方を貫いていきたいと考えています。




2020  7月  20日    孤愁-サウダーデ




 今や、数十年に一度が、毎年になりました。線状降水帯という言葉は、平成26年8月の広島での土砂災害以降頻繁に使われるようになったようですが、何となく使いたくないような気がします。

 今更ながら、私達の国土の脆弱さを感じます。一方で、この国の人々が被災する度に発揮してきた復元力について思う時、いつまで持つのだろうというような不安がよぎります。私は、そのような思いを込めて、気候変動や地球環境の変化に対する肌で感じた違和感について、小欄を始めた18年前から警鐘を鳴らし続けてきました。しかしながら、懸念される自然災害の発生頻度は高まるばかりです。

 他方、現在も東京などを中心に新たな感染者数が増大傾向ですが、コロナウイルス禍に関しても違和感を感じ続けてきました。また、感染者の数や陽性反応が出た人の数だけでは解らない、得体の知れないような恐ろしさのようなものも感じています。この病気も、何時かはインフルエンザの一種と呼ばれるはずですが、私が違和感を覚えすっきりしない点は、これに対峙している人間の感覚の変化です。

 例えば、これまでの経緯をみていると、若い人の持つ公共に対する防疫意識が明らかに低下しているような気がします。その背景には、病気に対するデータやノウハウが蓄積されていき、段々と対応策が確立していくことによって、感染者や陽性反応が出た人の数に比べて重症化する人や死亡する人の割合が減少していることが挙げられます。特に、若い人達の重症化率は低い数字が示されています。

 このことが、彼らの持つ危機感を低下させているのだと思います。簡単に言えば、感染しても大したことはない~というような、安易な感覚を持つ若い人が増えているのだと思います。そのことが、彼らを軽率な行動に走らせるのでしょう。しかしながら問題は、自らに症状が現れなくても、感染者になれば他の人を感染させる危険性があるのだというような、簡単な想像力が彼らに働かないところにあります。

 かつて、海を渡りこの国を訪れた多くの外国人を感動させた、自然災害などによる危機の際に見せる日本人の有り様が、変化しているともいえるでしょう。一例を挙げれば、小泉八雲(ラフカディオ・ハーン)の少し後に日本を訪れ、残りの生涯をこの国で過ごしたポルトガル人外交官がいます。ヴェンセンスラオ・デ・モラエスという人ですが、この人もそんな日本人の素晴らしさを知っていた人だと思います。

 この人を描いた「孤愁-サウダーデ」という小説を読みました。父である、新田次郎の絶筆を息子の藤原正彦が引き継ぎ、30年以上の時をかけて書き上げた力作です。主人公のモラエスは、ポルトガルで生まれたポルトガル人(当時は、マカオ生まれの人もいた)で、元々は軍人としてマカオの港務局勤務でしたが、日本に武器を買い付けに来たことをきっかけに、外交官となり日本に終生留まることになります。

 日清戦争前夜の、明治27年にマカオから日本に赴き、以来、日本人の精神性に大きな感銘を受けた人です。日本女性とのめぐり逢いなどを通して、この国で生涯を過ごすことを選ぶ訳ですが、その彼の胸中にある孤愁-サウダーデを描くのがこの小説のテーマとなっています。サウダーデとは、ポルトガル人にしか理解できない感情であり、またそれは、一人ひとりで微妙に違うものであると語られています。

 さらには、喜びの含まれた哀しみのような感情で、ノスタルジーであり、メランコリーであり、物や人への愛着であるとも表現されています。実は、私がこの本を読むきっかけは、この小説を書くために藤原正彦氏がポルトガルを訪れるテレビ番組を見たことにあります。その番組の中で、彼はかつて父親がしたように、出会うポルトガル人毎に「あなたのサウダーデ」を繰り返し尋ねていました。

 そこには、父である新田次郎が聴いたように、恋人を思う気持ちであり、子供を思う親の気持ちであると答える人々の姿がありました。その答えを、一つずつ確認していく藤原正彦氏の姿が、強く印象に残りました。いずれにしても、父親の遺志を継ぎ絶筆を完成させるという仕事は、並大抵の苦労では無いと思います。その反面、書き上げる喜びはとても大きなものがあったのではないでしょうか。

 他方、「キリスト教の関与なしに、火葬され日本の墓に埋葬されたい」と遺言したモラエスと同じように、「剣岳点の記」を書き、山岳小説の大家であった新田次郎の記念墓はスイスにあるそうです。藤原正彦は、その父のサウダーデを模索したのではないかという解説者の指摘に頷かされました。モラエスの人生に、大きな影響を及ぼす日本人の精神性が随所に描かれており、一気に読み終えました。

 面白い本であったなぁ~という余韻に浸り、新たに知ることができたポルトガル人外交官モラエスという人物像、さらには、孤愁-サウダーデについて、深く思索できる有難い時間でもありました。




2020  7月  9日    語り継ぐもの




 東京などの状況は、第二波の序章でしょうか。コロナ禍は、中々出口が見えない状況です。新たな生活様式の実践にしても、いつまで、どこまでやれば良いのか解らず、手探り状態です。

 誤解を恐れずに言えば、コロナ禍の元凶は政府ではありません。同様に、市長村長や行政のせいでもありません。それでも、行動が制約されると人々の不満は募り、景気が落ちこめば、矛先は首長や行政に向きます。公が、個人の経済的な活動をどれだけ制約できるのか、また、その部分の補償をどれだけできるのか、難しいところだと思います。かといって、指をくわえて見ているわけにもいきません。

 今月も、新型コロナウイルス感染症対策のための、臨時議会が開催されました。既に、国や県の動向
に素早く対応するために、5月に臨時議会が開かれ、定例の6月議会においても、コロナ禍に対する施策を審議しました。そのうえで、さらなる取り組みをしていくために、今月の臨時議会が開催されることになりました。上程された第三次補正予算案には、本市独自の施策もたくさん組み込まれました。

 新しい生活様式への対応、追加的に実施する生活支援・経済支援、その他の事業として、11億8,045万円の増額補正予算が承認・可決されました。速やかな予算執行を図り、支援を必要としている場所や人達に、一刻も早い支援策が届けられるように、短期間でしたが集中した審議が行われました。具体的な項目や詳細な内容に関しては、私の議会報告等をご覧いただきたいと思います。

  さて、先日ベルフォーレつやまで再開された、まちなかシネマにおいて上映された「決算!忠臣蔵」を見てきました。久々に、大画面で映画を見る充実感を味わいました。何よりも、私はこの作品に関心を寄せておりました(春に公開される予定でした)ので、今回見られて喜んでいます。原作者の山本博文氏は、津山市出身の東大歴史編纂所教授として活躍された人ですが、この三月に他界されました。

 わたしなどが改めて説明するまでもなく、NHKの知恵泉をはじめテレビにも度々出演されていましたので、ご存じの方も多いことでしょう。まことに、品のある穏やかな語り口で、歴史とその背景について解りやすく解説される姿が偲ばれます。さらに、講演会などでは聴衆を飽きさせないように、ところどころユーモアをまじえ、学術的な検証に裏付けられたお話をされていました。それは、好感の持てるものです。

 実は私は、テレビで見る山本博文は知っていましたし、好きな歴史学者だと思っていました。しかしながら、それがこのまちの出身で自分と世代の近い人物であることは、つい最近まで知りませんでした。数年前、商工会の主催のような講演会で帰省された際、愉しくお話を聴いた後の懇親会でお目にかかりました。そのときのことは、今も鮮明に覚えています。描いていた、イメージ通りの人だったと思います。

 学年では一年先輩にあたる人なので、当時の町の様子や学生達の行動などに関して、共通する思い出などもありました。その時、既に病魔を抱えておられたのかもしれませんが、和やかなひと時を過ごしました。いまさらながら、もう少し早くプロフィールを知る機会を得ていたなら…と思います。このまちにとって、また、この国にとっても惜しい人を亡くしたことにちがいはありません。

 件の映画ですが、当時の資料を検証された山本さんの考証の跡が随所に表れ、とても面白く見させていただきました。物語は、題名の通り忠臣蔵ですが、内容はとてもユニークです。例えば、蕎麦は何時でも十六文であったとすれば、現在に置き換えると一杯480円位で一文が30円と考え、そこから一両を12万円と設定し、赤穂藩に残された内部保留金額を具体的に設定し、お話が展開されていきます。

 また、残された古文書によるエピソードを基に、改易に至る過程から討ち入りまで、必要な経費が細かく算出されています。史実に依る明確な根拠に裏付けられた金額の提示は生々しく、堤真一の演じる大石像も人間臭さ溢れ面白かったです。いつの時代も、人の世を左右する金の力の大きさや、そればかりに依らない人間の生き方が描かれた(志だけでは生きられない哀愁も含め)面白い作品でした。

 やんちゃな番方(堤真一演じる大石達討ち入り担当)を支える浜方(岡村演じる経理担当)の葛藤と、反目しながらも、阿吽の呼吸で気持ちを通い合わせる武士としての誇りが感じられ、胸が熱くなるような場面もありました。作者、山本先生の人柄が投影された映画でもありました。かつて、我々やんちゃな工業高校の生徒達が、肩で風を切り闊歩したおなじ商店街のどこかを先生も歩いていたはずです。

 例えば、アーケードの中に幾つかあった老舗の本屋の書棚の前で、インテリジェンスを漂わせながら難しい本に手を伸ばそうとしている人の、後ろを歩いたことがあるのかもしれません。




2020  6月 29日  自分らしいスタンスで




 間もなく7月です。史上稀に見る試練の年ですが、半ばが過ぎました。誰が半年前の正月、このような事態を予想したでしょうか。まことに、一寸先は闇です。ならば、逆に光がさすこともあれと願います。

 ことほど左様に、先の読めない世の中ではありますが、7月7日からは、本市においても6月12日に成立した国の第二次補正予算を受けて、新型コロナウイルス感染症対策を踏まえた臨時議会が開かれます。臨時議会は、5月にも開かれましたので、結果的に毎月議会が開かれる状況です。コロナ禍への対応に関しては、本市でも新年度前後から国・県の動向を捉えながら取り組まれてきました。

 私も、市民の皆様から負託された二元代表制の権能を果す為に、これからもしっかり取り組んでいくつもりです。そのためには、国や県などによる予算出動の状況を見据えながら、真にこのまちに必要な施策とは何かを真剣に考えていかなければなりません。そのような考え方に基づき、執行部から出される提案を多様な角度から精査しながら、改善策や効果的な提案を行いたいと考えています。

 また、今回のコロナ禍における取り組みについては、私個人だけでなく会派の仲間達と力を合わせて取り組んできました。そのような、これまでの活動内容について、主に5月の臨時議会・6月定例議
会における取り組みを中心に、行動的政策集団‐会派未来による議会報告を作成しました。6月30日(火)の地元紙に折込み予定です。これは、「できるだけ解りやすく」という視点で編集したつもりです。

 是非、そちらの方もご覧ください(本HPでも閲覧可)。さらに、現在私達は、国の補正予算成立を受けて開かれる、第三次補正予算審議の為の7月臨時議会に向けて準備を進めています。当然のことですが、これに関しても会派の力を結集して臨むつもりです。さて、決定的な治療薬や効果的なワクチン開発の目途が立たない状況下、当面、私達は新たな生活様式を実践する他はないのだと思います。

 そこで、一番難儀なのは、我々人類が最も好きな行為といえる、他者との密接な関りを避ける必要があるということです。ところで、私も体験しましたが、テレビ会議などは有効な手段だと思います。リモートワークも、随分定着しているようです。それはそれで便利だと思いますが、やっぱり情緒的な部分において物足りない印象が残ります。これは、人間が動物である以上、解決するのが難しい問題でもあります。

 そのような取組と、ここまでの議会における審議などから見えてきた課題があります。それは、このまちの通信環境の整備が、私達が考えていたよりも遅れていたということです。これは、小・中学校の休業で懸念される、学業の遅れ対策の議論の中で見えてきました。また、これには地域による格差があることもわかり、速やかに改善を図る必要があるというものでした。取り組むべき、喫緊の課題です。

 何よりも、今回のコロナ禍のような事態を見据え、自宅におけるリモート学習が平等に行える状況にないことは懸念されることです。これに関しては、執行部から国による学校ICT環境支援事業等を活用し、改善を図るための施策実施が示されました。私達は、せっかく学校内に四車線道路が整備されても、それをつなぐ市道がセンターラインの入らないような道では意味をなさないことを指摘しました。

 そのうえで、5G時代を見据えた高速通信網の整備を急ぐ必要について提言しました。それは、このまちが活気ある姿を残しながら、生き残っていくためにも重要な施策です。一方で、今回のコロナ禍は、人々の価値観にも大きな影響を及ぼしました。これまでとは違う生活様式を模索する動きは、さらに高まり続けており、仕事の拠点、子育ての場、終の棲家を念頭に地方都市への関心は高まっています。

 だからこそ、高速通信網の整備は必須であり、急がれる施策なのです。ここまで述べたことは、ほんの一例で、私達は他にも色々な提言をしています。その一方で、活動のすべてをお知らせすることは困難です。そこで私は、毎回議会の閉会に併せて議会報告を作成しています(こちらも当HPに連続掲載中)。これには、できるだけ新聞や広報誌などに載らない、生々しい実情を綴るように心掛けています。

 そのようにして、リアルで生々しい議会の様子や、私の活動内容をお伝えしていきたいと考えています。とはいえ、何でもかんでも「発信すれば良い」のだとは考えておりません。このことは、繰り返し述べていることでもありますが、わきまえるべき分別と責任を感じながらやりたいと思っています。したがって、まずは小欄のような形になります。お手数ですが、クリックを重ねてご来読いただければ幸いです。

 先日、50日祭を過ぎた恩師の奥都城(神道でいう墓所)にお参りしてきました。樹齢を重ねた樹々に抱かれ、森閑とした厳かな場所でした。改めて、先生から労いと励ましの言葉を戴いた気がします。



2020  6月 15日  実相・夢想・幻想




 もうすぐ、夏至です。例えば、芒種とは「のぎ」という稲穂の先の刺状のもので、梅雨前のこの時期に種籾を撒くよう告げる意味があるということです。二十四節気、まことに良くできていると思います。

 窓の外を見れば、例年通りに田圃に水が張られ、植えられたばかりの若い苗が風にそよいでいます。植えられてから、まだわずかな日数しか過ぎていませんが、苗の色は随分濃くなりました。ほっとするような景色です。それは、今まで当たり前のように眺めて来た光景ですが、改めてこの国の人々が引き継いできた営みの意義と大切さを感じます。私も、何十年も疑うことなく続けてきた暮らしの光景です。

 思えば、それなりに分別をわきまえて然るべき年齢にはなりました。しかしながら、とても安穏無事を喜ぶような心境には至りません。それどころか、齢を重ねる程見えてくるものなどもあり、次から次に筋を通すべきことがらが出てきます。そんな私の、行動の決め手は公益の確保ということです。特に、公の判断となれば胸に手を当てて考え、それが世の中の役に立つのかどうかを基準に決めることになります。

 さて、先月第一次補正予算を審議した市議会は、早くも今月第二次補正予算を審議しています。先週は、本会議における各会派による代表質問が行われました。私たちも、最大会派としての重責を果たすべく夫々の見識をフル活用し、執行部から示された補正予算の内容を精査すると共に、コロナ禍収束後を見据えたこのまちの明るい未来を構築していくために、有効と考えられる施策提案を行いました。

 本日からは、常設の各委員会に付託された議案が審議されます。私も、厚生委員長としてしっかり責任を果たしていくつもりです。本当に、議会というところは外から眺めているのと中に入ってみるのとでは、全く様子が違います(どんなところも、内と外で違うのは当たり前ですが)。また、どのような正義(もちろん、自分が考える正義ですが)も、一人では実現できないのが議会というところでもあります。

 幸い、私の場合は心強い仲間の輪が広がりつつあります。そして、一定の成果も見えるようになってきました。まだまだ、改革は緒についたばかりですが、できるところから焦らずにやっていくつもりです。
実際には、情けない場面や理不尽な状況に遭遇することもしばしばですが、まずは自らの襟を正していかなければと考えています。何よりも、市民から負託を得た身であることを忘れてはなりません。

 今後も、そのような姿勢を忘れず、公益の確保や資質向上などの責務を果たしていきたいと思います。実はそれらの項目は、技術士倫理要綱に盛り込まれており、筆記試験合格後に東京で行われる口頭試験の際、必ずといって良いほど質問される項目でもあります。また、私が小欄を始める動機であった技術士資格の取得支援に際して、希望者に求めた「志」という言葉に包含された概念でもあります。

 私は、現在ではその「志」の根源にあるものが、日本人の精神性に根差したものだと考えるようになりました。それは、洋の東西からこの国にもたらされた多様な文化を受け入れ、咀嚼していく中で見事に調和させて形成された考え方であり、思想・理念であると思います。例えばそれは、もしも人類がこの星で生き残ることができるとするならば、共有しなければならない価値規範ではないかと考えています。

 現在、自国優先・民族主義など、内向きで排他的な考え方が益々広がりつつあります。またそこには、人種問題なども絡んでいます。例えば宗教でもそうですが、1つのものしか認めないという寛容さのない社会は非常に危険です。それは、宗教だけではなくイデオロギー・哲学などに関しても同様です。多様な信条や考え方を認めあう、融和した社会でなければ長続きできないことは歴史が証明しています。

 一方で、人類は有史以来完璧な統治機構を手に入れたことはありません。私は、カエサルが理想としたローマ帝国のような政体が一つの在り方ではないかと思っています。極めて簡潔にいえば、多様な宗教を認め、ローマの法を守れば民族に関係なく皇帝になれる可能性さえあるという政体です。このクレメンティア(寛容)により、紀元前753年にロムルスがテベレ川で起こしたローマは千年以上続きます。

 私は、そのクレメンティアを支える人々の心の有り様として、我々日本人が育んできた精神性がぴったりはまると考えています。多様な文化を受け入れ融合・昇華する寛容さと、法をもって公平性を保つ考え方の規範となりうるものだと思います。また、胸に手を当て後ろめたいことはしないという何よりも恥を重んじる文化は、その上に高い倫理観を付与することになるはずです。一つの夢ですが、そう思います。

 ところで先日、多忙な日常の中で心に残る事象がありました。朝の玄関脇に一匹の蛍が休んでおり、踏まれたりしてはいけないので庭の植え込みに逃がしました。ところが次の夜、再び一匹の蛍が再び私の部屋の窓辺に現れたのです。すぐに、最近亡くなられた恩師のことが頭に浮かびました。先生が蛍に姿を変えて、お別れに来てくれたのだと思います。丁度、50日祭(神道なので)にあたる頃でした。


2020  6月 1日  新たな生活様式への対応




 今年も、僅かばかりですが田植えを済ませました。相棒は、昭和44年製のヤンマーの赤トラと、知り合いから超破格で譲り受けたクボタの田植機です。人の世の混乱とは関係なく、季節は廻っていきます。

 本当に、時の流れは速いものです。ついこの前、5月の臨時議会で新型コロナウイルス対策の補正予算(第一次)を審議したばかりですが、早くもそのコロナ対策関連の二次補正予算を審議する、6月定例議会が開かれます。国や県による支援策の動向をしっかりと見極めながら、津山市の為に現状の救済はもとより、将来に資するような施策実施をしていくための議論を深めていきたいと考えています。

 おそらく、そこで議論されることの前提として、これからしばらくの間私達が求められる(強いられる)「新しい生活様式の実践」があります。言わずもがなですが、画期的な特効薬や予防のためのワクチンが十分に供給される状況になるまでは、我々はできるだけ新型コロナウイルスに感染しないようにする他はなく、その為に必要だと思われる生活様式を模索しながら、実践するしかないという考え方です。
 
 その中には、ネット環境を利用したテレワークやウェブ会議があります。実際、私も体験してみましたが、使い勝手の良い会議用アプリもあり、あまり問題はないように思いました。むしろ、各自の顔がいつも確認できるので緊張感があり(無駄話などもできず)、会議そのものはスムーズに行えるような気がしました。一方で、その場の空気感というのか質感というのか、物足りないような感覚も覚えました。

 それは、言葉ではうまく表現できないものですが、人間社会には膝を交えるというような言葉もあり、人同士がコミュニュケーションを取り合うという意味において、私のような古い人間には違和感が拭いされない部分があります。例えば、気心の知れた旧知のメンバー同士のやり取りであれば、微妙なコミュニュケーションも上手くとれると思いますが、面識が浅い人が相手になると難しいような気がします。

 繰り返しますが、微妙なコミュニュケーションという視点からいえば、「機械越し」ではどうしても物足りなさが残ります。何といっても、我々人類が長い歴史の中で培ってきたものであり、大好きな形態である直接的なコミュニュケーションを抑制される訳ですから、大きなストレスになってしまいます。そのような面から考えても、「新しい生活様式」を実践していく取り組みは、中々大変だといわざるを得ません。

 とはいえ、しばらくは否応なく取り組まなければならないことでもあります。そこで、前回お薦めした読書に勤しむ生活や、その時間の増加ということが頭に浮かんできます。いうまでもなく、読み方や方向性は自由です。因みに私は、いつも述べていますが、流行りの本とハウトゥー本はまず読みません。時代の流れの中で一定の評価を受けたもの(その指標として文庫となる)を手にすることが多いと思います。

 実際、好きで読んできた著名作家にも未読の作品はあります。司馬遼、周五郎、清張、漱石、谷崎、川端、三島、芥川、太宰…少し思い浮かべても枚挙の暇がありません。一方、既読でも私が思う必須の作品があり、大岡昇平の野火、井伏鱒二の黒い雨、水上勉の飢餓海峡、井上靖の天平の甍、新田次郎の剣岳点の記、塩野七生のローマ人の物語、五木寛之の大河の一滴…こちらも切がありません。

 ところで、そのような「必須」は誰の中にもあるものだと思います。そして、それらの「必須」の作品群は、夫々の人の価値規範に大きく投影されることになります。したがって私は、読書は量よりも質が大切であると考えています。以下、パーティの席を舞台にした欧州の小噺を紹介します。普段から読書家を鼻にかけている上流階級の貴婦人が、高名な学者にに喜色満面で話しかけるところから始まります。

 「先生、今流行の○○はもうお読みになりました?出版されて、既に半年になりますわ」と質問された学者は「いえ、まだ読んでおりません」と答え、さらに「ところで奥様は、ダンテの神曲は読まれましたか?」と尋ね返し「いいえ、まだですわ」と答えた婦人に「そうですか、発表されて既に500年以上経ちますよ」と微笑んだというものです。時を経ても(時を経ているからこそ)読むべき本はあるのだと思います。

 といいつつ、私も件のダンテの神曲は読んでおりませんのでまったく大きなことはいえませんが、最近松本清張の絶筆「神々の乱心」を読みました。もう少し存え、最後まで書き上げて欲しかったと感じる作品でした。他には、荒川清秀著「漢語の謎」も読みました。「権利」という言葉は中国産だが「義務」は日本製であることや、医学関係の語に津山縁の偉人の名前なども見え、興味深く読むことができました。

 実は、結構新しい本も読みますし、週刊誌の書評を参考にしたりもします。いずれにしても、新たな生活様式を実践する一環として、読みたい本を探して読もうと考えています。



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