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※これまでのコラムが納めてあります。
できれば、通してお読みください。(根底に流れるものを、くみ取っていただけると思います)

                     

                「白桜十字詩」児島高徳 (作楽神社所蔵)    作楽神社神楽殿(川上音二郎寄進)       正月の作楽神社            

NO.44         

2021  1月 25日   普通に穏やかに

 


 間もなく、一月が終わります。今年は、本当に寒い正月でした。まだ大寒の最中ですが、穏やかな春を待ちわびる気持ちは一際募ります。とはいえ、コロナ禍の収束という本当の春は兆しさえ見えません。

 丁度、去年の今頃から、新型コロナ感染症に関するニュースは喧しく報道されるようになりました。私もそうでしたが、誰もがこれほどの大ごとになるとは考えてはいなかったのではないでしょうか。また、この新しいウイルスが一年後の今日まで、これほどまでに人類を苦しめることも予想していなかったと思います。本当に、それまでの当たり前は当たり前でなくなり、私達の生活様式も大きく変わりました。

 人と人が密接に関わることを制約される状況下、経済社会にも深刻な影響が出ています。つい最近も、電通が本社ビルの売却を検討(3000億円)しているとか、資生堂の日用品事業売却(1500~2000億円)が決まったというニュースを耳にしました。我が国を代表するような企業の話題です。全体的に、目先の資金調達に苦慮する様子が窺えます。電通は、賃貸借契約を結び売却したビルに残るそうです。

 コロナ禍による経済損失は、大雑把な数字ですが日本国内で10兆円~50兆円、世界全体では1000兆円以上に上るといわれています。そのような現状に鑑み、本日、我が会派から市長に対して提言を行います。政治の使命は、市民の生命と財産の保全及び生活環境の改善にあり、収束の見えないコロナ禍への対応を第一義とすべきとし、本市独自といえる積極的な施策実施を求める内容の提言書です。

 また、コロナ渦中及びコロナ禍収束後を睨み、このまちが県北の拠点都市として輝き続けられるような具体的な施策も盛り込んでいます。例えば感染防止対策にしても、夕食はだめで昼食は良いということではないはずです。適切で効果的な感染予防策を立案し、それをマニュアル化してこのまちから提案・発信する位の取り組みをするよう促しています。よろしければご覧ください。※こちらからもみられます。

 ところで小欄は、わざわざウエブ上をたどってここまでお越しいただき、お読みいただく形です。それでも、時々思いがけない方から感想や励ましの言葉をいただくことがあります。本当に有難いことです。初めは、自らの体験を通した技術士受験の支援が主眼でしたが、そこで必要となる技術者精神やその背景となる日本人の精神性を説くようになりました。そして、長い年月が経ちました(開設2002年11月)。

 最近では、基本的に二週間毎に更新するスタイルに定着してきました。そのうえで、年末年始には締めくくりと抱負を込めた一言を記すのが、基本的なスタイルにもなっています。一方で、トップページの写真につきましては私の近況に関するものや、その時の精神状態から想起されるイメージに近いものを用いることが多いように思います。したがって、多少季節感がずれたりすることもあります。

 多くの場合、自分自身で撮影した写真を使いますが、たまには他の人からいただいたものを使うこともあります。そのような場合であっても、そこには何がしかの関係性や思いが込められていることはいうまでもありません。そのことは、提供された写真と私の感性が共鳴することによりイメージが想起され、その結果としてトップページへの掲載となる訳ですから、当たり前といえば当たり前のことです。

 例えば、今回の閑谷学校講堂と紅葉の夜景もそのような一枚です。少し季節はずれましたが、琴線に触れる写真なので使わせてもらいました。これをくれた人も、豊かな感性を備えた人です。ところで、お気づきの方もおられるかと思いますが、私は年末と年始の回には富士山の写真を良くアップします。こちらも、私自身の思い入れがこもったものや、大切な人から提供された写真ということになります。

 写真としてみれば、芸術的に優れているとか特別美しい作品だということではありません。私の胸にある、富士山に対する憧憬と写真が撮られた背景が大切な要素となっています。もちろん、そこには色々なエピソードが含まれています。一年を振り返る時、或いは年頭にものごとを考える時、私の情緒的な部分の拠り所となるからです。そんなこともあり、年末・年始は富士山の写真を使うようになりました。

 まず日本語~と、幼少期における日本語教育の大切さを説く藤原正彦氏も述べていましたが、情緒的な部分の醸成やケアは大人になっても必要です。小さな時から、素直で穏やかな感性が育まれるような環境作りが求められます。長じれば、好まざる争いや諍いに巻き込まれてしまうこともあります。まったく、人間さえ良ければ生じえない災禍に遭遇し、言わずもがなの正論を説くようなことは虚しいものです。

 できれば、穏やかな人達に囲まれて優しい気持ちで暮らしたいと、誰もが願うはずです。またそれは、本当に当たり前のことだと思います。一日も早い流行り病の終息と、穏やかな日々の到来を願います




2021  1月 11日   東京タワーと深夜食堂




 成人の日を迎えました。早くも鏡開きという感じです。1都3県で出された緊急事態宣言は、近畿地方の2府1県でも要請されました。今年も、しばらくはコロナ禍に翻弄される社会情勢が続きそうです。

 さて、昨年末に続いて、日本列島を強い寒波が襲っています。そのため、北陸や新潟などを中心に大雪のニュースや、それに伴いたくさんの車両が立ち往生させられたなどという報せが届いています。我が家の付近には、積雪こそありませんが大変寒い日が続いています。幸か不幸か、コロナ禍により多くの行事が中止になったり延期されていますので、厳しい寒さの中を出かける機会は減少しています。

 とはいえ、必要な対策を講じながら最小限と思われる活動(ご挨拶や協議・打合せなど)は行っています。また、やらなければならないこと(議会運営に関すること、次の質問への準備、資質向上に関すること…)への取り組みや資料作りなど、暇を持て余すというような訳にはいきません。もちろん、読みたいものを読み見たいものを見るというライフスタイルは、できるだけ貫いているつもりです。

 ところで、現在のような非常事態宣言が続発されるような状況ではどうなるか判りませんが、この1月30日(土)・31日(日)と津山国際環境映画祭が開催されます。オダギリジョー監督による「ある船頭の話」等が上映される予定です。また、オダギリジョー氏や彼と同級生の主演男優河本準一氏などが本市の文化センターを訪れ、舞台挨拶やトークショーなどのイベントが開催されると聴いています。

 今回は、監督という立場だそうですが、私は役者としてのオダギリジョーに大変魅力を感じています。彼には、独特の雰囲気と存在感があるからです。例えば、前回でも少し触れた深夜食堂シリーズの中でも、彼にしか出せない味を醸し出しています。和服でカウンターに座り「世の中は~」と語る最初のシリーズから、何故か警察官になり「まんざらでもありません~」と微笑む仕草まで存在感があります。

 また、餃子屋(リリーフランキー)の再婚相手となったかつての恋人(黒谷友香)との絡みのシーンなど、哀愁を漂わせる演技も魅力的です。彼は、その他にも多くの映画やドラマに出演していますが、私の中では「東京タワーオカンとボクと時々オトン」が印象に残る作品です。ところで、この作品は原作がリリーフランキー氏で、監督は深夜食堂シリーズを撮っている松岡錠司監督の手によるものです。

 私が感じていた、深夜食堂シリーズと東京タワーオカンとボクと時々オトンという作品に、どことなく共通したテイストを感じる理由は、そのようなところにもあるのだと思います。少し話がそれましたが、東京タワー~でリリーフランキー役を演じるオダギリジョーは、キャスティング的にもぴったりだと思います。「あんたが、仕事をしていると良い気持ちになる~」という母親との絆や葛藤を見事に表現しています。

 元々、個性的で破天荒な父親と母親の物語があり、一人息子として母親から精一杯の愛情を受けながら、放蕩や挫折を繰り返しながら才能を開花させる「マー君」を演じたオダギリジョーが、私の中では最も強く印象に残るオダギリジョーの姿かもしれません。この作品で、彼が見せた母親に対する深い思慕と期待を裏切り続けることへの自戒や自責の思いを込めた演技は、本当に秀逸です。

 それは、フロイトの唱える父親と娘を基本とする心理学ではなく、ユングの言うように母親と息子の関係に立って考えるべきである日本人の関係性を想起させるものでもあります。実は、私には少なからず感情移入させられる部分がありまして、そのように感じるのかもしれません。親の影響を受けない子はなく(実の親でなくても、親代わりの人から強い影響を受ける人もいます)、特に幼少期は重要です。

 時々引用しますが、吉川英治の就職面接時における「私は、母が悲しむと思えば悪いことはしません~」という言葉や、先程述べた母と息子を基本とする考えに依る河合隼雄の言葉に私が深く傾倒する背景に、幼少期からこれまでの私の体験が強く影響していることは間違いのないことだと思います。もちろん人は、母親だけではなく多くの人と関わり合いながら人格を形成していくものではあります。

 上手く言えませんが、戴いている有難い関りや絆を大切にしていきたいと思います。ところで、東京タワー~にはキョンキョンや宮崎あおい、柄本明などかなりの大物達もチョイ役で出ています。一方、オカンがお守りのように大事にする、息子の卒業証書に書かれている生年月日はリリーフランキー氏のそれと合致しています。そのようなところにも、松岡錠司監督の人柄や拘りが垣間見えるような気がします。

 さらにいえば、深夜食堂シリーズに共通して、オダギリジョーを登場させるセンスも頷けます。この度の都市圏での緊急事態宣言により、オダギリジョー氏の帰省が流れないことを祈ります。



2021  1月 4日   一年の初めに一言




 あけましておめでとうございます。コロナ禍は、一都三県の知事から緊急事態宣言の発出が要請されるなど、益々予断を許さない状況です。去年とは逆に、明るい方向への思わぬ展開を願うばかりです。

 さて、今年はいつになくゆったりした年末年始になりました。実際に、多くの恒例行事が中止され、また年明けに行われる予定であった行事に関しても、中止や延期の連絡が届いています。一方、神社の神事のように、どうしても催行しなければならない行事に関しては、極力簡略化して実施する状況となりました。必然的に自宅に居られる時間が増え、自分の為に使える時間も増えたという次第です。
 
 とはいえ、その分家事を手伝うということも無く、また溜まっている課題をこなすということも無く、新たなことに挑戦するということでもありませんでした。いつもの、テレビ画面を眺めながら~という過ごし方は概ね変わらないという状況でした。強いて言えば、ビデオ鑑賞に割く時間がいつもの年よりは多く取れたと思います。録画して置いたもの、レンタルしてきたもの、既に所有しているソフト…色々見ました。

 撮りためていたものは、ドキュメンタリーの他「孤独のグルメ」・「町中華でやろうぜ」など他愛無いものです。一方、レンタルしてきたものは深夜食堂シリーズです。私は、あまりレンタルビデオを利用する方ではありませんが、このシリーズだけは何かにつけてよく見ます。何というのか、時々借りられる(レンタルできる)作品を借りて来て見る訳ですが、疲れた時などに見ると心が癒されるような気がします。

 一方、何度見ても新たな発見や気づきを感じさせてくれるゴッドファーザーは、私の最も好きな映画の一つです。今回は、三部作を通して見直すことができました。マーロンブランド、アルバチーノ、ロバートデニーロ、アンディガルシア…キャストも秀逸です。特に、三作を通して演じるアルパチーノはこの映画と共に年齢を重ね、まさに代表作といえるでしょう。娘を失う場面の嘆きの表情は、いつ見ても圧巻です。

 映画やドラマに関しては、また誌面を改めて語りたいと思いますが、一方的に立場が決められた勧善懲悪なお話や、CGや映像技術に依存する作品はあまり見ません。人間が、生きていく中で味わう不条理な場面における悲哀と、他者との関係を通して受ける情愛に触れる喜びが巧みに描かれているものを好んで見るような気がします。そのようなものを含めて、この年末年始は色々見られたと思います。

 また、テレビを通してのスポーツ観戦では、2日・3日に箱根駅伝を見ました。例によって、彼方此方チャンネルを変えながらの観戦ですが、最後の大逆転劇には大変驚きました。いつもながら、何が起こるか解らないところにも、この駅伝の魅力があるのだと思います。個人的には、白地に赤いCのマークのユニフォームの中央大学がシード権復活するのを楽しみにしていますが、今年も及びませんでした。

 それから、2日に行われたラグビー大学選手権の準決勝では、関西の雄天理大学が明治大学を破り一昨年の雪辱を晴らしました。反則が少なく、内容のある良い試合でした。試合後、勝った天理フィフティーンの目に光るものが見え、明治との健闘をたたえ合う光景も素晴らしいものでした。第一試合では、9連覇が途絶えた後の復活を見せる帝京が、早稲田の上手さに押し切られた印象でした。

 人生では、頭で考える筋や理屈も大切ですが、体を動かし人と接触してみて解る(感じられる)ことがもっと大切です。いつもながら、そのようなことを考えながらテレビ画面の前で過ごしていたような気がします。それは、スポーツ鑑賞であれドラマや映画の鑑賞であれ、私の感性が求め描く指向性であり嗜好性なのだと思います。またそのことは、年を重ねるたびにシンプルになっていくようにも思います。

 他方、家族や友人知己との心が通い合う時間を持つこともできました。家族に関しては、普段はあまり使わないリモート(テレビ電話等)を介してのものになりましたが、どこに居ても確かな結びつきが感じられるのは有難いことです。一方で、この時期にだけ賀状などを通じて言葉を交わす人達もいます。こちらも、最近ではラインやメールのようなものが増えましたが、思い出し合える喜びは確かに感じます。

 一言二言、近況を語り相手を労うやり取りが主ですが、短い中に思いが通じ合う場面もあります。一方で、言葉というものは難しいもので、文字にして正確に微妙なニュアンスを伝えることは中々大変なことです。それでも私は、自らの思うところを率直に述べていきたいと考えています。できればそのことは、繋がり合える価値観という名のインターフェイスを共有できる人達と深めていきたいと思います。

 またそれは、小欄においても同様です。私が技術者として「世の中の役に立つものづくり」を自身の中に醸成する基となった、日本人の精神性への回帰が基本です。今年も、よろしくお願いいたします。




2020  12月 28日   一年を振り返り一言




 今年も、あと僅かとなりましたね。おそらく、振り返れば歴史に残るような年になる筈です。まだまだ、トンネルの出口は見えませんが、希望をもって新たな年を迎えたいと思います。

 ところで、小欄は基本的に二週間に一度の更新を目途としています。毎回私なりの思いを込めて書いておりますので、その位の間隔でなければ綴れないということが大きな理由です。したがって、込める思いや述べたいことが無ければ、さらに間隔が空くこともあります。それでも、今年は二週間に一度というペースを維持することができましたし、追加を入れなければと思うこともありました(事実、入れました)。

 それだけ、色々なことがあったということだと思います。現在のコロナ禍は言うまでもありませんが、公私共にいろいろな出来事がありました。実際、価値規範を覆されるような体験もしましたし、人間不信に陥るような思いも味わいました。さらには、お世話になった人や恩師とのお別れもありました。一方で、これまでの生き方に自信を持つことができた場面や、暖かい恩情をいただく機会もありました。

 そのような体験を通して、私の思想信条は一層透徹したものになった気がします。そうした意味から振り返れば、意義のある一年であったと思います。言い方を替えれば、それだけ成長できたといえるのかもしれません。まだまだ、煩悩だらけで直情的な性格は如何ともし難いところですが、「世の中の役に立つ」を基本としたシンプルな生き方への志向は、この一年でさらに深まったと確信しています。

 また、人の世の常としては、鬼籍に入られる方との今生でのお別れは、必定のことです。つい先日も、作詞・作曲家の中村泰士氏と中西礼氏の訃報を聞きました。その時、佐川満男の歌唱で「おそかったのかい~」と唄う中村泰士の「今は幸せかい」という曲を思い出しました。中学生になったばかりの頃の、その曲に感情移入するエピソードや、頭でっかちで独りよがりであった自分の姿がよみがえりました。

 一方、いつも上品な大人の格好良さが漂っていた中西礼さんには、作詞家として大成功を収めながら多額の借金を肩代わりし続け、翻弄され苦しめられた兄を描いた「兄弟」という小説があります。それは、兄の死の知らせを聞き、思わず心の中で万歳と叫んだという書き出しから始まる、凄絶な内容の私小説です。私が、これを読んだのは、文庫本になったばかりの頃ですから20年位前のことです。

 巻末に、「弟」を書いた石原慎太郎氏との対談が載っています。裕次郎との関係を賢兄愚弟と、わざと笑いながら語る慎太郎氏と、英語もでき本も読み優秀であったのに、放蕩を繰り返した兄のことを述懐する中西礼氏の話は、とても興味深いものでした。そもそも、作詞家中西礼が世に出るきっかけは、慎太郎氏の弟である大スター石原裕次郎が作ってくれたものです。そのような強い縁も感じられます。

 小樽に引き上げた、中西家の命運を賭けるような兄の鰊漁に取り組むエピソードが、あの名曲石狩挽歌のモチーフですが、背景にはあまりにも巨額で壮絶な対価が支払われていることがよく解ります。どんな時も、品の良さを失わなかった中西礼という人が、兄への愛情と憎しみの相克を描いた私小説は、タイトルに惹かれて文庫本を手にした私に、少なからず衝撃を与えたことを今も思い出します。

 また今年は、また逢う日までや木綿のハンカチーフなどをはじめとし、私達の若い時代から膨大なヒット曲を量産してきた作曲家筒美京平氏も逝去されました。夫々のエピソードに関しては、また誌面を改めて触れることがあると思いますが、自身の人生とオーバーラップしてきた作詞・作曲家がこの世を去っていくことに、一つの時代の終わりと余生に対する切なさを感じる気持ちがつのります。

 さらに今年は、私と同じ誕生日でもあり好感を持ち応援していた女優の、竹内結子さんが自ら命を絶ちました。最初に聞いた時、演技から受ける印象や伝え聞く生き方などから、信じることができませんでした。全く、人の心の中はその人にしか解らないものであることを、強く再認識させられる出来事でした。一方、志村けんさんや岡江久美子さんのように、コロナ禍により無念の死を遂げられた人達もいます。

 そんな厳しい状況下、4月には恩師も旅立たれました。亡くなられる数日前、私は厳しい面会制限をかいくぐるようにして、先生の手を握りお別れの言葉を交わすことができました。小欄でも、恩師のことは何度か触れさせていただきましたが、個人的には一番の出来事でありました。昨日、奥津城へ締めくくりのご挨拶にお参りしました。とても安らいだ気持ちになると同時に、信念を貫く覚悟も湧いてきました。

 本当に今年は、私にとって印象に残る人達が亡くなられた年でありました。結果的に、今回の小欄はそのような内容のお話になりました。来年も、影響を受けた人達の思いを少しでも継承できるよう、筋を通す生き方を貫いて行こうと考えています。志を持たれた皆様、良いお年を。




2020  12月 21日   手続き的正義論




 師走も、半ば以上が過ぎました。一気に寒波が訪れて、関越道では多くの車が動けなくなる事態が発生しました。あと僅かとなりましたが、試練の年は終盤まで混迷を続けています。

 さて、明日で12月議会が閉会となります。今回は、新型コロナウイルス感染症対策に関する、補正予算などの議案が審議されました。それらの議案は、概ね明日の最終日に可決される見込みです。少しでも、コロナ禍により混乱し疲弊する経済活動や、市民生活に役立つことを願うばかりです。他方、現在訪れている第三波による感染者の増大は、極めて深刻な状況であるといわざるを得ません。

 実際、試練(勝負)の三週間が叫ばれ、様々な場所で自粛が求められましたが、残念ながらその成果がでているとは言えない状況です。遂に、岡山も100人を超えました。本当に、感染爆発の年末年始にならないことを祈ります。そんなもどかしい状況を背景に、何事にも疑心暗鬼になりがちな風潮は広がり続けています。一方、第一波の時と比べると、明らかに人々の行動は緩んでいるといえるでしょう。

 そのことが、感染者数が鎮静化しないことの大きな要因だと思います。また、個々人の行動規範が変化する背景として、感染しても軽症である場合や、無症状で済む人の数が結構多いということがあります。特に、若い人達にその傾向が顕著で、その分危機感も薄れているのだと思います。さらにいえば、いつの世も「皆で渡れば~」という方向に、世論が流れがちであることは誰もが認めることでしょう。

 結果的に、事態は収拾がつかない方向に進んでいる気がします。一方で、どこかの時点で指定感染症としての位置付けが変更されるのではないか、という考え方も浮かんできます。そこには、これまで常に危機的状況が叫ばれて来た医療現場が、いよいよ本当に対応困難な状況を迎えているという事実があります。また、新型コロナウイルス感染症による重症化率・致死率を検証することになるでしょう。

 そのうえで、ワクチン開発や接種状況を踏まえて、所謂風邪の一種のような扱いにしてしまう時が訪れるような気がします。現実的に考えれば、そのような選択をしなければ他の病気や疾患への対応ができない状況が訪れることは、容易に想像がつきます。とはいえ、重症化した人の体験談や、家族や縁ある人から隔離されたままで亡くなられた人の様子などに接すると、本当に恐ろしくなってしまいます。

 今後、私達人類はどのような判断をしていくのでしょうか。いずれにしても、自分なりにしっかり見極めていきたいと思います。ところで判断といえば、常々政治の世界では重たい判断が求められます。逆に言えば、公の為の判断をすることが政治であるともいえるでしょう。また私は、議員として今のような活動をするずっと前から自治会活動などを通して、公の人間がすべき判断のあり方を模索してきました。

 そんなある日、橋下徹氏のお話を聴く機会を得ました。実体的正義論と手続き的正義論というお話でした。民主主義において大事なのは手続き的正義論であり、決定に至るまでのプロセスが極めて重要であるという内容でした。例えば、実体的正義論に依ってケーキを二人で分けることを想定すると、公平に分けることを念頭に、真の二分の一を探ることやどこを切るかということに集中しがちです。

 そうなると、ナノレベルでケーキを切る機械を開発しなければ~というような迷路に陥りがちです。一方で、これを手続き的正義論に基づいて考えていけば、「私がケーキを切るから、貴方が好きな方を選びなさい」というやり方が出てくるということになります。大切なのは、真実そのものを探る取り組みではなく、誰もが(できるだけ多くの人が)納得する決定の仕方を探る取り組みであるという考え方です。

 この、正解が解らない中でプロセスを探る取り組みに関するお話は、興味深く大変勉強になるものでした。実際に、多くの学者や研究者の意見を参考に、優秀な行政職員が抽出した施策を取捨選択するような場合、自らが真実の探求者となると答えが解らなくなる可能性があるという話はよく解りました。また、設定を整えたうえで徹底的な議論を尽くす過程から、正解が見えてくるという話も頷けるものでした。

 振り返れば私も、自治会活動などを通して合意形成のあり方や、公の人としての判断を模索してきたように思います。だからこそ、皆が納得する決め方の大切さがよく解ります。一方で、正しいことを貫こうとする姿勢に拘り過ぎていた気もします。考えてみれば、何が正しいかは時と場合によって様々です。まさに、今回のプロセスを探ることの意義に関するお話は、私にとってタイムリーであり難いものでした。

 これからも、視野を広げて物事を眺め「世の中の為に役に立つ」ことを価値規範としながら、しっかりと公の判断をしていけるように取り組んでいきたいと考えています。




2020  12月 7日   知性と人生




 師走に入りました。本当に、こんなことがあるのか~というような一年でした。有望な、ワクチン開発などの声も聴かれますが、まだまだ、収束し終息へ繋がるという雰囲気さえ感じられません。

 ワクチンといえば、イギリスのジョンソン首相は自ら注射を受ける様子を、生中継するというような報道を見ました。一方、国民に速やかな接種を呼び掛けるプーチン大統領は未だ未接種だとか。7割近い国民が、ロシア産のワクチンを接種したくないと言っているというような記事も目にしました。アメリカでは、大統領選挙の投票日以降に、製品化や供給に関する情報が示されるような配慮もありました。

 まことに、ビジネスや政治的な思惑が渦巻くワクチン開発に関する動きは、これからもさらに混とんとした様相を呈していくのだと思います。いずれにしても、その効能や副作用に関する状況を良く見極めてから、接種する判断をしていくことになるのだと思います。何とも、歯痒いことではあります。それでも、感染後急激に重症化する事例や回復した人の厳しい体験談を聴くと、慎重にならざるを得ません。

 また、一部報道ではベーシックインカムだの、NHKのEテレ売却論などという単に経済的視点からだけのコスト縮減策が聴かれます。例えば年金制度については、多くの人が働く中で一生懸命に納めて来た保険料のことや、急激に進む少子化の中における制度の維持などについて、難しい課題に関する議論が必要です。簡単にチャラにして、一律なにがしかのお金を配れば良いというのは乱暴すぎます。

 また、Eテレを売却してコストダウンを図ろうなどという意見には、私は情緒的にも納得がいかないものがあります。というのも、私は幼少年期の白黒放送の時代(長い間、教育テレビと呼ばれていました)から、普通の人よりはたくさん見て来たように思います。現在でも、朝の6:55分から始まる0655という番組を良く見ます。特に、毎週月曜日に放送される「たなくじ」をスマホで撮影するのを楽しみにしています。

 詳細は述べませんが、深夜の2355と併せとても面白く奥が深い番組です。もちろん、Eテレでは多くの教養番組が放送されていますし、大和尼寺精進日記、猫のしっぽカエルの手、又吉直樹のヘウレーカ、スイッチインタビュー・・・たくさんの面白い番組が放送されています。子供の頃見ていた、チョーさんの探検僕のまちや、のっぽさんのできるかな~など挿入歌が直ぐに浮かんでくるものもあります。

 また、教育テレビの時代から単に子ども相手というスタンスではなく、よく考えて作りこまれた番組が多いように思います。だからこそ、大人が見ても面白いものがたくさんあるのだと思います。というか、大人が見ることをしっかり意識した番組作りが伝統となっているような気がします。昨今、NHK総合では視聴率を意識するあまり、民法を真似たような番組作りをする傾向が強く感じられます。

 他方、Eテレでは独自の番組作りが続けられていると思います。また、短い番組の小さなコーナーであっても、良く練られている形跡が窺えます。その根底には、子供に限らず見る人の想像力を喚起することを意識する姿勢が貫かれているように思います。一方で、100分で名著、心の時代、俳句・短歌など、Eテレで試してから総合へというものもあります。いずにしても、Eテレ止めるというのは論外です。

 100分で名著といえば、三島由紀夫を取り上げたこともありました。彼が、壮絶な最期を遂げたのは1970年の11月25日です。私も、金閣寺、潮騒、仮面の告白など代表作と呼ばれるものから読みましたが、やはり市谷駐屯地で割腹自殺する直前に最終巻を入稿した豊饒の海に思いが込められているのでしょう。実は、三島の文章は鋭敏で気難しそうなイメージとは異なり、本当に読みやすいと思います。

 子供の頃に大きな病気を患うことや祖母から受けた偏った教育など、個人的に共感するエピソードもあります。一方で、昭和19年の徴兵検査で乙種ながら合格したあと、20年の入隊検査で肺浸潤の診断を受け即日帰郷となる訳ですが、これが三島のその後の人生に大きな影を落としたのだと思います。また、終戦の年から翌年にかけて、妹が死に恋人が他の男性と結婚するという出来事がおこります。

 さらに、川端康成と出会い通い始めるのもこの頃です。川端に祝辞を述べて直ぐに帰った時のことなど、天才の胸中を慮ることは甚だ僭越なことですが、どうしても考えてしまいます。そこには、日本人初のノーベル文学賞は三島が受賞する可能性があったというエピソードがあります。またその前に、生きていれば谷崎が受賞していた可能性もあります。まことに、すごい時代があったんだなぁと思います。

 三島自決の二年後、川端康成も自殺してしまいます。振り返れば、川端の45年前に芥川が、三島の22年前に太宰が自殺しています。作風も人柄も異なりますが、共通する何かを感じるのは私だけではないかもしれませんね。



2020  11月  23日   ので、無理、大丈夫




依然として、コロナ禍は収まりません。それどころか、本格的な冬に向かって第三波の大きな波が襲ってきているようです。何とかこの波を乗り切り、穏やかな来年への足掛かりとしたいものです。

 前回、この秋からの新型コロナウイルス感染者の続発を受け、10月31日の第20回対策本部会議では市長メッセージとともに、11月2日~13日という期間で市民への自粛要請が出さたことを述べました。その後、11月14日以降は自粛要請は継続せず、引き続き注意を呼び掛けることになりました。生活場面での注意点・外出に向けての注意点・イベントなど自粛するもの等が市民に呼びかけられています。
 
 全国的にも、コロナ禍の第三波が襲ってきていることは冒頭でものべましたが、本市では医療機関におけるクラスターの収束が宣言されましたし、新たな感染者の発生は収まる気配です。もちろん、今後の動向を注視する必要はありますが、一定の成果は挙げられているようです。一方で、経済面における懸念は募るばかりです。何といっても、飲食業関係に対する影響は深刻なものがあると思います。

 例えば、これからが本番の筈の忘年会や新年会の予約が、軒並みキャンセルになっているという声を耳にします。私の親しい知人にも、飲食業に関わる経営者や職を得ている人はいますので、暗澹たる気持ちに包まれてしまいます。そもそも私自身が、仲間と杯を上げ歓談することを好む人間ですから、フラストレーションが溜まる傾向は否めません。おそらく、多くの方々が同じ気持ちだと思います。

 いずれにしても、我々ホモサピエンスが大好きな、他者との密度の濃いコミュニュケーションを図る行為が、制約される状況は当分続くのだと思います。ところで、コミュニュケーションといえば、先ずは言葉によるものが頭に浮かびます。私は常々標榜しておりますが、日本語や日本語を基軸とした文化をこよなく愛しており、そのようにしてこの国にで育まれてきた日本人の精神性に誇りを持っています。

 しかしながら、この頃では首を傾げる機会が多くなりました。例えば、スポーツ選手へのインタビューなどにおいて「これからも頑張るので、応援よろしくお願いします」というような表現を耳にする機会は多いものです。私の感覚では、頑張りますので~と言う風に「ます」を入れた表現をすべきだと思います。同様に「申し訳ございません」という表現もしっくりこない気がします。そのように、感じてしまいます。

 前者に関しては、本来頑張るという字の成り立ち事態が、自身のことを表す言葉なので敬語には馴染まない用例の議論ということになるようです。後者に関しても、誤用とはいえない使い方のようですが、私が身に着けて来た感覚からいうと違和感があります。そして、馴染めないのです。他方、頼み事や依頼を断る時に使われる「無理」や「大丈夫」という表現には、さらに強い違和感を覚えてしまいます。

 また、○○してもらっていいですか~という言い方もおかしいと思います。本来、○○してくださいとか○○をお願いしますというような問いかけをしてから、その後相手の意向を聴くのが流れだと思います。さらにいえば、自分の為のことをお願いするのに「もらって~」という言い方が耳障りに感じます。そのうえで、断りの言葉として使われる「大丈夫」や「無理」についても同じような違和感を感じるのです。

 そもそも、断るのに大丈夫というのでは意味が繋がりません。また、無理という一言も木で鼻をくくったような感じで好きではありません。本来は、あり得ないとか不可能というような強い意味の言葉が、日常の何気ない会話の中で使われているようですが、私にはこのことにも違和感があります。大丈夫にしても無理にしても、その言葉を使う背景にある自己中心的な心象が垣間見えるような気がします。

 言語は、時代や人々の生活の変化によって、使われ方が変化していくものだということは理解しています。特に日本語というのは、そのような変遷を遂げてきた言語の典型であると思います。だからこそ私は、他者を慮る表現が廃れ、自己中心的な言葉遣いが増えていくことに違和感を感じるのです。さらには、そのような言葉遣いが常態化して定着していくことに、大きな懸念と虚しさが湧いてくるのです。

 いつだったか、イタリア語は歌を歌う言葉・フランス語は愛を囁く言葉・ドイツ語は演説をする言葉~というような言語に対する比喩を並べた文章を見たことがあります。そこには、日本語は挨拶をする言葉、或いは人を敬う言葉と記されていました。真に、夫々の国の言語の特徴を巧みに捉えていると思います。実際、イタリア語で歌い、フランス語で愛を囁き、ドイツ語で演説する情景が直ぐに浮かびます。

 中でも、日本人が礼儀正しくお辞儀をしながら挨拶をする姿は、ごく自然な絵柄として浮かんでくるものです。そしてそれは、日本語を通して日本人の精神性が現れている所以でもあります。いつまでも、そのイメージが変わらないことを祈りたいと思います。




2020  11月  9日    コロナ禍と読書週間




 ようやく、新たな大統領となる人による「勝利宣言」が出されました。混迷を極めたアメリカ大統領選挙は、ひとまず区切りを迎えたようです。これからも、彼の国で民主主義が保たれることを祈ります。

 一方、身近なところに目を移せば、新型コロナウイルス感染者の発生が止まらない状況です。本市では、4月に1例目が発生し8月に3例目が出た後は、都市部における全国的な発生やクラスターの確認、岡山市での感染事例をしり目に、10月の下旬まで本当に驚くほど静かな状況でした。ところが、10月19日に本市で4例目の感染者が確認されてからは、ほぼ毎日のように感染者が出ています。

 医療機関・学校・職場などにおけるクラスターなども見られ、状況は中々大変です。このことを受け、10月31日に開かれた第20回目の津山市新型コロナウイルス感染症対策本部会議では、市民に対する感染・クラスター対策強化宣言のさらなる要請が行われました。①多人数での会食②不急の外出③多人数での集会の3つの自粛を市民に対してお願いする、市長からのメッセージが出されました。

 とりあえず、11月2日(月)~13日(金)までの2週間が対象期間ですが、1日も早い収束を願いたいと思います。本来は、秋に因んだ正倉院展のこと、ライブ中継で見たロマチェンコや、モンスター井上尚弥のこと、復活し活躍が頼もしい囲碁の井山裕太、竜王戦に臨む羽生善治のことなど、述べたいことはたくさんあります。早く、コロナ禍の話題に少ない誌面を割かないで済むようになって欲しいと思います。

 さて今年は、厳しかった夏の暑さが秋まで続き、気が付けば初冬を思わせるような寒さに、秋の終わりを知らされた感じです。さらには、日本から春と秋がなくなってしまうような、空恐ろしさのような感覚も同時に覚えます。またそれは、四季のあるこの国において育まれる繊細な情緒感の醸成と、それに基づく豊かで多様な文化が維持されることに対する懸念や不安が含まれた感覚でもあります。

 ともあれ、秋は深まっています。毎年、11月3日の文化の日を中心にした2週間が読書週間です。そのように決められなくても(日本人は、決められるのが好きですが)、空気が澄み空が高くなる秋は本を読むには良い季節です。ところで、先日何気なくテレビを見ておりましたら「100分で名著」という番組で、谷崎潤一郎が取り上げられていました。島田雅彦氏が出演され、講師として解説をされていました。

 まさに、人間の持つ限りない欲望や煩悩を探求し、実像と虚像の狭間で懊悩する過程を文字に起こして、文学に昇華させる巨匠の取り組みについて、解りやすく案内してくれるような番組でした。テレビを見終えた私が、早速書店の文庫棚を物色しに行ったこと、まだ読んでいなかった数冊(吉野葛・盲目物語、陰翳礼讃)に手を伸ばし、たちまち読み終えてしまったことは改めて述べるまでもないことです。

 本当に、改めて谷崎の懐の深さを感じました。そのことは、人間の欲望の深淵さを覗いてみたいと思うなら、谷崎の作品こそうってつけです~という、文庫本の帯に付けられた島田氏の推薦文が短い文章で的確に表しています。例えば、細雪を描き続けた圧倒的なスタミナや、刺青・秘密、鍵・瘋癲日記、痴人の愛等にみられる執念を感じさせる描写や語りは、まるで妖怪のような凄みさえ感じます。

 実は、幻のノーベル文学賞候補者であったことは、結構有名な史実でもあります。改めて、文豪や巨匠といわれる人の作品であっても、まだまだ読んでいないものがたくさんあることに気付かされました。これからも、できるだけそのような作品を探りながら読んでいきたいと思います。また、一度読んだものを読みかえすことも、意義深いことだと思います。年を経て解ることや、気づくことは多いものです。

 さらにいえば、良い本は読むたびに新たな発見もあります。私はそのような考え方に立ち、読み終えた本はなるべく手元に置くようにしています。もちろん、必要に応じてこれまでに幾度か整理・処分をしてきました。中には、恩師から頂いた古い技術系の書物などもありました。ノモグラムや対数表など、今では使わないものであっても、残されたメモ書きなどに先人の息吹を感じることができるものでした。

 今でも、「置く場所があればなぁ~」と、少し名残惜しく思う時があります。そのことは、単に私が整理下手で捨てられない性格を弁解して述べている訳ではありません。本には、紙媒体でなければ持ちえない存在意義があります。また、その書籍に因んだエピソードが必ず残るものでもあります。いずれにしても私は、電子書籍ではなく本のページを繰りながら読書することが好きな人間に変わりはありません。

 例えば、静かな秋の丸1日を文庫本を手に過ごすことができれば、それは本当に充実した有難い日になります。そしてそれは、半ば無理やりにでも作らなければ持つことができない1日でもあります。




2020  10月  26日    歴史も文化も 




 日に日に、秋が深まっています。高くなっていく空が、青く晴れ渡っていくのを眺めながら、週末から感染者が続出している状況に心が曇ります。本当に、何という年なのでしょうか。

 そのような、不穏な空気の中ではありますが、県知事選挙の投票日でもあった日曜日には、我が作楽神社の境内にある神楽殿の前で簡単な動画を撮りました。実は、この神楽殿という建物は、明治の末にオッペケケペーで有名な川上音二郎から寄進された建物です。当時は、拝殿として建てられた建物ですが、大正15年に現在の拝殿が建てられてからは、今の位置に移築され神楽殿と呼ばれています。

 洋行帰りで、大変人気のあった川上音二郎が明治40年に津山を訪れた時に、あまりにも寂れていた作楽神社の様子に心を痛め、拝殿と社務所を新築して寄贈したいと申し出たそうです。当時、作楽神社は県社であったため、明治40年3月に岡山県にその旨を申請して許可を受けて建てられたものです。7月に工事奏上式と地鎮祭が行われ、落成式は41年春の大祭日(4月22日)に行われています。

 しかしながら、この時には川上音二郎本人は来られず、こも被りの酒樽がお祝いに送られています。本人が建物を見に来られたのは、明治44年9月3日ということですから、亡くなる直前であったということになります。それでも、最初の時と同様に一座を引き連れて津山を訪れ、興行も行われたようです。一連の行動の背景には、何といっても忠臣児島高徳に対する熱い想いがあったのだと思います。

 そのことは、後醍醐天皇と児島高徳の物語をロンドンなどで上演したことからも推察できます。僅か、47年の生涯ですが、波乱万丈の人生の中で演劇の評価を上げ、役者の地位向上に貢献したことでも知られています。そこには、愛妻貞奴の存在があったことは言うまでもないことだと思います。余談ですが、貞奴と音二郎の媒酌人は伊藤博文の薫陶を受けた金子堅太郎であったそうです。

 その川上音二郎が茅ケ崎に縁の人であり、そこで音楽や演劇などの活動をされている清水友美さんという方がおられ、その方と本市在住の和田さんの間に繋がりがあり、今回拙い動画を撮影することになったわけですが、件の神楽殿の前にいすを並べ、三人で音二郎から寄進された建物に関するお話をするというような内容で、本当に簡単なものでした。とはいえ、好天に恵まれ気持ちの良い一時でした。

 何といっても、ご高齢で足腰も弱られている宮司さんのことが心配でしたが、思いの外体調もよろしい感じで、かくしゃくとした話しぶりで神楽殿に関するお話をしていただきました。まことに、有難いことだと考えています。今後、和田さんを通じてその動画を清水さんにお届けするという流れになるのだと思いますが、素人ばかりの手によるものですから、甚だ心もとないものであることに変わりはありません。

 午後からは、気持ちの良い天気に誘われるように、城東にある洋楽資料館を訪れました。10月10日から行われている新館開館10周年記念企画展である、シーボルトと岡山の洋学者たちを見に行きました。シーボルトが長崎に開いた鳴滝塾に、岡山からも石井宗謙・児玉順蔵・石坂桑亀が入門していたことや、津山藩の洋学者である宇田川榕菴と箕作阮甫が江戸で交流があったことなどを知りました。

 また、シーボルト事件といわれた一件に関しては、国外へ精緻な日本地図を持ち出そうとしたシーボルトに協力したとして捉えられ獄死した幕府天文方高橋景保は、伊能忠敬がその精緻な日本地図を作成する礎となった恩師高橋至時の長男であったことなども知りました。詳細な流れや経緯は解りませんが、歴史の中の皮肉な一面を見たような気がしました。もちろん、そのようなことは他にもありますが。

 また、シーボルトが愛人たきのことをオタクサと呼び、アジサイにその名を冠して日本植物誌に掲載した文献なども見ました。さらに、岡山に縁のあるシーボルトの娘オランダおイネに関するエピソードなども興味深いものがありました。本当に、津山の洋楽資料館では、訪れるたびに新しい発見や感動を得ることができます。改めて、このまちの持つ歴史と文化という財産の大きさと有難さを感じています。

 残念ながら、このコロナ禍の中で地域で行われる文化祭などの行事は軒並み中止となっています。開催されたとしても、公民館などにおいて作品を展示するだけというような内容です。地域において、伝承していかなければならない行事や伝統芸能などに関しては、自粛を余儀なくされている状況ですが、単にイベントを行わないだけでも、役員が短期間で交代することもある自治会運営にはマイナスです。

 先人から受け継がれ、大切にされてきた歴史と文化に関する顕彰と次世代への継承と、その歴史と文化を育んできた日本人の精神性の伝承の大切さについて、改めて痛感している秋の日々です。

 

2020  10月  12日    近況雑感




やっと、秋だなぁと感じられるようになってきましたね。めっきり、涼しくなりました。秋は、私の好きな季節です。とはいえ、祭囃子も聞こえてこない寂しさは否めません。

 さて、そのようなコロナ禍の現状ではありますが、こなさなければならないことはたくさんあります。また、議会運営に関することなど、改革していかなければならないことも山積みです。その間には、リモート会議・研修に臨む機会もあります。これに関しては、リモート特有の長所と短所を感じています。効率的な情報伝達は図れますが、微妙なコミュニケーションは取り辛いというのが正直な感想です。

 一方で、現状ではリモートを始める前の段取りに手間取ったりして、この部分に時間がかかるように思います。やはり、双方向でのやり取りを行う前提として、各自の通信環境や接続状況を確認する必要がありますので、この部分にある程度時間がかかるのは仕方ないとは思います。他方、移動に関する時間と費用が抑えられる利点があります。さらに、副次的ですがご無沙汰していた人との再会もありました。

 余談ですが、カメラとマイクはある程度の性能のものを準備した方が良いと思います。私も、先駆者のアドバイスによりデスクトップに取り付けてみましたが、やはりそれなりの効果はあるようです。しかしながら、まだまだ資料の共有化を含めた内容の充実という視点では、改善していかなければならないことがたくさんあるのようですが、リモートはコロナ禍後においても用いられるものだと思います。

 まさに現状は、新型コロナウイルス感染症対策に関しては、何をどこまでやれば良いのかわからないままで、多くの人々が疑心暗鬼に陥っている状況だと思います。私も、先ず予防が第一であるという考え方のもと、できる限りのことはしているつもりですが、これで良いのだと安心できる手応えさえ感じられないのが実感です。できることなら、感染者にも感染を広げる人にもなりたくないなぁと願うばかりです。

 そのうえで、心ならずも感染した人に対する誹謗・中傷は、絶対にあってはならないのだと思います。しかしながら、これまで耳にしてきたことはその逆のエピソードばかりです。そのような風潮を助長するものとして、SNSを中心としたネット社会における他者への攻撃的な側面があると思います。例えば、誰かの発言の一部を取り上げて行われる言葉狩りなどですが、背景には匿名による発言があります。

 もちろん、実名でもツイッターなどの発言が物議を醸す人はいますが、所謂炎上などが起こる背景には匿名による投稿があるのだと思います。実名で物議を醸す代表格のアメリカ大統領は、コロナ禍における指導者としてもその行動が甚だ懸念されますが、かの国の硬直した格差社会における多様な考え方を認めない傾向は、自由と平等を謳い続けてきた国家そのものへの危惧さえ感じさせます。

 私は、以前からその選挙制度や大統領が決まるまでのプロセスに疑問を感じておりましたが、この度の二枚しかない候補者のカードを見ておりますと、さらに虚しさが加わった気持ちになってしまいます。それでも、曲がりなりにも民意を反映する為の選挙が行われる国家の方が、健全であることに変わりはありません。いつまでも、首領の座に居続けようとする人たちが制度さえ変えてしまう国もあります。

 史上最長といわれた、我が国の前首相の任期の3倍近い20年に及びトップの座に居続けるロシアの大統領は、さらに憲法を改正してまでその座に留まろうとしています。その様子を見て学習したのかどうか、世界制覇を目指す中国の主席も同じような動きを見せています。改めて、何となく平和だから良いかなぁ~と安穏と暮らしてきたこの国の人々に、警鐘を鳴らしたい気持ちが湧いてきます。

 そのためにも、充実した教育とそれに伴う人づくりの大切さが挙げられます。長い間、この国で培われてきた精神性に基づき、多様な考え方を認める寛容さを備えた社会を維持していくことが求められます。基本的に、史実に基づいた正しい歴史認識が必要です。時々の政権の都合により、間違った歴史教育が行われるような不幸は、極めて近い隣国の残念な様子を見れば簡単にわかることです。

 一方で、言うことを聞かない者を排除するという考え方も危険です。昨今、喧しく取り上げられている学術会議任命拒否の問題に関しては、まず任命拒否の理由を明確に示すべきだと思います(説明できないと思いますが)。本来は、学術会議のあり方や選任のプロセスに関するコンセンサスを得ることが先であるはずです。ことが表ざたになってから、議論をそちらに向けるのは本末転倒だと思います。

 どうしても、背景に権力者に阿る(またそれを強いる)政体の有り様が見え隠れしてしまいます。一身独立して一国独立す~福沢諭吉の言葉ですが、それが基本だと思います。この国の一人一人が、そのような高い倫理観に裏付けられた資質を備えて、次世代の為に取り組んでいかなければなりません。

 

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