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※これまでのコラムが納めてあります。
できれば、通してお読みください。(根底に流れるものを、くみ取っていただけると思います)
                    

                         

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NO.45        

2021   6月 14日     光明は絆

 


 間もなく夏至です。6月も半ばを過ぎると、一年の半分が終わったような気分になります。それは、少年の頃から感じていたことです。違うのは、年々速くなる時の流れです。

 本当に、予期せぬ流行り病の禍によって、私達の日常は一変してしまいました。また、感染拡大の防止という視点から、新たな生活様式の実践が強く求められるようになって一年以上が過ぎました。さらには、そのような空気が漂う中で、自粛警察というような言葉が出来る位に世の中は寛容さを失っていくばかりです。背景として、短絡的思考形態を助長するワイドショー文化の隆盛が窺がえます。

 日常においても、どこかのテレビでコメンテーターと称する人が語っていたようなことを、訳知り顔で説いている大人達を見かけることは良くあります。既に、「どこかのテレビで~」と述べている時点で、私自身も見ていることが明らかです。これは、半分言い訳になってしまいますが、特に朝の時間帯などはチャンネルの選択肢が無い位に、地上波ではワイドショー番組が放送されています。

 もちろん、時々のトピックスに触れることもありますので全てを否定するものではありませんが、基本的には、ニュース番組はニュース番組として起きている事象を速やかに伝えれば良いのだと思います。その時に、そのニュース報道に携わるジャーナリストの資質も垣間見える筈です。もう少し言えば、一日中ニュースだけを流すテレビ局があっても良いと思いますし、BSなどそれに近い状況もあります。

 ところが、これまでメディアを牛耳っていたテレビの存在感が薄れる程、インターネットを基盤とした多様な情報供給媒体が急激な速さで増殖しているのが現代社会です。基本的には、多様な情報ソースからもたらされる数多の情報を吟味しながら、的確な判断ができるような訓練をすることが大切です。しかしながら、それらのメディアでは増殖するスピードに倫理や規範がついて行ってないのが実態です。

 ですから、なおさら見極める能力が大切になる訳です。現実のこととして、少しスマホやタブレットに目をやるだけで、実にたくさんの情報を得ることができます。単に「知る」という意味では、昔と比べ格段に速くなりました。私も、効率的に知りたい情報(興味のあること)を得ているのだと思います。例えば、前回の小欄からの二週間にも、ゴルフ、棋界、ボクシング…色々な情報に接することができました。

 何といっても、6月になってすぐの全米女子オープンでは、日本勢同士のプレイオフを制して笹生優花選手が優勝しました。先にアメリカに渡り、5年間頑張ってきた畑岡選手が少し気の毒な感じがしましたが、正直を言えば、その前の渋野選手の予選落ちの方ががっかりしました。また、この12・13日と行われた囲碁本因坊戦第四局は、芝野虎丸王座が勝ち3勝1敗となりました。井山10連覇危うしです。

 一方、あまり目立たない話題ですが、帝拳育ちのリナレスのタイトル復帰がかなわなかったことが個人的には残念でした。ユーチューバーとメイウェザーの茶番劇には言及する必要もないと思いますが、アメリカではUFCやボクシングイベントにも観客が戻ろうとしています。これも、ワクチン接種率が背景にあるのでしょう。この話題には前回も触れましたが、我が国の現況を眺めると虚しい気持ちが募ります。

 その他、私自身の関連でも色々な出来事が起こります。当然ですが、良いことも悪いこともあります。そして、議会では本日からの一般質問への準備作業がありました。毎度のことですが、質問原稿作りには神経を使います。ところで、私は思うところがあり、初当選の時から初日の一番を希望して発言通告をしています。一方で、この度の議会から、議員全員の質問順序の決定に関わる立場になりました。

 したがって、これまでのように会派内の調整だけでは済まないようになりました。議会における質問順序については、各自夫々思惑があり調整も大変です(かつては、私も文句を言ったこともあります)。そのことが、自分が関わってみてよく解りました。いずれにしても、今回は初日の二番で一般質問に臨みます。本市の未来を見据え、喫緊の課題から質すべきことを会派の仲間達とシェアして取り組みます。

 考えてみれば、目の前に与えられた課題をせっせとこなしているうちに時が流れているというのが、正直な気持ちです。実際には、がっかりするようなエピソードにも度々遭遇します。疲れも溜まります。ただ、その合間に僅かですが光明の射す時があり、何とか続けられているように思います。いうまでもなく、その光明の源が、お互いを理解し合える人との繋がり(絆)であることは間違いありません。

 先日、岡山県ではステージが4から3に下がりましたが、早く行きたいところに自由にいけるようになって欲しいと思います。かつて訪れた場所などに思いを巡らし、空想の翼を羽ばたかせる日々です。



2021   5月 31日     感性は柔らかく




 想定通りという感じで、緊急事態宣言は延長されました。国としては、オリンピックを強く意識しているのでしょう。果たして、思惑通りにいくのでしょうか。人間達の意向に関係なく、コロナ禍は続きます。
 
 殊勝な面持ちで記者会見に臨み、「緊急事態宣言の延長に踏み切らざるを得ない状況」を国民に説明する首相の表情からは、何故か言葉通りの切実さや、国民を労る情感が伝わってこないように感じました。しかしそれは、私だけではなかったのではないでしょうか。例えば、決定的な治療薬が見いだせないこのコロナ禍において、ワクチン接種への取り組みが極めて重要となることは解っていたはずです。

 しかしながら、我が国の接種状況は世界で129位、OECD加盟国で最下位(5月10日時点、国際ジャーナリスト高橋浩祐氏の記事より)とのことです。これは、まことに残念ですが、我が国の報道で良く用いられる「先進国の中で~」というような表現さえ使えない状況だと思います。先進国…そもそも私の感覚では、何故、日本独自のワクチンが、世界に先駆けて出来ないのだろうという気さえします。

 実際、私が生きて来た時代を振り返れば、この国は科学技術の進歩とその成果により、経済を発展させてきたことに違いありません。一方で、医薬品には精緻で豊富な臨床データに基づく厳しいチェックが必要なことも理解しているつもりです。それでも、先ほど述べた技術立国を構成する人間の一人となることを目指して生きて来た者としては、歯痒い思いがしてならないというのが正直な気持ちです。

 また、高い志を備えた人材という面からいえば、表に出て活躍している人から人知れず尽力されている人まで、本当に多様で豊富な人材がいる筈です。そのような人の中には、末期癌に侵された平尾誠二を救うために、心血を注いだ山中教授(ノーベル賞受賞者)のような人もいます。今もこの国のあらゆるところで、多くの医療従事者が命を救うために懸命に尽力されているのだと思います。

 そんなことを考えると、昨年の早い時期から自国でワクチンが賄えない状況は想定できていたはずなのに、政治は何をしていたのかと責められても仕方が無いように思います。まことに、為政者の責任は重大です。微力ながら地方自治に関わるものとして、「他山の石として~」などと頓珍漢な発言をされていた大物政治家の言を、まさに他山の石とせず、自らを戒めていかなければと考えているところです。

 さて、前回も述べましたが議会構成も変わり、新たな役職に就くことによって多忙さは増しました。とはいえ、好きな文章を読み見たい番組を見ながら、減少著しい実体験に基づく感性のリフレッシュにつとめているところです。スポーツでは、少し古くなりましたが松山選手のマスターズ優勝、大谷選手のメジャーリーグでの華々しい活躍、そして囲碁・将棋界におけるトピックスは一通り見ています。

 囲碁界では、本因坊十連覇がかかる井山裕太対芝野虎丸戦が一勝一敗という状況です。一方、昨年初のA級入りでいきなり名人挑戦を果した斎藤慎太郎八段の挑戦を、渡辺名人が4勝1敗で退け防衛に成功しました。これもいつか述べましたが、ちゃんとした解説者の説明を聴きながらの観戦は、実に面白いものです。一方、日曜日のNHK杯の終盤は、AIの数値がめまぐるしく変わるスリリングなものでした。

 最近の、棋戦中継時のAIによる優勢を示す数値の提示には、解説者も影響されるので如何なものかと思いますが、格闘技同様レベルの高い闘いを観戦するのは愉しいものです。また昨日は、ドネア対ウバーリのWBCバンタム級タイトルマッチがありました。記者会見で、並んで座るウバーリをしり目に「もう一度井上と闘いたい」とコメントしたドネアが、4RKO勝ちで無敗のチャンピオンを下しました。

 その前座試合を含め、面白い試合を見ることができました。個人的には、フィリピーノフラッシュと異名をとったノニト・ドネアは好きな選手なので、井上尚弥との再戦は是非見たい気がします。余談ですが、そのドネアが絶頂期にスピードで後れを取ったリゴンドーは、8月にカシメロとWBA・WBOのタイトルをかけて闘います。因みに、彼は40歳でドネアも38歳になりましたが、8年前のすごい試合を思い出します。

 良い試合は、いつまでも心に残るものでもあります。それは、良い書物、良い映画などにもいえることです。様々なリソースから刺激を受け、感性を揺さぶられる機会を持つことは、とても意義深いことだと思います。その一つとして、旅に出て日常と違う感覚を味わうことがあります。行きたい場所や、一緒に行きたい人など…イメージは膨らみますが、残念ながら現状では如何ともし難いところです。

 夢は千里を駆け抜ける~せめて頭の中だけでも、柔らかな感性が養える状態にしておきたいものです




2021   5月 17日     移ろう時の中で




 本当に、残念なことです。嫌な感じで(懸念しながら)、岡山県の感染者数の推移を見ておりましたが、遂に非常事態宣言ということになりました。それでも、期待通りの成果が上がるかどうかは疑問です。

 実際、現在の我が国の状況では、オリンピックの開催もおぼつかないのではないかと思います。本当にもどかしいですが、コロナ禍は収束(終息)どころか出口の灯りさえみえません。それでも、やらなければならない日程はこなしていかなければならないのが現実です。この11日には、2年おきに行われる議長・副議長の改選を含めた、新たな議会構成を決めるための臨時議会が開かれました。

 これは、概ねどこの自治体でも同様だと思いますが、津山市においても議長・副議長などの改選が4年任期の中間にあたる2年目毎に行われます。通常、この臨時議会の会期は1日となっています。今回も、いつものように午前10時から始まりましたが、終わったのは午後11時を過ぎていました。それでも、特別遅かったということではなく、過去には日をまたぐようなことが度々あったように聞いています。

 私も、会派を代表する選考委員としてこの臨時議会に臨み、長い一日を過ごしました。議長・副議長をはじめ、総務文教・厚生・産業・建設水道と4つある常設の委員会及び、議会活性化・広報・高等教育機関のあり方という3つの調査特別委員会の正・副委員長、さらには議会から派遣される各組合議会の議員などの選出を行いました。これは、中々骨が折れ、草臥れる作業でもありました。

 そもそも、議員になるような人(議員を志すような人)は一家言ある人ばかりですが、自己顕示欲・自己主張が強い人達でもあります。また、夫々に思うところがあれば、希望する役職やポストがあるのが当たり前です。さらに、期数(当選回数)が多くなれば、それなりの役職に付きたくなるのが人情かもしれません。そのようなことを背景として、会派や人脈が入り混じって虚々実々の駆け引きが行われます。

 しかし私は、その役職になり何がやりたいのか~ということの方が先にあるべきだと考えています。何といっても、我々議員は選挙という手続きを経て市民からの付託を得て活動している訳ですから、そこのところは極めて重要な部分です。実際、私も好むと好まざるに関わらず、複数の委員長や副委員長などの役職に就きましたが、責任の重さとやるべき仕事の内容を考えると気分は重くなります。

 一方、我が会派において目標としていた、先輩議員の副議長就任を果すことができました。看板に「行動的政策集団」を掲げる我々としては、全体的にそのための布石が打てたと考えています。またそれは、ただ議長や副議長になりたいというような思惑による、信じられないような行動や筋の通らない駆け引きが渦巻く中で、政策や政治信条に基づき筋を通して行動し、得られたものだと考えています。

 一連の過程を通して、改めて何の役職に就くかではなく、その職を得て何を成すかが大切なのだという思いを強くしました。他方、役職や人事に関しては、似たようなことが身の回りでも行われているのだと思います。少し目を凝らせば、あらゆる組織において社会や地域の為というような本質から離れ、利己的な欲求に基づく動機(妬み嫉みという感情も含め)で行動する人を容易に見つけられる筈です。

 例えば、それが議会のような選挙されるものであれ、町内会のような談合で決まるものであれ、誰かに付託して物事を行う代表制民主主義においては、「ぼうっとしていてら、いつの間にか大変なことになる」ということだけは確実にいえることです。実は、そのことは今日のような日本人の精神性や矜持に基づく「目に見えない歯止め」が効き辛くなっている世の中では、極めて危うい状況にあるといえます。

 とはいえ、きちんと状況を見極めて良識的な判断や行動をしていくことは、実際には難しいことでもあります。波風を嫌い、つい、まぁ良いか~ということになりがちです。かくいう私自身も、自治会や議員としての活動をするまでは、まぁ良いか~と思いながら所謂評論家のような発言をしていたと思います。それでも、先ほど述べたように社会全体の「目に見えない歯止め」が効いていれば問題はありません。

 しかしながら、残念ですが、この20年間私が小欄を通じて訴え続けて来た日本人の精神性というようなものは、確実に薄れ続けているのが実状です。繰り返しになりますが、そのことにより目に見えない歯止めは益々効かなくなるばかりです。先程、ぼうっとしていたらいつの間にか大変なことになると述べましたが、その最も象徴的な場面が選挙であり、自治会や組織の代表者等を決める機会だと思います。

 私達は、その判断の結果が自身に及ぶのだということを肝に銘じながら、それらの場面に臨まなければなりません。つまり、どのような結果になっても「それをやったのはあなたの選んだ人でしょ」ということに他ならないからです。当たり前ですが、そのことを自分自身の胸に問い直しています。




2021   5月 3日     移ろう時の中で




 今年は、静かなゴールデンウイークとなりました。多くの人が、いつまで続くのか…と思いながら息をひそめて暮らしていというところでしょうか。ただ季節だけが、例年通りに廻っていきます。

 人間社会では、何もかもが自粛という言葉の下に他者との接触を控えなければならない状況です。前回も述べましたが、我が作楽神社の大祭も神事のみ執り行いました。またどうしたことか、WiFi環境整備などの作業も滞っています。そのような中、昨日(2日)の日曜日には、境内の草刈り作業を実施しました。これも前回述べたことですが、氏子のいないお宮では地元自治会がその任にあたっています。

 そもそも、津山市には単位町内会が365あり、それが44の支部に所属して津山市連合町内会を組織しています。その一つの支部が院庄支部ということになります。作楽神社の草刈り作業(清掃活動)は、ここに所属する11(10+オブザーバー町内会1)の町内会から、基本的に毎回8人以上の参加を求めて行われます。大体、毎回100人程度が参加して概ね5月(上旬)・7月(中旬)・9月(下旬)の3回実施します。

 昨日も、時折寒い風が吹く雨模様の不純な天候の中、多くの人が無償で汗を流していただきました。おかげさまで、約2時間をかけて3ha(3町)ある広い敷地のほぼ全域を奇麗にすることができました。このことは、本当にありがたいことだと思っています。また、このような取り組みについてはこの地域に住む住民の務めとして、きちんと次世代に継承していかなければならないと考えています。

 実は、今では当たり前になっているこの取り組みも、昔からきちんと確立されていたものではありません。今から約20年前、私が自治会のトップになった頃から、各単位町内会における明確な役務負担をお願いする形で取り組み始めたものです。私は、これに限らず一つ一つ地域における改革に取り組んでまいりました。その多くが、今では地域やこのまちのスタンダードになっています。

 一方、どのような取り組みも、時を経て継続していくことは中々大変です。それでも、スキルアップしながらその取り組みを継続していくことは意義深いことです。そのことにより、それは地域の伝統となり根付いていくからです。これからも、そのような考えを理解し合い協調できる人達と、出来る限りのことをしていきたいと考えています。余談ですが、私の草刈り機の消耗の約9割は公の作業によるものです。

 ところで、私には田舎の兼業農家としてやらなければならない作業というのも色々ありまして、この時期は僅かばかりの田圃を耕し田植えの準備を進める日々でもあります。今年も、多忙なスケジュールの隙間を縫い、草臥れた愛車(トラクター)とお互いを労り合いながら農作業に勤しんでいます。しかし、この昭和44年生まれの赤いトラクターは、もはや代替部品の供給も難しい状態となっています。

 それでも、田圃では遠慮しながらもアクセルを全開にしてみますが、昔のような力強さはなくなりました。タフなディーゼルエンジンも、やはり年齢と共に衰えていくのは否めません。今では、我が家の一員となったころの力強さはなくなりましたが、このヤンマーの名機には強い思い入れがあります。僅かばかりの田圃であれ、その作業の殆どを担う私の為に亡き父が購入してくれたものだからです。

 振り返れば、私は、自身の家族ができる頃から子どもを授かり彼らが独り立ちした今日まで、とても長い間このトラクターに乗り続けてきました。気が付けば、これを買ってくれた父が他界して既に25年が過ぎました。折に触れて述べていることですが、私は、このトラクターに乗って田圃に赴く時に、生前に出来なかった父との会話をしているように思います。そして、それは私にとって貴重な時間です。

 そのように、人はそれぞれ自分にしか解らないことに意味や価値を見出し、生きる生き物だと思います。他方、例えば私が当たり前のことを当たり前に~などという時の当たり前は、全ての人の当たり前でないことも事実です。つまり、この「当たり前」のような基本的な概念でさえ、共通した価値観が無ければ理解し合えないものです。前述した地域での取り組みなどは、まさにこの価値観に依拠しています。

 まことに、人間同士が理解し合うことは中々難しいことです。一方で、心中から滲み出てくるような情愛や日本人としての精神性は、私がこれまで先人の背中を見る中で養われ、自らが地域のことなどに取り組む中で醸成されてきたものです。実際に、汗を流し肌で感じながら培われてきてものだともいえます。少しでも、そのような感覚を備えた人達が育っていけるように、背中で語り続けたいと思っています。

 もちろん、背中で語る思いが中々届かないのも心得ているつもりです。「人は自分の見たい現実しか見えない。自分が聞きたい声しか聞こえない」(塩野七生のローマ人の物語に見えるユリウス・カエサルの言葉)。



2021   4月 19日     花が散り、人を思う




 何をそんなに急ぐのかという風に、今年も花は散っていきました。一方、宇宙の起源などを思えば、人の世の移ろいも一瞬のことといえるでしょう。だからこそ、桜の散りざまに心惹かれるのだと思います。

 ことさらに、宇宙物理学的な大きな時間の単位の中で考えなくても、人間の一生や営みは本当に儚いものであるこはいうまでもありません。そう考えると、生きている一瞬一瞬を大切にしなければならないのだと思います。しかしながら、頭では理解している筈のそのような概念を、普段の生活において実践できないのが我々凡夫の悲しさでもあります。時折、反省してみたりしますが、直ぐに元の木阿弥です。

 あたりまえのことですが、本当に時間というものは大切なものだと思います。しかしながら、ついに今年も(去年に続き)、15年以上続けて来た作楽神社の春の大祭に併せて行う「たかのり祭り」の開催を断念せざるを得ませんでした。このことは、コロナ禍の状況などから判断して、既に1月末には決めていたことではありますが、思わぬ流行り病の長期化にやりきれない虚しさを覚えてしまいます。

 ところで、私は、ことある毎に述べていますが、作楽神社というお宮には所謂氏子がおりません。これには、このお宮が創建された経緯によるものだと思いますが、詳細なところは私にもよく解りません。そもそも、作楽神社は明治2年11月に、最後の津山藩主となった松平慶倫公によって創建されたお宮です。その、明治2年という年代は、廃仏棄釈の嵐が吹き荒れていた時代でもあります。

 さらに同じ明治2年には、戊辰戦争における戦死者を慰霊するという目的で、後に靖国神社となる東京招聘社が創建されています。この辺りからも、何となくその頃の時代背景が偲ばれるような気がします。また、靖国神社から作楽神社に至る脈略のようなものも感じます。余談ですが、靖国神社を九段へ導いたのは大村益次郎であり、今も大きな銅像となり靖国神社の入り口に佇んでいます。

 かつて、霊山護国神社にある龍馬と慎太郎の墓所を訪れた時の話をしましたが、討幕派であれ佐幕派であれ、この国の生末を案じて命を懸けた英傑達に思いを馳せれば、彼らが今のこの国の有り様を見たらどのように思うのだろうか~と、胸の奥に痛みを感じるのは私だけではないでしょう。さらに残念に思うことは、私の中にあるそのような感情が、年齢を重ねていくほどに強くなっていくことです。

 それは、私が小欄において技術者として持つべき志や、その根幹となる日本人の精神性を語るようになってから今日まで、時系列に深まる思いでもあります。本当に、自分自身の力の無さを含めて、この国の大人達の変わり様を嘆かずにはいられない気持ちです。さらにいえば、人さえ良ければ~起こりえない問題や成立しえない課題への対応に、煩わされることに些か疲れたような気がします。

 少しぼやきが出ましたが、桜散る春の憂いとお許しください。時として、そんな私の文章の行間を読んでいただいた「理解者」の方から、労りの言葉をかけていただくことがあります。そのような時、自らの不甲斐なさを棚に上げ「有難いなぁ」と思います。それはまさに、時も場所も選べず生まれて来た身でありながら、そうした有難い出会いやご縁をいただいたことに心から感謝する時でもあります。

 そのようにして得た友人知己、或いは師と仰ぐ人から様々な影響を受けて、今の私が形作られています。たまたまですが、昨日(4月18日)は恩師の命日にあたります。私は、あえてこの日を意識したわけではありませんが、昨日作楽神社の役員会を開きました。ついこの前まで、先生が総代長をされていた作楽神社の総代会に向けた準備のための役員会です。後任の総代長を私が務めています。

 そしてまた、地元で管理運営を担っている小さな体育館の役職についても、先生の後任に私があたらせていただくことになりました。昨夜は、そちらの総会もありました。今更ですが、先生との浅からぬご縁と、引き継ぐべき重い責任を感じています。本当に、たくさんのことを教えていただきました。そして、人として貫かなければならない信念についても、身をもって示していただきました。

 思えば、コロナ禍の中で思い残すことの多いお別れをしてから、早くも一年が過ぎたという感じです。今でも、しっかりやれ~というはげましの言葉や、おまえが悪いんじゃない~という優しい声が聞こえてくる時があります。それは、公の人間としての判断をすべき時や、前述したぼやきや嘆く言葉が出そうになる時です。またそれは、私にしかできない出会いにより授かった、有難い賜物だと考えています。

 私がこの世に生を受け、与えられた条件下における使命や課題、それに対する評価は、人生の半ばにおいて語ることはできません。それでも一つだけいえることは、私がこれまで出会いご縁をいただいた師と仰ぐ人や、友人知己達に恵まれてきたことです。これだけは、自信をもっていえることです。




2021   4月 5日     桜の花雑感




 今年も、花は咲きました。しかしながら、満開の桜の海に溺れ、謡い遊ぶ人々の姿は見えません。潔く花の散る様は、そのような人の世の営みなどあずかり知らぬという風でもあります。

 正直、まさか今年もお花見ができないなどとは考えていませんでした。実際には、一人で鶴山の石垣を上り、満開の桜の花に包まれて来ました。そのような意味からは、お花見はできました。しかしながら、親しい人と集い愉しく宴を催すという意味においては、まことにフラストレーションがたまる桜の季節を二シーズンも過ごすこととなってしまいました。本当に、流行り病を恨むしかありません。残念です。

 さて、この私の大好きな桜の季節は、人間社会においては年度末及び年度初めということになっています。学生にとっては終業式・入学式があり、卒業と入学の季節でもあります。社会に出ても、親しい仲間との別れや新しい知己を得る場面に遭遇する季節です。一方、私自身がこの世に生を受けた時期でもありまして、そのようなところにも私が桜に惹かれる要因があるのかもしれません。

 私ばかりでなく、この国においては桜という花は特別の存在であるといえるでしょう。一方桜には、梶井基次郎のように桜の木の下には死体が埋まっているとか、坂口安吾の桜の森の満開の下のような幻想的な怪奇物語をすうっと受け入れさせるような怪しさもあります。そのようなことを背景に、渡辺淳一の桜の樹の下でというような、大変な元手がかけられたと思われる恋愛小説も生み出されました。

 また、願わくば花のにて春死なん、その如月の望月の頃と詠んだ西行や、出家する際に、明日ありと思う心のあだ桜、夜半に嵐の吹かぬものかはと詠んだ親鸞など、本当に多くの先達が人生の節目でこの花を題材に意欲的な創作を試みています。さらに、福山雅治や森山直太朗などばかりでなくさくらをモチーフにした楽曲は多く、我が作楽神社に纏わる児島高徳の歌や忠義桜といった名曲もあります。

 個人的には、ラグビーの桜のジャージなどに強いシンパシーを抱きますし、日本人の琴線に触れずにはおかないのが桜の花というものであると思います。 ところで、先ほど述べましたように誕生日が春休み中にある私は、同級生から賑々しくお祝いされた記憶が殆どありません。世代的には、この国においても子どもの誕生日会に友達を呼び合う慣習が始まる頃ではあったと思います。

 まぁ、当時の経済情勢や周囲の状況を振り返れば、一般的にはそれが当たり前であったともいえるでしょう。一方で、小学校高学年からはよく招かれて行った記憶が残っています。それも、結構女子のところが多かったような気がします。田舎にしては、私の通った学校は小学校も中学校も所謂ませた感じがありました。声をかけられた時の、嬉しいような恥ずかしいような微妙な感覚は今でも覚えています。

 人は、生まれる場所も時期も選ぶことはできません。私自身も、恵まれていたのかどうかは今現在において語ることは出来ませんが、私が育った時代はそのような時代でした。この国が、右肩上がりの急激な経済成長を遂げていく過程と、そこに思いがけないオイルショックという急ブレーキがかかった時代に思春期から青春(少し古臭い言葉になりましたが)時代を迎えたのが我々の世代です。

 一方、ことある毎に述べておりますが、頭でっかちで背伸びしていた少年の私は、一回り位上の団塊の世代などから放たれるエネルギーや勢いに大きく影響を受けました。そのうえで、自らの中でも素直な感性と屈折した価値観の相克にもがいていたのだと思います。そうした、成長過程を含めた人生の中で多くの人々と出会い、別れを繰り返して今日に至っていることに違いはありません。

 そして、振り返ってみればそれらの場面の多くで、桜やその花びらが絡んだ映像が心に残っています。それは、もちろん私の個人的な心の中のストックであることに違いはありません。さらにいえば、人間の情緒感や感性は自己中心的に形成されるものですから、そこには私自身が体験などを通して受けたインパクトの強さや、感性の指向性などが大きく影響していることはいうまでもないでしょう。

 中々上手くいえませんが、桜と私の縁は深いものがあるのだと考えています。そういえば、最近リニューアルされたこのまちの文化センターに初めて連れて行ってもらったのは、桜の花の咲く頃だったと思います。当時でさえ、既に懐メロといわれた昔のスター達が、華やかなスポットライトを浴びながら歌っていたのを幼心に覚えています。やはり、妖艶な桜の花の思い出が被さるような気がします。

 今年も、花の下で色々な人の顔を思い浮かべました。次々に、一緒に桜を眺めたい人の顔が浮かびます。来年こそは、笑顔で酒を酌み交わしたいなぁと思う人の顔も浮かんできました。



2021   3月 22日     祈りのかたち




 お彼岸です。この春も、忙中に無理やり時間を作り、身近な人や山のお寺にお参りしてきました。線香の煙をマスク越しに嗅ぎながら、今を生きる難しさを感じる一時でもありました。

 現在のコロナ禍によって、私達の生活は様々な場面で「新たな生活様式」への対応を求められています。墓石を前にして、鬼籍にに入られた人たちは、どのようにその光景を眺めているのだろう~と考える時間を過ごすことになりました。一方で、縁ある人達の面影を偲ぶ一時を有難いと思う心は、本来誰にもあるはずです。改めて、お彼岸やお盆というようなこの国の慣習は、良く出来ているなぁと思います。

 そのように、人間が生きている中で(人から人へと長い時間をかけて命を繋いでいく過程という意味で)、何となく自然な形で定まってきたのが慣習や風習というものであると思います。そのことは、あらゆる宗教行事の中にも投影されていて、死者と別れる痛みが薄らいでいく過程に合わせて法事などが営まれるのだと思います。そのようなことも、人間が歴史を紡ぐ中で培われた知恵の一つだと思います。

 しかしながら、そうして長い時間をかけて定着してきた慣習の中には、今を生きる人間の都合で大きく変化しようとしているものもあります。その一つが、墓じまいという言葉に表される現象です。どこの国でもそうかもしれませんが、日本では明治維新以降の経済的発展を遂げる過程において、東京など都市部への人口流出が起こりました。結果的に、地方に故郷を持つ都会人が大量に誕生した訳です。

 一方で、それらの人々の多くは、先ほど私が述べたような概念を持つ人達であったと思いますから、出身地や故郷の墓所を守っていく気持ちを強く持っていたと考えられます。したがって、民族大移動のように、毎年お盆に里帰りする慣習が根付いたものと考えられます。しかし、本来供養や慰霊の為の里帰りに充てられていた休暇は、時代と共にレジャーなどに使われるようになり目的が変化していきました。

 また、我が国の経済情勢も時代の変化に合わせ大きく変貌しました。右肩上がりの高度経済成長からバブルの崩壊、さらには世界的な情勢の変化による幾たびもの落ち込みを経験する中で、慢性的に苦しい状況下にあることは否めないところです。そのようなことを背景に、都市に居を構えた前代の人々やその後継世代の人達が、故郷にあるお墓を維持していくことが困難になったことは事実です。

 さらに、現在のコロナ禍によって人々の行動が制約されるようになり、同時に新たな生活様式への対応も求められるようになりました。そのことが、人々が持つお墓に対する考え方や宗教的な価値観の変化に大きく影響しています。また、私も昨年から何度も体験しましたが、葬儀の形も新型コロナウイルス感染症予防対策という理由により、家族葬や極めて簡素なやり方で営まれるようになりました。

 このことによって、弔問する側においては物足りなさが残りますが、葬儀を営む側においては大きな負担軽減に繋がります。また、結果的に葬儀自体のあり方を見直す契機にもなっていると思います。それは、形式や慣習に囚われない祭祀や、供養のあり方を模索する動きを促すものでもあります。さらに、そうした葬儀や先祖供養に対する価値観の変化が、墓じまいの増加に繋がっているのだと思います。

 実際、自らの遺骨や遺灰を海や山に散骨するよう希望する人は多く、子どもや孫たちに負担をかけたくないと願う親の話もよく耳にします。私自身も、子どもや孫世代のことを考えると、何がしかのことを考えなければいけないのかなぁという気がしています。しかしながら私は、冒頭に述べたように先祖に思いを馳せること、或いは亡くなった親しい人々を偲ぶことに喜びを感じる人間の一人でもあります。

 他方私は、横田滋さんのいわれた「神がいるなら、このような酷いことはしない」という言葉に頷くところが多く、観念的には無神論者といえるでしょう。また、信賞必罰、因果応報という言葉に納得できない不条理を生きて来た自負もありますし、宗教に現世利益を期待するような射幸心に依ることもありません。話はそれましたが、感覚と形而上的理論の納まりが生涯得られないことも理解しているつもりです。

 そのうえでいえば、宗教的な祭祀・行事は生きている人の為にあるべきだと思います。祈る姿は変わっても、個人を偲び先祖に感謝する行動は人間だけが見せるものです。時代の変化に合わせて、夫々の形で行われれば良いのだと思います。例えば、今は黒い喪服でさえほんの少し前までは白でした。また、時の政権の都合で廃仏毀釈などが声高に叫ばれたりする事例は、枚挙の暇がありません。

 繰り返しになりますが、宗教や信仰は今を生きる人の為にあるべきです。同時に、大切な人の面影を偲ぶ気持ちや、この世に生を受けたことを先祖に感謝するような情緒感は大切にしたいものです。




2021   3月 8日     肌で感じること




 3月に入りました。まだまだ、肌に感じる風は冷たいですが、その冷たさの中に仄かな春の息吹も感じられるようになりました。人の世の移ろいに関わらず、自然は正直に季節を刻んでいるのでしょう。

 本当に、素直な気持ちになって、肌で感じてみることが大切です。実際、私のような頭でっかちな人間でも、真冬の風の冷たさと早春の風の冷たさの違いは感じられるようです。もちろんそれは、葛籠重蔵(伊賀忍者→梟の城)のように鋭敏なものではありませんし、人により個体差があることもよく理解しているつもりです。それでも、古来日本人の感性の中に育まれてきたものだと思います。

 また、その感性は親から子どもへと伝えられるものでもあります。というか、そこが一番大切な部分ではないでしょうか。とりわけ、未だ物心つかないような時期が極めて大切です。人は、その時期に親(血縁的な「親」だけでなく、幼少期の子どものよりどころとなるべき存在を相称しての親)から充分な愛情を注がれ、自らもそれを返すやり取りをすることにより豊かな情緒感が育まれるのだと思います。

 よく「意地の悪さも遺伝する」というようなことが語られます。どれほどDNAの影響があるのか知りませんが、むしろ、日常会話の中で他者を貶めるような意地悪い会話に充ちた環境に育つことに、その要因があると考えるべきだと思います。例えば、妬み嫉みは人間の持つ自然な感情でもありますが、そのような感情に根差した会話や行動の中で培われた価値規範が、どのようなものになるかは明らかです。

 実は、子どもは大人が考えているよりもしっかりと大人のことを見ています。例えば、取ってつけたような作り笑顔であやしてくれる人の、笑顔の裏側を見ているものです。だから私は、よそ様の子どもをあやすのが苦手でした。子どもの視線の前では、嘘やごまかしがきかないということを直感的に感じていたからです。恐らく私も、そのような透徹した目で、周りの大人達のことを見ていたのかもしれません。

 一方で、そのような感覚を強く持つ子どもからは、所謂「可愛げ」というものを大人が感じ辛いのも事実です。それは、子どもが大人から感じることの逆のことを、幾ばくかは大人も感じるからだと思います。ただし、子どもは大人が考えているほど単純ではなく、大人以上に色々なことを考えています。子どもは、より自分に愛情を注いでもらうために、本能的に媚びるようなことも含め様々な策を廻らします。

 もちろん、それは本能的な行為であり、多くは計算して企んでいることではありません。またそこには、後天的な環境などによって育まれる要素があることは、いうまでもないことです。だからこそ、大人の姿勢が問われるのではないでしょうか。例えば、本音と建て前などという言葉があります。一般的に、あまり良いイメージでは使われませんが、そこには恥を重んじる日本人の矜持が見え隠れします。

 公と私をけじめ、恥ずかしいことは命にかけてもしてはいけない~というのが、本来の日本人の精神性であったはずです。だからこそ、この国の人々は台風や地震など甚大な自然災害に幾度も見舞われながら、その度に他所の国の人達からその立ち居振る舞いを高く評価されてきたのだと思います。丁度、この11日にはあの東日本大震災から10年の節目を迎えますが、改めてその時の状況が蘇ります。

 この未曾有の大災害については、未だ行方の解らない人が2500人以上おられ、15900人を数える死者の中には身元が判明しない方が50人以上も居られると聴きました。改めて、犠牲となられた方々に心よりお悔やみを申し上げたいと思います。また、真の意味での復興の日が、一日も早く訪れるようにお祈りするばかりです。一方で、あの頃と今では私達の震災に寄せる思いが随分変化した気がします。

 当時は、原発の存続を含めたエネルギー問題などについて、本当に真摯な議論が行われていたはずです。またあの時、恐れを知らず奢り増長を続ける人類への警鐘として、前述したような素晴らしい精神性を備えた日本人なら乗り越えられるものとして、あえて天が与えた試練ではないのかという思いが脳裏をかすめたことを今でも覚えています。といいながら、私自身の謙虚な思いも薄れがちです。

 残念ながら、時が経つと人は忘れてしまう生き物です。だからこそ、教え語り継ぐことが大切です。例えば、私が幼少期に父から聞かされた戦争体験やその時代の苦労話は、今では私の中で疑似体験のような形で残っています。それは、私にとって実に有難いことだと思っています。そのように、感性が育まれる幼少期において、大人が子供に貴重な体験談を話して聞かせることは非常に意義深いことです。

 大袈裟かもしれませんが、そんな私の体験は語り継ぐべき歴史や経験を次世代に継承するという意味において、人間だけが成しうる成果の一つだと思います。同時に、歴史や経験を教え引き継ぐ子供達の豊かな感性を育むことも、人間だけが成しうる大きな仕事だと思います。



2021   2月 22日     民主主義の根底 




 「逃げる」の例え通り、早くも2月が過ぎようとしています。振り返れば、コロナ禍は去年の今頃から本格化しました。その頃は1年先の今、このような文章を書いているとは思いもしませんでした。

 改めて、一寸先は闇に例えられる不条理な世界感を感じています。また、目先の出来事への対応に追われる日常の中で、時の経つ速さも痛感しています。ところで私は、それまで勤めていた建設会社を平成2年に辞めて独立しました。自宅に事務所を構えた、その設立記念日が2月22日ということになります。以来、主に土木工事に関する技術的支援と不動産業をに関する業務に携わってきました。

 その過程において、エンジニアとしては建設部門(道路・施工計画)・総合技術監理部門の技術士資格を取得しました。また、自らの資格取得に際しての体験を踏まえ、志を備えた受験者を支援するために小欄を開設しました。こちらの方も20年近い月日が流れたことになります。概観していえば、時の流れに身を任せ目の前の課題をこなしてきた~というのがこれまでのを振り返った感想です。

 それは、何というのか取り立てて述べる程のことも無く、成すがまま~という感じでもありました。一方で、目の前にある「こなさなければならないこと」をこなし、「放っておけないこと」に取り組みながらここまで来たという感じもしています。本当に、色々なことがありましたし、内容的にはかなり濃い時間を過ごしてきたように思います。その実、過ぎてみればあっという間のような感じがするのが不思議です。

 そして今、これまでの経験やこのコロナ禍を踏まえて、少し立ち止まって色々なことを考えて見ようと思います。やはり還暦前後になると、人は物事をより深く考えようとするものなのでしょう。思えば私も、長年の疲れが出たのか人生初の入院をしたり、いつまでも健在で道を照らしていてくださるように錯覚していた恩師を失うような出来事がありました。他方、私の立場も変わり、少し楽になりました。。

 端的に今の想いを語れば、使命感にかられて何事にも正義を貫こうとするような姿勢が、果たして良いことなのだろうかと考えるようになりました。そもそも、正しいことや正義などというのは誰が決めるのかという問題があります。まことに、曖昧なものです。また、自分が良かれと思うことが皆が望むこととは限りません。さらに、全ての人が納得するような正義などはなく、政治の世界などではなおさらです。

 他方、成熟した民主主義のあり様を考えれば、誰か一人の頑張りがその地域を支えているような状況は正しいものとはいえず、それはむしろ未熟で脆弱なあり様だといわざるをえません。やはり、そこに住む人たち一人一人の意識の中に、民主主義や地域の伝統を守り次世代に繋いでいこうとする意識が醸成されなければ、それまで当たり前であったことさえ瞬時に立ちいかなくなってしまいます。

 その為に、私がいつも述べている「人さえ良ければ~」という考え方が必要となります。一方で、そのような質の高い民主主義を培うためには、時には邪な考えと闘わなければなりません。例えば、これまで私は約20年間に渡り、質の高い住民意識の醸成を願いながら活動を続けてきました。それは、一方で闘いの連続でもありました。また、その多くの場面で一定の成果を挙げ続けて来た自負もあります。

 しかしながら、油断していると直ぐに綻びが出そうになるのが、民主主義の社会の宿命でもあります。いいかえれば、皆がそのような意識を持ち続け、不心得な専横を見逃さないようにチェックしていくことが極めて大切です。そのような視点から述べれば、或いは多くの史実を引き合いに出して語れば、闘わなければ(その覚悟がなければ)真の意味での民主主義は勝ち取れないのだということです。

 そしてその闘いは、志を備えた誰か一人に任せれば良いというものでは無いということです。地域における小さな集まりから徐々に、当たり前のことが普通に行われるように助け合い、住民一人一人が自らのこととして考え、闘うことも辞さない姿勢を持つ必要があります。しかしながら、声の大きな人が事なかれ主義の人達を牛耳る光景がなくならないのが現実です。全体的な、住民意識の向上が不可欠です。
 
 そのことは、他都市に赴き効果的な施策実施が成果を挙げている地域を見学したり、そこに携わっている人達のお話を聴くたびに痛感することです。そのようなところでは、やり方や流儀は違っても、根底に築かれた高い住民意識の醸成というものが感じられます。概して、そのようなところには良いリーダーが存在しますが、支える土壌もしっかりしています。大切なのは、その土壌といえる部分です。

 本当に、人さえ良ければ法律は簡単ですみます。例えば、胸に手を当て恥ずかしいことはしない~というようなもので足りる筈です。例え、それが夢のような話であっても、語り継ぐ必要はあるでしょう。



2021   2月 8日     歴史探偵団  




 今年は、節分が2月2日でした。124年ぶりのことだだそうです。実は、これも太陽と地球の動きに人間が併せて暮らしていることの証です。その太陽や月も、宇宙の中ではほんのちっぽけな存在です。

 さて、予想通り10都府県で緊急事態宣言が延長されました。延ばされた期限は3月7日ですが、予断を許さない状況は変わらないでしょう。ところで、ついこの前寒いお正月を迎えたばかりなのに、気が付けば早一月が過ぎてしまいました。年齢を重ねる程に、時の過ぎる速さは増すばかりです。実際は、若者でも老人でも流れる時間は同じはずですが、多くの人が私と同じように感じているのだと思います。

 私は、無常とか時の流れの儚さに関しては、幼少期から意識する方であったと思います。また、一学期の終業式の日に、夏至を一月過ぎた寂しさを感じるようなところもありました。情緒的には、そのような醒めた部分と、迸るような情熱や女々しさなどを併せ持った性格だと思います。一方で、怠惰な無精者という一面も持ち合わせており、何事も確固とした成果が得られないことを思い知らされています。

 しかし、多くの人が私と同じような思いを繰り返しながら、人類は次世代に知識や知恵を継承し歴史を紡いできたのだと思います。だからこそ、歴史を知り歴史から学ぶことは意義深いことだと思います。そのことを強く感じさせてくれた人であり、自らも「歴史探偵団」を名乗られていた半藤一利さんが先日亡くなられました。また一人きちんと叱ってくれる大人が亡くなり、個人的には巨星墜つという感じです。

 私にとって、半藤一利という人は司馬遼太郎と連想して浮かび上がる人物です。一方、テレビや雑誌などから多様な人となりを知りました。。例えば、司馬さんとの対談では「どうして日本は、こんな理屈に合わない戦争をするんだ~」と装甲を弾丸が貫通してしまうような戦車隊に従軍した経験を語る司馬さんに対し、半藤さんは多くの取材経験から平和の大切さを述べられ、頷いておられました。

 さらに、歴史小説家として先の戦争に突き進んでいく過程を検証した司馬さんが、どうしても書けなかったノモンハン事件を結果的に半藤さんが書き上げることになりました。おそらく、司馬さんの心の傷は大きすぎたのだと思います。半藤さんも「書きながら、何度も鉛筆を折りたくなった」と語られていました。おそらく、強い虚しさと怒りをこらえながら「ノモンハンの夏」を執筆されたのだと思います。
 
 「日本のいちばん長い日」をはじめ半藤さんの著作はたくさんありますが、私の中ではこのノモンハンの夏が印象に残る一冊です。そもそもは、司馬遼太郎が最後に取り組もうとして果たせなかったというところに惹かれ読みました。かつて陸軍作戦参謀があった三宅坂上という言葉が、今も私の胸に強く残っています。冷静に真実を見極めることなく、戦争に突き進んでいく過程を読むのは辛いものです。

 勉強のできた(勉強しかできない)頭でっかちの青年将校たちを中心にしたブレーキのきかない歴史の流れを、丹念な取材と記録の検証に基づき描かれた半藤さんは、どれほど口惜しい思いであったでしょうか。まさに、司馬さんが描けなかったという事実を納得させるに余りある作品であったと思います。後年、半藤さんは「教育で国は立つが、経済では立たない」と、教育の大切さを説いておられました。

 また、日本の教育はふらふらしていると指摘し、富国強兵で始まった明治のつけが大正・昭和へと持ち越され、解決しなければならないことを後回しにしてきたと語られていました。一方、自らの東京大空襲の悲惨な体験を語り、平和の大切さを強く説く人でもありました。私は、常々日本人の精神性を説き、人が持つべき志の大切さを標榜していますが、あの時代を生きた人の言葉には強い説得力を感じます。

 本当に、きちんと歴史を検証し次世代に活かしていく姿勢は大切だと思います。一方で、筋を通して主張すべきことは主張すべきです。例えば、尖閣に対する中国の姿勢を見るとそのことがよく解ります。彼の国が、本当に自分の領土と思っているなら堂々と占有し、あのような生ぬるいことはしない筈です。後ろめたいからこそ、徐々に(コソコソと)実績作りをしている訳です。まさに、悪い輩の常套手段です。

 少し話がそれましたが、言いたいことはそれていないつもりです。毅然として、言うべきことは言うが高い精神性に根差した寛容さも備えているのが、本来の日本人の精神性だと思います。単に、右だとか左だとかいうような浅薄な尺度ではなく、圧倒的な知識量と驚くほどの純情さを備えた先達がこの国にはたくさんおられたのだと思います。まさに、その一人が半藤一利という人であったのではないでしょうか。

 私が、半藤さんに関して興味を持ったもう一つの理由は、漱石の孫娘にあたる人を伴侶に迎えられたということがあります。また、そのことを人生最大の成果と述べられたということも聴きました。その時、嬉しいような、有難いような気持ちになりました。合掌。




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