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これまでのコラムが納めてあります。
 (根底に流れるものを、くみ取っていただけると思います)
                                   

               熊本市桜町バスセンタービル        熊本市電         つやま学びの鉄道館の転車台      作楽神社(迎春準備)

NO.47      

2022   3月 28日  普通に優しく




 今年も、何事もなかったかのように桜は咲きました。いつも、枕詞のように綴る「時の流れの速さ」ですが、本当に、人の営みなど儚いものだと思います。早くも、3月が終わろうとしています。

 それにしても、ロシアのウクライナ進攻(侵略)は収束の兆しが見えません。本当は、このような話題には触れたくありませんが、憤りと虚しさが混じった感情を置き去りにして、何かを語ろうという気になれないのが正直な気持ちです。本当に、この一瞬の間にも戦禍で命を落とす人がいるのではないかと思うと、ロシアの思惑とか戦況分析などをしたり顔で解説しているマスコミ報道が虚しく聞こえてしまいます。

 実際、ウクライナでは妻や子供などの家族を逃がし、自らは覚束ない手で武器を取り闘いに赴いている人がたくさんいる筈です。私達は、安全な場所に居てテレビや携帯の端末から悲惨な被害状況を眺めているだけです。かといって、できることは幾ばくかの募金に参加すること位でしょうか。また、本当に細やかですが、このような場でロシアの独裁者を糾弾し、一刻も早い収束を求めることしかできません。

 賢者は歴史に学ぶといいますが、何故、人間が無限に生きられないことが解らないのでしょうか。永遠に権力を掌握し続けることが不可能なことは、数多の歴史上の王や皇帝たちが証明していることです。しかしながら、一旦権力の座につくとそこから離れられなくなる(離れたくなる)ことも事実です。私が、これまでの活動を通して見聞きした事例の中でも、本当にたくさんのエピソードがあります。

 組織があり、そしてそこに役職があれば、多くの人がその役職に執着するのが常です。そのことは、そこから得られる利益や権益(本来、あってはならないものの筈ですが)の味を知るところから始まります。多くの人が、その甘味を味わうことに慣れてしまい、味わい続けたいと思いがちです。その甘味の度合いが強いほど、そこを目指す競争が激化するのが通例でもあります。

 また、金銭的にはそれ程メリットが無くても「会長」とか「理事長」とかいう名称が、人間の自尊心をくすぐることに違いはないようです。これは、会社や行政のポストでもそうですが、多くの人が頭を下げているのはその人が座っている職責に対してのことです。その人個人の人間性や、人徳に敬意を表して挨拶している訳ではありません。それでも人は、そのような呼称で呼ばれることを好みがちです。

 そこに、幾ばくかの金銭的な利得があれば、役職への執着心は一層高まる訳です。しかし、そこでよく考えなければならないのは、自治会や公的な組織においては、その金銭的なメリットの根源は公のお金であるということです。しかしながら、実際にはまぁまぁ~という事なかれ主義の中で、なし崩しに不明瞭なお金の流れが認められがちです。そしてそれは、徐々にエスカレートしてもいきがちです。

 私自身は、諸般の事情もあり、なるべく責任のある役職から遠ざかろうと考えていますが、時として見過ごせないような場面に遭遇してしまうこともあります。そのような時、この20年間頑張ってきたことの意味と虚しさを痛感します。真の民主主義とは、夫々の個人がしっかりとものを考え判断できなければ成り立ちません。だれかが、正義の刀を振りかざし横暴な搾取者を退治するようなことではありません。

 振り返れば、私の人生は40代半ばで自治会のトップを引き受けてから、闘いの連続でした。そして、やっと民主主義のような形態が出来てきたかなぁと思うようになりましたが、実態はそうでも無かったというのが正直な感想です。それでも私自身は、今やれることや成すべきことはやるつもりです。そのうえでいえば、民主主義とは与えられるものではなく、夫々が夫々の立場で考えて動き獲得するものです。

 大きな戦争の話から、田舎の組織の話になってしまいましたが、根底に流れるものは同じような気がします。私には、まぁいいか~の延長線上に、超大国の独裁者像が見えてしまいます。誰かが言ってくれるだろうと思っているうちに、いつの間にか何も言えない状況になる事例はいくらでもあります。少しでも、子どもや孫たちの時代のことを考えるのなら、言うべきことはきちんと言う必要があります。

 末尾になりますが、30年来の懸案であった高校時代の同級生の墓参りが実現しました。昨日の日曜日、部活の仲間4人でお参りし、その後思い出話を肴に楽しい精進落としをしました。本当に、私が常々標榜している天啓のような偶然から、独身のまま先立っていった同級生のお墓の場所を知ることができ、実現したことです。亡くなった当時、何故か誰も解らなかったことを思うと感慨もひとしおです。

 本来は、そのようにして会いたい人に会い、語りたいことを語って生きていたいと思いますが、現実は、中々そうもいきません。穏やかで、安らかな日々をこいねがうばかりです。



2022   3月 14日  節目の日に思うこと




 あまり関係ありませんが(既に、一月前のバレンタインデーが関係ないので)ホワイトデーです。この頃では、一年中何とかの日とか○○記念日というのがあります。

 とはいえ、その中において、3月11日という日は特別の日であると思います。しかしながら、去るものは日日に疎しという言葉の通り、年々人々の記憶が薄らいで行くように思います。丁度その日、私は大阪の化学術センタービルで行われた、所属する技術士の協会の勉強会に参加していました。地震の起きた時刻頃、隣に座っておられた先輩技術士の方が「今、揺れましたな」といわれたのを覚えています。

 それから少しして、当時の協会専務理事が急いで会場に入って来られ「皆さん、こんなことをしとる場合じゃありませんよ。東北で地震があり、大変なことになっています。すぐに、帰られた方が良いですよ」と告げられました。良く事情が呑み込めないまま、私は急いで新大阪駅に向かいました。着いたのは、午後3時半を回っていました。結果、午後4時新大阪発の新幹線に乗り、岡山に帰ることができました。

 これは、後から知ったのですが東海道新幹線経由で西に向かう列車で、新大阪に到着できたのはその列車が最後であったようです。直ぐに行動を起こした結果、たまたまその新幹線に乗ることができた訳です。津波による甚大な被害の状況などは、岡山に帰ってからメディアを通して知ることになりました。その後は、驚きと人間の無力さを痛感する時間が、流れ続ける日々であったと思います。

 ですから、今ここで改めて福島第二原発の爆発事故など、悲惨な被害の状況については触れませんが、3月11日という日を忘れてはならないことだけは確かです。しかし今、そうした感慨に浸る心の余裕が奪われているのは、ロシアによるウクライナ進攻という、起きてはいけない現実が起きているからに他なりません。今、進攻と書きましたが、今回の行為はそんな甘いものではなく間違いなく犯罪です。

 それは、戦争というようなものでもないと思います。大国が、武力を持って一方的に主権国家を侵略する行為です。ひとえに、一人の大統領の疑心暗鬼のような心の葛藤に基づく犯罪行為だと思います。実際、原子力施設が攻撃されるなど常軌を逸した行為が繰り返され、多くの一般市民の犠牲者が出続けています。おそらく、それに関わっているロシア兵達も、やりたくてやっている訳ではないと思います。

 もちろん、ロシア軍にも犠牲者は出ています。私達が、報道等で目にするだけでも莫大な被害(損失)が出ていると思います。このことは、当然ですが、普通に犯罪を犯せば損害賠償の対象になる筈です。何よりも、命の重さは大国の大統領も、逃げまどいながら命を落とした幼い子供も同じはずです。この、あまりにも理不尽で不毛な侵略行為を、一日も早く終わらせてもらいたいと願うばかりです。

 ところで、3月11日はコラムの日でもあるそうです。朝、車のエンジンをかけたら、ナビゲーションが教えてくれました。少し調べてみると、イギリスの新聞がこの日に初めてコラムを書き始めたことに由来しているようです。拙著HPも、小欄(コラム)を書くために続けているようなものなので、何となく関心が向きました。また、小欄のタイトルを「コラム欄」としているのは、単なる独りよがりの雑文にならない為です。

 まぁ、読む人によっては独りよがりの雑文にしか受け取れないかもしれませんが、書いている方は結構真面目な気持ちで、技術者として持つべき志やその原点にあるべき日本人の精神性について、少しでも感じられる人を拡げたいと願いながら書いています。といっても、長い年月を重ねておりますと、以前の内容と重複するような内容や、論旨がずれているようなこともあると思います。

 そのような点については、寛容な気持ちで「こいつは、こんなことが言いたいんだろうなぁ」と言葉の裏にある私の熱い想いを汲み取っていただければ幸いです。また、寛容といえば、私の好きなローマののカエサルの寛容さを表す「クレメンティア」という言葉があります。カエサルは、ガリアのような外敵も元老院や貴族内に残る内なる敵に対しても、繰り返し寛容に許したといわれています。

  しかしながら、当然ですがそこには基本的な大前提があります。それは、一度敵対したものであっても、その行動を悔い改めローマの法に従い行動するという前提のもとに、クレメンティアが発揮されるということです。そのような意味からいえば、クレメンティアという言葉は、高い倫理観と価値規範を備えた人に摘要されるべきものです。このことは、「人さえ良ければ」と思う私の気持ちにも通じるものです。

 とはいえ、往々にして目にするのは、他者には厳しい人達が発揮する、自らに対するクレメンティアという姿勢です。そもそも、そのような人達がクレメンティアを知る由もありませんが。




2022   2月 28日  いかようにも




 今日で2月が終わります。たくさんの感動と、様々な問題の片鱗を見せながら、北京オリンピックは終わりました。その間も、不穏な空気は漂っていましたが、やはりロシア軍はウクライナに侵攻しました。

 本当に、残念というか何というのか、私と同じようなやりきれない気持ちで、ニュース映像を見ている人がたくさんいるはずです。仮にも、独立した一つの国に対して有無を言わさず力ずくで攻撃し、こちらの条件を聴くための交渉であれば応じようという態度は、許されるものではないはずです。本当に、正義とか道理とかいう言葉が、無意味なもののように感じられてしまいます。

 世の中は、金と力がものをいうということは観念的には理解しているつもりですが、こうもあからさまに、大国が小国を蹂躙する光景を見せられては、不条理などという言葉では鎮められない心の痛みを感じます。そもそも、その大国のリーダーは、20年以上にわたり彼の国を牛耳っている訳です。そのようなことが可能になる政体が、けっして良いものとは思われないことは誰もが解っているはずです。

 しかし、彼は巧妙に手段を変え立ち位置を変えながら、生きている限り彼の国を掌握できるように政体そのものさえ作り変えてきました。それは、一言でいえばまことに巧妙であるとしか言えません。また、強権的な政権を辞した後は、後の政権下で前任者の罪が暴かれるというのが、そのような政体の宿命でもあります。だからこそ、何が何でもという姿勢で政権に居座り続けようとするのだと思います。

 そして、「そうだ、辞めなければ良いんだ~」という発想については、同様の政体のトップに就いている人間が真似をしたくなることも理解できることです。実際、憲法を改正してまで、やってはいけなかったはずの3期目を目指す、世界第二の超大国の指導者もいます。その人は、今回の軍事行為にも寛容な理解を示しています。一方、大国とは呼べなくても、既に親子3代で政権を世襲している国もあります。

  ところで、彼らに共通しているのは、一応共和制を掲げる社会主義国家であるということです。しかし、いずれの国の様子からも、より平等で公正な社会を目指すというような社会主義の基本的理念を感じられる人はいないでしょう。いずれにしても、一人の人間の欲望や保身のために、多くの名もなき人たちの命がいとも簡単に奪われてしまう様子を見ると、悲しくて虚しい気持ちが募ります。

 例えば、私達の国では人を3人も殺せば、たいていは死刑になるはずです。しかし、今回のロシアによるウクライナ進攻の犠牲者は既に200人ともいわれています。このことは、犯罪にはならないのでしょうか。戦争でなくても、独裁者による粛清や、ニュースにならない理不尽なことによる犠牲者はたくさんいる筈です。しかしながら、その政体が続く限り罪を問われ、罰を受けることはありません。

 また、今回のウクライナ進攻のような行為は、勧善懲悪というような視座から考えれば天罰が下っても不思議ではない振舞だと思います。他にも、独裁者による理不尽な人権侵害は枚挙の暇がないところですが、古来、天罰や天誅のようなことがタイムリーな形で発現した事例は、あまり見たことがありません。厭世的な表現ですが、憎まれっ子は世に憚り、悪い奴ほどよく笑いよく喋るものです。

 私は、時々横田滋さんの言葉を引用しますが、クリスチャンである奥様の早紀江さんに洗礼を勧められた時横さんは「本当に神がいるなら、このような酷いことはしないはずだ」といって、洗礼を受けることを拒んだという話を聴いたことがあります。本当に、そうだなぁと思う時があります。また、残念ながらそのように感じる機会は、年齢を重ねる程に増えたような気がしています。

 このことも、時々述べていますが、私自身は無神論者に極めて近い考え方です。ここで、そう言い切らない、或いは言い切れないところに、何か心の拠り所を求める気持ちがあるのかもしれません。その拠り所のようなものとして、私がこれまで生きてきた中で出会った、友人知己に関することがあります。このことに関していえば、どう考えても何か大きな力によって出会わせてくれたとしか思えないからです。

 それほど、人との出会いに関しては恵まれているなぁと思います。有難いことです。一方で、不条理な世界の状況や身の回りの身勝手な人の振舞を見て「天道は是か非か」という司馬遷の言葉を引いたこともあります。実際、今回のロシアによるウクライナ進攻のような理不尽な事例を見ると、どうしてもその言葉を思い出さずにいられません。是とするような、天の力の発現を心から祈ります。

 先日来、少しずつ時をずらしながらですが、会いたいと思っていた人や語り合いたいと思っていた人と話す機会をえました。そのことは、思っていた以上に私に力を与えてくれました。重ねて言いますが、有難いことだと思います。

 
 

2022   2月 14日  冬季オリンピック




 バレンタインデーです。既に、実生活ではあまり関係ない日となりました。それでも、その言葉を聴くと、何となく春が来るなぁという気分にはなります。

 
一方、寒さに関しては、まだまだ最中という感じです。特に、岡山県の北部では朝晩を中心に、寒いなぁという体感を覚えます。時期的にも、今年も中止になりましたが、本来は札幌雪祭りが開催される頃だったと思います。実際、現在4年に1度の冬のオリンピックが北京で開催されています。ここまで、多くの日本人選手の活躍がみられました。そして、今週は後半の日程に入りました。

 特筆すべきは、ジャンプの小林陵侑選手とスノーボードの平野歩夢選手の金メダル獲得だと思います。それは、単に金メダルを獲ったという意味だけではありません。オリンピックという舞台は、そこに出るだけで大きなプレッシャーがかかる場所だと思います。マスコミの報道姿勢などの問題もありますが、特に、その可能性の高い選手については、試合に臨む前から大きな負荷がかかる筈です。

 さらには、試合会場の条件や判定(ジャッジ)に関する問題などもあります。実際、平野選手の2本目の時には、私も目を疑いました。一方、他の競技でも言えることですが、特に、踏切で飛び出す瞬間が勝負を決めるようなジャンプ競技は、オリンピックのような一発勝負の舞台で結果を残すことは、非常に厳しい目標となります。そんな中、ノーマルヒルで文句なしの結果を出した小林選手は見事でした。

 また、惜しくも(と、考える人は多いかもしれませんが、私は凄いことだと思っています)銀メダルとなったラージヒルの2本目を跳んだ後見せた、満足感に充ちた穏やかな表情とガッツポーズはとても爽やかでした。そこには、選手として持つべき、心の有り様が垣間見えました。一方で、今回も期待されながらメダルを逃した人や、メダルは獲得しても色が違ったという人から無念な思いが汲み取れました。

 一生懸命に努力しても、結果が得られないこともあります。そのような人が流す涙は、美しいものです。もう少し言えば、周りや世間の声は気にしなくても良いのだと思います。それは、ともすれば人に良く思われたいと思い、過度に期待に応えたがる質の私自身を戒める言葉でもあります。もっと、自分がやりたいことを見つめ、その為に何ができるのかということに集中すべきだと、改めて思います。

 ところで、そのような選手のモチベーションや試合に臨む姿勢に関係なく、選手を傷つける事象が起きたらどうでしょうか。今回の冬のオリンピックでは、運営側における対応や判定に関してそのような疑念が湧く場面がありました。先ほど述べた、平野選手の例だけでなく、ジャンプの服装規定違反やスケートのショートトラックにおける失格判定、スノーボード竹内智香選手の失格判定などもそうです。

 何か、特定の国への配慮や、逆に特定の国に対する悪意のようなものを感じてしまいます。このことは、現在の世界情勢や、オリンピックが始まる前から続くどこか気持ちの悪い演出と重なり、違和感となり私の心に澱んでいます。一方、ドーピングという問題もあります。スポーツは、フェアな環境や条件で行われなければなりません。しかしながら、それに対するけじめもよく解らない気がします。

 出て良いのか悪いのかは、単にフィギアの一選手だけでなく、その母体である国の組織の問題でもある筈です。一方で、ROCという名を使ってでもロシア選手が参加しなければ、盛り上がりは大きく違うことも事実です(また、クリーンな選手もたくさんいる筈です)。さらにいえば、どこの国のテレビ放映時間に合わせているのか解りませんが、花形種目における競技時間の不自然さなどもあります。

 昔の話ですが、1回目の東京オリンピックの開会日は、当時最も好天に恵まれる確率が高かった10月10日でした。スポーツシーズンでもありました。2回目の今年とは大違いです。政治や経済情勢が、スポーツに強く影響する今の状況が良いとは、誰もが考えていないはずです。子供の頃、日が暮れるまで田圃や空き地でボールを追ったような、素直な気持ちでスポーツに取り組む人を応援したい気持ちです。

 余談ですが、私は瞬時に攻守が入れ替わる団体競技では、僅か3秒で得点可能なアイスホッケーが一番面白いのではないかと考えています。ラグビーやフットボールのような熱いぶつかり合いも見られます。もう一つ理由を挙げると、札幌オリンピックで初めて見た時の感動があります。特に、ソビエト対チェコスロバキア戦が印象に残っています。ネドマンスキー、ハルラモフというような選手名も思い出します。

 既に、ソ連もチェコスロバキアも今はありません。ここにも、人間が行う政治が投影されています。中学校の教室で、仲間達と箒を持って没頭した、疑似アイスホッケーの愉しさが今も体感として残ります。いつの世も、少年たちが自由に想像を羽ばたかせられる環境であって欲しいと願うばかりです。




2022   2月 1日  人として




 2月になりました。少し更新が滞っていたのは、体調を崩して入院していた為です。現在は、復調しましたが、今後は体調と相談しながら取り組んでいきたいと考えています。

 振り返れば、2002年11月にスタートした小欄ですから、実質的には昨年11月で20年ということになります。小欄を始めるきっかけは、技術士になる過程における自らの体験から、受験指導やサポート体制などが必要であると考えたことからです。初めの頃は、どのような人も受け入れ対応していましたが、この世界で師匠と敬愛する方から「顔も見ずにやるのか」という指摘をうけ、考え方を修正しました。

 その頃、技術士はエンジニアとしてのパスポートであり、技術士になってから志は備えれば良いという考え方の人達が増えて行くことに違和感を覚えたこともありました。私は、志というものは後から醸成されるものではないと考えていましたので、まず、世の中の役に立つものづくり~という技術者として持つべき精神性を問い、その志を確かめてから受験指導をするようになりました。

 そして、その技術者として持つべき志考える中で、やはりそこには、本来の日本人が持つべき精神性が根拠となるべきだと考えるようになりました。以来、小欄を通じて訴え続けていることの中心に、そのような私の思いがあります。めまぐるしく社会情勢や、不安定になり続ける地球環境、それらに起因する災害などを含めた事件や事象の話題を取り上げながら、人として持つべき精神性を問い続けてきました。

 一方で、文学、歴史、スポーツ等の話題やトピックス等を引きながら、そのようなお話をすることもありました。その中には、社会的にはあまり目立たないエピソードであっても、私自身が強く心を動かされたことについて言及したこともあります。さらには、個人的な交流や友人知己に纏わるエピソードから、人との関わりの大切さを語ったこともあります。また、時にはボヤキや批判も述べてきました。

 もちろん、夫々が私自身の主観に基づき、思うところを述べて来たことに変わりはありません。しかしながら、日本人の精神性というものについていえば、僅かこの20年の間でさえ少なからず失われて来たと言わざるを得ないと思います。例えば、職人がやっていけない現状なども語りましたが、今日本当の意味で職人と呼べる人がどれほど生き残っているといえるでしょうか。

 そのようなことは、自治会や地域のコミュニュティでも同様です。口先だけで能書きを語り、都合よくそれらの組織を利用する人は昔も今もいますが、生き残り続けるのはそのような邪(よこしま)な考えの人達ばかりのように思います。昔から、胸に手を当てて考え恥ずかしいと思うことはやらない~という、本来の日本人が備えていた筈の精神性は、薄れていくばかりのように思います。

 他方、この頃私は色々な場面で「人さえ良ければ~」と口にします。本当に、人間さえ良ければ物事は上手くいくものです。そして、この人さえ良ければの「良ければ」についていえば、例えばそれは聖人君子とか清廉潔白などというような、所謂立派な人間像を指している訳ではありません。昔から、この国において培われて来た、当たり前のことを当たり前に出来る人だと私は考えています。

 
そのように考えると、やはり教育というものがいかに大切かということが解ります。このことも、小欄をはじめて以来常に訴え続けてきたことであります。しかしながら、こちらの方もこの20年間を通じて良くなっているとは思えないのが実感です。その中でも、個人的には情熱のある先生や見識の高い指導者の方々と出会い、僅かながらでも地域やこのまちの為に寄与できた自負はあります。

 実際に、地域やこのまちの中における、幾つかの良い方向の萌芽を感じられるエピソードもあります。また、これは本当に有難いことだと考えていますが、私自身は多くの所謂「良い人」達との出会いに恵まれてここまで来ました。資産や金銭的な財産はありませんが、そのことが私の一番の財産であると考えています。言い換えれば、今日の私を支えている自己肯定感の源でもあります。

 一方で、類は友を呼ぶという言葉があるように、基本的な価値観が共通していないと継続した人間関係は構築できません。そのように考える時、手前味噌ですが私にも「良い人」達と関われる触手(インターフェイス)があるのだと思います。それは、母の実家で過ごした夏休みや、六年生の夏初めて見た大人の人が流す涙から、一つ一つ私の心に刻み込みながら育まれたものだと思います。

 上手くは言えませんが、人としての生きた証のように思います。これからも、そのような思いを大切にしながら、人として生きていきたいと考えています。



2022   1月 3日 年初雑感




 あけまして、おめでとうございます。昨年は、本当に多くの方々にお世話になりました。本年も、変わらぬご厚情をいただきますよう、よろしくお願いいたします。

 さて、今年の始まりも、コロナ禍を念頭に置いた挨拶から始まりました。それは、日付が変わると同時に出かけた初詣の場面で、或いは、2日に作楽神社で行われた新年祭で顔を合わせた人達と、お互いに目と目で頷き合うような形のやり取りでもありました。それでも、そのようないつものシーンの中にも、変わらない暖かいものを感じ取ることができました。有難いなぁと思う一時でした。

 一方で、コロナ禍は私に少し時間的な余裕を与えてくれています。公式行事やセレモニーが時節柄中止や見送りとなる中で、赴く場所や機会が減ったことがその理由です。結果的に、いつもよりのんびりしたお正月を過ごすことができました。といっても、主にテレビのリモコンを片手にゴロゴロしている姿が、いつもの年より長いというだけのことです。今年も、テレビ観戦により駅伝やラグビーなどを見ました。

 まず、元日のニューイヤー駅伝ではホンダが初優勝しました。BSのドキュメンタリー番組で、F1からの撤退とそこに華を添えていくホンダエンジニアのスピリットを観ていたので、勝手な感情移入も膨らみました。そして、2日・3日の箱根駅伝では青学の強さが際立ちました。特に、復路の強さは盤石という感じでした。個人的には、中央大学のシード権獲得に、良かったなぁという気がしています。

 何故か私は、中央大学贔屓です。白地に赤のCというユニフォームのイメージが、広島カープと同じであるというところに、その理由の大部分があるかもしれません。とはいえ、その意匠は中央大学の方が歴史が古いのですが。いずれにしても、まぁ、何となく格好良いと感じるわけです。まことに、ものの好き嫌いという視点では、個人の嗜好というものにあまり明確な根拠や理由は無いように思います。

 他方、ラグビー大学選手権の準決勝2試合は、どちらも内容のある良い試合でした。トータルして、ミスや組織的連携に緩みがあった方が、負けるという内容ではなかったでしょうか。試合内容の前に、最近のルール変更の成果や意義も感じています。流れを重視するのか、スローフォワードのチェックなど多少?と思う点はありますが、日本のラグビーのクオリティは確実に上がっていると思います。

 もう少しだけ言えば、何故か選手権になると力を発揮する明治と、かつて9連覇した帝京大学の底力を感じました。一方で、関西の雄京産大の惜敗は本当に残念でした。私は、どちらかというと早稲田より明治で、東京中心の現状にも不満があり、平尾の同支社のような関西勢の活躍を期待する気持ちもあります。平尾誠二といえば、大きな視野を持ち、外国人選手の受け入れにも取り組んでいたはずです。

 そのような、大きな視野に立って実力の向上を図る考え方は、どの分野であっても必要なことではないでしょうか。実際、駅伝でも暮の高校駅伝から大学・実業団まで、留学生や外国籍の選手の活躍は枚挙の暇がありません。逆に、大谷選手のように海外に溶け込み、既成概念を打ち破る活躍をしている日本人選手もいます。希少な一例ではあっても、新たな人間の可能性を期待せざるを得ません。

 また、大谷選手をみていると、本当に野球が好きなんだなぁと思います。改めて、好きなことを思いっきりやれることの素晴らしさを感じます。振り返ってみれば、子供の頃にはなりたいものや、やりたいことが一杯あったような気がします。例えば、私のような多感で頭でっかちの少年には、そうした空想にでも逃げ込まなければ生きていかれない日常がありました。そうでなくても、夢を描くことは大切なことです。

 当然ですが、大人になるとやらなければならないことに追われる生活が続きます。せめて、これから育つ子供達には、たくさん夢を見させてあげたいと願います。またその気持ちは、自身の可能性が減少することに反比例して大きくなってもいきます。とにかく、子ども達には利害関係など考えず、仲間と濃い時間を過ごして欲しいという思います。またそれは、心の柔らかい時期にしかできないことです。


 そして、大人になってここぞという時に役立つような判断力や直感を支える精神は、そのような心の柔らかい時期に体験した経験や思い出によって培われるものでもあります。そんなことを考え、改めて少しでも未来を担う人達の役に立ちたいなぁ、と、いう思いを強くした正月でした。それは、感染症の影響による副産物ともいえる、年末年始のゆっくりした時の流れの中で感じたことでもありました。

 一年の計という程のことではありませんが、改めて自らの生きるべき方向性を確認しました。今年も、自分の中にある感性の物差しを大事にしながら、確実に取り組んでくつもりです。志をご理解いただける皆さま、今年もよろしくお願いいたします。




2021   12月 27日 新たな日常に思う




 今年も、あと僅かです。オリンピックをはじめ、色々なことがありましたね。しかし、まだコロナ禍は続いています。「新たな日常」は定着しつつありますが、味気なさを感じているのは私だけではないでしょう。

 考えてみると、この感染症による大きな社会の変革は、後世の歴史に残るようなことだと思います。この感染症禍の中で、新たな日常というのか新しい生活様式というのか解りませんが、コロナ禍以降の私達の行動形態は一変しました。それは、我々人類が最も好むところの、直接的なコミュニケーションの取り方からいえば、反対方向への生活様式の変化であるといえるでしょう。

 それでも、この頃では随分それに馴染んで来た人もいると思います。また、そもそも密接した他者との関わりに疑問を持っていた人にとっては、心地よい距離感なのかもしれません。宴会や集会をはじめ、飲み会などについても、あり方やその意義について再考させられるきっかけにもなりました。また、ズームなど、リモートによる勉強会や研修会も随分定着してきた感もあります。

 このことに対する受け止め方は、人により異なることは良く理解しているつもりです。それでも、私としては何となく寂しく感じられる部分もあります。その第一は、市政報告会などの集まりが中々行えず、自らの活動内容を直接聴いていただく機会が作れないことです。その次は、冠婚葬祭に関することです。特に、葬儀に関しては所謂「家族葬」の様な形態が増え、大切な人との別れも簡略化が進んでいます。

 思えば、恩師であり初代の後援会長もしていただいた先生の時も、現在より厳しい状況にありました。本来、縁の人が多く、お世話になった人も多い先生の葬儀には、大勢の人が集まる筈でした。また、人間同士の触れ合いを大切にされ、賑やかなことが好きであった先生は、それを望んでもおられたのだと思います。私も、生前から弔辞を読ませていただく約束をしておりましたが、叶いませんでした。

 何というのか、まるで犯罪者のように(多少、表現が大袈裟かもしれませんが)お宅にお忍びで伺い、お別れの手を合わさせていただいただけで、ご家族だけで営まれた葬儀には出席できませんでした。とても、残念な思いでした。そして、その後も幾人かの大切な人や、関りのある人とのお別れがありましたが、簡略化が定着していく葬儀のあり方による「欲求不満」のような気持ちは続いています。

 現在は、第5波がようやく収まり、嵐の前の静けさという状態なのかもしれません。新たな、オミクロン株の感染力は、欧米では大きな脅威となっているようですし、我が国でも市中感染者が彼方此方で判明するなど、予断をゆるさない状況だという報道も目立ちます。ますます、他者との距離を取る生活は必要とされ、スキンシップを伴うコミュニケーションは出来ない状況が続くのだと思います。

 そもそも、膝を打ち肩を叩き合うような宴会のあり方に疑念を持つ人は、若い人を中心に増え続けていたと思います。例えば対人関係にしても、まず一杯飲んでみなければ解らない~というような、古い考え方をする、私のような人間の方が少なくなっているのも事実です。そして、そのような風潮が拡がる社会において、感染症の影響による生活様式の変化が人々の感性も変えようとしています。

 例えば、それは葬儀などに留まらず、地域や住民自治活動などにも大きな影響を及ぼしています。これまで、当たり前のように行われて来たそれらの活動は、感染防止の名のもとに極めて簡略化されています。それどころか、多くの行事やイベントが中止されることが多くなりました。そのことは、実はとても危険なことだと思います。行政が主催するようなものは、この嵐が過ぎれば直ぐに復活できるでしょう。

 しかしながら、長年地域住民の手により営まれてきたような取り組みは、一度途絶えてしまえばそれでお終いになってしまいます。お祭りやイベントに限らず、どんな行事であっても実際にやってみなければ、解らないことがたくさんあります。一つ一つの手順は、実行を通して受け継がれるものだからです。これは、儀礼的に携わっている人や仕方がないからやっている人には、そもそも理解できないことです。

 一方で、私は常々述べ続けていますが、そんなことも人さえ良ければ継承していける筈だと考えています。どんな地域にも、お祀りするお宮などがあると思います。そこでは、年越し行事があり、人知れず誰かが汗を流している筈です。そのような営みは、現在進みつつある新たな日常や生活様式の実践では、維持していけないものではないでしょうか。また、「真に良い人」を育てるための地域活動も同様です。

 人は、心を持って生きており、その、人としての心の有り様を考え育んでいく為の有効な手段は、同じような心を持った人たちによる関わり合いの中から生まれてくるものです。失いたくないものです。




2021   12月 13日 友ありて我あり




 12月です。既に、幾つかの忘年会のような席につきました。それでも、どこか以前のようには、盛り上がれませんね。とはいえ、心通い合う仲間とのそれは、格別なひと時ではあります。

 昨日は、私も理事をしている地元こども園の落成式でした。老朽化していた園舎を、ようやく建て替えることができました。私達のこども園は、アットホームでいつも優しい風が吹いているようなこども園です。一方で、お金のないこども園ですから、資金計画をはじめ困難な課題を色々乗り越えながらの、園舎改築でした。本当に、多くの方々にお世話になりました。心より、お礼を申し上げたいと思います。

 そもそもは、昭和49年に地域の子ども達のために、保育園として創立されたこども園です。したがって、園舎も長い年月を経て老朽化が進んでおりました。大小の度重なる修繕により、どうにかその役割を果たしてきたというのが正直なところです。それでも、決して充分とはいえない環境下、園長をはじめとする職員の皆さんの尽力で、園内に優しい風が流れるこども園が築かれたのだと思います。

 これからも、その優しい風が流れ続けるように、関係者一同が力を合わせて取り組んでいきたいと考えています。また、そのことは私が常々標榜している、人さえ良ければ物事は上手くいくという考え方にもつながることです。まさに、何事を成すにも人づくりが大切であるということです。そして、今では私の信念のようなものになっています。それは、約20年にわたる自治会活動から得た確信でもあります。

 さて、この12月議会における一般質問が先週終わりました。そこでも私は、やはり地域と学校が一体となり人づくりをしていくことが大切であるという視点から、現在本市で進められているコミュニュティスクールに関する質問をしました。また、そのような取り組みの推進は、それに携わることによる地域住民の意識向上にも結びつくものだと思います。今回は、特に発足時の留意点に関する質疑を行いました。

 いずれにしても、この国の将来を担うべき人達のために、今を生きる者たちが成すべきことを懸命に探る取り組みが、私たち大人に求められていることに違いはありません。詳細については、ユーチューブ等でご覧いただけると思いますので、議会の様子などはご確認いただければと思います。しかしながら、品位やあるべき姿という視点からは、如何なものか~という場面に遭遇されるかもしれません。

 そのようなことにも、議会改革の一環として、取り組んでいきたいと考えています。もちろん、自身への反省も含めてのことですが、中々一筋縄ではいかない世界でもあります。とはいえ、在職期間が増えていく中で、考え方や姿勢が共有できる仲間と連携できる人達は増えていますので、少しでも良い方向に進むように取り組んでいくつもりです。まぁ、「良い方向」というのも人それぞれではありますが。

 ところで、本当に人間というものは一人では生きていけないものです。やはり、誰もが理解し合える人を探しながら生きているといえるでしょう。そして、そのような動機に基づき、年齢と共に友人知己が増えていくのだと思います。私も、そうしてできた多くの人とのつながりに支えられ、今の自分があるのだと考えるようになりました。ありきたりな表現ですが、年齢を重ねる程その想いは深まっています。

 そのような、財産ともいえる人とのつながりの中で珠玉といえるのが、同級生を含めた友人と呼べる人達との関係に他なりません。当たり前のことですが、そもそも同級生というものは同じ年度(4月2日~翌年の4月1日)に、同じ地域に生まれたというだけの関係です。ところが、どうしたことか還暦を過ぎたこの頃では「得も言われず愛おしく、かけがえのないような」存在にまでなっています。

 私の場合は、特に多様な場面で色々な同級生に迷惑をかけ(語りつくせないエピソードがあります)、お世話になりながらここまでやってきましたので、そうした思いが特に強いのかもしれません。また、その想いは自戒の念も含め、深まり続けています。もちろん、あの時の~というような前置詞を置いて語れば、けっして良い思い出としては思い出していただけない人も、たくさんいることでしょう。

 それでも、開き直りではありませんが、「過去は変えられない。変えられるのは未来だけだ」という作陽高校の野村先生の言葉を、強引に引用させていただきたいと思います。振り返れば、顔が赤くなるようなことばかりですが、少しでも子どもや孫たちの世代のために役に立って、生涯を終えたいものだとは考えています。それは、報われるとか報われないとかではなく、ただ当たり前のこととして。

 最近、まったくタイプの違う友人(やんちゃと真面目)と、夫々に飲む機会がありました。そこで、図らずもいわれた「こんな良い人になるとは~」という同じ言葉に、苦笑いしながら頭をかきました。そのうえで、ただただ「有難いなぁ」と感謝するばかりです。



2021   11月 29日  時代の変化と人の有り様 


 


 11月が終わります。小欄は、2週間に1回のペースで更新しておりますから、今年も残すところ2~3回(締めを含め)になりました。また、11月のように、1月に3回というのは珍しい事例ではあります。

 さて、熱戦が続いたプロ野球の日本シリーズは、ヤクルトの4勝2敗で終わりました。多くの人が感じていることだと思いますが、今年の日本シリーズは内容の濃い充実した闘いでありました。両チームとも、セ・パ両リーグの覇者にふさわしい技術と団結力を備えていました。さらに、高津・中嶋両監督の統率力も、素晴らしいものがありました。本当に、どの試合も最後まで予断を許さない面白い内容でした。
 
 また、見ていて面白いだけでなく、良い試合を見せることが観客動員に繋がるんだなぁ、という印象も持ちました。まことに、現在のプロ野球の平準化(表現が適切かどうかわかりませんが)の根拠が、垣間見えるような気がしました。かつての、テレビ局をバックに持つ球団の一人勝ちであった、私の少年時代とは隔世の感があります。とはいえ、時代背景や報道の有り様という捉え方はあります。

 いずれにしても、野球に関する私の一番のヒーローはO・Nであることに違いはありません。中学生に上がる頃、地元の球場で初めて見た巨人対阪急のオープン戦の記憶が今でも鮮明に残っています。名将西本監督率いる、パリーグの覇者阪急ブレーブスのそうそうたるメンバーの前で、次元を超えたバッティング練習を見せる王・長嶋の姿は、相手選手の戦意を喪失させるようなものでした。

 それは、巨人が九連覇を達成する過程の終盤の頃でした。因みに、私は、長嶋引退とともに広島カープに変節してしまいましたが、初優勝を見た高校生の頃からカープ愛は貫いています。そのようなところにも、得られる情報量と個人の価値観の多様化が影響しているような気がします。そもそも、私の場合「野球といえば巨人」という、父親の影響を強く受けた幼少年期と巨人の黄金期が重なっていました。

 一方で、生まれが甲子園球場や大阪球場(今はありませんが)であったとしたら、おそらく阪神タイガースや南海ホークスの、筋金入りのファンになっていたような気がします。まさに、置かれた環境が個人の思考や人格形成に、大きく影響するのだと思います。他方、今日ではグローバリズムが進んだ社会状況下、多種多様な情報媒体から大量の情報がもたらされるようになり、判断材料は増えました。

 しかしながら、良く注意してみると、何か得体の知れない力が情報をコントロールしようとしているような、思惑を感じることがあります。実際、社会情勢や政治問題だけではなく、権力や経済力を握る者が公正であるべき報道に影響を及ぼすようなことは、多くの人が感じていることだと思います。例えば、中国のテニス選手に関するスキャンダルなどは、氷山の一角にも及ばないような事例の筈です。

 私は、そうした社会の表層を賑わしている溢れる情報に惑わせられながら、本来見なければいけないものから目を背け、考えなければならないことを怠っているのが、この国の現状のような気がしてなりません。一方で、国際指標における我が国のデジタル化順位は2020年において27位であり(R3総務省-情報通信白書)、2009年時点で既に14位であったものが下がり続けているのが実態です。

 そのような、国際社会における「立ち遅れ」については、他の様々な分野で感じることでもあります。昔は~などとぼやくのは、年老いた人間のすることかもしれませんが、かつての「技術立国日本」を支えていた学力水準の高さなどは、自分自身を棚に上げても誇らしさを感じていたものでした。しかしながら、それがいつの間にか現在のような状況に、衰退してしまったことがまことに残念です。

 こと、ここにいたる背景を考えると、様々な理由が思い浮かびます。その一つとして、急速なグローバル化などめまぐるしく変化する国際情勢の中で、幾度か襲われた経済的な危機への対応の過程で、目先の苦しさ紛れに長い間に培われた技術を、安易に切り売りして来た経緯があります。そうして失われたものの中には、情報や技術だけではなくそれを生み出す技術者の矜持が含まれていたはずです。

 そして、その矜持を育むものが、本来の日本人の精神性と呼ぶべきものです。私は、今日の国際社会における我が国の競争力の低下の大きな要因として、脆弱化が進み続ける人間力の弱体化があると考えています。もちろん、技術者に限らず、合理的に事象の内容を分析し、取り組むべき課題に的確に対処していくことが重要です。そして、その前に、取り組む人の高い人間力の醸成が不可欠です。

 徒然なるままにキーボードを叩けば、いつの間にか愚痴やぼやきになってしまいますが、警鐘を鳴らす為の鎚(鎚)の柄だけは、しっかりと握り続けていたいと思っています。 




2021   11月 15日 少し、あるいてみようか 




 立冬を過ぎました。早くも~という感じで、忘年会の打診が来て驚きました。秋の深まりを愉しむ間もなく、日に日に冷え込む空気に戸惑いながら、目の前のことに追われているという感じです。

 驚くといえば、何故こんなに急に新規感染者が減少したのか、ということに驚きます。数多いる専門家ですら、明確に説明される人を見かけませんが、長引くコロナ禍の中での営みは、私達の生活様式そのものを変えてしまおうとしています。事実、変わってしまったものもあります。その一番大きなものは、冠婚葬祭をはじめとする行事の形態の変化だと思います。特に、葬儀は圧倒的に簡略化されました。

 また、懇親会や夜の付き合いなどもめっきり減りました。実際、緊急事態宣言が解除されても、以前のようにはめを外す人はあまり見かけません。多くの人が、自主的な自粛体制の中で様子を窺っているという感じです。まずは、感染防止に対する意識は定着したとのだと思います。一方で、夜の交際費などを使わなくても、効果的な営業活動ができることに多くの人が気付いたということもあるでしょう。

 さらにいえば、このような風潮はコロナ禍が収束しても、以前のようには戻らないと思います。これまで、当然のように行われて来た儀礼的な付き合いや慣習の元に、浪費されてきたお金に対する価値観はコロナ禍により大きく変わりました。一方で、親しい人と酒を酌み交わす文化は、人間の持つ普遍的な文化だと思います。少なくとも「一杯飲んでみにゃぁ解らん」というのが、私の周囲の人達の価値観です。

 ところで、ようやく時を得て、最近幾つかの楽しい一時を過ごすことができました。才能と志を備えた人と酌み交わす酒は、さらなる豊かな人間関係を構築してくれます。まさに、それこそ一杯飲んでみにゃぁ解らんことでした。他方、業務にかこつけてですが、少し遠い所へ出かける機会も得ました。旅先のまちを歩き、そのまちの情緒に触れる時、誰もが自分の中の感性が活性化していくことを感じるでしょう。

 例えば、商店街を歩きまわり、一休みした趣のある喫茶店でのやりとりから、美味い夕食にありつける情報をいただくこともあります。やはり、歩けなければいけないなぁ~と、思うことしきりです。一方で、私の場合、どのような形であれ、例え短いものであっても旅に出られることはとても有難いことです。公共交通機関の座席に座り、流れる景色の中で文庫本を読み、音楽を聴くだけでも日常を忘れます。

 そのようにして、少しリフレッシュした頭で歩けることの有難さを考えながら、週末の楽しみの一つである五木先生の週刊誌のコラムを読みました。周囲の人の優しさに慣れてはいけない、という偏屈な生き方をテーマにしたお話なのですが、私の目を強く引いたのは「自分の足で歩く」と宣言されている、ご高齢の大作家の発言でした。まことに、意気軒昂という感じが伝わり、頼もしく思いました。

 というのも、五木さんは確か昭和7年生まれなので、今年89歳だと思うからです。何故、私が五木さんの年齢を覚えているかというと、技術士としての師匠である恩師から聴いたことがあるからです。このことは、以前にも述べたかもしれませんが、私が師匠を恩師として敬愛するきっかけとなったのは、私の母と恩師の本籍地が同じであったことに起因しています。まず、そのことに大きなご縁を感じています。

 恩師の先生は、終戦直後15歳の時に10歳の妹と5歳の弟を連れて、件の本籍地に引き上げて来られました。先生は、終戦時にはピョンヤンの学校に通われておられ、「2級下に五木がいた」という話をされていました。恩師が昭和5年生まれなので、私の頭の中に五木さんの年齢が印象付けられていたのだと思います。因みに、私より二回り年上の裕次郎が、年配者の年齢をイメージする時の私の物差しです。

 少し話がそれましたが、私は、五木寛之氏の著書からも、青春の門や親鸞、大河の一滴など色々と影響を受けました。特に、我が家の宗旨が浄土真宗だということもあり、親鸞に関する著述は強く印象に残っています。詳細は省きますが、五木さんは弟さんを亡くされたことなどもあって、救われなかった心を親鸞の教えにより救われ、休筆し仏教史を学び直すほど傾倒されたという話を聴いたことがあります。

 いずれにせよ、大作家に纏わるお話は、少ないスペースでは語れるものではありません。それよりも私が言いたかったのは、常々私が「天啓」を標榜している、何か不思議な「縁」のような繋がりに関する思いです。長く生きていると、何も考えず無意識に出会っていた人と、あとから関係性を持って繋がることがあるものです。また、よくよく考えてみると、そこには大きな意味合いがあることが解ります。

 まだまだ、コロナ禍の出口は見えません。それでも、鬼の居ぬ間に洗濯ではありませんが、少し違う空気を吸うために、なるべくどこかに出かけて出来るだけ歩いてみたいと思います。

 

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