トップページ

コラムリスト            前のページ           次のページ


これまでのコラムが納めてあります。
できれば、通してお読みください。(根底に流れるものを、くみ取っていただけると思います)
                    

                         

                  津山の桜       遷喬小学校(ウクライナカラ―ライトアップ)     ドイツの森         明治神宮

NO.48        

2022 8月15日 お盆の頃に思うこと




 旧盆です。今年も縁の人達に纏わる場所を訪ねて、心の会話をしています。それが私の習慣です。そして私は、本来お盆などの行事は、生きている人のためにあるのだと考えています。

 まずは、少し早めに訪れた母方の祖母が眠るお寺の話です。そのお寺は、岡山県西部の広島県と県境を接する町にあります。そこから、しばらく急坂を登った台地に母の生家がありました。今訪れてみると意外に民家も存在していますし、奥深い場所というイメージはありません。子どもの頃抱いていた「お山の家」の印象とは違うものです。それだけ、幼少期の私の世界と視野が狭かったということでしょう。

 とはいえ、小学校の間の夏休みはほぼそこで過ごしましたので、私の幼少期の心象風景として心に強く残っています。何年か前、数十年前に人手に渡った母の生家を探しに行きましたが、既にその場所に建物は無く、畑や井戸の跡が微かに残っているだけでした。その時、本当に天啓のように偶然通りかかった現在の所有者(私よりやや若い二代目)から、昔のことや現在の様子を教えてもらいました。

 購入後、母の実家は彼が高校生になるくらいまでは建っていたが、周辺の畑の整備などと併せて取り壊されたこと、二階に残されていた漫画雑誌のことなどについて、朧げな記憶をたどりながら色々話してくれました。また母の生家から眺めていた藁屋根の家も、既に空家となりぽつんと佇んでいました。大きな時の流れを感じた一時でしたが、今の私の感性の下地がそこで養われたことに違いはありません。

 菩提寺は、カルスト台地にあるその場所から、急坂を降りた県道沿いにあります。今年も、そのお寺にお参りできたことを祖母に感謝しながらの道のりでした。また、心安らぐかけがえのない一時でもありました。それから、今年は(今年もかもしれませんが)予定外という感じで急逝された人のお悔やみに赴くことになりました。もう30年来の付き合いになる、私の隠れ家的な居酒屋のマスターの訃報でした。

 このような、公の場では語れないことを含めて、お世話になった人です。熱い男気と、冷静な判断力を備えた人でもありました。商売や付き合いもある中、私の思想信条を良く理解して貰い、暖かい支援もいただいた人です。何よりも、この人の作る料理はいつも一工夫あり、時々のこちらの気持ちに寄り添った味を提供してくれました。夫婦二人三脚で、本当にに居心地の良いお店でした。ご冥福を祈ります。

 ところで、私には心に顔を思い浮かべる故人はたくさんいます(お盆でなくても)。その中には、忘れることのできない恩師ご夫婦の姿があります。特に今年は、奥様の初盆となってしまい、お世話になった思い出が一際蘇ってきます。いつまでも、文学少女のような雰囲気を宿しておられたことを偲び、そのような趣のお花をお供えしてきました。今は、ご夫婦で、仲良く見守っていただいていることと思います。

 何というのか、年齢的なこともありますが、この頃の小欄はどうしても追悼記が多くなってしまいます。さりとて、暮らし向きはあまり変わりません。なるべく読みたいものを読み、観たいものを見て、会いたい人に会うように心がけています。それが、私のライフスタイルです。そのような流れで、最近では渋野日奈子選手や大谷翔平選手の活躍の様子を、BSや有料放送の番組で眠気を堪えながら見ています。

 かといって、LPGAなどゴルフに特に注目しているとか、エンジェルスの勝利を強く願う気持ちがある訳ではありません。顰蹙を買うかもしれませんが、渋野が活躍し、大谷がホームランを打ち勝ち投手になればとても嬉しい気持ちになるだけです。それは、私の勝手な我儘だと思います。一方で、この頃テレビがつまらないなぁという気持ちは深まるばかりです。実際、地上波を見る機会は随分減りました。

 特に、ドラマは面白いものが減ったと思います。朝ドラをはじめ、安直で薄っぺらい作りのものが多いような気がします。したがって、どうしても観る機会は減ります。そこには、辛抱する時期が長いと観る側が耐えられないのかなぁと思う部分もあります。そのようなことを背景に、人間そのものを描き、その人の成長を追いかけるような作品は減っていくのだと思います。さらに、他にも制約はあります。

 例えば、昔のようなスポーツ根性ドラマなどは、観る側にも辛抱がいります。また、ハラスメントやジェンダー等コンプライアンスの問題もあり、制作が難しくなっていることは容易に想像できます。しかしながら、映画やドラマなどにおいては、人間を深く描かなければ観る側の共感や感動は得られないと思います。そうしたことを理由に、この頃ではビデオ(レンタル・録画により)鑑賞をする機会が増えました。
 
 定番は、町中華でやろうぜ、孤独のグルメ、ヒロシのぼっちキャンプ・駅前食堂等ですが、レンタルで深夜食堂も繰り返し観ています。基本的に、できるだけ心が癒されるものを観るようにしています。それは、お盆になっても変わりません。思い浮かべる人達の顔もまた同様です。やはり、大切な人達の安寧や安らかな眠りを祈る心は、今生きている人にこそ必要なのだと思います。




2022 8月1日 良き人達を思い浮かべながら 




 8月になりました。残念ながら、コロナ禍は第7波が未だピークアウトせず、収束の兆しさえ見えません。一方で、2類・5類の話なども含めて、対応策は多様な観点から見直す必要があるのだと思います。

 さて、世間では安倍元総理の国葬に関する是非や、政治家と宗教団体との関りが喧しく取り沙汰されています。あまり力を入れて聴く気にもなりませんが、感情的な意見も含めて議論がごちゃごちゃになっているような気がします。例えば、総理経験者などの国葬に関しては、先に明確な基準のようなものを定めておき、そのうえで、対象者が適合するかどうかを判断すべきではないでしょうか。

 一方、何とか家庭連合などと名前を変えてはいますが、かつて我が国においては、統一教会に関する問題は大きな社会問題になったはずです。また、多くの被害者に多大な損害を与えていることも周知のはずです。しかしながら、今回の安倍元首相の暗殺事件が起きるまで、現在喧しく騒ぎ立てているマスコミが、積極的に取り上げたり、糾弾するような動きは見られませんでした。
 
 まことに、話題になり視聴率が上がると思えば、一気に正義の使者のごとく取り上げるのがマスコミというものであることについて、再確認させられる状況です。そのような空気の中で、安倍元総理に関する評価も少しずつ変わっているような気がします。なかには、理不尽な凶弾に倒れた人を鞭打つような言動もみられます。例えば、政治家としての実績に関する功罪については、冷静に評価すべきです。

 そこには、祖父の代から続く統一教会との関りなども含まれるのだと思いますが、そのことに関しても冷静な分析や評価が求められると思います。他方、亡くなれば何でも美化されるということも、この国においてありがちな国民感情のような部分もあります。そのことは、放蕩を極めながらも人気を博した有名人(芸人や作家をはじめとして)などにおいて、本当に良く目にする光景でもあります。

 またそれは、一般人においてもよく見かけられるものです。そもそも、「良い人」「悪い人」といいますが、自分にとって良い人か悪い人かということが価値基準となる傾向は、一般人の方が強いと思いますので、対象者との利害関係に基づく評価が主体となる傾向が強くなる訳です。そのように考えると、あまり他人の評価など気にしても仕方ないと思いますし、この頃その考えは一層深まって来ました。

 反面、親しく関係の深い人達を念頭に、その人達の心象にさらに強く残りたいと思うようにもなってきました。その背景には、幾人かの恩師をはじめ、これまで出会ってきた多くの友人知己との出会いの機会をいただいたことに対する、感謝のような気持ちがあります。所謂「縁」のようなものですが、不思議な巡りあわせや繋がりを感じることが多く、私個人の努力など及ばない大きな力を感じます。

 一方で、年齢的なこともあるのだと思いますが、その人間関係もかなり収斂されてきたように思います。何というのか、歳と共にコアな人たちと深く結びついていくというようなイメージでしょうか。そこには、若かった頃のように「訳の解らない人達」に「言葉を教えて」でも、コミュニケーションを図ろうとしていたような、熱いエネルギーが乏しくなってきたという事情もあります。

 正直なところ、この頃では「言葉の通じる」人達とだけ話していたい心境です。しかしながら、立場上訳の解らない人と対峙しなければならない機会も多々あります。また、「そこまで言わなければ解りませんか」というような発言をしなければならないこともあります。そして、そのようにして多くの場合私が述べることは、普通のことでしかなく「人さえ良ければ」言う必要のないことが多いものです。

 さらに言えば、そんな普通で当たり前のことを述べていても、実際の場面においては極めて疲れるものなのです。これは、以前にも述べましたが、大勢いる「日和見」の人達の中で自らの考えをきちんと述べる行為は、実際にやってみると想像以上に草臥れるものです。言い方は悪いかもしれませんが、「喧嘩はお前やってくれ。勝ったら同調するし役職には着く」という人が多いのが現状だと思います。

 だからこそ、良い仲間(私にとって大切な人達)との会話や歓談が、本当に大きな支えになります。そのような意味からいえば、最近の私は本当に良いタイミングで希望する人達と、豊かなコミュニケーションを図る機会をいただいていると思います。例えばそれは、同級生であり、技術者仲間であり、志を同じくする人達であり、暖かい支援をいただく人達であります。改めて、感謝したいと思います。

 そして、その中には、折に触れ小欄を読んでいただいている人もいます。そのような人達こそ、私にとっての良き人達に他なりません。これからも、良き人達を念頭に思いを綴っていきたいと考えています。

 

2022 7月18日  拓郎引退




 海の日です。かつての7月20日の海の記念日が、ハッピーマンデー制度により7月の第3月曜日が休日になったものです。そもそもは、東北地方巡幸を終えた明治天皇がこの日に横浜港に入港し、伊勢山離宮へ還幸した史実に基づいているということです。
 
 いずれにしても、これから夏休みが始まるというイメージが浮かぶ日には違いありません。私は、夏休みという言葉を聴くと、遥か昔の幼少年期から、彷徨(精神的な意味で)を続けていたような中学・高校生の頃までの記憶が次々と浮かんできます。 同時に、それらの場面に応じて記憶を裏付ける音楽が流れて来る時があります。そして、夏休みという言葉で、直ぐに浮かぶ曲が拓郎の「夏休み」です。

 このことは、私と同世代か少し上の人達には、定番のような感じではないでしょうか。それほどに、私が生きて来た世代において、吉田拓郎の存在は大きなものだと思います。さて、その吉田拓郎が7月21日のテレビ出演を最後に引退することを発表しました。近年、月一程度でやっていたオールナイトニッポンGOLDも年内で終了するようなので、今年一杯で表舞台を去るということだと思います。

 端的に言えば、寂しいという一言になるかと思います。何というのか、私の人生のあらゆる場面において流れるBGMとして、最も多く出てくるのが拓郎の音楽だからです。まるで「アキラ」のような幼稚園時代から、麦わら帽子は~という雰囲気の夏休みを過ごし、頭でっかちに育った少年が「イメージの詩」を背伸びしながら唄うという感じです。拓郎のメロディーが、私の成長とリンクしていたような気がします。

 一方で、イメージの詩に触発されながら、「結婚しようよ」などという軟弱な曲が大ヒットするなど、矛盾のようなものも感じていました。さらには、中学生の私のバイブルのようなテレビドラマ「時間ですよ」に出演したと思ったら、あっという間に美代ちゃんと結婚するというところに、未だ少年の持つ潔癖さを宿していた私は、一時は不義理な男という印象を持ったりもしました(反面、憧れる気持ちも持ちましたが)。

 私生活で、ペニーレーンの階段から突き落とされたり、破天荒な部分を垣間見ることもありました。それも、多くの場合「若気の至り」と呼べるようなエピソードが多く、私にとって等身大の目標のようにイメージが湧く人であったように思います。他方、音楽的には単なるフォークシンガーというようなものではなく、自分が唄いたい歌を作り唄うんだという姿勢が、とてもかっこよく見えたことは事実です。

 人には、思い出がフラッシュバックする場面で流れる音楽が色々あります。私の場合、特に多いのが吉田拓郎の楽曲ということになります。やんちゃの始まりの中学生の頃、今はまだ人生を語らずを口ずさみながら自転車をこいでいました。その頃、いくつかの溜まり場(基本的に、所謂お金持ちのボンボンの家ですが)でエレキやドラムセットを奏でるメンバーから聴いた「御伽草子」は新鮮な驚きでした。

 もちろん、思い出の場面で流れる旋律は、拓郎一人ではありません。キャロルもあれば清志郎もあります。特に、私の場合は父から聞かされた軍歌をはじめ、古い演歌などもあります。一方、唱歌やクラッシックの旋律が流れることもあります。さらには、映画の主題歌やサウンドトラックなどということもあります。本当に、記憶と音楽(自然の音も含めて)の関係は深いものだと思います。

 ただ、人生の節目節目で思い浮かぶのが拓郎のメロディーのような気がします。例えば、「一杯呑んでみなければ解らない」という私の人間関係の構築方針があります。その際、酒席でマイクを持ってリクエストする回数が最も多いのが拓郎の曲だと思います。つい最近も、そのような人たちと楽しい夜を過ごしてきました。話がそれますが、同じようなインターフェイスを備えた人達との歓談は楽しいものです。

 ところで、私に大きな影響を及ぼした吉田拓郎は、戌年で4月生まれです。ついでに言うと、私より一回り上ということになります。さらに、血液型も同じなので一層シンパシーを感じるのかもしれません(まったく、強引なこじつけですが)。そういえば、長らくブラウン管テレビを見ていた我が家において、液晶テレビに買い変えるきっかけとなったのは、2006年のつま恋コンサートの中継を見る為でした。

 まず、詞が良くなければ~が、我が巨匠の基本姿勢です。私も、全く同感です。また、全盛期には天から降ってくるように、音楽が頭の中に湧き出ていた人でもあるでしょう。さながら、自らが生きていく過程を自由に楽曲にしてきた人だと思います。聴き始めの頃、1つの音符に幾つもの歌詞を載せる所謂「字余り」に違和感を覚えたこともありますが、何故かその歌詞が耳に残るのが不思議でした。

 いずれにしても、拓郎が一線を退くというニュースは、私にとっては大きなものでした。とはいえ、心に流れるメロディーは変わるものではありません。「慕情」のあなたのような存在の人達を、これからも大切にして行きたいと思っています。



2022 7月4日 人ありてこそ




 7月です。異常にに短い梅雨が明けました。帳尻を合わす程度なら良いですが、深刻な災害に繋がるような大雨が降らなことを祈ります。

 月末から1日にかけて、東京方面に出張してきました。何故この時なのかと思うような、本当に暑い日々でした。それでも、忙中閑を得て明治神宮に参拝することができました。何といっても、その独特の存在感と佇まいに、大いに心を癒されることとなりました。改めて、神宮の森の素晴らしさを痛感し、100年後を見据えた森づくりに取り組んだ技術者の精神と、当時の人々の高い志に感動しました。
 
 さて、7月4日といえば、アメリカの独立宣言が公布された日です。民主主義国家を代表する、アメリカがイギリスからの独立を宣言した日ということになります。一方で、私には「7月4日に生まれて」というトム・クルーズ主演の映画のことが思い浮かびます。何というのか、勢いのようなものでベトナム戦争に赴き、深い心の傷を受けた若者の苦悩を描いた映画であったと思います。

 他方、独立宣言という言葉から考えると、独立した一つの国家を誰もがイメージするでしょう。そして、その尊厳は容易に侵されるべきものでないことも、同時に脳裏に浮かんでくるはずです。しかしながら、自国における安全保障というような価値観から、その尊厳が容易に踏みにじられることは歴史が証明しています。現在も、ロシアによるウクライナへの侵略行為は続き、収まる様子は見えません。

  また、ウクライナへの支援を表明している夫々の国においても、過去には色々な出来事があったはずです。民主主義の代表を自負して揺るがないアメリカでさえ、ベトナム戦争だけでなくアフガニスタンをはじめ、他国の領土に自国の軍隊を送ってきた歴史があります。一方で、そのアメリカやNATOは「物資は送るが介入はしない」という姿勢です。本当に、それで良いのでしょうか。

 例えば、物資の中には武器が含まれていますが、ロシア領に到達する射程のものは供与しないという話も聴きました。そのようなことは、どうにも私には理解できないことです。もっと明確に、助けるなら助けるという姿勢を示す必要があるのではないでしょうか。もちろん、天然ガスや原油をはじめとする鉱物資源や、穀物生産など食糧に関する問題等、夫々の国によって事情が違うこともよく解ります。

 さらには、それらを生産することによって懸念される環境問題や、急速に展開した無秩序なグローバリズムによる弊害なども関係し、簡単に物事は進まないことも理解できます。しかしながら、莫大な社会資本や個人の財産が破壊され、非常に多くの罪もない一般市民(兵士もですが)が命を奪われている現状を、一刻も早く収束させるべきであるということに、反対する人はいないはずです。

 本当に、1日も早くウクライナに平和が戻ることを祈ります。そのことは、他の紛争地域や問題を抱えている国家・地域に関しても同様な思いが湧いてきます。さらには、国家は特定の個人の欲望を満たすためにあるのではなく、国民のためにあるのだということを改めて強く言いたいと思います。まさに、辛亥革命の折に孫文が揮毫した「天下為公」という言葉が思い出されます。

 同時に、私には「一身独立して一国独立す」という福沢諭吉の言葉が浮かんできます。公をもって天下と成す為の基本は、一人一人がしっかりしていなければならないという意味であると思います。まことに、前回述べたような「まぁ良いか」ではいけないのだということがよく解ります。また、個人の尊厳が守られなくて、国家の尊厳など覚束ないということがいえるでしょう。

 とはいえ、私達は多忙な日常生活に追われ(それを言い訳に)、注視しなければならい事象から目を逸らしがちです。子どもや孫たちのために、出来るだけしっかりした大人でありたいものです。本当に、そう思います。実際、身の回りに山積する課題の多くは、しっかりした大人がたくさんいれば無かったものだなぁと考えられるものが、本当に多いように思います。

 小さな地方都市の、小さな地域においてもたくさんの課題や問題がありますが、今はシンプルにできることをやっていきたいと考えています。繰り返しになりますが、そのことが、子どもや孫たちの将来のために幾ばくかでも役立つのだと、信じる他に術が無いことも事実です。もう少し言えば、胸に手を当てて物事を考える時、そのような考え方が自然に浮かんできます。

 人さえ良ければ~は、議会における我が会派のテーマでもあります。まずは、しっかりした大人でありたいと思います。そのうえで、そのような人づくりに少しでも役だって行きたいと考えています。



2022 6月 20日 「まぁ良いか」の果てに




 明日は夏至です。本当に、月日の経つのは早いものです。そして、一番昼間の長い日に思うことは、これから短くなっていくその長さへの愛惜です。またそれは、少年の頃から続く私の習性でもあります。

 何というのか、清志郎の「ジャンプ」ではありませんが、この頃ではニュース報道を確認することさえ億劫になります。一向に良い方向に向かう気配の見えないウクライナ情勢だけでなく、このことに付随した食料の需給バランスの危機や、各国の思惑絡みにより混沌とする経済情勢など、全くといって良いほど気分が上向くような情報に接することができません。加えて、コロナ禍も一進一退といった感じです。

 まことに、世の中には鬱積した空気が充満しているような気がします。個人的にも、心中を煩わされる案件が最近増えまして、中々清々しい心持ではいられない状況が続いています。まぁ、身の回りのことは、自身の力量と判断に併せて取り組んでいけば良いことですが、世の中のことはそうはいきません。実際、多くの人命が奪われる惨状が続くニュースに接しても、痛感するのは個人の無力さばかりです。

 世界中の大多数の人々が、今起きていることが良いとは考えていないはずですが、その思いが形にならないのが現実です。そのことが、多くの人に無力感を抱かせ、鬱病を患う人を増やしているのだと思います。一方で、そうした理不尽な行動や振る舞いは、小さな地域社会をはじめとする私達の身の回りでもみられます。またそれは、ちょっとした「まぁ良いか」を許した結果が招くことが多いと思います。

 考えてみれば、ここ二十年間における私の人生は、そのような理不尽の芽を摘むことや、或いは、起きてしまっている理不尽な事象と闘うことが中心にあったように思います。また、その経験を通して痛感していることは、志を持って生きている人の少なさと、日和を眺めながら勝ち馬に乗ろうとする人の多さです。さらにいえば、評論はするが行動はしないという人が、あまりにも多いことも事実です。

 実は、民主主義という概念を語る時、そのことが本当に大きな問題なのです。良くない人(人さえよければ~という視座に立つと「悪い人」とはいえないので)達は、「まぁ良いか」という雰囲気のの中で、則を超えてまず一歩足を踏み出します。それが「まぁ良いか」とまかり通ると、更に一歩また一歩と、やってはいけない領域にどんどん踏みこんできます。結果的に、気が付いた時には抗えない状況に陥ります。

 そのようなことは、本当にたくさん見かけられることでもあります。最近、ワイドショーを賑わせた日大の理事長による専横などは、記憶に新しいところです。それは、自治会組織や小さな団体の中でも容易に起こりがちでもあります。もちろん、それに関わる人さえ良ければそのようなことは起こりませんが、その兆候が見られた時に(良くない人が少し則を超えようとしたとき)、きちんと諫めることが大切です。

 そうしておかないと、必ず禍根を残すことになります。例えば、行政においてそのようなことがちゃんと行われなかった結果が、あの熱海で多くの犠牲者を出した土石流災害につながったのではないでしょうか。さらに、もう少し視野を広げた話をすると、そのような良くない人のたくらみによる萌芽にきちんと対処しておかなかったことが、専制国家の成立やそのリーダーによる暴走に繋がったのだと思います。

 実際、一旦出来上がった強権的な体制を崩すのは容易なことではありません。だからこそ、日頃からよく目を光らせておく必要があります。それが、本来の民主主義のあり方であると思います。そのことを怠っていて、起こった不都合に不平を述べるだけでは問題は解決しません。やはり、一人一人の正しい意思に基づく行動が必要です。それは、本当に小さな組織から留意すべき事項です。

 一方で、繰り返しになりますが、人さえ良ければそのような心配はいりません。私が、小欄や議会報告などを通して、人づくりの大切さを訴えているのはその為です。何をするにも、人間が良くなければ物事は上手くいきません。言い換えれば、人さえ良ければ何事も上手くいくはずです。だからこそ、幼少年期から、地域社会の大人と学校が一緒になって所謂「良い人」を育てる取り組みをする必要があります。

 そして、その取り組みを通して、それに携わる大人の方にも高い規範意識や倫理観が醸成されることが期待できます。結果的に、そのことに取り組む地域に、高い住民意識が醸成されるはずです。また、その取り組みの中で地元の歴史や文化に親しむことで、故郷を愛し誇りに思える人が増えていくことも期待できます。そのような取り組みを、行政と地域が力を合わせて進めていく必要があります。

 今日、当たり前のようになっていますが、本来、自由や平等などというものは闘いの結果勝ち取られて来たもののはずです。まずは、民主主義の基本について、私達一人一人が意識し直す必要があるのだと思います。




2022 6月 6日 変わること、変わらないこと




 6月です。外に出ると、ついこの前植えたばかりの稲が「当たり前だ」というような顔をして、田にそよいでいます。それは、いつもの情景です。しかし、そんなことにも生命の息吹を感じることがあります。

 さて、ロシアによるウクライナへの侵略行為は収まる気配がありません。とばっちりというのか、世界的な穀物需給への影響が出る中、アフリカでは深刻な食糧危機が懸念されるというような報道も聴かれます。憂鬱なニュースばかりに辟易し、必要(と思われる)な情報だけに目を向けるようにしていますが、澱のようにストレスが溜まっていく感じです。まさに、虚しさの中で状況を見守るというような日々です。

 ところで、東欧ではそのような惨状が続いている訳ですが、フランスではテニスの全仏オープンが開催されていました。そこでは、私の好きな選手の一人であるラファエル・ナダルが準々決勝での対ジョコビッチ戦の激闘を制してから、素晴らしい戦いぶりで10回目の優勝を果たしました。決勝戦で、ワウリンカをストレートで下した後、慣れないフランス語でインタビューに応える爽やかな表情が印象的でした。

 そのように、テレビを見ながら沈鬱な気分になる自分と、好きなスポーツ選手の活躍に励まされる自分が同時にいる訳です。いつの時も、人間は自分中心にしか物事を考えられないものだなぁと思います。そして、その考えかたや心の有り様は、その時々に置かれた状況で変わるものです。昔好きだったものが色褪せて見えたり、逆に、見逃していたものの良さを再発見することはよくあることです。

 実際、同じ景色を見たとしても、人は置かれている状況や境遇によって、そこから得られる心象風景を異なるものにします。このことについては、いまから21年前にこの世を去った河島英五の言葉が印象に残っています。それは、彼が亡くなる直前のラジオ出演での発言です。以前は、季節としては秋が好きだったと語り、木の芽がぐんぐん芽吹く春を鬱陶しいと感じていたという話をしていました。

 ところが、今では命が芽吹いていく様子が「良いなぁ~」と思うようになった、と、しみじみ語っていました(私の記憶にはそのように残っています)。ラジオでの喋り方などは特段の変化は感じられず、その時はそういう心境の変化もあるのかなと思っていました。実は、私自身も季節では秋が一番好きで、花粉症などもあり春は苦手な印象を持っていたので、その時のその話が耳に残っていたのだと思います。

 私が、河島英五が48歳の若さでこの世を去ったという訃報に接したのは、そのラジオ放送をきいてから間もない頃であったと思います。そのニュースを知った時、驚きと共に、先程の「春も良いなぁ~」と思うようになったというエピソードが浮かんできました。同時に、既に重い病に侵された身体でラジオ放送に臨んでいた彼の心境について、色々と思いをめぐらせたことを覚えています。

 この頃、私も春の息吹も良いなぁと感じることが多くなりました。それは、私の心境の変化だと思いますが、単に年のせいだということかもしれません。それでも、自分では物事を捉える感覚の幅が広がり、受容する感性も多様化したのだと思うことにしています。一方で、変わらないこともあります。それは、自分が生きていく中で持つべき信条のようなものです。むしろ、そちらについては強固になるばかりです。

 私の場合、自らの思いとして貫きたい気持ちや思いは、歳を重ねることにより深まってきたように思います。それは、信条が信念のようになってきた感じです。例えば、小欄において語り続けている日本人の精神性とそれに基づく人づくりの大切さなどは、確信のような形で私の信条になっています。そこには、人さえ良ければ~という思いが強くあるからです。何事も、良い人が集まらなければできません。

 ところで、「良い人」というような表現はありふれたものであり、陳腐に聴こえるかもしれません。しかし、人として世の中の役に立つ取り組みなどを考える時、或いは、そのような取り組みに携わる時につくづく感じるのはそのような思いです。それは、長い間自治会活動などに取り組んで来た私の経験に基づく実感ですが、同じような体験をされた方には理解していただけるものだと思っています。

 いずれにしても、人の持つ価値観は生きていく中で変化していくことは確かです。一方で、その人が持つ信念のようなものは、中々変わらない(変えることができない)ということも事実です。そして、その信念を支える信条について考えれば、エッセンスとなる部分が年と共に磨かれて行き、新たに育まれた感性がコーティングされ補強されて行きます。結果的に、信念はさらに強固なものになっていくと思います。

 幸い、私の周りには影響を与えてくれる人がたくさんいます。それは、身近であったり遠い憧れるような存在であったりしますが、内省を促し変化を与えてくれる人たちばかりです。そしてこれからも、その影響を受けながら、変わらない信念のようなものを磨いていきたいと考えています。




2022 5月 23日   知について




 5月も、残りの方が少なくなりました。僅かばかりの我が家の田圃にも、近いうちに田植えをしなければなりません。「食料の安全保障」等ということとは関係なく、今年もまた作業できることを良しとしましょう。

 いうまでもなく、食料の安全保障は重要な政策課題だと思います。例えば、カロリーベースで40%を切っている我が国の食料自給率について述べれば、ごく大雑把に言うと、国内の農地の2.5倍の面積を外国に依存しているということになります。また、その作物を育てるための水資源等についても、同様のことがいえます。実は、そのことは20年以上前から変わっていないのが現実です。

 一方で、その海外に依存した食糧の輸入を支えるために必要な、外貨を獲得するための日本の経済力は低下し続けていることを付け加えなければなりません。まさに、国家として取り組むべき政策課題です。ところで、政策という言葉を英語で検索するとPolicy(ポリシー)という言葉か出てきます。一方、思索という言葉を検索すると、同様にPolicyが出てきます。このことに、私は大きな違和感を覚えました。

 音の響きは似ていますが、政策と思索では大きく意味が違います。思索とは、本来物事を筋道立てて論理的に考えるという意味です。政策とは、明らかに違うような気がしますが、事務的に英語に翻訳された時にそうなったのか、或いは夫々の語彙に当てはまる別の英語があるのかもしれません。いずれにしても、私は「思索」という言葉が好きです。だからこそ、余計に引っかかったのだと思います。

 さて、思索という言葉で、私が思い出すのは「知の巨人」といわれた立花隆のことです。既に、立花さんが亡くなられて、先月30日で一年が経ちました。立花隆といえば、「田中角栄研究~その金脈と人脈」など、政治の闇に鋭くメスをいれるジャーナリストとして名をはせた人です。しかし私には、あらゆることに興味を持ち貪欲に勉強する、知の巨人としての姿が思い浮かびます。

 立花さんは、人間が持つ、ここはどこなのか、いつなのか、或いは何故ここにいるのかなどという、自分の置かれている状況や周囲との関係を結びつけて考えられる能力である、見当識(医学用語)という概念に立脚して、「人間とは何か」を考え続けた人だと思います。そのように、筋道を立てて物事を論理的に考えることを思索といいますから、立花さんには思索という言葉がとてもマッチします。
 
 もちろん、ジャーナリストとしての仕事からは、批判する人や好ましく思わない人もいると思います。それでも私は、「猫ビル」というお城で買い集めた本に囲まれながら、年がら年中興味の向いたことを勉強されていた姿を、一種の憧れのような感情を持って眺めていました。とにかく、知には限界が無いのだという姿勢で、知りたいことをひたすら学んでいた姿が素晴らしいことだと思っています。

 一つの知らないことを知ると、その周辺の新たな知らないことが出てきてさらに知りたくなる、そのことを繰り返すことで系統立てて物事を知ることが出来るようになると語られていました。そもそも、有史以来多くの専門家がその専門分野のことを説いてきたが、哲学的にそれらを系統立てて分析してきた人はいないと言い、実は、そこのところが大切で、学問の最も面白いところでもあると言っています。

 また、記録された歴史などというものは記録されなかった現実史の総体に比べれば、針先程に微小なものであり、宇宙の大部分が虚無の中にのみこまれてあるように、歴史の大部分は虚無の中にのみこまれていると語り、一方で知の無限の可能性を信じ、学び続けることの大切さを実践し説き続けた人でもあります。また、出来るだけ広く深く繋げることの大切も述べています。全く、その通りだと思います。

 そして、動物が次世代に伝えられる情報は遺伝子だけだが、言語化された知を次世代に繋げられるのは人間だけであり、一人一人の人間は、知の連続体の一つであると指摘しています。そのうえで、その知の連環による可能性を信じていた人でもあります。また、そのような視座に立ち、若い世代や子ども達に語り続けた晩年でした。次世代を信じ、語りかけたという意味では、司馬遼太郎と同じです。

 先日、立花さんの追悼番組がNHKで放送されていました。インディオの酋長に「何故生きているのですか」と率直に質問し「死ぬために生きるのだ」という答えに頷き、鳥取のホスピスでは、余命あと数日の患者による周囲への感謝を最後の言葉とする様子に納得する姿も見えました。最終的に、死後の世界などは無く、死んだらすべては無になると言い「墓は不要で遺体はごみとして棄てろ」が遺言でした。

 実際には、樹木葬にされたようですが、猫ビルにあった十万冊を超えるといわれる蔵書は全部処分されていました。知の連環体として人間を捉え「人は周囲の人から知識を授かり支えられて生きており、死を目の当たりにした時、それ受け入れ、周りの人に感謝することが出来た時に人は救われる」が辞世の言葉のようでした。久々に、録画を何度も繰り返し観た番組でした。




2022  5月 9日  母の日に




 ゴールデンウイークが終わりました。今年は、久しぶりの制限のない連休となりましたが、影響が表れるのは次回の更新日の頃です。しかし、理不尽な世界情勢同様、先が読めない展開ではあります。

 さて、昨日は母の日でした。普段は疎遠にしていても、この日ばかりは多くの人がお母さんのことを思い出すのは、この国における良い風習ではないかと思います。ご多聞にもれず、私も家内の実家と自宅で同居する母に、小さな鉢ですがカーネーションを届けました。とはいえ、本当にそれだけで、豪華な贈り物や大仰な謝辞を述べるようなこともありません。所謂、年中行事のようなものです。

 本当に、身近な距離感に居る人に対しては、言葉で謝意を告げることは難しいものです。実際、心に思っている通りのことを誰かに伝えることは、不可能なことかもしれません。それでも、その年中行事を通して感じることは、こちらが思っているよりも深く私達のことを心配しているのが、母親というものであるということです。それは、何気ないありがとうという言葉の響きの中にも強く感じられるものです。

 ところで、フロイトが説く父と娘というようなヨーロッパ的な考え方ではなく、日本における親子関係の基本は母と息子であると説いたのが河合隼雄です。そのことを初めて知った時、素直な共感を覚えました。また、難しい理論や考え方が、この人により説明されると実にに分かり易いのは何故だろうと、いつも考えていました。他界されてから、猶更そのことが強く感じられるのが不思議な気がします。

 適当な言葉が見つかりませんが、マザコンという言葉を考える時、程度は異なれど多くの男性諸氏が当てはまるのではないでしょうか。もちろん、私自身も否定するものではありません。私の場合は、それだけでなく性善説に基づく価値観のようなものに関しては、大きく影響を受けているのだと思います。そして、母に関していえることは、何があっても私を守ってくれた人であるということです。

 もちろん、人としての倫理観を踏まえた上のことですが、結婚して10年目にようやく抱くことができた長男を、母は本当に慈しみ大切に育ててくれたと思います。振り返れば、厳しい父と優しい母という構図が我が家の基本でした。そして、その両親の双方から100%の愛情を受けて育ったんだなぁと、この頃では感じられるようになりました。自らが子供を育て、その子が親になるような頃、ようやく抱く感情です。

 母親との関係を代表するエピソードとして、私が折に触れて引くのが吉川英治の著述にある文章です。それは、吉川英治が新聞社に入る前職探しをしていた時、新聞に売薬会社の広告文案係の募集が出ていたので就職申し込みに行った時、ちゃんとした学歴もなく不安な気持ちで順番を待っていたら大学出の立派な履歴書がたくさん見えたので、自分は絶対だめだと思ったということです。

 順番が来て、その会社の支配人のような人から面接で「あなたは宗教がありますか。私の店では、宗教の無いような人は入れないのです」といわれ諦めかけた時、「いや、宗教はありませけれども、ぼくはいつでも母が胸の中にあって、ぼくはお母さんを思い出すときは決してわるいことはしません。ぼくは、お母さんを思い出せば勉強せずにはおられません。それじゃいけないんですか」と答えたそうです。

 その時、面接した支配人は笑っておられたそうですが、後日吉川英治氏のもとに、何十人の中からたった一人だけの採用通知が来たというお話です。私は、この吉川英治の「われ以外みなわが師」という本を随分若い頃読みましたが、何故かこの部分だけはよく覚えています。とはいえ、売薬会社の広告文案係と新聞社の論説委員と職種を間違えて記述したことがあったかもしれません。

 そして、吉川英治の母に纏わるエピソードには次のようなものもあります。それは、氏が母の臨終に接した時、最後のお母さんの苦し気な呼吸を慮り、耳元で「おっ母さん、極楽がみえるでしょう、長いご苦労をなさいましたが、仏陀はきっとおっ母さんを極楽に迎えてくれますよ」と言った時、お母さんが「よけいな事をお言いでない」と、もう一言しか言えないような呼吸で静かに言ったということです。

 明治の山の手の娘(海軍兵学校創始者近藤真琴の姪)のゆかしさを失わず、それでいて子どもに惜しみない愛情を注いだ、吉川英治氏のお母さんの母としての矜持が偲ばれます。吉川英治は、この時のことを強く心に刻み、「ちちははの忌もおこたりて働けど、やすらぎ給えよき子とならむ」という歌を短冊にして、書斎の人目が付かないところに懸けているのだ、という話を同書の中に綴っています。

 吉川英治氏ののお母さんの実像は知りませんが、息子の身贔屓と子ども心の印象では、私の母も、氏の本に描かれているような色の白い綺麗な人であったように思います。年齢を重ねた今、往時の面影はありませんが、同級生をはじめ良い人達と繋がるためのインターフェイスは、この人から授けて貰ったと思っています。



2022 4月 25日  足るを知り、蕗・筍を味わう




 私の4月は、ほぼ桜絡みに関することで心を煩わせながら過ぎました。まことに、この花への執着心は年々深まるばかりです。一方で、5月に新緑が深まる様子からは、命の息吹を感じて力づけられます。

 最近、「ウクライナ鬱」という言葉を耳にするようになりました。背景には、ロシアによる理不尽な軍事侵攻が始まってから、連日報道されるウクライナ各地における悲惨な状況を伝える情報を見聞きすることにより、人々が心を傷めているということがあります。本当に多くの人が、連日多様な情報ソースから繰り返し見せられる悲惨な様子と、一向に収束の兆しが見えない状況に失望しているのだと思います。

 そして、そのような辛いニュースに接し続けている私達は、テレビの画面やスマホの画面を眺めながらため息をつく以外には、ほぼ何もできないというのが現実です。そうした状況下、多くの人が無力感や虚しさを強く感じることにより、鬱病のような状況に陥るのだと思います。まことに、無理のない話だと思います。私自身、日常における情報収集の中においても、強いストレスを感じています。

 そのようなこともあり、私は、なるべく出来事だけを報道するような番組や、同様の誌面に目を向けるようにしています。そのうえで、極力冷静に状況を見極める努力をしているつもりです。しかしながら、虚しさは募るばかりです。エネルギーや食糧などに関して、これまで深く依存し関わり合っていた国を相手に、俄かに制裁措置などに及んでも反動やリスクは大きなものがあります。

 さらにいえば、夫々の国により内情は異なり、単に武力による侵略を阻止するという点でまとまれないのが、現在の国際社会の実情でもあります。例えば、ウクライナに対する援助にしても攻撃のための武器などは本来供与できないのではないでしょうか。実際には、ある程度のものが送り込まれているようですが、それならばNATOなど自由主義を守る立場の国々は、軍事的な支援を行うべきだと思います。

 もちろん、軍事力を持って介入すれば第三次世界大戦に進んでしまうという懸念が、アメリカ大統領をはじめ各国の首脳にブレーキをかけさせていることは理解できます。しかしながら、物やお金は送るから命がけで頑張れ~というような支援策だけで良いのでしょうか。日々、報道される建造物の破壊や一般市民が犠牲となっている様子を見ると、本当にもどかしくて仕方がない気がします。

 今日のように、グローバル化が進み高い価値規範が求められるようになったはずの国際社会における秩序を維持するための安全保障に関しても、拒否権を持つ常任理事国などの特権が認められていては、正常に機能しないこと位は誰もが解っているはずです。これまで、人類は数々の戦争を体験し、多くの専制国家の有り様をみてきたはずです。何故人類は、歴史に学ぶことができないのでしょうか。

 本来、大国の独裁者の命も、地下壕に隠れ息を潜めている幼い子供の命も重さは同じはずです。どのようなプロパガンダを操ろうと、侵略と虐殺が公然と行われることが許されるべきではありません。一日も早く、平和が戻るように祈るばかりです。平和が大切だということは、つい70数年前に敗戦国となった我が国においても、多くの人々が胸に刻みつけていた思いでもあるはずです。

 例えば、1946年生まれの吉田拓郎は、フキの唄の2番に「僕が子供だった頃、日本は貧しくひ弱で、お金もなく肩寄せあって生きていた。物がたりないのは皆一緒だし普通だし、何よりも平和が大切でありました」という歌詞を書いています。この後も、フキや筍など季節の中で旬に取れるものを謙虚にいただき、足りないものに拘らず、穏やかに心が貧しくならない生き方をすることの大切さを説いています。

 とはいえ、拓郎の全盛期や一時期の言動等を考えれば中々イメージが湧かないかもしれません。それは、ことある毎にその唄をカラオケで歌い、そのような考え方を標榜してきた私も同様です。例えば、「あの頃の~」とか「お前が~」などという前置詞をつければ、拓郎の言葉も私の思いも成立しないのかもしれませんが、人は生きていく中で変わっていくものです。言い方を換えれば、成長するものです。

 少しでも、他者の気持ちが理解できるようになれた方が良いのだと思います。いつも述べていますが、何も考えず、何もしなくても人は生きていけるものです。そして、考える人も世の中の役に立とうと思わない人も、最後は同じように死んでいきます。ただ私は、何かを考え、そして幾ばくかでも世の中の役に立って死んでいきたい思うようになりました。それだけですが、気持ちは楽になってきたように思います。

 不肖の身ながら、有難いことに今年も色々な方から、春の恵みを届けていただきました。特に感激したのは、恩師のご子息夫妻が届けて下さった筍でした。先生の命日の夕餉「わしの筍は美味いんじゃ~」と微笑んでおられた恩師の顔を思い浮かべながらいただきました。本当に、優しい味がしました。



2022   4月 11日  春、桜、そして人




 これまで、幾たびこの花への憧憬を述べてきたでしょうか。今年も、桜に魅了される日々を過ごしています。勝手ながら、僅かな間に妖艶さと儚さを見せる花の時期に生まれた自分との深い縁を感じます。

 有難いことに、私の住んでいる地域においては、今年は桜の花の咲いている期間が長く続きました。また、その要因の一つでもありますが開花中は概ね好天に恵まれました。そのようなこともあり、雑事に追われる合間を縫って城山の石段を登る機会を何度か得ました。また、新たなメンバーを加えた家族と一緒に眺めることもできました。このことは、ここ数年の課題でもあったので喜びもひとしおです。

 本当に、私の願いが通じたかのように満開のピーク時に好天が続き、適度な冷え込みなどもあったので思いの外長くその艶やかさを愉しむことができました。そのことは、コロナ禍や天候に恵まれなかったここ数年のことを思うと、何か感慨のようなものさえ感じます。そして、その花の海を漂うように歩いていると、これまでその光景を共に眺めてきた人たちの顔が浮かんでくるようでした。

 その中には、10数年にわたり夜桜と楽しい宴を共にした師匠の顔もありました。後年は、足腰が弱られたので弟子たちの企みに遠慮がちの返事をされていた師匠に対して、「ご存命の間は我々が、担いででも上がります」等と半ば脅迫するような形で、そのイベントを続けていたことを懐かしく思い出しました。受験指導をやっていた私に「顔も見ずにやるのか」と窘(たしな)めてくれた人でもありました。

 さらにいえば、そのような仲間をはじめとする大切な人たちの顔が、次々に浮かんできたことは言うまでもありません。本当に、そうした人たちと誰憚らず集い、愉しく語り合うことができるように1日も早くなって欲しいと願うばかりです。1日も早くといえば、ロシアによる蛮行はいつ終わるのでしょうか。既に、7週間も続く侵略行為の中で、数々の戦争犯罪の実態が報告されています。

 しかしながら、そのロシア当局や駐日大使の見解によると、そのような戦争犯罪に関する報道はウクライナによるでっち上げだという厚顔無恥ぶりです。そもそも、彼らは未だに自らの蛮行を戦争や進攻等とは呼ばず「軍事作戦」等と標榜しています。そのような報道についても、かつて我が国にあった大本営的報道しか許されないロシアメディアが支えているという現状もあります。

 また、仄聞するところでは、既に裸の大様的な存在である彼の国の大統領に対しては、誰も本当のことが報告できないなどという首を傾げるような報道も散見されます。とはいえ、グローバル化が進み複雑に絡み合う経済の仕組みや、それに伴い国によって利害関係が複雑になっている現在の世界情勢から、中々早期の収束に向けた決め手が見つけられないのが実状だと思います。

 大きなカギを握る中国しても同様です。表に見えていることと、裏にある本音などを考えるとどのような方向に向かうのか、或いは我が国への影響を想定しきることは難しいことだといえるでしょう。1点だけ見解を述べれば、一帯一路を推進する中国からすれば、地勢的にもウクライナはアジアとヨーロッパを結ぶ要衝であり極めて重要な国です。本音では、ロシアでなく自らが抑えたい国のはずです。

 以前にも述べましたが、中国が空母遼寧を購入した相手はウクライナです。その他、農産物や鉱物資源など貿易量も急激に増加していたはずです。したがって、実は対応も複雑にならざるを得ないのだと思います。一方ロシアに関していえば、自らの艦隊を黒海から堂々と外に出していく為にクリミアの実効支配が不可欠となり、2014年のクリミア進攻を曖昧に見過ごした国際社会の責任があると思います。

 そのような視点から、今回のロシアに依るウクライナ進攻を考えれば、クリミアに陸続きでいけるようになる東部地域の実効支配が、そもそものねらいではないかとも考えられます。幸い(ロシアにとって)にも、この地域に親ロシア勢力が根強いということもあります。少し、私見を述べ過ぎましたが、いずれにしても、不毛な侵略行為が1日も早く収束することを願わずにいられません。

 誰もが、妖艶に広がる桜の海に包まれながら、大切な人のことを考える時間や、夜桜の宴を心から楽しめるような日常が再び訪れる日を希う(こいねがう)ばかりです。

 

                                                                   このページの先頭へ