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これまでのコラムが納めてあります。
※バックナンバーはNO.1~NO50です。できれば、通してお読みください。
  (根底に流れるものを、くみ取っていただけると思います)
                    

                         

                     明治神宮           津山市沼住居跡(高床式倉庫)      雪のイベント(蒜山)        鶴山の桜               

NO.50         

2023 5月 15日  希望はある 




 おかげさまで、厳しい選挙は何とか乗り切りましたが、議会構成という名の第二の選挙ともいうべき渦の中に身を置く日々を過ごしました。少し疲れが残る月曜日です。

 とはいえ、その議会構成を経て、議会運営を司るといえるポストにも就かせていただきました。一層、身が引き締まる思いです。また、直接対面したもの、或いはメール等の手段により、市民の皆様から色々なご意見・ご要望等も聴かせていただいているところです。このまちの未来のために、さらなる研鑚と勉強を重ねていかなければならないことを、改めて噛みしめています。

 また、選挙が済めばそれで終わりではなく、選管等に提出書類の作成や事務所の片づけなどの雑事が結構あります。こちらについても、近親者や有志の皆様の力を借りながら、つつがなくこなしているところです。一方、そのような改選後の忙しい日々ではりますが、滞っていた僅かばかりの田圃の耕運も済ませました。まことに、人間の営みなどとは関係なく季節は移ろいますので、中々大変です。

 しかしながら、それは父が残してくれた本当に僅かな田圃での作業ですが、地域社会の日常を感じられる場面でもあります(少し大げさですが)。また、以前赤いフェラーリに例えたこともある、製造から既に50年以上がたったヤンマーのトラクターに乗っての作業は、それを残してくれた父との語らいをする一時でもあります。さらには、農業用用排水施設を点検しながらの作業です。

 そして、明らかに高齢化が進む地域社会や、集落機能の維持に関する憂いを実感する時間でもあります。そうした、日常生活の営みを通して、地域社会が抱えている課題や問題を知ることは多いものです。また私は、そのような一般的な日常生活の中で地域社会と関わっていなければ、先ほど述べたような課題等の掌握や、将来向かうべき方向性へのヒントが得られないと考えています。

 少しうがった言い方をすれば、選挙のために(好感度を上げるために)突然地域の清掃活動や草刈りに顔を出すような志では、本当に知るべきことを知ることは出来ないと思います。素直な気持ちで胸襟を開き、多様な意見に耳を傾ける必要があると思います。私は、そのような取り組みを通して、将来のこのまちの有り様や、進むべき方向性を模索していかなければならないと考えています。

 しかし実際は、多忙な日常に追われ、中々思うに任せないのが現状でもあります。自らを振り返り、胸を張り切って「どうだ」といえる自信はありませんが、私自身としては精一杯取り組んでいるつもりです。昨日も、議員の考え方を聴き、自分たちの思いを聴いて欲しいという活動をされている方々の集まりに顔を出させていただき、生活に直結した様々な思いを聴かせていただきました。

 現在、誰がやっても同じ~というような頽廃的な空気が全国的に漂う中、今回の統一地方選挙もそうでしたが投票率は低下し続けています。その背景には、深まり続ける政治不信があり、政治家や為政者に対する期待感が下がり続けている現状があります。そうした中、何かをしなければという考えを持ち、議員に声をかけ話を聴こうという取組をされる人達がいることには頭が下がります。

 実際、私自身が気付いていなかったことや、大いに頷かされるご意見も聴かせていただきました。一方で、議会や議員の活動などに関しては、市民の皆さんに正しく伝わっていないなぁと感じる部分や、実状が知られていないんだなぁと感じる部分がありました。やはり、市民への理解と協働を得るために、議会から積極的にアプローチしていくことも必要だと思いました。

 そして昨日は、その集まりを少し早めに辞して、高名な芸術家の先生が主催されているイベントにも参加させていただきました。私の大切なブレーンでもあり、日頃からご厚情をいただいている先生の薦めもあり、二回目の参加となりました。芸術家の先生が自らマイクを持ち、多様な人の活発な意見交換を促す取組は楽しいものでもありました。

 中には、経済活動の充実による余裕が文化を育むなどという、「文化が先である」と考える私の考えと異なる発言をする人もいました。すかさず、芸術家の先生が「芸術や文化があっての経済だ」とマイクを取り上げて発言されました。流石だなぁと思いました。日頃から、有名人や高名な人に関しては、つい斜めな視線で見てしまいがちな私の認識を改めさせられる場面でもありました。
 
 イベント終了時、遅れて参加したことのお詫びを含め少しお話をさせていただきましたが、ローマ人に対する造詣など少し嬉しくなるやり取りもできました。多忙ながら、希望が感じられる、意義ある一日でもありました。



2023 5月 1日 やらなければならないこと




 4年に1度のことですが、本当にあわただしい4月が終わりました。おかげさまで、議員としての3期目の議席を与えていただきました。ご支援いただいた皆様への感謝をかみしめながら、研鑚を重ねていく覚悟を固めているところです。

 やはり、今回の選挙においても投票率の低下は止まらず、速報値ですが50.4%となりました。前回よりもさらに4%下がり、史上最低という結果でした。このことは、2人に1人は選挙に行かないということであり、非常に憂慮されることだと思います。一方で、投票率が下がるということは、特定の目的や思惑を持った集団にとっては、有利な状況になっていきます。

 一般的に、新人候補を是が非でも当選させようとする動きは強く、また、組合等の組織を持つ陣営が有利になるといわれています。実際、今回の開票結果もそのようなものであったと思います。一方で、空中戦といわれるネット環境を活用した選挙戦が、時と共に有効になっていることも事実です。やはり、効果的な情報発信をしていくことは、選挙においても重要なことなのでしょう。

 世情を考えれば、とにかくアピールすることが大切だということになるのだと思います。その反面、そのようにして提供される、大量の情報に関する内容の精査はどうなるのかという疑念が、どうしても私の心には浮かんでしまいます。情報を受け取る側における、内容を吟味する能力の確保が極めて重要であると思います。また、それらを含め、多様な情報ソースを基にした判断を期待したいと思います。

 しかしながら、そのような最近の流れと、全体的な選挙への関心の低下の状況を見ておりますと、所謂従来通りのやり方で選挙活動をした陣営は、軒並み苦戦する結果となったように思います。私自身も、その部類に入るのだと思います。考えてみれば、私自身の人柄や資質について十分理解していただき、その上で支援していただいている人達は、8年前からは随分高齢になられました。

 中には、既に他界されたような人もたくさんおられます。私の陣営では、そうした識者の方々から受けていたご支援を基盤として、これまでは手堅い選挙をしてきたのだと思いますが、そこの部分の数的な減少は否めなかったと思います。さらには、そうした所謂質の高い支援者の繋がりに依拠しているという雰囲気(安心感)が、3期目に臨む陣営の中に緩みを生んだことも間違いありません。

 一方で、人の考え方は様々ですから、不当に反感をかうこともあります。もちろん、私自身は、筋を通し、正義を貫くという生き方をしているつもりです。したがって、何ら恥じるところはありませんが、陰でこそこそ事実に基づかない噂を流すような、ネガティブなキャンペーンをはられることもあります。そのことには、虚しさや、残念な気持ちが無くなることはありません。

 さらにいえば、私は、例えどのような噂を耳にしたとしても、或いは妨害行為などの様子を見たうえで、その向こうにある真実をしっかりと見極めて判断を下し、ご支持いただいた人の集積が今回の選挙結果であったと考えています。そのような意味でいえば、まだまだ、私の人間力というのか、私自身から伝わるものが足りなかったのではないかと反省しています。

 ともあれ、議員活動においては、これから3期目が始まります。これまで培ってきた能力に加え、新たな多方面に渡るスキルアップが必要だと思っています。まず第一に、市民の皆様から頂いた二元代表制の権能をきっちりと果たしていくことを念頭に置きたいと思います。そのうえで、本市の未来に資する為の議論を主導して行けるように努力していきたいと考えています。

 また、このことは選挙期間中にも街頭から訴え続けましたが、私は、「まっとうな人達のご支援を受け、弱い人、真面目な人、そして津山の未来のために活動していく」所存です。その活動の基本は、何といっても人づくりにあると考えています。その考え方の根幹には、「胸に手を当てて考え、恥ずかしいと思うことはやらない」という日本人の精神性があります。

 そしてそれは、小欄を通して私がこの20年間訴え続けて来たことでもあります。何をするにも、人が良くなくては上手くいきません。言い換えれば、人さえ良ければ物事は上手くいくものです。私はこれからも、故郷を愛し高い倫理観を備えた、質の高い住民意識を備えた人達と手をつなぎ、そうした仲間を少しでも増やしながら、子どもや孫たちの未来のために活動していきたいと考えています。

 そして、そのような取り組みを通じて、「ぼうっとしていたら大変なことになる」という民主主義への警鐘も鳴らし続けてていきたいと考えています。



2023 4月 10日 二元代表制の権能  




 今年の桜は、駆け足で去っていきました。考えてみれば、4年に一度はそのような思いで、花の散るのを見送っているようにも思います。まことに、生きていれば悲喜こもごもです。

 さて、この春は統一地方選挙後半となります。その中には、私自身が市民の皆様から審判をいただく津山市議会議員選挙があります。今回で3期目となりますが、改めて身の引き締まる思いを感じています。また今回は、定数が28人から25人に削減されました。というより、私自身が積極的にそのことに取りくみ、実現させたことでもあります。尚、今後も、さらなる定数削減に取り組んでいくつもりです。

 そのことは、市民の皆様から聴かせていただく要望の中で、数多くお聴きすることです。また、長年の自治会活動の中で私自身が感じ、調査や研究をしてきたことでもあります。基本的な考え方として、私は、市議会議員の数は人口5,000人に1人で良いと考えています。したがって、津山市の規模であれば約20人ということになります。そこで、常設の委員会を7人として3委員会にまとめれば21人となります。

 それは、私が最初の立候補以来掲げている公約でもあります。さらにいえば、単に人数を削減するだけでなく、資質の向上が必須だと考えています。残念ながら、現状では自分の質問原稿の構成や編集が出来ない人、或いは怪しい人を見かけます。一方で、市民から付託を得た選良としての、品位ある行動を取るべきであるという点においても、首を傾げることが多々あります。

 もちろん、品行に関しては自分自身を省みながら、皆で襟を正していかなければならないことだと考えています。いずれにしても、議員自体の資質向上が図られなければ、政治への不審と無関心な風潮は益々進んでいくことでしょう。その意味において、議員の資質向上は不可欠です。そのうえで、夫々の持つ政策理念や主張に基づく、建設的な議論が行われる議会を目指す必要があります。

 また、その前提として、本市独特の雰囲気というのか、市長派なのか反市長派なのかというような、不毛な対決の構図をなくす必要があります。現状では、その対決姿勢のもとに、自分たちが望まない市長の施策には何でも反対するとか、混乱を招くことを目的とした行動を取る議員を見かけます。もちろん、私自身は、津山の未来に資するかどうかを判断基準とし、是々非々で議論に臨んでいます。

 さらには、そのような私の姿勢や考え方について共有できる仲間を募り、会派「未来」を結成して活動してきました。その数は僅か6名ですが、私達が議会における最大会派となったことで、以前のように役職やポストを窺うために集うというような、会派の組み方にくさびが打てたと思います。実際、前回(2年毎に改選)の議長選挙等に要した時間は、以前に比べ圧倒的に短くなりました。

 さらには、議員定数に関する議論においても、我々会派未来が主導的な立場をとり進めてきました。結果的に、暫定的な形ですが、28名を25名に削減することが出来ました。これについては、引き続き(21名に向けて)取り組んでいきたいと思います。私は、そうした議会改革にあたりながら、このまちが将来に渡って県北の拠点都市として輝き続けられるように、取り組んでいきたいと考えています。

 政策理念は、「津山の豊かな自然環境に育まれた歴史と文化に根差したまちづくり」です。具体的には〇郷土愛と高い住民意識にの醸成に基づく学力の向上と、そのための子育て支援〇子どもから高齢者まで、地域て見守り支えあえる住民福祉施策の推進〇定数削減をはじめとする議会改革と、DX促進に基づく行・財政改革の推進〇津山の特性を活かした観光施策・産業振興策の推進です。

 この、政策理念等については、小欄HPの別の項(津山市議会議員としての活動に関する項)にも掲げています。一方で、それらのことを実現していくために、郷土愛と高い倫理観を備えた住民意識の醸成が不可欠だと考えています。つまり、人づくりが一番大切だと思います。考えてみれば、そのことは2002年に小欄を開設してから20年間、私が世に問い続けてきたことでもあります。

 何をするにも、人が良くなければ物事は上手くいきません。反対に、効果的な施策が成功している地域は、必ずといって良いほど高い住民意識が醸成されています。そして、その根底にあるのが「胸に手を当てて考えてみろ」という日本人の精神性であると思っています。さらには、そのような人が増えれば必然的に成績が上がり、それが移住・定住のインセンティブにもなると考えています。

 何よりも、まっとうな方々の支援を受けて、弱い人や真面目な人、そしてこのまちの未来のために働きたいと考えています。また、そのことが、議員が市民から付託された二元代表制の権能をはたすことであると信じています。最後に一言、首長も議員も「誰がやっても同じ」ではありません。



2023 3月 27日 花は咲けど肌寒い春




 先日、桜が開花しました。最近の気温上昇を眺めながら、果たして~と思っていましたが、やはり、例年より早い開花となりました。お城山の桜まつりも早まり、何となく、心が浮かれます。

 まるで、WBCにおける侍ジャパンの活躍を祝うように~というと、少し安直な気がしますが、何かに急かされるように今年も桜は咲きました。その訪れはいつも突然で、毎年待ちわびている私の心を見透かしているようです。例えば、今にも咲きそうな雰囲気を漂わせながら、しばらく開花をじらすときもありますし、逆に、厳しい寒さの後で、突然花開く時もあります。奔放な美女に翻弄されるような気分です。

 まことに、その営みは気まぐれなものですが、一方で、大きな自然の中の営みでもあります。人の思いで、どうにかなるものでもありません。それだけに、余計に愛おしさも感じるのでしょう。さらには、突然咲きはじめ、余りにも潔く散っていく姿に、ノスタルジックなシンパシーを抱くのが、多くの日本人が備えた感性ではないでしょうか。言い換えれば、それは、日本人の精神性に依拠した感覚だと思います。

 その日本人の精神性とは、洋の東西から流れつく多様な文化を巧みに引き受け、矛盾させず見事に融合させてきた文化に根差していると思います。また、時がくれば突然見事な花を咲かせ、それがもう十分とみれば、あっけないほどに潔くその花びらを桜吹雪に変えてしまう散り様に、人生を重ねてみる人は多いのではないでしょうか。それは、私達の死生観にも通じるものです。
 
 だからこそ、この国で「花」といえば桜ということになるのだと思います。そして、古来数多の文人墨客が、桜を題材に思いを表現してきたのだと思います。一方で、児島高徳と後醍醐天皇のような桜に因んだ故事も伝えられています。ところで私は、私が持つそのような感覚は、日本人全体が持つ普遍的なもののように考えてきました。しかしながら、この頃では少なからず違和感を覚えるようになりました。

 先程も述べましたが、古くから極東といえるこの島国では、海の向こうから様々な文化や文明の成果が渡ってきました。それらを巧みに吸収して、見事に調和させながら高い精神性を築いてきたのが日本人だと思います。例えば、宗教にしても、元々あったアニミズムを起源とする神道から仏教やキリスト教など、多様な外来宗教を一旦引き受け、咀嚼しながら上手く融合させてきたのだと思います。

 それは、物事の事象を全体的に捉え、調和を図るような考え方であると思います。しかしながら、私が小欄をはじめてからの二十年の間にも、そのような日本人の精神性は随分失われてしまったような気がします。実際、私達の祖先は資源の乏しい国に相応しく、物を大切にし自らの手により工夫を凝らして技術や生産性を高めて、或いは、生活を通した資源循環を図り、効率的な暮らしをしてきたはずです。

 その中で、他者への思いやりや協調性、さらには誇りを持った生き方を目指す考え方が築かれて行ったのだと思います。一方で、そのような考え方は形容することが容易ではなく、明確な形で伝承していくことが難しいものでもあります。例えばこの国では、古くから「武士道」のような形で支配者階級が襟を正す姿勢を示す文化がありました。それは庶民から畏敬の念や憧れとして受け入れられていきました。

 そのようにして、社会全体に郷土愛に根差した高い倫理観を備えた住民意識が育まれ、形作られて来たのだと思います。ところが、この頃耳にするニュースは、そのような日本人の精神性から程遠いものばかりです。ちょっとしたことから、直ぐ人を傷つけたり殺したりする事件は日常茶飯となりました。一方で、小賢しく金儲けする人間がもてはやされ、最近ではガーシー議員のような事件も起きました。

 他方、この国を支えて来たものづくりという視点からは、大変気になるニュースも耳にしました。一つは、牛乳の生産が採算に合わないので、農家の廃業を支援する政策が進められようとしているというものです。そこには、必要であれば海外から安く調達すれば良いという考え方が潜んでいます。これは、非常に危険な考え方であり、そもそも、必要なものを自ら作ってきた日本人の精神性とは異なります。

 さらには、先日エンジニアの勉強会で知ったのですが、カーボンニュートラルを前提に水素エネルギーの導入が叫ばれる中、我が国では自国生産への意欲が低く、こちらも海外からの調達を主眼に置いているということでした。単純に、生産コストと需要の関係によるものだということですが、私は大きな違和感を覚えました。食料もそうですが、安全保障という意味から考えてもおかしな気がします。

 開花した途端の肌寒い空模様の中で、素知らぬ顔をして咲き誇る桜に心惹かれながら、大切なものを守り続けようと腐心する、佐野藤右衛門翁の横顔が浮かんできました。私達には、守っていくべき姿勢や考え方があるのではないでしょうか。



2023 3月 13日 心のありよう 




 3月も半ば過ぎました。窓からは、柔らかな日差しが差し込んでいます。朝夕は、寒い日もありますが、随分暖かくなりました。傷だらけになりながらも、どうにか自然はその営みを続けているようです。

 さて、この11日で東日本大震災から12年が経ちました。その年月が、人々の脳裏からあの惨状の記憶を消し去ろうとしているのだと思います。例えば、テレビの番組などでも、あの震災を取り上げたものが少なくなりました。それでも、やはりNHKです。BSチャンネルなども使い、当時の映像を交えたドキュメンタリー番組や、南海地震をテーマにしたドラマなどを放送していました。

 そして、そのような番組を見ていると、当時の様子が鮮明に思い出されます。語りつくされた言葉ですが、本当に胸が痛みます。実は、その時私は大阪におりまして、所属する技術士の団体における勉強会に参加しておりました。地震発生時、隣に座っておられた先輩技術士の方が「揺れましたなぁ」と私に語りかけられたのを覚えています。その時、私も、確かに揺れを感じていました。

 後に、大阪でも震度3程度の揺れを観測したことを知りましたが、自らの体感として、私は確かに揺れを感じたのです。さらに、しばらくすると協会の役員の方が勉強会が行われている会場に駆け込んでこられ、「皆さん、大変なことになっているようです。直ぐに、お帰りになってください」と言われました。それから私は、急いで靭本町にある科学センタービルを後にして、新大阪駅に向かいました。

 午後3時40分頃に新大阪駅に着きましたが、新大阪に入線してきた新幹線のぞみは16時着がが最後で、それ以降の便は運行を取りやめていました。私は、運よくその列車に乗ることができ、岡山に帰ることができました。本当に、運が良かったとしか思われません。またそれは、私の人生の中でも稀有な体験の一つであったといえるでしょう。またその日は、それ以外にも印象的なことがありました。

 そんなこともあり、その日のことはよく覚えています。もちろん、公の場で語ることではないエピソードも含めてですが、生涯忘れることのできない一日になりました。あの日あった人、そして会話の内容などがしっかりと私の記憶の中に残っています。12年前の3月11日は、私にとっても特別の日でありました。誰でも、人生の中でそのような日を心に刻みながら生きているのだと思います。

 一方で、人間は記憶を美化していく生き物でもあります。また、福岡伸一ハカセの動的平衡という考え方からいえば、常に人間の細胞は作り変えられている訳ですから、記憶も呼び戻す度に作られているともいえるでしょう。私は、その再生作業の中で、記憶は自らに都合の良いように美化されるのではないかと考えています。それはまた、心の負担を軽減し、生きていくための作業のように思います。

 もう少し言えば、辛い記憶などは、そのようにしてデータを軽くしたり、極端に言えばなかったことにしていかなければ、生きていかれないようなこともあるのではないでしょうか。少し例えが異なるかもしれませんが、幼少期の私が読書に耽ることで現実逃避していたことに似ているような気がします。実際、本の中に出てくる世界に紛れ込むことで、その頃の私は随分救われていたように思います。

 改めて、小学一年生のクリスマスに、私の枕元に曽我兄弟の本を置いてくれた父に感謝したいと思います。実際、それは高学年が読むようなものでしたので、当時はそんな父を恨みました。しかしながら、少しずつ読み進むうちに、いつの間にか五郎・十郎兄弟の活躍に胸をときめかせている自分がいました。結果的に、その一冊をきっかけとして、私の本好きが始まったのだと思います。

 そういえば、先日の日本アカデミー賞で「ある男」が最優秀作品に選ばれていました。映画化されることは知っていました(文庫本の帯に掲載されていたので)が、映画は見ておりませんので少し驚きました。私が、平野啓一郎のこの作品を読んだのは、以前小欄でも取り上げた三島由紀夫のドキュメンタリー番組に出演した彼が、「結局は、言葉なんだ」と語っているのを見たからです。

 ネタバレしない範囲でしか語れませんが、戸籍を変え、名前を変えて生きることを与儀なくされた人間の懊悩にせまる内容で、面白い小説であったと思います。また、どこかで放映されることもあると思いますので、映画の方も見てみたいと思います。前回、言語によって次世代に何かを伝える第二のDNAという表現をしましたが、絵画や彫刻などの造形や映像も、その範疇なのだと思います。

 目の前のことをこなし続ける、多忙な日常ですが、読みたいものを読み、観たいものを見て、会いたい人に会うという、私のポリシー(信条)に忠実に生きていきたいと考えています。



2023 2月 27日 結局は言葉しかない   




 2月が終わります。吹く風はまだまだ冷たいですが、その中にも微かに春の気配を感じる時があります。間違いなく、春はそこまで来ています。一月後に咲くはずの、桜の海を夢見ながら待ちましょう。

 しかしながら、現実の社会を見て見ると心に「夢を持つ」ような余裕が無いという人が多いのではないでしょうか。これは前回も述べましたが、ロシアによるウクライナへの進攻(侵略)は、既に発生から一年が経過しました。それでも、未だ収束どころか停戦の様子さえ窺がえません。むしろ、戦禍が拡大するのではないかという予想や、ロシアの核兵器使用への懸念など、望ましくない報道もされています。

 また、そのような負の連鎖が続くことにより、第三次世界大戦に繋がるのではという恐ろしい予測を語る人もいます。一方で、そのような国際社会の不安定な状況は、我が国における著しい物価高など、私達の日常生活へも深刻な影を落としています。まことに、安穏として春を待つ気持ちにはなり辛い状況であり、どうにかならないものか~と、暗澹たる気分で伝えられる報道に耳を傾ける日々です。

 ところで、このような比較をすることが良いことかどうか解りませんが、例えば、今月6日に発生したトルコを中心にした震災による犠牲者数は22日時点でで48,000人に達し、昨日当たりの報道では既に5万人を超えているという情報があります。一方で、今回のロシアによるウクライナ侵略による犠牲者数は、5万人~7万人といわれています(双方合わせて、20万人に達しているという報道もあります)。

 私が、何よりも言いたいことは、震災など自然災害の発生は人間の手では回避できませんが、戦争は人間の努力によって抑止できるはずのものであるということです。また、これも繰り返し述べていますが、政権を持つ一人の人間の煩悩のようなものが、結果的に何の罪ものない多くの人々の命を奪うことになるというのが、虚しい戦争が生み出す悲惨な結果であることに間違いありません。

 有史以来、多様な政体の基に権力が掌握されてきました。けれども、戦争に至る大きな要因は、絶対的な権力を手中にした人間の支配欲や、煩悩の発露に基づいていると言っても過言ではないでしょう。一方で、歴史を見れば、どのような手段で権力者が政体を掌握したとしても、それを支える国民(住民・在民・市民…)の心が離反すれば、その政体は崩壊に向かうのが習わしであったはずです。

 そのことを考えれば、人類には自浄作用のようなものがあるのだと信じたくなります。しかしながら、歴史を振り返る時、何の問題もなく世界全体が安寧であったという記録を読むこともできません。とはいえ、その歴史を編纂するために必須であり、後世に何かを伝えるために作られたのが文字であり文章だと思います。またそれは、同時代を生きる人に伝えるためのものでもあったとはずです。

 私は、そのような言語による情報伝達によって、人間同士の意思疎通が図られ、新たな知識の吸収により自己啓発や、そこから派生する思索によって図られる人間的成長などというものを信じたいのです。言い換えれば、その営みこそが、人類の進化の過程であったのではないでしょうか。また、その営みを繰り返し続けてきた成果が、今日の高度な文明社会の構築に繋がっているのだと思います。

 また、そのような意味からも、言葉は人類だけが持つ第二のDNAだと考えている訳です。一方で、言葉にした時点で、真の思いとは違ったものになるという考え方もあります。所謂、言葉の限界というようなものです。実際、私もそのようなことを感じることはあります。そして、人は自分の聞きたいことしか聞かない生き物でもあります。しかし、結論としては、私達人類は言語に頼るしか伝達手段はありません。

 言語を用いて、意見交換や意思疎通を行うことによってしか、目の前の問題を解決していく道はありません。世界は今、資本主義の限界や行き過ぎたグローバリズムなどという課題を抱えています。結果的に、富の寡占化とあらゆる形の分断化が進んでいます。一つ間違えば、大変なことになるでしょう。そのような時こそ、徹底して話し合う必要がありますし、言葉の大切さが実感されるわけです。

 私は、今から54年前に行われた三島由紀夫と、東大全共闘の討論を思い出します。東大駒場キャンパス900番教室で行われたこの一大イベントは、ドキュメンタリー番組として放映されたので、何度も繰り返し見ています。そこで、展開される光景は圧巻です。100人の左派学生と渡り合う三島の気迫と、何だかんがと言いながらも、真摯に議論を重ねる若者たちの熱気を強く感じます。

 例え、右であれ左であれ、当時の人達は物事を真剣に考えていたんだなぁと思います。余談ですが、日本人とか日本語の枠云々に言及された時、三島は誇りを持って日本人と日本語の素晴らしさを語っていました。結局は、言葉しかないのだと思います。



2023 2月 13日 抗うべきもの




 バレンタインデーが来ました。この頃では、その言葉自体がノスタルジックな響きがしてしまいますが、「春遠からず~」という気分にはなります。所謂、春の訪れへの一里塚的なイメージでしょうか。

 さて、如月となり半ばが過ぎました。旧暦における本来の位置付けでは、西行が謳ったように花の季節となる訳ですが、現代では二月の前半はこの国の最も寒い季節となっています。実際、札幌では雪祭りが開催され、紋別沖には流氷が押し寄せる頃です。若い頃、雪祭りから流氷見物へと一人旅をし、たどり着いた小樽で発熱してしまったことを思い出します(それでも、昼間は街を歩き回りましたが)。

 ふりかえれば、良い思い出です。いずれにしても、今は、寒さをじっと堪え、そこまで来ている春を心待ちにしている時期だと思います。ところで、これもかなり昔のことですが、女優の森光子さんから「冬来たりなば春遠からじ」と色紙に揮毫していただいたことがあります。冬の文字が多きかったので、寒い季節だったと思います。しかし、それを受け取った時、ほんわかとした暖かさが伝わってきました。

 本当に、言葉というものはありふれた慣用句であっても、それを口にする人によって伝わり方が随分違うものです。もう少し言えば、言葉というものは誰が語るかによって、その言葉の持つ意味や内容さえも変わってしまうものでもあります。良く、「どの口がいっているのか~」という声を聴くことがあります。私も軟弱な精神しか持ち合わせていませんが、そのような誹りを受けないようにしたいものです。

 さて、ロシアによるウクライナ進攻が始まって、既に一年が経とうとしています。この間、戦いに赴く兵士はもとより、一般市民に多大な被害や犠牲者が出ています。まことに残念で、暗澹たる気持ちです。まだまだ、NATO加盟国などによる武器供与や、それに対抗するロシアや中国の動きなどがみられ、戦争が収束する気配は窺がえません。そのことに、やり場のない怒りを禁じえません。

 考えてみれば、指導者(あるいは領袖、または支配者)という名の1人の人間の煩悩が、多くの人々の生命や安寧な生活を奪う構図は有史以来途絶えたことが無いものです。賢者は歴史に学ぶ~といったビスマルクの言葉が、虚しく感じられるのは私だけでは無いと思います。一方で、どのような強権的な政体であっても、民衆の支持を失えば衰退してしまうのも歴史に明らかです。

 例えば、人類自体の内部から起こる自浄作用のようなものから、どうにかこの状況が収束に向けて動かないものかと願うばかりです。他方、民主主義という視点からみると、それは闘って勝ち得るものだともいえます。狭義には、ウクライナの主権が守られるよう、広義の視点からいえば専制国家の中にもそのような動きが広がり、平和で安寧な世界となることを祈ります。

 他方、今までにないような速さで情報通信技術は進んでいます。そのことが、メディアのあり方にも大きく影響を及ぼしています。また、加速的に進化する情報技術を背景にした、個人が簡単に情報を発信できる社会は一見便利ですが、様々な弊害も発生してきます。またそれは、弊害というような生易しいものではなく、善良な市民に大きな被害をもたらす場合もあります。

 さらには、情報技術を悪用し、不正に利益を得るものも出てきます。典型的な事例は、暗号資産等を不正に収受し、そのお金をミサイル発射や核実験につぎ込んでいる隣国に見ることができます。もちろん、サイバー攻撃やデジタル通信技術を悪用した他国への攻撃は、中・露両国をはじめ様々な国で行われていることは、改めて言うまでもなく多くの人々が知っていることだと思います。

 まことに、ここ10年余りの間にはじまったような、そして、今後劇的な変化を遂げていこうとしている情報技術の進化は、私達の生活も大きくかえようとしています。またそれは、生活だけでなく、人々の考え方そのものにも劇的な変化を与えるものでもあります。例えば、フィリピンの刑務所(正式には入管の収容施設)からでも、ICTを駆使して犯罪を行うことができるようになったということです。

 何というのか、そのようにして情報通信技術が進化していき、それまで出来なかったことができるようになっていくことで、我々人間の価値観は楽で安易な方向に変化していくのだと思います。それは、本当に残念なことです。しかしながら、そのことは私が小欄をはじめてから今日まで進んでいる事実でもあります。それだけ、日本人の精神性というものが失われてきたように思います。

 実際に、時の流れに抗うことはできませんが、そのことには精一杯抗っていきたいと考えています。




2023 1月 30日 第二のDNA 




 1月が終わります。今年は選挙などもあり、特にあわただしく時が流れていくような気がします。与えられた時間の中で何ができるのだろうという思いは、凡人の胸の内でも年毎に大きくなります。

 ともあれ、幾ばくかでも時間の大切さなどを感じる年ごろとはなりました。それでも、生来の習性は中々変わるものではありません。相変わらず、読みたいものを読み、観たいものを見て、会いたい人に会うことを最優先として行動の規範としています。もちろん、さしあたって片づけなければならない所用が、そのような行動の価値規範に優先せざるを得ないことも、凡人の抱える悩みではあります。

 基本的には、そのような忙しい日々ですが、そのような「こなさなければならないこと」としてやっていることの中にも、それに関わる人との触れ合いなどを通して有難いなぁと感じることもあります。特に、自分としては当たり前と思って取り組んでいることであっても「頑張ってくださいね」と言われたりすると、少しは世の中の役に立っているのかなぁという気持ちが湧いてきて、大いに励まされます。

 一方、読みたいものや観たいもののについていえば、この頃では読まなければならないものや観なければならないものと重なってくることが多くなったような気がします。そのことは、私自身の行動が自らが持つ価値規範に依拠している訳ですから、当然と言えば当然のことなのかもしれません。それは、小欄を開設してから標榜し続けている日本人の精神性への回帰を基本としたものでもあります。

 何をするにも、人が良くなければ物事は上手くいかず、自らに誇りを持ち、志を備えた人間を育てなければならない~というのが私の思いですし、そのために拙いコラムを綴り続けているともいえるでしょう。また、このようなスタイルは、その気がある人に読んでもらえばそれで良いといった風な態度ともいえるもので、考えてみれば不遜な態度といえるかもしれません。

 それでも、私はこのスタイルで小欄を綴っていこうと考えています。実際、こんな人が~と思うような人が目を通していてくれたり、声をかけてくれたりすることがあります。そのようなことは、前述した日常の何気ない行動などを通して、私の人となりを見ていただいたような気持ちにもなります。本当に、有難いことだと思います。まさに、世の中には色々な人がいるのだなぁと思います。

 一方で、言わずもがなですが、世の中に色々な人がおり、それぞれが様々な考え方をしているということであれば、所謂残念な人達が一定の規模で存在すること仕方ないことではあります。もちろん、人の信条は夫々の自由ではあります。しかしながら、利己的な理由に基づく行動、妬み嫉みなどの感情を背景とした行動やそれに基づく連携などは、けっして世の中の役に立つものではありません。

 多くの、本来成功するはずであった事例の挫折の理由に、人間が持つそのような煩悩の影響が投影されているはずです。大きな話をすれば、混沌とする現在の世界情勢を見ても明らかです。一人の人間の煩悩に基づく野望が、多くの人々を苦しめ命を奪い、世の中を混乱させているのではないでしょうか。そしてそれは、ホモサピエンスの歴史が始まって以来繰り返されていることかもしれません。

 少し、投げやりな表現になりました。人類が持つべき政体のありかたや、民主主義などについて考えると、つい我々の歩んできた歴史を考えたりしてぼやきが出てしまいます。しかし私は、多くの知識人が他者である人間を信じて唱えて来た思いを、私も唱えていきたいと考えています。それが、知の伝達による人類の進化論的な考え方です。それは、故立花隆氏が唱え続けていたことでもあります。

 それは、人類だけが他の生物とは違い、生物学的なDNAだけでなく文字や言語を用いて次世代に大切なことを伝えられる~というものです。例えば私が、会ったことも無いカエサルや西行や、或いは戦艦三笠で指揮を執る秋山真之の心情を思いうかべることができるのは、それらの逸話を残してくれた先人たちのおかげだと思います。一方で、そのように綴られた歴史はほんの一部でしかありません。

 地球が出来て、人類が誕生してから今日までの歴史の中で、そのようなエピソードを残していった人物や、或いは、それを書き留めた事例は実際の出来事に比べればほんの一部です。実際、それは針の先ほどのことでしかないように思います。多くの名もなき人間が、色々なことを考えて行動し、私達が知らないような様々なことを体験して、夫々の命を終えていったのではないでしょうか。

 だとすれば、私達も、生きている間に考えた何がしかのことを次世代に伝え、少しでも世の中の役に立って死んでいくことを考えるべきだと思います。日々の生活に追われる凡人の話から、少し大仰な話になってしまいました。立春は目の前です。皆様、ご自愛を



2023 1月 16日 立ち位置




 新年を迎え、あっという間に二週間が過ぎました。今年も、時の流れの速さを感じながら暮らす一年となりそうです。本当に、ぼうっとしていてはいけないのだと思います

 さて、年頭に正月の過ごし方と雑感を述べましたが、その後の僅か2週間という短い月日の間にも色々なことがありました。まず、岡山県民としては、岡山学芸館高校サッカー部の全国制覇が挙げられるでしょう。また、その陰に隠れた形となりましたが、作陽高校女子サッカー部の全国大会3位入賞があります。個人的にいうと、津山市民である私には後者の方が興味があり、嬉しい気持ちがあります。

 さらにいえば、学芸館日本一は嬉しいことなのですが、大切な友人知己の一人でもある野村雅之作陽高校校長の心中を察すると、複雑な思いがよぎることは否めません。何度も、全国にその名を轟かせ、かつてあと一歩(全国2位)までチームを導いた名将は、インタビューに応じて素直に悔しさも滲ませていたように思います。例え慶事であっても、立ち位置によって湧き上がる感情は様々です。

 そのことは、日曜日に行われた女子駅伝でも感じたことです。津山鶴山中学の、ドル―りー朱瑛里選手が、17人抜きの区間新記録(9分2秒)達成の快走をみせました。これは、みていて本当に嬉しい気持ちになりました。まさに、地元津山に大きな希望を与えてくれる走りだったと思います。また、このことは、むしろ岡山県だけではなく、日本陸上界における明るい話題だといえるものです。

 ところで、そのようなニュースに接した時の私が抱く感情を考える時、その時私が置かれている立場が大きく投影されることになるのだと思います。さらには、その時の私の精神状態、つまり情緒的な背景が強く影響することも異論のないところかと思います。実際、世の中の事象に対する印象や感じ方については、その人の置かれている立場や環境などが大きく影響するということです。

 他方、他者に対する評価という視点においても、同じようなことが言えるのではないでしょうか。私の考えでは、一般的にその人が自分に対して有益であるかどうかが、所謂「良い人」・「悪い人」を決める基準になりがちだと思います。実際、胡散臭い噂があるような人であっても、その人と利害関係があり、その上便益を受けている人達から聴く評価に、悪いものが無いことは世の常ともいえるでしょう。

 しかしながら、公の立場の人間として物事を見る時には、自身への利害関係や、好き嫌いというような感情も含めた情緒的な背景は極力排除する必要があります。私は、そのように心がけているつもりです。例えば、市政や施策実施を考える際には、このまちの将来に資するかどうかが一番の判断基準だと思っています。また、そこには子どもや孫達のために何ができるのかという視点が含まれます。

 さらに、もう少し加えれば、このまち独自の施策実施を目指す必要があると考えています。それは、我が国の急速な人口減少下にあっても、このまちだけは人口が増えると言うようなものです。例えば、ここに来れば何故か成績が上がるとか、どこでもやっていない先進事例がたくさんあると言うようなことです。そして、何よりもそれを支える人々の高い住民意識の醸成が大切だと考えています。

 どのような効果的な施策も、取り組む市民に郷土愛と高い倫理観を備えた高い住民意識がなければ、望むような成果はえられません。それは、長い住民自治活動や現在の議員としての活動を通して、私が強く感じている確信のようなものです。また、そのための人づくりへの取り組みに対しては、これからも「良い人」達と力を合わせて、出来る限りのことをしていきたいと考えています。

 まぁそれは、私から見た「良い人」という意味に他なりませんが、今日までの自身の取り組みを通して振り返ってみると、強ち当たらずとも遠からずだと思います。実際私は、そのような人達と力を合わせて取り組んで来たように思います。一方で、それは邪な考えの人からみれば、邪魔になるやっかいな人達かもしれません。そのような意味からいえば「悪い人」にもなり得るでしょう。

 本当に、立ち位置により人の評価は随分変わってしまいます。とはいえ、簡単に生き方は変えられません。また、悪い人は良い人になれず、良い人も悪い人にはなれないというのが私の実感です。少しだけ言えば、良い人達はあまり語らず、悪い人達はよく喋るという傾向はあります。それは、嘘はつき続けなければいけないからです。反面、概して良い人達がそのようなことをやらないのも事実です。

 とかく世の中は、喧しく他者を批判する人達が目立つ傾向ですが、時にはふりかかる火の粉を振り払うことも必要です。今年も、しっかりと自らの立ち位置を見失わず、世の中のために役立つ生き方を貫いて行きたいと考えています。



2023 1月 4日 年頭にあたり一言   




 あけまして、おめでとうございます。本年もよろしくお願いいたします。今年は、天候を含め、穏やかな正月を迎えられたと思います。改めて、平和の有難さや、安寧という言葉の意味を考えています。

 今年も、所謂コロナ禍の影響により、賑々しく新年を祝う集まりなどは自粛気味のように見えます。私も、模様を眺めながら様子を窺っているといった感じです。とはいえ、商工会議所などを中心にした互例会は、3年振りに行われたということです。手探り状態ではありますが、お互いに顔を見ながら行う地域活動やイベントに、取り組もうとする機運は高まり続けているといったところだと思います。

 ともあれ、今年のお正月もどうしても欠かせないご挨拶以外は、極力精神と身体を休めるために時間を使いました。まず、2日~3日は恒例の箱根駅伝をテレビで観ました。今年の往路では、芦ノ湖に駒沢・中央・青学の順でゴールしましたが、そこまでの内容は実に面白い展開でした。また、東京国際大学のヴィンセント選手が、3つ目の区間記録を達成するという快挙もありました。

 いずれにしても、首位スタートで復路を駒大に気持ちよく走らせたら逆転は難しいと思いましたが、その通りというか、予想通りの駒大の優勝となりました。その駅伝の合間と後を受けて観た大学ラグビーでは、こちらも予想通り早稲田と帝京が決勝に進みました。京産大の敗北を「予想通り」とは言いたくないのですが、今一つ詰めが甘い試合運びが愛すべき点でもありますので、良しとする他ありません。

 私としては、中央大学が往路で2区間で区間賞を取り、全体でも2位に入ったことが喜ばしい成果でした。中央大学が好きな理由は、ユニフォームのマークの赤いCの文字にありまして、これは昭和50年にジャイアンツからカープに変節した時から変わっておりません。といっても、そのCの文字でいえばカープよりも中央大学の方が先だと思いますが、何となくCとかPという文字には惹かれるものがあります。

 一方で、暮から目を通しておきたかった文書(本や雑誌等)にぶぁーっと目を通して、気分だけは何となく納得しながら年越しをしたという感じがします。本当は、もう少し文章の中に耽溺するような時間も持ちたかったところですが、体力的なこともあったのかもしれません。やはり、集中力の維持には体力的な裏付けが必要なのだと思います。そのような意味からも、今年は疲れを取ることに専念しました。

 また、あまり言いたくありませんが、年齢による衰えもあるといえるでしょう。年々、集中力などの持続時間が減少していくという現実は、やはりどうしても否定し難い部分ではあります。一方で、新潮にコラムを連載しておられる五木先生(文豪)のような人のことを思えば、私のような若輩が年齢による衰えなどを口にするのは、まことにもって憚られるような思いがしてしまうところでもあります。

 さらにいえば、年齢云々というのは個人の持つ素養というか個体差による部分が大きいので、歳だから~というような言い方はあまりしたくありません。考えてみれば、小欄も開設して20年を超えましたが、20年前も今も根っこの部分は変わっていないような気がします。むしろ、小欄を始めた頃の方が年寄り臭いことを語っていたように思います。また、大人としての発言を意識していた部分もあると思います。

 そこには、小欄を綴り続ける根底にある日本人の精神性への回帰への提言や、人として持つべき志の大切さなど、語り続けなければならないことがあるからだと思っています。また、文体に関していえば、コラム欄などと称している割にはですます調を使っています。このことは、とりもなおさず読者一人一人に語りかけたいという思いがあるからです。

 またそこには、自分自身を謙虚に保とうとする自戒のような意識があるかもしれません。子どもの時から頭でっかちで、ともすれば自分の思いを独りよがりに語りたがる傾向がある私には、このような〇〇です、或いは□□のように思いますという表現の方が良いのではないかという気もしています。もちろん、である調でもですます調でも中身は変わりませんが、何となくこのような形態になりました。

 他方、私の大好きな日本語は、話し言葉や書き言葉という視点から見ると、完成した言語であるとはいえないような気がする時があります。かつて、漱石が小説という形で確立させた日本語の文体は、現代においても表現に関する迷いや悩みを孕ませている気さえしますが、私が、自らが思うところを述べ、誰かに伝えていきたいと願う心が変わらない限り、小欄は続けていきたいと考えています。

 今年は特に、年末から年始にかけて心温まる言葉や励ましの連絡(多様な手段による)をたくさんいただきました。あらためて、自分は人に恵まれているなぁという気持ちを強くしました。心から、ありがたいなぁ~と思う年の初めでした。

 


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