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これまでのコラムが納めてあります。
※バックナンバーはNO.1~NO53です。できれば、通してお読みください。
  (根底に流れるものを、くみ取っていただけると思います)
                                              

                 グリーナブルヒルゼン          漢江の夜明け         鶴山の桜           エコ商事
NO.53      

2024 7月 1日 機を見て敏に動きたい   


 7月になりました。田圃の稲は、人間の悩みや営みなど知らぬかのように、日々成長しています。梅雨空の下で稲の成長を眺めながら、愚かな人間の性を嘆く日々が続きます。

 さて、以前(本年5月20日付)にも書きましたが、私の住んでいる地域には所謂迷惑施設があります。実は、その業者は地域内に本社を含めて3箇所の施設を持っています。その中で、1年に2回も大きな火事を出した施設が私の家の近所にある訳です。もっとも、他の2個所も近いといえば近い場所に存在しています。そして、この度、そのうちの1つ(本社機能がある施設)が火災を発生させました。

 折しも、この6月議会において、私が一般質問で取り上げてから4日後(質問戦最終日の翌日)のことでした。まったく、人を馬鹿にしているとしか思えない出来事です。これも以前から述べていることですが、この業者が夫々の施設にストックしている物品は、どう見ても有価物とは言えないものばかりです。したがって、どの施設からこのような火災が発生してもおかしくない状況にあります。

 火災により、夜の闇の中で大量に吐き出される黒い煙は、人間の健康にどれだけ被害があるのだろうという不気味さを醸し出していました。また、この施設の前面には用水路があり、消火のために放水された水が流れ込んでいくことは容易に想像できます。その用水路がたどり着く河川のすぐ下流には、本市の水道の取水口があります。そのことは、これまで火災が起きた施設でも同様です。

 そうした、環境への影響なども考えれば「ああ、また火事を出したか」というような、評論家的な視点で眺めていることは出来ません。実際に、この火災を受けて、地域住民の不安はさらに高まっています。一方で、この状況は、翌日のワイドショーでも取り上げられて(全国版)その様子が報道されました。津山市民をはじめ、隣接する町などからも、不安を訴える声がたくさん聞こえてきます。

 私は、これまでにも根気よく事態の打開策を模索し、本市の執行部を質してきました。しかしながら、議会での一般質問を終えたばかりで起きたこの火災には流石に驚きました。何というのか、怒りのような感情がこみあげてきました。 そうしたこともあり、まずは、直接の営業許可権者である岡山県を念頭に置き、津山市議会から意見書を提出する提案を試みました。

 それは、本議会の最終日(7月2日)に議案会として起案することを念頭に置いたものでした。基本的な流れとして、市議会における夫々の会派をまとめる会派代表者に諮るところから始めました。しかしながら、タイトなスケジュールの中で、取り急ぎ作成した意見書(案)は修正や調整が必要なものになってしまいました。結果的に、もう少し内容を検討して、再度取りまとめることとしました。

 厳しい日程と準備不足もあり、そのこと自体は仕方ないことかなぁと思います。それでも、日々の暮らしの中で切迫した不安感を抱いておられる地域住民の皆さんのことを考えると、忸怩たる思いがします。一つには、意見書を提出するタイミングを考えた時に、同社が火災を起こした今がベストだと思うからです。まさに、マスコミの報道に取り上げられ、市民からの注目が集まっている今がベストです。

 それは、日頃から施設の状況や同社の行状をつぶさに見ている、私だからこそ浮かんでくる感情だといえるかもしれません。例えば、実際に現地や同社の行状を見ていない人には、地域住民が抱く不安や危機感は中々自分事としてイメージできないのだと思います。やはり、直接現場を見ることは大切なことです。一方で、各自が自分に家の隣にこんな施設ができたらどのように思うのかという気もしました。

 いずれにしても、しっかりと意見集約を図り、次の議会には上程したいと考えています。実際には、この4月からの人事で執行部の体制も変わり、より積極的な取組が図られる手ごたえを受けていたところでもあります。新たな人事体制の下で、多様な方向から憂慮すべき現在の状況が改選されることに期待したいと思います。一方で、今後におけるさらなる世論の高まりにも期待したいところです。

 何といっても、世論の高まりによりかかる圧力が、このような場合における事態の打破には大きな力となります。そのことは、これまでの同様の事例からも明らかです。一方で、市民から選挙で選ばれた我々議員は、こうした事態にいち早く注目し、的確な状況把握に努め、有効な解決策を探る必要があります。提出する文書の書式や、体裁などに拘る前にやるべきことがあるはずです。

 少し、端折った言い方をしましたが、そのような市民に寄り添った気持ちがあれば、短期間でも積極的に意見を出し合い、意見書をまとめることができたのではないかという気がしています。自戒を込めて言えば、議員も世の中の役に立つ仕事をタイムリーにしてこそ、存在意義があるのだと思います。


2024 6月17日    風の行方



 間もなく夏至です。ついこの前、新年のご挨拶をしたような気がしますが、気が付けば一年の半分が終わろうとしています。こうして、暑さを嘆きながらも、恙なく過ごせることは幸せなことだと思います。

 さて、先週の日曜日には、私が理事を務めている地元こども園の50周年祝賀会が催されました。ここ数年のコロナ禍により、こうした晴れがましいイベントは中々できませんでしたが、市長をはじめとする多くの来賓の皆様のご出席をいただき、市内のホテルで盛大に挙行できたことは何よりの喜びです。また、園長以下職員の皆さんにより、準備段階から当日まで一生懸命に盛り上げていただきました。

 さらには、担当理事としてご尽力いただいた地元公民館長の、名プロデュースのおかげを持ちまして、きちんと予定時間の中に収まるスケジュールを組んでいただきました。それでも、過不足のない時間配分というのか、本当に心温まる感動的な祝賀会ができたと思っています。関わっていただいた多くの皆様に対して、感謝とお礼の気持ちを、心よりお伝えしたいと思います

 当こども園は、最初保育園としてスタートしてから50年ということです。現在は、津山市の方針により公立幼稚園が統合される動きの中で、幼稚園児も受け入れられるこども園としての機能を備えた組織になりした。名称も、それまでの院庄保育園から院庄さくらこども園に変更しています。また、こども園になってすぐに、老朽化した園舎の改築が行われ、子ども達にはとても良い環境になっていると思います。

 実は、この園舎の改築に合わせて、50周年を先取りしてお祝いをしたいという要望というのか、願望のようなものがありました。しかしながら、コロナ禍の影響により断念して今日に至っていた訳です。それだけに、祝賀会当日における関係者の喜びようもひとしおのものがありました。特に、私達のこども園は地域との繋がり(結びつき)が強く、地元関係者にも喜んでいただけたと思います。

 ところで、そのような地域との結びつきの根源にあるものとして、地域の子どもは地域で育てていこう~という住民意識が、この地域には古くから醸成されていたという背景があります。もちろん、ご多聞に漏れず、人口減少や少子化などの流れの中で、頼みの地域力は疲弊し続けているのが現状ですが、まだまだ私達のまちには残っていると思っています。

 さらに、運営を担う理事・評議委員などの役員に関していえば、少し他の同様な施設とは趣が異なるかもしれません。それは、理事長以下ほとんど無報酬に近い形でその任に就いているからです。もちろん理事会等の開催に合わせて幾ばくかの費用弁償はありますが、それ以外に、園から何かもらうことはありません。それは、色々紆余曲折を経て現在に至った形ですが、しばらく続いています。

 何よりも、こども園の経営に負担を与えてはいけない~という考え方に基づいて、自然にそのような形になっていると私は理解しています。何故ならば、国の施策による指導と支援体制もありますから、そのことを守りながら経営していけば、本来のこども園の経営自体は成り立つはずです。ところが、経営破綻したりする施設では、一部の人の専横があったり独善的な経営が行われがちです。

 実際には、そのような事例は、高齢者を対象とした社会福祉法人で起こることが多い筈です。何というのか、本来の趣旨である人助けというよりは、経済活動としてやっている人が散見されるからです。そのようなことを背景として、社会福祉法人にはたくさんの決め事や縛りごとがありますが、基本的に理事会・評議委員会がしっかりしていないと、危ういというのが実情だと思います。

 そのことは、本当に切実です。うそのような事例ですが、このまちでは、あの石井十字と同様の志で同時代に創設された歴史ある児童養護施設が、わずか数年で経営破綻に陥りました。所謂胡散臭い人が役員に名を連ねたな~と思っていたら、それからすぐのことでした。逆に言うと、理事会・評議委員会の責任に追うところが多いので、そこがおかしくなるとまたたく間におかしなことになってしまう訳です。

 私達のこども園においても、色々なことがありました。しかし、地域の子どもを育むためのこども園を守らなければならないという意識は、どこよりも強いものがあると考えています。課題や問題が起きるたびに、みんなで議論し力を合わせて今日まで支えあってきたと思っています。その結果が、明るく風通しの良いこども園の姿に現れています。そして、そこには柔らかな暖かい風が流れています。

 私達役員は、これからも、この暖かい風が流れ続けるように、院庄さくらこども園を守っていかなければならないのだと、さらに心に誓うことになった今回の祝賀会でした。とても楽しくて、優しい気持ちになれた日でした。


2024 6月3日   手前味噌ですが



 6月になりました。日中の日差しは益々強くなります。とはいえ、朝夕はそれを忘れさせるようなひんやりとした風も吹き、寝具や服装の対応に追われます。それは、若い時にはあまり気にしなかったことではありますが。

 そうした日々の中、5月の終わりに代掻きをし、6月の初日に田植えをしました。昨年から、作付けする稲の品種が変わりました(やや奥手のものに)が、何故か田植えの日はそれ程変わっていません。やはり、井堰から水が上がりだすと一気に農作業に勤しむ機運が高まる様子は、依然として変わらないものがあるようです。いつまでも、そうした小規模な農家の営みが続くことを願います。

 一方、5月27日には、私が長年所属する不動産関係の組織の定時総会がありました。これが、結構フォーマルなセレモニーでして、岡山プラザホテルを会場にして行われます。総会後の懇親会も、県知事や岡山・津山などの市長をはじめ、岡山県選出の国会議員、関係する県会議員などをお招きして盛大に行われます。といっても、近年はコロナ禍で自粛しておりましたので、5年ぶりの正式開催でした。

 私も、ただ長く在籍しているという理由からか、副本部長というような役職をいただいています。したがって、総会の要所で発言しなければならない機会もありますし、懇親会では閉会のご挨拶をさせていただきました。とても和やかで、良い雰囲気の総会・懇親会ができたと思います。ところで、国会議員や県知事、首長などは公務が忙しく、大抵は代理で秘書等が出席することが多くなりがちです。

 そのような中、トップの代理で出席していただいた岡山市と津山市の副市長が、共に技術士の仲間でありましたので、同席されていた副知事を交えとても楽しく過ごすことができました。。これも、本部長や協会スタッフのご配慮によるものと感謝していますが、個人的にも公の人間としても、より交流を深めることができたと思います。また、このことは本当に有難いことだと考えています。

 印象的だったのは、その時交わした会話の中で「あの真夏の一日、12,000字の論文を書いた者同士として、不思議なシンパシーを感じますね」という言葉を聴いたことです。それは、発注者とか受注者などという立場の違いを超えた、お互いの努力に敬意を表する気持ちに他ならないものだと思います。そのような言葉を両副市長から聴き、私の中にも広島工大の堅い椅子の感覚が蘇りました。

 また、「やはり、それなりに勉強しないとねぇ~」という努力や自負に関する思いを、私から見れば俊英と思われる人達の口から聴くことができました。本当に、あの頃一生懸命に頑張って良かったなぁと思う一時でした。さらには、そうした会話の中から、技術士仲間の共通した知人に関する近況や消息などについても、色々と情報交換することもできました。まことに、冥利に尽きるとでもいうべき夜でした。

 他方、津山市の副市長は岡山県の元土木部長でもあります。そのような、優秀な人材が本市に赴いてこられるのは、やはり市長と知事との間に良好な信頼関係が構築されているということです。このことは、現在、本市と経産省などの国の機関との間で行われている人材派遣などにも反映されています。実際、私達の会派では中央官庁から派遣されて来た推進監を囲んだ勉強会なども実施しています。

 一方、様々な名目の補助金等の確保や有力な情報をいち早く入手することなどにおいて、中央官庁や県などと良好な関係を構築しておくことは、本市のような地方自治体においてはとても大切なことです。そのような視点からいえば、現在の体制になってから飛躍的に良くなったと思います。やはり、中央官庁や、岡山県等との良好な関係構築に基づくパイプ作りは重要です。

 そして、これは言うまでもないことですが、そうしたパイプというものは人と人、人間同士の付き合いから構築されていくものです。つまり、人と人が出会い、会話をしながら交流を深めるところから、良好な関係が出来上がって行くものだと思います。いきなり、PC画面から救いの手がさしのべられる訳ではありません。そのような意味からも、人間関係というものはとても大切なものだと思います。

 私の場合に限って言えば、技術士という資格がそのために必要なパスポートのような位置付けになっています。また、そのような便益を語るまでもなく、エンジニアとして他分野の人達と多くの関りを持つことができ、自らの見識を拡げることにも繋がりました。それだけでも、有難いことだと思います。そのうえで、これまでに得た友人知己のことを考えると、技術士になって本当に良かったなぁと思います。

 もちろん、技術士といっても知らない人も多く、興味のない人もいます。それでも、「あの真夏の~」という会話は、改めて私に自信を与えてくれるものでした。改めて、志を備えた後輩を育てていきたい気持ちが強くなりました。ともあれ、志は大切です。


2024 5月20日   少し語れば



 先週から、「晴れて暑い」という天気予報です。確かに、そのような天気は続いているのですが、体の芯から寒さを感じる時があります。一方で、日中の暑さもあり、寒暖差についていくのも草臥れます。

 さて、今回の表紙ページのキャッチ画像は、私の近所にできた施設です。農地転用時の許可事業としては、古物営業、金属くず回収業ということになっています。しかしながら、どう見ても山積みされているのは到底「有価物」とはいえないものです。また、この施設は、できて間もなく1年間で2回も大規模な火災を起こしています。その間にも、小さな火事を起こしており、地域住民の不安の種になっています。

 実際、度々起きる火災の原因は、杜撰で不適切な物品の保管状況に起因しているものと言わざるを得ません。例えば、屋根もないところに乱雑に積み上げられた、廃棄物のように思われる物品の中に含まれる、電池のようなものから出火したり、水にぬれると化学反応するような品物が山積みされているのではないかと思われるところから、雨降りの後に火が出たりする事例もみられます。

 また、同施設には、汚水等を施設外に出さないための設備は見受けられません。したがって、雨が降れば、油脂類ばかりでなく市民の生活に悪影響を及ぼす悪水が、容易に流出してしまう状況です。その悪水の影響を懸念する声は、周辺で農業を営む人たちばかりでなく、多くの市民から聴かれるものです。さらに悪いことには、本市の浄水場の取水口は、現地から僅か数キロ下流に位置しています。

 画面で、手前に見える少し綺麗に耕運している田圃が、私の所有する水田です。そして、画面の端、向こう側にちらっと見える建物は、コメを扱う地元企業です。さらには、同施設は吉井川堤防に隣接しています。周辺環境への影響や、水質汚染などの懸念を考えれば、良くもまぁこんなところにという感じです。また、根拠もなく鉄骨を打ち込み、鉄板をはっただけの外壁を見ても胡散臭さが漂います。

 一方で、当該事業者は、近年日本国籍を取得した中国人のようです。そうしたこともあり、一連の対応には言葉が解らないと答えたりして、確信犯的です。制度などについても、熟知している気がします。例えば、古物営業や金属くず回収業の許可件者は岡山県です。それも、届出ですむようなことです。他方、そうした業種と正規に産廃を扱う施設では、適用される法律は違い求められる設備も違います。

 本来、産廃施設であれば開発許可申請の対象となり、アプローチする道路についても、吉井川堤防の幅員3mというようなものでは許可されません。ところが、現状では、市道となっているこの堤防上の管理用通路を、写真のような物品を積んだトレーラーが出入りしています。結果的に、表面の舗装が破損するばかりでなく、堤体そのものに対するダメージについても大いに懸念されるところです。

 私は、この施設が最初に出した大規模な火災(18時間後に鎮火。写真は2回目で17時間後に鎮火)発生の時から、同施設が、何故農地転用が許可され営業できるようになったのかということをはじめ、様々な問題について議会における一般質問で市の執行部を質し、善後策の模索について議論を重ねてきました。何といっても課題は、産廃施設にある厳しい基準が、古物営業等では適用されないことです。

 したがって、物品の保管場所についても全く基準が違う(古物営業等では無いに等しい)のです。私も、置かれているものは産業廃棄物と呼ぶべきものではないのかと、執行部を通じて当該業者に回答を求め、管轄者の岡山県に問い合わせたりましたが、所有者が有価物であるといえばそれは有価物である、というような、まことに木で鼻を括ったような返事ばかりをもらっています。

 そして、驚いたことには、当該施設のように屋外に野ざらしで置かれているものに対する、周辺環境への影響を排除するような法律や条例が無いということです。私は、例えどのような営業形態であっても、保管された物品が周辺環境に悪影響を及ぼさないための法的な規制が必要だと考えています。そのことを執行部に強く訴えた結果、条例制定に向けて取り組むという答弁も得ています。

 例えば、自分の家の隣にこのような施設が出来たら、皆さんはどのような思いがするでしょうか。残念ながら、現状は、まどろっこしいというのか、速やかな事態の改善には結びついていない状況です。それでも私は、岡山県と津山市の連携強化に基づき、一刻も早く状況が改善され、地域住民や市民の安全・安心に繋がるように、粘り強く取り組んでいくつもりです。

 本来、私は、小欄において政治的課題などについてはあまり語らない主義です。それよりも、私の信条や考え方を理解してもら為に、身近なエピソード等を通して感じたことを綴ってきました。しかしこの頃、それも少し頑なな気がしてきました。もちろん、議員としての行動はやったことを見てもらうしかありませんが、時々は、取り組んでいることに言及してみようかなと思います。


2024 5月6日   先生の筍



 ゴールデンウイークも終わります。まことに、5月初旬とは思えない、異様な強い日差しが注いています。ついこの前まで色を失っていた山々は、見違えるような新緑となって、濃い青空に映えています。

 といっても、濃い青空の背景には、強い太陽の日差しというものがあります。一方、報道によりますと、この4月は史上最も暑い4月であったとか、またぞろといった感じですが、学習しないホモサピエンスによる、キャパシティーを超えた地球への負荷のかけ方は、どこまで行けば止まるのでしょうか。終わらない無益な戦争や侵略行為と共に、嘆息せざるを得ないのが実状です。

 さて、先日、恩師のお宅から筍をいただきました。私は、雑用から帰ってからそのことを知ったのですが、時あたかも先生のご命日の翌日でした。まるで、桜にうつつを抜かし頭がぼけていた私に、恩師から喝が入ったような思いがしました。何よりも、亡くなられたS先生と私の旧交を変わらず覚えていただき、季節の香りを届けていただいた、ご子息ご夫妻のご厚情に対して感謝の気持ちで一杯です。

 以前にも述べたと思いますが、S先生は、私の初代後援会長です。さながら、火中の栗を拾うような状況でその職を受けていただきました。詳細は省きますが、先生がおられなければ、私は立候補さえできていなかったように思います。また、先生は、地域の健全育成会の創設者であり、初代会長でもあります。因みに、この組織は、本市の中では最も早くこの地域において創設された組織です。

 話は、20年以上昔にさかのぼりますが、私が自治会などの活動に関わるようになってから、親しくさせていただくようになりました。先生は、高潔で真面目な人でしたので堅いイメージがあり、最初のうち私は、少し苦手意識を持っていました。しかしながら、折に触れご指導をいただき、何度となく酒席などを共にさせていただくようになり、何故先生が地域から敬愛されているのかが理解できるようになりました。

 また、実は情に厚く優しい人であることについても、実感するようになりました。そのような思いは、共に杯を重ねマイクを譲り合いながら、一層深くなってもいきました。今更ながら、先生が寛容に私を受け入れていただいたことに、深く感謝しています。そもそも、高専で数学の教授をされていた人なのですが、むしろ歴史や芸術といった文化的な面において色々と教えていただいたように思います。

 今でも、「わしの筍は美味いんじゃ」と言って、拙宅を訪れていただいた時の笑顔が思い出されます。
筍だけでなく、立派な白菜など季節の野菜などもいただきました。私が、「先生、寺から里へですよ」と恐縮すると「まぁ、食べてみなさい」と告げ、さっさと帰っていかれる仕草が懐かしく偲ばれます。まことに、私などがいうまでもなく、本当に誰からも敬愛される人であったと思います。

 余談ですが、前述の歴史文化への造詣という意味からは、S先生の一年後に他界された洋子先生(夫人)の影響があったのだと思います。これも余談ですが、S先生が亡くなられてしばらくして、我が家の窓に一匹だけ蛍が飛んで来たことがありました。そのお話を洋子先生にしたときに「それは、間違いなく琢也ですよ。貴方に会いに来たのよ」と少し嬉しそうに仰っていただいたことを、強く覚えています。

 そういえば、手前味噌で少し面映いお話ですが、地域の行事で私が挨拶などすると「政岡さん、格調高くて今日も良かったよ」などと裕子先生に褒めていただいたことがあります。恐縮する気持ちと喜びが重なり、複雑ながらも心から嬉しくなりました。今更ながら、有難いご縁をいただいたと考えています。本当に、人生において良き友人知己に恵まれた人は、それだけで半ば成功しているのだと思います。

 そのような、私の人生観に対する価値規範が育まれていく過程で、S先生の存在が大きく影響していることは間違いありません。時折私は、じじいがじじいに会いたくなる~などと呟きますが、その言葉通りに、会いたいなぁ~と思う人でもありました。今でも、先生がご存命であれば~と思うことがあります。これからも、先生から授けられたスピリットと筋を通す生き方は、貫いて行きたいと考えています。

 とはいえ、先生がご存命の頃とは地域の様相も変わりました。健全育成会などの組織活動も、衰退している状況です。そうした地域の自治活動などについて、先駆的で活発な取り組みをしてきた地域力も、衰退しています。そこには、高齢化や少子化などという一般的な理由と、この地域独特の理由が包含されています。私は、既に一線を引いた立場ですが、できることを自分なりにやって行くつもりです。

 先生の筍は、あく抜きも不用な位で、本当に美味しい筍です。お届けいただいた夜には、先生の思い出を語りながらいただきました。慈愛に満ちた、S先生の眼差しが思い出され、幸せなひと時でした。


2024 4月22日   歴史に学べ



 まるで、宴の余韻を引きづるような、またそれは、4月とはいえないような暑さの後、少し冷たい雨が降りました。虚ろな感覚は、妖艶な桜の幻想から覚醒するために必要な虚脱感なのかもしれません。

 さて、先日は高知・愛媛両県で初めて観測された(現基準で)震度6弱という地震が発生しました。岡山県でも、震度3が観測されたようですが、私自身は感じることなく早目の眠りに落ちていたようです。全く、日本全国どこで大きな地震が起きても、おかしくないといった感じです。今回の地震は、東南海地震と関連するマグニチュードの基準値を下回ったそうですが、それとて、人間が設けた基準に過ぎません。

 絵空事ではなく、小松左京の日本沈没というお話が思い出されます。そこには、色々な意味で限りある地球に住みながら、一向に身の程をわきまえようとしない人類の奢りに対する嫌悪感と、私自身への無力感が潜んでいるように思います。まことに、歯痒い思いです。歯痒いといえば、ウクライナへのロシアによる侵攻をはじめ、イスラエル、パレスチナに関する問題など枚挙の暇がありません。

 どうして、このホモサピエンスという人類は、歴史に学ぶことを知らず愚かなのでしょうか。とはいえ、例えば賢者は歴史に学び~というドイツの鉄血宰相ビスマルクの言葉も、ただの知識として捉えているだけでは、経験に学ぶという愚者による検証さえできないのだと思います。本当に、私たち一人一人が、起きている事象や問題について、我が身に起きたこととして考える必要があるのだと思います。

 そのような考えの基、身近な地域の代表選びなどの場面から、真剣に考えた判断を下す訓練をしていく必要があると思います。本当に、僅かな緩みというのか、まぁ良いか~が、ブレーキのきかない事態を招き、悲惨な全体主義への道を辿ることに繋がりかねません。これは、愚者である私が、経験の中で学んだことでもあります。それは、学んだというよりは、体験により検証してきたことです。

 一方で、そうした適正な判断に基づく最善の判断をしていくために、広義な意味における教育というものが大切になります。ここでいう教育とは、人づくり全般をイメージした概念ですが、簡単に言えば人さえ良ければ~という感覚です。このことは、始終述べていますが、私は、人さえ良ければ物事は上手くいくと考えています。また、人さえ良ければ決め事なども、驚くほど少なくなると考えています。

 そのような、良い人を育てるために、学校や地域を含めた取り組みが必要です。もちろん、基本は家庭ですが、高い倫理観と郷土愛に裏付けられた、高度な価値規範を醸成していこうとする地域の空気が大切だと思います。私は、そのための基本理念として、また、柱となるべきものが日本人の精神性への回帰であると考えています。言いそびれましたが、学校は基本的に知識を学びに行くところです。

 小欄においては、ことある毎に日本人の精神性に言及しています。それは一言では語れませんが、例えば胸に手を当てて考え、恥ずかしくない行動を取るというようなことです。むしろ、曲学阿世となるような豊富な知識よりも、自らの信念に基づき正しいと思う行動をしていくことの方が大切だと考えています。そのために、本をたくさん読み、優れた友人知己を求めることが大切です。

 とはいえ、知識は量ではありません。少し話がぞれますが、浄土真宗八代宗主蓮如上人は「八万の法蔵を知るとも後生知らざるものを愚者とする~と説いています。宗教的には、いくらたくさんの仏教に関する知識があっても、信心する心が無ければそれは愚者であるという言葉ですが、この「信心する心」を「人として持つべき価値規範」と置き換えれば、何となくわかるような気がします。

 この、蓮如については五木寛之氏も書いています。また、私が影響された作家の一人である吉川英治は、真宗門徒であったと思います。吉川英治の本は、鳴門秘帖、宮本武蔵、三国志など、若い時から繰り返し読みました。また、生い立ちや生き方など、影響を受けた部分も多々あります。特に、戦前の大政翼賛会的な戦争を肯定するような行動と、敗戦によるショックは身につまされるようなものがあります。

 アメリカ統治による戦後体制が構築されていく中で、まるで手のひらを返したように変貌する世の中や、作家仲間達を見ての失望と嫌悪感などは、もしも自身がその立場にあったなら如何なものかと思います。他にも、ユングや河合隼雄の思想につながるような、日本社会における母と息子の結びつきの強さを感じさせる生き方は、私の歩んできた人生とも重なるものがあり、頷くことしきりです。

 因みに、吉川英治の執筆への情熱を取り戻したのは、友人である菊池寛だと言われています。また、檀一雄の火宅の人には、度々太宰や坂口安吾の名が現れます。良きにしろ悪しきにしろ、人は一人では生きられません。良い、友人知己に恵まれたいものです。



2024 4月8日   桜と、繋がる人達



 今か今かと気を揉んでいましたが、一気に桜は咲きました。少し雨なども降り、ぐずついた日もありましたが、今年はその姿を存分に見せてくれた年といえるでしょう

 私も、公的な行事と私的な振舞を併せ、何度かお城山と呼ばれる鶴山公園に足を運びました。そこには、これまで息を潜めていたコロナ騒ぎが、一応収束したという世の中の空気が少なからず影響しています。公的にも、他都市からのお客さんを招き鶴山の桜を眺めてもらえるようになったことは、このまちにとっては大変喜ばしいことであり、また、有難いことだと思います。

 一方、個人的にはこれまで長い間、エンジニア仲間に声をかけて続けてきていた夜桜を見る宴を、5年ぶり(恐らく)に再開することができました。旧知の人に加え、最近資格取得した人達に声をかけ、鴨鍋を囲んで交流を深めました。その中には、この集まりのためにわざわざ鹿児島から足を運んでくれた人もいます。このことには、いつもながら感謝するばかりです。本当に有難いことです。

 手前味噌ですが、この資格を取得し、志を持ちながらあと一歩届かない人達を支援してきて良かったなぁと思います。また、その活動を通したご縁をいただきましたが、そこには巡り合う時期や私の置かれた状況や精神的な背景など、多様な条件がマッチして現在のような人間関係が構築されているのだと思います。それは、たくさんの偶然と多くの必然がまじりあって出来上がったものでもあります。

 そうした意味から、ご縁というような言葉を使いました。その中で少し触れてみたいことは、最近資格を取得したような若い人とベテランと言われる人達を繋げることによって、良い意味での化学反応が起こるということです。それは、主に若い技術者の方に起こります。大体において、彼らは平素業務を行っている組織以外の人との関りは薄く、多様な分野の先輩たちと話をすることは意義深いことだと思います。

 今回も、参加してくれた人達からは、視野や考え方が広がったという感想をもらいました。実際、この資格を取得することによって、他分野の人との交流機会や刺激を受ける機会は格段に広がります。そのことは、これまで私が生きてきた中で強く感じていることでもあります。そのような意味からも、また、私自身が心から楽しめる宴として、これからも出来得る限り続けていきたいと考えています。

 一方で、そのような人とのつながりを考える時、その関係性をどのように表現したらよいのかと考える時があります。私は、ここまで述べてきたような人達、所謂、私が会いたいと思う人達に関していえば、友情のようなもので繋がっているのではないかと思います。しかしながら、友情という一言で表現できる関係でもないように思います。そこには、当然ですが利害関係を超えた何かがあると思うのです。

 また、その結びつきの支えとなる感覚には、年齢差なども関係ありません。ただ、.お互いの人間性や価値観に基づいて、出来上がっていく情愛のような感覚が根底をなすものだと思います。この理屈だけでは割り切れない感覚について述べるには誌面が足りません。また、この場では、そのように理論的に背景を論ずることよりも、直感的な私の思いを語りたいと考えています。

 ところで、この、情愛とか友情に関する考察は、河合隼雄が「大人の友情」という著書で行っています。話はそれますが、この人は、考えれば考える程表現することが難しい人間の内面に関する事柄について、なるほど~と納得させてくれる数少ない表現者でもあります。うまく言えませんが、その背景にも、その人自体が持つ人間性が大きく投影され、他者に影響を及ぼすようなことがあるのだと思います。

 因みに、私自身があいたいと思う人は多岐に渡ります。また、そこには年齢とか性別などという条件もありません。どちらかといえば、年長者というのか、私より年上の人の方が多いかもしれません。そうした動機で面会のために足を運ぶ時、じじいがじじいに会いに行く~などと心の中で嘯いたりすることもありますが、既に鬼籍に入られた師匠や先生方を含めて年長者に会いたいと思う傾向はあります。

 もちろん、単に年を取っていれば良いということではありません。繰り返しになりますが、年齢差に関係なく「この人に会いたいなぁ」という想念が自然と湧き上がってくるものです。余談ですが、今回のエンジニアの宴にも、一人だけ門外漢ともいえるかつての同僚(期数は先輩)も参加してもらいました。それも、私の勝手なつごうですが、とても楽しい一時を共有してくれたことに感謝しています。

 大谷のドジャースを、今永が抑えている状況下、雨による試合中断の再開を気にしながらキーボードを叩いています。少し、とりとめの無い話になりましたが、桜の花から想起される思いを綴りました。予想される今日からの雨を受け潔く散っていくとは思いますが、愛おしい花ではあります。



2024 3月25日    若さを考える



 生みの苦しみ、と、でもいうのでしょうか。春の陽光が訪れる前に、ぐずついた空模様が続いています。それでも、濡れた枝の先にある桜の蕾は綻びかけています。もう少しです。確かに春は来ています。

 さて、荒れる春場所は、新入幕尊富士の優勝という快挙で幕を閉じました。「記録だけでなく、記憶にも残りたい」と答えたインタビューは、その落ち着いた態度と共に強い共感を覚えました。まことに、賞賛されるべき内容の相撲と土俵態度であったと思います。同じく、大学相撲出身の大の里の活躍などもあり、若い世代の躍進が大いに期待されます。改めて、若さの持つ素晴らしさを感じています。

 一方で、その若さを持っている時には、若さの素晴らしさや有難さを十分認識できないのが、人間の愚かなところとも言えるでしょう。まぁ、愚かというよりは、仕方のないところかなぁと思います。本当に、若い時は明日を約束されていない命でありながら、果てしなくいつまでも生きるような気持ちで暮らしている人が大半だと思います。だからこそ、「何のために生きるのか~」などという議論を挑みがちです。

 反面、そうした議論などから見つけたはずのやるべきことについては、またそんな機会があるだろう~などと、いくらでも時間があるように錯覚してしまいがちなのが、若さというものかもしれません。他方、何もわからなくても、とにかくやってみるエネルギーを備えているのも、若さの持つ長所といえるでしょう。さらには、傷つくことや挫折に対する復元力というか、耐えられる力を持っているのも若さの特権です。

 また、先ほど述べた、とにかくやってみるということでは、がむしゃらにという前置詞を置いても良いかもしれませんね。例えば、私自身がしてきた読書に関していえば、若い頃からなんの脈略もなくがむしゃらに読み漁っていただけのことでした。ところが、50歳を過ぎる辺りで気が付いたことがあります。それは、夫々のジャンルの必要な知識やデータが、概ね系統立てて蓄積されていることです。

 考えてみれば、手当たり次第といっても、やはり好きなものや興味のあるジャンルの本に手を伸ばしている訳ですから、ある程度の時間を経てデータが蓄積されれば、それらが繋がってくるのは当たり前のことかもしれません。うまく言えませんが、この一例をとっても、先のことなど考えず、がむしゃらにやってみることの大切さが解るような気がします。本当は、やってみなければ解らないことばかりの筈です。

 ところで、やってみなければ解らないことの一つに、人との関り、付き合いというものがあると思います。いわずもがなのことですが、人は一人では生きていけません。また、知らず知らずのうちに誰かの世話になりながら生きているものでもあります。さらにいえば、肉親を含めて、誰かと関わりながら自身の価値観や感性を備えていくのが人間です。と、考えれば、人との出会いや関りは大切です。

 私は、そのような意味からも、良い知己を得ることができれば人生はほぼ成功だと考えています。とはいえ、人間関係というものはそんなに簡単なものではなく、やってみなければ解らないことでもあります。その、代表的なことの一つが結婚ということになるでしょう。例えばそれは、若さに任せて、熱い情熱にかられて思い切らなければ、できないことだと思います。ある意味、大きな博打です。

 すこし、言い方は悪いかもしれませんが、やってみなければ解らないという時点で大きな賭け事ともいえるはずです。また、あとさきを考えないくらいの情熱が無ければ、結婚などできないように思います。そう考えると、いくら熟考を重ねた判断であっても、真の意味の相性などが解るはずはありません。結果的に、描いた結婚生活とは異なり、異なる道を選んだりすることもあるでしょう。

 そのような時、若さが持つ傷ついても耐える力や復元力が大切になります。もちろんそれは、ある程度年齢を重ねても必要ですが、年と共に弱っていくものでもあります。このことは、理屈ではなく体験的に私が思う感覚です。また、レジリエンスというのかそうした復元力は、全ての人間関係において必要です。だからこそ、良い知己を得ることができれば人生は半ば成功していると思うのです。

 近況を語れば、つい最近も、古くから続く親しい人達と、細やかなミステリーツアーを体験することができました。それから、私が議員としての活動を始めた時からの、心を許せる大切な友人が訪れてくれました。二人で、近況などを親しく語り合いました。さらには、このまちの向かうべき方向性や、政治に携わる者としての考え方、とるべき姿勢などについて、自らを確認することができる時間にもなりました。

 そのような時間は、本当に有難い時間だなぁと思います。そして、最終的には、貴方の文章は「世の中の役に立つ~」に帰結していきますね、と、言ってくれた時に、ぶれてない自分を確認することができました。そんな有難い仲間達との宴や面会に関する計画をたてている時が、今の私の一番幸せな時間です



2024 3月11日    早春に思うこと 



 私の住む地域では、啓蟄が過ぎ、いよいよ暖かくなるのかなぁと思っていると名残雪が舞い、時に霙のような雨が降るといった具合です。うららかや、のどかという言葉が似あう情景ではありません。

 とはいえ、好天に恵まれた日曜日には、名古屋でウィメンズマラソンが行われました。そちらは、安藤友香選手が、7年ぶりに自己ベストをマークして優勝しました。一方で、パリオリンピックの代表には、日本記録で大阪を制した天満屋の前田穂南選手が内定しました。嬉しいことですが、これまでのマラソンのオリンピック代表選手に関しては、選考過程に関する印象がすっきりしない部分がありました。

 例えば、レースやコースの設定など、男子の場合も含めてどうかなぁと思うことがあります。考えてみれば、そのようなことは瀬古・中山と言っていた頃からありました。実際、多様な分野における色々な種類の選考過程において、そのような葛藤があるのだと思います。基本的に、求められる資質・条件に対して、正しく実力が評価されて物事が決まる世の中であって欲しいと思います。

 とはいえ、理不尽がまかり通る不条理な世の中では、正しいものが正当に評価されることの方が少ないのかもしれません。そうした視点からいえば、「正しい」の定義すら解らなくなることもしばしばです。また、今日のようにDXが叫ばれ急速なICT技術の進歩が進む社会においては、チャットGPTなど生成AIが人間に替わって文章や必要な資料を作成することも普通になってきました。

 既に、大学におけるレポート提出やその評価に関していえば、真に本人が作成したものかどうかという検証さえ難しくなっているという話を聞きました。したがって、個々の能力を正しく判定することも困難になってきているのだと思います。そのような背景もあり、多くの人間の仕事がコンピューターに取って代わられる~というような話が真実味を帯び、また何となく実感されるようになってきました。

 私も、ICT活用の推進によるDXとか、生成AIに関する講演会や勉強会に参加することがあります。そこでは、グーグルジェミニとかマイクソフトのコパイロットなど、最新のオープンAIが紹介されています。それらのバージョンについても、3.5から4..0になり飛躍的に性能があがっており、もはや、導入するとかしないとかという選択肢はなく、何時入れるかであるなどという話が主体となっています。

 そして、そのことがカーボンニュートラルや新技術の開発、企業や組織における構造改革、製造・生産現場におけるコストダウンなど、多くの場面で活用される可能性についても言及されています。世界中に大量に存在する、所謂ビッグデータの中から必要なものを探し出して、生成AIがディープラーニングを繰り返し、人間が必要とする資料を作成するというものだと思います。

 それは、まるで子供の頃SF小説で読んだ世界のようです。一方で、私が何となく空恐ろしさのようなものを感じるのは、そのような方向に向かう社会の流れのスピードの速さです。それは、10年前・5年前・2年前という風に区切って考えるとよく解ります。まるで、二次曲線の放物線が立ち上がるように、加速度的に進んでいるように見えます。正直にいえば、その速さに人間がついて行けるのかと思います。

 そのことは、私のような情緒感を大切にするタイプの人間でなくても、多くの人が同じような感覚でとらえているのではないでしょうか。やはり、目と目を見て語り合い、お互いの表情から気持ちの疎通を感じ合うコミュニケーションが、人間の基本だと思います。それでも、昨今たくさん生み出されるフェイクニュースなどの中には、容易にうそが見抜けないようなものもみられます。

 だからこそ、私は、人間でなければならない資質・能力を高める必要があるのだと考えています。それは、基本的に人間が子供の頃から養う能力であり、非認知能力と呼ぶものかもしれません。人は、生まれた瞬間から親の体温やにおいを感じ、声や視線を交わしながら情緒感を形成していくものだと思います。そのことが、成長する過程において繰り返し行われ、個々の人格が形成されるはずです。

 既に、教育現場でさえ、圧倒的なICTの進展を危惧する声が聴かれます。それは、今の子供たちが大きくなった頃には、コンピューターに支配されたような世の中になってしまうのではないかという、危惧を背景とした意見です。しかし私は、先ほど述べた人間が人間として本来備えるべき情緒感の醸成が、そのような不毛な社会が形成されることから、人類を守ることに繋がることを信じています。

  私が、昔読んだSF小説では、女性型ロボットに恋する主人公の葛藤が描かれたものがあったと思います。そのお話では、ロボットに心は備えられなかったと思います。人の心というものから考えると、いったいどうなっていくのでしょうか。



2024 2月26日    春遠からじ 


 
 2月26日です。かつて(昭和11年)226事件が起きた日です。その日は、とても寒い日で、大雪も降ったようです。日本が、戦争に突き進んでいく過程の出来事です。まさに、昭和は遠くなりにけり~というところでしょうか。

 当時からいえば、随分地球も暖かくなりました。それでも、暦の上で立春は過ぎましたが、本来は今が一番寒い時期ではないでしょうか。どうしても、日増しに長くなる日差しを感じながら、雪不足に悩まされているスキー場などの話題に、関心が行ってしまいます。本当に、この国の文化や精神性の構成に大きく影響を及ぼしてきた、美しい四季を裏付ける気候には、地球規模の狂いが生じ続けています。

 さて、昭和は遠くなりにけり~ですが、本来は中村草田男が詠んだ「降る雪や明治は遠くなりにけり」で
す。その句は昭和6年に詠まれています。また、その時既に明治の人が備えていた日本人の精神性が、失われたことを嘆いて詠まれた句だともいわれています。現在の、この国の様相を眺めた時、強い危機感と寂しさを覚える私からすれば、気分はさながら昭和は遠くなりにけり~と呟きたいところです。

 ところで、この226事件の前には、昭和7年に515事件が起きています。岡山縁の犬養毅が暗殺されましたが、私も、子供の頃から「話せばわかる~」という台詞は、ことある毎に耳にして育ちました。実際に、その通りの言葉を発したかどうかわかりませんが、銃撃を受けて絶命するまでの間に、そう語ったといわれています。まことに、憲政の神様といわれた人の最後を彷彿させる言葉だと思います。

 今は昔といいましょうか。いずれにしても、政治家が政治家であろうとしていた時代のお話です。しかしながら今日では、政治家も官僚も、或いは教師や企業人においても、日本人の精神性とか矜持などという言葉を感じられる人は、めっきり少なくなってしまったような気がします。まぁ、そんな時代だからこそ、本来の日本人の持つべき精神性の大切さについて、あえて私は論じているともいえます。

 例えばそれは、胸に手を当てて恥ずかしくないと思える生き方というようなものであって、本来は大仰に語る必要のないことであったはずのものです。少なくとも、私の子どもの頃には、確かに身近に感じられたものでした。またそれは、この国の大人が、当然備えるべき常識のようなものでもありました。もちろん、そうでない人もいましたが、だからこそそのような人が、道に外れた人といわれた訳です。

 何というのか、あえて言葉にしなくても、社会の中に規範とすべき暗黙のルールのようなものがあって、その裏付けとして日本人の持つべき精神性があったはずです。そのことを思うと、現在のこの国の変容ぶりは情けない限りです。とはいえ、実際には、そのような考え方を規範としている人は、まだまだいるのだと思います。そのような思いも込めて、私は小欄を綴り続けてきました。

 しかしながら、中々、鳴らす警鐘は届きません。その一方で、気持ちの通い合う仲間は、確実に増えてきました。この頃では、そうした人たちと語り合うために、席を設けるような傾向が顕著になりました。それが、私にとっての会いたい人という訳です。スケジュールなどの制約はありますが、観たいものをみて、読みたいものを読み、会いたい人に会う暮らし向きの拠り所となる人たちでもあります。

 先日も、若く志のある人たちと、忌憚のない意見交換をし、有意義な会話を楽しんできました。言い換えれば、そのような時間をを支えにしながら、やらなければならないことをこなす日々を過ごしています。そして、そんな計画を企みながら、寒さの中でそこまで来ている春を待っている状況です。今の時期が寒ければ寒いほど、いつも通りに綺麗な桜が咲いてくれるのではないかなぁ~という風です。

 余談ですが、私の家の母屋(今はそちらに母が居り、私は別棟で寝起きしています)には、時間ですよが放送されていた時代に、父が貰って来た森光子の色紙がありました。その色紙には「冬きたりなば、春遠からじ」という言葉が書かれ、冬と春の文字が少し大きく書かれていました。我が家には、その手のものはたくさんありましたので、今でもどこかにしまわれていると思います。

 ところで、私は、著名な政治家のものなどよりも、その優しい感じのする文字の色紙に、好感を持って眺めていたように思います。そこに、松の湯のおかみさんの姿を投影させていたのかもしれません。やはり、映像から受ける印象というものは大きなものがあったのでしょう。もう少し言えば、受け取る此方における環境や精神状態が、事象から受ける印象を決定づける大きな要因にもなります。

 暖冬とはいえ、外を吹く風はまだまだ冷たいですが、春はそこまで来ている筈です。今はただ、春遠からじ~の思いで待ちたいと思います。


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