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NO.8

2005年 11月 21日       「農業が人間を作る」相馬暁野菜博士  

                     

 


 
四季のある日本では、遅れていても冬はきちんとやってくるのでしょう。ウォームビズではありませんが、少し重ね着をしながら、この季節の繰り返しの営みがくずれないようにと、と、願いたくなります。

 先日、深夜のテレビを見ておりましたら、今年の3月に亡くなられた相馬暁先生のドキュメンタリー番組を放送していました。といいながら、実は私も、そのテレビ番組を見るまで、相馬さんのことは知りませんでした。

 ガンと診断されながら、限られた余命の中で、志を持つ学生たちに農業の大切さを説きながら亡くなられたようです。元々は、大阪出身で北海道大学農学部大学院を出られ、道立農業試験場などの勤務の後、拓殖大学北海道短期大学の教授を勤められていました。「野菜博士」と呼ばれ、あの道産米「ほしのゆめ」の開発にも関わりました。
       
 そのテレビ番組は、そのような相馬さんの最後をドキュメンタリーとして制作されたものでした。私は、その番組を見てとても心を打たれました。なによりも、余命240日と宣告されながら、「願いを持ち続け、あきらめない。そして、私は絶対に捨てたりしない」そう語りつづける表情が、なんとも言えずさわやかであり、また、驚くほど悲壮感が漂っていない事でした。

 食料と人間の関わり、農業の大切さなどを熱く説きながら、眼鏡のおくの眼差しはとても優しい印象でした。「人間にとって食料は大切なものであり、それを生産する農業こそ大切な産業なのである」そのような熱いメッセージも、何故か、すーと聞き手の心に入ってくる気がするような話し方をされていました。

 我々人間は、食物連鎖の頂点にいるが、本来、我々人間も微生物によって分解され、土に返るのだといわれ、地球的自然と生命とが繰り返し・作り上げてきた営みの大切さを説いておられました。食料は命であり、食べるという事は命をいただくことである「いただきます」や「ごちそうさま」と手を合わせる家庭が、日本にどれほど残っているかと嘆かれてもいました。 

 闘病生活では、余命240日といわれても「700日生きる」と宣言されたそうです。その理由は、期待している学生の自立を見極めたいからだということでした。後に読んだ闘病に関する記事などからも、壮絶な病気との闘いの様子が偲ばれ、胸が痛くなるのと同時に、穏やかな表情を映像に残し続けられた人柄と精神力に感動しました。

 「野菜博士」といわれ、多くのテレビ番組にも出演されていたはずなのに、存じ上げなかった自分を残念に思いました。取れたての野菜のおいしさや、成り立ちから語る保存方法など、ユーモアの溢れる軽妙な語り口に、何度もうなずかされる気がしました。安全でおいしいものを作るための土の大切さなど、本来、知識としては知っているはずのことが、本当に実感として心に沁みてくる話し方をされていました。

 また、農地に対する制度の問題(農地法などの制約により、志をもった若者がいても、良い農地を優先的に取得できない)なども、その番組を通して取り上げられていました。毎年、多くの離農者が出る北海道にあって、何とも理不尽で不条理なことのようにも思いました。

 「日々耕作」や「ガンと向き合う」などhttp://www5.hokkaido-np.co.jp/seikatsu/souma/、相馬さんの著述を読むと、人間にとって食べ物の大切さがよく解ります。また、それらのことを説く語り口から、人としての心のありようなどについて、深く考えさせられるように思います。さらに、これらの文章は、すさんだり曇ったりしがちな心を、洗い清めてくれる効果もあるように思いました。

 30代の頃私は、殆ど年1回以上は北海道を訪れていたと思います。しかも、北海道らしさを感じられる所に好んで行きました。相馬さんが語られているような、秋の大雪を始めとした「心癒される」景色の中を何度も車で走りました。あの雄大な景色の中で、食べ物と農業の大切さを考え、そのことに人生を捧げられた相馬暁さんが暮らしておられたことを、今、強く心に思い浮かべています。合掌



2005年 11月 7日       人が人を裁くということ  

                     

 

 
 霜月になり、立冬をむかえました。さすがに朝夕は冷えるようになり、我が家でも居間に炬燵が設えられました。とはいえ、昼間は結構暖かいので、着るものに迷ううような状態です。

 ところで、今回は少し固い話をしてみたいと思います。我が国では、年々増加する凶悪犯や刑法犯罪に対応するため、刑の厳罰化や審理の迅速化を含めた裁判制度の見直しなどが、取りざたされるようになっています。

 そのような中、昨年には裁判員の参加する刑事裁判に関する法律(裁判員法)が成立しました。アメリカなどで行われている陪審員制度に近く、刑事裁判に国民を参加させようという意図のものだと思います。また、裁判を身近にし、国民の信頼を向上させることが目的であるといわれています。

 私は、法律に関して特別に詳しい知識があるわけではありません。したがって、一般的な市民の感覚として意見を述べたいと思います。それでも、よくアメリカ映画などでみる裁判の光景や、陪審員制が下した判決などで腑に落ちないことがよくあります。それは、評決を下す陪審員に良い心象を得るため、検察側と弁護側のやりとりが、まるで芝居かショーのように演出されている印象を受けるからです。

 「真実」がどうなのかということよりも、いかに無罪を勝ち取るかに視点がおかれ、その手腕において弁護士の能力が評価されるようにも思います。映画やドラマのシーンは、ディフォルメされたりショーアップ化されていますが、それでも、O・J・シンプソンの殺人容疑に関する裁判を始めとして、高い報酬が必要な「有能」な弁護士を雇える人達が、無罪を勝ち得たという話はよく耳にする話です。

 また、特許権や知的財産権に関する裁判では、日本企業が開発した技術などに関する米国企業が提訴した事例などにおいて、私から見れば「言いがかり」に思えるような裁判でも、技術的には素人であるはずの陪審員が自国企業に有利な評決を下して、多額の和解金を日本企業が支払った、と、いうようなニュースを幾つも耳にしました。

 ところで、裁判に関する映画で私が印象に残っているのは、「12人の怒れる男たち」と「推定無罪」だと思います。もっとも、前者について私が見たのは、ジャック・レモン主演のリメイク盤だったと思いますが、主役のレモンが、思想・主義・被告への印象などを拭い去り、細部にわたる証拠確認や、理論に裏付けられた判断にもとづいて評決の議論をリードしていく様に感動しました。

 しかし、この映画が問題提起していることを考える時、本当に厳正な評決がいつも下されるのか?という疑念を持たざるを得ません。「怒れる12人の男たち」のように、真摯な議論が常に行われるのだろうかと心配になります。一方の「推定無罪」の中で繰り広げられる展開と、判決後明らかにされていく真実などを考えると、一層その疑念は深まるように思います。

 もう少し、物語の中での裁判の話をすれば、大岡昇平の「事件」が人が人を裁くという意味において、私の中では最も深く印象に残っています。裁判官・検察官・弁護士など、立場によって考え方や取り組み方は異なってきます。建前とは違い、実際に行われている裁判の仕組みや法律の運用などにも言及し、真実を究明することと、人が人を裁くことの難しさを問いかけています。

 一審の死刑求刑まで7年を要し、現在も控訴審が行われているオウム松本被告の裁判を始めとして、日本における裁判の迅速化は大きな課題だと思います。その中で私が感じるのは、弁護人は、どのような手を使ってでも被告を無罪に導かなければならないのかという事です。真実を追究し、本当に被告が犯した罪なら、それを認めさせることが重要なのではないかと思います。いたずらに、裁判を長引かせるような展開にも疑念を覚えます。

 「事件」の中で、私が「このような弁護士がいたら……」と頼もしく感じた菊池弁護士は判決後「検事の冒頭陳述も論告も、自身の弁論も、要するに言説にすぎない」と考え、ついに、真実についての確信に達しなかったと振り返っています。普段には関わりがなく、私たちの存知しない世界であるだけに、裁判員制度の導入を機会として、人が人を裁くということについて、今一度考えて見る必要があるのではないでしょうか。


2005年 10月 21日        プロ野球が、投資の対象で良いのか


 

 
 朝夕は、めっきり涼しくなってきました。高い気温が続いたためか、地場産の松茸はさっぱりだという話を聞きました。紅葉も見ず、いきなり冬になるのでは、と、山を見ながら苦笑いをしています。

 さて、阪神の上場騒ぎの後は、楽天によるTBS買収問題と、それに伴う野球協約への抵触の話題など、プロ野球界が再びゆれているようです。昨年の、ライブドアによる球団買収やフジテレビへの株による支配などの騒ぎに比べると、楽天への風当たりはやわらかいようにも思います。

 それでも、一連の村上ファンドや楽天などの動きを見ていて、何となく腑に落ちない気持ちでいるのは私だけでは無いと思います。ものの価値は、すべてお金に換算できるのでしょうか?そんな、疑問符が繰り返し浮かんできます。

 理不尽なルール(現在のパリーグのプレーオフ制度)により、今年も優勝を逃したホークスの選手には気の毒でしたが、見ごたえのあるプレーオフにおける試合の連続だったと思います。激戦のあとの、王監督とバレンタイン監督の抱擁は感動的なシーンでした。

 まったく、試合の行われていない千葉マリーンスタジアムに詰め掛けたマリーンズファンは、何の見返りも求めていたわけでは無いと思います。心のそこから湧き上がってくる情念に動かされ、千葉ロッテマリーンズの優勝を待ちわびていたのだと思います。

 本来、プロ野球などというものは、そのように応援したり見たりするものではないでしょうか。株によって利益を得たり、生業のためにどこかの球団のファンになるという性格のものではないと思います(関西には、タイガースを応援するだけで生活しているような芸人もいるように思いますが)。

 実際問題、ひいきの球団が勝っても負けても一円の得にもなりません。そんな中で多くの人が、様々な背景と理由で応援する球団を持ち、ある人は声高に、ある人は密やかにそのチームを応援している、といった感じだと思います。そして、目先の勝ち負けに一喜一憂し、優勝でもすれば涙を流したりする不思議な心理です。

 松井やイチローにあこがれ、プロへ行って野球選手になりたいと願う子供は大勢いると思います。また、弱かったチームが力をつけて頑張っていく姿に、自身をはげますインセンティブを得ている人もたくさんいると思います。

 「私は長島を見た」といまだに胸を張りながら、昭和50年の初優勝からカープファンに変説してしまった私ですが、気持ちの入ったプレーや試合を見ると、球団に関係なく熱い気持ちがこみ上げて来たりします。王が打ってジャイアンツが負けろとか、星野阪神を密かに応援したりと、不埒な気持ちを抱く事も多々ありました。

 それでも、私の中には血液のように野球というスポーツに惹かれる何かが流れているように思います。野球少年だった頃もありますし、子供の頃よくやった三角ベースなどを通して、自然に醸成された感情かもしれません。いずれにしても、「損得」と言うような感情を持ってプロ野球や高校野球を見る事はありません。そんな風に考えると、「野球好き」といわれる村上氏や三木谷氏などの動きに対して、何となく違和感を覚えてしまうのです。

 「野球って、本当に良いもんだぞ」そう子供たちに呼びかけ、広島の野村選手は引退していきました。ひたむきな努力を惜しまない、素晴らしい選手がまた一人消えていきます。引退していく彼に、そのような言葉を吐かせるほど、日本のプロ野球界は魅力を失い続けているのではないでしょうか。

 既得権や利権争いなど、大人の都合やビジネスの対象としてプロ野球はあるのではありません。その、筋書きの無いドラマを秘めたゲームに、だれもが少年の心を取り戻すために、それは存在しているのだと私は思います。


2005年 10月 5日        なぜ、そんなにつながっていたいのか




 
 周りの田圃はほとんど収穫も終わり、かなり秋らしい景色となって来ました。そろそろ、秋の祭りの準備が始められているようです。朝夕はともかく、昼間は蒸し暑い日が続いてはおりますが……

 先日、列車に乗って移動する機会がありました。私の住んでいる地方では、公共交通機関の便が悪いので、普段における移動手段は主に自動車となります。それでも、仕事や技術士会の活動などに際して、月に数回はJRを中心とした列車を利用する機会があります。今回は、その中で見た光景を基に少し述べて見たいと思います。

 それは、行きがけの折にも感じた事ですが、帰りの列車の時の方が乗客が多く、また、該当する人も多かったので、余計に強く感じたことでした。また、帰りには若干ビールも飲んでおりましたので、感性もよく働いたのかもしれません。

 その日私は、ほろ酔い加減で午後7時過ぎの列車に乗りました。横がけの椅子がボックス席の衝立に当たる位置、つまり、横がけの席の端っこに腰を下ろして一息つきました。学校帰りや仕事帰りの人などが乗り合わせ、座れずにたっている人がかなりいる状態でした。

 何気なく、対面がわの横がけの椅子を見回してみました。その時驚いたのは、そこに座っているほとんどの人が、携帯電話をいじっていることでした。続けて、私の座っている側の席を見てみましたが、こちらも多くの人が携帯電話を触っていました。

 それぞれ、だれかとメールのやり取りをしているような様子でした。中でもおかしかったのは、手を組み合っているカップルでさえ、空いているもう一方の手で、携帯電話を操作している光景でした。別に、大声で通話しているわけではありませんから、特に迷惑な感じではありませんが、奇妙な光景のように思いました。

 私の乗ったその列車は、終点まで約1時間の所要時間ですから、わざわざ列車の中から、送信しなければならない用事があるようにも思えません。おそらくは、退屈しのぎにメールをやり取りしているのだと思います。しかし、若い人ばかりでなく我々以上の年齢ではないかと思われる人まで、せっせと指を動かしている光景は、私にはとても奇妙に感じられたのです。

 携帯電話の飛躍的な普及により、私の二つの能力が圧倒的に衰退したように思います。一つは、電話番号を覚えられなくなったことと、もう一つは想像力の低下です。年のせいもあるかも知れませんが、イメージする力や思い浮かべる力が弱ったように思います。

 誰かのことを思い浮かべ、考えている事や想いを伝えようとする時、あまりにも簡単にその手段が与えられていては、考えや想いを深めたり、整理したりすることがやりにくいのではないかと思います。幸か不幸か私は、あまり携帯電話を多用することが好きではありませんし、自分が連絡を取りたいとき以外は、あまり連絡されたくないので(我がままですが)、そのような弊害は少ないのかもしれませんが。

 退屈しのぎと言いましたが、どうもそれだけではなく「誰かとつながっていなければ寂しい」というような感情を持つ人が多いのではないでしょうか。電話やメールは便利な道具ですが、いつでもつながる状態にあると「誰かとつながっていたい」と思うようになる気がします。かつて、携帯電話を持ち始めの頃、誰かにかけてみたくなった事の延長線上に、そのような精神状態があると思います。

 同時にそのことは、自分の内面を深く見つめることや、相手のことを思い浮かべる想像力を低下させることにつながるように思います。便利になればなるほど、想像する力や創造する力が衰退していくように私は思います。

 余談ですが、列車に乗って様々な乗客の様子を観察し、それぞれの境遇などを勝手に想像し、生活の背景や個人のドラマなどをイメージすることが私は好きです。たいてい、本を読んでいるかそのような考え事などをして、車内の時間を過ごしています。ことさらに、誰かとつながっていなくても、退屈したり寂しいという気持ちになったりはしません。

 一人で列車などに乗ることも、結構楽しいものだと私は考えています


 
 

2005年 9月 20日        故郷の歴史は語り継ぐべし


 

 
 古来からの言葉通り、秋のお彼岸を向かえ、しのぎやすくなってきました。だんだん空が高くなっていき、空気が澄んでくる秋は、私の最も好きな季節です(桜の春も好きですが、あいにく花粉症がありますので……)。

 さて、その澄んだ空気と秋晴れの下、小学校や中学校の運動会の歓声が響くなか、秋祭りの準備なども進められています。人と人との触れ合いが希薄になる我が国において、地方におけるそのようなイベントは、辛うじて地域住民同士の結びつけることに貢献しているのかもしれません。

 それでも、かつて後醍醐天皇に十字の詞を捧げた児島高徳のエピソードが残る作楽神社を始め、この地域内の史跡などについては、あまり関心がもたれていないだけでなく、大切に扱われてさえいない気がします。特に、若い世代の認識は薄く、それらの事を語り継ぐ人は年老いていき、年々少なくなって行くように思います。

 私の家の近くには、出雲阿国の恋人といわれた名古屋山三郎と、森家の旧臣井戸右衛門が遺恨の末に斬りあい、双方が命を落として埋葬され、その墓標として植えられたという「にらみ合いの松」を中心とした小さな公園があります。そのことは、公園の入り口の小さなプレートに簡単に記されていますが、どれだけの子供がその史実を知っているのだろう、と、考えたりします。

 名古屋山三郎九右衛門は、あの、織田信長に寵愛された森欄丸の弟にあたる森忠政に仕えていました。もともとは、蒲生氏郷に仕えていたのですが、氏郷の死後蒲生家を去り、、彼の妹が忠政に嫁いでいた縁を頼って森家に仕えたようです。

 美しさが身の上の妨げになるため、剃髪して大徳寺に入ったこともあるほどの美男子であったと言われています。歴史的な確証は無いにしろ、出雲の阿国とのロマンスが生まれるほどの男前であったことは間違いないようです。また、槍の名手などとも言われていますが、井戸右衛門に切りかかった際には、逆に一刀両断されたと言われています。

 ところで、件の公園も、私が子供の頃は田圃でした。細長い田圃の南北の畦にこんもりとした塚のようなものがあり、盆栽のような枝振りの松が植えられていました。まさに、南北ににらみ合う形で植えられていましたが、その頃は、南側の松が絵になるような古木で、北側(こちらが山三郎側とか)が枯れたばかりで新しいものが植えられていたように思います。

 これも子供の頃に聞いた事ですが、この二つの松は、一方が勢いづくともう一方が枯れるという具合で、双方の武士の遺恨を今も残しているとのことでした。田圃が埋められ、公園の中に取り込まれた現在では、その頃の松は枯れてしまい、木としての分類上が松であるというだけの、何の変哲も無い松が対峙して植えられています。それでも、勢いの優劣はあるようにも思います。

 争った二人には、長年の遺恨があったようですが、津山城の築城に当たって、現在の鶴山公園となっている津山城址の位置と、この院庄の地を巡って争ったのだなどというも話も、子供の頃に聴かされたこともあります。実際に、戦国時代に赤松氏の拠点であった場所がこの近く「構城跡」として残っており、森家も始めはそこに築城することを考えていたようです。

 そのようなことを考えると、もしかするとここら辺りは城下町の中心であったのかもしれない、などという空想もすることが出来ます。歴史の中で「たら」とか「れば」を考えても、結果としての事実は変わりません。しかし、その時当事者たちはどのように考えて行動したのかを思い描く事は、意義のあることだと私は思います。

 子供の頃のことばかりになりますが、私は、主に父から色々な昔話や歴史の話を聞かされて育ったように思います。強引に与えられたにも関わらず、本が好きになっていった背景には、そのような下地があったのではないかとも思います。私も、せめて自分の子供たちには、そのような下地をつけてやりたいと考えながら育てたつもりです。

 しかし、残念ながら息子の本棚の「竜馬」は、いまだ止まったままのようです。


 

2005年 9月 7日      救援活動の前に治安維持が必要であるということ


 

 
 もうすぐ収穫を迎える我が家の稲は、昨年・一昨年とは違い、極めて順調に実りの秋をむかえておりました。アメリカで猛威を振るったカトリーナのような台風が来ない事を、ひたすら祈っていたところです。しかし、その期待は14号台風により見事に裏切られました。なぎ倒された稲の事を思いながら、重いキーボードをたたいております。

 皮肉にも前回「アメリカは、本当に世界の警察官なのか」というコラムを書いたアメリカ南部において、過去最大級のハリケーンが上陸し、数千人を超える犠牲者が出た(正確な状況把握さえ出来ていない様子)というニュースが報道されました。自然災害へに関する防災対策の予算を削減して、イラク戦争にまわしたなどといわれ、被災者・地域への支援対応が遅れているブッシュ大統領に対し、世論やマスメディアからの風当たりは強まっているようです。

 一方で、被災地域のなかでは、日本では考えられないような略奪行為などが行われている様子も報道されていました。社会構造や文化の違いが根底にあると思いますが、アメリカンドリームのサクセスストーリーの陰にある弱肉強食の仕組みが、それを生み出しているようにも感じました。

 なんといっても、大統領が軍隊の派遣を決定したのが、ハリケーン上陸の2日後であったことは、被災者と米国民の不信をかう大きな要因といわれています。連邦制の規制があり、自然災害がらみの治安確保などは、本来警察や州兵が対応する仕組みであったことも、大統領の判断を鈍らせる原因の一つであると報じる新聞もありました。

 それにしても、犠牲者の数が数千~数万などといわれるなかで、いっこうに統計的な報道がされる様子がありません。世界のリーダーであるはずのアメリカ本土における被災映像は、途上国でおきたインド洋大津波の惨状を思い出させ、全く惨憺たる光景でした。

 また、そのスマトラ沖地震の際には素早く被災地に到着した米軍の対応の遅れを始めとし、救援活動の混迷ぶりには驚くばかりです。治安を担当するはずの警察官さえ、一部報道によると20%が職場放棄しているなど、信じられないようなニュースが連続して伝わって来ます。

 略奪行為は過激化し、盗んだ銃などで武装化した「略奪集団」なども現れている模様で、水や食料などの生活必需品ばかりでなく、衣類や宝石、電気製品なども盗まれているようです。暴動や銃撃戦などがおこる懸念が高く、人々は疑心暗鬼に陥り怯えているという話も聞きました。

 ライフラインの途絶えた被災地や避難所での生活環境は劣悪な状態であり、衛生状態の悪化により感染症などの発生も懸念されています。西ナイル熱の流行地でもあるルイジアナ州では、よどんだ水でそれを媒介すす蚊が大量発生する恐れもあり、今後の対応が注目されるところです。

 何よりも先ず、治安を確保しなければ救援活動や復旧支援をすることが出来ないということが、大きな障害となっているように私は思います。おおよそ日本では、このような緊急事態において治安維持のために、それほど神経をとがらせ労力を割く必要は無いのではないかと思います。

 また、アメリカの実態はよく知りませんが、日本のような系統だった町内会のような自治組織は無いのではないかと思います。救援物資などを配布する場合や、水防や防犯など様々な局面において、我が国の地域社会における自治会・町内会などの有する機能は、大きな力を発揮するのではないかと思います。

 現状においては、世界で唯一の超大国といえるアメリカでの惨状を目の当たりにして、小さな集落のコミュニティにおける連帯の重要性を感じています。名ばかりではない町内会長にならねばと、自身を戒めているところです。


2005年 8月 13日        アメリカは、本当に世界の警察官なのか


 

 
 8月の太陽の下、我が家の田んぼも稲穂が出ました。しかし、とうとう解散総選挙となった政局同様、しばらくは暑い(熱い)日が続くのだと思います。

 さて、技術士二次試験も終わりました。あの、受験番号・問題番号等の誤記・未記入による失格扱いというやり方は、いかがなものかとか、とうとう、解散総選挙になった政局など、触れるべき(言いたいこと)話題はたくさんありますが、どうしても今、私の心に引っかかっているのは、「世界の警察官」アメリカ合衆国に対する思いです。

 8月15日の終戦記念日が近づいてくると、どうしても、先の戦争から今日までのアメリカと日本の関係や、それを通してみたアメリカという国について考えてしまいます。戦後、我が国が奇跡的な復興と、先進国の仲間入りするほどの経済発展を遂げる事が出来たのは、進駐してきた国がアメリカであった事によることは、間違いないと思います。

 良くも悪しくも、自由と平等の名のもとに、アメリカンドリームの成し遂げられる国アメリカの影響を受け、私たちも高度経済成長の中で大きくなりました。野球をはじめとしたスポーツや、映画・音楽などについても多くの影響を受け、冷戦時代を背景にした民主主義の担い手として、一種の羨望を抱きながら、私は彼の国をとらえていたように思います。

 とりわけ、市民の弾圧や独裁政治に対して強い指導力を発揮し、経済的な圧力や、時には武力を持って介入していく姿は、アメリカ自身が自負する「世界の警察官」というような捉え方をおぼろげにしていたかもしれません。

 しかし、歳を重ねるにつれて、本当にアメリカは世界の警察官なのだろうか?と思うことのほうが多くなって来ました。9:11の同時多発テロの後のアフガン進攻、大量破壊兵器や化学・生物兵器の駆逐を理由にしたイラク進攻の結果、中東はそして世界は、平和と安定がもたらされたのでしょうか?

 悪の枢軸とまで名指しした北朝鮮に対し、主権国家と認めてまで開催にこぎつけた6ヶ国協議において、以前と変わらない巧妙な北朝鮮のやり方にしてやられている体たらくの状態です。本当に、北の核問題が懸念され、彼の国の国民を救済したいのなら、中東で行ったように武力介入すれば良いのではないでしょうか?

 少し過激な言い方をしましたが、武力介入しない理由は、北朝鮮には石油が出ないからのように思えます。世界の平和と安定よりも、何よりもアメリカの国益が優先する。それが、あの超大国が動く時の最も重要な価値規範なのだと思います。もし、北朝鮮に拉致されている人間がアメリカ人であったなら、朝鮮半島に第七艦隊を集結させて、否応の無い交渉をするのではないでしょうか。

 一方、フツ族・ツチ族の因縁の争いから起こった小国ルワンダでの大量虐殺をはじめとしたアフリカでの紛争などに際し、世界の警察官が一役買ったという記憶が無いのは私だけでは無いと思います。難民や虐げられているその国の人達を尻目に、ナイジェリアに進出するオイルメジャーをバックアップしているのが実情だと思います。

 ブッシュ政権を支える勢力の中に、そのような資本家が含まれていることが背景ですが、日本などが提唱している地球温暖化への取り組みに、積極的に取り組む意思が見えないのもそのためなのでしょうか。うろ覚えですが、今後70%も需要が伸びると予想される石油消費への対応が、ナイジェリアにおけるいち早いアメリカの動きの理由であるというテレビ番組を見ました。

 子供の頃、図書室で読んだベーブ・ルースの生い立ちからの活躍、ゲーリー・クーパーの映画「打撃王」で涙したルー・ゲーリックの物語など、「自由と平等に基づいたフェアーな競争社会」のなかで、努力次第でだれもが幸福をつかめる国というアメリカへの憧れは、CCRの雨を見たかいを聞いた頃から絶対的なものでは無くなっていきました。

 しかし、今日のように胡散臭く思うようになるとも思っていませんでした。本当に世界の警察官は、私たち日本人の危機を救ってくれるのでしょうか?耐熱タイルのはがれたスペースシャトルが、無事帰還したニュースを見ながら、そんな事を考えておりました。

 広島への原爆投下に関わった元兵士が、「謝罪はしない、それをいうなら、リメンバーパールハーバーだ」という発言ををテレビで見ました。お盆の暑いお墓に立って、何を父と語ろうかと考えています。



2005
年 7月 23日        慣れるということ
   


 

 
 空梅雨の、帳尻を合わせるようにまとまった雨が降り、梅雨はあけていきました。照りつける夏の太陽が、ぐんぐん気温を上げております。いよいよ夏本番というところでしょうか。

 さて、今回は「慣れる」ということについて考えて見たいと思います。良くも悪しくも人は慣れるものです。また、辛さや痛みに慣れていかなければ、生きていけないのかも知れません。一方、安穏と暮らしていれば、平和というものにも慣れてしまいます。

 21日にも2週間ぶりにロンドンで同時爆破テロが企てられましたが、7日の時には、オリンピック開催地決定やサミット中ということもあり、センセーショナルなニュースとして世界中に報道されました。日本でも、しばらくこの話題で持ちきりでした。特に、50名を超える犠牲者が出たことが大きく取り上げられていたと思います。

 しかし、イラクにおいては、自爆テロがおさまる気配は見られません。ロンドンでの事件の数日後、70人を超える死者が出た自爆テロのニュースが報じられていましたが、「またか」というような印象でテレビを眺めていたように思います。まさに、その不毛な光景を眺めることに、私自身が慣れてしまっていたのだと思い、後ろめたいような、いやあな気分がしています。

 話は変わりますが、今月18日に、川嶋対徳山という日本選手同士の世界戦が行われている時、アメリカ時間で16日に行われた試合が放映されていました。ミドル級の4本のベルトをかけた試合で、12年間負けていないバーナード・ホプキンスが、無敗の新鋭ジャーメイン・テイラーを迎えての21度目(IBFのベルト)の防衛戦でした。

 シドニー五輪銅メダルで、日の当たる道を着実に駆け上ってきた才能溢れるテイラーに対し、たたき上げでダーティなイメージの強いホプキンスの試合は、アメリカでも大変注目されているようでした。予想通り、テイラーに声援が多く集まり、ホプキンスにはブーイングというような会場の雰囲気でした。

 とても40才とは思えない素晴らしいホプキンスの体に対して、最近の挑戦者の中では珍しくひけをとらないテイラーの体躯に、始まる前から好試合の期待が持てました。激しい打ち合いを期待した人にはものたらない印象かも解りませんが、実に内容の濃い試合であったと思います。

 結果は、スプリットデジションの上僅差の判定で、テイラーが勝ち新チャンピオンとなりました。序盤から中盤にかけて、強打を警戒したホプキンスの手数が、あまりにも少なかったことが敗因だと思われました。もちろん、有効打を受けてはいないのですが、どちらかに振り分けていく現在の採点方法では(特にラスベガスでは)、とにかくジャブでも手を出した方がポイントにつながりやすいようです。

 ホプキンスが、意識してポイントを取りにいった10ラウンド以降は、明らかに有効打を当てダメージを奪い、確実にポイントを稼いだと思います。しかし、10年以上負けてないチャンピオンの心に、勝つことへの慣れがあったように私は思いました。どちらがダメージを受けているか良く見てみろ、と、試合後のインタビューで応えていましたが、実際にその通りでした。

 しかしながら、勝つ事に慣れていた彼は、「打たれていなかった」ラウンドのポイントを五分五分と勘違いしていたのだと思います。勝負どころを10ラウンド以降と考え、リスクを犯さず楽に勝とうとしたのではないかとも思います。取りに行った(ポイントを)ラウンドの迫力は、強打の新鋭をひるませるものがあっただけに、防衛記録が途絶えたことは残念な気もしました

 私は、ヒール対ベイビーフェイスという図式と、10年負けていないチャンピオンということから、87年のハグラー対レイナードの試合を思い出しましたが、あの時のハグラーには、慣れやおごりなどは感じられなかったと思います。私は、今でもあの試合はハグラーが勝っていたと思いますが、今回と同じスプリットの判定で敗れた彼は、試合後静かにリングを去りました。

 同じようなたたき上げの苦労人でも、見るものの心をひきつける力の違いがそこにあるように私は思います。今でも、私の知る限り最高のミドル級ボクサーはマーベラス・マービン・ハグラーだと思っていますし、最も私の好きなボクサーです。彼の試合にも、出来の良くないものもあったと思いますが、慣れた戦いをしたことは無いと思います。

 平和に慣れず、楽をすることに慣れず、努力する事に慣れて生きて行かなければ、と、思う日々ではあります。


2005年 7月 9日        殺人を奨励するする宗教などあるわけが無い


 

 
 やっと、梅雨らしい雨が降り、水不足の危機的な状態は脱したのではないかと思います(あくまでも、私の住んでいる近辺の様子ですが)。それにしても、極端な降り方をするなあと空を見上げてしまいました。

 先日、2012年のオリンピック開催が決まった直後のロンドンで、爆弾による同時多発テロが発生しました。8日の時点で、死者が50名を超え(まだ増える可能性が高いようです)、負傷者が700名といわれています。市の中心部にある地下鉄の駅やバスなどが標的にされました。おりしも、サミットが開催され、主要国の首脳が一堂に会している時でした。

 報道では、アルカイーダによる犯行であるといわれています。各国からマスコミ関係者が多数つめかけている中での犯行は、全世界に向けたアピールにはなったのでしょうが、割り切れないむなしさとやり場の無い怒りがこみ上げてきます。通勤途中の地下鉄や、二階建てバスで即死状態であった人は、自分が何故死んだのかも解らないのではないでしょうか。

 あの、世界貿易センタービルが崩れていく衝撃的な映像が忘れられない911アメリカ同時多発テロ以降、インドネシアのバリ島や、スペインのマドリードでそれぞれ200人を超える犠牲者を出し、今回は、世界の首脳が集結したイギリスで、しかも首都のロンドンで、このような惨事が起きてしまいました。

 評論家の人は、だいたい1年半周期に起きていると分析していましたが、いつになったら、このような無益なテロ行為がなくなるのでしょうか。根強く残る差別や、アフリカ諸国などの貧困を背景に、貧富の差が拡大していることなどを理由として、不満を持つテロリストグループが、イスラム原理主義の名を借りて、今回のような凶行におよんでいるのだとも報じているメディアもありました。

 911の後、アメリカのブッシュ大統領はテロとの戦いを宣言し、アフガンからイラクにむけて大規模な戦争を仕掛けていきました。悪の枢軸の片方の首領であったフセイン元大統領は拘束されましたが、戦争の大儀であった大量破壊兵器は発見されず、イラクの治安状態は一向に改善されないままです。それどころか、民間の軍事会社による傭兵ビジネスが展開されるようにさえなりました。

 泥沼のような状況の中で、先の見えない殺し合いが続いている感じにしか見えませんが、イラク国民は、それを望んでいるとは思えません。日本の自衛隊を標的にした攻撃も、だんだん精度が増してきているように思います。いつ、攻撃され犠牲者がでてもおかしくない状態です。そういえば、かつて岡山からPKOに派遣され殉職された高田警視という人がいましたが、今は話題にものぼりませんね。

 イスラムの聖戦だとか、十字軍への警告であるとかいう言葉を聞くと、イスラム教徒全体に憎しみを持ってしまいそうになりますが、本当の意味で神を信じる敬謙な信者が、罪も無い人を殺せるはずはありません。それは、どのような宗教でも同じ事だと思います。ニュース報道などで見ただけですが、純真な若者を洗脳し(簡単にいえば)自爆テロにさしむかわせているのは、自分の手を汚さない「指導者」という人物であったように思います。

 いつの時代も、最初に犠牲になっていくのは名も無く弱い人々だと思います。911直後のスピーチで「神のご加護を」という言葉を繰り返していたブッシュ大統領のことを思うと、キリスト教的思考形態や倫理観で、イスラム教的価値観を多く持つテロ組織を掃討しようとする限り、「テロとの戦い」が終結するようには思えません。

 他の宗教を否定し、存在を認めないようなものは、本当の意味で宗教とはいえないと思います。「神仏を前にして、無我になろうとする気持ち」そのことにおいて、キリスト教もイスラム教も、また仏教も違いは無いはずです。祈る形や対象が違うからといって、それを認めなければ単なるエゴでしかありません。もちろん、それを利用した無差別テロなどはいうまでも無く許されるはずがありません。

 前回も述べましたが、この地球に薄皮のように張り付いている空気と、青く大量にあるように見える水の、2.5%のそのまた5%、全体からいうと0.01%の淡水による奇跡的な地球規模の循環により生かされている人類には、心のよりどころとなる宗教は必要なのだと思います。しかし、その名を借りて殺人を賞賛するような宗教などあるわけがありません。そのようなものは宗教ではありません。


2005年 6月 26日          水について考える



 

 
 ついこの前植えた稲は、早くも力強く株をはり、その隙間も見えなくなるような勢いです。ささやかな願いとは裏腹に、雨の降らない梅雨となってしまいました。約束どおりの雨は、どこに行ってしまったのかと思いながら、災害が起きるほど降られてもこまるなあ、と天を仰いで考えたりしています。

 実際に、人間が自分たちの都合であれこれ考えてみても、水不足に悩む水系のダムに水を満たすことさえ出来ないんだなあと思います。地球温暖化のせいだとか、山や森林の保水力の低下によるものだとか、色々な事が言われておりますが、毎年どこかで水不足の話題がニュースに流れるように思います。

 水の惑星といわれている地球ですが、その地球上の水の中で、人類が利用可能な淡水はわずか0.01%、量にして105兆トンといわれています。この、全体からしてみればわずかな量の淡水が、地球と太陽との微妙なバランスの変化などのによって行われる地球規模の水循環のおかげで、我々人類をはじめとした生物は生きていけるのです。

 特に、四季のある我が国などは、多くの恩恵を受けていると思います。梅雨の、この時期にもたらされる多量の雨水が、田畑を潤し、作物の生育を支えるだけでなく、貴重な飲料水や多くの産業を支える源となってきたのだと思います。かつてこの国では、「水と安全はただである」と考えている人がたくさんいたのではいでしょうか。

 そういえば、いつごろから水道の蛇口をひねって其のまま水をがぶ飲みするようなことをしなくなったのでしょうか。自分の子供たちが、小学校に水筒をさげていく姿を見て、何とも思わなくなったのはいつからなのでしょうか。はっきり思い出せませんが、ほとんど根拠のない「水を飲んではいけない」猛練習をしていた頃は、むさぼるように学校の水道の蛇口から水を飲んでいたと思います。
 
 ほんとうに、今の水道の水はあの頃の水と変わってしまったのでしょうか。そうでもないという専門家の人のお話も聞いた事がありますが、水源となっている目の前の吉井川の水を見ると、日がな一日時間を忘れ、水遊びをしていた子供の頃の、あの透き通っていた色とは程遠いように思います。

 三峡ダムの建設や、南水北調などのお話ばかりでなく、めざましい経済的な発展を続ける中国では、都市部を中心にして、深刻な水不足が話題になったりしています。需要に対する消費の増大が大きな要因だと思います。

 しかしその中で、特に懸念されるのは、水質汚染の問題だと思います。せっかく、絶妙な地球規模の水の循環システムがあるというのに、急速な工業発展による公害や急激な人口増加に追いつかない下水道施設の整備不足などによって、使えない水が増えているのは明らかだと思います。

 今年5月に訪れた桂林でも、璃江にはゴミがたくさん浮いているところもありました。瀋陽では地下水の汚染が問題となり、水不足は深刻で1日40万トンにのぼるような緊急事態であるというニュースをみました。話は違いますが、彼の国の家庭に全部エアコンが入り、クーラー付きの自動車に乗るようになったら、環境問題などと悠長なことを言っていられないのでは、と空恐ろしい思いになったりします。

 また、直接の因果関係は証明されていませんが、地球の温暖化が、地球上の雨の降り方に影響を与え、地域的な降雨量の分布が変化したり、降雨の強さに影響を与えていると考えるほうが、私は自然な考え方だと思います。最近の、極端な集中豪雨の起こり方や、今年のような渇水の状況を見ると、いやあな感じとして実感するのです。

 宇宙に飛び出していく宇宙飛行士は、宇宙から青く美しい地球を眺め、それまで宗教をもたなかった人も、神を信じるようになる(主にクリスチャンだからだと思いますが)といいます。本当に薄皮のように地球を包んでいる空気と、そこに存在する生命を養っている水のことを思うからなのではないでしょうか、

 「冷水あります」子供の頃、町の食堂の入り口にそんな貼り紙があると、それだけで、中に入りたくなりました。ただ、水道の水を冷水機で冷やしていた、それだけのものだったはずなのですが……



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